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2022-05-17 18:34

今日の10分de1テーマ「アニメ平家物語とドクターマンハッタンと平賀源内」

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。 ※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください。[beats by type-AB]

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はい、というわけで、昨日の続きです。
アニメの平家物語の話をしていました。
このアニメ、本当に素晴らしいところがいっぱいあるんですけど、
一つ何が素晴らしいかというと、オープニングがすごいんですよね。
オープニングを見るたびに泣きそうになっちゃうんですけど、毎回毎回。
どういうオープニングかというと、
平家の人たちが日々を普通に送っているという映像なんですよね。
平和な日々を送っているという映像で、
美和の女の子の美和ちゃんが一緒に遊んでいるみたいな感じなんですよ。
一方で、その後、いろんな戦争の場面も挟まってくるみたいな感じで、
この映画を誇っていたと言いつつも、
普通の人たちが素朴に暮らしている場面と、
その人たちが必死に戦争で戦っているという場面と、
何よりも平家が滅びるという事実を知っているわけで、
めちゃくちゃエモいんですよね。
さらに、このオープニングでも本編でもそうなんですけど、
平家の人たちがアーダー交代をやったりしている時に、
すごい自然描写が入るんですよね。
花が咲いたり、落葉をしたり、
波がバッシャーンと打ち寄せていたり、
鳥が飛んでかいつついていたり、
すごい入ってくるんですけど、
まさに諸行無常感があるんですよね。
人間の側が平家の側がアーダー交代をしているところで、
自然が全く同じペースで動いていて、
その対比で何やってるんだろうなぁ、みたいな感じがします。
また思い出したのが、
ある作家さんと話していた時に、
いつも話した気がするんですが、
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誰かと会話している時に、
よく、「で、オチは何?その話?」と言って、
半笑いで聞かれたりすると。
オチはあんの?とか、オチは何?とか言われると。
で、「オチは何?」とか言われると。
なんだオチだと。何がオチだと。
じゃあオチを言おうかと。
オチは全員死ぬだと言ってたんですけど、
それを感じるんですよね。
オチは何?って言われたら、全員死ぬ。間違いないですよね。
じゃあ平家。平家はすごい英雄が誇りましたね。
オチは?って言ったら滅びました。
そっかそっか。英雄が誇ってたのに滅びたのね。
それがオチね。はいはい。みたいな風にですね。
簡単に片付けられそうになるんですけど、
そのオチの前というかね、
オチなんかどうでもよくて、
オチの間、オチはどうせみんな死ぬと。
それは変わりないと。別に平家だって、
平家以外だってみんな死ぬわけで。
滅ぼした現地の方もですね、たくさん人が死んでる。
非合の死を遂げてるわけで、そんなに変わりはないわけですよね。
でもその間に何があったの?どんな人たちだったの?
っていうことをめちゃくちゃ描いてるんですよね、アニメで。
普通の人ですよ、みたいな感じで描いてるわけですよね。
それがすごいいいなと思うんですけど。
でですね、昨日話してたみたいな、
ある種ですね、現実には、もしくは未来には全員死ぬ。
だけど夢の中ではみんな生きてる。
同じくらいの重みがそれはある。
記憶の中で生きてるっていうのは同じくらいの重みがある。
みたいなテーマというか、そういうふうに僕は感じるんですけど、
これですね、このアニメの監督されてる山田孝子さん。
慶恩とかの監督されてた方ですけど、
この方は京都アニメの監督さんだったわけですよね。
京都アニメーションは数年前にものすごい痛ましい事件があったわけじゃないですか。
放火されて数十人も、会社のおそらくその時の中枢メンバーとか全員死んじゃうっていう、
僕もすごいショックでしたね。
なんていうか、とはいえですね、
クリエイティブの場面ってそんなに多くの人間が関わってないんですよね。
京アニみたいな一つの文化を作ったような会社とかでも、
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中枢は数十人とかするわけで、
それがこんな一つの暴力でこんなダメージを負ってしまうんだということに対して、
ものすごくショックを受けたわけですけど、
確かその時は山田納子さんって京アニはやめられてたと思うんですけど、
ただ京アニって育った方なので、
もちろんある種フルスがそういうことになった、
この辺ね、山田納子さんのキャピアとかちゃんと喋らず話してるんで、
間違いがあったあれだなと思ってるんですけど、
フルスがそういう目にあったっていうこともめちゃくちゃショックであったろうし、
それ以上に一緒にアニメ作っていた人たちとかも、
犠牲者の中には多分いるはずなんですよね。
そういう仲間が亡くなってしまったみたいな部分もあるんじゃないかなと思うんですよ。
あの事件を体験している方が平家物語のアニメを作っていて、
多分そのことを重ね合わせたりとか思い出さないはずはないんじゃないかなと思うんですよね。
だからですね、あんな風に一生懸命アニメ作ったりとかこういうこともあった。
あんなことはあったけど、
でも、ああやって一緒にこういう時間を過ごしたってことも、
それも嘘じゃないんだよね。
まだ自分の中の記憶にしっかり残ってるんだよねみたいな、
そういう部分を託したのかなってちょっと見ながら思いましたね。
もちろんインタビューで答えてるみたいなことを探してもないですし、
推測でしかないんですけどね。
でですね、なかなかそういう重みがあるアニメではあるんですけど、
本当にこれ色々思い出しちゃったんですけど、
あと思い出したのがですね、
ウォッチメンっていう映画化されたアメコミに出てくるドクターマンハッタンっていうキャラクターのことを思い出したんですよね。
ドクターマンハッタンっていうのは、
ある実験に巻き込まれて神に等しい能力を手に入れたスーパーヒーローみたいなキャラクターなんですよね。
どれくらいめちゃくちゃなことができるかというと、
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極大にも極小にもなれると。
太陽の表面を歩いたりとかすることもできれば、
原子とかの大きさになって電子と一緒に飛び回ったりもするみたいな感じでですね。
物質と時空の制限を超えてしまっているキャラクターなんですよね。
本当に神というか、今まで想像されたキャラクターの中で一番強いと思うんですけど、
本当に神に等しくてですね。
全身青色で黒いパンツ一丁なんですけど、もしくはゼンラーなんですけど、
ゼンラーというところがね、ゼンラーでも気にしないぞみたいなところが、
すでに人間性を超えてしまっているんですよね。
ドクター・マンハッタンは時空も超えているので、
過去、現在、未来に同時に存在しているんですよね。
っていう設定でですね。
だからいきなりですね、ドクター・マンハッタンが変なリアクションをしているということが、
後々ですね、それが未来で起こることのリアクションだったりとかしたってことは、
ストーリー、ストーリーのリアクションというか、
ストーリー進行すると判明するみたいな感じで、すごいわけですけど。
でですね、さっき言っていた作家さんですね、
オチはみんな死ぬだって言っていた作家さんと話した時に、
その作家さんはですね、結構こう、
詩小説的にというか、自分の記憶を断片的に描かれる作家さんなんで、
それがですね、その作家さんが、
僕はバーっと仕事をしています。仕事で書き物をしています。
メールとかを書いています。
っていう時にふと、ボケーと、
僕は昔飼っていて、もう死んじゃった飼い犬がいるんですけど、
ボケーと飼い犬のことを思い出しているみたいな時間が過ぎてきて、
ボケーと飼い犬のことを思い出しているみたいな時間が過ぎてきて、
死んじゃった飼い犬がいるんですけど、
ボケーと飼い犬のことを思い出しているみたいな時間が数十秒流れるみたいなことってあるわけですよね。
その時って目も開いてるし、パソコンの画面も見てると思うんですけど、
もうその目の前の映像はほとんど意識に入っていなくて、
頭の中で犬の腹をなでているみたいな、
よしよしよしとなでているみたいな時のなで心地とかですね、
なんかこんなんだったな、あんなことあったなみたいなことの方を見てる。
ほとんど目の前見えていない。
目の前で誰かに手でも振られない限り、ほっと戻ってこないみたいなですね。
そういうことってあるじゃないですか。
そういうような感じで、
なんかこう、現在こうしている、でもその時はこのことを思い出していたみたいなことをですね、
同時に描く人なんですよね。
でですね、その感覚がですね、
ドクターマンハッタンに似てるみたいな話を僕はしてですね、
過去現在未来に同時に存在しているみたいな話をしたら、
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ああ、そんなキャラクターいるんですねみたいな。
でもまあそういう意味で言うと、みんなドクターマンハッタンじゃないですかって言ってたんですよね。
で、そうだなと。
実際ですね、ぼけーっとですね、メール打ってる途中に、
もう死んじゃった犬のですね、
撫でたり散歩したりしてるとこ思い出してる時っていうのは、
もうどっちにですね、その瞬間はどっちに現実の重みがあるかって言ったら、
犬の腹を撫でている記憶の方はですね、現実としては重みが大きいわけですよね。
みんなの脳みそってそういうふうにできてると思うんですけど、
そういう意味で言うとですね、
記憶、ある種の手触りを持った手ですね、
記憶をポンポンポンと渡り歩けるんですよね。
おそらく多くの人が。
でですね、それって結局ドクターマンハッタンみたいだよねと。
過去、現在、未来に同時に存在してるよねと。
同時に存在するだけじゃなくて、
そのですね、記憶を書き換えることもできるんですよね。
で、それはですね、ミッションエイドミニットですね。
200人全員死んでるんだけど、データベース上の中でですね、
死なないことになったっていうこともそうだし、
あとですね、本当にいっぱい思い出しちゃうんですけど、
風雲児達っていう江戸時代とかを描いた時代劇、ギャグ漫画みたいなのがあるんですけど、
それですね、平賀玄内というスウェイカキャラクターとして出てきて、
めちゃくちゃいいキャラクターなんですけど、
最後ね、すごい残念な死に方するんですよね。
もうほんとスーパーマンみたいな人だったのに、
ちょっとね、人生の最晩年になってくると少しですね、
言動がおかしくなってですね。
で、ちょっと大丈夫かなみたいな感じで心配みんなしてる中でですね、
ちょっとだから妄想が強まっちゃってるみたいな感じなんですよね。
でですね、中で自分のアイデアが盗まれたと勘違いして、
自分の家に泊まりに来た客人を殺しちゃうのかな。
で、そのことがですね、罪に問われて獄死するというですね、
もうほんとに江戸のスーパースターみたいなね、
人でだったのに、最後そんな死に方を、非業の死に方をしちゃうんですよね。
でですね、それはもう風雲児達の平賀玄内はめちゃくちゃいいキャラクターなんで、
それを読んでてもめちゃくちゃ悲しいんですけど、
なんですけど、その時ですね、江戸の中では噂が流れたらしくて、
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玄内先生が一旦小田間町とかの獄に繋がれたんだけど、
やっぱりあの人のことだから脱走してですね、
今はモンゴルで悠々と暮らしてるらしいところみたいなんですね。
そういう伝説みたいなの、噂話みたいなのが江戸時代で、
さすが玄内先生だねみたいな感じでですね、わーって広まったらしいんですよね。
現実の玄内は死んでるけど、その物語をしている人の頭の中ではですね、
玄内はですね、モンゴルでですね、
馬族とかに囲まれてですね、相変わらず楽しく過ごしているわけですよね。
そうあってほしいみたいなことをみんな話しているわけですけど、
でもその物語を話している時って、
玄内はその人の中で生きていることになっていると。
これは物語の一つの作用だと思うんですけど、
だがその人の中で生きているというのは、
物語の一つの作用だと思うんですけど、
その重みですよね。
その人を捕まえて、いやいや、現実は死んでるからって言っても、
ある種野望というか、野望というか、
だと思うんですけど、現実には死んでいるのかもしれんが、
俺の中ではこうやって生きているんだよねっていうのもですね、
別に故郷の夢のように同じ重みを持っているとは思うんですよね。
平家物語のこのアニメはそういうことを書いているような気がしますね。
結局ですね、その美話はですね、
自分が女の子の子供で美話を引くことしかできなくて、
未来は全部わかっているのに、平家の人たちを救えない、止められないみたいな、
のがあってめちゃくちゃ悩んでですね、うーって苦しむわけですけど、
後半の方でですね、祈ることはできると、
そして語り継ぐこともできるということにですね、
ある種、そこに腹を決めてですね、
滅んでいく平家の人たちに対して祈ってですね、
その人たちが確かにこういうふうに生きていたよみたいなことを、
平家物語として美話報酬として語り継いでいくというのは終わり方なんですよね。
というわけでですね、こういう話すげえ好きだなと思うんですよね。
何でしょうね、人間の想像力の良い面を感じるというか、
こうあってほしいと思うことは別にその人にとって
現実じゃんっていうことですよね。
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もっと言っちゃうと、本当の現実は変えられなくても頭の中の現実は変えられるし、
頭の中の現実が変わっていれば、本当の現実も変わっていると言っても過言ではないっていうことだと思うんですけど、
そういうですね、いいものを描いているなと思いましたね。
というわけで本日は以上です。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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