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2021-07-27 10:27

今日の10分de1テーマ「身近な人の死とオープンダイアローグ」について①

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。第23回目は「身近な人の死とオープンダイアローグ」について話してみました。

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はい、というわけで始まりました。本日はですね、身近な方の国別式に参加しまして、
国別式自体はですね、その大祭中にすごい悲しいなっていう感じがするというよりは、
割とこう、亡くなったんだなーみたいなことを時間かけて実感するというか、
ご家族の様子とかもちょっと見たりしてみたいな感じでですね、
なんかこう、亡くなったんだなーみたいなことを時間かけて実感するための、
なんか儀式としてあるんだなーなと思いながら参加してたんですけど、
ただですね、本当にこう、とはいえ、なんかだいぶ俺も落ち着いたのかなーみたいなね、
ちょっとお顔を見てるからね、ちょっとうっとかなったんですけど、
まぁちょっとでも、まぁちょっと落ち着いたかなーなんて思いながら家帰ったらですね、
なんかまたいろいろ思い出して、ちょっとまた悲しくなってみたいな感じでですね、
悲しさって波あるなーなんて思いながら過ごしてたんですけど、
ただですね、本当にこう、あのー、こう、まあ亡くなって悲し、なんかすげーもやもやする、
とにかく話したいっていうときにですね、
結構なんて言うんですかね、その方との関係性的にあんまりこう、
あのー、もう本当に、あのー、本当にもう残念だ悲しいよーみたいなことをですね、
ドロドロドローって言える相手というのがちょっとあまりいなくてですね、
なんかこう会社の人に対して言うのもなーみたいな、
会社の人っていうのはやっぱりちょっとなんか仕事っぽい顔で接してるわけなんで、
あんまりちょっとそういうドロドローも出せずみたいな、
家族とかに話すにしてもちょっと家族の人からすると仕事関係の人だから、
あんまりピンともこないだろうみたいな感じで、
なんですけど、ちょっとなんかこうもやもやするのをドロドロー話したいみたいなことをまあ思ってたわけですけど、
まあそれでですね、前々回かな、
まあその、じゃあちょっとそのことを思い切って話してみるかーなんて言って、
まあこれで話してみたところですね。
まあ本当にこう、あのー、
まあ話せてよかったなと思ったんですよね。
まあすごいこう、なんかつっかえてるものみたいなのがですね、
あのー、結構取れてですね、
まあ普通にこう、なんか空虚なもやもやとした気持ちだったのがですね、
普通に悲しいぐらいになってですね、
やっぱこう、話すってすごい重要だなと思ったんですよね。
これがですね、なんかこう、
それこそね、誰もいない森の中で一人で話してたら、
もう本当にこう、森の中で木が倒れたら音はするかするはしないみたいな話でですね、
あのー、なんかまあ多分独白で虚しいだけなんですけど、
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とはいえ数人聞いてるんだと思ったらですね、
一応その人たちに対してですね、
あのー、話している気にはなるんですよね。
で、それがですね、その数人の人たちに一人一人に話すんだとしたらですね、
そこに関係性があるんで、
その人に対して、
あーでも俺あんまりこうやって、
この間柄でそんなドロドロしたとこを見せちゃダメだなーとかね、
もしくはなんか、
あーこの人との間柄を説明しないといけないなーとか、
なんか例えばですか、照れがあるとか、
みたいなことがあるわけですけど、
不特定多数に向けてですね、話しているってなるとですね、
まあほとんどそういうことをこう、
なんて言うんですかね、
まあペルソナというか、
自分のこう、人に向けて、
この人にはこう、この人にはこうっていう無意識に分けている態度みたいなものをですね、
全く意識せずに、
ドロドロっと話せるってことを分かってですね、
まあそれですごく、
まあ、あのーちょっとモヤが晴れて、
あのー良かったなーと思ったんですけど、
まずね、そのことを経験してたらですね、
ちょっと最近読んでた本で、
あのー、オープンダイアローグっていう、
まあそのフィンランドの、
新しく出てきた精神医療のやり方なんですけど、
そのオープンダイアローグというのの手法のことをちょっと思い出したんですよね。
なんでちょっとそれに関連付けてというか、
ちょっと話したいなと思うんですけど、
オープンダイアローグっていうのはですね、
精神療法なわけですけど、
精神療法はどういう療法かというと、
すごいシンプルでですね、
例えば何らかの精神病の人がいますって言ったらですね、
とか例えばその家族がいますって言ったら、
その人に対してですね、
の話をひたすら聞く、
というのがまあすごい根本の根本のやり方なんですよね。
それに対してさらにもう少し聞いた話を、
何かについて話し合っているところを見せるみたいな、
細かい手法はあるんですけど、
根本はただその人の話を聞くということだけなんですよね。
それだとですね、
カウンセリングとかと一緒なんじゃないかというとですね、
ちょっとそれは違っていて、
何が違うかというところなんですけど、
これがですね、
すごい衝撃、
精神医学に関わっている人からすると、
衝撃的成果だったのがですね、
統合失調症の治療に有効だということだったんですよね。
それはですね、
僕もちょっとだけ精神医療系の本とかを少しかじっている、
本当に生半可な知識で言うとですね、
確かにそれはすごいということはわかるんですよね。
いわゆる精神医学って、
精神医療と精神療法という、
大きく二つの方向性があると思うんですけど、
精神医療は薬と入院ですよね。
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つまり脳の中の物質を薬によってコントロールするということで、
治療を目指すというやつでですね、
精神療法の方はカウンセリングとか精神分析とか、
みたいな感じなわけですよね。
もともとどっちかというとね、
フロイトとかから始まったって考えるとですね、
精神療法の方が先に発達していって、
こうやって精神分析をすることで、
精神病、どんな精神病でも治せるんじゃないかってなったんですけど、
そこでつまづいたのが統合失調症だったんですよね。
つまり、普通の例えばうつとか、
もしくは何か昔で言うヒステリーみたいな症状って、
そこに何らかの原因とか、
例えば言葉の中に意味とか、
有名診断とかもありますけど、
そういうのが隠されていて、
それを解釈すれば客観的に見ることができて、
治療につながっていくのだみたいな、
というところがスタートだったわけですけど、
その中でですね、統合失調症というのはですね、
例えば過成人から電波を受けているみたいな感じでですね、
これは完全に意味を見出せないなということでですね、
純然たる妄想みたいな感じでですね、
精神分析の手法が全然役に立たなかったんですよね、
カウンセリングとか。
ということでですね、
そこに対してそういうことを失敗し続けた結果ですね、
基本的に統合失調症って、
糖薬と入院で治すものみたいな、
っていうような感じになったんですけど、
でも糖薬と入院ってなると結構、
すごい長期入院になったりとかみたいな、
弊害もあるので、
やっぱり何とか精神療法的なアプローチでいけないかっていうのを、
何度かチャレンジしてたらしいんですけど、
やっぱりうまくいかないと、
どちらかというと本当に悪いことになっちゃうんで、
これも薬しかねえかっていうのが、
精神医学が関わっている人の考えらしいんですよね。
そこにですね、
オープンダイアログという、
ただひたすら話を聞くという手法をですね、
用いたところ、
多分糖薬っていうのを別に禁じてるわけじゃないというか、
保障的に使ったりとかしてるんだと思うんですけど、
統合失調症の人に対して有効だったんですよね。
それは精神医学の歴史から言うと、
かなり驚くべきことだったわけですけど、
オープンダイアログっていうのが、
どんな手法とかどんな考え方を取ってるかって話なんですけど、
まずですね、
統合失調症の人が患者であったとしても、
当事者がいないところで話を決めないっていうのが、
まず大原則であるんですよね。
かつですね、
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その人が言っていることを否定しないと、
そして誘導もしないと、
ただひたすら真剣に聞くと。
真剣に聞いていたらですね、
当然その妄想を見ている、
妄想の中にいるときはですね、
おかしな妄想的なことを言うわけですよね。
例えばこんなこんなで人から話を聞かれているとか、
こういうものが全部頭の中に入ってくるみたいなことを、
現実であり得ないことを言うんですけど、
それに対してですね、
そうですかって言って、
自分にはそういうことできないんですけど、
どうやってそういうことができるんですかとか、
みたいな感じでですね、
全くそこも否定せずにですね、
聞くんですよね。
それはですね、
結構その、
その統合失調症の人の妄想に付き合っていると、
昔は妄想が強まるって言われたらしいんですけど、
逆でそれをやっていくとですね、
妄想がだんだん弱まってくるらしいんですよね。
でですね、
ちょっとそういう話と、
今回その、
何でしょう、
身近な方が亡くなって、
こうやって話すということで、
自分の中のすごいスッキリしたという話とですね、
ちょっと絡めて話そうとしたら、
もう10分経ったんで、
また明日よろしくお願いします。
では、失礼します。
10:27

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