あのー、なんていうかな、殺し屋物ってまあ昨今よくあると思うんですよね、そのジョン・ウィッグだとか。
さっきのシスとかもそうかなと思うんですけど、その軽快さだったり、あるいはアクションみたいなところが結構重きを置かれるんですけど、
今回のザ・キラーはもうとにかく冷たいんですよ、ずっと。
うんうんうん。
完璧主義の男がちょっとしたミスをしてしまって、で、それをあるミスに関して追い目を覆されそうになって、
いや、それは違くない?ってなって、雇い主をどんどん殺していくって話なんですけど。
あの、怖いんですよ、とにかく主人公。
へー。
完璧主義すぎで淡々と無表情で仕事をこなしていくんですよ。
で、それがデビッド・フィンチャーならではのこうまあドライというか、そのほんと冷たいタッチでずっと描かれていくんですけど、
なんかその一個一個の諸差含めて、その完璧主義さの怖さが、もう怖さ通り越しちょっとかっこいいまでいくというか、
ちょっとだけもうなんか、まあエモーショナルというかなんだろうな、憧れすらいだくぐらいのかっこよさまでちょっといくんですよね。
なんか久しぶりに映画見終わった後に、この主人公の真似、真似したいってちょっと違う気がするんですけど、
でもなんか勝手にこう入ってきちゃう時あるじゃないですか、街歩きながらその主人公のつもりになっちゃうみたいな。
うんうんうん。
久しぶりにそういう気になりました。
なるほど。ザ・キラーは僕も見たんですけど、
まあなんか確かに、あのちょっとまあ真似したくなるぐらいちょっとかっこいい主人公っていう意味では、
あとまあテーマ的な意味でも、結構ファイトクラブに近いなとは思って。
わかる、確かに。
ですけど今回、フィンチャーでいうと。
ただなんというか、ファイトクラブみたいなカタルシさなく、ひたすらダウナーでローなテンションっていうのが今回のザ・キラーっていう映画かなっていうふうには思ってたんですけど。
そうですか、真似したくなりましたか?あの変なマクドナルドの食べ方を真似したくなるとかですか?
あのね、バンズを抜いてねってやつとか。
はい、変な食べ方するんですけど。
バンズを抜く?
そうなんですよ。
なんていうか、まあ淡々と、要は肉だけ食べれればいい、タンパク源だからって言いながらバンズをこう置いて、バンズ以外のところを頬張るっていうシーンがあるんですけど。
へー。
そういう、まあ印象に残るんですけど、変な食べ方してんなっていうので印象に残ったりとか。
例えば、ちょうどあれって張り込み中じゃないですか、とあるターゲットを狙うための。
そうですね、張り込み中のシーンです。
だから、炭水化物とるとたくさん眠くなるもんねとかってちょっと思って。
まあまあね。
だから、すごい完璧主義者で、あとまあ、なんていうんですかね、ひたすら喋ってますよね。
ひたすら。
モノローグですけど。
ね、モノローグがずっと流れてますよね。
延々と喋ってるんですよ。
自分のなんかその、なんていうんですかね、起きてと言いますか。
ひたすらモノローグで語ってて、もう即興はなしだと。
もう、ちゃんと計画通りにやれみたいなことをずっと言いかせてるんですけど、
まあ、冒頭早速ミスるっていう大爆笑シーンをかましていくっていうようなやつなので、
まあ、なかなかね、興味深いやつっていう。
だから、意外とモノローグ通りにはあいつ動いてないんですよね、完璧主義な割には。
そう、アドリブはなしだって言ってるけど、結構アドリブばっかりだし。
割とお前アドリブばっかだぞっていう感じもあるんですけど。
でも、平常心を保つというか、表には見せないというか。
そうですね、なんかシステマチックに何もかもしなきゃいけないって思ってるけど、
それやってたらなんかいろんなもの落ちてしまうよねっていうのを描いてるような映画でもあるかなっていうふうには思ったので、
その主人公の矛盾もだし、主人公が巻き込まれることになるのも大きな構造の中の話だなっていうのがあったりするので、
そういう意味でもなんか社会批評的な感じなのも含めてやっぱファイトクラブなのかなみたいなふうに思ったりしたので。
大石さんのツイート見て、なんかそういうタイプの映画なんだって思って見てたんですけど、
なんか不思議だなって思うのが、殺し屋ものって割とその殺し屋のプロフェッショナリズムみたいなところにフィーチャーしてる作品多いような気がしてて、
例えばゴルゴ13とかも結構仕事論とかと紐付けられることもあるじゃないですか。
でもよくよく考えたら、職業としての何というか規定を守ってても、
人を殺したらダメっていう一番大事なルールを守ってない人たちじゃないですか。
そうなんですよね、確かに確かに。
そこがなんかちょっと面白いなって思って、だから仕事っていうものの一つの目標みたいなものとして、
公共の利益に報いるみたいな側面ってあると思うんですけど、
殺し屋は絶対そこには報えることができない職業じゃないですか、絶対に。
でもそれとは別に他人がどうとかじゃなくて、
俺がやるんだこうやってっていう職人肩着の側面を語るっていうのも仕事の側面としてあると思うんですけど、
そもそも正しくないことを語るからこそ、
そういう己だけのルールみたいなところをフィーチャーして際立つのかなっていう殺し屋ものって。
一般の仕事でその職人肩着って普通というか極端なことにはならないから、
そこを人を殺すって一番大事なルールを破ってることで、
むしろその人のプロフェッショナリズムが際立つっていうのがあるのかなっていうのを思いました、話聞いてて。
確かにそうですよね、殺し屋特有のねじれ。
多分その仕事としては理想的な仕事の仕方をしているんだけど、
だけどやってることは全く違うっていうそのねじれに多分違和感もあるし、
その違和感がフックにもなるってことですよね、僕らが見るにあたって。