-
-
スピーカー 2
2番経営、No.2の引きこもごも。
この番組では、なかなか表に出ない会社の2番、No.2をテーマに、
トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなど、
No.2の引きこもごもをリスナーの皆さんにお届けします。
スピーカー 1
こんにちは。株式会社オーツパートナーズ、勝宮すいでです。
スピーカー 2
現当社新しい経済編集長の、しだるゆうすけです。
2番経営第14回、今回のテーマは、
戦国時代の究極No.2、豊臣秀長編、前編です。
はい、ということで今回のテーマは、またちょっと人物、No.2の尊敬できる人物に光を当てたという、
そうですね。
内容のコンテンツになっておりますが、今回はちょっと時代を遡ってかなり、豊臣秀長。
スピーカー 1
遡りましたね。豊臣秀長です。
豊臣秀長という人物ですね、No.2界隈というか、
スピーカー 2
No.2界隈、はいはい。
スピーカー 1
実は結構な有名人なんですけれども、
豊臣秀長、名前の通りですね、豊臣秀吉の弟ですね。
No.2補佐役としての超重要人物ですね。
秀吉の天下取りに最も貢献して、豊臣政権の柱ということで、
領地は114万国、大和ダイナゴンと呼ばれた豊臣政権の名実と思うんですね、No.2。
もう一人の天下人、信長、秀吉、家康に続くもう一人の天下人とも呼ばれた、それぐらいですね。
戦国武将の中のトップクラスの人なんですけども、でも知らないですよね。
スピーカー 2
僕も弟がっていうエピソードはちょっと聞いたことあるぐらいで、
あとあんまり学校とかでも深くここの部分、
いわゆる歴史の教科書とかに出てこないなっていう印象があるので、
具体的なエピソードが浮かばないっていうですね。
スピーカー 1
そうなんですね。具体的なエピソードが全然浮かばないですね。
秀吉といえば部下の方たちでも有名な人っていうのはいろいろいらっしゃってですね、
過去の大河ドラマの主役でも黒田勘兵衛、前田利家、真田幸村ですね、真田信繁。
あと徳川家康が部下というかですね、進化についた時もありましたし、
あとはドラマの主役じゃなかったとしても石田三成とか加藤清雅、福島雅則、
森てるもととなどなど、戦国好きの方はですね、
パッと浮かぶようなお名前たくさんあると思うんですけど、
その中でもおそらく豊臣秀長を挙げる人っていうのはほとんどいない方だと思います。
なんですが、2024年ですけれども、
2026年のNHK大河ドラマ、主人公が豊臣秀長なんですね。
スピーカー 2
お、そうなんだ。
スピーカー 1
豊臣兄弟ビクリマークという大河ドラマになります。
しかも脚本がですね、八津博之さんですよ。ご存知ですか、八津博之さん。
スピーカー 2
ちょっとごめんなさい、僕あんまり…
スピーカー 1
八津博之さんは最近で言うと美番。
スピーカー 2
そうか。
スピーカー 1
はい。下町ロケット。
スピーカー 2
あ、すごいですね。
スピーカー 1
半澤直。
あら。
もう期待のヒットメーカーですね。
スピーカー 2
それで大河が決まってるんだ。
スピーカー 1
決まってるんですよ。再来年ですね。
スピーカー 2
再来年。
スピーカー 1
なので、実はちょっともう2年間先取る感じで。
スピーカー 2
いや、そうですね。
もしかしたらこのドラマを買って告知では
僕らの番組が一番良い話題になってるかもしれないですけど。
そうですね。
スピーカー 1
ポッドキャスト界では不動のエース古典ラジオさんがですね、
7月から秀吉家康編だったかな。
2024年の7月から多分放送されるので、
それの予習になるかわからないですけど。
スピーカー 2
なるほど、なるほど。
スピーカー 1
なんか周辺の知識として、ナンバー2、二番系的にですね、
ちょっとお伝えできればと思っております。
はい。
ちなみにですね、豊臣秀長がちょっとマイナーな人物かもしれないんですけど、
主人公の小説っていうのは過去、私が確認したところだと5冊ぐらい出ています。
1冊はいくつかの主人公がいる中の1人っていう感じの書き方だったんですけれども、
その中でもですね、1985年に坂井家太一さんが出された
豊臣秀長がある補佐役の生涯というBHP研究所から出された本がですね、
一番メジャーな書籍ですね。
結構分厚いですけど、非常に面白い本になっています。
なるほど。
ちょっとマイナーでもありながら、もう1人の天下人っていう感じだったんですけど、
何がすごいのかというところなんですけれども、
いろんな記録が残っています。
ただその記録といっても思い浮かぶエピソードというよりも、
それだけ天下人のような方だったので、いろんな方が語っているそういう内容があります。
なるほど。
日本に来ていた宣教師で、ルイス・フロイスという方がいらっしゃったんですけども、
その時にですね、秀吉とその宣教師の人が話をしたら、
秀吉がですね、その時に日本の国内統治、全国統一を目前に控えたタイミングで、
こうおっしゃったそうです。
日本国内を無事、安穏に統治したく実現した上は、
この国を弟の美濃殿、これ秀長のことなんですけども、
美濃殿に譲り、よ自らは先進して朝鮮と品を征服することに従事したい。
これは後に朝鮮出兵のことをその時に言っていたんですけども、
その前にこの国は弟に預けるんだということをおっしゃって。
あとですね、奈良の僧侶の方の日記の記録の中には、秀吉は王になり、
この王っていうのは天皇のことですけども、秀吉は王になり、
最小殿、これ秀長のことなんですけども、
最小殿は漢伯になり、家康は将軍になると予測されているぐらいですね、
天下人ムーブが起きているような感じですね。
あともう一つ、よく聞き合いに出されることで、
当時ですね、九州がまだ秀吉の支配下に入っていなかった時、
いろいろな揉め事があって、大友宗麟という武将がですね、
ちょっと助けてくれませんかっていうので秀吉にですね、
越見を大阪城に求めて行った時にですね、
いろいろ勧退を秀吉がするんですね、その九州の武将を。
その時に秀長がですね、いっぱい人がいる前でですね、
その大友宗麟の手を握ってですね、
討ち討ちの義は宗益に、公事のことは最小存じ候。
これどういうことかっていうと、秘密のことは千利休に相談してください。
政治のことはもう全部私めにおっしゃっていただければ大丈夫ですよっていうことを言いました。
いきなり千利休が出てきちゃったんですけれども、
千利休を置いとくと、この国の政治のこと、統治のことっていうのは、
秀吉さん殿ではなくて、私に聞いていただければ、
案状うまくやるんでご安心くださいっていうのを、
この番人の前で言う。それぐらい点が取ってるって感じですね。
あと、豊臣秀長っていうのは最終的にですね、
諸領が114万国という分を領地として持っていたんですけれども、
114万国っていうのがどんぐらいすごいか。
100万国って言葉として書かれたことあると思うんですけども、
100万国以上領地として持っていたのは当時ですね、秀吉と家康しかいなかった。
家康の転換になって江戸時代になるとですね、
実は100万国を超えてる家っていうのは前だけ、
加賀100万国でいたしますけれども、前だけの103万国だけですね。
他に島津73、伊達53とかってあるんですけど、ほとんどなくて。
幕府としては400万国っていうのを持っていたそうなんですけども、
それから500万国アップっていうのは、その後の歴史でもですね、
ほとんど出ないくらいすごい領地を治めていたと。
そんな人物ですね。
スピーカー 1
この豊臣秀長なんですけれども、先ほど来出ているようにですね、
豊臣秀吉の3歳下の弟さんです。
これは弟なんですけども、同じお父さんの兄弟っていう説と、
それからお父さん違いの兄弟の説と、
あの2つあって、諸説あるって感じなんですけれども、
兄弟であることにはもう間違いないです。
お母さんは同じお母さん。
1540年に生まれて1591年に亡くなられています。
去年52歳ということで、今の私と同じくらいの時に
死んでしまったという感じでございます。
この方なんですけれども、これまで戦国時代の武将ですので、
実際にその52歳で亡くなるまでですね、
戦の歴、武功っていうのが30年間。
スピーカー 2
すごいな。
スピーカー 1
30年間ってすごいですよね。
一方ですね、52歳で亡くなって30年間の戦績、武功、
これどういうことかっていうとですね、52から30を引くと22じゃないですか。
スピーカー 2
ですね、はい。
スピーカー 1
つまり22から武士始めましたって人なんですよ。
秀吉が貧能の生まれで天下人になり上がったっていうのは有名です。
秀吉はですね、これも最初の頃はよくわかってないんですけれども、
おそらく10代の半ばぐらいから武家奉公を始めたと。
信長の前にも他のところに奉公に行ったっていう記録もあるようなんですけれども、
秀吉は10代の頃から武士になろうとして頑張ってきましたと。
ところがこの秀中はですね、22歳までバリバリの農民やってましたと。
22歳からですね、全く未経験で転職をしたんですね。
スピーカー 2
そういうことですね。
スピーカー 1
異業種の転職22歳、今の22歳ぐらいとはまたちょっと違う。
スピーカー 2
寿命を考えると、もうちょっと縮めて考えると、
中堅クラスまで農民をやってそこからキャリア転職するみたいなイメージに近いかもしれないですね。
スピーカー 1
そうですね、今の感じで言うと30歳から35歳ぐらい油乗ってて、
もうその仕事は完全に自分任されてたっていうタイミングで、
これもどのタイミングでお兄さんのところに行ったのかっていう記録が残ってないんですけども、
おそらくお兄ちゃんにスカウトされていくことになったんだと思います。
スピーカー 2
未経験から、しかも35歳から全然違う仕事を始めましたっていうところで、
スピーカー 1
最初の10年15年っていうのはおそらく地獄のような感じだったと思いますね。
未経験の仕事で、兄が上司なわけですね。
お兄ちゃんも無茶振り上司です。別に全然偉くもないですよ、最初は。
ヒンノから足軽をやって、足軽大将みたいになって、
足軽大将って本当に一番最下層の武士ですからね。
槍持ってバーって走る、そういう組頭みたいなところなので、
誰に尊敬されるわけでもないぐらいの感じです。
その中で、そういう武士としても最下層にいる兄が上司になって、
スピーカー 1
30歳ぐらいですね。
朝井仲正とか朝倉家っていうのと信長が戦った時にですね、
ちょうど歴史の中では登場してきてですね、将として秀吉と一緒に戦って、
秀吉が北大見という今の滋賀県の北北部を統治した時にですね、
ずっとそこの徴領の統治なども秀吉が実際にやっていたんじゃないかというふうに言われています。
その後もですね、秀吉について中国方面ですね、
兵庫県、それから岡山、広島とどんどん秀吉が攻めている時にですね、
そこで大いに活躍しながら、ただ秀吉の影になりながらですね、
ずっと自得を頑張っていた、そういう時代がありますと。
これがですね、持ち破りの転職をしてから20数年間ずっと。
なるほど。
20数年間なんで、さすがに転職したての新人というわけではないですけれども、
下積みがあって何とか仕事ができるようになってきた20数年間ですね。
なるほど。
この期間何かというと、信長が全国統一戦争をやっていた時代。
ここからですね、ご存知のように信長本能寺の変というのがあって、
そこでいきなりですね、天下一位トップがいなくなるというところがあります。
ここからは秀吉がどんな戦績になっていくかというと、
信長の後継争いの戦いですね。
ここは明智光秀を破る山崎の合戦、柴田勝家と戦う地図がたけの戦い。
小牧永手の戦いというので、
織田信長の息子である織田信勝プラス徳川家康という、
織田徳川連合と戦うという。
なるほど。
そういうのを経てですね、なんとか秀吉が信長の後継者として認められていくと、
その地位を確立していくという風になっていく戦いがあるんですけれども、
だいたい2年間ぐらい繰り返されます。
その最後の織田徳川軍と戦うというのが、
信長後継戦争の最後なんですけれども、
このタイミングで実は秀吉の妙大として交渉に当たるのは、
この秀長になるんですね。
豊臣政権のナンバー2というのを織田徳川家としてやると。
これでグッド名前が出てくる。
最後の戦いのターンというのは、今度は秀吉の全国統一戦争というところですね。
信長がまだ全国を統一しきってない残りがいくつかありましたので、
そこを秀吉が一生懸命戦っていきます。
その時の中心人物になるのがこの秀長になります。
なるほど。
奇襲、今の和歌山県のあたりを攻めていきます。
この時の副将をやります。
副将なんですけれども、トップが秀吉ですので、
実際には現場の最高司令官ですね。
軍事の統率者を務めます。
このタイミングというのが一番大きい、
そういう軍隊を率いるタイミングの最初だったと思うんですけども。
その後ですね、今度は四国を平定しに行きます。
ここで初の総大将になっていくんですけども、
ちょうど秀吉が病気をしていたんで、
代わりにお前が四国をちょっと抑えてこいっていうので行きます。
この時なんですけども、秀吉が病気だったので、
代わりに秀長が四国の平定に行くんですけれども、
秀吉の病気が治っちゃったんですね。
10日ぐらいで。
なるほど。
病気治ったと。
そういえば弟を四国に行かせてたなと思って。
四国、ちょっと収まったのか。
まだ10日なんでまだです。
そこからまた10日待ちました。
四国何度かも終わったのか。
いやまだです。
20日間ですね。
ちょっとまだかよ。
もういいよ、俺行くわ。
っていうのを言い始めたのが、四国攻め始めた20日後。
前回トップはせっかちっていう話がありましたけども。
スピーカー 2
いやせっかちですねこれ。
スピーカー 1
いやいやいやって感じなんですけども。
スピーカー 2
四国って広いですからね。
スピーカー 1
俺行くわみたいな感じだったらしいんですよ。
今から行くんでっていう手紙を秀長に送ったら、
ほんとマジちょっと待ってください。
ちょっとめちゃくちゃ頑張ってきてるんで、
今ここで来られちゃうとほんと総大将やって、
私の面目も失っちゃうし、
何よりも殿の意向に傷がつきますと。
ここまでできたところ横からかっさらうみたいな感じ。
あーなるほどね。
あんまりよろしくないと思うんで、
なんとか私に任せていただけませんかと言って、
しょうがねえなやってみっていうので、
結局ですね四国を治めるのに50日で四国を平定します。
2ヶ月弱でですね、四国を治める。
っていうのはなかなかの手腕なんですね。
それをやってのけました。
今度四国が東地下に入って、
長崇か米もどっちかという、
これも大戦国武将ですけども、
秀長の配下に加わりました。
そして最後の舞台になるんですけども、
この九州ですね、薩摩の方に島津がいます。
そこを攻めていくんですけれども、
ここではですね、秀吉と秀長と2つの軍でもってイメージするとですね、
秀吉が福岡から入って佐賀を通って、
熊本を下って鹿児島に入る。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
秀長がですね、福岡から大分宮崎、鹿児島っていうですね、
東回りのルートですね。
これで両方から共有していくというところなんですけども、
ここもパパパパッとこう2人でですね、
秀長がもう大活躍をして、
それで九州の平定となります。
うん、なるほど。
この時点で日本はですね、ほとんど統一されていたんですけども、
残っていたのが関東、それから欧州ですね。
欧州は伊達政宗がいます。
関東は小田原のあたりに北条氏が残っている。
この2つを統一すればもうおしまいってところなんですけども、
秀長としてはですね、この九州平定の後病気になっちゃってですね、
その後小田原攻めには参加せず、
その後病気で亡くなるということになるんですけれども、
スピーカー 1
ちょっと今長々とですね、戦績の話をしてしまったんですけれども、
秀長っていうのは目立たない感じで、
全然エピソードも浮かばないし、
例えば桶狭間の戦いとか、
なんとかの一夜情みたいな感じの先行の何かっていうのは何もないんですけども、
戦績感として率いた戦いっていうのにほとんど負けたことはない。
なるほど。
地味で確実な堅実な戦い方をするんですけれども、
とにかく負けないですね。
これが農民出身で、最初はキャリアなかったところからひたすら20年間叩き上げてですね、
周りには有名な軍師で、竹中半兵衛っていうすごい軍師の方がいたんですけども、
有名って言っても当時は秀吉の弟?元農民?何それ?みたいな感じで相当見られてたと思うんですけども、
食らいついてですね、学んで、それで一生懸命努力をして、
すごい成果っていう感じじゃなかったかもしれないんですけども、
着実に戦功を遂げるような武将に育っていったのであろうと。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
最後ですね、ちょっと長くなってしまったんですけども、
育成の話をいろいろしてきたんですけれども、
秀吉戦でナンバー2と言ってですね、実は秀長以外にも名前が浮かぶ人っていうのがいます。
先ほどの竹中半兵衛もそうなんですけど、もう一人ですね、黒田勘兵衛ですね。
軍師勘兵衛という存在があるんですけども、
今日はですね、その軍師勘兵衛との比較をして今日はちょっと終わりたいと思うんですけども、
この黒田勘兵衛、黒田義隆と言いますけれども、
秀長の6歳年下になりますね。
おそらく最初に会った時には秀長が30過ぎて、黒田勘兵衛が20代後半ぐらいの時に初めて会っています。
その時にはですね、最初から黒田勘兵衛っていうのは出世したくてですね、
ムンムンしてるような雰囲気を持って、ただめちゃくちゃ頭がいいと。
めちゃくちゃ頭が良くて出世欲がめっちゃ強いと。
周りからちょっと疎まれてるって感じぐらいの存在だったみたいですね。
それをただ秀吉がしっかりとグリップしてですね、この才能を何とか生かそうということで、
当時黒田勘兵衛に当ててですね、こんなこと言ってます。
ちょっともう言い訳しますけども、あなたのことは弟の秀長と同じように信頼してますよっていうことを書き残しています。
当時ですね、自分の家族と同じようにあなたを思ってますっていうのは、
相手のことを信頼してるっていうことの表現の一つとしてよく使われたらしいんですけども、
そこで弟の名前をこういう名刺を出して言うっていうのは結構珍しかったみたいですね。
それぐらい秀長、当時は小一郎と言ったんですけども、
弟の小一郎同然にっていうふうにこういう名刺を出すぐらいですね、
弟イコール信頼してる俺の分身みたいな感じで言えたのは珍しかったと言われてます。
黒田勘兵衛なんですけども、軍師で戦略家でとにかく頭がいいと。
いうのは大河ドラマでもありますし、いろんな小説にも書かれてるんですけども、
よく言われてるのは本能寺の編の後ですね、
秀吉のところにさっと行って、「殿、これで天下取りへの道が開けましたな。」
っていうセリフが入ったっていうのがちょっとエピソードとして有名ですけれども、
とにかく天下取りの野心がめっちゃ強いと、
それができる力があるということを秀吉も認めていましたと。
つまり超有能で自分も天下が取れる器。
先行がとにかく欲しいと。
言ってみれば次のナンバーワンに俺もなりたいっていうのがあるんですよね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
つまりナンバーツー補佐役ではないんですよね。
次のナンバーワン狙いたい。
殿が天下取ってくれればもう全然いいけど以上終了じゃなくて、
自分もチャンスがあればっていうふうに思われてる方。
スピーカー 1
少なくとも秀吉にはそういうふうに映って、その後遠ざけられたりということが。
そういうことですよね。
これなんとなく今の感じで見てみると、
この黒田寛美、黒田義隆っていう人はスタートアップ企業とか、
スピーカー 2
だんだん成長してるときに求人票で求む将来のCXO候補とか、
スピーカー 1
あるいは自分を高く食ってくれる将来有望なベンチャー企業とか、
スタートアップないかなっていうのを探してる優秀な人っているじゃないですか。
そんな感じだったんじゃないかな。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
それで有望なのは自分も分かっているし、
会社としても多分ちょっと社員になってくれ、だと来てくれないぐらい。
将来の幹部候補、CXO候補っていうので来て、
なんか入ったけどこいつ俺のCEOの席狙ってるんじゃないかなみたいな感じで、
思われちゃうようなタイプ。
なるほど。
一方、秀長の方はですね、創業者社長にお兄ちゃん、
とりあえずちょっと手伝って、最初無給で働かされてですね、
なんか分かんないけど、だなだな会社でかくなってきたみたいな感じで、
でもお兄ちゃんに言われたんだから僕頑張るって言って、
ひたすらついてくる。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
本当に家族がゆえにっていうところで、
補佐役として全うしたと。
そんな違いが黒田幹部の比較をしてみると、
より濃くですね、出てくる。そんな感じですね。
スピーカー 2
なるほど。
よりだからそのお話聞くと、
なんかピュアなNo.2感っていうのが、
秀長ののが伝わってきますよね。本当に。
スピーカー 1
これがピュアっていう言葉も当てはまると思いますし、
本当愚直なっていう感じですかね。
おそらく黒田幹部が見えた世界っていうのは何かあったと思う。
天下だったりとかビジョンだったりとかっていうのは。
ただ秀長はお兄ちゃん見るのが精一杯なんですよね。
お兄ちゃんがものすごいビジョン見ちゃってるので、
もう自分は何とかそれについていく。
お兄ちゃんもいろんなところを食い散らかすんですね。
街ワーッと行って、これグララッとやって、
あとじゃあお前よろしくって言って次のとこ行く。
これバーッとやって、あとじゃあお前よろしくって言って次のとこ行く。
っていうのでどんどん出資をして、その後地固めをしていく。
そんなことを秀長はやってきたんじゃないかなっていう感じがしますね。
スピーカー 2
なるほど。
今までの戦歴とかエピソードを聞いていると、
確かにすごい派手さないんですけど、
結果としてはちゃんと出しているし、
ちゃんとそのナンバーワンの意図に沿って動いているしっていうのは分かりますし、
それで冒頭に勝美さんが言っていただいたような、
結果としては100万国、日本でも歴史で何人しかいないみたいなぐらいの領地を持っていたし、
評価されてるんですよね。
秀吉からはもちろんですけれども、周りからも多分そこが評価されてると。
前々なんですけど、インターネットとかない時代において、
ちゃんとでもそれは当時評価されたんだなっていうところもちょっと驚きですし、
今の歴史の教科書とかには多くは割かれてないと思うんですけど、
とはいえこういうエピソードが残ってるってこと自体がすごいなと思いました。
勝美さんが調べると出てくるっていう話じゃないんですけれども、
特に光が当たらなそうじゃないですか、戦国時代とかって。
スピーカー 1
そうですね、もっと派手な活躍をされた武将ってたくさんいますからね。
そういう中ではよく残ってたなというふうに思いますね。
スピーカー 2
だからちゃんとやっぱり結果出してるっていう、結果出してるっていう言い方が適切かわかんないですけど、
いうところとか、もしかしたら人間性みたいなのもあったのかなとか聞いてて思っちゃいました。
僕あんまり歴史がすごい詳しいわけじゃないんですけれども。