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エイドリアン太郎のテーマ曲
はい、というわけで始まりました。本日はですね、
うっくつ精神科医占いにすがるという本を読んで、ちょっと面白かったのでその話をしたいんですけど、
書いている笠田恵子さんという人は精神科医でなんですけど、
うっくつしていると。
でですね、うっくつしているんですけど、そのうっくつの仕方が本当にですね、
なかなか厄介な感じだなって感じだったんですけど、
出だしのですね、その一段録を読むとですね、
不安感、不全感や迷い、そういったクロクロとして不透明なものが心の中に広がってくると耐えがたい気分になる。
我慢にも限度があるし、努力で乗り越えられるくらいならばそもそも問題にならない。
無力感と苛立ちという緩めなさに打ちひしがれる。
まあここまではね、まあそういう気持ちもありますかって感じなんですけど、
気分転換を図ろうにもそれが気休みに過ぎないことがわかっているから厳しそうを返してしまう。
いっそ心の病気であったならよほど割り切ることができそうだが、
病的ではあっても病気ではないらしいところがかえって出口のない事態に思える。
抗精神薬を服用することで抗生物質が細菌を駆逐するように心の中の不透明なものを払拭してくれればいいのに、
そんなハッピーな天末など期待できないことは仕事柄熟知している。
なんて言うんですかね、自分自身が精神科医だから、
頭も良いしね、想像力もあるんで、
苦しいと、ああ苦しいってなるんだけど、
普通の人だったらそこまで想像力がなかったりとか思考力がなかったらですね、
常人の僕みたいな感じだったとしたら、
気分転換散歩でも行くか、みたいな感じですね。
それで紛らわせたりもできるもんなんですけど、
そういうことに発展する前に気休めでしかないしな、とかですね。
精神病なのかって言ったら、精神病じゃないことは自分が精神科医だから分かってるみたいな。
こうしたらああなるだろうし、ああしたらこうなるだろうし、みたいな感じですね。
自分の次の打ち手みたいなのがですね、
全てその先が想像できてしまうし、
自分自身が精神科医なんで、相談する相手もいないわけですよね。
ということでですね、めちゃくちゃ打つ手がないと。
でですね、出口がないわけですけど、
そんな風にですね、もうカウンセラーとかのところに行ったらですね、
相手のやり口はこっちが熟知してるんで、
はいはい、今そういう手法で聞いてるのね、みたいなことも分かっちゃうからカウンセラーにも行けないと。
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というのでですね、いろいろ悩んだ挙句、
占い師のところに行こうって言って、占い師にまさに巣があるっていう話なんですよね。
でですね、これがちょっと面白いなと思ったのがですね、
僕自身結構占い好きなんですよね。
椎茸占いとか毎週見てるし、
取材で2回、自分でお金払って1回占い受けたことあるのかな。
それもですね、結構楽しい体験として残ってるんですよね。
でですね、占いはですね、占いを信じておくと楽なんですよね。
何かが起こった時に占い師のところに行って、
占いを信じておくと楽なんですよね。
何かが起こった時に占いを理論的裏付けというか、
占いを裏付けにするとそれも楽なんですよね。
で、占いにこう書いてあったしなとか、こう書いてあったし頑張るかとか、
ちょっと大変なことが起こったら、
占いに書いてあったらあのことかしら、みたいな感じですね。
例えば僕だったら、生まれて初めて手相を見てもらった時にですね、
取材で見てもらったんですけど、
その時2人、僕ともう1人で見てもらってですね、
全然こちらの筋を任さずに見てもらったんですけど、
1人の方はですね、すごい普通なフラットな感じで見てたんですよね。
何かご職業こんな感じかしらとか、
こんな感じで気を付けてもらえたらと思うんですけど、
ぐらいな感じだったんですけど、
僕が手相を見たらですね、めちゃくちゃリアクションがでかくて、
スワーってなってですね、
これはってなって、
これはあなた良い手相よ!みたいな感じでですね、
これね、石原慎太郎と同じ手相よ!みたいな感じですね。
言われてめちゃくちゃ褒められたんですよね。
でですね、しかも2人で言ってて、
1人はすごいフラットなのに、
僕の方だけすごい褒めてくれるんで、
リアリティもあったんですよね。
何かすごい、本当そんなに良いんだ!みたいな。
客商売としてみんなによく言うんだったら同じテンションだろうに、
こっちだけ良いって言ってくれるんだ!みたいな感じですね。
何かこれはもう信じた方がお得だ!みたいな感じがしてですね。
で、その時さらに、
この手相のここのところに丸いくぼみみたいなのがありますよね。
これってすごい仕事に飽きるとか、
何かそういうようなことが起こるよ!っていうことなんですよ。
でもここさえ乗り越えれば必ず耐性しますから!って言われてですね。
で、その後ですね、
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僕は仕事上で、
何かなー、うまくいかないな、
何か良くないのかな、
俺この仕事に向いてないのかな、みたいな時にそのことを思い出して、
あのくぼみのあの時期か今は、
もうひと踏ん張りしよう!みたいな感じですね。
何かそれをですね、信じると、
そこから先あんま考えなくていいから楽ちんなんですよね。
っていう感じですね。
占いってそういう楽ちんな楽しさがあると。
しかも何かこう、所詮占いみたいに思ってると、
付き合い方としても結構楽しいなというところがあってですね。
一方で何か、この間ね、がんの本いっぱい読んだ時に、
がん患者の人がですね、
占い師にめっちゃお金払ってたりとかしてですね、
本当にこういうのはちょっと恐ろしいなと思った。
つまりそっちの方が主軸になっちゃうと、
悪意に弱くなっちゃいますよね。
相手が悪意ある場合にすごくやばいことになっちゃうわけですけど。
今のドイツ協会みたいになっちゃうわけですけど。
そうじゃなければですね、
適度な距離感あって付き合うと、
何か思考が止まるんですよね、あるところで。
という良さがあると。
でですね、この人、この笠川竹彦さんのですね、
この止まらぬ悩みですよね。
もう、これは悩みのジャグリング状態って言ってるんですけど、
ジャグリングの速度がどんどん速まっていってると。
ジャグリングが止まんないんですよね。
もう悩みをですね、両手でホイホイホイホイホイホイって
ずっとやってるみたいな感じですね。
悩みでお手玉し続けてると。
で、その玉をですね、どっかにポイッと放り投げられたら
まだ楽ちんなんですけど、
放り投げられないんですよね。
放り投げてもどうせこうなるし。
みたいな感じですね。
ひたすらお手玉を続けてしまうと。
というのでですね、
これは本当に厄介ですぞって状態でですね。
だからこの人が占いに行くっていう気持ちは分かるんですよね。
で、占いに行ったら、何というか、
この人の今、精神界であり文筆家である私っていう
なんというか、世界観って言うんですかね。
世界観があって、その世界観のベースにある
この人が無条件で鵜呑みにしていることっていうのが
占いっていうものに入ったら
別な世界観なので鵜呑みにしているものっていうのが変わるわけですよね。
変わると、今のこの人の立ち位置だともう出口がないと。
ジャグリングをずっと続けるしかないわけですけど、
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占いっていうステージに行った瞬間に
世界観も鵜呑みにしている前提条件みたいなのも変わるので
ジャグリングを止め売るんですよね。悩みのジャグリングみたいな。
でですね、実際この人はそんな感じですね。
最初に半分冷やかしみたいな感じで占い師のところに行ってですね。
で、占い師に聞かれるままに答えて話してると自分のこと。
で、母親がこんなんだったんでみたいな感じで。
で、母親に認めてほしい認められないっていうのがねみたいな話をし始めたところぐらいでですね。
もうオエツが始まったらしくですね。
ウワーンってオエツが始まって占い師さんによしよしってやってもらったらしいんですけど。
結局じゃあそこでやってもらってることは何?って言ったらですね。
この人がカウンセラーとかに見てもらっても相手のやり口知り尽くしてるしっていうカウンセリングとほとんど変わんないんですよね。
そのやられていることもその効果も。
でですね、なんだけど占いならばそれができるんですよね。
本当はそのね、悩みのジャグリングを止めたくてですね。
カウンセラーにこれも預けてみようこのジャグリングを手っぽいって投げちゃえばよかったんですけど。
投げてもしょうがねえしなと思ってたのがですね。
占い師相手には投げてたんですよね。
そこでですねちょっと悩みが止まるというかちょっとすっきりするというかみたいな感じがあって。
これは面白いなと思ったんですよね。
占いっていうのは何ていうか多分この本にも書いてあったんですけど。
これも面白いなと思ったんですけど。
占いも何かの理論に基づいた精神療法、科学的と言われている精神療法もやっぱりベースはそんな変わらないと。
一つの物の見方によって何というか体系づけられたメソッドの集合体みたいな意味ではですね。
結局占いもその精神療法みたいなのもあんま変わらないと言っていて。
そうだなと思ったんですよね。
だからその精神療法で何ともできなかった、知り尽くしているからこそ自分を救えないっていう人が占いにすがることで。
多少楽になるっていうのはそういうこともあるんだなと思ったんですけど。
こういう自分が普段鵜呑みにしていることを元にした世界観っていうのが自分が持っていてですね。
それと全然違う世界観っていうのに身を投じることでジャグリングを止められるということって。
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占いは一つとしてあると思うんですけど。
あとですね、僕が思うのはスポーツですね。
運動、スポーツっていうか運動か。
肉体的なことですね。
運動よりももうちょっと広いかな。
肉体的なことですね。
肉体的なこと、肉体を動かす、何かをする。
もしかしたら飯を食うとか感じるとかなんかわかんないですけど。
それを持っているですね、問答無用さというか。
例えば運動をしているときに感じる肉体的な感覚っていうのもすごい鵜呑みにできるものですよね。
だから悩んでいる人に対して、いいから体を動かせっていうのはやっぱりありなアドバイスだと思うんですよね。
もしくはゆっくりご飯を食べるとか、そういうのもありなアドバイスかもしれない。
散歩をしてみるとか、外の風景を見てみるとか、そういうのもありなアドバイスかもしれないですけど。
とにかく自分が鵜呑みにしているものを横にずらす、全然別なことにさらすことでジャグリングを止める。
そういうテクニックというか、そういうチャンネルをいっぱい持っていた方がいいんだろうなと思いましたね。
そのためには、占いかよと一回言いながら、そこに身を投じるとか、運動とかしてもとかって言いながら、一応やってみるとかですね。
とにかく何かに身を投じるっていうのは重要なのかなというふうに思いましたね。
というわけで、うっくつ精神科医占いにすがるという本の簡単な感想でした。
本日は以上です。ありがとうございました。