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2021-07-28 10:07

今日の10分de1テーマ「身近な人の死とオープンダイアローグ」について②

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。第23回目は「身近な人の死とオープンダイアローグ」について話してみました。

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というわけで、オープンダイオローグというフィンランドで生まれた新しい精神療法が、統合視聴者の人にも有効だという話なんですけれども、
基本的な方法として、当事者がないところで話を決めない、否定しない、誘導しない、
真剣にとにかく話を聞くということをしていくと、妄想というのがだんだん弱まっていく。
患者の人の調子に合わせていると妄想って強まるんじゃないの?と思われてたんですけど、弱まっていくと良くなっていくという話だったんですけど、
これは何でそうなのかという話なんですけど、
つまり、当事者なしで決めない、否定しない、誘導しない、真剣に聞くということを定めているということは、それまでは逆だったということですよね。
当事者のいないところで決める、否定する、誘導する、真剣に聞かない、だったわけですよね。
つまり、この人はもう妄想の中にいるから、この人に意見を求めてもしょうがないこの人の話だけどというのがあるから、家族と話し合って入院させましょうかという話をする。
話す内容が妄想だったりするわけだから、いやいやそんなことあり得ないですからと否定する。
話を聞いているふりをしながら、だけどちょっとおかしいな話を始めたら、
いやいやいや、でもこうだと思いますけどねみたいな感じで、こう思いませんかみたいな感じで誘導をしていくと。
あなたのいるところは異常なところで、通常のところに連れていくよみたいな感じで誘導すると。
つまり真剣に聞いていない。
っていうのが、その統合視聴者の人にもともとされていたアプローチだったわと思うんですよね。
逆のことを強調して言ってるんだと思うんですけど、
これがですね、じゃあそこで何が変わるかというとですね、
つまり、どうぞどうぞ話してくださいって言って話してもですね、
否定されるしですね、誘導されるしですね、真剣に聞いてもらえないですねし、
その結果ですね、自分の知らないところでも決められていると。
つまり、物の数に入れられてないんですよね。
人間としてカウントされてないというか、一人前の人間として。
ということなので、多分傷つくわけですよね。
はっきり言って話聞いてもらえてないし、話してどんどん話してくださいって言ってもですね、
結局のところ独白に近いんですよね。
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対話になっていないと。
それに対してオープンダイアローグっていうのは対話になっているわけですよね。
どんな妄想を話したとしても、ちゃんと真剣に聞いて真剣に返す。
誘導も否定もしないし、どうしたいですかって本人に決めさせるっていうのは、
すごくその人を尊重して、その人と対話ができていると。
その結果良くなると。
ということはですね、言ってしまえば対話自体が治療だって話なんですよね。
というよりは、ちょっと違う言い方を確かその本していて、
対話自体が目的なんだって言ってたんですよね。
オープンダイアローグの目的っていうのは対話自体だと。
治療をその結果することがあると病気が。
それは副産物だと。
対話っていうのが必要だから対話自体をしているんだと。
っていう考え方なんですよね。
これ結構ですね、僕らの通常の感じとは違うと思うんですよ。
対話っていうのを多分普通手段だと思うと思うんですよね。
僕があることを誰かに伝えたいです。
って言った時に話しかけて、そのことを発話して伝えて、
そのことがある人に伝わったら、よしとなるっていうのが対話の意味。
対話の存在理由みたいな風に結構思ってるところがあって、
そう考えると対話は手段になるわけですよね。
例えば、あそこのものを動かしたいという目的があって、
Aさんにあそこのものを動かしてくれませんかって言って、
分かりましたって言って動かしてもらう。
その場合は、物を動かすっていうことが目的で、
対話っていうのはそのための手段になってますよね。
なんですけど、オープンダイログはそういう考え方じゃなくて、
対話自体が目的なんだと。
その目的をやっていたらたまに治癒する、
というか治癒することが多いという考え方なんですね。
だから治療すら目的じゃないんですよね。
多分治療を目的に対話をしようとすると、
さっき話していたみたいな、
おかしなことを言っちゃってるわ、
これはちょっとやまり否定しないととか、
また変なところで話を言ってるわ、
ちょっと誘導しないとみたいな感じになってですね。
対話がその手段には落ちちゃうんですよね。
だから治療を目的としないで、
オープンダイログは対話をやることが目的なんだと位置づけて、
しかしそれをやっていると治癒という副産物が生まれるという考え方なんですよね。
その本をたまたま最近読んでいて、
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僕は1回目に話したことというのと関係してそうだなと思ったので、
本を借りてきて読んだんですけど、
なるほどなーなんて思ってたらですね、
今回その身近な方が亡くなって、
もやもやすると。
じゃあもやもやして、
僕はとにかく話したいんですよね。
でもですね、話したいのは、
じゃあなんでとか何を伝えたいのってなるとですね、
何も伝えたくないんですよ。
まさに前々回その方が亡くなったという話をした時にですね、
すごい話してて思ったんですけど、
意味ある話をしたくないんですよね。
亡くなったことだったりとか、
その方が生きていた期間に対してですね、
僕が意味あることを話して、
こんな人生だったねとかね、
でもこんなふうなことで亡くなっちゃいましたねみたいな感じなんですね。
意味を話しちゃうと、
すごく気持ち悪いじゃないですか。
だから意味あることは話したくないんですよね。
ただもやもやしてるんですよね。
だからその時自分が思っていることを、
ほぼ無目的に話したいんですよね。
つまり話すということ自体に目的を置いてるんですよね。
っていうことをすごく自覚してですね、
そうかと、
本当は話すっていうこと自体が目的なんだっていう、
そしてその目的が叶えられると、
人は健やかになるんだってことがやっぱりわかったんですよね。
その統合失調症の人っていうのは、
病気がですね、カウンセリングしようが何しようが、
精神療法のアプローチだと上手くいかないっていう時はですね、
精神療法のアプローチだから上手くいってないんじゃなくて、
妄想を話してしまうために、
誰も真剣に話を聞いてくれなくなる。
誰もちゃんと自分の話を聞いてくれなくなるから、
良くならなかった。
ということだろうなと思うわけですよね。
話を聞けば良くなるってことを考えると。
だからですね、やっぱり、
僕は趣味で始めたこれがですね、
そういう意味ですごく良い、良い風に働いてですね、
自分が話したい話を不特定多数、
少数ですけど不特定少数の人にですね、話すと。
その時はその人が誰かはわからず話しているので、
すごく自分のドロッとしたものをそのまま、
その人との対人関係とかあまり考えずにただただ話せる。
話すことで多少はやっぱりちょっとずつすっきりするというか、
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もやが晴れて、単純に自分の中に積もらないわけですけど、
そんな感じですね。
やっぱり誰かに話を聞いてもらうっていうのは、
それだけですごい、
なんていうんですかね、
本当それそのものが良いというか、
それそのものがかなり生きるってことの大きな部分を
占めてるんだなってことがちょっとわかったんですよね。
ということでですね、
本当になんとなく趣味でやってみるかと思ってやったことがですね、
思わぬ会話っていうのはこういうものなのかというようなことに気づかされまして、
そこはですね、良かったなと思いました。
というわけで、1日10分間不特定少数に対してですね、
だらだら話すというのは結構いいもんなんで、
しばらく続けていきたいと思います。
ご静聴ありがとうございました。
失礼します。
10:07

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