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2021-08-08 09:18

今日の10分de1テーマ「コロナ禍の倫理と道徳と法律」について②

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。第31回目は「コロナ禍の倫理と道徳と法律」について話してみました。

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はい、というわけで、昨日の続きです。
昨日話していた内容というのは、人それぞれ倫理を持っていてですね、
倫理の根本のところには、自由とか平等とか人権とかですね、
結構ですね、これ以上根幹的な概念なさそうに見えるですね、概念みたいなものがですね、あると。
ただ、それらは一つ一つはですね、見比べてみると結構対立すると。
でですね、それらをですね、人によって何を尊重しているかというのは、人によって微妙に違ったりするので、
やっぱ争いが起こると、特にこういうコロナ禍みたいな状況では。
なんでですけどね、そういう倫理観、人それぞれ持っている倫理観というのが、なんとなく主謀としてですね、あって、
その最大公約数的なものが道徳観、世の中の道徳観というのを繋がっていって、その道徳観をもとに法律というのができていくと。
いろんな倫理観を持っている人がいるんで、ある倫理観をもとにした道徳というのは幅を利かせるのは嫌なものだし、
余った法律なんかになろうもんだなですね、すげえ嫌だと。
ということでですね、例えばその自由をたったぶトランプ氏を支持したところはですね、
めちゃくちゃ頑張ってですね、マスクをせずにですね、ホワイトハウスの前でですね、ぎゅうぎゅう詰めになってですね、
何万人もね、死んでる最中ですね、デモとかをやるわけですよね。
だからすごいですよね、そういう根幹的な倫理の根本を占めるようなですね、概念というのはですね、命よりも大事になるわけですよね。
ただそういう概念というのは、所詮人間が考えついた人に説明するときに説明しやすいよね、というようなものでしかなくてですね、
実際に存在するわけじゃないですよね、というような話をしていました。
でですね、法弁のために作った概念をですね、絶対的なものと勘違いしてしまうということはやっぱりままにあるわけですよね。
でもそれはですね、昨日ですね、そういう根幹的な概念というのは原始に似てるという話をしましたけど、
原始はこれ以上割ることができない最小単位というふうに最初は仮定されたわけですけど、実際にこれ原始じゃね?と思ったらですね、
全然いくらでもその後割れてもっともっと細かい粒子やらが出てくるという状況でですね。
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その原始と例えて言うとですね、原始割れるわけないというようなに近いわけですよね。
法弁のために作ったですね、概念を絶対的なものと信じるというのは、原始が一番最小の単位なんだ、なんだニュートリーの知らんみたいな感じになるわけですよね。
まあですね、そういう思い込みからはですね、なるべく自由でありたいなと思うわけですけど、
じゃあですね、まあ自由もね、人権もですね、平等とかね、そういうもの何もないんだと、
そういうような同時に人間が考えたものなんだ、何もないってなるとですね、
虚無主義だったりとかですね、相対主義というのに陥りますよね。
何も意味ねえなとか、もしくはですね、どれもそれぞれだよねっていう風なところに落ち着くわけですよね。
そういうところに陥るとですね、やばいというか、寄り所がなくなっちゃうんですよね。
何かを主張することができなくなっちゃいますよね。
その一番後ろにある後ろ盾がないので、困っちゃうわけですけど、
そう考えた時にですね、じゃあ僕自身はですね、
じゃあ一番何をですね、重要な根幹の概念として置くんだって聞かれるとですね、
まあ今僕のね、ちょっとそんな読みかじったというか聞きかじったレベルなんですけど、
今のところ一番しっくりきてるのはこのスピノザーの考え方だなと思うわけですよね。
スピノザーの考える神っていうのはですね、めちゃくちゃ独特でですね、
宇宙、自然、人間、宇宙、自然、人間の中にですね、あまねく神が内在してるって言うんですよね。
神って言ってもですね、神様みたいなね、人格があって意志があって話すとかじゃなくてですね、
無人格でですね、無目的でですね、無意識でですね、
で、そういうものに宇宙も動かされてるし、自然っていうのも動かされてるし、人間も動かされてるんだと。
その力をですね、ただただ発揮すれば良いんだ。発揮を邪魔するものを取り除けば良いんだっていうのが、
まあスピノザーのざっくりとした考え方ですよね。
まあ僕はですね、各有僕はエチカをですね、一応エチカと言うかですね、
エチカと言うかですね、エチカと言うかですね、
ざっくりとした考え方ですよね。
まあ僕はですね、各有僕はエチカをですね、一応弱波書店で買ったんですけど、
読もうとしたら難しそうすぎて読めなくてですね、
簡単な解説書を2,3読んだだけなんですね。
すごく正確に理解できてないんですけど、まあざっくりとそんな感じなんですよね。
でですね、なんで、まあ僕からするとですね、
まあそういうこう、自分の中に内側に感じるものっていうのに、
まあ単純に素直になるっていうことがですね、一番の根幹だろうとやっぱ思うわけですよね。
06:03
なんでですね、まあ人がですね、何かですね、
血相を変えてですね、自由の侵害だとかですね、人権の侵害だとかですね、
平和じゃないぞとかですね、平等じゃないとかですね、とかですね、
まあそういういわば方便をですね、振りかざして何かを主張しようとしていたらですね、
例えば他人じゃなくても僕とか自分自身がですね、そういうことをですね、
うっかりですね、よしこれを使って何か言ってやろうみたいな感じですね。
人権だ、平等だ、自由だみたいなことですね。
そういう方便振りかざして何かを言おうとするときですね、主張しようとしている人がですね、
まあちょっと立ち止まってですね、ほんまかと。
俺、ほんまにそう思っているかと、ほんまにそれ自由の侵害だとかということで怒っているのか、
違うんじゃないのと思うようにしたいわけですね。
そこでちょっと立ち止まりたいわけですよね。
他人がですね、いやこれはですね、自由を侵害していると思うと言ったらですね、
まあ別に否定はせずともですね、心の中でほんまかな、この人言ってもどういうことを考えているのかな、
何に傷ついてこういうことを言っているのかね、みたいなことをですね、
まあ知れるというかね、そういう目線で話せればいいなと思うわけですよね。
で、まあそういう意味でですね、方便っていうのはもともとですね、便利だから作られた概念ですよね。
道具として作られたものだと思うんですけど、
気がついたらですね、その方便に使われてしまうっていう、
あまりにも大事そうに見えるので、自由も人権も平等も平和も大事そうに見えるのでですね、
そのもともと人間が考えたただの空想の産物というか家庭、
これがあると考えるとまあ議論しやすいよねぐらいのものがですね、
すごい根幹のですね、自分の土台みたいなふうにですね、感じてしまって、
本当はそれを使って便利な話をしようというものなのに、
気がついたらですね、その方便に使われてしまうっていうことがやっぱあるんだなと思うわけですよね。
なんでですね、そうなった結果ですね、自由マンとかですね、平等マンとかですね、人権マンみたいなのが生まれてですね、
自由・人権・平等などのためにですね、自分の命をですね、投げ打つことも構わないみたいなね、
不自然な行動をとっていてもですね、いやこれは人権のためである、平等のためであるみたいなことをですね、
言っちゃうってことがあるわけですよね。
別にそれはそれでいいと思うんですけど、ただですね、何かの道具の、道具として作ったのにですね、
その道具に使われてしまうというのはあまり良い状態ではないですよね。
なんでですね、ちょっとそういうときはですね、自分とかにもこの自戒を込めて言うと、
そういうふうなことをですね、振りかざしそうになった時にですね、ちょっと一旦立ち止まってですね、
09:03
ほんまかと、ほんまかというふうにですね、自分にちょっと問うていきたいなというふうに思いました。
本日は以上です。ありがとうございました。
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