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2021-09-03 13:39

今日の10分de1テーマ「めちゃくちゃ面倒くさいおじいさんソクラテス」について②

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。

※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください。

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はい、というわけで、昨日の続きです。
「ソクラテスの弁明」という本を読んでみたらですね、
めちゃくちゃ面倒くさいおっさんでビビったって話でしたね。
まあ本当ですね、真理はですね、ちゃんとこう、自分が死刑になるかという裁判の場面でも主張をしてですね、
そもそも人の面子を潰してそういう目にあってるのに、その裁判でもリアルタイムで人の面子を潰しにかかるというですね、
これはなかなかですと、これは会社にいたら面倒くせえぞというおじさんだなというふうに、
まあおじいさんですかね、だなというふうに思いました。
でですね、実はこのソクラテスの弁明って続きの話があって、
クリトンという話なんですよね。で、同じ岩波新書の中に入ってるんですけど、
これはですね、そのソクラテスの幼なじみのおじいさんなんですよね。
すごいソクラテスの親友でですね。
で、そのソクラテスが牢に繋がっているのを親友としてですね、逃がしに来るという話なんですよ。
それについての話なんですけど、そのクリトンがですね、牢屋にいるソクラテスのとこに来てですね、
監修にお金を渡して、で、逃げる準備整えたと。
お金とかも全部用意して整えたから、逃げようと。
お前親友だし、それに、
もしね、これで俺がこのお金を惜しんで救わなかったりしたら、
そのお金を惜しんで救わなかったのかって周囲に言われたりとかすると思うと。
だから俺と一緒に逃げようって言うんですけど、
そしたらですね、ソクラテスがね、ここでまたすごいめんどくささを発揮してですね、
それって正しい道理かなとか言うんですよね。
で、えっとかなってですね。
よく生きる。ただ生きてるだけじゃダメだと。
よく生きるっていうことを考えると、
まず大衆の言うことに耳を貸すべきじゃないでしょうみたいなことを言うんですよね。
お金を惜しんで救わなかったのかと、俺は責められることになると。
っていうようなことにですね、反論するわけですよね。
大衆の言うことにそうやって耳貸すべきじゃないよと。
って言ってですね、自分が正しいと思うことに、
たぶん耳を貸すべきってことだと思うんですけど。
でですね、その後ですね。
あとその国とか法っていうものを考えたら、
やっぱり逃げるの良くないんじゃないの?って言い始めるんですよね。
で、その時にですね、国と法っていうのを人間だとしようと言ってですね、
急に擬人化を始めてですね、反論すると。
クリトン、助けに行けたクリトンに反論するんですよね。
つまり、いいから逃げようよと私が言ったとする。
そしたら国はどう言うだろう?みたいな感じですね。
急に擬人化して話し始めるんですけど。
でですね、その時に正しくね、私は生きようとしてきたと。
正しく生きるっていうのは、この場面だと免除される、
この場面だと免除されないみたいなもんじゃなくて、
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いついかなる場合も正しく生きなきゃいけないんだと。
だよねクリトンって。
あ、クリトンそうだねって言ったら。
人はやっぱ法に従うべきじゃないの?みたいな感じで。
ウッとかじゃなくてですね。
クリトンもですね。
せっかく助けに来たのにめちゃくちゃ論破するんですよね。
また論破をするんですけどこの人は。
法を都合よくねじ曲げておいて、
徳や正義とかね、制度とか法律が人間にとって最高の価値のもんだっていう風にね、
僕は今まで話しかけてきたけど、
法を都合よくねじ曲げておいて、
でその後でも同じことを語り続けるっていうのはできないよね。
それ正しく生きるっていうことじゃないよねとか言ってですね。
でクリトンはウッウンみたいになってですね。
でまぁちょっとそこをねクリトンもおじいさんと思うとですね、
なんかおじいさんの友達助けに行ったら論破されてると思うとかわいそうなんですけど。
まぁですねそんな感じなんですよね。
で相変わらずって感じなんですけど。
まぁやっぱそれを見ててですね、まず法に対する感覚っていうのがやっぱ違うなぁと思ったんですよね。
なんかよくね、日本人とかってこうね、
言うてもこの西洋から、誰かですけど、人権とか自由とか法とかそういう概念もね、
その明治ぐらいに輸入されてね、副座役地とかが名前を漢字に当てて付けたりとかしたものであって、
本当のところで自分たちのものとして、
大徳してないってよく言われますよね。
例えばですけど人権っていうものをフランスとかはね、
それを勝ち取るためにすごい血を流してきたわけで、
とかね、例えば自由ってものを勝ち取るためにすごい血を流してきたわけで、
それをですね、歴史の中でその感覚を持ってる人たちのこの人権とか自由に対する感覚って、
もっとラディカルですよね。
日本人の自由とか人権とかって言うときのちょっとこう、
何て言うのかな、借り物臭さがあんまやっぱないですよね。
で考えると、やっぱ日本人にはやっぱりなんかね、
なんかもっと違う感覚、それらが正しいもんだっていうふうに取り扱ってるんだけど、
本当は違うけどね、みたいな建前戸根的な感覚ってあるなと思うんですけど、
このですね、得や正義、制度や法律が人間にとって最高の価値であるっていうですね、
このアテネの人の一人であるソクラテスの感覚、法に対する感覚ですよね。
だからそれは自分に不当なプロセスを経て、自分に死刑が下ったんだとしても、
それを従うべきでしょう、っていうような感覚っていうのは、
法に対する感覚がすごいですよね。ビビッとですよね、僕らの感覚よりも。
法律っていうのは、得とか正義みたいなものが体現されているんだ、みたいな感じなんだと思うんですよね。
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それはやっぱり、さっきのヨーロッパの話と同じように、
アテネみたいなですね、直接民主制があったりとか、スパルタに攻められた結果過当政治に移行したりとかですね、
戦争とかをいろいろ経て、みんなの折衝があって、
この法っていうのをちゃんと作ろうみたいな、そういう過程を経て作り上げた法に対する生身の感覚みたいなのがあるんだと思うんですよね。
僕らの、へいへいへい、六方全書はそう書いてあるんですか、
ああそうですか、うちと関係ないですね、みたいな感じではないなと思うわけですよね。
でですね、とりあえず法は法だから、法は公法、公法でも法は法みたいなね、ソクラテスの有名な言葉通りにですね、
よく生きるためには法に従わなきゃいけないよね、俺も今までそう言ってきたし、みたいな感じを言ってですね、
クリトンを徹底論破してですね、最後に、というわけで俺は逃げないけど何か言うことある?って言ったらですね、
クリトンが、「いや、ないです。」って言って、その本は終わるんですけど、
ソクラテスは予定通り死刑になると、幼馴染を論破して最後死刑になるというですね、ちょっとすごい展開だったんですけど、
でもそれがですね、やっぱりプラトンによって書き継がれてですね、名著として残ってるわけですよね。
僕の感覚からするとですね、やっぱりシンランとかのですね、あのちょっとぶっ飛んでるゆるさと優しさみたいなのはですね、
今生きる僕にはすごく響くんですけど、このプラトンとかのですね、プラトンじゃねえわ、ソクラテスのとかのですね、
この感覚、この法は法だからみたいな感じはね、ギチーって感じがしてですね、わ、やだって直感的には思うんですよね。
でもやっぱりプラトンはそれをですね、ちゃんと書き継いでですね、名著として残っていて、
で、やっぱりこの一つの真理っていうのを求めようっていう、こういうソクラテスの姿勢みたいなのが西洋哲学の起源になってるんですよね。
そういうですね、姿勢みたいなのをちゃんと理論化してですね、なんかその世界観みたいなの作ったのがそのプラトンのイデア論だと思いますし、
アリストテレスもですね、それを批判的に引き継いでですね、こう言ってるわけですよね。
そうやって西洋哲学っていうのが発展していって、
で、基本的な態度としてはやっぱり一つの真理をですね、探すっていうのは、真理とは何だろうみたいなことの考え方っていうんですかね、
その姿勢っていうのは、18世紀、9世紀くらいまでも結構ずっとそんな感じで西洋哲学で発展していったんですよね。
だからですね、なんかこう、このね、ほんとめんどくさいな、このおじいさんっていう感じがですね、
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この一つの真理を求める姿勢っていうのが、やっぱりヨーロッパの基礎にはなってはいるんですよね。
でもですね、その姿勢からするとですね、この相対主義者、ソフィストの中にはびこった相対主義っていうのがですね、プラトンはめちゃくちゃ悪く書いてるわけですけど、
僕らの今の感覚としては別にそれはそれでよかったんじゃないのみたいなね。
あの人はあれを考えたからさ、ほっとこうよっていうのも、すげえ平和じゃんみたいなね、と思ってですね。
このソクラトスみたいな、いや正しいことがあるはずだ、絶対俺譲らねえぞみたいな、もうメンツ潰れる関係ないねみたいなね。
っていうよりはですね、なんかこうまあ少なくとも近くにいる分にはですね、無害な感じはするわけですけど。
じゃあなんでですね、その西洋哲学の起源になるぐらいですね、この姿勢っていうのがそれだけ持ち上げられたのかっていうことをちょっと考えたんですけど、
これですね、やっぱ一つの正しいこと、絶対的に正しいことっていうのをちゃんと探ってですね、それを知るっていうことは合意形成に役立つなと思ったんですよね。
みんながバラバラに違うことを思っていたら合意形成できないので、正しいこと、間違いなくみんな正しいことってこれだよねっていうものをですね、掲げて、
で、まあそうだよね、それのためだったら従わざるを得ないよねって言ってですね、合意形成に役立つからだと思うんですよね。
で、なんでそんだけですね、その合意形成に役立つ一つの真理っていうのがですね、西洋でずっと大事にされたかっていうと、やっぱり戦争が多かったからだと思うんですよね。
いっぱい国があって、合意形成をしないとですね、本当に何かの旗印のもとに他国と戦ったりとかですね、できないわけで、
だからその、やっぱサバイバル状況だったからなんじゃないかって思うんですよね。
その点、日本はですね、なんかこう海に隔てられててですね、そんなにこう他国から侵略を気にしなきゃいけないっていう機関をとくことは少なかったわけで、
やっぱりそこがですね、日本独特の緩さみたいなもの、思考の緩さというか思想の緩さみたいなものを強要しているのかなと思ったんですよね。
で、思えばですね、僕の会社にもいる面倒くさい人とかですね、他社にいた面倒くさい人もそうですし、僕自身もですね、過去にそうだったんですけど、
なんかですね、どれもですね、何か違うフェーズのことをやろうとしていて、そのためには社内の合意形成を得る必要があると、すごくバラバラな社内の合意形成をする必要があって、
そのためにこの正しさのもとをみんなを説得したりとか、みんなの心を変えなきゃいけないと思っているので、
そのためだったら人のですね、メンツも踏みにじらなきゃならないっていう風にですね、結構考えてるんだろうなと思うんですよね。
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僕はその、僕自身がですね、まあることやってた時に、ちょっとこっちにすごい舵を切らなきゃいけないっていう時にですね、
足並みがそんな揃ってない中でですね、何とかそれをやるってやらなきゃいけない時にですね、
すごい目を三角形にしてですね、何とかですね、そのもう、強引にですね、すごいそっちに向けてぐいって舵を切ってたんですよね。
そうしないとですね、僕はその時はもう結構脅威に対抗できないと思ってたんですよね。社外の環境的に、社外の環境に適応できないだろう、
何だったらやられちゃう可能性もあるぐらいに思っていたので、そういう危機感を持って合意形成をするために、一つの真理っていうのに対して一生懸命やってたんですよね。
その結果ですね、多分人のメンツを踏みにじったこともあると思うんですよね。
なんでですね、こうやって一生懸命ですね、すごい自分の真理、正しいと歌わない真理をもとにですね、人を攻撃したりする、メンツを踏みにじったりするっていうこともですね、
まああながち責められたもんじゃないなというか、なんかまあこの人はこの人の危機感を持ってやってるんだろうなというふうにですね、ちょっと理解してあげようかなと思いましたね。
自分がそうだったんで。
というわけでですね、本日は、今のとなっては僕は全然共感できないこのソクラテスの弁明についてでした。ありがとうございました。
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