はい。僕のような変な人じゃなければちゃんと石巻駅の近くに、これ詳しくは前日の夜を聞いてください。石巻駅の近くに宿を取っていただいているはずなので、そこから話を進めたいというふうに思います。
でまあね、これ塩釜もそうなんですけれども、やっぱり漁港に来たら朝ごはんっていうのは楽しいわけですよ。
小田原でももちろん知っていると思いますけれども、やっぱり漁港飯があるわけですね。
まあやっぱ朝から盛んですからね。
ということでね、石巻駅の近くからだいたい車で10分ほど港があるんですね。のところにあるのが斎太郎食堂さんです。
いやもう写真がもうデカデカと出てきますけど。
海鮮丼ですか。
そうですね、メインはね。
うわ、この生ウニ丼すげえな。
これえげつないでしょ。尋常じゃないくらい乗ってますけど。
この特上海鮮丼もね、すごい種類ですね。
焼き魚の定食もあると。
これは我々はどうしても海鮮丼に目が行くじゃないですか。しかしながらですね、ここ実は石巻港の水産センターみたいなところがあるんですけれども、そこの中の食堂なんですよ。
つまりどういうことかっていうと、地元の漁業関係者の方とかもすごい来るところなんです。
なのでこれ衝撃なのがですね、なんとタイムサービスメニュー。朝9時から11時まで全て700円。
定食、エビフライと鶏からき定食、かつ鍋定食、エビフライの卵とじ丼、エビ天丼、餃子定食、豚バラ定食、セットメニュー半ラーメン、ミニカレーライス、ミニ豚のうんぬんかんぬんという。
めっちゃボリューミーなメニューが、9時から11時までは全部700円っていうものもあるんですね。
僕はさすがに海鮮を食べてしまったんですけれども、周りの方々は結構こっちは食べてる方が多かった気がしますね。
基本的には地元の方向けの食堂って感じなんだね。
半々くらいなのかな。観光客の方も結構多かった印象ではありますね。
なるほどね。だから観光で行くんだったらやっぱり海鮮丼とか食べたいなっていうのもあるけども。
まあまあでも他のメニューも充実してますよということですね。
だから地元の雰囲気を感じたいという方はあえて700円のタイムサービスメニューにしてもらっていいかなと思いますし、全然地元限定じゃありませんから、我々も食べていいものなのでね。
普通に中華メニューとかね。洋食、カレーとかね。面白いねこれ。
だから分かんないけど、9時から11時っていうのがさ、僕らからしてみたら普通に朝ご飯の時間ですけれども、朝4時とか5時とかから働いてらっしゃる同僚関係の方からしたら、これがお昼ご飯くらいの時間帯なのかなと思うんですよね。
なのでこの9時から11時が逆にタイムサービスで700円でお昼ご飯ばっつり食べれるよっていう風になっているのかなというちょっと推測もしていたんですけど。
日替わりメニューとかもあるんですね。 そうなんですよ。カツのたたきとかそれこそね。
僕もこのメカブー食べましたね。その季節だったんで。メカブーの海鮮丼食べました。
これちょっとたくさんのメニューから好きなものを選べるってことだよね。
もちろんこれ食べるだけでも全然いいんですけれども、実はこの石巻市水産総合振興センターっていうところなんですけれども、この施設内には情報資料室というものもありまして、そこには簡単な漁業のミュージアムがあったりもするんですね。
これ自由に見学できます。何が書いてあるかっていうと、要はその三陸の漁場っていうのはなんで世界的な工業所なのかっていう理由だったりそのメカニズムだったり。
あと石巻市って特産品として有名なのは笹かまぼこなんですけれども、そういうような加工技術とかって実は石巻ってめちゃくちゃ先端を行ってるんですよね。
加工だと養殖の技術開発とかっていうのがすごく日本の水産業の発展を牽引した漁港なんですよ。
だから単純にこう漁場があるよってだけではなくて、その資源っていうものをどういうふうに無駄なく経済効果も生みながら地域の魅力を発信していくのかっていうそっちの方にも結構盛れていて、すごい新しい視点だったなと思うんですよ。
だからちょっと漁業とか水産物加工からまだ踏み込んで経済的な面も見れるってことね。
そういうことですね。水産業全体のミュージアム。ちょうどその時僕がいた時は、地元の学生さんだったのかなあれが、おでんを開発するみたいなプロジェクトが動いてる時で、僕も小田原から行ってますからね、おでんがあるわけで。
そういった展示にすごい興味を持ったのを覚えていますね。
ちょっと面白い展示ですよね。それが水産のセンターにあるっていうのも面白いし。
そうそう、すごい綺麗なミュージアムでビジュアルも豊かなったので、子供とかでも見れるような感じでしたし。
なので斎太郎食堂さんに食べていただいて、その後にぜひ情報資料室にも寄っていただくっていうのがいいと思います。
なんか活気づいてそうですね、ここね。
そうですね。
というところでまず軽く朝ごはんをいただきました。
そうしましたら観光に入っていくわけですけれども、斎太郎食堂さんから10分ほど行っていただくところにあるのが石巻市博物館です。
なんか独特な建物ですね。
建物が連なってる感じの、けど一個の建物なんだね。
そうなんですよ、煙突が繋がってるみたいな感じなんですけどね。
この石巻博物館なんですけれども、大河と海に育まれた石巻というもののコンセプトに、市の歴史、文化というものをすごい綺麗なミュージアムです。
すごい洗練されたデザインの中で学ぶことができます。
石巻市というと今までちょっと漁業関係の話ばっかり、昨日のすしほうらいさんから始まってね、してきたんですけれども、
そもそもはこれね、仙台藩の発展と非常に大きな密接な関係を持っていました。
仙台藩が62万石のもて高でありながら、実質100万石規模の生産力を有していたっていう、その貿易面のメインになったのはこの石巻なんですよね。
そうか、だから仙台で作ったお米とかを石巻から全国に出してた。
なぜそれが可能なのか、それぜひ地図を見ていただきたいと思うんですけど。
なるほど、川があるんですね。
そうなんです。これ何川でしょうか。
旧北上川と書いてあるんですね。
そうなんです。北上川っていうのはおそらくね、学校の教科書とかに載っていたんじゃないかと思うんですけれども、東北地方でも有数の川になっていて、
これまあポッドキャストでやったところで言うとね、森岡市とかあの奥州市とかいわゆる岩手県の方から流れてきているっていうものになっていて、
今はこの三陸の尾長の方になっているんですけれども、もともとは石巻の方に流路があった。
江戸時代とかは、要はこの平野で作られたお米っていうものをみんなここに持ってくるわけですよね、船を使ってね。
そしてこの石巻の港から積み出して、外洋の方へ持って行って、大阪とか江戸とかに持って行ったと。
これはもうね、このポッドキャストでもよくこういうパターンありますけれども、やっぱ川というものがいかに大事だったか。
大事なんだね。
そして石巻の地形を見ていただくと、やっぱり入り入りになっているような感じになっていますので、
基本的にはこの波というのは防がれたはずだったわけですよね、こういうところでね。
なのでもう絶好の場所にあるような港がね。
小釜は小釜でやっぱり入り入りになってるんで、これもすごいいい場所にあるわけですけれども、
北上川の流路ということを考えてこの石巻がめちゃくちゃ大事な先代藩の港だったと。
で、石巻の歴史っていうのもすごい面白くて、
単純にもちろんこの北上川の流路、これもね、なんかね、いろいろ地水工事とかもすごい大規模になってて、
江戸時代初期の先代藩のこの北上川への手の入れようっていうのはすごい先見の銘があったと思います。
それ、早い時期にまだお金がちゃんとあるうちにやっといたことで、
後々のお米の生産だかっていうのは飛躍的に上がったというふうに言われているので、
これやっぱ伊達正宗というのは非常に優れた人物だったんだろうと思いますし、
その手先となって実際仏教した役人たちというのも非常に優秀な人材が多かったというふうに言われています。
とはいってもやっぱり江戸初半、特に先代藩をはじめ東北初半は、
貴金というものを江戸時代中期以降何度も襲ってきて、壊滅的な被害を受けている。
これは森岡藩の時にこれが大変なことになったって話はしましたけれども、
それもちろん先代藩も類に漏れないわけで、
そういった経済状況の悪化から石巻ではね、
ここでお金を射る、お金の銃像場みたいなのを建てられたりもして、
石巻駅の近くにそういった地名が残っていたりするっていう、
ちょっと面白い経済都市なんです。
ただいずれずやっぱり経済の要としてこの宮城県を支え続けた、
今もそうなんですけど、町になっているっていうのはよくわかる。
そういうところになってくると、もちろん商人たちもいっぱいいたわけで、
文化というのも育まれていくわけですよね。
なので石巻市博物館においては、もちろんわかりやすく歴史をまとめてくださっていますが、
それとともに石巻の経済発展とかその活躍したキーマンだったりとか、
そういった人たちの業績というのもすごくちゃんと紹介されていて、
私立博物館の中では有数の充実だと思います展示が。
すごく凝ってますね。
この映像とかもすごい使われている感じでね。
そうなんですよ。
見やすそうですね。
これは新しい美術館になっていまして、
それなぜかというとですね、
やはり震災で石巻というのは本当に大きな被害を受けてしまった場所です。
この石巻博物館も当然この建物は震災の後に作られた建物になっているので、
わりと比較的新しいというのもまた事実。
もちろん石巻に関して震災というのはいろんな爪痕を残してしまったわけなんですけれども、
一方でこの石巻博物館においてはですね、
非常に重要な試験が溜まったということでも、
別の側面から震災というものを考えることができます。
というのはもちろん大きな被害を受けてしまって、
博物館にちゃんとアーカイブしてあったデジタルデータとかがね、
あいにくパソコンとかを1階に追いかれてしまっていたらしくて、
全部それがダメになってしまって、
かつこの支度が持っていた文化財とかも結構土砂で埋まってしまったり、
まだそれならいいんだけど、
もう波にさらわれていってしまって、
もう消えてしまったこの支からというものも少なからずあるのもまた事実なんですね。
しかしながら泥にかぶってしまった文化財とかっていうのをほっとくと、
どんどん腐っていっちゃったりしますから、
ということでここで文化財レスキューという事業が行われました。
これはいろいろ国とかも関わっているはずなんですけれども、
全国のこういった博物館とか美術館とか、
芸術品というものをしっかり扱える学芸員さんが整っているところは、
手分けして石巻博物館の所蔵品で、
今震災の日が受けてしまったその所蔵品、
泥とかかぶっちゃったものっていうのを、
みんなでそれぞれの美術館で避難して、
そこで修復とかをやる。
手分けしてみんなで修復をするみたいなことをして、
そのおかげで何とか戻ってきた文化財というのもあるんです。
実際石巻博物館に行っていただくと、
その時、僕が見た時は愛知県の美術館だったと思うんですけれども、
もちろん石巻の調査を終えて、いくつかのものを持って帰って、
それで愛知に一回避難させて、そこで大切にメンテナンスをして、
何とか石巻に戻すまでの話というのが結構特集されていたりして、
愛知県の美術館の方からすごく文化財に対する強い思いだったり、
その被災者の方々に対して、
特に文化財扱っている同僚の方々の苦しみというのは、
すごくよくわかったんだと思うんですよね。
そういうものに対する気持ちのこもったお手紙だったりとか、
そういったものが展示されていたりしましたね。
だからやっぱりそうした多くの人の協力だったり、
あるいはそういった事業というもののおかげもあって、
この石巻博物館、今すごく素晴らしい美術館、博物館になっていて、
我々も今こうして文化財を見れたりとか、
綺麗な建物で貴重な展示を見れたりというのも、
やっぱりそういった復興の一つのポイントなのかなというふうに思ったりはします。
さすがにもう15年ですか。
ちょうど15年経ちましたね。
なのでこういうこともできているっていうか、
これが新しい文化っていう感じになってきてるんだろうね。
その証拠にというか、やっぱりこの震災というものはもちろん、
一つの歴史としては目を背けられないものであって、
文化財レスキングって助かった彫刻とかもいっぱいあるんですけれども、
その中でさっきの伊達正宗の話じゃないけれども、
足が取れちゃったとか、ちっちゃいやつだったねっていうのもあるんですけど、
そういうのをあえてそのままに残しておくっていうのも、
あえてそういう選択をしたものもあるそうです。
やっぱり震災の人の歴史を示すものとしての、
あえてそういう展示を踏み切ったっていうものがあったりするので、
その辺はやっぱり慎重に糸を組み取って、
こちらも鑑賞する必要があるのかなという気はします。
まあやっぱりそのなかったことにするのはまた違うと思うしね。
そう、そんな展示があったりします。
で、あと今回2日目からのテーマで、
静かなものである生物というものを話しよくしてるんですけれども、
実はこの石巻植物館にもですね、
すごいちょっと特別な展示があるんです。
それがですね、高橋英吉作品展示室というものが設けられているんですよ。
また彫刻ですね。
そうなんです。
で、この高橋英吉さんというのは多分ご存じないと思いますし、
僕も正直ここに行くまでは全く存じ上げませんでした。
この方はね、戦前20世紀の初めに生きた彫刻家の方です。
石巻ご出身なのでここに作品があるわけなんですけれども、
この人ちょっとね、なかなか面白い人で人生的にはね。
彫刻がすごい腕が立ったというので子供の頃から認められて、
いわゆる美大の方に行こうとして、結局東京芸大に入ったんですよ。
だからすごい優秀なわけなんですけれども。
ところがですね、何を思ったのか、
なんか自分のその創作に行き詰まってしまったのかわかんないんだけれども、
あるときその美大、芸大を中退しちゃったんですね。
何をしに行ったかっていうと、
なんと何の縁もゆかりもないはずの捕鯨船。
南極へ行く捕鯨船というものに乗り込んで、
そこで自分の芸術を鍛え直そうというふうに思った人なんですよね。
そこで何をしたのかということなんですけれども、
そこで南極に行く捕鯨船の船員として働きながら、
そこに南極の船の上で繰り広げられる船員たちの営みというものをね、
彫刻にしたところ、それがめちゃくちゃすごいっていうことになって、
一気に評価が高まった人なんですよ。
ちょっと作品見てみましょうか、実際。
これもその船員同士が、
要は美容院とか当然船の上ないですし、南極に美容院ないですから、
船員同士でこうね、髭を剃ったり、散髪をしたり、
そういった瞬間を捉えている。
だからすごい筋肉粒々としたそのたくましいね、
船員たちがお互いに助け合って、
過酷なね、たぶん捕鯨の航海の中の、
塚昇の急速かもわかりませんけれども、
そういったその一瞬を捉えたんです。
いやなんで捕鯨船なんだろう。
その時ちょっと謎が多いんですけれども。
割と突発的にそういう航海に行ったっていうことですね。
そうなんです。
でもそのおかげというかね、そこで得たものっていうのが、
芸術的な新しい地平を開いて、
海の産物作なんて言われてるんですけれども、
その南極の船員とかそういったものを題材にした、
もうこれ本当に等身大なんですよ、人間の。
ちょうど人が写ってる写真がありますけれども、
それで見てもらったらわかるとおりにね。
で今展示室にこうやって静かに安置されていて、
我々の目の前に現れるんですね。
いやーこれはちょっと迫力すごそうだな。
すごいです。これ迫力めっちゃすごいですよ。
いやー今この筋肉もあるしね。
うん。しかも木鳥っていうのがまたね。
そうか、これは木の。
木なんですよ。
あーなるほど。
元々仏像とかもすごい掘る方なので、
木なんですよこの人はね。
以前宮城県美術館の佐藤忠良さんは、
金属とかだと思うんですけど、
こっちは木なんですね。
だからそれぞれの作品の表現の面白さっていうのはありますよね。
やっぱこの肉体感すごいな。
ちょっとど迫力で、
並の表現ではないと思うんですよ。
でこれ本当に目の前に現れた瞬間っていうのはね、
結構怖さすら感じるような、
やっぱり彫刻ってすごいなって、
この宮城を通して思うんですね。
やっぱりちょっとこの木の感じがね、
本当に肌にも見えるし、
ちょっとやっぱ生々しさというか、
そうですね。
実在感があるな。
そうですね。
なのでこの人ね、本当に長生きしてれば、
あるいは本当に教科書に載ったレベルに育ったんじゃないかなって、
僕は思うんですよ。
この遺作のオーラを見てね。
素人目ですけれども。
ただね、残念ながらですね、
この方、本当に生まれた時代のせいなんですけれども、
戦争でね、亡くなってしまうんですね。
なるほど。
太陽戦争が始まって終わるとすぐに、
南洋のガダルカナル島という非常に有名な島で、
そこの部隊に入らされてしまって、
そこで戦死してしまった。
31歳の若さ。
ちょうど我々と同い年ですけれども。
で亡くなってしまって、
これ以降の作品は世に伝わることはなかったんですね。
ただやっぱり、地元の方々だったり、
芸大の関係者もそうだと思うんですけど、
この高橋恵吉さんの才能っていうのは多分多くの人が、
すごくやっぱり惜しんだと思うんですよね。
そういうわけで、遺作というものが集められて、
この石巻の旧、震災前の文化センターの中に収蔵されて、
今はそのね、無事に震災とかを乗り切って、
エスキューもいろいろされて、
今ここに記念の展示室が別室としてわざわざ一つ設けられて、
今我々の前に現れる。
これ、開館料は別に他のと一緒で合わせて見られます。
戦争でっていうのは惜しいですけれども、
でもこの木の彫刻が震災をよく乗り越えてくれたなという感じですよね。
やっぱり僕もこの高橋英吉さんという方自体を、
初めてこの彫刻の部屋で知ったのでね、
やっぱりこのいろんな人生のことも思うわけですよね。
その戦争で最後亡くなってしまったというかも含めてですけれども。
特に何とも言えない気持ちになったのが一個ありまして、
それがですね、この不動明王像というのがね、
小さな作品なんですけど残ってるんですね。
これすごくないですか、この繊細さ。
これ画像で横にあるのが彫刻刀なんですか?
そうなんですそうなんです。
じゃあその彫刻刀と同じぐらいのサイズ感ですね。
そう見るとかなり緻密ですね。
緻密です。だからせいぜいスマホぐらいですよ。
そこにめちゃくちゃ着物のこう…
布のシワとか。
布のシワとか炎とか、
不動明王像の紙とかそういうところも含めて、
めちゃくちゃ精緻に描き込まれた素晴らしい作品があるんですよ。
これがね、なんでこんなものがあるかっていうことなんですけれども、
なんとこれね、最後の家となったガダルカナル島へ行く船の上でね、
これを作ったと言うんですよ。
だから彫刻刀満足に手に入らなかったから、
こういう細かいものしか作れなかったということだと思うんですけど。
大きなのは作れないもんね。
いやでも、その船の中でこれだけ緻密なものを…
自作彫刻刀って書いてあるね。
そうなんです。
確かにこの彫刻刀の絵のところもかなり不揃いな感じですね。
そうそうそう。
だからそこまでして、これもう本当に天武の才というかね、
素晴らしい才能の持ち主だったと思うんですよね。
私なんかこの祈りがすごくこもってる感じはあるんだろうな。
そうなんです。そうですね。
どういう気持ちでこれを、その船の上でね、
日中はいろいろ訓練とかもあったでしょうから、
夜南欧へ行く月明かりの下で描いたのか、
よくわからないんですけれども、その辺りはもう誰もわからないんですよ、もうすればね。
だけれどもそれを最後にね、ガダルカナル島へ行く中で描いて、
日本へ戻っていく騎士たちにこれを託して、
そのためにこの最後の作品だけは宮城に戻ってきたって言うんですね。
家族の元に届くように、
騎士の方に託したと。
これはね、まずこのクオリティに驚かせるんですけど、
しかも揺れたはずですよ、船の中ってすごく。
なんかちょっといろいろな想像とか、
ちょっと思いを想像する感じですよね。
いつ沈められても、いつ死んでもおかしくない状況の中でね、
これを船の中でずっと掘ってたっていう、
その心境だったりとか、その強い思いっていうのがね、
なかなかこの一つの図を見るとね、いろんなことを考えさせられる気がしますし、
そういうことちょっとただのことではない作品だ気がしました。
こういう方がいて、でもそれもやっぱり石巻植物館が素晴らしいと思うのは、
そういった方のためにちゃんと一つ展示と用意してまであったから、
僕も石巻だってそんなに多く行ったわけじゃないですから、
いつ行ってもこれ見られる状態になってて、
これが展示外とかだったら、もしかしたら僕はそこの作品出会わないまま、
高橋駅さんの名前を知らないまま石巻から帰って行っただけかもしれなかったので、
やっぱり常設展示としてこれを審査、しかもこれもこんな小さいものが乗り越えてね、
ちゃんと今この我々の目の前に見られるっていうのはね、
なんか特別な作品だというふうに思いましたね。
ちょっとこの高橋駅さんの作品展示室はね、
ちょっと時間をかけて見ていただくといいんじゃないかと思いますので、
石巻植物館結構時間取ると思います。
それ以外の内容もすごい充実してるんで、
素晴らしい博物館ですね。
石巻植物館から車で15分ほど港の方にちょっと行きます。
そこにありますのがですね、
宮城東日本大震災津波伝承館です。
これはやっぱりちょっと見ておかないといけないですよね。
そうですね。
我々自身はね、ちょうど我々は本当に、
あれは中学3年生の春休みでしたね。
期末テストの中だったんですよね。
テスト中だったんですよね。
今でも覚えてるのはテスト期間中だったので、
たぶん2日目かなんかだったんだよね、あれね。
翌日もテストだったと思うんですよ。
そう翌日もあった。
だから学校が早く終わったんですよね。
部活もなかったんですよ。
だから家に帰って翌日のテスト勉強みたいなのをしてた時でしたね、僕はね。
僕は家帰って昼飯食べた後とかだったのかな。
そうだよね。
ちょっと一息ついたぐらいの時間帯で、
東京もそこそこ揺れましたから。
正直人の悲鳴っていうものを本気で聞いたのはあれが初めてでした。
あれ以降もない気がします。
東京ですらそれだったから。
家の中結構荒れましたし、僕も。
そうね、物倒れたりとかもしましたよね。
ただ幸いね、我々は怪我もせずに今こうしているわけなんですけども、
やっぱりあの時のショックというのはね、
結構同じ時代を生きている人間としてやはりどうしてもね、
今でも色々覚えてるところはありますが。
やっぱりニュース見てても嘘だろうっていう。
そうね、信じられなかったですね、正直こんなことがっていうのは。
そうだね。
それを率直な気持ちでした、中3の時のね。
あれから本当に、あの時僕ら15、6でしたから、
ちょうどもう人生の半分がそれから経ったわけですね。
15年前の3月ですよね。
こちらのミュージアムは宮城県ということで、
東日本大震災は本当に東北を中心に各色んな県で
色んな被害があったわけなんですけれども、
特にやっぱり宮城県というものの被害は大きかったです。
特にやはり津波の被害というのは甚大だった。
そうだね。
その中でもね、この石巻市というのはですね、
全国の市区町村の中で最も多くの人的被害を出してしまった自治体になるんですね。
石巻市では直接市だけでも3000人以上に上ると。
もちろん関連市の方とかも合わせるともっとだと思うんですけれども、
直接市だけでももう市区町村別で全国最大の被害が出たところなんですね。
だからどうしても石巻市に行くと被災地というイメージが付いてしまうかもしれないんですけれども、
それはやっぱりこういうところに有縁があるのかなというふうに思います。
しかしだからこそですね、この津波伝承館というのが建てられている意味というのはあって、
実際これ建てられているのは本当に海沿いの津波が押し寄せた地域にそのまま立っています。
この地域だけで500人以上の方が亡くなったという、
3000人以上が亡くなっている石巻市の中でもそのうちの500人以上がこの地区で亡くなっているという、
本当に一番大きな被害を受けた場所なんですね。
今はこの伝承館自体は公園の中に建っています。
震災の波が引いて整備がされた後に、犠牲になった方々の遺霊と鎮魂のための、
そしてこうやって伝承していくという、そういった役割を持った公園の中の中核の施設として建っていて、
コンセプトとしましては、県内の震災伝承施設等へ誘うゲートウェイ、玄関口、なのでまずはここに来てください。
そうすると石巻を中心に宮城県、あるいは他の県でもどういう被害があったかということの概要を知られるというところなんですね。
実際に展示内容もですね、ここちょっと本当に多分震災に対するいろんな記憶だったり気持ちが様々でしょうから、
あらかじめ知っておいていただきたいのは、やっぱりあの時の津波の映像というのも流れます。
そこはあらかじめという感じなんですけれども、しかしそれが実際現実だったわけで、
そういったものを踏まえて、なぜこの地区でこれだけの被害がまず出てしまったのかということ。
それはある意味、もちろんそもそも地震が起きたのがどうしようもない部分であるんですけれども、
ある意味では防げたかもしれない被害もあったのかもしれないというところはあるわけですよね。
特にね、よく岩手県の方とか言われますけど、実は伊達正宗の時代にも大きな津波があったりもして、あるいは平安時代とかにもね、
何度かやっぱり同じ地区で津波が起きてたんだけれども、その時ここまで津波が来るよっていう基準点が示されていて、
昔の人がその石を立ててたんだけど、いつの間にかその石を忘れられされてしまっていて、
それより下に宅地開発がずっと進んでいってた。そしたらやっぱりその石の通りになってしまった。
だから昔の人は昔の人なりにこの伝承館を建てようと思ったんだろうと思うんだけど、いつしかそれが忘れちゃってたんですよ。
っていうのがやっぱり反省点としてあるんじゃないかっていうこともあるからこそ、これだけの被害を受けたこの場所において、
津波というものがどれだけのね被害をもたらした、そしてそこから得られた境況は何なのかっていうことを伝えている場所なわけですね。
そうですね。
これはやっぱり我々は直接被害を受けてないですけど、でもやっぱりその当時生きてたものとしては忘れてはならないし、
その対策を後世に伝えていかないといけないですから、
ここはちょっと無理にとは言わないけれども、目を背けずに見るべき場所なのかなっていう感じがしますね。
そうですね。
ただもちろんミュージアムですので、すごくちゃんとわかりやすくはなっています。
映像ももちろん交えながらですけれども、あの時どういうことがあったのかっていうのももちろん記録だったり、
あるいは後から分かった分析の結果っていうのもちゃんと最新の科学によって導き出されてるんですよ。
なぜこんなことになってしまったのかっていうこと。
それをもちろんスタッフの方々もいっぱいいらっしゃって、その中には実際にこの場所で被害に遭われている方から直接お話を聞くこともできます。
語り部という方ですね。
その語り部、もちろんこのミュージアムにもいらっしゃいますけれども、
宮城県とか震災のあった地域においては、それをあえて伝承するために残してある遺跡とかもあるわけですよ。
石巻市においてもそうなんですけれども、各地区に津波で破壊されてしまって多くの方が亡くなった小学校とかをあえて残してあるそのまま。
それはだからもうある意味その教訓を伝えるための役割を今になっているわけですけれども、
そういったいろんなところで今どういう風に震災を語り継いで未来を残そうとしているのかっていう、
その今の被災地の現実っていうものも色々解説をしてくださいました。
もちろんそれだけじゃない色んな見方があると思うんですけれども、
少なくともやっぱり一つの見方としては、これは学ぶことが色々あるんだなというふうに思いますね。
現にこのミュージアムのすぐ近くにも震災後が残っています。
ここを行っていただくと、津波の大きな威力というのはどれだけのものだったかということがあえて残してあるので、
それの見方というかそこから何が起こった場所だったのかっていうのも、
ある意味ではこの伝承会、まずその大枠の部分を知ってもらって、
その上でなぜ石巻社それを残しているのかっていうことを踏まえて、
ここに行っていただく、震災後を見ていただくっていうのも一つ大切なポイントなのかなと思ったので、
今回もコースにここで入れさせてもらったという感じです。
やっぱり時間が経って復興が進んでいるからこそ、また重要になる施設ですね。
ここまで来ると、もうお昼の時間になっていると思うんですね。
石巻にはB級グルメとしてめっちゃ有名なものがあるんですよ。
これが石巻焼きそばというものなんですね。また焼きそばなんですよ。
このポッドキャストね、おでんとそうめんと焼きそばの人気が高すぎるっていう結構あれなんですけれども、
行くのはですね、津波伝承館からだいたい車で15分くらい、
石巻の本当に住宅街の中にある石巻焼きそば専門店ハセベさんです。
俺初めて見たかもこれ。
焼きそばに卵と野菜と豚肉ですかね、乗ってるんですね。
これまでやった焼きそばで言うと、藤の芽焼きそばが最初に出てきて、
その後秋田の横手焼きそばもやりましたかね。
それぞれ特色がありましたけれども、この石巻焼きそばは何が特色なんでしょうか。
この盛り付けは一つ特徴な感じがしますね。
で、なんか麺もちょっと違うのかな?
ソースじゃないのかな?
そうなんですよ。
これね、石巻焼きそばの最大の特徴は二度蒸し麺というものなんですね。
蒸し麺なんですけれども、単純に蒸すだけじゃなくて、
その魚介出汁を染み込ませて2回蒸す。
なのですごく柔らかいんですよ。
ふっくらもっちりとした焼きそばなんですね。
ただその分ソースじゃなくて、魚介出汁をもうふんだんに蒸気で吸い込んでるっていうので、
旨味が結構ね、癖になりますね。
ちょっと気になるなこれ。
なのでソースはお好みなんですね。
使いたい人はかければいいんだけど、このまま魚介出汁だけで食べれるって感じなんですよ。
豚肉の上にソースがかかってますけど、
そういう感じだね、後からソースを足すっていう。
面白いね。
なのでやっぱりね、藤宮のエビとか乗ってますけれども、
ここもやっぱり魚介の町だからこそ、海の町だからこその焼きそばということでね、
非常に美味しいポイントになっています。
石沼焼きそば自体は提供店はここだけではもちろんありませんから、
お好きなお店に行っていただければと思うんですけれども、
僕はここに行った時すごく印象的だったのは、
平日行ったんですよここ。
ここね、すごく最初カフェかと思って、家かと思ったんですよね。
外観見てもらえばわかると思うんですけど、
家なんですよこれ。
家だ。
家なんですよ。
きれいな家です。
おしゃれな家なんですよ。
一応のれんはあるけれどもね。
でもね、入るのはこの右の木の扉からなんですよ。
そうなんだ。
もう家だ。
普通の民家なんですよ。だから間違っちゃったんじゃないかと思ったんだけど、
でも焼きそばって書いてあるから、ここだと思って。
入ってみたら、お母さんと娘さん二人でやってて、
娘さんは多分大学生くらいだったのかなと思うんですけど、
すごい若い方で、
後で聞いたらカフェみたいですね、楽しみになって。
普通にカフェっぽいんですよ。
だから実際カフェ意識してるそうで、
焼きそばは焼きそばで石巻の名産ですからね。
これを食べる方も多いわけなんですけれども、
同時にシフォンケーキとかだったかな。
ケーキメニューもすごい充実していて、
これもなんと娘さんが仙台だったと思うんですけれども、
仙台のお菓子の専門学校とかに通われていて、
卒業されたのかな、とかで地元に戻ってきたっていうので、
本場の専門仕込みのスイーツも出せるっていうんで、
カフェのテイストも取り入れたっていうね。
それを家っぽいところでやってるっていう、ちょっと面白いですだったんですよ。
その家族のあったかい感じが出てるんですね。
そうそうそう、すごいあったかい感じで、
でも地元の本当に奥様方みたいな方が、
隣ではケーキ食べてたんですよ。
僕は焼きそば食べて、隣でケーキ食べてるって、
なかなか不思議なお店だったんですけども、
すごい美味しかったですし、やっぱ雰囲気がすごい惹かれてね。
前日のすしほうらいさんしかりなんですけれども、
石巻は人が本当に距離があったかくて近かったんですよね、どこも。
なんかこのファミリー感が出てるっていうの面白いね。
面白いですね。
あ、そうそう、こういうケーキ出てきましたね。
ええ、すごい美味しそう。
これ娘さんが作られているんですよ。
なのでもちろん、僕はちょっと焼きそばしかいただいてないんですけれども、
焼きそばで紹介しましたが、スイーツをちょっと食べたいなって時にも使えると。
し、なんなら焼きそばの後にお口直しでね、スイーツを召し上がるっていう。
カップのデザートもあるみたいですね。
そうそうそう。
なのでちょっと不思議な、いわゆる焼きそば店で行くとなんか大丈夫かっていう感じになる。
お店ですが非常に美味しかったですし、あったかいお店ですね。
すごい印象に残ってるお店の一つです。
なのでお好みのところで食べてもらえればと思いますが、やっぱり石巻来たからにはね、この石巻焼きそばはぜひ召し上がっていただければと思います。