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2023-11-07 1:03:03

第140回(2)『悪い子バビー』バビー、神を尊びて神を頼らず

 

『悪い子バビー』の話をしました。

極限の負の環境から外の世界に生まれ出たバビーの視点から、表現の在り方、信仰の在り方、実存のテーマなどについて話しています。

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00:00
今回のテーマは、悪い子バビー、です。では前田さん、解説お願いできますか。
はい。映画.comより、社会から隔絶されて育った男が、多くの人々との出会いや、音楽に導かれて自分自身を発見していく姿を描き、
1993年、第50回ベネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞した作品。母親の異常な愛情により、暗く汚い部屋の中に35年間も閉じ込められて生きてきたバビー。
外に出れば、汚染された空気の毒で命を落とすと教えられ、母親の指示に従うだけの日々を送っていた。
そんなある日、父親を名乗る男が突然帰ってきたことをきっかけに、バビーの人生は大きく動き出す。
刺激に満ち溢れた外の世界へ飛び出したバビーは、行き先々で大暴走を繰り広げ、そんな彼の自由で荒々しいスタイルに誰もが巻き込まれていく。
日本ではアブノーマルというタイトルでVHSが発売されたのみだったが、2023年10月に劇場初公開。
はい、それではここから本編の話を触れていきたいと思いますので、ネタバレ気にされる方は映画を見てから、ここから先はお聞きいただけたらなというふうに思います。
では、まずそれぞれ触りの感想をちょっとお聞きしたいなというふうに思うんですけども、では山口さんいかがですか。
はい、興味的なんですけど、すごい作品ですねこれ本当に。似たような作品いくつか思い当たったりするんですけど、それらの中でもやっぱり究極だなとは思って、甘さが全然ない。
めちゃめちゃシビアっていう、でもそのシビアだからこそ見えてくる、何だろうなもう人間さんかとしか言えないんですけど僕の語彙では、そういったものが本当にすごいなぁとは思いましたね。
うん、で、何だろう、ちょっとすごいこと言ってあんまりまとまりきってなくて、まあ後から出していけたらなっていう感じですかね、はい。
はい、それでは前田さんどうでしたか。
はい、なんかあの映画ってなんか私にとって基本的に娯楽でしかないんですけど、たまに本当にこうたまに出会える、その娯楽を飛び越えてくる作品というか、なんか自分にとってなんていうのかな、本当に出会えてよかったなというか人生絶対見落としちゃいけない一本だなっていうような作品で、
はい、でもなんかこの作品に対してどう語ったらいいのかは全然ちょっとわからなくて、今日どんな話したらいいのかなっていうのは思いながら、はい楽しみにしてます。
はい、では大石さんどうですか。
僕もちょっとこの作品結構なんだろうな、めっちゃ良かったんです、まずすごく良かったんですけど、2人の感想まさにね、何か言葉を当てはめるのがすごく難しい作品だなと思って、この作品に合う言葉をこう当てがうっていうのがなんか簡単なようで難しいというか、なんかその言葉を当てがった瞬間に逆にすごいチンプなものに見えてきちゃったりとか、
03:09
なんかそれでは映画のこと、あるいはバビーのことを言い表してる気がしなくなってしまったりとか、なかなかだから一言で語るってのは多分難しいので、言葉をある種尽くさなきゃいけないなっていうのもすごい思ったんですけど、
なんか一つ切り口を挙げるとしたら、まあ偶和的な形で描いてると思うんですけど、すごい宗教の話だなというふうに自分は結構この映画も捉えていて、神のことを信じれなくなったんだけど、それでも神を信じたい人が作った映画なんじゃないかっていうのをすごい思いながらこの作品を見ていました。
はい、では僕なんですけど、見た時はすげえなっていう感情でしたけど、なんかすごく人間のなんか本来あるべき良さみたいなのってこういうところに現れてくるんじゃないかなみたいなところはすごく最後の方に出てくるし、
けどやっぱり冒頭のバビーを取り巻く環境だとか、すごくきっつい環境でっていうのがあり、なんかその人間の悪辣な部分と本質的な良さの部分みたいなのがそこに引き裂かれるような映画っていうふうな感じでしたね。
もうなんか最初冒頭見てた時はもう絶対これバビーがもう良くない方向にどんどん行ってしまうんだろうなって思ってたら、もう全然そんなことないくって、それがなんかすごく本来のなんか人間らしさとかっていうか、なんか何でしょうね、本能的に良いとされている部分みたいなのってこういうところに現れてくるのかなっていうのはすごく見ながら思いましたね。
またすごい音楽映画なんだなーっていうのにもちょっと驚かされましたし、なんか本当にでも僕もなんか正直この映画のことを何ていう言葉で表現していいのか僕もちょっとわからないんですけど、ただ見ててすごかったし、もうなんか劇中やっていたバビーのパフォーマンスそのものがもう答えみたいなところもちょっとあるような気もしていて、
まあ確かに喋るの難しいだろうなーって思いつつも、でもなんかちょっとすごいもの見たなっていうのは本当に同じように僕も思いました。はい、それではお便り2つ来てますので、お便りちょっと読んでいきたいなというふうに思います。
タウルさんから頂いてます。
一つ重要な鍵になっていたように思います。母親の虐待をモノマネして猫をいじめるところが印象的ですが、善意も悪意もその魔法によって再生産されていき、それによって愛憎に満ちた世界ができている。そんな感覚になるほど真似ることが強調されています。そしてその愛憎によって生まれた感情を吐き出したい時に詩や音楽が生まれるといった表現も見事でした。
06:14
この作品、ヒューマニズムの根源が描かれていて、うかつに語りにくいところもあるかもしれませんが、メンバーの方々の話楽しみにしています。はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
確かにモノマネというか真似るっていうことは確かにすごく丁寧に描かれたというか、確かによく出てきましたよね。急に出てきたお父さんのくどき文句じゃないですけどみたいなのをところかまわずやっちゃうとかっていうのとかもモノマネの真似るとかだし、確かにそういうところからなんか人間って始まるよなっていうのは確かにそうですよね。
彼すごい耳いいんですよね。だから彼が音楽に惹かれるっていうのもあるし、伏線的でもあるんだけどすごい必然でもあって、彼って聞いた物音をそのまま再現するじゃないですか、モノマネとして。
例えば猫の鳴き声だとか、猫がゴロゴロ喉を鳴らしてる音だとか、それって根本言えば耳がめちゃくちゃいいからだと思うんですよ。で、インプットしたものをそのまま素直にアウトプットしていくから、外に出たときにサンビカが聞こえてきたときにそのサンビカがめちゃくちゃ大音量で脳内に響くんですよね。聞いたことない何この音っていう感じ。
パンフレット買われました?
買いました。
パンフレットに載ってたと思うんですけど、録音の方法が直接バビーの役の人の耳のところにマイクを貼り付けて、本当にそのバビーが聞いた音に限りなく近いものを、
なんていうのかな、我々にも聞こえてるような録音の仕方してるって書いてあって、本当に音っていうか聞くことっていうのがすごく大切にしてる作品なんだろうなっていうのは本当に。
そのパンフレットを読んでからすごく、それまでにそういうこと意識してみたわけじゃないけど、すごく納得感があるというか。
そうですね、確かに。僕もそういう音の録音の仕方やってるんだっていうのはパンフレットを見て知って、バイノーナル録音ってやつですよね、いわゆる。
ASMRとかに使うようなタイプのから、それを本当に立体的だし、本当に彼が感じてるありのままの世界みたいなのとかを、我々もそれを実感できるようにっていう仕掛け作りっていうのをされてて、すごいなっていう感じはしましたし。
本当にバビーと同じようにこの世界をもう一回見つめ直してほしいんだなっていうのをすごく感じましたよね。
マネルっていうキーワードで、僕も子供いるのでよく思うんですけど、成長するってサンプルを集めることだなっていうのがあって、
そのサンプルをたくさん集めて使い分けれるようになる。適切なタイミングを適切な場所でそのサンプルを再現することができるっていうのが多分成長。
09:07
もしかしたら狭い意味での成長かもしれないんですけども、その中からだんだん自分っていう風なものもできてくるっていうのがあって、
中盤まで本当に見てて不安で不安でしょうがないんですよ。もうサンプルが少なすぎて、女の人を見たらめちゃめちゃひどい言葉で口読しおっぱい触るじゃないですか。
もうね、怖くてしょうがないんですけど、ちょっとずつちょっとずつ情緒が育って出力できるサンプルがいい感じになっていくんですよね。
むしろそのサンプルというよりも、もともと持ってた優しさみたいなものが出てくる時があって、最後の方で障害者施設にいるようになって、レイチェルっていう入居者を抱きしめるシーンあるじゃないですか。
僕あそこで泣いてしまって、いやなんかすごいこれ一番優しい奴やぞって思って、あれを彼はああいうことしたことないはずなんですよ。彼の中にはないサンプルのはずなんですけど、それが出てきたっていうのが多分直接的なサンプルじゃなくて、
例えばその両親が死んだこととか、一番初めの猫を死なせたこと、あるいは2匹目の猫の死を見届けたこととかっていう中から、だんだんバビー用の優しさが出来上がっていって、それが出力された瞬間っていうのが、あれめっちゃ泣いてしまって、なんかすごいシーンやなって本当に思いました。
もう序盤の冒頭のところのバビーは本当に見てて辛くて、子供なんですよね本当に。特に親を怯えてる子供の目してるんですよ。もうそれだけでも見てて辛くてね本当に、いやーなんかすごいなって、もうあれだけでこの物語に引き込まれましたね。これに対してどう決着をつけるのかっていうのはやっぱ僕はもうグイグイ見ちゃったって感じでしたね。
はい、じゃあ一旦次のお便りに行きましょうか。タオルさんありがとうございます。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
じゃあもう1つ、大石さんお願いします。
はい、ボンエさんから頂きました。
ご無沙汰しております。半年ぐらい多忙でなかなか放送を聞けていなかったのですが、ようやく落ち着けて聞けるようになりました。
前田さんがお勧めしていた悪い子バービー見てきました。
潜在写真にありそうなヤバい映画かと思っていたのですが、まさかこんなに人間参加の作品だとは思いませんでした。
その世界は危険というバレバレな仕付けから一歩外に出てみたら、社会は受け入れてくれず大変な思いをするのは予想していましたが、受容してくれる場や人々に出会っていく展開は良かったですね。
さらにライブでは自分の中にある言葉だけをこれでもかとぶつけかまし、ニューウェーブポストパンクなパフォーマンスを見せてくれるとは思っていませんでした。最高です。
12:04
ということで、ありがとうございます。
確かにパフォーマンスは最初見た時ちょっとびっくりするくらいすごかったですけど。
全身から自分の伝えたいものを全部伝えるんだ、みたいな感じがめちゃくちゃ伝ってくるじゃないですか。
自分の生き様みたいなのとか、それこそ自分が見たこと、聞いたことがあそこに出てくるので、
本当にそれを多分語る術とか言語とか種類とかは少ないんだろうけど、
少ないけれどもそれを全力っていうのだけでもこんなにも心を打つんだなっていうのはすごく感じましたね。
あれってニューウェーブポストパンクって言うんですね。あんまりジャンル的なネーミングわからなかったんですけど、
80年代のアングラパンクってこんなのだったのかなっていうイメージだったんですけど、
でも初め、マジでかっこいいじゃないですか、あれ。
で、初めすごい荒くて、ただ言葉をぶつけるだけなのか、だんだんメロディーとリズムに乗せ出すっていうのが表現としてパワーアップしていってるんですよね。
そこがなんか良くって、確かにあれは初めあのバンド、正直あんまり思わないバンドだったと思うんですけど、
あんなことをやり始めたら確かに注目を集めますよね。
あとやっぱその、需要してくれる場とか人に出会えたことっていうのとかありましたけど、
確かにそういうのめっちゃ大事だなっていうのは本当に思いますよね。
なんかそれこそもう究極の、最近ちょっとあまり良くない言葉ですけど、親ガチャって言葉があると思うんですけど、
バビーはある意味、バンフレットにも書いてありますけど、究極の親ガチャハズレを引いちゃった子供とも捉えられるわけですけど、
その後彼が家族、親は選べなかったんだけど、場所というか、社会という大きな場に出れば自分の場所は選べるっていうところを、
自覚的ではなく多分無自覚的に、あるいはその自然の流れでそこに行き着いていくっていう流れ。
なんかすごくこう、見て、単純に希望を与えられる気もしますし、もちろん社会っていうのは単純に受け入れてはくれないんですよね、彼のこと。
だけど、じゃあ絶対に跳ね返すかって言ったらそういうわけでもないっていう。
なんかその両面を本当にしっかり誠実に描いてるなっていう気がして。
なんかこれそうだよね、世界だよねって感じがすごいしたっていう。
バンドが人気になっていく過程って、あそこのお客さんって正直バビーのこと全く理解してない人たちじゃないですか。
バビーの本質なんて全く見てなくって、ある種のアウトサイダーアートとして面白がってる状態。
でもそれでもあそこはいい場所になっていってて。
なんかその表現っていうもののあり方としてすごいがてんがいくなぁと思って、
15:05
自分というものを表現した時にそれを別にその自分という部分を周囲が評価してくれるわけではなくて、
その表面上現れてるものだけを受け入れられたりするものかもしれないけれども、
それでもその自分から放ったもので世界に居ていいってなるっていうのって表現のあり方としてすごいわかるなって思って。
ちゃんと理解してくれる相手も見つかるじゃないですか。
本当に痛みを共有できる人と出会えて、
であと多くの表面上のバビー、パパっていう感じで受け入れてる人たちですけど、
その人たちでもそれでもこの世界に居ていいっていう証でもあって、
あの集団って。あのバランス感覚。
理解されなくても承認はされて世界に居ることができるっていうのはわかるんですよね、あれ。
バランスが良かったです、そのあたり。
なんか世界ってそんなに良いもんでもないし、そんなに悪いもんでもないって感じで良かったですね。
世界の両面をちゃんと捉えてるっていうことですよね、そこはね。
はい、それではぼんえいさんありがとうございます。
ありがとうございました。
ではここからはちょっと我々4人で話していきたいなというふうに思うんですけども、
そうですね、何かここから喋った方が喋りたいなとかってあります?
なんかどこから引っ張ってきてらいいかは難しいですけど。
本題じゃないけど重要な部分として、親の虐待っていう部分があると思うんですけど、
そこはまず触れといていいかなと。
そうですね、冒頭30分ぐらいですか?
バビーの暮らしぶりというか、親のもう超虐待っていう部分では、
結構見てるのはきつかったですよね、っていうのはありましたし。
あとなんかずっと同じ場所に閉じ込めてるっていうので言うんだったら、
ルームって映画思い出しましたけど、レイダーさんの。
なんか本当にああいうの見てて、本当になんか、
ああいうのって人の尊厳を奪うなっていうのは本当にちょっと見てて僕は思いましたね、本当に。
なんか人間というものを全部コントロールしようっていう混沌がそもそも嫌だなっていう感じだなっていうのはすごく感じました。
なんかお母さんの依存がすごく強いんだなっていう、もちろん虐待なんですけど、
なんか苦しめてやろうっていうよりは、お母さんがすごく依存してるなっていう印象があって。
私バビーがあの中で35年間暮らして、それまでにどういう人生だったかっていうのは全部はわからないんですけど、
きっと愛されてた時間もあったんだろうなって私は思うんですよね、バビーが。
18:03
でもやっぱりなんか、もうどこかで一回おかしくなったものが戻らなくなってしまったっていう、
それがなんていうのかな、全部詰め込まれてて、もう換気されてない、循環がない空間っていうのが、
それがすごく重苦しくて、なんか私結構前半も好きなんですよ。
好きって言ったらおかしいんですけど、前半もすごくなんかこう引き込まれて、
前半が本当にすごい効いてきますもんね。
そうですね。
あの部屋めちゃめちゃ臭そうですよね。
臭そうですね。
僕もルーム思い出したんですけど、ルームって部屋綺麗なんですよね。
そうですね、綺麗な方でしたよ。
あんまり汚くなくて、で本作のあの部屋はマジで汚くて、
バビーが母親からずっと座っておきなさいって言われて、漏らしちゃう椅子に。
で下に椅子の裏側に排泄物が滴ってて、あれ一度や二度じゃないと思うんですよ。
こびりついてるじゃないですか。
あれやばいなって思ったのと、あとゴキブリ捕まえて猫にあげてたんですけど、
猫をラップでくるんで猫が動かなくなってから、もうゴキブリあげようとしてて、
で猫が食べないから、多分あれバビーゴキブリ食べてたと思うんですよね。
口パクってしてるシーンがあって、これゴキブリ食べたんじゃないみたいなシーンがあって、
結構、衛生関連の無さがすごいエグいっていう。
それって重要な部分だとは思うので、そこに手加減のないのは良かったなと思いました。
私ゴキブリめっちゃ嫌いなんですけど、
この映画に出てくる、あの部屋に出てくるゴキブリって、
もはやバビーにとってはめちゃくちゃ狭い世界の中での数少ない構成してるものっていう感じで、
だから不思議とあの部屋の中のゴキブリは、不快感とかよりも猫と同じくらいの役割としての存在感がすごくあって、私の中で。
なんていうのかな、かわいくはないけど、すごく大切なもの、あの中にある少ないものの中の一つで、
一つ一つがすごく大事な役割というか、風に思える。
椅子もそうですし、そういう不思議な感覚がありました。
確かにそうですよね。バビーにとってゴキブリは自分の中の世界の大部分ぐらいを占めるぐらいの一つですよね、絶対ね、数少ない中に。
しかも生きてるものって言ったらね、お母さんと猫とゴキブリしかいないよね。
なんかちょっとウォーリーとか思い出しちゃいましたけど。
なんかすごくこう、あの閉ざされた世界の中で彼がずっと過ごしていくわけですけど、
でもなんかちょっと彼のことを、もちろんこの行為が倫理的にいいわけではないんだけど、
ずっと彼は部屋の外に行ったら咳込んで死ぬぞって言われてたわけじゃないですか。
21:05
で、じゃあ猫ってどっから来たんだろうっていう疑問に至っていくっていう。
で、実際試してみて、本当に息してないのかなって試してみて、で、どうやら動かなくなった。
まあ動かなくなったイコール死ってことも多分分かってないと思うんですけど、
なんか多分お母さんが言ってることなんか違うぞってなって、
で、そこからお父さんが来て、あれお父さん何もマスクしてないってなってくっていう。
彼自身の、彼めちゃくちゃそこでキャラクター性が出てるなと思ったのが、
好奇心というか、興味が、諦めてないんですよね、とにかく世界に対して。
で、その好奇心が結局後半、彼をどんどん世界の中で突き動かしていくエネルギーになっていくなと思うんですけど、
なんか前半の中でも、彼自身のそういう探求心というか興味がしっかり、
まだこの年齢であっても生きていて動いていてっていうところが、
すごく端的に描かれてるんだけどめちゃくちゃ上手いなと思って。
よく諦めないですよね、あの環境にいて。すごいなって。
現実でもし同じことがあったら心しなびちゃうんじゃないかなって思うんですけど、
本作においてはやっぱりバビーはその好奇心がしなびてない。
それのおかげで外の世界で生きていくことができるんですけど、
多分それって母親はそうじゃなかった人だと思うんですよね。
外の世界は毒なんだぞっていう、それは必要だから母親は外に出てるけど、
母親はそういうものに対する好奇心、あるいはその期待するということを諦めたから、
息子にだけ依存しているっていう状態になっていたのかなって思ったんですけど、
あとすごい病者として嫌だなと思ったのが、あのダイニングルームめちゃくちゃ汚いじゃないですか。
寝室結構綺麗なんですよね。
でシーツがまたね、すごい綺麗な白になってるんですよ。
もし万年床みたいになってる布団やったらめちゃめちゃ汚いと思うんですけど、
布団綺麗なのが嫌で、布団は綺麗にしてるってことなんですよ、お母さん。
それめっちゃ嫌なんですよね。
だから母親の役割をやるダイニングルームはめちゃくちゃ汚いのに、
バビーに夫の役割を期待する寝室は綺麗にしてるっていう、
だから夫が帰ってきた瞬間ポイってそっちに行っちゃうじゃないですか。
母親としての役割完全に切り捨てちゃうし、全くバビーの肩持たなくなるから、
そこ現れてたのやなって思って、
夫がいなくなったっていうのが相当ショックだったっていうのもなんとなくわかるんですけど、
節々に見えるお母さんの心の奥底で弱さであるとか、
あとそこから生まれた邪悪さっていうものがね、めちゃめちゃしんどいんですよね、前半。
24:04
だからこそ後半になっていくにつれて、バビーが外側に出ていって世界を知るわけですけど、
結局なんていうか、最後まで親を呪い切れてはいないなって気もしたんですよね。
なんなら一度も呪ってないと思いますよ、バビーは。
もちろんそれはそれでいいんだけど、
でもある種、なんだろう、これ難しいんですけど、
ある種、家庭内暴力を受けた子どもってたぶん正しく呪うことも必要な場面があるような気はするんですよ。
そうすることで初めて自立できるようなこともあるなっていう部分はよく話としては聞くなと思うんですけど、
そこの描き方がめちゃくちゃリアルだなと思ったんですよね。
彼自身も。
まずそれを自分で虐待を受けてるとかっていう認識がないですからね、きっと。
ただ、エンジェルを見て違うってなるじゃないですか。
だからエンジェルのことを見ることで、彼は彼として認識できた気もするんだけど、
でもそもそも女性への好みというか、母親と重ねてるところもあって、
そのねじれ感も含めてすごいリアルな感じがしたんですよ。
そうですね、あれはね。
恋愛と母性を求める感情を結構混同、最初はすごいしてましたもんね、女性に対する。
そうですね。
でも彼が35年分の自分のお身に起こっていたことを正しく理解できたときに、
彼が幸せになるのかって思ったらちょっと苦しいですよね。
そうですね。
正しいルートを通ることが地獄なような気もしますね。
確かに。
まあそこは子供生まれたんで、自分のフェーズじゃなくなってると思いますけどね、人生の捉え方が。
でも私最後って、バビーが見てた夢だと思ったんですよね。
本当のことじゃないって思って、あれは彼がステージに立って歌っているときに、
その勢いの中で見た彼の夢なんじゃないかなと思ってて、
あそこまで綺麗にはいかないんじゃないかなってさすがに人生が。
なるほど。
相手側の家族の複雑さも含めて、彼らはきっと幸せになったとは思うんですね。
幸せに生きているというふうには信じてるんですけど、
ただやって普通に結婚して普通に子供を持つっていうのは、
あの段階では彼の見ている夢なんじゃないかなっていう捉え方でした。
それは僕も思って、ここまでの社会性身につけられるのかなっていう気はしてたんですよね。
僕はじめこの話、ライブシーンで終わるんじゃないかなって思ってたんですよ。
自分のライブでわーって自分を出して、みんながそれを受け入れてる。
27:01
ただこれはあくまでライブっていう自分の本質を見てない人たちが受け入れてるだけの時間でしかなくって、
本当に自分が社会の中で日常を過ごさないといけないっていうフェーズになった時に、
それはできないかもしれないけど、今だけはできてるってところでバツって終わるのかなって思ってたけど、
キュッて出産までバッといくから、あれ?飛ばしたなと思って。
でもなんか僕はあれ、できるかなって気もして、できるような気もして。
なんかそういうふうに、もしかしたらバビーっていうよりも、見てる私たちの願いなのかもしれないですよね。
あのラスト、それを見せてもらったみたいな感覚はあるかもしれない。
すごいそういう気持ちの持っていかれ方はしましたね。
僕夢っていうふうには見てなくて、本当に結婚して子供生まれたんだみたいな見方をしてたんですけど、
でももしあれが夢だったとして、まだそこにたどり着いてないっていう状態なわけじゃないですか、バビーとしては。
で、やっぱりまだ今のバビーからあそこまで行くのはちょっと飛躍が過ぎるというか部分があるんだけど、
私、多分ああいう幸せな家族像みたいなのをバビーはまだ知らないはずだと思うので、
そのヘンリーは見ていたかもしれないけど、
なんかそのあそこで夢としてあそこでちゃんと見てたっていうことだけでも、
なんかバビーってすごいじゃんっていうふうにやっぱ思えるなっていうふうに話し聞いてて、すごく思いました。
バビーはすごいよね。
バビーはすごい。
あそこまで夢でも見れてる、夢でもあそこまでたどり着けるのかっていう過酷な状況から、
あそこまで夢を見ていくことができるって本当にすごいことだと思うんですね。
いや、本当ね、見てて怖いし、バビーすげえなってなるんですけど、
その人間が35年全部とは言わないけれども、
多分思春期までに味わう、自分と世界って違うなっていう厚生から生まれる痛みを一気に味わっていってると思うんですよね。
いや、僕あなたのこと好きですばって言ったら、やめろってやり返されるとか、
何やったらもう警察に捕まるみたいなこと、
そこまでのことってもうちょっと手前で学ぶんだけれども、
35歳のおじさんがそれをするからどうしても警察に捕まっちゃったりとかして、
他人に理解されないっていう苦しみとかっていうのも、
本来物心ついて思春期を経てその中で経験していくことを35歳で経験してっていう。
僕、リュウチゾで全然喋らないシーンあるじゃないですか。
人と喋れなくなったんだなと思って。
だから自分が持ってるサンプルでここを乗り切れないんだなってわかったから、
そもそも喋れなくなるっていうのはあって、
僕結構子育てしてても身に覚えあるんですよね。
その叱り方複雑だとそれに対しての返し方がわからなくて黙るっていうのは結構身に覚えがあって、
30:06
その複雑な社会的な概念、その中で正しくないことをしてるっていうのがわからない。
それに対して何を返していくかもわからないから、
選べるものは沈黙しかないっていう。
そうじゃないと攻撃されるから。
結果的にそれによって別の攻撃を受けるんですけど彼は。
今の自分の手札ではこの世界で生きていけないっていう絶望って、
あれ35歳で味わうのめちゃめちゃきついなって見てて思いましたね。
お便りでもらったマネルとかサンプルを取り入れるっていうことで、
私一番悪い見てて思ったのが、
人間って自分が受け取ってきたもので出来上がってきてるんだなってすごい思ったんですよ。
でもそう考えたときに、
バビーが今まで受け取ってきたものを考えるとすごく残酷だなって思うんですけど、
でも自分がかけられてきた言葉を使って、
自分がかけられてきたような感情とか意味とは違う使い方をしてることにすごく感動したんですよね。
それこそが、そこにすごく彼の自由さを感じて、
それがこの映画の一番好きな部分かもしれないんですけど、
彼が言葉を覚えていくんだけど、
ちゃんと彼なりに言葉を使うところを考えて、
それを人を傷つけないように使ったりとか、
そういうことをしてるのが、すごく言葉の可能性みたいなものをすごく感じましたし、
それがいいなっていう。
だからすごく脚本というか、構成がすごい上手いなと思って、言葉を。
彼がかけられてきた言葉って、私たちも映画の中でかけられて覚えてるわけですけど、
それをこういうふうに使うんだっていうのがすごく痛快な部分もあって、
そのユーモアもあるじゃないですか、彼なりに。
そこがバビーの魅力だし、人として単純に好きになるところというか。
確かにバリバリ言葉の使い方もシチュエーションのやり方とかもすごく上手くなっていて、
成長をめちゃくちゃ感じるし、結構それは我々もやってるけど複雑なことをやってるんだなって普段っていうのを、
あまり気にはしてないけどみたいなのはすごくあるなっていうのを、
あの映画一本でその複雑さの獲得までを目ごとに描いてるっていうのは確かにそうだなって思いました。
なんか言葉って意味では、マリオさん音楽映画だっていう話もされましたけど、
その本作における音楽って言葉なんだなっていうのもすごい思ったんですよ。
彼が音楽の演奏者のところに行くと、
まあ音楽というもの通じあってなんだけど、
33:02
多分言葉以上にそこでコミュニケーションが取れているような描写が結構あると思うんですよね。
例えばそのバイオリンの奏者の家に不法侵入していくわけですけど彼は。
でもバイオリンの弾き手としては気持ち悪がるんじゃなくて、
熱心に聴いてくれてる彼に対して、きっと届いたんだろうっていうような表情を見せるとか。
あるいはパイプオルガンを弾いてる無心論者のおじさん。
あの人がバービーが聴いてる姿を見て、
何も彼は言っていないんだけど、でもそこから何か感じてるみたいな。
それはおそらく無心論者のおじさんがパイプオルガンを弾いていることで伝えようとしていたものかもしれないわけですよね。
それってたぶん、ある種のノンバーバルって言葉もあるし、
たぶんそれの行く先というか末にあるのが、
言葉を持てない人たちの言葉っていうのを彼が解するってことだと思うんですよ。
だから彼にとって言語であるか言語でないかっていうのはあまり関係がなくて、
そこに気持ちのこもった音声であるかどうかってことが大事だっていうふうに描かれているのが、
確かに音楽映画というふうにも言えるし、それが言葉についての映画だなっていうのもちょっと思って。
そう考えたら、最初猫と話してたのも話してたんだなって思いました。
そうそうそうそう。絶対話してたんですよ。
確かにめっちゃ泣き真似うまかったしね、そもそもね。
すっごい物真似うまいなっていうか、本当になんか通じてそうでしたもんね。
あの無心論のおじさんは結構危険なことするなと並べてましたね。
諸星術を身につけてない人間にいきなり無心論の言葉だけインストールして、
しかもバビー元々持ってる語彙が結構汚いから、
もうその無心論というかもうアンチキリストみたいに聞こえるんですよね。
いきなりそんなの言われたらちょっと大変なことになるんじゃないかっていう怖さがあって、
実際あれバンドとしても、ちょっとまあなんというかアンチキリストまでは言わないけれども、
もうだいぶ反対性ロックみたいなズバリパンクだと思うんですけど、
もうちょっとあれ狙ってやるのはいいけど、
無自覚でやってるのめちゃめちゃ怖いぞと思った。
確かにあのおじさんだけはガチだなって感じでしたけど。
あのシーンめちゃめちゃ唐突でしたからね。
何あの工場というか研究だというか。
多分何かまあ概念としてなんかめっちゃ口で説明できるわけじゃないんでしょうけど、
バビーも多分キリスト教的な感じの価値観みたいなの植え付けられて育ってそうではあると思うんですけど、
おそらく母親からするとキリストの像も飾ってありましたし家の中に。
まあだとしてもあの無心論者のあれいきなり言われたらもうバグりますよねっていうのは確かにそうですね。
でも何かそう考えたら、
彼はそこで学んだ言葉を彼女の家に行った時に使うじゃないですか。
36:04
もしかしたらそれって彼女の、何て言うのかな、
彼女のこと思ってっていうふうに思っているんですけど、
その時にさっき大井さんが言ってた、母親そのものじゃないかもしれないけど、
自分が受けてきたものに対する反抗っていうのも、
もしかしたらあのシーンのあのセリフっていうのはあったのかなと思うといいなと思いました。
神を罵ることで救われるっていうのは結構熱い。
確かに熱いです。
あそこで反抗期を経てるっていう感じですもんね。
あそこでちゃんといかれてたんじゃないかなって。
その言葉を怒りとして使えたんじゃないかなと思って、
それが彼女のためだけじゃなくて自分が受けてきたものに対しても
それを重ねることがもしかしたらできてたシーンなのかもしれないですね。
そう思うとめちゃくちゃあのシーンもっといいですね本当に。
あのシーン一番僕好きだったんですけど、
あのエンジェルの親にもうすごい酷い言われようだったと思うんですけど、
あれに対してちゃんとそれ違うよってちゃんと言い切るところみたいのがめちゃくちゃかっこいいなと思って。
パピーかっこいいんですよね。しかもちゃんと。
めっちゃかっこいいですよね。内面もだし見た目もかっこいいと思うんだよな普通に言うっていう。
なんかあの途中で綺麗な服着せられてる時に、
ナンパした相手の女の人もなんか言ってましたけど、
ハンサムだからからかわないでみたいなこと言ってましたけど、
そうなんだよなと思って。
あそこめちゃめちゃハンサムですよね。
急に。
ちゃんとしたらすごいハンサムなんだよなと思って。
あそこ言語くずやからなって。
あーあーって感じですもんね。
まあそのまあちょっと実はまあ意外とすどみも意外とかっこいいぞってのはちょっと一回置いといても、
でもやっぱその内面のやっぱかっこよさというか、
あそこでちゃんとなんか人のこと思えるみたいなところを、
ちゃんとそこ口で出せるっていうところみたいなところになんか素直に感動してしまいますよねっていうのがやっぱあります本当に。
実際それは違うよって言葉にすることって、
現実に難しいことだってあったりするじゃないですか。
ああいうシチュエーションとは抜きにしたとしてもですよ。
いろんなこと、これは間違ってると思うってことを、
我々ってなかなか言えずにそのまま過ごしてしまうことってたくさんある中で、
やっぱあそこでちゃんと彼なりの言語で、
ちゃんと違うよって言ってること、
そしてその愛する人のためになんかお肯定してくれるような一言をちゃんと言ってくれることっていうのはすごく素直に感動的だなっていうふうには思いました。
自分の気持ち、自分の感情とか自分の意思っていうものをどんどんちゃんと理解してというか、
すごいその意思をしっかり持ち始めるじゃないですか。
バンドのメンバーに言われてもニコに会いたいから帰ったりとか、
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それこそ自分の気持ちに気づく時とか相手の気持ちに気づく時っていうのもそうなんですけど、
自分の中にある気持ちとか意思っていうのに気づくのに結構タイムラグがあったりするじゃないですか、生きてて。
それをすごいあんまりそのタイムラグがなくちゃんとキャッチできてるっていうのもすごく彼の魅力の一つなのかなっていうのも思ってて、
それをちゃんと大切にできるというか、大切にしてるっていうのは、
でもなんか人によって好きなシーンが結構違って面白いですね。
ちなみに僕好きなシーンあれなんですよ、
一番最初に彼がストレート時に音楽に出会うシーンがちょっとやっぱもう泣けちゃって仕方ないですよね。
すごい大石さんっぽい、大石さんらしい。
なんかつくづく自分はそういう瞬間弱いんだなって思いましたけど、
彼の生きる意味じゃないけど、ある種すごく純粋に生きる意味のもっと手前にあるようなもの、
方画みたいなものに出会った瞬間だなと思って、
彼の人生の方向が多分彼の意思しないところで決まっていた瞬間だなと思って、
なんかあの瞬間がすごく自分は泣けてしまうんですよね。
もう1回見たくなってきたもん。
いや、結構普通にもう1回見たいんですけどね。
劇場でやってるうちに。
今ここまで話してみても、
なんかこれを話を踏まえた上でもう1回今見たいなってすごい気持ちになりましたもん、今。
結構1回目は圧倒されてるとこもあるから。
そうですね。
僕はやっぱりレイチェルを抱きしめるシーンと、
そこも良かったですね。
あと、エンジェルとセックスするシーンはマジで良くって。
うんうん、わかるわかります。
初めて愛あるセックスをするわけじゃないですか。
ずっとね、母親と虐待としてしてきて、
で、まあ外の世界に出て、
まあ割とカジュアルにちょっとしちゃうんですけど、
逆にあれもすごいなと思い出してくるね。
確かに。
あの感覚でできるんやっていうのを覚えたら、
割とこじれると思うんですよね、その後。
確かにそうですよね。
どころか思わず大丈夫なのかみたいになっちゃいそうな気がしますけど。
ちょっとその、嬢女がまだ子供の人に対して、
あのイベントはちょっと後の人生狂いかねないぐらいの、
一大イベントになっちゃってたとは思ったんですけど、
ただまあ、何だろうその、
割と良いものっていう側面をあそこでちょっとだけ味わってて、
で、もっとよりその関係の深い、
この感情のつながりの強い関係の中でするっていうのを、
そのシーンが最後にあるっていうのは、
すごい良かったですね。
いやあれ、あそこまで至るのって、
ちゃんといい成長の仕方をしないと、
あれは至れないはずなんですよ。
だから、ものすごい勢いで成長していってるんですよね、あれ。
ちょっとまあ、反抗期的なものとして、
42:01
もともと母親から信仰心も強く強制されて育った中で、
無心論と同時に母親に対する抵抗っていう、
反抗期っていうのも経た後で、
あと僕が、バビーがすごい成長してるなと思ったのが、
ロックバンドで歌ってて、
ロックの音がガガガガガって鳴ってるのが、
だんだん教会の音楽みたいになっていくシーンがあって、
だからそういう無心論的なものを経てるけれども、
彼の中で至る位置ってやっぱり信仰なんですよね。
そこに戻っていくんですよね。
だから一度彼は神を疑ってるんですけど、
それはある種の親バナナとして、
それを経て、でもやっぱりその先にあるものは、
やっぱり信仰なんですね、彼は。
彼の乱暴な言葉遣い、乱暴な歌、
今までの人生で味わってきたような無茶苦茶なことを、
そっくりそのまま表現するっていうこと自体が信仰なんですよね、
彼にとって。
それがなんかね、すごい良くって、
さっきもみたいな話しましたけど、
表現ってそういうことだなと思って、
誰かに認められるっていうのは、やっぱり副次的なものとしてあって、
まず事故をこの世界に打ち付けるような行為としてまずある。
それをやるっていうのがすごい良いんですよね。
それを認められるかどうかっていうのは、
副次的なものだし、それで認められたとしても別に、
本当の自分じゃなくても良いんですよね。
まずは自分が自分を表現して、
それで生きていくことができる、
この世界にいることができるっていう、
その時点で彼の人生は一旦できてると言っていいと思うんです。
こっから先また別の試練が待ってると思うんですけど、
ただ人生でやるべきことはできてるなと思ったんですよ。
僕見てて本作って実存の話やなと思って、
世界に放り出されて母親の火をもなくなり、
信仰っていう意味も一旦剥奪された状態で、
じゃあ自分の生きてる意味って何なんだろうっていうものを
もう一回獲得していく話っていう、
それはやっぱり好きなんですよ、それ。
実存の話がめっちゃ好きなんで、
それをある意味最も原始的にやってるというか、
本当にちょっとやそっとのブランクじゃないんですよね。
本当に人生が35年間丸ごとなくなるようなことを経た先に、
それでも俺は生きるんだっていうことを、
世界に打ちつけるという行為を始めるっていうのが、
その実存の答えとしてめちゃくちゃ良いだと思いました。
そうか、確かに実存の話なんですねって、
確かに今山口さんの説明を聞いて、
そうかって今すごいめっちゃ納得しました。
45:01
本当に自分を構成するものが一個一個削ぎ落とされていって、
それでも残るものが自分でそれを表現していくみたいな話って、
僕好きだなっていうのは、それはなんかよくね、
例えばですね、007のスカイフォールとかってそういう話だと思うんですけどね、ある意味ね。
それもめちゃかっこよくやればああなるんだろうけど、
それを本当に人間性というところにおいて、
それをまたすごく現象的な部分をめちゃくちゃしっかり見つめることで
生まれるのがやっぱりワールドレコバービーって作品なんだなっていうのは、
今すごくなんか話聞いててすごく納得しました。
山口さん最後に彼が進行に戻っていくって話をしていて、
僕それこそラストの描き方ってすごく神の視点だなって思ってみたんですよ、実は。
この映画の中でそれこそバービーの反省というか、
35年間のこともそうだし、あるいは無心論者のおじさんが彼に言うこと、
あるいは世界の彼への当たり方っていうのもそうですけど、
結構キリスト教的な価値観を否定していくと思うんですよね。
それこそ賛美歌を歌ってる人が彼と行きずりのセックスをしたりとか、
反クリスチャン的でもあるような描写をたくさん描いていくんだけど、
でもどこかで最後、彼のことを見ている存在がいるんだなっていうことをちょっと見た気がして、ラストに。
ラストにエンジェルと一緒に家族というか子供を得て家庭を持っていく彼のことをどこかで見ている存在がいるっていうことを、
なんか作り手が信じてるのかなって気がして。
それはもちろん、きっと何か全員を救ってくれるようなそういう神ではないんですけど、
ただただ見ている存在としての神というか、
なんていうかおてんとさん的な神と言ってもいいかもしれないんですけど、
彼のことをただただ見て見守っている存在は確かにいるかもしれない。
そこに対しての祈りみたいなものを彼は歌を通して知っているのかもしれないっていうところは、
なんかすごい僕も納得できるところで。
僕はラスト結構そういう視点で見てたんですけど。
信仰の話として、もうちょっと解釈をあえて広げるとしたら、
あの無神論おじさんってサタンかなって思って、
神ってカスじゃんって、人を救わないよねって疑った方が良くないっていう誘惑をしてくるっていう。
でもやっぱりそれら全部経た上で、やっぱりそっくりそのままわかりやすい信仰ではないけれど、
やっぱり彼のやってることは信仰にたどり着くっていうのは、
すごい本当に宗教的な話だなって気もしましたね。
それこそラストの直前にその宗教Aと宗教Bみたいな話になっていて、
バンドメンバーの一人かなが、宗教論の話を突然バビーに解き始めるシーンがあるじゃないですか。
ちょっと面食らいましたね、あそこね。
突然すごい思想の話するみたいな。
いきなりA、Bって何みたいな話かと思いましたけど。
なんかバビーの話を見てきた後で、あの話を受けるとすごいなんか飲み込める自分がいるんですよ、どっかで。
48:02
なんだろう、もちろん僕自身はそんなに、無神論者とほどは言わないにしても、
そこまで何か特別な宗教に対して深入りしてる感じではないにしても、
なんかそういう存在のことを、そういう存在を巡って人々が争っていることを、
なんかもう一度バビーの人生を経て、もう一度見つめ直してみないかって言ってるみたいで、
それだってパンクロックのメッセージそのものじゃないですか。
だからなんかすごくその、反キリスト教的でもあるし、キリスト教的だし、
すごくやっぱそこは作り手の信仰心みたいなものの現れ方がすごい面白いというか、興味深いなと思って。
宗教っていうものを離れたところにも信仰ってもちろんあると思うんですよね。
うんうん。
で、神っていう存在も宗教っていうものに規定される人もないと思うんですよね。
うんうん。
だからその、なんて言ったらいいのかな、結構キリスト教の話ってなると、
どうしてもちょっと自分と無関係っぽく思えてくるじゃないですか。
はい。
無関係っぽくというか。
日本人としてはそうするね、ありますよね。
そうなんですよ、違う文化のものっていうふうな感覚はあるんですけど、
でもなんかその、結構本作で描かれる信仰とかっていうのは、
もちろんキリスト教っていうものとかも描かれてるとは思うんですけど、
そこに規定されない部分での信仰、
各々が信じてるものとか信じたいものっていう部分での信仰っていう感覚もすごい強くて、
なんかいつも思うのが、結局この世の中って自分が信じたいものをみんな信じてるだけだなと思うんですよね、
全てにおいて。
だから私はあんまり、そういう意味では陰謀論とかもあんまりバカにできないなというか、
一緒だなって思うんですよね、彼らも自分も。
信じてる何かを信じてるという意味では。
その中でより強いもの、より強く信じてるものを見つけられるっていうのは幸せなことだなと思うので、
ワビーが私たちが映画で見てきたような時間を通して、
もう一度信じるものっていうのを彼なりに見つけたんだとしたら、
それはすごい素晴らしいなって思います。
本作で無神論おじさんとか、
あと宗教対立を語るバンドメンバーとかっていうのが割と急に挟まると思うんですけど、
そこで今言ったような、信じるって何なんだろうみたいな、
のがちょっと話の交換にあるなっていうのがなんとなく察せるじゃないですか。
割と唐突に挟まってるから。
そこでやっぱバビーの信仰の形というか、
信じるということの形に僕らが交換を持ってるのって、
やっぱりそれが祈りだからだなと思って、
バビーは祈ってると僕は思うんですよ。
51:02
自分のこれまでの人生で見たこと、感じたこと、聞いたこと、
全部そのまま出すことで、
それを全部成立させようとしてるというか、
肯定しようとしているっていう感じがするんですよね。
それは結果的に他者肯定にもなってるんですよね。
それをただ意味を問わずに叫び続けるっていうことが、
すごい祈りとしてそこにあるのがいいんですよね。
僕は前田さんがさっき言ってたような、
結局人間はみんな自分が信じたいものを信じてるだけだっていうところ。
それで陰謀論もある程度同じなんじゃないかなっていう。
でもやっぱり僕は陰謀論の中でも否定したいものは誰かあって、
祈りが含まれてない信じるという行為は僕は否定したいんですよね。
僕も祈りが含んでることを信じたいと思ってるんです。
そうでなければならないと僕は思ってて。
例えば映画の話するのも僕にとって祈りなんですよ。
僕はほんまにそう思ってはいて。
ラストの方でバビーがどんどんバンドとしてやっていって、
ラストでエンジェルが出産して子供ができたっぽいエンディングみたいなところで、
僕はあれを現実のものとして肯定したいなと思ったのは、
やっぱりバビーのような人間が、
この世界に生きていていいっていう物語を打ち付けるっていうことをやってるっていうのが、
すごい良くて、
例えば本当にバビーみたいな人がいた時に、
君はこの世界にいていいんだっていうメッセージになってると思うんですよね。
僕はそれがすごく良くて、
そこにすごい感情移入して見てたんですけど、
僕もそういう気持ちで生きてるとこがあるんです。
僕は学生時代の自分が本当に嫌で、
自分は消えたらいいし、世界滅んだらいいと思って生きてたんですよ。
ギリギリ社会にいるだけの人間だと僕は思ってて、
知りの人からしたら言い過ぎって言われるかもしれないですけど、
僕の自意識はそうだったんです。
僕は自分の自意識で自分を殺しかけた人間だと自分のことを評価してるんですけど、
ただ僕はまだ生きてるんですよ。
でも、もしかしたらこの世界に自分と同じような人間がいた時に、
僕が今日もまだ生きてるっていうことは、
その人も生きていていいっていうことになるって信じてるから、
僕は生きてるんですよ。
その人の人生を肯定することができたら、
それと同じ、どこかにあるかもしれない、
この世界にある誰かの人生を肯定することができるんじゃないかっていうのを、
僕はこの作品がやってるような気がして、
僕はすごい好きなんですよね。
そうですね、確かに。
肯定してくれるというか、
僕はその信じるとか、
あと世界が拒否もしないし、
54:00
受け入れてもくれるような余地もあるみたいなっていうのとかで思ったのは、
信じることも世界の存在もフラットっていうことがすごく大事なんだなっていうふうに思って、
信じすぎるのもやっぱり良くないし、
全く信じないというのもないなっていう、
それで何を生きているんだみたいな気持ちもやっぱりなるし、
世界は当然受け入れてくれることもあるし、
全く受け付けてくれないこともあるしみたいな、
そのフラットさがやっぱりすごく大切なんだなっていう、
フラットでオープンであることみたいなのがすごく大切なんじゃないかなっていうふうにはすごく、
今回の映画を見ていてすごく思っていて、
そういうオープンなマインドというかフラットさっていうのが、
なかなかみんな用いれるものではないと思うんですよね。
やっぱり信じたいものしか信じない人はいるし、
なかなかオープンにいるって難しいことだと思うんですけど、
けどそれをこの映画を通じてそういうのにこそ人間性が宿るんじゃないかっていうのが、
すごくやっぱり感じられるし、
それをすごく僕も信じたいなっていうふうに思いましたね、今回見て。
前田さんが推してくれたおかげで見れました、本当に。
良かったです。
これは本当にそうですね。
推してくれなかったら絶対見なかったです。
なんか意外とあれですよね。
なんかあんまり知られてないですよね。
皆さん知らなかったですね。
あと公開規模考えたらお便りにつってだいぶ多いと思います。
本当に。
確かにそうですよね。
本当にやっぱり。
なんか届くべき人に届いてほしい映画だなっていう。
これをきっかけに本当にたくさんの人に見ていただけたらもちろんいいし、
本当に必要としている人のもとにこの映画が届くことをまさに祈る。
本当にこのラジオを聞いてちょっとでも興味持ってくれたらでもいいと思いますし。
多分このラジオを毎回聞いてくれてる人は多分好きって言ってくれそうですよね。
なんかわかる。
そういう予感が勝手にしてますね。
合う合わないもちろんあると思うんですけど。
多分何かしらに触れる部分というか、
心に来るような部分が絶対なんかあるんじゃないかなっていう気がしちゃいますね。
はい、じゃあこの辺で一回話は終わっとこうかなと思うんですけど大丈夫ですか?
はい。
大丈夫です。
わかりました。
はい、では悪い子バビーの話を終わりたいと思います。
次週なんですけど、次週はゴジラマイナスワンで大丈夫ですかねって話でしたよね。
はい。
大丈夫ですよ。
いいですかね、ゴジラマイナスワンで。
うん。
やったー。
でももう公開なんですね。
早いっすね。
もうなんかまだ遠い先のイベントかと思ってたんですけど、
あ、もうなんだっていう感じですね。
2024年ぐらいの感覚でしたね。
確かに。
そうなんですよ。
なんていうんですかね、なんかシンゴジラの時はめちゃくちゃじらされた覚えがあったんですけど、
あんまそういうの今回ないじゃないですか。
結構発表からすぐですよね。
あ、もう普通に予告編でなんか普通になんかこんな感じなのかみたいなのが見れるみたいなのがなんかちょっと不思議な感じですけど、
57:07
いやでも楽しみですね。
なんか評判いいじゃないですか。
山崎隆監督なのに。
いやそうですよね。結構監督に不安をめちゃくちゃ感じてはいるんですけど。
確かに監督に対してちょっといろいろ言いたいことあるぞってなることが多いんですけど、
今回ちょっとしかもまたゴジラというタイトルでそれをどうなっちゃうのかなっていうのはすごく気になりますよ。
制作の完成発表か何かで山崎隆監督と庵野秀明監督が並んで挨拶している場があったんですけど、
庵野監督がその時にね、よくやるよねみたいなことを言ってて、
シンゴジラの次にっていう含みで思うんですけど、
多分めっちゃ嬉しかったんやろうなと思って。
自分に相並んでくれる人がいるっていうの嬉しかったんだろうなって僕は勝手に想像して勝手にエモくなってました。
仲間感がありますもんねやっぱね。
双方ね、切り口は違うと言えどやや言われるお二人じゃないですか。
確かにですね。
だから特にオタク界隈からの受け入れられ方はだいぶ違う二人だと思うんですけど、
でも同じ土俵に立てる二人なんですよね。
いやめっちゃいいやんと思って。
ちょっと楽しみになってきましたね。
そうなんですよ楽しみなんですよ。
ちょっと予告見るとね、なんかあのすごい感情的な叫び声のシーンが多くて、
なんか超邦画っぽいぞみたいな気持ちにはなりましたけど。
僕は山崎隆からこうドヤって言って僕らがギャフンってなるっていう未来を僕は信じてますよ。
ギャフンって言わされたいっていう。
そもそも僕やや言えるほど山崎隆監督の作品見てないんですよよく考えたら。
なんか会話だけがすごく言ってるけれども、なんかよく考えたら見たことないぞと思って。
あれか、スタンドバイミードラえもんか。
ドラえもんそうですね。
スタンドバイミードラえもんっていいんですか?
あれは…
僕はうーんですね、1はまだしも2はめちゃくちゃダメって感じですかね僕はね。
1もそんなに良くないけど2はもっとダメみたいな感じだったら覚えられます。
でもキセイジュウとかもね山崎隆監督ですからね。
そうだそうだ。
意外と良かったし。
だから確かにいい作品もあるんですよ。
そうだしね、僕アルキメディスも大好きなんですけど。
マリオさん一押しの。
そう一押しなので、やる時はやる男ですよっていう風に思ってますよもちろん。
だからこそ期待してるし、ややのややの言っちゃうみたいなとこはやっぱあるのかなっていうのは思います。
1:00:05
11月ね、こっから暑いですよ。
性欲あるし首あるしで、お忙しいですね。
首ね、めっちゃ楽しみにしてます。
首楽しみですよね本当に。
年内一番楽しみかも。
カセリョウが楽しみすぎて、カセリョウのモノマネしたいですもんねなんか。
死ぬ気で働けみたいな言い方なんかめっちゃ身に残るんですけど。
いい終わり弁なんですよね、信長が。
下手いの終わり弁なんですよ。
みんな殺しきらっとるやげんみたいなのがめちゃくちゃ面白いっていう。
そう、一人だけ終わり弁なんですよね。
他の人は割と標準語的な感じやから。
いや、秀吉とかもそっちの出身じゃねっていうのはあるんですけど。
そこはあえてというか、信長の異形感を際立たせたいんでしょうね。
超楽しみや。
よく見たらナポレオンもめっちゃ面白そうだし。
楽しみなやつ多いですね。
すごいっすよね。スコセッシーがある後にイドリー・スコットが待ってるなんて。
なんてこった。
ここから年末に向けてどんどんヒートアップしていきますよ。
というわけで来週はゴジラということで。
はい。
行きたいなというふうに思います。
では、お知らせになります。
11月の映画の話したすぎる場を開催予定です。
場所は大阪の南森町にある週刊マガリ。
11月の25日土曜日19時オープン23時クローズとなっております。
あと、映画の話したすぎるバーの第2回関東開催が決定しました。
場所はイベントバーエデン横浜。
日付は12月16日土曜日18時オープン23時クローズとなっております。
さらにこの日は初の公開収録を開催予定です。
場所はネイキッドロフト横浜。
10日開場、12時半開始、15時半ごろ終了予定となっております。
また、この番組ではお便りを募集中です。
番組全体や次回テーマへの感想などご自由にお送りください。
バーの最新情報、次回テーマはxツイッターにて告知しておりますので、ぜひフォローをお願いいたします。
お便り受付先、xアカウント、番組グッズやディスコードサーバー、参加などのご案内を
番組説明文に記載しておりますのでご確認くださいませ。
それでは映画の話ししたすぎるラジオ第140回
悪い子バビーの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さようなら。
さようなら。
01:03:03

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