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はい、というわけで、昨日の続きです。
読書クラブの課題図書でですね、「人申請の基本論化」という本を読んでですね、踏むと
まあ、なるほど、頑張ってなんかあんまり共感できないなと、なんていうんですかね、気持ちは分かるけど
アプローチに共感できないみたいな感じだったんですけど
でですね、なんでそう思ったのかなみたいな続きの話をしたいんですけど
えーとですね、すごく基本的な論調はですね、資本主義的な考え方から脱さないといけないっていうのは論調なんですよね
で、これがふさわしい形だとか、こうあるべきだ、みたいな感じのべき論なんですよね
でですね、資本主義っていうのはこういう風に考えるけど、でも本当はこうあるべきでしょうと、この環境のこととか考えたら、みたいな感じで話してるんですけど
そういう風にずっと思うのが、資本主義が考え方だったらそれで通用すると思うんですよね
で、僕の結論を先に言うと、資本主義っていうのは主義って書いてあるけど、考えじゃなくて条件みたいなもんだなと思ってるんですよね
でですね、ここがですね、僕多分すごく、まさかね、こんななんかめっちゃ権威あるでしょとか取ってるね、ずっと経済学専攻者博士とか取ってる人がそんなことに考えが及んでないはずがないので
なんでだろうなとか思うんですけど、とにかく資本主義っていうのをまるで誰かの主義主張みたいな風に取り扱ってるように見えるんですよね
でも、主義と書いてあるけど、主義、つまり考え方というよりはやっぱり条件みたいなものだと思っていると
で、ちょっと対立する、例えば資本主義か社会主義かみたいな対立する考え方で言う社会主義というのがあるんですけど、社会主義は考えだと思うんですよ
それはもちろんマルクスとかが主張した、もっと前から主張してる人いますけど、主張した考えであって、こうあるべきで、だからこういうシステムにしようという考えなんですね、社会主義は
なんだけど、資本主義っていうのは誰かが言い出した考えとかシステムじゃないんですよね
歴史の中でいろんな技術の発展とかがある中で、富裕層というのが生まれましたとか、金融システムというのがこういう風に整ってきましたとか、産業というのがこんな風に発展してきましたみたいな
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そういういろんな条件みたいなのが重なってきて、そんな時に自然と生まれてきたのが資本主義だと思うんですけど
資本主義というのはそういう条件の中でどうやって生き抜くかというか、こうやって生き抜かなきゃダメなんだみたいな生存ルールみたいなものなんですよね
生きていくための条件みたいなものなんですよね
だから資本主義対社会主義とか、昔は対立的に扱われていましたけど、全然違うと思っていて、社会主義も資本主義の中に成立しているものなんですよね
成立している中で社会主義という考えを主張している人みたいな感じで、資本主義というのはそういう考えとかじゃなくて生存ルールとかそういうものに近いと
だから資本主義というのはこう考えているけど、こうあるべきでしょう、これがふさわしいんだと女性の人に言われても、感覚的には人間は肺で呼吸すべきじゃないとか、肺を使いすぎたとか、もう少し胃を使うべきだとか言われても
母乳類として人間としてはこういう条件で生まれてしまっているので、それは無理ですみたいな感じなんですよね
それが例えばどういう場面で著書の中で現れているかというと、例えば価値と使用価値という話が出てくるんですよ
これはマルクスの資本の中に書かれていたことなんですけど、マルクスは価値には価値と使用価値の二種類があると
使用価値というのはまさに使用する価値というかなんですけど、例えばご飯を食ったらお腹が膨れますよねとか、誰かに身の回りのお世話をしてもらったら綺麗になりますよねみたいな
そのご飯とか、食べたらお腹が膨れるご飯が持っている価値とか、お世話をするというサービスが持っている価値というのが使用価値なんですよね
例えばグッチの時計は20万円と言っていますとしたら20万円の価値があるわけですけど、ただ使用するという意味においては100円の電子時計と変わらないわけですよね
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だから使用価値はグッチの時計も電子時計も変わらないんですけど、価値は全然違うわけですよね
電子時計の方が100円でグッチの時計は20万円みたいな感じで
なので資本主義においては価値と使用価値という2つの価値のうち、価値の方が優勢であるというか、使用価値ではなくて価値の方をみんな価値だと思っているという主張があるわけですよね
これが端的に現れているのが、去年か一昨年かな、ベストセラーになったブルシッドジョブという本がありましたけど、牛のうんこみたいな仕事、クソみたいな仕事という意味ですけど
それは世の中はみんな無条件に受け入れているけどクソみたいな仕事が溢れている、意味がない仕事のための仕事が溢れていて、逆に意味があるエッセンシャルワークというのはもちろんあるんだけど、ものすごく低賃金でみんな下に見ている
なんだけどブルシッドジョブ、本当にクソみたいな仕事の方は高賃金でみんな上に見ている、おかしくない?みたいな、ざっくりとそういう本なんですよね
ブルシッドジョブ、例えばうちの会社の役員とかもブルシッドジョブの一員だと思うんですけど、調整したりとか、儀式的に役員会やってみたりとか、何かのイベントに出席してみたり、そのことしかやっていないわけですよ
全然何も生み出していないわけですけど、高賃金ですよね
一方、例えばご飯作るとか、仕事とかケアする仕事の人とかって、やっぱりどっちかというと低賃金ですよね
なんだけど、明らかに価値のあることをやっていると、なのにもうすごい下に見られていて実際賃金も低いみたいな、おかしくないかっていうのはそういう本だったわけですけど
このブルシッドジョブとエッセンシャルワークっていう部分も、この価値、使用価値がまさに出てるなっていう感じはするんですよね
エッセンシャルワークっていうご飯作ったり、誰かをケアしたり、介護したりみたいな仕事っていうのは、はっきりとした使用価値があると
なんだけど、その使用価値っていうのは誰も重視していないと
で、著者の人は、資本主義社会では価値の方が幅を大き化していると、使用価値っていうのは不当に低く見積もられていると
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だから、コミュニズムによって使用価値を重視するようにするんだ、というわけですよね
でも、コミュニズムによって使用価値を重視するようにするっていうのはどうするのかよくわからなかったんですけど、本を読んでも
ただ、これはブルシッドジョブの方が高賃金で、エッセンシャルワークの方が低賃金っていうのは、はっきりとこうなるべくしてなってる面があるわけですよね
それには、資本主義の原則である、前僕が読んだ岩井克人さんの経済学の宇宙という本か、あれに書いてありましたけど
ラジオでもちらっと話しましたけど
資本主義には、差異から価値が生まれるっていう基本原則があると
そこから考えると、これはもう自然の流れなんですよね
もちろん誰かがブルシッドジョブの方を高賃金にして、エッセンシャルワークを低賃金にしようと言ったわけでも、みんながそう思い込んでいるというわけでもなく
思い込んでいるから目を覚ます必要があるとか、そういうわけでもなく
ある種、資本主義の生存ルールの必然としてこういう状態になっていると
それを、不当だから価値観を逆転させようみたいなことは土台無理でしょうと思ったんですけど、またその続きは明日話します
本日は以上です。ありがとうございました