呑みはじめ・土佐 酒池に“奇想の系譜”を追って2日目前編
日本の歴史上に大きな足跡を残していった“土佐人”。
近年では芸術や学問の分野で鮮烈な輝きを放った“別系統”の土佐人にも注目が集まっている。
この別系統の土佐人の正体を知るのには、7月下旬の土日がおすすめ。なぜなら、1年のうちこのわずかな期間だけ、謎に満ちた“奇想の系譜”が宵闇の中に照らし出されるからだ。
【目次】
〜 前回の振り返り&日付を超える覚悟を
〜 川沿いのカフェで優しいモーニング 【kitchen&cafe kaho】
〜 “お酒と音楽のクロスオーバー” 【安岡酒店BLUES】
〜 土佐藩の歴史を知るスタイリッシュ・ミュージアム 【高知県立高知城歴史博物館】
〜 ★歴オタ話★ 浦戸一揆と土佐藩の身分制度
〜 日本で唯一のポイントも。“南海の名城” 【高知城】
〜 何世代にも渡るおいしい幸せ 【コックドール】
〜 朝ドラ“あんぱん”の予習に 【やなせたかし記念館】
〜 ★歴オタ話★ 悲哀が生んだ“絶対の正義” アンパンマン誕生秘話
~ 盛り上がりすぎました
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大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行と酒が好きな荒沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながら、お話をしていきます。
内田です。 晴谷です。
今回は、飲み始めとさ、酒池に奇想の系譜を追っての2日目ですね。
はい。
これもう1日目が結構盛りだくさんだったんで。
そうなんですよ。
2日目も割とボリューミーな感じになりますね。
なりそうですね。
ちょっと申し訳ないんですけど、これ初めにネタバレしておくと、2日目で終わらないんですよ、この今日。
どういうこと?
日付越えるんですね、当たり前より。
なるほどね。
これ、コーチに対しては思い入れが特別なので、どうしてもいろんな店を入れちゃうくなっちゃって。
衝撃の初めての帰宅時間になってます。
なるほど。日付越えってことで。
当たり前のように。
3日目に入っちゃうわけだ。
そうです。
じゃあもうちょっと早速ね。
行きましょうか。
1日目の泊まっていたホテルが、サウスブリーズホテルコーチ開月さんというところに泊まっております。
サウスブリーズホテルはカタカナで、コーチはコーチで、開月は海の月で開月ですよね。
これはいわゆる広め市場だったり、晴山屋橋だったりっていう一番の繁華街からはちょっと東に離れているというところにあえて撮ったという話をしたと思うんですね。
その理由が朝にボーナスがあるということを言ったんですけども、どういうことかというとちょっと今から言ってみたいと思います。
一旦巣止まりで泊まったという想定でお話をしますが、サウスブリーズホテルさんの北には都差電が走ってる大通りがあるんですけれども、南側には小さな川が流れているんですね。
実はコーチって、これ後で出てくるんですけど、コーチっていう名前の由来は川の内で川地っていうのがコーチになったっていうのは事実なんです。
それぐらい川と湿地の街なんです、実は。
なので晴山屋橋っていうのが有名なのが分かる通り、コーチ市内はたくさんの運河だったり川が流れています。
そのうちの一つがホテルの目の前にあって、川沿いにモーニングを食べるにうってつけのおしゃれなカフェがあるんですね。
キッチン&カフェカホさんというカフェがあるんですけれども、これ本当にホテルのすぐ裏手です。
その写真いいですね。
これは川沿いにちょうど桜並木がありまして、その桜を見ながら春だったら、今は夏なのでそうじゃないんだけど、だったらこの桜を見ながら朝食をいただくことができるというすごい良いロケーションなんですね。
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テラス席も開放的でいいですね。
そうなんです。テラス席があって、もちろん屋内席もあるんですけど、桜がなかったとしても緩やかな川の流れを見ながら朝をのんびり過ごせるなというのでおすすめです。
モーニングに関しても、いわゆる本当にスタンダードなモーニングプレートなんですけれども、すごく健康的なというか優しい味わいのモーニングでして、
パンのモーニングもありますし、おにぎり、おむすびモーニングというのがあるので、要は共に楽しめる、自分で好きな方を選べるというのでいいかなと思います。
トーストの方でもお味噌汁がついてますね。
そうなんですよ。コーヒーとか飲み物と一緒にサラダと、あとちょっとしたミニパスタかなとお味噌汁。
なので昨日も散々飲んでますので、体に朝ぐらいはせめて優しくいたわっていただけたらいいのかなと思います。
気休めな気もするけどね。
気休めなのはもうこの後すぐわかります。もう気休めが何者でもない。
もう行くの?
ただ一旦このカフェすごくゆったりできるので、季節によっても楽しめるし、ホテルの売り当てに心地良いがあるというのはすごく大きな存在だなと思いますので。
モーニングも市街地からちょっと離れてても安心ですということですね。
これがホテルのお楽しみポイントの一つです。
一つまだある。
気休めだったというのがですね、これから行くところなんですが、そのキッチン&カフェカホさんの本当に数軒隣、徒歩1分もかかんないぐらいのところに、安岡酒店ブルースっていうお店があるんですけども。
酒店でいくのね、もう。
酒屋さんです。
安岡酒店ブルースという面白い店名なんですけれども。
ブルースというのがですね、音楽がこの店主さんかなり好きみたいで。
まず店頭に朝日ビールのすごくレトロな看板が飾ってあって、超老舗酒屋さん。
実際老舗酒屋さん100年以上の創業なのでそうだと思うんですが。
入るとですね、もちろんお酒の瓶とかはたくさん置いてあるんですけれども、アナログLPレコードの担々があったりとか。
あとね、アンティークの真空管アンプ、めっちゃ古いんだけどいい音の鳴るやつですよね。
が設置されて音楽流していたりとかっていう、すごいロックな感じの面白い酒屋さんなんですよ。
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個性がすごくあって。
そのコンセプトがお酒と音楽のクロスオーバーというのがお店のコンセプトのようで。
まさにという感じなんですね。
ただもちろん本業である酒屋さんとしてもすごくてですね。
コーチの字だけ全酒蔵ありますというふうに。
全て揃っている。
ここもやはりですね、店主の方いらっしゃいましたら、
昨日は何を飲んだ、今日は何を飲んだ、今日の夜はこういう食べ物を食べようとしている。
じゃあこれだねというふうな形ですごい良いリコメントをしてくださいます。
ここのお店の面白いところはリコメントを口でしてくださるだけではなくて。
この店主の方の特技というか、手書きのフリーペーパーというのを自ら作っていらっしゃって。
これすごいんですよ。
かわいいですね。
安岡酒店ブルースさんのホームページに当店の手書きフリーペーパーというタブがあるんですけど、
そこにこの今月のおすすめとかいうのを自ら書いたイラストと文字のデザインで、
手書きで全部書いてくれてるんですよね。
このページ見ててもそのイラストが随所にあって、
すごく自分で作ってるっていう感じがすごいするね。
そうなんですよ。本当に手作りでね。
でも読み応えがあって面白いんですよ。見やすいし。
そうだね。
その時の時事ネタを取り入れながら、今月のおすすめとかね。
音楽の話とかもありますね。
そうだね。これプリンスの記事とかも書いてますね。
そうなんです。春の地酒とかね。
というふうにこのフリーペーパー、店内で置いてあって自由に取っていけますので、
僕ここ利用した時はですね、今回行かないんですけど、
この日はやはりサウスブリーズさんに泊まって、
夜がこの間のね、我々の行った秋田の清雪館と同じように、
持ち込みが必要だった農家民宿みたいなところに行くと。
なので酒を買ってこうということで偶然入ったら、
めちゃくちゃいいお店にめくり上がった。
このフリーペーパーをいくつかこうもらって、
宿とか車の中でじっくり読んで、これはすごいって思いましたね。
面白いんですよ、内容がとても。
すごいいっぱいあるね。
すごいよね。これ全部自分で手作りですからね。
このページだと通算195号って書いてますね。
そんだけ書いてんだね。
迷子A4サイズ1枚表に地酒、裏には私の趣味の音楽。
そういうことか。
お酒と音楽のクロスオーバー。
ここにも出てるわけだ。
お酒と音楽と聞くと、前々回徳島のワイルドサイドアルケの
ヨシキクさんもいましたけれども、
相性がいいのかちょっとわかんないけど。
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たぶん楽しいのが好きなんだろうね。
だと思います。
もちろんお酒を買いに行くわけですけど、
音楽好きな方はそっちの方面でも楽しめるはずですので、
そういった魅力を持っている。
そして、信用させてもらえちゃうんですよ。
困っちゃうんですよね。
朝なのに。
僕この日ですね、3人で行ったんですけど、
初手ドライバー離脱。朝9時半で離脱。
ひどいね。
恨まれましたよ。同行者からは大変。
その代わりに間違いない美味しいお酒をね、
店主の方のリコメンドと自分の舌と
友達の好みを勘案して選んで正解したと。
というところで、ぜひ寝院をして離脱。
本当に先ほどの優しいモーニングが気休めに過ぎなかったという
というお店なんです。
これも結局ホテルの裏手ですので、
ここで仮に4号便とか買った方がいいと思うんです。
買ってもすぐに荷物置きに帰れるわけですよ。
目の前なのでホテル。
二日目もこのホテルに泊まるってこと?
そうです。
マストじゃないけど、
そうすると楽だよってことですね。
なるほど。
それはいいですね。
というのがね、サウスブリースさんに泊まるもう一つのポイントでもありました。
前日ね、広め市場とかでもたくさんお酒ありますし、
夫婦さんでも飲めますので、
その中で気に入ったものとかは覚えておくといいんじゃないかと。
そうしたら、安岡酒店の店主の方に
昨日これとこれを飲んで、これが美味しかったという話もできると思うので、
より改造度の高いおすすめをしてくださるんじゃないかなと思いますね。
あと前日でつかさぼたんの酒ギャラリーにも行けましたから、
気に入ったのあればここでも買えるだろうっていうことですね。
そうですね。
なるほど。
ようやくお酒を飲み終わって観光を始めるわけですけれども、
めちゃくちゃだよ。
でも高地行ったら飲まないともったいないのでね。
時間がもったいないのに飲まないと。
観光ということでですね、
ちょっと高地市街まだ飲んでしかないので、
ちゃんと見どころを押さえておきたいと思います。
ということで、昨日と同じくホテルの前にある
左塩場町の駅から土佐伝に乗りましょう。
土佐伝の左塩場町から8分ほど西の方、
広芽市場の方ですね、に行くと
高地城前という駅があるので、そこで降りる。
そしてそこから徒歩3分ほど北へ行ったところに
高地権立高地城歴史博物館という博物館があります。
12:00
なので最初はここにまず行ってみたいと思いますね。
これでどういうところかというと、
本当に目の前に高地城があります。
高地城というのは、いわゆる土佐藩の本拠地で、
土佐藩は最初から最後まで山内家という一つの藩が
治めていましたので、
二百数十年にわたって同じ大名家が治めていた藩になる。
土佐一国を治めていた藩です。
山内家というのは山内勝豊という人物、
これは織田信長とか秀吉に仕えていた武将で、
関ヶ原の戦いで徳川家康に味方したため、
その功績で土佐の国を与えられたという人物で、
この土佐の出身ではありません。
ここがこの土佐藩というところの宿命の難しいところだった。
これちょっと前回の秋田藩ともやや被るんですけど、
というところなんですね。
確かに秋田も茨城のところから移った当初だったね。
そういうことですね。
歴史的の方はね、
山内勝豊というと、
柴梁太郎さんの書いた孔明月寺という小説の主人公で、
奥さんの千代さんという方がすごい出来た方だったので、
その夫婦の物語。
これ2006年の大河ドラマにもなっています。
上川孝也さんと中村幸恵さんが夫婦を演じましたね。
そんな話もあり。
なのでこの土佐藩というものがどういった藩だったか、
孔知事ごとともにどういう存在だったかというのが、
歴史博物館のメインの展示になります。
なので土佐藩の概要をまず知っておこうというのが最初に行く趣旨ですね。
実はこちらの博物館は大変新しい博物館で、
2017年にオープンした。
最近じゃないですか。
歴史博物館ってね、割と古くからあるイメージあるんですけど、
ここは新しいんですよ。
なので展示室とかもすごく洗練されたデザインで、
すごく落ち着いていい展示です。
見る学ぶにしろすごく充実していますね。
なるほど。
なんか照明も全体的には落とされてて、
この展示品が明るく照らされてるみたいな。
そうですね。
確かにこれ見やすそうだね。
落ち着いてゆっくり見られますし、
もちろん貴重なもの残ってますので、
時間をかけて見ていただいた方がいいかなと思います。
展示室のそれぞれのコンセプトもはっきりしていて、
最初に導入展示室ということで、
土佐の国の絵図と年表、
土佐の国がどういうところなのかっていうのをじっくりたどっていく。
これも年表も巨大なんですよ。
なのでタイムトンネルとホームページがありますけど、
15:02
まさにそんな感じ。
最初に概略をざっと展示で見れるってことだね。
そう。この年表の作り方もすごいこだわっていて、
黒字に白の文字でいろいろ書いてあるわけですが、
それぞれにゆかりのある土佐人たちっていうのが、
人物も引き出してピックアップされてるんですね。
こうぐれが今回のテーマなんですけれども、
土佐人の人生、
土佐人っていうのは僕は一つの本当に特殊な人種だったと思うんです。
っていうぐらい今で個性的な功績を残した方が多い。
マティノ・トミタロウさんがその典型でしたけど、
坂本龍馬さんもそうですけどね。
っていうぐらいなので、
どれだけ土佐の人ってこんなにたくさんいたんだなっていうのが、
タイムトンネルでまさにわかるのも一ついいところかなと思います。
あとはそのトンネルをくぐった先に、
土佐藩の歴史ということで、
いわゆる土佐藩の概略があったりとか、
大名道具、つまり山内家の文化ですね。
とかもいろいろあって。
という本当に充実した歴史だった。
ちょっとこれに関連しての話になるんですけど、
土佐藩というのがどういった藩だったかっていうのは、
これ幕末の龍馬さんが好きな人は多分よくご存知だと思うんですけど、
よく言われるのが、
土佐藩は身分制度がとても激しかったっていうことをよく言われると思うんです。
これどういうことかというと、
さっき言ったように山内勝豊さんというのは、
関ヶ原の戦いで勝った功績ご褒美として、
土佐藩の国に入ってきた人なんですよね。
それまで土佐藩はどうなってたんだっていうと、
例の張祖壁がいたんです。
張祖壁もどっちかは関ヶ原の前の年に亡くなってるんですけども、
その子供の森近というのが関ヶ原の戦いで石田三成側についちゃうんですね。
なので負けちゃうんです。
それで没収されちゃうんですね、土佐藩の国を。
お取り潰しになっちゃうんですよ、代名として。
というところに山内さんは入っていかなきゃいけなかったので、
佐竹と違うのは、
秋田の佐竹ね。
佐竹さんは、佐竹自身が負けた方に属して国害を命じられた。
でも山内はご褒美として勝った側として来たんですね。
ここに地元とのハレーションを生むんですよ。
つまり勝って調子乗ってきた奴が何も知らないくせに土佐に這いにこんでる。
いうふうに調査壁の人たちは思ったでしょう。
それが現実となって、
実は調査壁の維新たち、つまり家来たちですね。
代名が潰れちゃったんですが、
山内家に対して反乱を起こすんです。
これが裏土一揆というもので、
これなかなか珍しいことなんですよ。
世時代に入ってからこういうものが起きちゃうという。
それぐらいやっぱり土佐のプライドというか、
18:01
調査壁ってさっき雲遍地でこの間話したように、
土佐一国の地侍だったのに、
初めて土佐から見起こして四国をほぼほぼ統一したようなすごい人たちだった。
だけどなんかいろんなことがあって、こんなことになっちゃって。
山内っていうのが入ってわけわかんねえと。
いうふうになって不満が爆発したんですね。
その気持ちはわかるな。
そうですよね。
でも山内さんとしては、
それでモタモタやってると徳川家康に睨まれるわけですよ。
何やってんだいって。
ちゃんとやれと。
っていうのにどうしたかっていうと、
その調査壁の家臣たち、反乱を起こしてる人たちを分断する工作に出て、
つまり調査壁の反乱軍のうち、
ちょっとリーダー層に対しては、
あなたたちはちゃんと認めてるから、
下の人たちを沈めなさいと。
そうしたら、あなたたちのようなちょっと偉いものをあげましょう。
そこでちょっと仲間だった反乱軍もニコニコに割れるんですね。
これでも手を打っといてもいいんじゃないかと。
そうしたら、上の奴らは山内家にあえて言われてるだけで、
裏工作だと。許せない。
っていう仲間でしてるところに滅ぼせるんですよ。
ぐだぐだやってるところに山内の方はうまく乗り込んで、
反乱軍を沈めた。
このことが大引くんですね。
この土佐藩の最後の最後まで。
どういうことかっていうと、
分断した調査壁の家臣がいるんですけれども、
その時山内のちゃんと味方についた方のリーダー層ですね。
この人たちは一定の功績があったので、
少しご褒美をあげましょうということで、
上司という位をあげましょう。
これは上の侍と書いて上司。
もともとは山内勝というようにくっついてきた、
もともと山内家に仕えていた人たちもこの上司なんですね。
その方にどっちかというと寄せてあげましょうというような。
途中からこっちについたかどうかはともかく、
最終的にこっち側についてた人は上司として褒美をあげましょうということですね。
一方で最後の最後まで山内に歯向かった調査壁の人たちはもうダメだということで、
あなた方は下司です。下の侍と書いて下司。
もう明確だね。
上司と下司っていうのを明確に分けたんですね。
要はこれをちゃんと区分しておかないと、
調査壁、もちろん山内家にもともと仕えていた人っていうのは何となく分かりやすいじゃないですか。
もともとこの席があって山内勝手をずっと支えてきた人だから。
だけど調査壁で途中こっちに山内家の方に来た人っていうのにもちゃんと報えてあげないと、
その調査壁の人がまた不満を持って反乱を起こされたりすると困るんですね。
そういった気持ちがあってより明確にしなきゃいけなかったんだと思うんですね。
21:03
結局だから上司は暑い日には傘を差していいけど、下司はダメだとか。
上司は下駄を履いてもいいけど、下司は特定の場所じゃダメだとかいうような、
目に見える形で結構差別をちゃんとしちゃうんですよね。
それはあれだね、メンツにも関わるし。
そうそうそうそう。
嫌な差別の仕方だねそれは。
メンツに関わるっていうのはまさにその通りでしょ。
その下司にもやっぱり家臣とか平民たちがついてるわけだもんね。
あと家族もちろんいるだろうし。
そういうことをやっていた時に、下司の方からすると、
なんでもともとむしろ調査壁で我々は一緒に都参でずっとやってきたのに、
途中から乗り込んできて山内があんなに大きい顔をして、
まして上司下司とか言われちゃうし、
なんかこれっておかしくない?
まあそうね。
都参ってなんかやばくない?っていう風になっちゃって、
そもそもこの徳川幕府の世の中ってこんなんでいいんだろうか?
っていうような風になっていっちゃう。
どんどん不満の対象が広がっていっちゃう。
だから坂本龍馬さんとかね、
もう下司の方の出身だったりもしますし、
結構幕末の志士で有名な人は下司出身の人っていうのは多いですね。
不満を抱きやすくて明治時代に生きやすかったっていうところもあるでしょ。
一方は都参は都参で、
そもそも徳川家康にご褒美としてこの都参の国を賜っているわけですから、
徳川家康のおかげでね、徳川家のおかげでこの都参というのを持っているのに、
それを批判する下司なんていうのはもうなおさらダメだと。
もうあいつらはもう全員ダメだと。
もう本当にそんなこと言ってるんだったら腹を切らせよっていう風になっていっちゃって、
弾圧が始まって、結局都参の志士というのはどんどんその数を減らしていってしまう。
なんかうまくいかないね。
そうなんですよね。
なんかそれぞれの立場に立てば、気持ちはすごくわかるんだけど、
それがこう噛み合わなかったっていう感じなんだ。
そうなんですよ。
どちらにも言い分はあると思います。
どちらにもちゃんと正義はあって、
全う得てると思うんですね。
それぞれはめちゃくちゃやってるわけじゃないんだよね。
そうそうそう。
それ自分たちなりの正しい道を進んでるはずなんです。
難しいね。
その正義っていうものがそれぞれにあって。
はいはいはい。
なので結局都参もそれぞれの主義主張によって、
なかなか一丸となってたわけにはいかなかったんだけれども、
それでもやっぱりすごい強い功績を残した方が多かったっていうのは言えますよね。
ただもうこれをもうちょっと深めていくと、
坂本龍馬、竹内半平太とか中岡慎太郎とかって、
いわゆる尊王攘夷、明治維新のためにやった志士たちを見ても、
単純に上司ではない人って見るんじゃなくて、
24:01
その羊、どういう村に生まれて、どういった親のもとで育って、
どういう先生に学んでっていうのを丹念に追っていくと、
家師というだけでも実はいろんなそれぞれの生理が微妙に違うことに気づくんです。
なるほど。
例えば坂本龍馬さんとかは上下の商人の息子だったので、
上下を営む家に生まれたりしたんですけれども、
中岡慎太郎とかって龍馬と共に暗殺されてしまった志士なんですが、
この人は高知家の東部の北川村っていうところがあるんですけれども、
この北川村の商人の息子なんですよ。
だから全然ね、たぶん育ててた環境も違うんですね、考え方も。
この商人は商人で、商人同士で秘密結社みたいなのを結んでいて、
これはこれで別の形で土佐藩と世の中を変えようとしていたりっていう動きもあったりして、
土佐藩の歴史っていうのはその身分制度が激しいからこそ、
その身分が単純に上下じゃなくて、
どういうところなのか、その下の中でもどういう人だったのかっていうのをちゃんと追っていくと、
なおさら面白くなるんです。
それは確かになんか惹かれる部分は多いかもしれないね。
それぞれのキャラクターというかアイデンティティがね、それぞれにある。
という感じなんだ。
実はこれが後々の起草の系譜にまで繋がっていってしまう問題なんですね、全て。
タイトルのやつね。
ということで、ちょっと雑談が長くなりましたが、
とにかくこの高知城歴史博物館に最初に歴史の概略を知っておくことがいいと思います。
そしてそのね、2階の展示室の前のロビーとかからは、
高知城がね、すごくいい感じで展望台みたいになってますので、
写真を撮るのも、高知城の写真を撮るのもここから撮るといい写真が撮れます。
という感じです。
その建築とかも、新しい美術館、博物館ということもあって、
土佐の木材、土佐の伝統の漆喰とかを使ったすごくね、スタイリッシュでかっこいいデザインなんで。
この菱形というのをね、これがまた三菱に繋がるわけですけれども。
とかいろいろなね。
こういう木材の漆喰もあったり。
かっこいいですね、非常にこの建築デザイン。
本当に菱形が徹底されてる感じがね。
でも全体が白黒で、シックな感じ。
シックだね。
こういったすごいいい美術、博物館です。
それで歴史の概略を学んだ後に、目の前にある高知城にいよいよ登ります。
高知城は先ほど言った通り土佐藩24万石の本拠地で、南海の名城と言われたほどの本当に日本を代表する名城です。
なぜ名城と言われているかというと、現存12天守という言葉を知ってますか?
わかんないけど、その言葉通りだよね。
27:00
多分日本で現存している天守、12個のうちの一つってことですね。
つまり明治維新より前から同じ建物が一度も焼けずに残っている、江戸時代のものが残っているというのを現存12天守。
これ日本に12個しかないんです。
まあでも12残ってるって言うとすごいなって気もするね。
そうそう、そういうことなんですね。
さらに言うと、高知城は現存12天守の中でも日本で唯一のポイントがあって、
これは天守閣、これ想像しやすいですよね。いわゆるお城の。
と本丸御殿というものがどっちも現存しているのは、もう日本に高知城しかないんです。
そうなんですね。高知城だから多分一回行ってるんですよ。
行ってます。
写真撮ったのが覚えてる。
写真撮ってます。全然歴史のこととか考えず、アイス食べて写真撮りました。
本丸御殿っていうのは、つまり実際藩主の方とかが暮らしたり政治で使ったりっていういわゆる御殿です。
天守閣って高くて目立つんですけど、あれいつもあそこに藩主がいたってわけではなくて、大変じゃないですか。毎回登ったりする。
だから一種シンボルではあるけれども、実際はその御殿でだいたい暮らしたり、お仕事したりしてたわけですね。
そっちも残っているというのがこの高知城の特色になります。
他のところはもうないわけだ。
ないわけですね。なのでそういった意味でも日本の城閣の中で唯一無二の魅力を持っている、価値を持っているお城です。
実際にこの御殿だったりとかお城の中に入ると、先ほどの歴史観と一部重複しますが、より今度高知城をどういうふうに築いたかとか。
さっきの歴史博物館が土佐藩の歴史だったのに対して、お城の中での展示は高知城、築城に至るまでの土地の話がメインになっている。
その中で実は高知という地名自体が川内のさっきのネタで言いましたけど、なので大変な難工事だった。
まあそうか。
地盤がゆるい。地盤がゆるいし反乱を起こしそうな奴はいるし、どんでもない難工事をしてたという苦労話が書かれてる。
それは確かにさっきの博物館で歴史の概略を追ってからお城を見るとやっぱりより思いを馳せられる感じですね。
そう思いますね。山内家がいかに治めるのに苦労したかというそっち側の理屈もよりわかると思います。
当然のことながら天守閣の最上階まで行っていただくと高知市街が一望できるわけですね。
そうすると確かにもう実は北も南も山に囲まれていて、本当にその山の中の唯一の平野。
ただそこにめっちゃ川通ってるしみたいなのがわかるので、高知というたる湯園もわかると思いますね。
30:07
実はこれ山内山内って言ってるけど、最近の研究によるとどうも調査壁元地下の生前にすでにここに築城計画があったのは間違いないそうなんですよ。
調査壁はもともと別のところを本拠にしてたんですけど、どうもこの最初にこっちにまず城下町を開こうとしたのは調査壁だったらしいです。
山内さんはその構想を受け継いで何とかそれを南高知の末に完遂して現在の高知というものを作り上げたということらしいです。
そういう何か過酷な地形だったらここしかないっていうことかもしれないしね。
やっぱりあの高知県って今これ今の話ですけど、47都道府県で森林面積が1位なんですね。
森林面積の割合が1位なんです。
その県の面積に対して。
なので四国って結構温暖で暖かくてのんびりしてるとかっていう風なイメージありますけど、都座の国高知に関しては本当に山の国なんですよ。
山がめっちゃあるのに海もすごい近くにある。山と海の接続がもうすごい近い。
やっぱ山とか森が多いところって、やっぱ長野とか岐阜とかああいうところをイメージしちゃうけど、割合的には高知の方が多い。
なおかつ海もある。
確かに収めにくい土地なんだろうね。
極端に言うととにかく平地が少ないということです。
海岸線と一部の山の間の平野部しかない。
ここしかないという風になったのもうなづけかと思います。
だから南高知を捨ててもやらざるを得なかった。
もうここしかないと本当に。
ということが高知のこの町の成り立ちについて。
なるほどね。
それ見て城見るとそれが残ってるのがすごい。
そういうことです。
良かったですよ悪い意味に報われて。
南高知が今こうやって高知に人を呼ぶ理由にもなってるわけですから。
南高知だった理由もこれマニアックな話なんですけど。
皆さんこの天守閣がやっぱり目指すべきところだと思うんですが。
行くまでの道中に階段とかを登って段々お城を登っていくわけですけれども。
その途中にこの地上に多いのが雨どいがすごく多いっていうんですよ。
雨どいというのはつまり石垣って平面になってますけど。
そこにボコッと排水管みたいのが石で作った排水管昔の突起みたいに出てるんです。
これなんでこんなことしなきゃいけないかっていうと。
石垣の中の土に雨がたまに過ぎちゃうとゆるゆるになって石垣が崩れちゃうんです。
33:01
それを逃がすために少しでも雨どいで土に水を溜めないようにしなきゃいけない。
っていうのは高地って今も高温多湿の典型。
雨の量もすごいんですよ。
台風もすごく来るじゃないですか。
っていうこともあって。
作るのは作るので地盤が緩くて大変だし。
維持するのは維持するので雨が降って大変だしっていう大変な城なんですよ。
よく残ってるよね。そう考えると。
そういうこと。だから昔の人のその知恵とか技術っていうのがいかに優れていたか。
行ったけど全然そういうの気にしてなかったからな。
そうですね。ちょうど桜が咲いてたよね。
ああそうだね。
うん。お花見しながらねアイスクリームとか食べてましたよ。
そうそうそう。
入ってもないもんね多分ダサいもんね。
そうお城入ってないけどね。
入ってないですもんね。
まあそういうことで改めて行くときはそういうところにも注目していただけるといいかなと思います。
高知城と博物館それぞれかなり見どころが多いのでもうこれでお昼ぐらいになってると思います。
なので高知城をちょっと下りまして先ほど先日の広見市場の方に市街地の方に入って行って
ほぼ10分くらいのところにですねコックドールさんというランチ養殖屋さんなんですけど
これはですねもう高知の人これ僕実は高知にいる友達から教えてもらったんですけど
もう高知の人が何かお祝い事とかあるときは絶対ここ
でも絶対ここは永遠に残ってほしい店っていう熱い推奨を受けた。
もうなので極端に鰹のたたきが食べれるって話じゃないんですよ。
地元の人が愛してやまないただめちゃくちゃ美味しい街の養殖屋さん。
写真がねめちゃめちゃうまそうなんだよこれ。
そうなんですよ。
あ、ハイシライスって書いてあるね。
メニュー名がハイシライスになってるけど。
本当だね。
まあ林ライス。
だと思うね。
だろうね。
これちょっと食べてみたいね。
美味しそうだね。
この人の写真めっちゃうまいな。
確かに。
ハンバーグもね。
僕はハンバーグをいただきましたね。
いや美味しそうだな。
特段味が個性的とかってわけではないんだけど、
やっぱり本当にクラシックの。
自分の街にあったら一軒あったら嬉しいなっていう。
本当に美味しい養殖屋さんでしたね。
でまあ創業70数年ということで、
もう3世代4世代にわたって多分
高地の街のお腹と幸せを満たしてきたんだろうというような。
やっぱりお祝い事ならここって言われるのは本当に愛されてる証拠だよね。
そうだと思いますね。
なのでその高地出身なんですけど、
36:00
いうには運動会でリレーの選手になってチームが優勝したみたいな時に
喜んだおじいちゃんがここに連れてってくれたみたいなね。
やっぱりそういった家族の思い出みたいなものと一緒に続いてきたお店なんだろうなと。
微笑ましいエピソードだね。
でも実はもう食べログの評価とかめちゃくちゃ高くて、そもそも名店なんですよ。
だから僕行った時もこれちょっと並びましたし、観光客の方も多く見受けられました。
もう名店なんだね。
なので地元の雰囲気だったりストーリーと観光客をちょうど結びつけてくれるようになって。
かつおのたたきもちろん毎回食べても美味しいんですけど、ちょっと趣を変えてこういった洋食を食べてもいいかなと思いチョイスしたという感じですね。
ここで一回午前中が終わりまして、ここからがちょっと今回のかなり肝になってくるスポットに行きたいと思います。
初日の前段のところで柳瀬隆さんの話をしましたけれども、柳瀬隆さんのミュージアムがあるのでそこにちょっと行ってみたいと思います。
コックドールさんからですね、歩いて3分ほどのところに都差電の駅で堀詰という駅があります。
そこから都差電に乗り、一度はりまや橋っていう、都差電って東西南北に2路線走ってるんですけど、それが交差するところで乗り換えて、今度南北に行く路線に乗り換えて高知駅に行きます。
一回直角に曲がって乗り換えて高知駅まで行く。堀詰からは大体16分ほどです。
乗り換え含めってことね。
そういうことです。高知駅に行ったらJR四国の車両に乗ります。特急南風というものに乗って、これもやはり本数が少ないので特急に乗った方がいいと思います。
南風と書いて南風という特急ですね。13分ほど行くと都差山田という駅がありますので、そこで下車します。
この都差山田からはアンパンマンバスというバスがあるんです。これも当然のことながら柳瀬孝さんのアンパンマンだわけですね。
そこから22分ほど行って、これねビラフって呼ぶんですけど、美しい良い布と書いてビラフっていう地名ですね。ここで降りていただく。
そこから徒歩6分ほど行ったところにあるのが上市立柳瀬孝記念館です。
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上というのは香りの美しいと書いて上市という自治体の名前です。柳瀬孝記念館。ここが柳瀬さんの出身地になります。柳瀬孝さんってどういった方かっていうのはどういうイメージがありますか?
アンパンマンね、僕らも小さい頃見てましたから、そのイメージはめちゃめちゃ強いですし、戦中を生きられてた方ですよね。
戦争を経験して平和な幸せなものを届けようみたいな感じだったような記憶がありますね。
おっしゃる通りですね。おおむねそういうことになります。ちなみにこれじゃあちょっと柳瀬さんの話をしておくと、生まれは1919年。亡くなったのが2013年。94歳で亡くなられている。
いろいろニュースでも見た記憶があるわ。
これ結構話題になりましたよね。亡くなった時相当なニュースになったと思いますね。
柳瀬さんはですね、今はアンパンマンということでやっぱり有名なんですけども、実はこの人は単純に子供向けのアンパンマンを描いたというだけではないんですよ。
これが実はちょっと面白いところでして、この人のプロフィールを簡単にお話しすると、柳瀬さんにお話しすると、生まれ自体は東京なんですね。
だけども、家庭の事情でご両親の実家である戸田の方に移ってこられて、紙芯の方で育った。
実際高校までは高知市内にいて、大学で東京に出るというような感じになっています。
元々はこの方は漫画家になる前もいろんな仕事をしていて、三越市に勤めたりとか、高知新聞に勤めたりとかっていうすごく多彩な方なんですよね。
結構エリート的な感じだね。
そうです。元々お父さんもそういった文筆業に疲れていた方だったりもしたので、そういうのもあったと思います。
実はアンパンマンというのは、かなり最後の後半世において生まれたものであって、それまでにいろんなことがあったんですよ。
どうもその2025年の朝ドラ、アンパンでは、その前半世からアンパンマンが生まれるまでの話に多分なるんじゃないかなというふうな感じです。
主人公は今田美男さんがね、奥さんの方、柳瀬さんの奥さんが主人公で、柳瀬孝さんは北村匠さんが演じるとこの間発表がありました。
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奥さんも高知の方です。
二人は柳瀬さんが東京から高知に戻って、高知新聞で働いていた時に社内で出会った人。
奥さん、これいろんなエピソードがあるらしいんですけど、柳瀬さんが奥さんのことを一目惚れしたのが大好きだったみたいで、奥さんが東京に行くとなったら、柳瀬さんはなんと高知新聞をそれで退職して、それで東京に追っかけていったっていうくらいの恋愛だったというくらいに、すごい熱烈なエピソードがあるんです。
で、なんでそんなに奥さんが引きつけられたのかっていうところもあるんですけれども、いわゆる土佐の女性ってハチキンっていうふうに言われることがあるんですよね。
土佐のイゴスソウっていうのは男性のことでしたけど、ハチキンっていうのは女性。で、男勝りの女性みたいな意味合いで現地で使われる通称。負けん気が強いというような性格があるというふうに言われてるんですけれども、まさに奥さん、信さんという方はその典型だったというふうに語られていて、
すごい柳瀬さんはエリートで知的な感じで、ただちょっと自信がなかったりとかも結構したらしいんです。いろいろ。漫画家になっていろんなことをやりたいという夢はあったようなんだけど、そこに行くまでにどうしたらいいのかというか、そういった悩みを抱えていたんだけれども、奥さんがあなたが稼げないなら私が食べさせてあげるといったくらいに、
その夢を追うことを後押ししたというか、引っ張っていったというかっていうぐらいのまさにハチキンだったそうなんです。カッコいいね。
カッコいいですよね。それで実際に奥さんのそういった強い支えを受けて、サポートを受けて、どんどんいろんな仕事で成功して、結局アンパンマンを作っていくということなんですけれども。
この柳瀬隆記念館に行くと面白いのは、子供向けのね、アンパンマンって絵本で児童絵本っていうイメージが強いと思うので、実際にこの展示見ていただくと、子供向けの展覧スペースというのは多いんですよ。
ただお酒を朝から飲んでる大人でも、なぜわざわざ行くのかというのは、実はアサドラだけが理由じゃなくて、実はね、アンパンマンって必ずしも子供向けのキャラクターじゃなかったんですよ、当初。
柳瀬さんってね、結構いわゆるヒーローのああいうストーリーの子供向けの漫画というよりは、大人向けの漫画をずっと描いてた人なんですよ。同時に詩人でもあったりして、実はこの人の幅の広さっていうのは、ちゃんとこの記念館でしっかり展示を見ていくと、大人だからこそ感じるものがあるんですよね。
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もう一つこの人の大小作として知られているのが、手のひらを太陽にっていう曲わかりますか? 曲?わかるわ。
あれを作詞したのがこの方なんですよ。 そうか。
なのでそれアンパンマン前の話なんですね。だからアンパンマンの漫画を描く前に詩人でもあったり、普通に会社員でもあったり、あとはプロデューサーとかいろんなことやってるんですよ。ただどれも多彩なんだけれども、かっこたるその道筋っていうのをなかなか見つからない。
っていう前半生を奥さんがすごく活躍で牽引していった。なんかそのキャラクターが僕、今田美穂さんすごく合うなってやっぱ思いますけどね。
柳瀬さんはそういうわけで高地で育った、上で育ったわけなんだけど、弟さんがいたんですね。ところがその弟さんを残念ながら太平洋戦争で亡くしてしまうんですよ。
やっぱそのことの経験、そして自分も陸軍の兵士として出生していて、柳瀬さんは無事に帰ってこれたんだけど、日本が終戦後に敗戦国になった。
ということで、今までそれが自分が正しいと思っていたことがある日お境に急に変わってしまうっていうことに対する虚無感というか不信感というか、そういったものっていうのは実は大きな作品の根底にずっと流れていて、
だから必ずしも子供じゃなくて大人が見ても実はすごくアンパンマン当初の作品って結構心に響くものがあるんですよね。
まあその不の要素も根底にあって描いてるものだってことね。
そうなんですよ。で、その時にじゃあそういった経験をした自分が人を喜ばせて自分の描いたキャラクターでどういうことなんだろうっていうふうに日々考えていた時に、
多分これが朝ドラでも一番の場面になるんじゃないかと思うんですけど、奥さんが言った一言でアンパンマンというのが生まれるんですが、
正義は逆転することがある、信じがたいことだが、じゃあ絶対に逆転しない正義とは何か、それは飢えて死にそうな人がいれば一切れのパンをあげることなんじゃないのっていうふうに言ったと。
まさにだね。
つまりその太平洋戦争はまさにそうですし、もっと言えばトサハンのその歴史もそうだったわけですけど、正しいと信じていた政治的なイデオロリーだったり思想だったりっていうのは何かの都合で急に真逆になっちゃう。
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歴史というのはトサは少なくてもそれを何度も経験してきてるっていうことをあったんだけど、
けどみんなが幸せでみんなが喜ぶことっておいしいものを食べておいしいお酒を飲んでっていうことが絶対に普遍だと。
人間として生きている以上絶対普遍なことだから、それをテーマに書けばいいんじゃないのっていうふうなことをオークさんが言ったんですよね。
その食べ物を困ってる人に分け与えるみたいなところも絶対な正義であるということをおっしゃったわけだね。
っていうのでアンパンマンっていうものの構想が生まれたんです。
まさしくだもんね。
アンパンマンって自分の顔を食べさせちゃうわけじゃないですか。
そういった裏があって、子供が見たらアンパンマンのキャラクターがあって嬉しくてっていうのだけ、それが楽しいと思うんですけど、
大人が見るともっとアンパンマンが生まれるまでの話を読んでいくと実はすごく深いテーマがあるので、
単なるイオージェ・ホンダ実はないので会えていくことがあるし、それをやっぱりNHKのプロデューサーの方もすごく前から温めてたものだったらしくて、
絶対にアンパンマンが生まれるまでの2人の物語というのをやりたかった。
確かに最近であって毎年映画もやってるじゃないですか、アンパンマンで。
それを見た親が結構感動するとかっていう話はよくあるじゃないですか。
そういうところにももしかしたら繋がってるかもしれない。
そうだと思いますよね。だから僕個人的には朝ドラ毎回見てるわけじゃないんですけど、これは絶対見なきゃと思ってますもん。
朝ドラね。長いからな俺。見ようかなっていつも思うんだけどね。なんか見れないんだよな。
そこはぜひね、フワとかしてもらってね。すごい楽しみなんですよ。だからこの朝ドラね。
ちょっと頑張って見てみようかな。
ぜひね。これで取り上げたということもありますしね。なので大人が言っても十分に楽しめるよっていうことをぜひご理解いただきたいし、
朝ドラが始まる前なのか、でに言ってもその予習にもいいんじゃないかなというふうに思いますね。
なるほどね。だからどうせアンパンマンでしょと思わずに大人だからこそ逆に言ってほしいということね。
そういうことです。なので実際アンパンマンのこの柳瀬隆記念館の中には、
シトメルヘン絵本館というように柳瀬さんが残した別の業績もすごくいろいろ紹介されているので、アンパンマンの作者とイコールなだけではない。
実はもっといろんな道筋が柳瀬さんにはある。
これね、今回我々公共交通機関で来てますけれども、もし車で行かれる方がいたら全然行けるんですけど、ちょっと車で行ったところには柳瀬さんご夫妻のお墓があるんですよ。
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アンパンマンとバイキンマンがいますね。
そうなんです。ドラマのネタバレにもややなりますが、このご夫妻の間にはお子さんには恵まれなかったようで、奥さんの方が先に亡くなってしまうんですね。
柳瀬さんが亡くなった後にこの夫婦揃ってここに埋葬されたわけなんですけれども、アンパンマンというのが自分たちの子供だというふうなことで、
これ我々何を見てるかというと、柳瀬さんご夫妻の墓碑の傍らに向かって左にアンパンマン、向かって右手にバイキンマンの可愛い像が立って、この不思議な方向を見てますけれども、これが柳瀬さんの記念館の方を見ているというもので、
結構これも単純に見たらアンパンマンだってだけなんだけど、実はこの二人がどういう苦労とどういうハートフルなストーリーでもって世の中にアンパンマンというものを残したかっていうことを考えてから見ると、実はこれすごい感動しますよ。
なるほどね。やっぱりちょっと大人になるとさ、舐めちゃう感じがあるけど、改めてね、そのバックグラウンドを知ると、より深みというか大人に響く部分がきっとあるだろうね。
そうですね。
はい。というので、ぜひこのドラマに関連して柳瀬隆記念館はいいかなと思います。
どうも、編集辞典の内田です。今回ですね、盛り上がりすぎまして、やっと折り返しというところですので、今回はここまでにしたいと思います。
この続き、後編はですね、同時に公開されていると思いますので、そちらのほうをお聞きください。ということで、今回はこの辺で。ありがとうございました。
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