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本物に見えるか、ではなく証拠は何か
2026-09-15 06:54

本物に見えるか、ではなく証拠は何か

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20年以上、英語を母語としない子どもを教えてきたネスリーンエルバズさんが、AIが作った映像との向き合い方を書いています。ゆがんだ手や不自然な影を探す見分け方には限界がある。かわりに、そのページから一度離れて、出どころと別の証拠を調べにいく。スタンフォード大学が横読みと呼ぶ方法です。解釈する、作ってみる、評価する、という3つの段階と、外国につながる子どもへの足場のかけ方が具体的に示されています。すべてが偽かもしれないという疑いは、冷笑への近道だという警告も出てきます。

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教育カフェテラスの時間です。進行役の水野太一です。 この番組では、国内外の教育の話題を、現場の目線で一つずつ取り上げています。
アシスタントの高橋紗友香です。今日もよろしくお願いします。
今日は、アメリカのeスクールニュースの8月25日の記事です。 書いたのは、ネスリーン・エルバーズさんという方です。 英語を母語としない子どもを、20年より長く教えてきた先生です。
以前、この番組で、フェイクニュースを作らせる授業を取り上げましたが、 その続きのような話でしょうか。
見た問題を、別の角度から扱っています。 この記事の中心にあるのは、問いの立て方を変える、という提案です。
どういうことでしょうか。
これは本物に見えるか、と考えるのをやめて、 これが本物だという証拠は何か、と考える。 この二つは、似ているようで全く違います。
正者は、自分の目を信じることになります。
そして、目は簡単に騙されます。 記事はまず、よく言われる見分け方の限界から入ります。
手の形が歪んでいる、というような話でしょうか。
それと、影の向きが不自然だ、というものです。 少し前まではよく聞きました。
今は聞かないのですね。
聞かなくなるのが早すぎるのです。
しかも、見分け方を覚えた人ほど、 次に見た本物を疑いにくくなります。
代わりに進められているのが、 横読み、と呼ばれる方法です。
そのページの中を読み込むのではなく、 一旦そのページから離れます。
そして、これを出しているのは誰か、 別の場所では何と言われているかを調べます。
疑わしいページの中をいくら丁寧に読んでも、 そのページが自分で自分を証明することはできません。
この方法は、スタンフォード大学の研究が元になっています。
オンラインの情報を筋道立てて考える力についての研究で、 この力は教えれば伸びると実証されています。
そこが大事なところです。 教えられるのなら、授業で扱う意味があります。
はい。英語を学んでいる途中の子どもは、 文字の情報より映像に頼りやすいと書かれています。
それはわかる気がします。 日本語を学んでいる途中の子も同じだと思います。
だからこそ、映像を確かめる力を 先に育てる必要がある、という主張です。
でも、言葉が十分でない子に、 証拠を説明させるのは難しくありませんか?
そこに、この記事の一番実際的な工夫があります。 話し合いは母語でさせるのです。
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母語で、ですか?
考えることと、その言語で言うことは 別の作業です。母語で考えて話し合い、
結論だけを学習中の言語で言わせます。
日本の教室でも使えそうです。
その上で、言い方の型を渡します。 この情報源はこう主張している。
私がこれを疑ったのは、こういう理由です。 この証拠はそれを支えている。あるいは支えていない。
型があると、言葉が足りなくても言えます。
授業そのものは三つの段階で進みます。 一つ目が解釈する段階です。
何を見るのでしょうか?
その映像の出どころ、どこを切り取っているか、 どういう文脈か、何のために作られたか、
誰に向けたものか、この五つです。
内容が本当かどうかは、まだ聞いていないのですね。
まだです。二つ目が作ってみる段階になります。
ここでも作らせるのですね。
同じ架空の出来事について、AIに画像を二枚作らせます。
ただし、指示の書き方や切り取り方を変えます。
同じ出来事なのに、違うものが出てくるということですか?
何が強調され、何が省かれたかを比べます。 そして、どちらの方が説得力があるかを考えさせます。
説得力があるというのは、本当かどうかとは別だと分かります。
三つ目が評価する段階です。
誰が作ったのか、何がそれを支えているのか、何が欠けているのか、 そして、どんな情報が出てきたら結論を変えるか。
最後の問いは少し変わっています。
私もそこに関心しました。 自分の結論をひっくり返す条件を先に言わせています。
それを言えたら、もう決めつけていないことになります。
入口の活動も紹介されています。
Googleが公開している美術のサイトに、 本物の作品の中からAIが作ったものを当てる遊びがあります。
遊びから始められるのは、言葉の負担が軽くて助かります。
当てた後に、なぜ疑ったのか、その判断を支える証拠は何か、 他にどこを確かめられるかと聞いていきます。
遊びのまま終わらせないのですね。
この記事で、私が一番残ったところをお話しします。
写真の操作はデジタルより前からあった、という指摘です。
キレムの時代から、ということですか。
どの一枚を選ぶか、どこで切るか、どう並べるか、後で手を入れるか、 どんな説明文を添えるか、全部昔からある操作です。
確かに、写真は撮った時点で選んでいます。
AIが変えたのは、できるかどうかではありません。
速さ、手に入れやすさ、量、そして説得力です。
新しく生まれたのではなく、桁が変わったということですね。
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その上で、この記事は最後に警告を置いています。
全てが偽かもしれない、という構えは、霊障への近道だ、という言い方です。
全部疑う、では前に進めません。
疑うことが目的になると、何も信じられなくなります。
そうなると、結局一番大きな声を信じることになります。
疑い方を教える、というのは、信じ方を教えることでもあるのですね。
見分ける技術は毎年変わりますが、出所を調べる、別の証拠に当たる、結論を変える条件を決めておく、この3つは多分変わりません。
教育化セテラス、今日はここまでです。
最後までお聞きくださってありがとうございました。
次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。
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