ということで、ありがとうございます。
確かにパフォーマンスは最初見た時ちょっとびっくりするくらいすごかったですけど。
全身から自分の伝えたいものを全部伝えるんだ、みたいな感じがめちゃくちゃ伝ってくるじゃないですか。
自分の生き様みたいなのとか、それこそ自分が見たこと、聞いたことがあそこに出てくるので、
本当にそれを多分語る術とか言語とか種類とかは少ないんだろうけど、
少ないけれどもそれを全力っていうのだけでもこんなにも心を打つんだなっていうのはすごく感じましたね。
あれってニューウェーブポストパンクって言うんですね。あんまりジャンル的なネーミングわからなかったんですけど、
80年代のアングラパンクってこんなのだったのかなっていうイメージだったんですけど、
でも初め、マジでかっこいいじゃないですか、あれ。
で、初めすごい荒くて、ただ言葉をぶつけるだけなのか、だんだんメロディーとリズムに乗せ出すっていうのが表現としてパワーアップしていってるんですよね。
そこがなんか良くって、確かにあれは初めあのバンド、正直あんまり思わないバンドだったと思うんですけど、
あんなことをやり始めたら確かに注目を集めますよね。
あとやっぱその、需要してくれる場とか人に出会えたことっていうのとかありましたけど、
確かにそういうのめっちゃ大事だなっていうのは本当に思いますよね。
なんかそれこそもう究極の、最近ちょっとあまり良くない言葉ですけど、親ガチャって言葉があると思うんですけど、
バビーはある意味、バンフレットにも書いてありますけど、究極の親ガチャハズレを引いちゃった子供とも捉えられるわけですけど、
その後彼が家族、親は選べなかったんだけど、場所というか、社会という大きな場に出れば自分の場所は選べるっていうところを、
自覚的ではなく多分無自覚的に、あるいはその自然の流れでそこに行き着いていくっていう流れ。
なんかすごくこう、見て、単純に希望を与えられる気もしますし、もちろん社会っていうのは単純に受け入れてはくれないんですよね、彼のこと。
だけど、じゃあ絶対に跳ね返すかって言ったらそういうわけでもないっていう。
なんかその両面を本当にしっかり誠実に描いてるなっていう気がして。
なんかこれそうだよね、世界だよねって感じがすごいしたっていう。
バンドが人気になっていく過程って、あそこのお客さんって正直バビーのこと全く理解してない人たちじゃないですか。
バビーの本質なんて全く見てなくって、ある種のアウトサイダーアートとして面白がってる状態。
でもそれでもあそこはいい場所になっていってて。
なんかその表現っていうもののあり方としてすごいがてんがいくなぁと思って、
自分というものを表現した時にそれを別にその自分という部分を周囲が評価してくれるわけではなくて、
その表面上現れてるものだけを受け入れられたりするものかもしれないけれども、
それでもその自分から放ったもので世界に居ていいってなるっていうのって表現のあり方としてすごいわかるなって思って。
ちゃんと理解してくれる相手も見つかるじゃないですか。
本当に痛みを共有できる人と出会えて、
であと多くの表面上のバビー、パパっていう感じで受け入れてる人たちですけど、
その人たちでもそれでもこの世界に居ていいっていう証でもあって、
あの集団って。あのバランス感覚。
理解されなくても承認はされて世界に居ることができるっていうのはわかるんですよね、あれ。
バランスが良かったです、そのあたり。
なんか世界ってそんなに良いもんでもないし、そんなに悪いもんでもないって感じで良かったですね。
世界の両面をちゃんと捉えてるっていうことですよね、そこはね。
はい、それではぼんえいさんありがとうございます。
ありがとうございました。
ではここからはちょっと我々4人で話していきたいなというふうに思うんですけども、
そうですね、何かここから喋った方が喋りたいなとかってあります?
なんかどこから引っ張ってきてらいいかは難しいですけど。
本題じゃないけど重要な部分として、親の虐待っていう部分があると思うんですけど、
そこはまず触れといていいかなと。
そうですね、冒頭30分ぐらいですか?
バビーの暮らしぶりというか、親のもう超虐待っていう部分では、
結構見てるのはきつかったですよね、っていうのはありましたし。
あとなんかずっと同じ場所に閉じ込めてるっていうので言うんだったら、
ルームって映画思い出しましたけど、レイダーさんの。
なんか本当にああいうの見てて、本当になんか、
ああいうのって人の尊厳を奪うなっていうのは本当にちょっと見てて僕は思いましたね、本当に。
なんか人間というものを全部コントロールしようっていう混沌がそもそも嫌だなっていう感じだなっていうのはすごく感じました。
なんかお母さんの依存がすごく強いんだなっていう、もちろん虐待なんですけど、
なんか苦しめてやろうっていうよりは、お母さんがすごく依存してるなっていう印象があって。
私バビーがあの中で35年間暮らして、それまでにどういう人生だったかっていうのは全部はわからないんですけど、
きっと愛されてた時間もあったんだろうなって私は思うんですよね、バビーが。
でもやっぱりなんか、もうどこかで一回おかしくなったものが戻らなくなってしまったっていう、
それがなんていうのかな、全部詰め込まれてて、もう換気されてない、循環がない空間っていうのが、
それがすごく重苦しくて、なんか私結構前半も好きなんですよ。
好きって言ったらおかしいんですけど、前半もすごくなんかこう引き込まれて、
前半が本当にすごい効いてきますもんね。
そうですね。
あの部屋めちゃめちゃ臭そうですよね。
臭そうですね。
僕もルーム思い出したんですけど、ルームって部屋綺麗なんですよね。
そうですね、綺麗な方でしたよ。
あんまり汚くなくて、で本作のあの部屋はマジで汚くて、
バビーが母親からずっと座っておきなさいって言われて、漏らしちゃう椅子に。
で下に椅子の裏側に排泄物が滴ってて、あれ一度や二度じゃないと思うんですよ。
こびりついてるじゃないですか。
あれやばいなって思ったのと、あとゴキブリ捕まえて猫にあげてたんですけど、
猫をラップでくるんで猫が動かなくなってから、もうゴキブリあげようとしてて、
で猫が食べないから、多分あれバビーゴキブリ食べてたと思うんですよね。
口パクってしてるシーンがあって、これゴキブリ食べたんじゃないみたいなシーンがあって、
結構、衛生関連の無さがすごいエグいっていう。
それって重要な部分だとは思うので、そこに手加減のないのは良かったなと思いました。
私ゴキブリめっちゃ嫌いなんですけど、
この映画に出てくる、あの部屋に出てくるゴキブリって、
もはやバビーにとってはめちゃくちゃ狭い世界の中での数少ない構成してるものっていう感じで、
だから不思議とあの部屋の中のゴキブリは、不快感とかよりも猫と同じくらいの役割としての存在感がすごくあって、私の中で。
なんていうのかな、かわいくはないけど、すごく大切なもの、あの中にある少ないものの中の一つで、
一つ一つがすごく大事な役割というか、風に思える。
椅子もそうですし、そういう不思議な感覚がありました。
確かにそうですよね。バビーにとってゴキブリは自分の中の世界の大部分ぐらいを占めるぐらいの一つですよね、絶対ね、数少ない中に。
しかも生きてるものって言ったらね、お母さんと猫とゴキブリしかいないよね。
なんかちょっとウォーリーとか思い出しちゃいましたけど。
なんかすごくこう、あの閉ざされた世界の中で彼がずっと過ごしていくわけですけど、
でもなんかちょっと彼のことを、もちろんこの行為が倫理的にいいわけではないんだけど、
ずっと彼は部屋の外に行ったら咳込んで死ぬぞって言われてたわけじゃないですか。
で、じゃあ猫ってどっから来たんだろうっていう疑問に至っていくっていう。
で、実際試してみて、本当に息してないのかなって試してみて、で、どうやら動かなくなった。
まあ動かなくなったイコール死ってことも多分分かってないと思うんですけど、
なんか多分お母さんが言ってることなんか違うぞってなって、
で、そこからお父さんが来て、あれお父さん何もマスクしてないってなってくっていう。
彼自身の、彼めちゃくちゃそこでキャラクター性が出てるなと思ったのが、
好奇心というか、興味が、諦めてないんですよね、とにかく世界に対して。
で、その好奇心が結局後半、彼をどんどん世界の中で突き動かしていくエネルギーになっていくなと思うんですけど、
なんか前半の中でも、彼自身のそういう探求心というか興味がしっかり、
まだこの年齢であっても生きていて動いていてっていうところが、
すごく端的に描かれてるんだけどめちゃくちゃ上手いなと思って。
よく諦めないですよね、あの環境にいて。すごいなって。
現実でもし同じことがあったら心しなびちゃうんじゃないかなって思うんですけど、
本作においてはやっぱりバビーはその好奇心がしなびてない。
それのおかげで外の世界で生きていくことができるんですけど、
多分それって母親はそうじゃなかった人だと思うんですよね。
外の世界は毒なんだぞっていう、それは必要だから母親は外に出てるけど、
母親はそういうものに対する好奇心、あるいはその期待するということを諦めたから、
息子にだけ依存しているっていう状態になっていたのかなって思ったんですけど、
あとすごい病者として嫌だなと思ったのが、あのダイニングルームめちゃくちゃ汚いじゃないですか。
寝室結構綺麗なんですよね。
でシーツがまたね、すごい綺麗な白になってるんですよ。
もし万年床みたいになってる布団やったらめちゃめちゃ汚いと思うんですけど、
布団綺麗なのが嫌で、布団は綺麗にしてるってことなんですよ、お母さん。
それめっちゃ嫌なんですよね。
だから母親の役割をやるダイニングルームはめちゃくちゃ汚いのに、
バビーに夫の役割を期待する寝室は綺麗にしてるっていう、
だから夫が帰ってきた瞬間ポイってそっちに行っちゃうじゃないですか。
母親としての役割完全に切り捨てちゃうし、全くバビーの肩持たなくなるから、
そこ現れてたのやなって思って、
夫がいなくなったっていうのが相当ショックだったっていうのもなんとなくわかるんですけど、
節々に見えるお母さんの心の奥底で弱さであるとか、
あとそこから生まれた邪悪さっていうものがね、めちゃめちゃしんどいんですよね、前半。
だからこそ後半になっていくにつれて、バビーが外側に出ていって世界を知るわけですけど、
結局なんていうか、最後まで親を呪い切れてはいないなって気もしたんですよね。
なんなら一度も呪ってないと思いますよ、バビーは。
もちろんそれはそれでいいんだけど、
でもある種、なんだろう、これ難しいんですけど、
ある種、家庭内暴力を受けた子どもってたぶん正しく呪うことも必要な場面があるような気はするんですよ。
そうすることで初めて自立できるようなこともあるなっていう部分はよく話としては聞くなと思うんですけど、
そこの描き方がめちゃくちゃリアルだなと思ったんですよね。
彼自身も。
まずそれを自分で虐待を受けてるとかっていう認識がないですからね、きっと。
ただ、エンジェルを見て違うってなるじゃないですか。
だからエンジェルのことを見ることで、彼は彼として認識できた気もするんだけど、
でもそもそも女性への好みというか、母親と重ねてるところもあって、
そのねじれ感も含めてすごいリアルな感じがしたんですよ。
そうですね、あれはね。
恋愛と母性を求める感情を結構混同、最初はすごいしてましたもんね、女性に対する。
そうですね。
でも彼が35年分の自分のお身に起こっていたことを正しく理解できたときに、
彼が幸せになるのかって思ったらちょっと苦しいですよね。
そうですね。
正しいルートを通ることが地獄なような気もしますね。
確かに。
まあそこは子供生まれたんで、自分のフェーズじゃなくなってると思いますけどね、人生の捉え方が。
でも私最後って、バビーが見てた夢だと思ったんですよね。
本当のことじゃないって思って、あれは彼がステージに立って歌っているときに、
その勢いの中で見た彼の夢なんじゃないかなと思ってて、
あそこまで綺麗にはいかないんじゃないかなってさすがに人生が。
なるほど。
相手側の家族の複雑さも含めて、彼らはきっと幸せになったとは思うんですね。
幸せに生きているというふうには信じてるんですけど、
ただやって普通に結婚して普通に子供を持つっていうのは、
あの段階では彼の見ている夢なんじゃないかなっていう捉え方でした。
それは僕も思って、ここまでの社会性身につけられるのかなっていう気はしてたんですよね。
僕はじめこの話、ライブシーンで終わるんじゃないかなって思ってたんですよ。
自分のライブでわーって自分を出して、みんながそれを受け入れてる。
ただこれはあくまでライブっていう自分の本質を見てない人たちが受け入れてるだけの時間でしかなくって、
本当に自分が社会の中で日常を過ごさないといけないっていうフェーズになった時に、
それはできないかもしれないけど、今だけはできてるってところでバツって終わるのかなって思ってたけど、
キュッて出産までバッといくから、あれ?飛ばしたなと思って。
でもなんか僕はあれ、できるかなって気もして、できるような気もして。
なんかそういうふうに、もしかしたらバビーっていうよりも、見てる私たちの願いなのかもしれないですよね。
あのラスト、それを見せてもらったみたいな感覚はあるかもしれない。
すごいそういう気持ちの持っていかれ方はしましたね。
僕夢っていうふうには見てなくて、本当に結婚して子供生まれたんだみたいな見方をしてたんですけど、
でももしあれが夢だったとして、まだそこにたどり着いてないっていう状態なわけじゃないですか、バビーとしては。
で、やっぱりまだ今のバビーからあそこまで行くのはちょっと飛躍が過ぎるというか部分があるんだけど、
私、多分ああいう幸せな家族像みたいなのをバビーはまだ知らないはずだと思うので、
そのヘンリーは見ていたかもしれないけど、
なんかそのあそこで夢としてあそこでちゃんと見てたっていうことだけでも、
なんかバビーってすごいじゃんっていうふうにやっぱ思えるなっていうふうに話し聞いてて、すごく思いました。
バビーはすごいよね。
バビーはすごい。
あそこまで夢でも見れてる、夢でもあそこまでたどり着けるのかっていう過酷な状況から、
あそこまで夢を見ていくことができるって本当にすごいことだと思うんですね。
いや、本当ね、見てて怖いし、バビーすげえなってなるんですけど、
その人間が35年全部とは言わないけれども、
多分思春期までに味わう、自分と世界って違うなっていう厚生から生まれる痛みを一気に味わっていってると思うんですよね。
いや、僕あなたのこと好きですばって言ったら、やめろってやり返されるとか、
何やったらもう警察に捕まるみたいなこと、
そこまでのことってもうちょっと手前で学ぶんだけれども、
35歳のおじさんがそれをするからどうしても警察に捕まっちゃったりとかして、
他人に理解されないっていう苦しみとかっていうのも、
本来物心ついて思春期を経てその中で経験していくことを35歳で経験してっていう。
僕、リュウチゾで全然喋らないシーンあるじゃないですか。
人と喋れなくなったんだなと思って。
だから自分が持ってるサンプルでここを乗り切れないんだなってわかったから、
そもそも喋れなくなるっていうのはあって、
僕結構子育てしてても身に覚えあるんですよね。
その叱り方複雑だとそれに対しての返し方がわからなくて黙るっていうのは結構身に覚えがあって、
多分言葉以上にそこでコミュニケーションが取れているような描写が結構あると思うんですよね。
例えばそのバイオリンの奏者の家に不法侵入していくわけですけど彼は。
でもバイオリンの弾き手としては気持ち悪がるんじゃなくて、
熱心に聴いてくれてる彼に対して、きっと届いたんだろうっていうような表情を見せるとか。
あるいはパイプオルガンを弾いてる無心論者のおじさん。
あの人がバービーが聴いてる姿を見て、
何も彼は言っていないんだけど、でもそこから何か感じてるみたいな。
それはおそらく無心論者のおじさんがパイプオルガンを弾いていることで伝えようとしていたものかもしれないわけですよね。
それってたぶん、ある種のノンバーバルって言葉もあるし、
たぶんそれの行く先というか末にあるのが、
言葉を持てない人たちの言葉っていうのを彼が解するってことだと思うんですよ。
だから彼にとって言語であるか言語でないかっていうのはあまり関係がなくて、
そこに気持ちのこもった音声であるかどうかってことが大事だっていうふうに描かれているのが、
確かに音楽映画というふうにも言えるし、それが言葉についての映画だなっていうのもちょっと思って。
そう考えたら、最初猫と話してたのも話してたんだなって思いました。
そうそうそうそう。絶対話してたんですよ。
確かにめっちゃ泣き真似うまかったしね、そもそもね。
すっごい物真似うまいなっていうか、本当になんか通じてそうでしたもんね。
あの無心論のおじさんは結構危険なことするなと並べてましたね。
諸星術を身につけてない人間にいきなり無心論の言葉だけインストールして、
しかもバビー元々持ってる語彙が結構汚いから、
もうその無心論というかもうアンチキリストみたいに聞こえるんですよね。
いきなりそんなの言われたらちょっと大変なことになるんじゃないかっていう怖さがあって、
実際あれバンドとしても、ちょっとまあなんというかアンチキリストまでは言わないけれども、
もうだいぶ反対性ロックみたいなズバリパンクだと思うんですけど、
もうちょっとあれ狙ってやるのはいいけど、
無自覚でやってるのめちゃめちゃ怖いぞと思った。
確かにあのおじさんだけはガチだなって感じでしたけど。
あのシーンめちゃめちゃ唐突でしたからね。
何あの工場というか研究だというか。
多分何かまあ概念としてなんかめっちゃ口で説明できるわけじゃないんでしょうけど、
バビーも多分キリスト教的な感じの価値観みたいなの植え付けられて育ってそうではあると思うんですけど、
おそらく母親からするとキリストの像も飾ってありましたし家の中に。
まあだとしてもあの無心論者のあれいきなり言われたらもうバグりますよねっていうのは確かにそうですね。
でも何かそう考えたら、
彼はそこで学んだ言葉を彼女の家に行った時に使うじゃないですか。
本当に自分を構成するものが一個一個削ぎ落とされていって、
それでも残るものが自分でそれを表現していくみたいな話って、
僕好きだなっていうのは、それはなんかよくね、
例えばですね、007のスカイフォールとかってそういう話だと思うんですけどね、ある意味ね。
それもめちゃかっこよくやればああなるんだろうけど、
それを本当に人間性というところにおいて、
それをまたすごく現象的な部分をめちゃくちゃしっかり見つめることで
生まれるのがやっぱりワールドレコバービーって作品なんだなっていうのは、
今すごくなんか話聞いててすごく納得しました。
山口さん最後に彼が進行に戻っていくって話をしていて、
僕それこそラストの描き方ってすごく神の視点だなって思ってみたんですよ、実は。
この映画の中でそれこそバービーの反省というか、
35年間のこともそうだし、あるいは無心論者のおじさんが彼に言うこと、
あるいは世界の彼への当たり方っていうのもそうですけど、
結構キリスト教的な価値観を否定していくと思うんですよね。
それこそ賛美歌を歌ってる人が彼と行きずりのセックスをしたりとか、
反クリスチャン的でもあるような描写をたくさん描いていくんだけど、
でもどこかで最後、彼のことを見ている存在がいるんだなっていうことをちょっと見た気がして、ラストに。
ラストにエンジェルと一緒に家族というか子供を得て家庭を持っていく彼のことをどこかで見ている存在がいるっていうことを、
なんか作り手が信じてるのかなって気がして。
それはもちろん、きっと何か全員を救ってくれるようなそういう神ではないんですけど、
ただただ見ている存在としての神というか、
なんていうかおてんとさん的な神と言ってもいいかもしれないんですけど、
彼のことをただただ見て見守っている存在は確かにいるかもしれない。
そこに対しての祈りみたいなものを彼は歌を通して知っているのかもしれないっていうところは、
なんかすごい僕も納得できるところで。
僕はラスト結構そういう視点で見てたんですけど。
信仰の話として、もうちょっと解釈をあえて広げるとしたら、
あの無神論おじさんってサタンかなって思って、
神ってカスじゃんって、人を救わないよねって疑った方が良くないっていう誘惑をしてくるっていう。
でもやっぱりそれら全部経た上で、やっぱりそっくりそのままわかりやすい信仰ではないけれど、
やっぱり彼のやってることは信仰にたどり着くっていうのは、
すごい本当に宗教的な話だなって気もしましたね。
それこそラストの直前にその宗教Aと宗教Bみたいな話になっていて、
バンドメンバーの一人かなが、宗教論の話を突然バビーに解き始めるシーンがあるじゃないですか。
ちょっと面食らいましたね、あそこね。
突然すごい思想の話するみたいな。
いきなりA、Bって何みたいな話かと思いましたけど。
なんかバビーの話を見てきた後で、あの話を受けるとすごいなんか飲み込める自分がいるんですよ、どっかで。
なんだろう、もちろん僕自身はそんなに、無神論者とほどは言わないにしても、
そこまで何か特別な宗教に対して深入りしてる感じではないにしても、
なんかそういう存在のことを、そういう存在を巡って人々が争っていることを、
なんかもう一度バビーの人生を経て、もう一度見つめ直してみないかって言ってるみたいで、
それだってパンクロックのメッセージそのものじゃないですか。
だからなんかすごくその、反キリスト教的でもあるし、キリスト教的だし、
すごくやっぱそこは作り手の信仰心みたいなものの現れ方がすごい面白いというか、興味深いなと思って。
宗教っていうものを離れたところにも信仰ってもちろんあると思うんですよね。
うんうん。
で、神っていう存在も宗教っていうものに規定される人もないと思うんですよね。
うんうん。
だからその、なんて言ったらいいのかな、結構キリスト教の話ってなると、
どうしてもちょっと自分と無関係っぽく思えてくるじゃないですか。
はい。
無関係っぽくというか。
日本人としてはそうするね、ありますよね。
そうなんですよ、違う文化のものっていうふうな感覚はあるんですけど、
でもなんかその、結構本作で描かれる信仰とかっていうのは、
もちろんキリスト教っていうものとかも描かれてるとは思うんですけど、
そこに規定されない部分での信仰、
各々が信じてるものとか信じたいものっていう部分での信仰っていう感覚もすごい強くて、
なんかいつも思うのが、結局この世の中って自分が信じたいものをみんな信じてるだけだなと思うんですよね、
全てにおいて。
だから私はあんまり、そういう意味では陰謀論とかもあんまりバカにできないなというか、
一緒だなって思うんですよね、彼らも自分も。
信じてる何かを信じてるという意味では。
その中でより強いもの、より強く信じてるものを見つけられるっていうのは幸せなことだなと思うので、
ワビーが私たちが映画で見てきたような時間を通して、
もう一度信じるものっていうのを彼なりに見つけたんだとしたら、
それはすごい素晴らしいなって思います。
本作で無神論おじさんとか、
あと宗教対立を語るバンドメンバーとかっていうのが割と急に挟まると思うんですけど、
そこで今言ったような、信じるって何なんだろうみたいな、
のがちょっと話の交換にあるなっていうのがなんとなく察せるじゃないですか。
割と唐突に挟まってるから。
そこでやっぱバビーの信仰の形というか、
信じるということの形に僕らが交換を持ってるのって、
やっぱりそれが祈りだからだなと思って、
バビーは祈ってると僕は思うんですよ。
受け入れてもくれるような余地もあるみたいなっていうのとかで思ったのは、
信じることも世界の存在もフラットっていうことがすごく大事なんだなっていうふうに思って、
信じすぎるのもやっぱり良くないし、
全く信じないというのもないなっていう、
それで何を生きているんだみたいな気持ちもやっぱりなるし、
世界は当然受け入れてくれることもあるし、
全く受け付けてくれないこともあるしみたいな、
そのフラットさがやっぱりすごく大切なんだなっていう、
フラットでオープンであることみたいなのがすごく大切なんじゃないかなっていうふうにはすごく、
今回の映画を見ていてすごく思っていて、
そういうオープンなマインドというかフラットさっていうのが、
なかなかみんな用いれるものではないと思うんですよね。
やっぱり信じたいものしか信じない人はいるし、
なかなかオープンにいるって難しいことだと思うんですけど、
けどそれをこの映画を通じてそういうのにこそ人間性が宿るんじゃないかっていうのが、
すごくやっぱり感じられるし、
それをすごく僕も信じたいなっていうふうに思いましたね、今回見て。
前田さんが推してくれたおかげで見れました、本当に。
良かったです。
これは本当にそうですね。
推してくれなかったら絶対見なかったです。
なんか意外とあれですよね。
なんかあんまり知られてないですよね。
皆さん知らなかったですね。
あと公開規模考えたらお便りにつってだいぶ多いと思います。
本当に。
確かにそうですよね。
本当にやっぱり。
なんか届くべき人に届いてほしい映画だなっていう。
これをきっかけに本当にたくさんの人に見ていただけたらもちろんいいし、
本当に必要としている人のもとにこの映画が届くことをまさに祈る。
本当にこのラジオを聞いてちょっとでも興味持ってくれたらでもいいと思いますし。
多分このラジオを毎回聞いてくれてる人は多分好きって言ってくれそうですよね。
なんかわかる。
そういう予感が勝手にしてますね。
合う合わないもちろんあると思うんですけど。
多分何かしらに触れる部分というか、
心に来るような部分が絶対なんかあるんじゃないかなっていう気がしちゃいますね。
はい、じゃあこの辺で一回話は終わっとこうかなと思うんですけど大丈夫ですか?
はい。
大丈夫です。
わかりました。
はい、では悪い子バビーの話を終わりたいと思います。
次週なんですけど、次週はゴジラマイナスワンで大丈夫ですかねって話でしたよね。
はい。
大丈夫ですよ。
いいですかね、ゴジラマイナスワンで。
うん。
やったー。
でももう公開なんですね。
早いっすね。
もうなんかまだ遠い先のイベントかと思ってたんですけど、
あ、もうなんだっていう感じですね。
2024年ぐらいの感覚でしたね。
確かに。
そうなんですよ。
なんていうんですかね、なんかシンゴジラの時はめちゃくちゃじらされた覚えがあったんですけど、
あんまそういうの今回ないじゃないですか。
結構発表からすぐですよね。
あ、もう普通に予告編でなんか普通になんかこんな感じなのかみたいなのが見れるみたいなのがなんかちょっと不思議な感じですけど、