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今日のテーマトークは、アフター・ヤンです。はい、では原口さん、解説お願いできますか。
はい、映画とトークもより拝借します。コロンバスのココナダが監督脚本を手掛け、アレクサンダー・ワインスタイの短編小説
Saying Goodbye to Yanを特創的な映像表現で映画化したSFドラマ。人型ロボットが一般家庭にまで普及した近未来。
茶葉の販売店を訪ねたジェイクと妻カイラ。幼い幼女ミカはつつましくも幸せな毎日を過ごしていたが、ロボットのヤンが苦笑で大がなくなり、ヤンを兄のようにしていたミカは落ち込んでしまう。
ジェイクは処理の方法を模索する中で、ヤンの体内に毎日数秒間の動画を撮影できる装置が組み込まれていることに気づく。
そこには家族を抜けられたヤンの温かい眼差しと、ヤンが巡り合った謎の若い女性の姿が記録されていた。
フレイン・ファレルが主演を務め、ウィザートリモースのジョディー・ターナスミス、ドラマアンブロラアカデミーのジャスティン・エイチミンが共演。
コロンバスで主演を務めたエイリール・リチャードソンが物語の鍵を握る謎の女性を演じるとなっております。
はい、ではオドーのサワリの感想を伺っていこうかと思うんですけども、ここから先ネタバレ込みの話が入っていきますので、見てから聞きたいという方は是非一旦聞くのを止めていただけたらなと思います。
はい、じゃあサワリの感想、ハラグさんいかがでした?
個人で結構今回気に入ってて、この作品のロボットに対する考え方とか、ロボットと感情についての問題、課題、その辺が日本のとある漫画に似てるなぁとか思ったりしながら、
あと、いわゆる春日作品の引用、音楽含め、なかなかいいところをついてて、総合的には文系制風作品として非常に気に入っている作品ではあります。各種それぞれ話題でこの後語れたらなと思います。
じゃあ、まいださんいかがでした?
私はすごく心地いい映画だったんですけど、情緒的なことが本当にわからない人間なんで、今日の夜めっちゃよく寝れそうやなとか思いながら見てたら、急に終わったって思いました。
本当に自分が情けなくなるぐらい終わったと思って、今日は皆さんの話聞いてちゃんと人の心を学ぼうと思いました。
はい、じゃあマリオさんお願いします。
そうですね、僕もめちゃくちゃ大好きな映画でしたね。中盤ぐらいですかね、ヤンのメモリーを初めてジェイクが見るところのシーンでもう大号泣し始めてて、それからずっとちょっと涙が止まらないぐらいな感じだったんですけど、
なんかすごくいろんなものが曖昧であやふやな世界の中で、じゃあ何が自分の中で確実なものというか大切なものなのかなみたいなのを巡る話だなというふうに個人的には思って、
家族とか自分のルーツとかアイデンティティとかいろんなものがあって、それがまあ確固たる何かがない中で、じゃあ何が自分の中で大切なものなんだろうみたいなのを考えていくみたいな映画だったので、
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個人的にはすごく大切にした一歩にまた出会えたなという感じでした。
僕はですね、すごくいい映画だなって思いながら見てて、特にその他人の視点になるっていうこと、他人の記憶をトレースすることみたいなのの情感みたいなのはすごい豊かに描かれている映画だなと思ったんですけど、
結構僕途中、うとふとしてて、いいことを描いてるなっていうのはわかるんですけど、でも何か記憶があんまり定かではないんですよね。
そこ、まあ何かしゃべれると思います、多分。
ただ僕、冒頭のダンスシーンむちゃくちゃ上がったんですけど。
あれめっちゃ楽しかったですね。
めっちゃ良かったですね。
ちょっとびっくりしました。
もうギャスパーの絵のクライマックスみたいになってました。
確かに、色合いのカラフラさ確かにクライマックス感あった。
いや、ほんまなんかこの4人で出たいと思いましたもんね。
あれ?あのダンスゲームね。
たぶん原口さんがすぐ間違えそうな気がするんですけど。
いいよ、好き勝手言う程度。
また原口さんかーとか言って盛り上がりたいですね。
俺そういうやつばっかかる。
はい、じゃあ深掘りしていこうかなと思います。
原口さん、じゃあまずポイントありますか?
なんかロボットの考え方とかのディティの管理系よりの。
いや、そこもありだと思います。
僕、本作のテクノロジー的な部分の話したいなと思ってたんで。
じゃあガチでいくと、
一応俺、本業はSEでプログラムとか組んでたこともあるので、
そもそもだからロボットに感情を載せることは基本的にはできないわけで、
で、作品の中でその日ごとの印象的な映像だけが数秒間残っているっていうのがどうやってるのかなって結構興味深くはあって、
なんかこういうアルゴリズム的にいうと映る映像のなんかポイントポイントとかで、
信号書類の計算とかでビットが立ってるところを撮ってるとかなんかなってあれ系的に思ったりするんだけども、
もしなんかないかしらの感情の仕組みを作って撮ってるのだったら、
どうやってこの数秒選んでるのかって非常に興味があったり。
なるほど。テクノロジー的なその原理みたいなところがめちゃくちゃ気になったって感じなんですね。
そうそうそう。
なるほど。
やっぱそこには感情が含まれているのかどうなんだろうってこう無限ループを繰り返しちゃうんだけど。
いや、そうですね。
まあ、ロボットに感情がありましたっていう話のようにも見えるし、
単にAIがそういうビッグデータに乗っ取って処理したら、こういうシーンって人間好きですよねみたいなのをちょっとずつ集めて撮影しただけにも思えるかなと思って。
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何度も反応めっちゃ面白い。
だから人間って基本的にこういうシーン好きですよねっていうのを切り取ってるだけっていう風にも見えるかなとは思うんですよね。
まあ、あとそれか無作為な映像を勝手に人間が都合よく解釈しているだけとも見えるっていう。
その、あの映像を撮影したことの主観に自我があるのかどうかっていうのはあんまりよくわかんないかなっていうのと、
そこに意味を見出すことができるのかどうかっていうのももうこっち任せかなって気もすると思って。
確かにマリオンさんが言った通り、本当に無作為な断片的な映像の連なりでしかないとしても、
でもそれってもう、見る側からしたら過去って全部きらめいて見えるよなっていう。
そうそう、そうなんですよね。
うん。その、原口さん的にはそういう機械の自我っていうものはどうあるものだという風に認識してるって感じなんですか?
でもそこは何よ、いわゆるアイザック・アシモフのロボット攻略三原則かなって思うんですけど、
人間に危害を与えてはならない、人間の命令に従わなければならない、思考を守らなければならない、
っていうそのロボット攻略三原則にはのっとったAIロボットではあるかなと思うんですけど、基本的にはそこは揺るがず。
うーん。
えーと、つまりそれは自我と言われるものじゃなくて、単にそういう処理でしかないってことですか?
基本的にはね、なんかそうちょっと理系の観点で見るんだけども、
所詮ゼロとイチのね。
でももしあったとしたら面白いよねっていうのは感じはあって、
で実は中身はそうすごい技術が組み込まれていた文化的に見てもっていう、技術的に見ても。
でね、俺それで見ながらちょっととある日本映画を思い出したんですけども、
カリブ・マレーさんの原作の漫画の山下信博監督が映画化したハードコア。
あれに近いものがあるなぁと思いながら見てて。
へぇー。
あー、僕見てないなぁ。
見てない?
まだも、読んでないですけど。
見てないですね。
あれ見ると、最後見るとちょっとロボットの感情的な話でクライマックスになるんで結構いい作品なんですけども、
結構その世界観に通じるものがあるなぁと思いながら見てて。
なるほど。
うーん。
なるほどなぁ。
で、なんか文系SF作品って結構見たくなるんですよね。
リケーというよりは文系寄りの作品かなぁと思ってて。
まぁまぁまぁ。
そうか、僕あんまりその今回登場するテクノって名前でしたけど、
ロボットのその、なんていうか、あんまり原理とか構造的な観点でやっぱ原口さんってすごく見てるんだなっていうのは思ったんですけど、
やっぱそこは僕そういう風にはあんまり見てなかったから、
結局なんか、何かしら自我は持ってそう、何かしら彼なりの何か考えはあったっぽいではあるけど、
全部それってまぁ結局後付っちゃ後付けなのかなっていう風にやっぱ見えるところが結構ミソかなと思うというか。
うん。
まぁ他人の記憶をまぁ見るっていうことがまぁそもそもまぁ無理じゃないですかっていうのがまぁあるんですけど、
記憶ってまぁあくまでも自分の中にしかないものというか、
それをまぁそういう他人の記憶を見るみたいな機会があった時に、
この人はもしかしたらこんなことを思ってたんじゃないかな、みたいなところに思いを馳せるみたいなところに、
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何かこう人と人との繋がりとか、
まぁそこに記憶っていうものがまぁ何か繋がりの中で重要になってくるんじゃないかみたいなテーマをまぁ扱ってるのかなっていう風には、
僕は見ながら思ってたんですけど。
うん。
うんうんうん、そうですね。
何か描いているものの素朴さというか非近さみたいなのが結構僕グッと来るところがあって、
すごい良いシーンの連なりなんですけど、あの記録されてた映像って。
でも取り留めないし、さりげなさすぎる瞬間ばっかりやなぁと思って、
あんまりその情感たっぷりなものだけ切り取った感じもしないなぁと思ったんですよね。
なんか本当に何気なさの集積かなって思って、
僕思い出したのが、ゴーストストーリーっていう映画をちょっと思い出してたんですよ。
で、あれもお化けになってしまった男の視点から、
そのものすごい壮大な視点になったと思ったらむちゃくちゃ非近な視点になったりとかで、
なんかあんまりそこに意味がないように見えるというか見てる視点の側に、
もうその男が死んで幽霊になってしまったことで、
あんまりその人間のルールで動いてないように見えるというか、
生前の記憶にすがるっていうプログラムになってしまったようにも見えるなぁと思って。
だとしたら、その幽霊とAIの違いって何なんだろうとかってなるし、
魂とプログラムの違いって何なんだろうとかね、そういうことも思っちゃうんですよ。
だって人から見た時に何気ない瞬間の連なりに意味を見出して、
AIがそれを録画したように見えるって。
で、普段ロボットとしても人のように振る舞ってるって、
そこに人とロボットの違いってあるのかなってちょっと思ってきちゃうというか。
そうですね。
なんかね、その辺り、魂とは何かみたいな話なんだろうなぁみたいな感じでは見てたんですけど。
そうですね、やっぱり。
あとちょっと見てて面白いなと思ったのが、
記録されてた映像を見るときに、記録されてた音声とは別に、
今の音声なんですか、なんか二重で声が入ってたりしてたと思うんですよ。
あれってどういう意味なのかなっていうのを僕ちょっと掴みかねてたんですけど、
その記録されてた音声を今もう一度読み上げてるのか、
あるいは何だろう、その主観として言葉を語り直してるみたいな。
すいません、僕全然受けた感触をうまく言語化できてないんですけど、
すっごいなんかよくって、あれが。
記録は語り直すことで記憶としての生命力を得るみたいな。
あそこで単に声が一つだと単に再生してますみたいな感じに見えちゃったと思うんですけど、
音が重なってるから、今見てる人の自我みたいなのがそこに重なることで、
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再生された過去とそれを見て今再認識しようとしている今の自分みたいなのが重なることでようやく記録が記憶として再生されているって感じに見えて、
結構あの演出ちょっと僕は好きでしたね、あれ。
確かに記憶ってやっぱり反復しないと定着しないよなっていうのは、
そういう意味なのかなってちょっと今なるほどなって思いましたね、確かに。
一回覚えたことを何回も反復してようやく身につけて、それを自分の記憶として何回も何回も繰り返し思い出したり話したりとかってできるっていう風になるのかなっていう。
あとヤンの記憶を見て何か思うっていう、もしかしてあの時ヤンはこう思っていたんじゃないかみたいなのを考えるみたいなのって、
娘さんから泣くことつまらない映画でも見ていたの?とかって言われましたけど、
映画を見ている時の自分みたいな感じもすごくあのシーンで重なっているように見えて、
なんかすごく上手いなって思ったんですよね。
僕たちも映画を見てその映画のスクリーンの中にいる人のことについて何か考えるみたいなのって、
なんかそういう構図ともすごく近いのかなって思って、
あのセリフってすごくなんかちょっとくすってなるシーンですけど、
あのセリフの選び方みたいなのってすごく上手いなみたいな風にちょっと思ったりもしました。
確かにね、そうですね。確かに映画も単なる記録に感情をこっちが勝手に乗っけて見てますからね。
まるでそこに人が生きているかのように捉え直して見てるけど、
単なる音声と映像の連なりでしかない。
でもそこに何か人がいるような気がする。
そこに人の魂があるような気がするって思ってる我々自身っていう感じはありますね、確かに。
前田さんは何か印象に残ったシーンとかあります?
印象に残ったシーンか、何て言うんですかね、印象に残ったシーンというよりは、
一つは、なんかその未来、近未来というかを描く描き方としてすごくアップデートされてて面白いなって思ったんですよ。
なんかすごい先進的やなって思ったんですけど、
なんかその中でヤン、ヤンと、ヤンなんて言ってましたっけ?ヤンのこと。
テクノってことですか?それともグワグワって呼ばれてたことですか?
妹ちゃんがヤンを呼ぶときの呼び方ですか?
ヤンの、何て言うんですか、ロボットみたいな呼び方。
テクノ?サピエンス?
テクノがどういった位置づけのものなのかなっていうのがすごい気になってて、
クローンも出てくるじゃないですか。
出てきますね。
なんかクローンも見た感じ、クローンはその言葉通り受け取るなら、元になる人間がいて、
そこから、その人の細胞からできた人間やから、ほぼ人間と同じなのかもしれないんですけど、
なんかクローンと人間とテクノの違いっていうのが、
なんて言うんですかね、テクノを人間が作った理由、あの世界で、
っていうのが、それがすごい気になったというか、
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人間にすごく近いものを作りたかったんだろうなと思うんですけど、
あの世界で人間にとってのテクノがどういう役割の存在なのかっていうのが、
なんかちょっと私の中ではふわっとしてて。
確かに、最初僕も見ながら、なんかどういうことなのかなって思ったのは、
テクノって要は、一応製品だよなって思ったときに、
一方ではテクノを博物館というか、
研究?文化的な観点で研究してるみたいなポジションみたいなのが出てきて、
製品なんだからそれはわかるだろうみたいな、そんな未知なことあるのかみたいな、
最初思ったんですよ。
むしろそれわかんない状態で売ってるのもまずくないか、製品的にみたいなふうに思ったんですけど、
まあでもあれは多分、テクノというものから文化的にどういう立ち位置、
AIとかもそうですけど、今後どういう発展を遂げていくかみたいな研究とか、
そういったものになっていくんかなと思うんですけど、おそらく。
最初そこはちょっとあれ?って思ったりとかはしたんですけど、
で、あとやっぱりクローンもあの世界にあるとかっていうのも含めて、
3種類の種類と言いますか、いろいろな形みたいなのがありますけど、
どれもやっぱり何が人間たらしめているのかっていうことと、
あと家族って何って話にすごくつながってくるんだろうなとは結局は思うかなって感じですかね、やっぱり。
クローンも厳密に言うと試験館の中でもある意味生まれるみたいなものじゃないですか。
普通の形では生まれるものではないですよねっていう。
けど家族として一緒にいるみたいなのとか、それもテクノも一緒ですし、
家族って別に何を持って家族と呼ぶのかみたいなのを問いかけみたいに、まあやっぱりなりますよねっていう。
なんかそう思うと、あの映画の中の世界観って、
主人公というか、あの家族がすごく穏やかで、お互いをいたわってて、思いやりのある家族だったからこそ、
すごく先進的で、どっちかというとユートピアに近いように思えてたんですけど、
なんか今こうやって話してたら、クローンとかテクノを人間が作ってしまっている時点で、
結構ディストピア感もあるなと思って、結構そのへんの倫理感を乗り越えちゃってる世界で、
学校でのいじめとかもあるし、そういう人間としての嫌な部分も当たり前ですけど、そのまま残ってて、
なんかその中で、そういう実験というか、AIみたいなものに感情を乗せたり、
文化を学ばせることで、彼らの知能がどう発達していくのかっていうようなことをしているのって、結構グロテスクなことでもあるなと思って、
なんかもしかしてあの世界ってディストピアだったのかなとか思って、なんかちょっと面白いなと思いました。
僕、完全ディストピアやなと思って見てたんですよ、あれ。
で、新しく家族を増やす手段として、用紙を取るか、テクノを買うか、クローンを手に入れるかっていう選択がある世界に見えたんですよ、僕は。
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確かに確かに。
あの世界がどういう厳密な設定があるかわからないんですけど、お隣さんは家族全員クローンだったじゃないですか。
で、クローンは全部白人の女の子だったんですよ。
なんか怖くなってきた。
そうか、あれか。
そうかそうか。
で、用紙取ってるのはアジア系なんですよ。
え、それってどういうこと?みたいに見てて。
なんか鋭すぎてめっちゃ怖くなってきました。
だからなんだろうな、クローンじゃない家族が欲しかったらアジア系になりますって。
で、もしその白人の家族が欲しかったらクローンですみたいな、それぞれメリットとデメリットがありますがどっちにしますかみたいな世界に見えたんですよ、僕は。
で、正直僕むちゃくちゃグロテスクな世界やなと思ってて、現代から倫理観も何枚かめちゃくちゃ分厚い壁ぶち破った先にある世界やなと思ったんですよ。
で、特にテクノに関しては、あれブレードランナーのレプリカントじゃないですか、あれは。
基本的には人型だけど人権はないっていう話だと思うんですよ。
だからヤンもブレードランナーで最後は名台詞が出るじゃないですか、雨の中の涙のようにみたいな。
それを他者としての言葉じゃなくて主観として、こういうの見てたんだなっていうのを見たっていう。
レプリカントの視覚に残ってた情報を見たら、そういうこと見てたんだな感じてたんだなみたいなのを人間が感じたみたいな話に思って。
むちゃくちゃグロテスクだし傲慢な話だと思うんですよ。
人間様がちょっとロボットの中身見てやったら、なんか自我に芽生えたっぽいじゃんってすごいよねみたいな。
いやいや傲慢すぎでしょみたいな話にも見えるなと思ったし。
あと大企業による潜入みたいなのがむちゃくちゃ進んでる世界じゃないですか。
テクノを手に入れるためにはメンテナンスにめちゃくちゃお金がかかるし、そもそも点検にお金が要りますみたいな。
いやこれすごいテクノロジー資本主義の地獄みたいな。
iPhoneを直すためにむちゃくちゃ高いお金を払わないとダメですみたいな。
でもスマホを使わないと生きていけないですよねみたいな。
地獄みたいな世界だなって僕は思いながら見てたんですよ。
ただ、そういうテクノロジーの進歩とその先にある資本主義の先鋭化みたいなものをただ批判的に描いているようにもあんまり見えなくって。
例えば我々iPhoneを使ってGoogleのサービスを使って、FacebookやInstagramに写真を上げて、Googleのサービスにデータを残しみたいな。
どんどん大企業の絡め手の中にどんどん沈んでいってしまってるわけですけど。
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でもインスタグラムの過去に残っているポストの写真を見たら、あの時の自分ってこういうものを思ってたよなみたいな。
そこに心みたいな感じるのもそれはそれで間違いじゃないと思うんですよね。
テクノロジーが先鋭化して、資本主義も先鋭化して、もしかしたらディストピアになっていってるかもしれないけど、
でもその中でやっぱり僕たち心の在りかみたいなのを見出して、そこに意味を見出してますよね。
それってテクノロジーを使ったり、クローンを購入したりすることじゃないにしても、
例えばAppleとかGoogleのサービス使って、そこに何か自分たちの生きた証をそこに残していってたりするって、
そこって程度の差こそあれ、意味ってあんまり変わんないんじゃないかなと思ったんですよ。
だからそういったものをひたすらディストピアとして批判的に描いている話でもないなと思って、
そういったものの先にでもやっぱり、人間は心の起き所を見つけ出していくっていうことなんじゃないかなって思いながら見てたんですよね。
なるほどなぁ。
なんかすごいそんな気がしてきた。
確かに技術が発達していくことで、やっぱり本質的にディストピアに近づくっていうのは、
まあそういう物語からもわかるし、現実そうだなっていうふうに思いますよねっていうことだし、
あと技術が発展することで、いろんな概念が本当にあやふやになるんだなっていうのがやっぱり今回も繰り返し描かれているのかなってやっぱり思って、
やっぱり技術が発展して生活がどんどん便利になる、すごくありがたい。
けどどんどんなんか孤独や不安みたいなのが増大していって、自分みたいなのがどんどんわかんなくなってくるみたいなのって、
SNSと人間との関わり合いとかもう諸にそうじゃないですか。
いろんなことがわかるようになったし、自分も表現できるようになったのに、
どんどんなんか自分のことがよくわかんなくなるし、不安になってくるみたいなのって、
そういう意味でなんかさっき山口さんが言ったように資本主義の専営化とかディストピア的な、
それは多分物質的な意味というか物理的な意味でのディストピアだし、
目的にはその精神的な意味での本当ディストピアというか、そういったところもやっぱりすごく今回出てるんじゃないかなっていうふうには思いましたね。
まあ結構僕眠かったんですけど見て。
いや確かになんかあのお茶入れる音が本当に心地よすぎて。
ヒーリングミュージックみたいな感じなんですよね。
いやそうなんですよ。なんか私不思議とこの映画見てつまんないなとか面白くないなっていう感想は全くなかったんですよ。
全然理解してない割には。それがなんかすごい不思議やなと思って。
なんか話を聞いてるとなんか結構そういう視点で見たら、見たらというかこう思い返すと面白いなと思うんですけど、
子供の時とかに誰でも思うと思うんですけど、なんか他人にも一人一人に自分と同じように自我があるんだって最初に思った時って、
なんかめっちゃ大変やんって思った記憶がすごいあって私。
そんなこと成り立つみたいな。
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自分だけでも結構大変っていうか、自分がこんなこと考えてあんなこと考えてっていうのを、これ他人も全員が考えてるってことみたいな。
なんか自分の家族とか友達までは想像つくけど、いやもう知らない人、この地球上の全員が自分と同じように自我を持ってるってもう大変すぎるやんって、なんかすごい思った記憶があって。
でも、なんかそれって結局ある程度すごい親しくなって深い関係を築くような人以外のことって、今でもよくわからないじゃないですか。
だからなんか結局人間ってなんかそれをもう信じるしかないというか、信じて成り立ってるんだなって思うんですよね、すごく。
そういう意味では、なんかそのテクノだろうが、グローンだろうが、レプリカンだろうが、彼らに感情があるとか考えがあるとか意思があるっていうふうに、人がこう信じたいっていうところで、もうそれは本当なんじゃないかなって私は結構思うんですよね。
うんうんうん、そうかなって思いますね。
それが本当か本当じゃないかなんてわからないし、それは人間に対してもわからないから他の。
なんか自分にとっては、自分が信じてることが全部が全部だと思うんで、なんかそう考えるとなんか切ない話だったなって思います。
そうですね。
いや、えっとね、その気持ちめっちゃわかるなと思って、その自分じゃないものが自我を持ってるっていうのを許容しきれないっていうすごいその感じわかるなって、
僕その自我というか、記憶っていう部分でヤバって思うんですよ。
僕、まあ言うても普通ですよ。普通の生き方してきて、普通なりの人生送ってきているわけですけど、それでも僕の過去ってむちゃくちゃ豊かなんですよ。
凡人だけど、僕の過去ってむちゃくちゃ美しいんですよ。
でも、僕以外のみんな全員がそれと等しいぐらいの美しい過去を持ってるわけでしょ。
そうですね。
ヤバくないですか?もうこの宇宙にそんな情報量入るの?って思って。
そうですよ。ファイル2つ圧縮しただけじゃ足りないわけですよ。本当に。ヤンの貴重なファイル2つ圧縮しないと見れなかったですけど、それどころじゃないものが溢れてますからね。本当に。
宇宙は膨張し続けてるからね。
そうですよね。本当に。
拡張してるから。
自我もそうだし、記憶もそうなんですけど、ここまで自分っていうものが巨大だっていう自覚がある中で、さらに他者がいるってもう無理ってなるんですよ。
だってもうその宇宙があるってことじゃないですか。だって僕にとって僕の自我って僕の宇宙なんですよ。
でも前田さんには前田さんの宇宙があるわけじゃないですか。
原口さんには原口さんの、マリオさんにはマリオさんの自我というような宇宙があるわけですよね。
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そうですよ。
やばくないですか。
なんかでもその今の話を聞いてると、なんかその自我っていうものと、いろんな構成要素はもちろんあるんですけど、その記憶っていうものが人間にとっていかに大事かっていう、なんかすごい当たり前なこと言っちゃってるんですけど。
いやでもそれめちゃくちゃ重要ですよね。
なんかその自分の自我って、自分の積み重ねられ記憶なんだなっていうのを、すごいなんかこう、はぁってこうちょっと思っちゃいましたね。
めっちゃ当たり前のことなんですけど、なんか気づいてしまいました。
そう、あとなんだろう、記憶の中に、誰かの記憶の中に自分というものがどこかに存在してほしいみたいな願いもすごく今回めっちゃ感じたというか。
やっぱり自分の自我って記憶って、当然自分が死んでしまえばなくなってしまうわけですよ。データ消失してしまうわけですよ。
けどどうそれでも流れていくかって言ったら、やっぱ誰かの記憶の中にどこかに自分の証が少しでもどこかあればいいんじゃないかっていうことを、たぶんこれ山口さんでしたっけ、ちょっと思い出しただけの時とかに言ってたような記憶があるんですけど似たようなこと確か。
そういった願いみたいなのがすごく込められてるなとも思ったんですよね。それこそがやっぱり人と人との繋がりみたいなものにもなるし。
やっぱ最後って、結局ヤンっていうのはもう元には戻らないけど、最後はヤンのメモリーにあったリリー種種のすべてから引用されてたグライドの歌を娘さんが歌うじゃないですか。
やっぱあそこである種の継承というか、彼女の記憶の中にヤンという存在がちゃんと刻まれたんだなみたいなことをさらっと提示してみせるみたいな感じになってて。
本当に演出としてもそこのことを思うとまたちょっと泣けてくるみたいなのはすごくありましたね。
あれってリリー種種の引用だったんですね。そうですね。
あの歌リリー種種って書いてあるTシャツ着てましたよね、ヤンが。
黄色のTシャツに赤字でリリー種種って書いてる。最初なんでって思ったんですけど。
あの映画もリリー種種もテイストは全然違いますけど、やっぱり青春時代の思春期の自分ってものがよくわからない時代のすごいもがきみたいなものとか、
誰かと繋がっていたいみたいな葛藤とか欲求とか、そういうのを描いた映画だなっていうのを改めて気づいたので、
今回にもすごくそれ通じるテーマだなって思って、なんかこれをやっぱ選んでくるあたりのなんかセンスというかなんかすごいなと思いました。
お父さんのお茶の句題、僕結構好きで、結構僕本作うとうとしながら見てたから、結構肌感覚で見てたんでちょっとずれたこと言っちゃうかもしれないですけど、
そのお茶の味が好きなんじゃなくて、何かを突き詰めていくのがいいみたいな感じで、お茶を学生時代にお茶と出会って、お茶を扱い始めたみたいな話やったと記憶してるんですけど、
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なんかそこがすごくいいなって思って、てかその気持ちむちゃくちゃわかるなと思ったんですよ。
たとえばですけど、別に映画がそんな好きなんじゃないけど、映画っていうものを積み重ねることに何か意味がありそうだから映画見てるみたいなの、僕ちょっとだけあるんですよ。
映画そのものの面白さってそんなにないなと僕は思ってて、ちょっと今爆弾発言ですけどね。
ちょっとおーってなりますけど、僕は。え?ってなりますけど。
いや、映画僕見てて2時間のうち面白いのほんま一瞬やなってちょっと思ってて、それ以外の実感って自分の中で考えたことで間を持たせてるんですよね。
その考え込めてることがいつもすごいんだけど。
その映画を見て自分が何を感じるかっていうことを考えるたびに映画を見てるみたいな実感が長いんですよ。
その中でたまにいわゆる一般的な意味での面白いみたいなのがちょこちょこ挟まるみたいな感じなんですよ。
その面白いの狭間にある自分のことを考えるための材料を取り入れるために映画を見てるみたいな時間が結構あるんですよね、僕。
だからお茶をだって、うわもうお茶うまって飲み続けるとか無理だと思うんですよ。
映画も別に2時間、うわもう最高、この映画面白くない瞬間が一種もないわなんて映画別にそんな、めったにないじゃないですか、そんな映画。
わーなんか1時間半は問題けど30分だけめっちゃおもろいわーみたいな。でもその1時間半に意味を持たせたいからいろんなことを考えてるんだと思うんですよね。
これはもう僕の意見ですよ。
いやもうそんなことない、映画は常に全てが面白いっていう意見があっても当然だと思うんですけど。
その要は自分を知りたいからお茶を入れてるみたいな感じだと思うんですよね。
で、あのお父さんのちょっと頼んなさがそういうとこも含めてすごいわかるなぁと思って、なんかいろんなこと上手じゃないですか、このお父さん。
ちょっとそうですね、浮世ですよね。
その中で自分が関われるものが欲しいみたいな感じで、そこでお茶っていうものが一つきっかけというかヒントとして出会えて、
だから今もお茶を入れ続けてるみたいな、お茶を取り扱ってるみたいな感じなのかなぁと思ったんですよ。
やっぱりお茶とお父さんとの間にエピソードとして記憶というのがあるわけじゃなくて、そういうお茶を通していろんなものを見つけていきたいみたいな、
味が好きなんだかじゃなくてそういうことが好きなんだというか、っていう喋るみたいなのって、やっぱすごくその人にとっての記憶というか、お茶と自分とのエピソードっていう記憶なんだろうなって思って。
やっぱり映画についてこうやってポッドキャストで喋ってる時も、やっぱ自分との接点みたいな近い接点で喋ってる時のやっぱ熱量とかもあったりとか、喋っててすごく面白い話になったりとかするじゃないですか。
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やっぱりそういうことなんだなとそのシーンでめちゃくちゃ思って。
しかもあの後ヤンがお茶についての話しますけど、ちょっとバグったのかなみたいな感じでちょっと途中になるじゃないですか。思考がちょっと止まりましたみたいな。
あの時ってやっぱ自分にそのお茶との接点みたいなのがないみたいな風な感じのことにちょっとセリフ的なニュアンス的になんかちょっと近いものがあったから、
なんかそこでこう同じ記憶みたいなものを持っているけどちょっとやっぱり人間とテクノとってちょっと少し違うものがあるよねみたいなのが、あそこでちょっとこう差別化というか違いみたいなのがはっきり明確になってて、
なんかあのシーンとかちょっとほんと切なくて、あのシーンでもまたちょっとうるって泣いてしまったんですけど。
しかもこう茶葉がバーッて広がるシーンが、またヤンのメモリーを見る時の記憶がバーッて広がるシーンみたいなのとすごく重なってみえて、なんかまた余計に泣くみたいな感じでしたね。
そうですね。その大人たちがヤンを思い出す時の語りって結構独り語り的なことを常にしてるなって思いながら見てたんですね。
父さんもそうだし、お母さんもそうだったと思うんですけど、あの娘ちゃんはヤンを他者として見てたと思うんですよね。
触れ合いとして、お兄ちゃんとして見てたと思うんですけど、大人はやっぱり機械っていうことが分かっているっていうのもありますけど、やっぱり自分の独り語りを対話としてしたいみたいなものとして扱ってるように見えるかなってちょっと思って、
お茶の話もそうだし、お母さんの話もちょっとどんな話してたか記憶がファッとしてるんですけど、何のシーンやったかな。
でもあれもやっぱり、自己言及というか内省というか、より自分というものを深く理解するために一度ヤンという他者のように見えるもの、でも実質的には鏡みたいなもんやと思うんですけど、
そこに向けて言葉を放って、そこから帰ってくる言葉で自己確認するようなものになってるように見えて、それってすごい大人な感覚だなと思うんですよね。
子供にとって人の形をしているものは他者として接するためのものとしてあるけれども、大人にとっては独り言じゃない体として聞いてくれる存在みたいなのが欲しいってあると思うんですよね。
なんかそのヤンというものに対する接し方も、家族の中の役割によって違うみたいなのもあるのかな、みたいなのはちょっと思いましたかね。
あと、僕この映画自体を話としてちゃんとわかってないんですけど、ヤンはここに至るまでに別の家族に変われてたじゃないですか、もともとは。
あれって何個か転々としてるってことでいいんですか?
主人公家族の前に2つの家族に使えてたというか、所属してたってかたちですかね。
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なんかその辺りがちょっとふわっとしてて。
ちょっとうとうとしてたってことですよね、その辺がなんかちょっと。
なんかあれですよね、主人公家族の前にずっと一緒にいた家族の娘さん?
やばい、あいまいになってきた。のクローンに惹かれてたっていう感じでしたよね、なんか。
一緒に4日5日だけ挟まってたみたいな、この一瞬だけ変われたけど違う人に、その人のところではなんか不良品と思われてすぐ売られちゃったみたいな。
結構だからスパン長い話ですよね、あれ。ヤンのこれまでの経歴って数年とかのレベルじゃないですよね、あれ。
そうですよね、本当に特に。だからクローンの大元となった人の元に過ごしてた時ってもう結構な長さでしたよね。
1人の子供が大人になっているぐらいのスパンなので、やっぱりあれって。
その辺りの時間軸の雄大さみたいなのもアゴストストーリーはちょっと思い出すんですよね。
あと、1個体が人間の人生より長いスパンでいろんな物事を経験してしまうって、なんかグッとくるもあるじゃないですか。
ありますね、ありますね。雄大さの中に哲学的な問題が入ってくる感じとかも含めて。
そういう時間の流れの壺みたいなのもちょっとあるなぁとか思ったりとか。
でまた、音楽がやっぱりめちゃくちゃ今回良かったなって思って。
最初のオープニングのダンスシーンのあのポップさもちょっとびっくりしたぐらいでしたけど、
やっぱもうなんかいいシーンで流れる曲全部いいなぁみたいな思いながら聴いてて。
この音楽のせいで泣いてるのではってくらい涙を誘うんですよね、どれもなんか。
すごく自分の中で。
で、その結局一番最後、クローンの大元となった人と過ごしてた時の記憶を見る時の音楽がまた坂本隆一のメインテーマが流れるあたりで、
もうちょっともうこれ以上涙を流させるのはやめてくれってぐらいちょっと泣いちゃうぐらいで。
音楽とかめちゃくちゃ好きで何回も聴いちゃうんですけど。
サントラもちょっと今回かなり好きな作品でしたね、そういう意味で。
うん、音楽良かったと思います。
あと何だろう、なんかあります?ここがっていうところ。
あとそういえば結構めっちゃ同じ構図多かったですよね。
なんか長い廊下の先をなんか見るみたいな感じのシーンが結構多かったように思ったんですけど、すごく構図的に。
なんというか、部屋の扉の奥行きみたいなのが感じられるみたいな感じの構図がめちゃくちゃ多かったなーっていうのはなんか結構見ながら思ったんですけど。
そこがなんかあれなんですかね、押井康二郎からのなんか影響とかになるんですかね、この監督的には。
敬愛してることは有名なやつって。
39:01
ちょっと僕あんまり押井康二郎を1本ぐらいしか見てないので何とも言えないんですけども、でもなんかめちゃくちゃなんか構図にめっちゃこだわった映画なのかなーっていうのはすごく感じましたし。
多分どこのシーン切り取ってもなんかすごく美しい感じにはなってるんじゃないかなって思いましたね、やっぱりあの家の美術とかも含めてすごく。
オズ見てます?みなさん。
見てるよー。
オズ見てるか問題ありましたね。
そうなんです。
秋日和ぐらいしか見たことないんですけど。
ぬーぼーで見てるぜ。
僕も見たけどどれやったかなーっていう感じなんですよね。
どれ見たっけなーぐらいなんで。
一応のりこさん物作とか見てるけども。
あーそうなんですね。
なんかね、お父さんの絶えんなさは僕オズ映画思い出しました。
あー。
えーと、劉知集?
なんかどれやったかな、サンマの味か東京物語かなんか見てるんですけど、
なんかお父さんのあんまり主張しなさというか頼んなさみたいなのが、
なんかこれちょっとオズっぽさこれかーみたいな感じ。
そっかそうですね。
まあでもその、このアフターイアン見た後に小野田監督のビデオエッセイがあるんですけど、
大体あのいろんな監督とかの演出とかにフォーカスを当てたビデオエッセイみたいなのが結構連作みたいなのがあって、
ちょうどそれ小野田監督のサイトみたいなのがあって、自由に誰でも見れるようになってるんですけど、
なんかそれの1本で、1分ぐらいの動画でオズ安二郎のなんか構図みたいなやつがあったんですけど、
めっちゃ繰り返し同じ構図やってるやんみたいなのがなんか結構わかりやすい形でビデオエッセイみたいな感じで見れるみたいなのを見たんですけど、
なんかそれみたいな感じでやっぱりすごく繰り返し繰り返し同じ構図使ってるのかなーみたいな感じでそれを見て思ったって感じだったんですけどね、そのオズっぽさみたいなのって。
もうちょっとなんかちゃんと見てたらこの映画の家族感とかにももしかしたらちゃんと影響があったりとか色々するのかなーとかはちょっと思いましたけど。
これから見ていきますわ。
ね。
もっかい。
あとそうだ、僕ちょっと思ったんですけど、あの映画見て記憶がある意味人のかっこたるものをなんか司っているんじゃないかみたいな感じな描き方してますけど、あの世界で宗教ってないのかなってちょっと思ったんですよね。
確かにね、あんまり描かれてないですね。
多分これがもうちょっとアメリカ、誰が撮ってるのかわかりませんけど、ヨーロッパの人が撮ってるとかやったらなんかもうちょっとなんか宗教とかがもうちょっとなんか自分のアイデンティティとかにこう深く関わってきたりみたいなのがもうちょっと深く描かれてるのかなって思ったんですけど。
だから工作からあんまそれ感じないのって感覚的にちょっと日本っぽい感じがするかなーってちょっと思ったんですよね。
なるほど。
あんまりメインに宗教がまあちょっとライトな感じで僕たち宗教と付き合ってる人結構多いじゃないですか。
クリスマスもやるわ、神社にお参り行くわみたいな感じの、まあなんかそういう感じのにも近いのかなとかちょっとそういえば思ったかなっていう。
確かに、うんうん、確かにそうですね。
そうですね。
42:00
あとなんかさっき言ってた倫理観の話、その宗教とその倫理観の乗り越えが両立しないのかなっていうのもありますよね。
確かにね。
だからなんかまあ科学とかわかんないテクノロジーとか資本主義とかみたいなものの方が宗教よりもこう進化というか普及していった世界なのかもしれないですね。
全然違う軸で人間が各々生きる意味とかを探さなきゃいけなくなった時代とかなのかもしれないですね。
ああ、なるほど。
それか地域が違うとか。
うん。
まあ確かにあの今回舞台になってる国ってあんまりよくわかんないじゃないですか。
アメリカともちゃんとは言ってないし、どことはあんまり明言されてないとこがあるので。
確かにそういう人型の人ならざる者が出てくるようなディストピアモノっていったんですかね。
あるいはそのサイバーパンクみたいな話って宗教ってあんまり描けないというか、あんまり描かれてないような、僕の観測した範囲だとあんまりなかったような気がして。
でもそうですね、確かにその人の形をしたものが人間が作ったっていう状態って特にキリスト教的にはむちゃくちゃ飲み込みづらい状態じゃないですか、それって。
そうですね、そうですよね。
そうやってもう完全にその人側が神としての意味を帯びちゃってる状態になるから、そのむちゃくちゃ相性悪いんだろうなっていうのはありますかね。
それ残ってる状態でクローンとか作るのは無理でしょってなっちゃうというか、じゃあもうその宗教には触れないでおきましょうってしないと、それかもう宗教側のテロリズムが描写されるみたいな、そういう話になりそうな気がして。
テクノの販売店が爆破されましたみたいな、そういう話になってきそうじゃないですかね。
たぶんそうですね、ただそこまでやるともう本当に描きたいことも世界観描くのだけでちょっと時間めっちゃ使いますみたいになっちゃうから、そこはたぶんあえてなんでしょうね、あんまり触れてないのでそうか、まあそうです。
そこ描いてもちょっとね面白い話にはなりそうですけどね、テクノメーカーが爆破されますとか。
いや逆にテクノにも最初から信仰心があるようにインプットされてるとか、宗教特化型テクノ、ちゃんと人間と同じように宗教をおもんじてるっていう、だからキリスト教バージョンとか売ってたりするとか。
でもそれを作ったのが人間っていう意味を処理しきれない気がするんですよね、それやと。
信仰心があるとしても、でも作ったのは神じゃなくて人間なんでっていう、そこを処理しきれない気がするんですよね。
そういう信仰心を持っているロボットがいたとしても、どうするんだろう。そこ触れている物語って絶対あると思うんですけど、パッと思いつかへんな。
リドリー・スコットってそういう感じでも別にないのか。プロメテウスとかはちょっと違うからでは。
45:07
というかあれですよね、人型のロボットとかが出てくる話って、作られた物の物語がロボット側が帯びるじゃないですか、大抵の場合。
この物語におけるロボットの役割は現実における人間ですみたいな風になるじゃないですか、基本的には。
ブレードランナーとかもそうやと思うんですけど、ブレードランナーにおけるレプリカントって、現実における我々ですよねっていう、命は限られていてそれでも生きますみたいになるから、
その三重構造にできないんじゃないですか。だからまあ、人型の創造物を描く時点で、それはそれ自体が宗教的な物語なんじゃないですかね。
劇中に宗教が出てくるかどうかではなく、人型のものである時点で、それは宗教的な物語っていうことなのかなって気はしました。
そこの問いかけも一緒にされてるんだなっていうことですよ。宗教も一個曖昧なものとして考えるみたいな、哲学するみたいな話かなっていう。
本当に色々な概念を本当に考えてみるきっかけになる映画ですよね。人間とか宗教とか家族とか、あと僕めっちゃ文化とかもそれ感じましたけど。
お茶って文化を白人男性がやってるとか、例えばですけど、家族の人種とかも全員違うとかっていうそういうのも含めて、
いろんな人種、いろんなカルチャーがごったにになってるっていうのがもう現実そうじゃないですか。やっぱそういうのって、そうなることでやっぱり自分の本当の文化のルーツとかもどんどんわかんなくなってくるみたいなところってあるよなっていう。
そうですね。そのあたり含めて、結構いろんなことを考えられる映画だったんかなとは思いましたね。
見ててもいろいろ考えてたし、こうやって喋ってても割と話が滝に渡るというか、いろんな話できたんじゃないかなっていうふうには思いましたね。
確かこんな話できると思わなかった。何の話しようとか思って。
意外と前田さんが喋ってるなと思ってんけど。
めっちゃ解像度上がりました、この作品に対する。ありがとうございます。
なんか、みなさんの記憶を覗いたら週に1回はこういう映像とか残ってるわけですよね。
なんかエモいですね。
そうです。
今このパソコンの画面がパシャってされてるはず。
まあ僕がAIでない可能性は否定できないんですけどね。
確かにこの中で一番AIっぽいのは山口さんですからね。
AIか有勢からの物体Xの可能性がまだ残されてますからね。
やべえな。やべえんだよな。やばいんだよな、それ。
はい、じゃあそんな感じでアフターイヤンの話は終わっとこうかなと思います。
次回、結局まだ決めてなかったんですけど、どうします?
カメラライダーブラックサウン行きます?
48:02
ありかなとは思いつつ、結構1週間で10話?なかなか大変やなって思いますけど。
そうなんですよ、そこなんですよね。
意外といけるよ、1、1、2話ぐらいで。
ブラックサウンですよね、カメラライダーブラックサウンを見るかみたいな話がちょっと出ましたけど。
ブラックサウンか何でしたっけ?フリクリ?
フリクリは原宿さんが見る時間がない感じです。
ちょっと、うん、この始末が。
さあ、あとモダンラブ東京とか。
私はフリクリが一体何なのかも分かってなくてめっちゃ気になってるんですけど。
あの世界系ジュブナイルです。
男の子の好きなものだけ入ってるお弁当です。
ライナックスで、音楽は全部ピロースで。
へえ、ブラックサウンか。でも3人はもう見られたんでしょう?
僕見てないです。
ブラックサウン?
見てないです。
あ、見てないんですか。
あ、てか俺がこの間お日曜で全部見終わって。
今から10話見るのはギリギリかもしれないけど、まあいけんこともないんかなみたいな感じですかね。
ブラックサウンなこと自体は全然いいんですけど、絶対見るって約束ができないんで、最悪3人は絶対見てくれたらいいんですけど。
僕もちょっと自信ないですよ、10話今から見切るの。いけるかな。
意外と見出すとね。
それか普通になんか一応映画もパラレルマザーズとか気になるやつあるんですけど、今週公開のやったらですけど。
今週公開のやつ。
うん。
ちょっと私が、すいません申し訳ないんですけど、今週ずっと出張で火曜に帰ってくるんですけど、
はい。
劇場で何か見れるかどうかもちょっと危うくて。
なるほど。
なので、そういう意味では最悪前田がいなくてもいけるものとかで選んでもらった方がいいかもしれない。
いやもうそれ、ブラックサウン絶対無理でしょ。
うん。
無理かもしれないじゃなくて絶対無理だと思いますよ、それ。
そうね、無理だっけ。
今週ずっと出張とか絶対無理ですよ、それは。
もう寝る前に謎の義務勘で見続けるしかないです。
いやーちょっとそれはもう避けましょう。
それはやめましょう。
無理ですわ、絶対に。だからもう別ですわ。
で、劇場公開作も無理なわけですよね。
無理です、無理ですよね。
だから、またフリートークしか残されてないんじゃないですか、これは。
そうなんですよ。
いやーまあ。
いやまあいいんじゃないですか、フリートークでも全然。
うん。
じゃあ、前言ってたあれします?
子供の頃好きやった映画。
おー。
あー。
と、今度こそゲームやりますか?結局前のバーでもゲームやらなかったですけど。
あーいいですね。
うん。
ユイセからのブッタXゲーム。
うんうんうんうんうん。
どうせゲーム2時間やるの無理じゃないですか、さすがに。
まあ。
どんだけ盛り上がってんねんってなりますもん。
うん。
そうですね。
じゃあもうフリートークで、小さい頃好きやった映画トークと、映画に関するパーティーゲームをして遊ぶっていう感じにしましょうか。
はい。
楽しそう。
小さい頃は何歳から何歳?何歳まで?
ティーン以下はどうですか?
ティーン以下。
ティーン以下だから、えっとー。
まあ、ギリってことだね。
51:00
12歳以下ですね。
そうそうそう。12歳以下。小学生以下。
あー。
中学生以上だったらちょっとまた変わっちゃうというか。
まあね、中学から自意識入るから、まあ半分大人みたいな映画選びだしますからね。
大人びた映画見始めてっていうやつですね。
はい。ゴジラしかねーなー俺。
はい。
いやなんでそんなゴジラを恐れるんですか?
いやそれしかねーなーって思って俺。
いいじゃないですか、ゴジラ。
手数の多い子供とかいないんで大丈夫ですよ、それは。
手数多い子供。
おらんでしょ、そんな。
ね。
確かに僕12歳越えたら背伸びしてシンドラーのリストとか言いそうだから。
別に見ても全然面白くなかったシンドラーのリストが面白かったよーとか中学の僕言いそうなんで。
いや意外となんかあるんちゃいます。金曜ロードストーリー見てたとかもあるし。
一本はとりあえずもう決めてますけど、何本かいけますもん。
まあドラえもんの話はもうしちゃったんで、前、名刺代わりの一本の時に。まだまだ。
まあ言うてもね、僕がちっちゃい時好きだった映画って、ロボコップとか。
おーいいじゃないですか、めっちゃ。
ジョーズとか、その辺りですからね。
いいなーなんか。
いやそうなんです。この話題ね、マリオンさんが何出してくるか結構怖いんですよね。
どういうことですか?
なんかあの、いたずらに傷つけられそうなんで。
意味がわかんない。
だってマリオンさんが子供の時好きなやつ絶対私たち中学校とか高校ぐらいのやつ。
ああ、そっか、そうなりますよね。
年の差ってこと?
年の差に傷つけられるってことですね。
よっしゃー、前田さんをどれだけ傷つけられるかみたいな、ちょっと目標に頑張ろうかな。
そうですね。
その時子供だったんですか?ってなるやつですね。
あーまあ、いやその、お互いの年もある程度知ってる状態でそこに傷つく必要はありません。
だいたいわかってるじゃないですか、もう。
ある程度っていうかね、思いっきりね、祝ってるし。
知ってますからね、多分。
はい、じゃあまあその感じでいきましょうか。
はい、で、再来週はスズメのトジマリでいいですよね。
怖い。
はい、いやもう本当皆さんの感想が楽しみです、僕。
はい、前田さんもよかったら公開日、ツイッタースペース&公開収録入ってください。
入れた。
でもデートで見たら結構遅くなりますよね。
いや多分ね、めちゃくちゃ回転早いから、指示台とかがあると思うんですよ。
もう一日中スズメのトジマリ道々のはずなんですよ、番組が絶対に。
ただね、私悩んでて、一人で見に行くか、人を誘うかも悩んでるんですよ。
なんかちょっと、一人で受け止めれるのかなっていう、深海を。
まあその、受け止められなかったらその後、直後に話してもらったらいいじゃないですか。
どういうことですか?
54:00
皆さん、そんなソロ深海、ソロ深海に長けてますね、さすがに。
いやもうもちろんその、全身ズタズタになるつもりでいきますからね。
それか、お近くの細野守と深海誠の区別があんまりついてないような人を誘っていくの結構良くないですか?
確かに確かに。
細野守の天気の好とか言ってる人がいたら、
いやじゃあぜひ、スズメのトジマリっていう深海誠の新作映画見に行きませんか?みたいな感じで言って、
その人が何を出してくるかみたいなの、むっちゃ楽しそうだなって。
確かに確かに。
人の反応もね、結構。
はい、まあとりあえずじゃあそんな感じで、来週はフリートークでいきたいなと思います。
はい、ではお知らせになります。
11月も映画の版スタッフイルバーを開催する予定です。
場所は大阪の南森町にある日刈りイベント型カフェバー、週刊曲がり。
日時は11月26日でおよびオープンが19時、クローズが23時となっております。
あの前言ってたご飯食べに行くのってこのタイミングで行きます?
どのタイミング?
あ、2時だっけ?
その11月のバーの日。
あ、いいですね。
全然いいですよ。
うん、でそこでも100回の収録しちゃったらいいんじゃないですか?
え、いきなり?なんか心の準備が。
そういう話じゃなく、ただご飯を行くってことですね。
ご飯行くのって100回のネタでどっちがどっちだっけってごっちゃになってました。
いや、まだ100回のネタって決まってないよね。
特に決めてないです。
なんか前言ってたのが、ご飯食べに行くのはいいと思うんですよ、まず。
あと、ささやかなプレゼント交換をするっていう。
バーの時に言ってたんでしたっけ、それ。
なんか、いや。
なんか言ってましたね。
あ、言ってました?
なんか言ってました。
前田さんに酔ってたからあんま覚えてないかもしれんけど。
いや、そうなんですよ。
前回のバーめっちゃ酔ってて、ほんまに何も覚えてないんですけど。
えぇ。
いや、あの、前田さん別に前回に限らずいつも酔ってますよ。
そうだね。
みんなも酔っ払おう?
いや、あの、前回僕もちょっと酔ってました。
かなり飲んでからバー行ったんで。
あ、そうだったんですね。
うん、なんかテンション違ってたよね。
ちょっと反省しました。
僕、いつもほどコントロールちゃんとしてなかったなと思って、
割とちゃんと反省してました、後。
いや、そう、それで、飲みながらのネタにもなるし。
そうですね。
で、その、できたら、私の案では、
誰が誰にあげるかをちゃんと決めとく方が、
より個性かける個性になるんじゃないかっていう。
なんか、誰に当たるかわからんものってなったら、
なんか、ちょっと凡庸になっちゃうじゃないですか。
確かに。
でも、この人にあげようって分かってたら、
この人に何をあげてやろうかみたいな感じだったら、
ちょっとおもろいかなと思って。
確かに、前田さんやったら、
とりあえず力王のDVD入れといたらいいやろみたいな、
雑な感じの玉になりそうですもんね。
57:01
力王を嫌がるな。
力王を嫌がるなって言っちゃおうかと思って。
自分が嫌だった。
まあ、確かに誰にあげるかっていうのは明確って面白いですね。
網高なんかで決めて。
面白いかもしれないです。
まあ、とりあえずじゃあ、次回のバーの時、ご飯食べます?
なんか緊張しますね。
まあね、なんかお見合いみたいな感じですもんね。
いや、ほんまなんか、
あらためまして、はじめましてみたいな感じ。
いや、1対1のデートよりも緊張する、この4人でご飯行く方が。
確かに。
緊張するな。
今まで常にポッドキャスト収録とバーの店長っていう、
ペルソナを常に被った状態で我々会ってますからね。
いやいやいや、そのペルソナ脱いじゃうんすか?
そのペルソナがない状態で我々って、
あんまり会ったことないですからね。
やばい。
やばいね。
めっちゃ緊張する。
怖いな。
言うても僕、マリオさんとハラウッズさんは、
それなりに付き合いあるからな。
そのペルソナ被ったことないのは前田さんだけっすわ。
え、ほんまですか?
前田さんが淡路市間の映画館に突然現れた時、
めちゃくちゃびっくりしたんですよ。
僕、そのペルソナがない時にいきなり来たから、
僕は結構ビビりましたわ。
あ、なんか前田さんに向けるような仮面いまないわってなってましたね。
確かにめちゃくちゃ真顔で着ぐるみ着てたんで、
この人相変わらず面白いなって思いました。
はい、ちょっと楽しみになってきましたね。
そわそわしてきました。
でもちゃんと収録ができるような環境のところを選んだほうがいいですよね。
え?そんな感じ?
個室のご飯食べるところみたいな感じですかね。
個室だったらいけるか?
めっちゃうるさかったりしないほうがいいですもんね。
収録の許可取らんとダメとかってなったらめんどくさいなって。
26、食事するなら昼、夕方?どっち?
昼じゃないですか?
いや、俺その日人間ドックで午前中。
いや、終わってるからいいやん。
あ、終わってからね。
というわけでよろしく。
バリウムは飲みません。
あ、バリウム飲まないんですね。
バリウムしんどいですよね。
やばい、おじさんドックしてるじゃん。
あれは下剤がつらいからね。
細かい時間はその時調整するとして、
とりあえず11月26日バーありますっていうお知らせでしたね。
間飛びすぎやろっていう話ですかね。
またこの番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています。
番組の感想、次回テーマ作品の感想など、
ご自由にお送りいただけると幸いです。
また次回バー開催情報、ポッドキャスト、
次回テーマ作品の告知も行っておりますので、
ツイッターのフォローもよろしくお願いいたします。
あとこの番組のイメージキャラクター、
映画の話し出すぎる猫、仮話だったグッズを販売していますので、
よろしければご購入くださいませ。
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いずれも番組説明文に記載しております。
1:00:02
はい、あとちょっと僕からお知らせなんですけれども、
大阪の岸和田市のとんぼ池公園というところで、
岸和田野外映画祭というイベントが開催されまして、
僕がちょっと企画のお手伝いしているイベントになります。
11月20日にモノオケ姫を野外で上映する予定です。
こちらよかったら見に来ていただけたらなと思ってます。
僕自身はいないんですけど、
なかなかない機会だと思うので、
よかったら来ていただけたらなと思います。
あと11月11日金曜日の夜、
スズメノトジマリ公開日にツイッタースペースで、
とりあえず山口、原口、マリオン3人は参加暫定で、
スズメノトジマリの感想を話します。
前田さんもよかったら来てください。
そして皆さんもよかったら聞きに来てください。
一応収録だけしといて、
それを公開するかどうかは後で判断しようかなと思ってます。
これはこの場だけにしておいた方が面白いなってなるかもしれないんで、
その時はポッドキャストにはあげずに、
あるいは録音自体せずに。
一旦ツイッタースペースしつつ録音しようかなと思ってます。
よかったら聞きに来ていただけたらなと思ってます。
それでは映画の話したすぎるラジオリニューアル第89回
アフター・ヤンの会を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。
さようなら。