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土曜日に働いていた先生はなぜ忙しくなかったのか?
2026-10-01 05:34

土曜日に働いていた先生はなぜ忙しくなかったのか?

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みんなの教育技術の連載から、北海道の公立中学校の先生、堀裕嗣さんの論考を紹介します。学校の週5日制が始まる前、土曜日も働いていたころの先生は、長く働いていても多忙感がなかったといいます。その理由は、自分の仕事を自分で決められる余白と裁量でした。この30年、学校には正しいことが足し算で増え続け、効率化で空いた時間にも新しい仕事が入ってきました。働き方改革で本当に取り戻すべきものを考えます。

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こんにちは、教育カフェテラス進行役の水野太一です。 この番組では、国内外の教育の話題を一つ取り上げて、二人でじっくり考えています。
アシスタントの高橋さやかです。よろしくお願いします。
さやかさんは、小学校の頃、土曜日に学校で授業を受けた記憶はありますか?
ありません。土曜日はずっとお休みでした。土曜授業の日がたまにあったくらいです。
今日の話は、その土曜日から始まります。
みんなの教育技術の9月12日の記事で、北海道の公立中学校の先生、堀さんの連載です。
学校の土曜日が休みになり始めたのは、1992年9月12日の土曜日だった、という書き出しです。
記事の日付と同じ9月12日なのですね。私が生まれるよりずっと前です。最初からすべての土曜日が休みになったのでしょうか?
少しずつでした。最初は月に1回、第2土曜日だけです。1995年からは第2と第4の土曜日、2002年にようやくすべての土曜日が休みになりました。
筆者は1991年に先生になったので、毎週土曜日に働いたのはたった1年と6ヶ月だったと気づいたそうです。
では、その頃の土曜日は平日と同じくらい大変だったのでしょうか?
それがそうでもなかったそうです。午前は3時間で道徳と必修クラブでした。筆者は将棋クラブの担当で、生徒と将棋を指していたと書いています。
午後は部活です。筆者は演劇部の顧問で、13時から18時半まで、大会前には夜の10時まで稽古したこともあったそうです。
夜の10時までというのは今ならどういう問題になりそうです。聞いているだけで私は疲れてしまいます。
筆者自身も今なら責任を問われると認めています。ところが当時の自分はそれを苦痛だと全く感じていなかったと書いています。むしろ今の方が苦痛は圧倒的に多いそうです。
今の方が時間が短いのに苦痛が多いのは不思議です。昔の先生は体力があったのでしょうか?
体力ではないというのが筆者の答えです。当時の学校は決まりに対する意識がゆるく、同僚と昼ごはんに出て戻るのが14時くらいということもありました。
大会前に遅くまで残るのも、大会の直後に部活を休みにするのも先生が自分で決めていました。つまりここまでは自分の判断でやっていいという余白があったのです。
自分で決めていたから長くても苦しくなかったということでしょうか?
まさにそこです。長く働いてはいても長く働かされていたわけではなかったというのです。筆者は多忙であっても多忙感はなかったと表現しています。
多忙と多忙感は別物というのは新しい見方です。私は忙しさは時間で決まるものだと思っていました。
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では土曜日が休みになったのになぜ今の先生は忙しいのでしょうか?筆者の答えは正しいことの足し算です。
この30年でいじめを見逃さない、不登校を支援する、特別な支援がいる子に個別に対応する、保護者に説明する、個人情報を守る、事故を防ぐ、記録を残す、研修に励むといったことが次々に入ってきました。
どれも私は大学で大事だと習ったことばかりです。辞めていいとはとても言えません。
だからこそ厄介だと筆者は書いています。昔からの仕事は残り続け、そこに新しい課題が加わっていきます。これを始める代わりにこれを辞めるという引き算はほとんどされてこなかったのです。
でもパソコンやメールが入って仕事は早くなったはずです。それでも足りないのでしょうか?
筆者もそこに触れています。ワープロからパソコン、インターネット、メール、公務支援システム、今では生成AIまであります。一つ一つの仕事は確かに早くなりました。
ところが2時間かかっていた仕事が1時間でできるようになると、相対1時間に別の仕事が入ってしまうのです。
効率化したつもりが新しい仕事の置き場所を作っていたということでしょうか。家庭教師のアルバイトでも早く終わるとついでにこれもと頼まれることはあります。
身近な例です。そこで筆者は、働き方改革で取り戻すべきなのは時計の針ではないと言います。取り戻すべきなのは、これは自分がやる、これは今日はやらないと先生が判断できる余地、つまり余白と裁量だというのです。
水野先生、今日の話で私は少し見方は変わりました。働き方改革は早く変えることだと思っていました。でも同じ時間でも自分で決められるかどうかで疲れ方が違うのかもしれません。
土曜日がなくなっても、パソコンや生成AIが入っても先生は忙しいままです。何を足してきたのかと同じくらい、何を自分で決められなくなったのかを見直してみる価値がありそうです。
聞いてくださった先生方、ありがとうございました。今日の帰り道、自分で決めていい仕事がどれくらいあるか少し数えてみてください。また次回お会いしましょう。
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