大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。
内田です。 今回は、海にたどる記憶のお手触り、みんな月を見ていた。というね、宮城コースの3日目の後編となっております。
前編の方ではですね、石巻焼きそば専門店ハセベさんで石巻焼きそばをいただいたところまで進んでおります。
後編の今回は、このコースの大いなる謎である、なぜ伊達藩陵宮城県にキリスト教の遺物が残っているのかというその謎に迫っていきたいと思います。
ぜひ前編、そして1日目からですね、聞いていただけたら嬉しいなと思います。それでは本編です。どうぞ。
そしてですね、ここからがいよいよ本番といいますか、本題になってくるわけです。
なぜ今回この旅行を石巻をメインにしているかというのはですね、今から行く一連の施設によります。
それがですね、石巻焼きそば専門店ハセベさんから、来るまで20分ほど、方角点が東なので最初の埼玉食堂に戻っていくイメージなんですけれども、海沿いを東の方に行きます。
そこにあるのが宮城県県庁施設展ミュージアムサンファン館です。
これすごい大きな施設ですねこれ。
この初日から降っていた県庁施設団のミュージアムってことね。
そうなんですよ。
いよいよ謎解きという感じですね。
そういうわけでね、実は石巻市、雄鹿半島というものがまさに入っているところなんですけれども、
雄鹿半島ってよく間違えるんですけど、秋田の雄鹿半島と宮城の雄鹿半島なわけですけれども、その入り口に佇んでいるのがこのサンファン館になります。
以前、1日目で仙台植物館でこの施設の大使を務めた長谷倉六衛門、長谷倉常仲と言われている人ですけれども、
この人と彼が持ち帰ったとされる謎の肖像画とかいろんなものがあって、それは仙台にもあるという話だったんですけれども、
なぜこのサンファン館は石巻にあるのかということなんですね。
まあ先ほどまでの話を振り返ると、やっぱりここから船が出たのかなっていう感じですよね。
おっしゃる通りです。具体的に言うと、厳密に言うとこのミュージアムの場所ではないんですけれども、
ここから後々話すんですが、車でさらに15分ほどかな、東へ雄鹿半島の方行ったところ、半島の中にね、月野浦というところがあったんですね。
今もあるんですけど、その月野浦という場所から彼らは船出したというふうに伝わっています。
それが1613年の秋だったというふうに伝わっているんですね。
このミュージアムで言いますと、この長谷倉常仲をはじめとする私鉄団が一体何者だったのか、
何を求めて船出したのか、そしてその背景にある正宗の思惑とは何だったのかということだったり、
今の時点で分かっている彼らの研究成果というものを、これねめちゃくちゃ丁寧に解説されています。
ちょっと見てみましょうか、展示ね。
その真ん中に地球儀があって、彼らの航路を光で辿りながら見られるというプラネタリウムみたいなものなんですよ。
ああ、地球儀だけどこれ映像が投影されてるんですね。
その通りです。
ああ、だからこの船の航路とかがめちゃくちゃわかりやすいわけだ。
そうなんですそうなんです。
すごいビジュアル豊かですね。
これね、経ったのは1990年代なんですけれども、
その後実は震災でやはりね、被害を受けたために休館とかもいろいろ経てたんですけれども、
2024年にリニューアルをしたばかりなんですね。
なのでこれすっごい新しい展示館になってて、
内容も今の最新の映像技術とかも存分取り入れた、すごく視覚的にもわかりやすいミュージアムです。
なのでね、これ行っていただくと単純に展示を見るだけではなくて、
実際にそのシアターとかで映画をやっていて、
本当に映画を一本鑑賞する感じでね、体験もできます。
しかもこの上映室、シアターの壁のところには船の造形物があったりとか。
そうですね。当時のガレオン船と言われた防衛地船を模しているという感じですね。
この綱とかがね、張り巡らされてるわけですね。
これはちょっと楽しそうだな。
これはね、ちゃんと上映時間も指定されてますから、
これに合わせて、展示見てる間にどっかしらでは全然当たると思うんですけど、
見てもらえればいいかなと。30分ごとに上映してるのでね。
ちょっとせっかくの予告編を見てみましょうか。
今映像めちゃくちゃ凝ってたよ。
すごいですよね。プロのメカみたいな。
実写もイラストっぽいのもあったし、CGもあったし、すごいな。
鈴木アンさんがね、語りをやったりとか。
こっから本格的な話になっていくわけなんですけれども、
一体この慶長慶応施設とか何だったのかということなんですね。
実はそれもですね、このウェブ上においてもめちゃくちゃ凝ったところになってまして、
デジタル航海というコーナーがあるんですよ。
これをちょっと見てほしいんですね。
旅路を巡ってみようと言いますかね。
はい。慶長慶応施設というのはそもそも何かということなんですけれども、
これは関ヶ原が戦いが終わった13年後、大阪夏野寺に豊臣明が滅亡する2年前。
なのでもう江戸幕府が固まって、もう二代将軍秀田田の時代になってる。
家康まだ生きてるんですけれども。
なのでもう徳川家の天下が万着になりつつあるという時代なんですね。
その時伊達正宗は仙台藩の藩主としてなっていて、
それこそ遂行時に力を入れたり内政をしっかりやっていた時期なんですよ。
あくまでも徳川家の一代名として事業を守っていた。
しかしながらですね、この時徳川幕府を巡る国際情勢というのはすごく不穏な情勢でした。
かつ微妙な過渡地だったんですね。
後の話をすると1630年代になると、いわゆる鎖国というものが行われて、
諸外国との付き合い、特にヨーロッパとの付き合いというのはオランダだけに限定される。
それはしかも出島だけに限定されるわけですよね。
しかしながらそれが行われる前のちょっとした時間なんですよ、空白の。
その時どういう状況だったかというと、
織田信長とか秀吉と近づいていた、それこそポルトガルですとかスペインとかっていういわゆるカトリックの旧国ですよね。
オランダ、イギリスという新興国の争いというのが、日本の利益を巡って深刻になっていた時期なんです。
徳川とかっていう権力者の誰とどの国が手を組むかということで、
日本という金が眠っているこの島国というものをどういうふうにアジア世界の貿易で掌握できるかっていうのに、
ヨーロッパの人たちも躍起になっている時代なんです。
だからみんながみんなこの江戸幕府との付き合い方というのを模索している感じで、
一方の江戸幕府としても貿易の利っていうのはめちゃくちゃ感じていますから、うまく貿易はしたい。
だけれどもキニスト教っていうのが入ってくると、いつかの一行一気みたいなことになって大変なことになっちゃうんじゃないかということで、安易は入れたくない。
これは秀吉の姿勢であり、イリアスもそれを踏襲したんですね。
しかしイリアスは結構以前イリアスの時に話しましたけど、彼自身はめちゃくちゃ国際派だったんですよ。
そのためにスペイン国王フェリペ3世から贈られた時計というものが、彼のクノーザントーショフにまだ残ってるって話をしたと思うんです。
ああいう人だったんですよ。
なので後々のイメージの江戸幕府ではなく、イリアス自体はかなり国際派の知識を持っていた人物だった。
そういう背景の中でこの施設を贈られたんですね。
じゃあなぜこれを伊達政宗が贈ったかということなんですね。
正宗はですね、これ勘違いされている方もいるかもしれないんですけれども、決して幕府に無断で勝手に送ったわけではないんですこの施設を。
あくまでも江戸幕府の了解を得て、しかも江戸幕府の船の部長とかも手伝ってもらって船を作って、その上でこの船を出発させたんですね。
で、なんでそんなことをやる必要があったのか。これは正宗がやりたいって言ったからなんですけれども。
これは理由は正直真はわかりません。今でも。わからないんですが、一つ言われているのは、伊達家の仙台藩の経済政策のためだったというふうな説があります。
これどういうことかというと、当時この南蛮貿易がもたらす富っていうのは、西国に集中してたんですね。
つまり九州です。長崎がその筆頭なわけですけれども。
あと平戸っていうのもありましたけど、平戸長崎あたりでみんなヨーロッパの国が植民地にしているフィリピンとかインドネシアとかその辺の国から近い九州に船を渡してくれるわけです。
それ当然メリットを考えればそうなりますよね。
そこで九州の諸大名たちが南蛮のものを手に入れて逆に日本のものを輸出して、それで莫大な富を手にしている。
その筆頭だったのが佐賀藩なべ島。
技術もそこから入ってくる。
そういうことです。
当時江戸幕府も貿易に乗り切れしたから、衆院っていうものを発行して、その衆院をつけた船だったら行ってもいいと。
マニラとかマカオにも行ってもいいっていうことを言い始めて、長崎の商人たちは衆院船幕府のお墨付きをもらって東中井に飛び出していった。
その生き残りが小笠原諸島を唯一公開できた島谷一財門。
これもその時の生き残りだったのが後々になって命令されたって話でした。
ちょうど彼らが生きて若かった時の時代です。
そうすると日本の南蛮貿易の富というのは九州に集中するんですよ。
これがあまりよろしくないと思ったんですね。
特に思っていたのは伊達家なんですよ。
まあ離れてるからね。
自分たちは神殿開発とかで頑張ってるけど、経済効果としてやっぱり南蛮貿易ってのはすごく惹かれるものがある。
なんで船たちは東北に来てくれないんだろうか。
今から考えるとオランダとかポルトガルとかそういう九州方面に召喚を拠点を持ってるところが盛んになってたからなんですよ。
でも伊達家は伊達家で東北に生まれたから仕方ないってことを諦めなきゃいけないのかっていうのが諦められなかったんですね。
ということで九州の諸大名たちがやってるような貿易を俺もやりたいというふうに思ったと言われてるのがまず一つ目の動機だとされてます。
しかしこの仙台、とても石巻みたくなるわけなんですけれども、石巻を使って貿易しようとした時にマニラマカオまでどうやって行くんだって話になるわけですよ。
ちょっと遠いですね。
あまりにも遠いじゃないですか。
しかもそれで九州の大名たちに妨害とかされたら結局全然おこぼれをもらえるかどうかみたいな。
そうだね。結局九州を経由することになりそうだし。
そうそうそう。だから中抜きとかされちゃうかもしれないしさ。困るわけですよねそうすると。
って時に正宗は新しい貿易の販路というのを開拓できるんじゃないか、開拓しなければいけないんじゃないかと思ったんです。
そんな時に彼に近づいてきた人物がいたんです。これをルイスソテロという人物がいました。
これはスペイン出身のキリスト教の宣教師です。
彼はなぜここにいたのかというと、当時豊臣秀吉もバテレン追放令とか言って追っ払っちゃったんだけど。
一回宣教師は全部で金教とかしてるんだけど、かなりゆるかったんですよ。
秀吉はミシチシメに殺しちゃったりもしてるんだけれども、なんだかんだ結局グレーゾーンみたいな形で京都とか大阪みたいな目につくところにはいないんだけれども、
九州にはまだ普通にいるし、江戸とかにもまだいるんですよね。徳川家の家康は割と開国派だった。
っていうのでまだ普通に宣教師はいたんですよ。
それを大ぴらに布教するのはやめろって言われてるけど、スペインとかキリスト教会たちは何を考えてたかというと、
日本に再びフランシスコ・ザビエルがやったように、もう一回キリスト教をここで再起を図ろうとしてたんです。
つまりマサムネは新しい国と貿易を、九州の奴らを出し抜く貿易がしたいと。
一方でルイス・ソテロを始めると日本に残ってるわずかな宣教師たちは、もう一回自分たちの近いキリスト教というものを日本に広めたいというのが思っていた。
そんな時にルイス・ソテロがマサムネに近づいていったのは、スペインという国は実はマニラ・マカオだけとかじゃなくて、太平洋の彼方にあるメキシコというところを持っているんです。
メキシコは実はあなた三陸から行くのが日本で一番近いんですよ。
なぜなら太平洋を横断してそのまま横に突っ切れば九州の人たちが行くよりも石巻が一番近いんですよっていうことを言い始めたんです。
大差ない気もするけど、日本の中では近いよね。
ポルトガルとかって九州とガッチリ組んじゃってる人たちじゃない新しいスペインという相手なんですよ。
そして私ルイス・ソテロはそのスペインの国の出身なんですと。
マサムネさん私たちでなんとかお互いのためにしませんかっていうことを言ったと伝わっている。
これは分かんないどうかまだ本当なのか。
その結果マサムネはイエスはそういう冒険理解があったのでイエスにはちゃんと話して私はスペインにちょっとかけてみたいと思う。
幸いソテロが言うにはこの私が持っている石巻から出すと一番近いと言うからその通りにしてみようと思います。
ちょうどあなたイエスあなたのところに最近ナンパして漂着しちゃったスペイン船の船長みたいのがいるでしょう。
あれを送り届けるっていう名目つまり相手に恩を着せるって名目で船を出したいと思うんですよ。
それは私たちの家臣に叱るべきものを選んでその送り返すスペイン人とソテロとその家臣を乗せてメキシコへとりあえずやってみて情勢を探らせたいと思う。
だから船を作っていいですよねっていうことを言った。
イエスはそれよしとしてバックも協力したんですね。
その結果できたのが2本目は分からないんです。
もう今分からなくなっちゃったんですけどスペインの記録にサンファンバウティスタ号という風に残っている。
これが先例者ヨハネという意味らしいんですけれども。
これを月の裏このオシカ半島でのどこかでこれを作った。
日本の財務庫を使ってスペイン人たちが技術を教えて船を作ったと言われてるんです。
だからもう本当いろんな人の伊達政宗と選挙主とイエスの思惑がそれぞれ合致していけることになったんだ。
そういうことなんです。
実際にマサミネが自分の家臣から自分の代弁者として選んだのがハセクラ・ロクウェモンという人物だった。
これが今の世の中にはハセクラ・ツネナガとして伝わっている人物。
ツネナガが本当の名前か分からないんです。
ロクウェモンとしか名乗ってないんで分からないんだけど一応ツネナガと伝わってます。
初日で絵に描かれてた人。 絵に描かれた人です。
しかし彼はなぜ選ばれたのかここも謎なんですけれども。
ちなみに言うと彼はその時まだキリシタンでもなんでもないんですよ。
ただの伊達家の武士なんです。
すごいキリシタンの格好してたけどね。
そう、あれはあっちに行ってからああなったんです。
当時はただの日本人だったんだけどどうも記録を追っていくと
ハセクラ・ツネナガはマサミネに若い頃から疲れていてすごくできる奴だったらしい。
ところがなんでかよく分からないんだけれども
お家が何か家自体がしくじったのか何かの罪に連座して
一度役職を解かれちゃったりして霊遇されてたんですね。
けれどもマサミネはその才能を惜しんだと言われていて
この順位は誰も行きたくないわけですよ、はっきり言ってスペインに。
まあね、怖いよな。
そう、どこかもしれない。たどり着けるのがよく分からない国ね。
だけどあのハセクラ・ヨクエムはできる奴だし
たぶん彼を抜擢してもみんな行きたくないから文句は言われないし
もしかしたら成功したら彼は再び立場を取り戻せるから
っていう親心もあったと言われてるんだけど
それで彼を選んだ。実際すごい有能な人物だったと言われてるんですよ。
ヨクエムもその命令を受けたので仕方なく
ただの先代版の藩主として終わるはずだった人生が
急に太平洋を横断してメキシコへ行けスペインへ行けっていう
匿名宣言に対して任命されてしまったんですよ。
大威張的だね。
しかも別に下級武士だったので。
っていう一生あった。
そこで結局船ができてこの1613年新暦10月28日
石巻にある月野浦というところから出航をした。
そしてなんと2ヶ月を約かけてアメリカ大陸に着いたんですね無事に。
そしてアメリカ大陸を岸次第に今のアメリカの辺りのロサンゼルスを渡っていって
メキシコへ着きました。
そしてメキシコへ行くとメキシコ総督というのがいるんですね。
スペインをフェリペ3世の部下であるメキシコ総督というのがいて
これに国書を渡したんですね。
何が書いてあったかというと
マサムネとイエスそれぞれの手紙があったんですけれども
親愛なるメキシコさんというふうに言い始めて
フェリペ3世のことを私はめっちゃリスペクトしてるんだと。
なんでかっていうとスペインというものが非常に偉大な国であって
ぜひ私としてはあなた方の教えであるキリスト教というものを
仙台藩の領内、その後マサムネはそこにちゃんと理解がある君主なんですよ。
だから仲良くしたいんです。
その仲良くしたいために
お互いに私の仙台藩領とメキシコで
船のやり取りをするように航路を結びませんかってことを言い始めたんです。
これはたださっき言ったマサムネの親はつまり貿易がしたかったんです。
メキシコというのも金とか銀とかめった取れる国ですから。
それという狙いもあったと思います。
一方でソテロは通訳として来てるわけなんですけれども
彼の狙いはキリスト教の不況にあるんですよ。
しかももっと言うとソテロというのは野心家だったと言われていて
彼は自分がこのキリスト教のもう一回復活というのを日本における
復活というのを成し遂げた見返りとして
自分こそがキリスト教の中の日本のリーダーであるという風に
ローマ教皇とかスペイン王が認めてほしいという下心がある。
それだけで役割を果たすつもりでいたんですね。
実際そういう役割になれそうなわけですね。
成功したらね。だから熱が入るんですよ。
だからそれぞれの思惑でそれぞれのことを
本紙をみんな言わずに手紙に書いて
それをメキシコの総督に渡したんです。
メキシコの総督からすると
何か得体の知れない謎の国の侍が突然やってきて困るわけですよね。
これで奉約書って言われたって話になるし
ことが意外とこれ重大だぞというのが分かってる。
ちなみに大変を横断した人物は田中正介という商人が
徳川家康の名誉で何年か前に初めて横断してるんで
メキシコ人が日本を見るのは初めてじゃなかったんです。
二人目だったと思います。日本人を見たのは。
でもこれは何かいきなり
伊達正宗って誰だよみたいな話になってくれて
これはメキシコ人は判断できねえってなって
悪いんだけど俺じゃ判断できないから
マドリッドへ行ってフェリペ三世と直接話してくれって言ったんですね。
ってことになって当初はメキシコで行って
そこで渡して終わりだったはずなんだけど
いろんな歯車が狂い始めて
なんとマドリッドに行かなきゃいけなくなっちゃった。
すげえ大事になってきたね。 大事になってきた。
でとうとうメキシコの半島西海岸にいたんですけど
渡って東まで行ってそっからメキシコの今度船で持って
フェリペ三世のいるマドリッドまで渡るんですね。
これで航路が書いてあるわけです。
今石巻からメキシコに着きました。
着きました。そして
キューバに行って東に移るわけです。
これちなみにサンファンバウティスタ号はこの時
東側に行けないんだよ大西よこの時まだね。
なので日本に帰ってます一回。
他の商人みたいのもいっぱいいたんですよ。
威嚇戦記を企むいろんな商人とかうぞうぞうの人物が
この船に乗ってたって言われてて
彼らはメキシコでバイバイして
一定の利益を収めてさっさと石巻に帰ったんですね。
だから本来のマサムネの使いとかソテロだけが
東へ行くことになった。
また別の船に乗ってマドリッドに向かう。
そうそうスペインが用意した船に乗っていくんです。
着くんですよとうとうスペイン。
この時の航路というのが一応記録上に残っている限り
初めて大西洋を温暖した日本人とされてます。
そしてスペインはソテロのまあふるさとでもありますので
いろんな仲介書とかもいてくれてスペインでは歓迎されました。
当時スペインというのはフェリペ3世がいて
沈まぬ王国帝国だったわけでね
その無敵艦隊は最近も強さを発揮したわけですけれども
ああいう国なわけです。
ところがこの時実は結構イギリスとかオランダっていう
プロテスタントの国に押され始めていて
若干経済状況に限りがあったんですね。
だから貿易というのはある意味いいかもしれないけど
それに匹敵するだけの富がちゃんと得られるのかっていうのは怪しいと思う。
なるほどね。
英帯の知れない日本なんていう国と
貿易して利益が得られるのかと。
ただ上手い話かもしれないと同時に思うわけですよ。
賭けだよね。
そうだってオランダとかは長崎で上手くやっちゃってるんだもん。
そうだね。
この時見てほしいんですけど日付を。
これ1614年12月についてるんですね。
つまり月の裏を出発してもう1年経ってるんですよ。
ようやくマドリトに着いたんですね。
マドリトに着くとフェリペ3世というのは非常にこれを歓迎したんですね。
アローコとか国王隣接とかっていう超特別待遇で
ハセクラ・ツンナガをもてなしてあげて
さらにハセクラ・ツンナガはこの時何を思ったかわからないんだけど
自分はキリシタンになりたいって言い始めたんですよ。
それを受けてスペインというのはカトリックのリーダーだと思ってますから
素晴らしいとお前の心を行けばってことになって
特別に私たちの前で一緒に式をあげてやろうってことで
なんとスペイン国王フェリペ3世のプロデュースによって
その国王のいる前で抽選したんですね。
ハセクラ・ツンナガっていうのは。
異常なんですよ。
これヨーロッパでも普通ありえないことだと思うんですよ。
すごいね。下級武士だったのにね。
なんでこの時ハセクラがキリシタンになりたいと思ったかはもうわからないんです。
もう誰もわからない今これはもう。
そのやり取りをうまくするために言ってるのか。
その説もあります。
でもこの1年の間で宣教師と触れ合って
もう完全に心から信仰してたかもしれないし。
かもしれない。これはわかりません。
ただわかってる事実としては
この時スペイン国王もその周りの議会とか宣教師たちも
めちゃくちゃ悩んで議論したんですね。
それなぜかっていうと
おかしな情報が方々から入ってきて
この施設は一体何者なんだってことがわかんなくなってきたんです。
国書はちゃんとあって金箔のめっちゃゴージャスな手紙
これスペインに残ってるんですね手紙がまだね。
っていうものがあって
これはすげえ日本ただならぬ者から来たのは間違いない。
これはすげえんだなと思った。
確かにこいつはキリスト教に理解がある。
マジでこのハセクラという男はすごく頭がいいし
キリスト教も受宣したってのは本気なんだろうと。
これはただ追い返すのかわいそうだし
あるいはスペインのためにもなるかもと思った。
ところが一方で別のルートから変な話が聞こえてくるんですね。
日本は大樹徳川家康の名前で
キリスト教を全面金鏡にしたそうですよ。
っていうのが情報として入ってくる。
え?みたいな。
だって今こいつ
今キリスト教に仙台に広めたいとか言ってるやつがいるんだよ。
俺の国手元に。
いやでも別ルート確かな筋から
今日本は金鏡令を発布したっていう形が入ってきてるんです。
どういうことってなって
そもそもこの伊達正宗って何なのこいつは?ってことになって
これちょっと分かんねえなって
ちょっと分かんねえから
キリスト教のことはやっぱり一番トップで決めてもらおうとなって
ちょっと悪いんだけど
俺でも判断がつかないから
ローマに行ってくれないか。
すごいね。
ローマ教皇がそこにいるから
その人がキリスト教の最高位の人なんだと。
ということでローマへ行ってほしいと。
船は俺たちが用意するからってことで
フェリペ三世をスペイン船で地中海を渡らせて
なんと施設をローマへ運んだんですね。
これがその模様です。
一旦フランスに寄って
イタリアローマに。
またこの時スペインマドリットについてからもう1年また経ってるんですよ。
本当だ出発から2年経ってるね。
そうなんです。
彼らはもともとローマ教皇と会うということも想定していたんですね。
そうなんだ。
意外と伊達正宗とかイエスっていうのは国際秩序をちゃんと認識しているので
どういう権力構造になっているかってある程度知ってるんですよ。
メキシコ総督っていうのをまず絶対言うだろう。
メキシコ総督がオーケーって言ってくれれば話は楽だったんだけど
それがダメな可能性も考えられる。
フェリペ三世に多分答せることもあり得るだろう。
だからフェリペ三世用の手紙も持ってるんですね。
その上で万が一ダメだったらローマに行くことも考えられるから
予め用意してたんですよ。
すごいね。周到だね。
この時代の日本人は意外と世界のことがわかってるんですよ。
なので彼らも想定内ではあったんだけれども
本当はフェリペ三世あたりで貿易OKって言ってほしかったのが本心だと思いますよ。
だって貿易はスペインの取り分なわけだからさ。
そうだね。
けど結局ローマに行かされちゃって
ローマ行ったんですね。
そうするとローマ教皇パウロ5世という人物がこの時の教皇なんですけれども
サンピエトロ大聖堂ですよ。今で言うね。
大歓迎を受けるんですよ。
東の国からもう2年かけてクリスト教のためにやってきた人たちがいるんだと。
確かにね。
なぜそれが熱狂を呼んだかっていうと
これの時から30年前の少年たちのことを思い出していた人がいたはずなんです。
それは文後の大名大友宗林という人物が送ってきた伊東満所以下4名の少年たち。
天宗建王施設という九州の大名が30年くらい前に送った施設がいるんですよ。
大友宗林の親戚なんですけど。
これはインド洋ルートで東から行ったんですよ。
これがおそらく日本人が初めてヨーロッパに行った日本人なんですけど。
彼らも大歓迎を受けるんですよね。
でもその時のことを長谷倉津長が知ってたかは知りません。
けれどもローマ人たちはその日本という国があって
彼らの中にはキリスト教に本気で命を懸けている人たちがいるっていうのを知ってた。
それはすごく日本人との知性があって常識があってすごく付き合うに足る相手だというのも知ってた。
そしてまた30年の時を経て再び日本人がやってきたっていうので大歓迎になります。
でもイタリアの記録にめっちゃ公害みたいになって
日本から施設到来っていうので長谷倉津長は馬に乗ってパレードをして
帽子を取ってみんなに挨拶をしてたという。
そういう記録が残ってるんですローマの市内に。
そしてついにローマ教皇パウロ5世と直接会って
そこでいたわりの言葉とか応答をするんですね。
これがローマでの一見という旅のハイライトです。
すごいことになってるね。
そうなんですよ。ところがローマ教皇もローマ教皇でまた迷うんですね。
この時何が起こってるかというとやっぱり確かな筋から
日本はどうやらキリスト教を禁止したらしいという話が入ってくる。
そしてもう一つ悪かったのは
このソテロという宣教者大丈夫なのかってことになってくるんですよ。
これはソテロの悪口が言いふらされて始めたんですね。
ソテロは野心家ですと。
全然その気もない日本人を騙して
自分の野心のために多くの人を犠牲にしようとしている。
それをなぜ始めたかというと
そもそもキリスト教の会派の中でも対立があって
誰が日本の利権を獲得するかっていう暗党があるわけですよ。
それにソテロに出し抜かれたって焦った奴らが悪口を言い始めた。
でも言われるソテロにも問題があって
ソテロはいろんな記録に言うと巨型兵器があったんじゃないかって言われてるようなことを言って
ちょっと怪しいね。
何を言ったかっていうと手紙にこそ書いてないんだけれども
当時のローマ記録とかによると
伊達正宗は次の将軍になるって言いふらしたらしいんですよ。
今の日本しかありえないんですよ。
ちょっと虚言だねそれは。
徳川はいずれ倒れる。
二代将軍秀田だというのはいるけれども
そうじゃなくて正宗こそが日本を支配する時が必ず来る。
だからこの仙台という国とやっていくとこが
めちゃくちゃ将来のためになるんだって言い始めたらしい。
けどイタリア人もさすがにそこまでどこが本当かわからないから
よくわかんないけど怪しいと。
確かなことは下せない。
けどこの長谷倉積中というのがガチなキリスト教徒だから
とりあえずこいつの宗教意志は取り残なってあげようと。
いうふうにしてローマ教皇と会うことができて歓迎もされたんですよ。
けれども貿易云々とか
日本が引き続き復活するとこれ本当か怪しいぞってなって
とりあえず少なくとも貿易のことっていうのは
そもそもローマ教皇云々じゃなくて
フェリペ3世が判断すべきものだから。
スペインとの貿易だからそもそも。
国の話だからね。
宗教とは違いますから。
また別だからね。
そもそもアカプルコってメキシコの港と仙台との付き合いの問題にターンを走っているので
これをフェリペ3世が判断すべきだろうっていう風にローマ議会も言い始めて
私鉄は再びマドリードに返されるんですね。
スペインに返されて
ここでもスペインでもなかなかやっぱり怪しいという風になってきている。
現にどんどん情報が集まってきたら
どうやら徳川というのはもうとっくにキリスト禁止してるらしい。
そもそもイエスというのは死んでるらしいぞもうすでに。
実際に徳川幕府はもう全領内日本に禁経令を全部敷いてるんですね。
しかし常永はそれを知らずに出発してからその禁経令を発表された。
なるほどね。
ちょっと雲行き怪しくなってくるね。
そうなんですよ。
そしてスペインでも彼は貿易の実現のためにすごいいろんな粘り強い交渉をするんですけれども
やっぱスペインはさすがにそこまでバカではなくて
やっぱこれは怪しい。やめたほうがいいってことになって
最後はもう国を追うようにしてメキシコへ返して
おとなしく仙台に帰れというふうになる。
しかしそれでも諦められなかったソテローと常永は
いろんな格索というか交渉するんだけどメキシコはメキシコで。
さらにメキシコは返されて月の裏に直接帰らないで
マニラに行くんですね今度ね。
フィリピンに前線地がそういう貿易の基地がありますから
ここへ行ってここでいろいろまた活動するんですよ。
ここの総督とかに頼み込んで
なんとかフェリペ3世の気を変えようとするんだけれども
さすがにヨーロッパもそこをちゃんとしてるから
それはやっぱりダメだということになって
マニラに2年近くいるんですねこの後。
なんとかそのマサムリの言われた使命である
貿易実現というのを目指そうとしたんですよ。
その2年の間ずっと交渉をしてたんだ。
なるほど。
この時すでに私鉄が経ってから5年以上経ってるんですよ。
ソテロはソテロでやっぱりちょっと日本は厳しいかもって思ったけれども諦められない。
せめてこのフィリピンの先頭地として認められたい
功績がありたいということでそこは認められたんですね。
だからソテロはフィリピンに1回落ち着くんですよ。
常長はしかしどうしてもやっぱり了解得られないって風になって
やむを得ずもうマサムネのお土産とかだけ買って
失意のうちに月野浦へ帰ってくるんですね。
そして1620年9月20日月野浦を出発してから
もう7年が経った時に帰ってきた。
そして仙台にマサムネに呼び出されて越見しに行くんです。
そしてマサムネはその報告を諸々聞いたわけですよ。
もちろん彼はもう7年前のことだからどこまで本気に思ってたかわからないけれども
少なくとも枷から繋がったのが自分の使命を果たそうとして
7年かけて帰ってきたっていうのは驚いたと思います。
もう帰ってこないとも思ってたかもしれない。
私が帰ってきちゃったんですよ。
しかし帰ってきた服装を見て愕然とするんですね。
それはなぜか霧下になってたんですよ。
もう日本で禁拠されてるはずの霧下。
この時二代将軍秀田というのはかなりの保守的な立場の人間なんです。
なんでイエスと違って結構この人は禁拠令を徹底しろって言うんですよ。
この時まだ潜伏キリシタンみたいな人がいっぱいいるところにいたんですけれども
もう絶対ダメ。先頭者残らず追い出せ。
追い出せないなら殺せって言うんですよ。
っていう時に常永が帰ってきてしまったんですよ。
正宗はさすがにどうしようと思ったと思う。
もうこの辺りはわかりません。
しかし事実としてわかっている範囲で言うと
正宗が常永の報告を受けたその直後に
伊達領内に改めてキリシタンの禁制というのを大々的に発布したんです。
そして常永はその後どうなったかはもうわからないんですけれども
一節にはその2年後にひと知れずひっそりと仙台で亡くなったと言われています。
ただお墓もいくつもあって
結局常永はいつ亡くなったかもよくわからないんですね。
っていうことがあったんです。
これが慶長憲法説というものだったんです。
結果だけ見ると残念な感じではあるけれども。
でもすごいよく頑張ったなあ。
そうなんですよ。
多くの謎があるんですよね。
結局タイミングが悪かったっていうのは本当にそうだと思うんです。
この7年の間の日本の動きがいい方向に動かなかったってことだね。
そうですね。
でも1613年の出航時点で近郷令というのは引かれるってのはわかっていたはずなので
正宗としては多分だよ。
僕が推測するんですけど正宗としては上手くソテルを利用して
キリスト教に寛容な姿勢を見せつつ
いずれ日本ではキリスト教はN字になっちゃうから
実際には頑張ったけどできなかった体位にして
なんとか貿易の利があるということだけを
メキシコにわからせろっていうことが真意だったと思う。
そのために正宗も私はキリスト教に寛容です。
理解もありますみたいなことを書いてるけど
自分がキリシタになりますと書かなかったんですね。
ローマ教皇はそこをついて
そう思ってるんだったらまずあなたが受宣してからまた話に来てください
っていうふうに返したとも言われてる。
ソテルはソテルで逆だと思う。
キリスト教がやばくなるのはわかんないけれども
マサムネみたいな野心家がスペインとの貿易を優先するために
キリスト教を妥協する感じもあるんじゃないかと思う。
だから自分の宗教的な使命をさせるために
マサムネと貿易の利というものを利用したと思うんですよ。
しようと思った。
しかしそれはいろんな交渉がうまくいかなくて
結局2つともとんざした。
どっちもうまくいかなくなって
帰ってきてみたらキリスト教に禁止されてた。
だからこの人たちにとっては
うまく時代ではまらなかったっていう感じなのかな。
そうですね。
ちなみに言うとこのソテルというのは
それでもなお諦められなくて
長谷倉常長が月の裏へ帰ってから4年後くらいかな。
もう完全に禁止されている日本に
なんと密入国したんですね。
そして九州で最期を図ろうとしたんだけど
もちろんそんなのを見逃すはずもなく幕府が。
最終的には今の長崎空港がある大村で処刑された。
という殉教してしまったんですね。
そして長谷倉家というものも
常長はそのままひっそりと亡くなったと言われているんだけれども
長谷倉常長の息子の代になってくると
家人、つまり家来に飯使いとかに
キリシタンがいるっていうことが急問されて
何と長谷倉常長の子供は処刑されてしまって
長谷倉家は断絶してしまったんです。
まあまあでも当時の情勢からするとしょうがないことなのかな。
絶対ダメなんだもんね。
そうなんです。そしてキリシタンというのはもちろん禁止になって
後々ね潜伏キリシタンが実は残ってたことは後でわかるわけですけれども
一応名目上はもうこの世から日本にはいなくなったということになるんです。
ここがうまくいってたらまた違う文化になってただろうね。
今のが歴史の事実としての顕著検証施設の終わりなんです。
しかしここでやっぱり謎なのは
今まで見てきたものが一つ一つなんですよね。
正宗の墓には何が入ってたか。
その金のブローチロザリオが入ってたわけです。
そして正宗の孫のお陽には
謎のバラの花が描かれていたりした。
これはだからもう間接証拠でしかないんだけれども
あるいは長谷倉常長がもたらしたものっていうのは
絶対幕府にバレちゃヤバいんだけれども
西洋の文物っていうものを持ち帰ってきたのが事実なんですよ。
それは幕府にバレないように伊達家に秘蔵されて
エッセンスをところどころにバレないように残してあった。
キリスト教は広まらなかったけれども
そういったものがバラの花と金のブローチとか
その他諸々の証なんじゃないかという風に考えられてもいるわけですね。
もしかしたらだけど
正宗自身も表向きはキリスト教徒では言わないけれども
ちょっと興味があったりとかしてた可能性はあるよね。
大いにあると思いますね。
彼の趣味思考を言っても。
そしてやっぱりこれもいろんな考えがあるんですけれども
その最たるものというのが最初に見た絵なんですよね。
あれローマ教皇の絵なんてのを持ってるってことが
幕府にバレたら大変なことになるような要因相続がつくはずなんですよ。
大問題ですよキリスト禁止されてるのにさ。
それが残ってるっていうことなんですよ。
さっきの長谷倉津長の絵を見てほしいんですけれども
これすごいシワがついてるのわかります?
十字に折ったみたいなシワが残ってますね。
そうなんです。
これは長谷倉家から募集したと伝わってるんですね。
仙台藩が。
長谷倉家が断絶してその後実は復活するんだけど
一回断絶して息子は殺されちゃってるんで
その時に長谷倉家にあったものを募集したって言うんですよ仙台藩が。
長谷倉津長のキリシタになった時におそらくスペインで描かれたと思うんですけど
っていう絵も募集されて折り畳まれていた。
しかしながら仙台藩はこれを秘蔵したんですね。
取得したんですよ。
そして仙台藩のわずかの記録には
この藩の御用医者みたいな学者みたいな御用学者みたいなのがいるんですけれども
その人は長谷倉津長の絵を見たっていう記録が書いてあるんです江戸時代に。
藩の極秘の金庫でこれが見てびっくりしたっていうことを記録してるんです。
その時に見たものっていうのはこの長谷の絵と
それと剣とかローマとか持ち帰ってきちゃったいろんなものと
長谷倉津長の日記ってものを見たって書いてあるんです。
その時仙台藩にそれがあったって書いてあるんですよ。
その学者の記録によって。