1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #108【岩手】種蒔く人のユート..
2025-06-26 1:31:16

#108【岩手】種蒔く人のユートピアPart1

声なき叫びよ、形なき想いよ。 種蒔く人のユートピア1日目


広大な山野と寒冷な気候、古くから日本の北天にあって重い存在感を示してきた岩手県。深い緑に包まれた美しい風土は、現代の観光シーンでも多くの人を魅了します。さらに、その歴史を振り返ったとき特筆されるのは“人財の宝庫”であること。混迷の時代にあっても、後の世を見定め、その繁栄を願って努力を惜しまなかった先人の息吹は着実に受け継がれ、今日の岩手県をして希望が芽吹く“ユートピア”たらしめているのです。


【目次】

〜 ポッドキャストスターアワード楽しそう!!

〜 ★CM★ ナンバーワンポッドキャスターは誰だ!?

〜 コーステーマの発表

〜 ★旅のはじめに★ 岩手県のイメージは……?

〜 “仙台藩領”の郷土料理とお酒のマリアージュ 【蔵元レストラン せきのいち】

〜 ★歴オタ話★ 奥州藤原氏が夢見た“仏国土”とはなにか

〜 仏国土の象徴にして現存する唯一の遺産 【中尊寺金色堂】

〜 ★歴オタ話★ 1950年の科学調査と川端龍子「夢」 その瞬間に目覚めたものとは

〜 ★さらに歴オタ話★ 800年の時を超えた謎と神秘 「中尊寺蓮」を巡って

〜 天を映す浄土庭園の美観 【毛越寺】

〜 日本人の心に深く根ざした悲劇のヒーローと“夢の跡” 【高舘義経堂】

〜 風通しよいマイクロブルワリーで0次会! 【315BEER】

〜 日本を代表する焼肉の名店で前沢牛を 【焼肉 龍園】

〜 1日の振り返り



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⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠音楽:BGMer(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://bgmer.net⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)

サマリー

ポッドキャストでは、大人向けのディープな国内旅行モデルコースが岩手県を舞台に紹介されています。盛岡市を中心とした食文化や歴史に焦点を当て、旅行者にとって魅力的な情報が提供されています。このエピソードでは、岩手県の特産物である日本酒や郷土料理、文化について深く掘り下げられています。特に関野市の蔵本レストランやその周辺の観光地についても触れられ、食文化の重要性と地元の伝統が紹介されています。このエピソードでは、岩手県の平泉を中心に、奥州藤原氏による仏教に基づく理想郷である平泉の歴史とその重要性が語られています。また、中尊寺金色堂の建設背景や文化財としての価値についても触れています。中尊寺金色堂に関する不思議なエピソードが深掘りされ、清平らのミイラの発見やハスの種が出てきた経緯について語られます。文化財保護の歴史や科学調査の重要性、そして大賀一郎の活躍に焦点が当てられます。岩手県にある平泉と中尊寺の歴史や背景についても語られ、藤原氏の偉大な遺産である金色堂や毛通寺が取り上げられ、これらの場所がかつて持っていた文化的な意義とその変遷が深く探求されています。ポッドキャストのEpisode #108では、平安時代の武士、源義経の英雄的な生涯とその悲劇について語られています。彼の冒険や仲間たちとの関係、最終的な運命に至るまでの物語が描かれ、彼の名が今でも残る理由に迫られています。岩手県はクラフトビールの盛んな地域であり、その理由は特産品であるホップの栽培にあります。また、地元の焼肉名店として知られる流園では、前沢牛などの高級肉を楽しむことができ、多くの人々が訪れています。岩手県の水沢市での1日目の旅を振り返り、舞沢牛や地元料理を楽しむ様子が描かれています。また、中尊寺や毛通寺などの歴史的な寺院を訪れ、奥州藤原氏の歴史に触れる内容となっています。

ディープな旅の紹介
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅が生き甲斐ない旅行ガイドブックの編集者、はるやです。
ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、内田です。
本日収録しているのが5月24日なんですけど、ポッドキャストスターアワードが始まりまして、エントリー番組が続々と増えていっているんですけど、今回エントリー番組でエピソードをまとめたプレイリストを作っていらっしゃるんです。
俺、順々に聴いていっているんだけど、もう全然追いつかない。
さっき見たとき、そのプレイリストにあったものだけで30件ぐらいはありましたもんね。
うん、そのくらいあるね。だからもうどんどん増えていくし、聴いていっているんだけど全然追いつかなくて。
ここまで聴いている感じ、やっぱ面白いね。
いいね。
バラエティめちゃくちゃ飛んでるから。
本当、いろんなあるジャンルのニュースをまとめて喋っている番組とか、雑談番組ももちろんあるし、本当に多種多様で、こんなに比べようなくねっていう感じ。
まあね、そうなりますよね、これどうしてもね。
いやでも面白いわ。本当に知らなかった番組がほとんどだから、こんな番組あるんだなっていうのが本当に楽しいですね、最近。
そういう出会いがあることもこのコンテストをやる意味っていうふうにおっしゃっていましたもんね。
そうですね。
うんうん。
いやー、だからそういう雰囲気になってるなっていう感じを。
素晴らしいですね。
感じますね。
まだ全然応募は間に合うんですよね。
うん、全然全然まだ結構長いんだよね、これ。
8月末か。
まだ応募。
そうですね。
岩手県と森岡市の魅力
あ、じゃあまだ全然間に合う、今から撮っても全然間に合うくらいですよね。
そうそう、全然ですね。
うんうん。
で、そのエントリー期間が終わった後にリスナー投票の期間がね。
ほー、なるほど。
9月1日から9月30日、9月いっぱいでリスナー投票をして、それでもってリスナー賞の選考に当てると。
そうですね。
はいはいはい。
なのでね、ちょっとポッドキャスト好きなリスナーの方はプレイリストで気になる番組聞いて、9月になったらそのお気に入りにね、投票してもらえたらいいかなっていう感じですよね。
これあれですね、新人賞がなくなったんですね、よく見たら。
確かにね。
対象、審査員特別賞とリスナー賞。
そうだね。
ほー。
ほー、幻の新人賞だね。
もしかして唯一無二、最初で最後の新人賞だったのかもしれない。
審査員特別賞っていうのはね、どういう基準なんだろうなっていう感じですけど。
そうですね。
副賞、喉によい健康食品セット。
あ、いいですね、なんかストーリー性もあって。
対象はね、例のあの。
餃子セットね。
一般社団法人焼き餃子協会さんのすごいビジュアルが一番このページの中に目立ってますよ、焼き餃子の写真が。
いやでもこれ嬉しいよね。
嬉しいよね。
素直に欲しいな。
めっちゃ気になるよね。
なので、どんどんね、まだ期間ありますから、どんどん盛り上がっていけたらいいですね。
はい。
今日も喋ってるそこのあなた。
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詳しくはpodcaster.jpをご覧ください。
No.1ポッドキャストクリエイターは誰だ。
ということで今回から新しいコースということで。
じゃあもう早速タイトルは何でしょうか。
はい。今回のコースのタイトルは。
声なき叫びよ形なき思いよ種まく人のユートピアです。
なんか歌詞っぽいね。
そうですね。
まあ空の青さをみたいに。
全然歌詞ではなくて。
歌詞にもありそうだけど僕は知らないんですけど。
これはどこですか。
今回取り上げるのは岩手県になります。
岩手ね。
このポッドキャストでは初登場になるわけですからね。
ちょっと始めにシチュエーションとかを話してしまうと。
岩手県を3泊4日。
長いね。
出雲の時以来2回目の3泊4日になります。
正確に言うと香川もちょっと前乗りして夜だけみたいなんで3泊になってたんだけど。
ちゃんと旅行として巡るのは出雲以来なんじゃないかというので。
結構今回大作になる感じですね。
それだけ盛りだくさんな魅力が岩手にはあると。
これ後でお話ししようと思ってたんですけど。
極端な話で言うとですね。
僕関ヶ原より東。
つまり東日本と僕が勝手に言っているエリアにおいて。
小田原の次にあるいは小田原同等ぐらいに住みたいと思っている街が。
岩手県の森岡市なんです。
日本に住みたい街っていくつかあって。
福岡小田原は住んだことあるので除外して。
その一つが松江だったわけなんですけど。
つまりそのレベルに僕森岡って街が好きなんですよ。
そうなんだ。
何度も行って本当にしょっちゅう遊びに行かせてもらってるんですけど。
なのでそういうちょっとかなり思い入れの強い場所だということでね。
なるほど。
それを詰め込んであふれ出たプラス一泊ということね。
そういうことです。
森岡だけじゃなくてね。
岩手県の一番北辺が森岡みたいな感じなので。
南から入って森岡まで到達するっていうので三泊四日にしてありますので。
結構移動もある。
久々に今回ドライブになりますので。
そういったイメージでいてくださったらいいのかなと思います。
じゃあ早速行きましょうか。
ということでね。
レニューって今回岩手県というものが初めて登場するわけなんですけれども。
どうですか岩手県のイメージとかっていうのは何かありますかね。
イメージ。
そうですね。
あれだよね。
俺らが秋田行った時に経営打ちというかね。
そうですね。
車借りたりとかしたのが森岡でしたよね。
そうですそうです。
あの時に帰る直前に焼肉でも食おうかみたいな話してたんだけど。
何かできなかったよね。
そうですね。
実感的な感じだったかな。
だったかな。
あと多分昼相当隔の立てで3時くらいまで多分飲んでたりして。
もうお腹いっぱいすぎて仕方ないから焼肉はいかなかったけど。
北上川の川沿いで地球飲みをした覚えがありますね。
テラス席みたいなところでビール飲みましたけど。
そうですね。
だから多分行ったのはそれぐらいかな俺、森岡。
で、なんで。
そうですね。
イメージっていうと。
まあだから多分一般的なイメージで言うとやっぱ冷麺とか。
はいはい。森岡冷麺ね。
あとは三陸海岸とかがあるから魚介はすごくおいしいんだろうなとは思いますし。
わんこそばとかも言われてる。
そうですね。あれも森岡とか大きいですね。
食べ物で言うとそういうイメージはあるかな。
確かに今冷麺、わんこそば、そしてもう一つじゃじゃ麺なんていうのもね。
この3つを称して森岡三大麺なんて言うんですけれども。
そういったご当地グルメみたいなのは結構森岡に関しては割とコアなものが集まっていてね。
そういうのでイメージも多いっていう人もいるんじゃないでしょうかね。
あとは森岡以外の広い県の環境を見ていると今おっしゃったように三陸海岸が東側ずっとありますから。
日本の地理の教科書とかで塩目があるなんていう話を聞いたことがあるんじゃないかと思うわけですね。
あとリアス式海岸で覚えるとね。
そうそうそうそう。つまり塩目があると黒塩とオヤシオがぶつかって栄養価のすごい豊富な漁場があってお魚がおいしいし。
リアス式海岸だと地形の関係で牡蠣の養殖とかが盛んでね。
というやっぱり海産物にも非常に恵まれて。
一方で山の方に行くと非常に畜産も盛んだったりしますし。
森岡の近郊には小岩井農場なんていうのもあります。
あれも聞いたことあるんじゃないかと。
よく牛乳パックとかにありますよね。
あれは森岡の近くにあります。今回は行かないんですけどね。
といった感じでね。
とにかく広いんですがその広さを持て余すことなく。
本当に多彩な今ね食文化の話かなりしましたけれども。
僕も思うに本当にグルメ都市ですね。
特に森岡はグルメがおいしいと僕は思います。
本当に必ず行くお店があって。
今回それを盛り込んでるんですけども。
っていうぐらいのね。
街並みにやっぱ住みたいと思いますし。
ただね。今回はそういうわけで。
岩手の南部つまり宮城県側から入って森岡まで散歩しながら行くんですけれども。
結構観光的にはね。やっぱり皆さん三陸とか森岡とか小岩井農場は知ってても。
あと平泉なんてのね世界産でありますけれども。
その平泉以外は何があるのかって意外と知らない人も多いんじゃないかと思う。
そうだね。
なんかパッと岩手県の森岡以外の都市答えるって言われると。
ちょっと答えに詰まる感じがある。
そういうことも多いと思いますので。
じゃあその南側に実はどういったものがあるのかっていうのをたどっていきたいと思います。
今回のお勧めのシチュエーションとしては。
結構ね歴史とグルメですね。
なので割とこのオトタビポッドキャストの本家本元に戻ってきた感じがちょっとしますね。
歴史も相当話はします。
あと文学。
やはり岩手というとね。
一番有名な歴史上の人物で言うとおそらく宮沢賢治さん。
がね生まれた場所でね。
今でもやっぱり岩手の方って本当に宮沢賢治さんのことをねすごくリスペクトされてますから。
こういった話はやっぱり当然出てきます。
ただその宮沢さん以外にもどんな人がいたかって話もしますので。
交通アクセスと観光プラン
そういった人文学的な興味もいいですし。
あとね実は裏テーマでね。
農文ですね今回。
非常に飲みます。
毎回飲みます。
ですので今回はグループ旅行で。
ぜひ行っていただきたいと思うわけです。
いつもの俺らのスタイルね。
男性4人くらいをまさにイメージしていて。
誰か1人が犠牲になる人が必ずいると。
その前提でもう話を始めていただきたいと思うわけですね。
3泊4日だから1日ごとにその犠牲者をね。
交代してね。
やるとかでもいいかもね。
まあそれで仲良くなれるんであればいいんじゃないですか。
僕は嫌ですけど。
ということでね実はお酒も相当登場しますのでね。
ぜひ楽しみにしていただければいいかなというふうに思っております。
ということでね早速ちょっとコースの方に入っていきたいわけなんですが。
今回はそういうわけで岩手の南の方から入っていきます。
でアクセス岩手系のアクセスですけれども。
まず東京とか関東圏の方々が行く場合はやはり東北新幹線ですね。
これは森岡我々この間ね秋田行く時にも立ち寄ったって話しましたけれども。
交通の便としては割と楽だなと。
シンプルな交通経路になってます。
一方でねじゃあ九州とかから行くにはどうしたらいいんだって話になるかもしれないんですけど。
これはなかなかねやはりもちろん遠いですよね。
岩手にはね花巻というこれ宮沢賢治の出身地ですが。
ここに空港があります。
ので岩手花巻空港にどうやって行く便があるかっていうのを調べていただく。
それが関空からなのかっていうのは多分あると思うんですけれども。
ちょっとそれ以外福岡空港からの直行便があるかとかは僕調べられていないので。
ちょっとそういった空路を使う場合は岩手花巻空港に何があるかを一度見ていただいた方がいいかもしれません。
あるいはね実はこれから話す岩手県の南側ってもはやね仙台の方が近かったりするんですよ。
ですので仙台の方に空路で入っていただいてそっから動くっていうのももはや検討してもいいかもしれません。
ということをちょっと柔軟に考えていただければいいかなと思います。
今回は一応東北新幹線に乗ったという想定で新幹線の駅から話を進めたいと思います。
目的地になるのがだいたいお昼頃に一之関という駅に着いていただくのを目標にしてください。
これは東北新幹線には早草と山彦っていう望み光みたいのがあるんですけれども。
このうちの山彦っていう各駅停車の方ですね。
の方しか止まりません。
この一之関っていうのがもういわゆる岩手県の南の玄関口にあたりますのでここでレンタカーを借りましょう。
そしてねレンタカーを借りましたら早速飲みに行くわけですね。
もう今回予告はしてありましたから。
なので借りた時点で喧嘩にならないようにあらかじめしておいてください。
関野市の蔵本レストラン
しかもねわずか車で5分これ歩いても行けます。
歩いても行ける距離に飲みに行くと。
というわけで最初の目的地は蔵本レストラン関野市さんです。
レストランなのに蔵本が運営してるみたいなことをお気づきになりましたか?
そうなんです。
岩手県というとねやはり日本州の一大産地でもあるわけですよ。
我々も多分知っているものも多いんじゃないかと思いますね。
例えば南部美人とかねああいったものもありますし。
もう挙げたら気になるんですけど。
いろいろあって。
その中でねこの関野市というのも日本州の銘柄になります。
なのでここを蔵本レストランとして紹介しましたけれども。
関野市酒造株式会社さんの蔵本でありますそもそもね。
こちらはですね一ノ関岩手南部を代表するすごく大手の蔵本になっていますので。
蔵自体も非常に大きいんですねこの敷地自体が。
なので蔵も行けますしこのレストランもありますし。
カフェもあるし直売所もあるし。
さらには博物館とかもあるっていうくらい。
どこかの熊沢酒造この間茅ヶ崎でやりましたけども。
あれに近いお酒をフックにしたテーマパーク的なところになっているわけです。
で今回はただお昼ご飯のタイミングでもありますので。
食事をついでにしましょうという形になっております。
郷土料理の多様性
でね早速出てきました。
今回ちょっとねグルメ旅でもありますので料理の話とかも割と丁寧にできればと思っているんですけれども。
ここね非常にたくさんの岩手県の郷土料理食べれます。
でご自身のね好きなものをね選んでいただければ問題ないんですけれども。
ちょっとねこの一ノ関ならではの料理っていうのがあるのでそれにフィーチャーしたいと思うんですね。
これがね花宝餅前というものです。
これね写真見てるんですけどあのわんこそばのお椀みたいな感じのお椀がね9つ綺麗に並んでる餅なんですけど。
餅? そうなんです。
花宝餅前これね字で言うと花宝というのはね結果の果に報えるということで。
花宝物っていう風にね言いますけれども。
要は良いことがある神様にお願いして良いことがありましたみたいな話で縁起が良いっていう意味なんですね。
寝て待つやつだよね。 そうそう花宝を寝て待てそうそうそういうことですまさにまさに。
であの餅がね平仮名になっていてそのお膳ですよっていうことなんですよ。
なので今内田が言ってくれた通り9つのねお椀みたいのがお膳の上に乗っかっていてそれぞれ色違いのねお餅がね入っているわけなんですね。
それに汁物とかねそういった他のものもあるというお膳になっているんです。
普通ねお餅って我々いつ食べるかって言われると。
まあ正月ぐらいかな。 そうですよね。
でまああれももちろんね新年を迎えられたという縁起を担いでいるわけですから。
なんとなくこの花宝は寝て待てとねひも付くというのはなんとなくイメージはつくんじゃないかと思うんですけど。
なんでこれが郷土料理なのかっていうことなんですね。
そうね。
しかもこの9種類っていうのがまたね不思議な感じだよね。
そうなんです。
でなんとね一之関平泉の餅は約300種類。
そんなに種類あるの。
この関之一さんにはね餅文化のためのランディングページもありましてなんか図鑑みたいなものがあるわけなんですけれども。
そんな感じで。
だから食べ方ってことね。
うん。
味付けのことですね。
え、すげえ。
小豆、あんこ、きなこ、この辺はよくわかると思うんですね。
ちょっと珍しいもので言うとじゅうね。
なんだそれ。
東北ではエゴマのことをじゅうねという。
ということでじゅうねですね。
あとはふすべ。
何にもわからんな。
これはですねなんとかつてはいろりでいぶした土壌を使用していた。
川坂の土壌ですね。
最近だと土壌の代わりに取引肉を使う。
それにすりおろしたごぼうや大根唐辛子などを加えるというね。
なかなかちょっとないんじゃないかと。
土壌の代わりに取引肉になるんだね。
ちょっと我々もそれがまず驚きましたけど。
食感とか変わらないのかなと思うけれどもね。
でもこれは郷土料理だね。
そうだよね。
なかなか普段は見慣れないものじゃないかと思います。
一番右を見てほしいんですね。
ずんだだ。
あれずんだって仙台じゃなかった?
そうですよね。
それなんですよ。
実はね今回この餅を今なぜ引き合いに出したかというと。
岩手県はね岩手県として見ちゃだめなんですこれ。
出た出た出た。
ところがね旧国名で言うと。
昔の東北地方ってデワとムツっていう2つの国しかなかったんです。
福島県宮城県岩手県青森県の太平洋側の4県ですね。
はすべてまとめて6つの国だったんです。
めっちゃでかいね。
でかいです。
秋田県と山形県日本海側の2県だけがデワの国だったんです。
つまりこれまでのポッドキャストで言うと我々はトドノオワキタと言ってね。
秋田県佐竹の藩のことをやりましたけれどもあれはデワの国の久保田藩でした。
これまで6つの国で言うと実はすでに青森のことをやっていますよね。
あとは藍津若松のこともやりましたよ。
なので実は6つの国って言うともう今回3回目なんですね。
だからいつもの旧国名で分かれるって理屈は通らないわけなんですよ。
じゃあなんで今仙台を引き合いに出したかっていうと。
これは藩なんです。
6つの国って当然4県もあるわけですから面積もとんでもないことですよね。
それをいろんな藩がいたんですけれどもこの辺は戸様の有力大名がやはり力が大きいのがいっぱいいて。
この藩の影響っていうのは非常に強く残ったんですね。
そして実は今の岩手県は南の3分の1ぐらいざっくりですよが仙台藩領なんです。
北の3分の2くらいが森岡藩領なんです。
ちなみに森岡藩は青森の八戸までが森岡藩領です。
なので八戸も森岡と一緒の文化圏だったんです昔は。
っていう今の県境から若干北にずらしたイメージで昔の人たちの考えがあったっていうふうなことを分かっていただきたいんです。
なので寸田餅がここにもあるんですよ。
でね仙台藩というのは有名な伊達政宗。
独眼龍政宗として有名な戦国大名いますよね。
この人が藩主つまり伊達家です。
江戸時代の最初から最後までずっと伊達家の領地でした。
藩の領域もほぼほぼ260年変わっていません。
ので非常に深くこの伊達文化が染み付いてるんです。
この餅をそもそも食べるというのも仙台藩の習わしなんですこれ。
なるほど。
で岩手の郷土料理ってわけではないってことね。
ないです。あくまでも岩手県の中の仙台藩寮の郷土料理。
だから寸田餅も当たり前のようにあるわけです。
で伊達家はねそもそもなんで餅をこんなにやってたのかって話なんですけど。
まあこれいろいろ説はあるようなんですが仙台藩というのは非常にこれも連邦国家的なものがあって。
神殿開発とかをいろんな獣神たちをこのでかい国土に配置してそれぞれやらせてたんですね。
でそれでもって豊かな土地を持ってますからそれをお米に変えようとしてどんどんどんどん農民たちに工作をさせることを江戸時代も急ピッチでやったんですよ。
だから少しでもお米の恵みとか土地の神様に良いことがありますようにって願いを込めて縁起を担ぐことに余念がなかった。
ので一節には毎月ね毎月ですよ。
1日と15日には餅を食べろっていう風習があったんですよ。
それぐらい神頼みがすごかった。
なので皆さん餅を食べなきゃいけないっていうことで必死にいろんな餅のバリエーションを考えたんです。
飽きちゃうしその季節ごとのやつもあるし。
けどやっぱり土地は耕してちゃんとお米になってほしいから神様にはちゃんとね捧げようということでねお餅を作ったそうなんです。
餅を食べることが捧げることになる。
そうなんです。
これはもっとより言うとね伊勢神宮とかの話にまたなってきちゃうんですけど。
要はお米をただ取るというだけではなくてそこにこう人の手を加えて縁起の縁起のいい形にしてね。
でちゃんとお供えするというところでそれでいただくそれと神様と同じもの分かっちゃうということでお餅をいただく。
伊勢神宮はそれがすごかったっていうことなんですね。
なのでね300種類も当然あるわけですし旧仙台伴侶には餅御読みってオリジナルカレンダーがあったと。
これね今もこの関ノ井修道さんには書いてあるんですけど。
正月の鏡餅はこの辺はよくわかりますけども。
それ以降にね1月7日にまたおかゆ餅を食べます。
1月11日にふくとり餅を食べますとかって言い始めて。
なんとねこれ全部合わせると年間まで60日ぐらいお餅を食べる日があると。
平泉と観光の魅力
という小読みがあるそうなんですね。
12月4日もある。
そうなんですよ。
しかも年末に結構集中してるね。
そうだから12月31と1月1日はどっちものやるわけですね。
ちなみに5月は何があるんだろうか。
5月5日4日5日ですね。
この辺は確かによもぎ餅なんてのはわかりますね。
柏餅ね。
柏餅もありますね。
ちゃんとね5月5日単語のセックで柏餅。
残ってるやつもあるわけね。
そうだね我々が親しみ深いものもありますね。
ただいかんせんこんな小読みを作るくらいですから。
やはり郷土料理といってね差し支えないものだろうと思います。
すげえ。
なのでね僕も実際そうですけれども
お餅とさ要はお米じゃないですか。
いきなりお酒ビールとか飲むってなかなか重いかなって思ったりすると思うんですけど。
さっき言った鶏ひき肉の話もあるように
味わいとしては結構塩辛いものとかそういったものもあるんですよ。
スイーツだけではなくて全然。
なのでお餅をいただく前にそういったその上の味の部分だけを
親身的にいただいて日本酒せっかくですからね。
合わせるってことも当然できますし。
お酒と合わせるって意味でも全然いけるよっていうのが
この家宝持ち伝になっているわけです。
そこはやっぱり蔵本が運営してるから合わせるように作ってるよね多分ね。
そういうことです。
ちなみにこれお酒だけでもここすごくてですね。
今回実は裏テーマ飲みますよと言ったんですけど
特に飲むのがビールなんです。
日本酒じゃない。
日本酒ももちろん今回もいいんですけど
ビールも実はめちゃくちゃ岩手で盛んなんです。
これは現代のお酒のシーンにおいて。
実際こちらの酒造で言うとですね
岩手蔵ビール。
志あるクラフトビールということでね。
1995年ですから
いわゆるサンクトガーレンがね
創業したクラフトビールの道を開こうとしていたちょうどあれぐらいの時期ですから
相当早い時期からやっていたビールなわけです。
同級生だね。
そうです。我々同級生なんですよ。
これから実は1日1ビール必ず出てきますから。
2ビールかな。出てくるんですけど。
ってくらいクラフトビールが多いんです。岩手って。
なのでこの旅行3泊を通してね
ビールの飲み比べができますし
なぜこんなにビールを作ることができるのかってこともね
ぜひ迫っていきたいなと思います。
ちょっと面白いのはね
金色堂ゴールデンエールなんていうね。
これは岩手の中でもやはりね
市の関これ平泉が隣町にありますから
この市の関の人じゃないとやっぱりなかなか作れないかもしれない
中尊寺金色堂ですよ。
あれを模したゴールデンエールと。
本当ね種類も豊富ですよね。
なのでねまず1杯目でビール
僕のおすすめはビールを飲みながら
1品ものをまず最初に頼んで
日本酒に切り替えるあたりで
もち午前も頼んでっていう感じで
しっぽりやるのがいいんじゃないかなと思うわけですね。
ということでね最初から飲みますと。
ガンガン飲んでから日本酒もビールもどっちも飲みますから。
素晴らしいですね。
もっとお酒に興味あるよって人は
博物館とかも面白いんで
そっちに時間を使っていただいてもいいかもしれませんが
今回は食事だけという想定で
大体1時間くらいいるように設計をしました。
というね蔵本レストラン関野一さんでした。
そしてねちょっと今フライングして
ビールにカコつけて出すみたいな
とんでもないことをしましたけど
これから行くのがねいわゆる平泉になります。
平泉というのはね
世界文化遺産に登録されている
東北を代表する観光地ですね。
平泉の歴史と背景
でその平泉に行くためには
この市の関から行くのが一番良いです。
鉄道駅が平泉っていうのはあるんですけど
やはりその新幹線とかでいうと
市の関がやっぱり一番いいので。
平泉って言うとわかりますか?
どういう街だったかっていうのは。
なんで世界遺産なのか。
やっぱね受験とかの勉強で
止まってる感じがちょっとあって。
何で登録されたんだっけっていう感じ。
正直。
2011年ですね。
登録名で言うと
平泉仏国土
かっこ浄土を表す建築
庭園
および考古学的遺跡群。
だから仏教に関する建築とか
遺跡が登録されてたね。
そういうことです。
これねすごくシンプルに言っちゃうと
平泉っていうのは
仏教ですごく良いとされている浄土
これまでも何回か出てきましたけども
その浄土ってものを
このように本当に作ったら
どういうことになるのかっていうことを
本気で考えて作った年なんですね。
ちょっとなんかイメージが
まだつかないけども。
それなぜイメージがつかないかというと
もうその建物は
ほぼ全てが打ちのわれてしまっているからです。
かつてあった
あくまでも遺跡なんですね。
というのがこの平泉になっているんです。
平泉の話をしますと
なんでこんなことを誰がやろうとしたんだって
話になるわけなんですけれども
大それたことでね。
こんなしかもわざわざ東北でやるのか
岩手で何でこれをやろうとしたんだってことなんですけれども
そもそもこの平泉のね
清平とその理想郷
作った人そして
治めていた人が誰かというと
奥州藤原氏
という人たちです。
これは教科書には載っています。
この平泉にもちろんひもづいて
有名なんですけど
おそらくね大河ドラマとかでよく出てくるのは
藤原氏って4代いるんですけれども
3代目の
秀平っていうものと
4代目の安平というもの
この2人がおそらく大河ドラマとかでは頻繁に出てきます。
なぜ出てくるかっていうと
源義経
かくまって
育てあげた人
そして最後に義経が頼って
この平泉で殺されてしまうっていう
そういう源義経にとって
特別な場所ということで
この平泉と奥州藤原氏は
必ず出てきます。
ただこの平泉のね
最初にそもそも作ったのは
秀平から
2代前おじいさんにあたる
藤原清平という人が
この平泉を最初に作った人です。
藤原清平っていうのは
もともと
清原の清平と言っていて
清原氏っていう別の
豪族だったんですけれども
岩手を地元にしていた豪族なんですけど
平安時代って
実はね東北の方って
もちろん朝廷の支配下にはあったは
あったんだけれども
まだね九州とか西国の方と比べて
朝廷の支配力が強くなかったんですよ。
なので
一応京都の朝廷に従ってはいるけれども
何かあったら独立しちゃおう
反乱しちゃおうみたいな
ムーブメントが結構起こりやすい場所でも
あったんですね。
以前平の正門なんてのが関東でね
大暴れして独立しちゃったって話
ありましたけれども
それと近しいようなムーブが東北でもちょくちょく
起こるんですね。
東北じゃないかもしれないけどね
愛媛市とか
北の方はそういう影響力が
まだ届いてない感じはあるよね
そうですそうです。まさにそういった感じですね。
なのでこの清原の清平、藤原の清平も
最初はねこの清原氏の
豪族だっていたんだけれども
一回は反乱を起こしていて
京都の朝廷に対して
その時にね
源の室の先祖である源氏に討伐されて
ただその源氏の大将に
信服して降伏して
安堵してもらった。ところが
それを妬んだ別の道族の仲間内で
この清平は
はぶられちゃって、攻められて
家族みんな殺されちゃったりして
泣きついてその源氏の当領に
もう一回自分がなんかせっかく
源氏に従ってたのに周りがみんな
いじめてくるんですということを言って
また源氏がこの東北に乗り込んできて
朝廷の命で。でこの清平を
助けてその周りのいじめてた奴らを
全部排除すると。こういう
源氏によってたびたび関与されてるんだけれども
結果的に見ると
その当初仲間内でみんなで反乱した奴ら
の中で清平だけが生き残って
この清原の清平
改めて藤原の清平と言うんですけれども
がこの東北
六つの国の一大有力者になって
いったんですね。なので
欧州藤原氏っていうのは
朝廷に対してはむかおうみたいなことでは
そんなにないんですよ。むしろこの
源氏の介入によって成立しているので
京都の影響すごく受けてるんですね
だけれども清平は
従ってはいるんだけれども
ほぼほぼもう朝廷の支配が
やっぱり弱いので
自分たちで都市も作って資源も
掘り出してっていう割と自治的なことを
やるんですよ。朝廷としては
要は清平っていうちゃんと真っ当な奴が
治めている限り反乱が起きないので
ある意味もそれでいいと思ってたんです
掘っておいても良かった
ところが清平が
徳をしているという意味で言うと
大きかったのはこの辺りの
東北というのは
非常に資源に恵まれてるんですね
特に
もちろん簡易産物に恵まれて
木材にも恵まれてるんだけど
一番影響力が大きかったのは
鉱山です
これ明治とか
ぐらいまでは東北って
鉱山開発がすごかった
町なんですね。だから財閥も
入ってくるしそもそも秋田乱河を
生まれたきっかけになった
平賀玄内と小太郎の青竹の出会い
っていうのも玄内が
佐竹の殿様に頼まれて
うちの鉱山の様子を見に来てくれ
鉱山開発のコンサルになってくれっつって
秋田に言ってたのがそもそもなんですよ
なので
そういった東北の鉱山資源
時代が古いとまだまだ眠ってますから
そういうのをこの奥州藤原市は
一点握ったんです
つまりそこから出てくる
金なり銀なりっていうものを
どんどこどんどこ発掘して
それで自分たちの資産にしちゃってるんです
ってなった時にもはや
この財力っていうのはとんでもないものだと思ってたんですね
同時に清平っていうのは
そういういろんな家族
一回殺されたりしちゃってて
苦難の多い人生だったので
仏教に対する信心っていうのが
すっごく強かったと言われてるんです
だから仏教の教えを
自分も信奉してるし
もっと広まってほしいと
こういう仏教みたいにちゃんとしたものが広まれば
そもそも同族でいがみ合って殺し合ったり
なくなるはずだからっていうことで
そのために
自分の本拠地である平泉っていうのを
もう東北の人たちに
浄土を見せてあげようこの俺が
なぜなせるかというと
俺は仏教のことよくわかってるし
何より俺の手元にはこれだけの資産がある
っていうので作ったんですね
それがこの計画都市平泉だったんです
中尊寺金色堂の価値
だから自分なりの理想郷を
見せつけてやろうっていう
理想郷なんです
この人が作ろうとしたの
そして
一番有名なものこの清浩が
作ったということで一番有名なもの
こそが忠孫寺金色堂
なんです
忠孫寺金色堂改めて見てみましょうか
どういったものか
教科書とかではもちろん見たことあるんじゃないか
と思うんですけど
もう
まっきんきんだよね
まっきんきんですよ
扉の表裏に至るまで
中の仏さんの趣味団一個一個に至るまで
全て金ピカなんですよ
名の通り金だよね
もうこれ以外名のつけようがないです
なぜこれができたかっていうと
さっき言ったように藤原宗はとんでもない
数の鉱山資源を持っていたから
つまり金って
今も昔も非常に経済的価値が
高いものなのでみんな
こぞってこれを集めようとしてたんだけれども
そのみんながお金に
買いたい金を
自分のリュートピア理想郷を作るために
全て釣り込んだと
いうくらいの
それができちゃうくらいの人たちだったんです
っていうのがこのすごいところなんです
後々話す事情によって
実は藤原氏が
四代かけて作った理想郷というのは
ほとんどが燃えて今は残りませんでした
だけどこの中尊寺
金色堂だけはさすがに
残ったんですね
これはさすがに敵であっても破壊できなかったんだと
思います
すごいもんな
これに何かしたら
バチ当たりだなっていう感覚が
強いんだろうね
当然金
こんなに使ってますから
これを壊すのはもちろんバチ当たりになるし
保っていくのも大変なわけですよ
そもそも金属ですからね金ってのは
なのでね
面白いことに現地に行っていただいた方は
ご存知だと思うんですけど
金色堂今見学しようとすると
どうやっていくかというと
この金ピカな金色堂は
今外観としては
全く見れないんです外からは
実は金色堂は
あるんですけど
その上を大井堂
っていう要は金色堂を
カバーするカバーの堂が
あるんですよクリートの建物が
この中に金色堂
保存されているので
今は雨風を一切受けないようになっているんです
は〜
確かにねこれ写真見ると
外に置いてないんだよね
屋内にこの金色堂が
あるっていう そういうことなんです
は〜
なので現在は中村寺さん行くと
受付みたいのがあってそこでお金払うんですよね
でお金払うと
この大井堂に通されて
大井堂の中に入ってくると
ようやく金色堂が目の前に現わる
というような状況になっているんです
で今の文化財宝の
観点で考えると
大井堂は当然世界遺産になっているレベルですか
こういうのがあってもおかしくないと思うんですけど
この大井堂っていうシステムは
なんと鎌倉時代から
やってるんです
保守が大変なので
そうそうだしどうしても
やっぱりこれは守っていかなきゃいけない
という意識が強かったんだと思います
その当時の人でさえ
当時の人だからこそかもしれないね
今よりこのありがたみをね
仏教のありがたみをよくよく感じている人が
多かったかもしれないので
鎌倉時代、藤原氏は平安時代の末期に滅びているので
もう違う人が治めているのに
ここには大井堂をちゃんと作ってあげて
そのおかげでこの金ピカのまんま
千年経っても残っているんです
この威厳がすごいよね
これをやっぱり一度は見た方がいいと思います
すごい価値のあるものだし
やっぱりびっくりします
これは世界遺産だなって
シンプルに納得できる資産ですね
そう思わせるだけのパワーがあるんだろうね
ありますね
鎌倉時代の前までは
もしかしたらこれは大井堂なかった
と思われるので
夜空の中に月の光とかを受けて
この金ピカがおそらく輝いていたんだと思うんです
中尊寺さん今言っていただくと
わかるんですけど
20分か30分くらいかな
山を階段になって登りやすいんですけど
薄音した杉並木の中を
登っていって登っていって
最初にお堂とかいっぱいあってね
絶景スポットとかある中に登っていって
最後の最後にこれが現れるんですね
なのでやっぱりその時の感動っていうのは
大井堂があるから守られたってことは
もちろん感謝するべきなんですけど
一方で大井堂がないとき
月とか太陽の下に
これが輝いていたときっていうのは
いったいどんな姿だったんだろうかということも
一方で考えさせられるようなところになっています
もしかしたらこの
麓から見て輝いていたかもしれないし
かもしれません
そうかもしれませんね
中尊寺金色堂のエピソード
だしそれを清博は狙っていたのかもしれません
やっぱり平泉の中の一番高いようなところに
この金ピカの建物があって
その周りに浄土があるっていう
その皇帝の関係をもって
浄土とはこうあるべきだ
こういうものなんだってことを
この東北に生きる人々に伝えようとしたんじゃないかと
思うんですね
なんかそういう想像がね
できるね
なのでねさっきお金払うって話
しましたけど
入るためのお金を払うとですね
同時にこの中尊寺の宝物館にも入れます
そこにはこの
奥州藤原氏が守り伝えてきた
東北の仏様たち
仏像のすごい貴重な作品もいっぱいありますので
そういった文化財とかに
興味ある方はね是非その宝物館を
合わせて丁寧に見てもらうといいんじゃないかと思います
はい
そしてね
ちょっと今回のね
タイトルとかとちょっと関連してくる
話を深掘りしていくんですけれども
一つね
このね中尊寺金色堂を
巡ってはね
非常に不思議なね
エピソードというかミステリーがあるんですね
このURL
開いてもらっていいですか
いいですね
われわれが今見ているものは
川端隆史
これ隆の子供と書いて隆史と言います
男性です川端隆史
さんという画家が描いた
夢というね
絵なんですね
これどういう絵なんでしょう
ちょっと一見ね綺麗な絵かな
と思ったけども
棺だねこれは
そうなんです
ちょっと拡大してみるとよくわかるかもしれないですね
この観音家のね蓋が
外されていて
この中にね
ちょっとなんか時間が経ってそうな
ご遺体が
眠っていてその上を
たくさん飛んでいるっていう
ちょっとなんか
怪しさと
美しい感じもあるし
不思議な雰囲気だね
はい
この遺体なんですけれども
ミイラになっているわけですけど
これは奥州藤原市
清平元平
秀平本物の遺体がここにあるんです
これ今もあるんです
これ本当に
実は金色堂の中
金色堂のちょっと画像を見てもらいたいんですけど
ここにね
中に仏様がいると思うんですけど
その下になんか壇みたいのがあると思うんですよ
仏様が立っている
壇みたいのがこう添えられていると思うんです
その長方形でね
これ趣味壇って言うんですけれども
この中に清平
元平秀平っていう親子
三代の
ご遺体は今も本当にここに
眠っています
本物がここに埋葬されている
この中に保存されているんです
これはそういうふうに言い伝えられてきてたんだけれども
確実あると
言われてたんだけれども
戦後になって初めて
これを本当に科学的な調査をしよう
っていうすごいプロジェクトが
組まれた
戦後の歴史学航空学で本当に特筆べき
大事件だったんですけど
中尊寺金色堂の科学調査っていうのが
1950年に
始まったんです
中尊寺金色堂のやつを見てほしいんですけど
これ書かれたのが1951年
なんです
これは
実際に1950年の
調査の時に清平が
亡くなってからもう900年
ぐらい経っているんですけれども
科学調査と文化財保護
その900年の眠りを破って
棺が開けられたその瞬間を
捉えているんです
すげえ
なんかすごいね
ちょっとなんか
近畿に触れているような
感覚になっているわ今
やっぱりだからそうだと思います
なかなかこれを調査していいのかっていう葛藤も
すごくいろんな観点からあったと思います
要はピラミッドみたいなもの
なんか似てるんですよこの漢字もピラミッド
ただその大事件があって
日本の当時戦後復興に
いよいよという漢字の中で
すごく日本中の注目を集めた
科学調査が行われたんです
実際中を開けてみたら
清平のご遺体もあったし
その以下の皆さんのご遺体もあった
そしてその服とかもまだ残ってたんです
だから当時の
人たちがどういう服を着てたかっていうことが
その生のものが本当に
出てきたんです900年間眠ってたから
それがその宝物館にまだ
あったりするんです清平が
本当に肌に身につけてた服が残っているんですよ
よく朽ちなかったね
朽ちる寸前みたいなものだったんだけど
けどもう厳重に保管されて
空気に触れてなかったので
なので残ってて清平が
どういった骨格だったか
死因とかも全部分かるんですよ
なのでこれは
考古学歴史学の観点からすごい有名な
発掘調査なんですけど
同時に服飾学とか
医学とか生物学とか
っていう人たちのすごい多彩な
プロジェクトチームが加わって
理科的な観点からも全部調べ上げた
っていう日本の
新しい戦後の学問を開いていった
すごく大きな
調査になったんです
そして本当に藤原氏の
御遺体はそこにあったんです
この時に時代背景をお伝えすると
この調査の前年
49年には
法隆寺近道奈良の法隆寺ですね
これアスカの時代から
あった壁画を修理していたら
不幸な事故によって
その工事の途中に
なんとその壁が燃えたっていう
大事故が起こって
法隆寺近道壁画焼損事故
っていうこれも日本新聞に載ってます
これを契機にして
国が文化財保護法ってもの
作んなきゃやばいってことになって
そういう時代なんですね
しかも一方で
そういった不幸な事故が起こって
文化財保護をしなきゃって取り組みが進む一方で
同じ50年この中村寺の
金色堂の調査を行われた
数ヶ月後には有名な
金閣寺炎上事件が起こります
これ同じ年なんですよ
つまり一方では
そういう不幸な事故もあるいは
精神的に火をつけたっていう
金閣寺炎っていう実際の
三島由紀郎が焼失事故で有名ですけれども
こういった文化財とか
古のものが失われていく
ハスの種の発見
っていうムーブメントが
立て続けに起こってた時期なんですよね
そこにあって中村寺金色堂を
開けてみたら900年間
このご遺体は眠っていたっていう
その不思議なドラマがあって
川端隆史はこの日本の人たちの
注目を一心に受けるような形で
その瞬間を捉えたんです
そしてね
蝶というか蛾らしいんですけれども
これはね中国のおそらく
ソウジっていう東洋哲学の書に載ってる
古蝶の夢っていう
今が自分が眠っているのかそれとも
起きている自分が本当は眠っているのか
っていう蝶になる夢を見て
どっちが本当の自分なんだろうかっていう
有名な文章がありますけど
おそらくそれを意識したんじゃないかと
言われてますが人の見方は
それぞれだと思います
そしてねこれだけでも
十分すごいことなんですけど
思わぬ発見が
ここにもう一つあったんです
黄泉藤原氏三代清平
本平秀平の失礼があることは分かったんです
ある程度はところが
その傍らに
一個ちっちゃな箱があった
桶があったんです
この桶はなんだって思って
開けてみたらそこから出てきたのは
首が出てきたんです
頭蓋骨が出てきた
これはなんだってなったら
王子藤原氏は
その四代に安平
っていうのがいるんですけど
この時源頼朝に負けて
この人は下心の裏切りで殺されてしまってるんです
これで藤原氏は滅亡したんですね
なので首を切られたんですね
この安平の首が
ここに同時に
保存されてたんです
殺されたのに
ちゃんと収めてくれたんだね そうそうそう
秀平までだったら理屈は分かるんですよ
その亡くなった時にまだ
藤原氏は栄えてましたから
ちゃんといわば王様みたいなものですから
大政でしなきゃってピラミッドの中に収めようみたいな
話はよく分かるんですけど
殺された安平も藤原氏が滅亡した後の
その最後の主君を
収めてあげてたんです
しかも不思議なことに
うわ安平が首だってなって
えーってなってみんなびっくりしてたら
首を取り出してこう調査してて
箱の中を見たら
ポロポロポロポロいっぱいなんかが出てきた
でなんだこれっていう風に
開けてみたらそこにあったのは
ハスの種だった
無数の植物の
ハスの種がブワーって出てきたんです
何これってなって
その
流入してる元を見ても
要は密閉された箱にあったわけですから
外部から風とかで吹き込んできたってことは
あり得ない つまりこの
安平の首をここにした何者かが
桶を閉める時に
種を撒いていったっていう風なことが
考えられるんです
でもハスってね思い出してほしいんですけど
仏様が乗ってるっていうような
仏教のありがたい植物なわけですよ
ただ当然そんなところに種
撒いたところでさ土に
ないわけですからただポロポロ
出てくるわけでも
要は思わぬ副産物これあったの誰も
知らなかったのこんなもん
1000年くらい前の植物の種が
そのままの状態で出てきたっていう
とんでもないことになって
急遽植物学のチームみたいなのも
組まれてこれを調査する
このハスのあたり何なのこれってなって
それをやったのが大賀先生
っていう人なんです
大賀一郎博士
という人がいるんですけど
覚えてませんか
我々の同級生の
皆さんこれ聞いてる人いたら
大賀一郎の話覚えてませんか
我々塗ってた高校の
あったなハスが
前堂のところにハスが
あったの覚えてませんか
あれなんですあれを
研究したこの中村
のハスとは違うんですけどこの
大賀一郎さんっていうのは我々が母校の
教員です
そうなんですよ 鳥肌立った今
まあもうこれで
バレるんですけど
あったでしょ あったあったそう
なんかね親子をね
発見したんですよね
それのハスが
その学校の校内にあってね
そんな話は確かに
されたわ そうそう
あの人はうちの母校の教員というか
日本でも有数のハスの権威で
大賀ハスっていう古代章を
栽培したってことで有名な
それで領跡残ってる人なんですけど
たまたまそのうちの母校に
勤務してた時期があったってことで
その発見した大賀ハスの種が分けてもらって
あそこに栽培されてたわけですよね
その人が
そのプロジェクトチームのリーダーになって
この800年前のハスの種っていうのを
調査したんです
ところが当然
800年間よく分からない保存されてた
ハスなんてすぐにはどうにもならないわけですよね
っていうのでもう諦められてたんですよ
大賀先生は
生前にその成果を見るのはなかったんですね
だけど
大賀先生のチームの弟子たちが
何代にも渡ってこの800年前の
ハスをずっと保存して
ずっとずっと丹内に調査を続けた
結果なんと
藤原康平が死んでから
811年後の
2000年に
このハスは開花したんです
えー
死んでなかったんだ
そう生きてたんですよ800年前のハスが
この種子が
その細胞が生きてたんです
すげー
うわなんかちょっと思わぬ
思わぬ驚きだわ今
驚きだわ今
これねもう
2000年ですから我々が生まれた後ですよ
中尊時ハスとして
今この種子から分かれた系統は
今品種としてあるんですけれども
811年後に
開花したっていう大海峡
平泉の歴史的意義
これ相当なニュースになります
すげー
これがね
もとはといえば藤原康平の
首除けの中に入ってたっていうタレが
ほんとなんか
いろんな要素っていうか
歴史話からスタートしたのに
思わぬ科学の発見になって
すごいね広がりが
そうなんですよ
っていうねとんでもない
いろんな成果と謎を残したまま
この中尊時金色堂の調査っていうのは
1950年に行われてるんです
でまあもちろんね
科学的な調査は一通り行われた後で
ただもとはといえばやはり清平以下の
三代の安平もそうなんですけど
人々がその遺体を守る
場所としてこの金色堂もやってたわけなので
今もう調査が終わった後は
そのご遺体自体は
棺の中に再び収められて中尊時に
戻されましたので今もまた
永遠の眠りについたわけなんですけど
ただね一方で811年後の
発の問題もしかり
なんで誰が一体
要は罪人だった安平の首を持って
この山をしとしと登って
そして金色堂の封印を開けて
入れた時に
どういう気持ちでなぜ
破寸の種をバッてそこに撒いたのか
っていうことはもう誰もわかんない
何にも記録も残ってません
でもなんかちゃんと埋葬したい
弔う気持ちがあって
やってるんだろうなっていうのはわかるよね
そうだよね少なくとも同情的で
せめてね殺されてしまったけれども
そのひじいさんの代から夢見た
浄土にでも
この時にこの埋葬した名もなき
人物はもうその
かつて浄土としてあった平泉が
もう一線消防して
もう何もなくなって遺跡に廃墟になってる
姿を見てるはずなんですよね
当然その映画を誇った平泉も
知ってただろうしそれが寄りともになって
別れて廃墟になってしまったのを見て
上でどういう気持ちで
もう一回仏国堂がいつかまた花開く
ようにって思ってその破寸の種を入れたのか
もうこの辺りは何ももう
想像でしかわかんないんですけど
ただそれを同じ日本人が
811年後にその謎の
人物の願いを叶えてあげたっていう
かもしんない、わかんないけどね
っていう
そんなエピソードもあったりします
不思議な
話だ
いろんな謎があるね そうなんです
毛通寺の魅力
未だにずっと調査も続いています
この辺りはやっぱり、なのでそういった中尊自発の
話とかもね宝物館に行くと
詳しく解説されてますので
ぜひこの辺りいろんな知見でもって
もらえるといいかなと思います
なので平泉
といえばやはりこの中尊寺がね
圧倒的に有名なんですけれどもせっかくなので
世界遺産の構成したもう一つ
巡ってみましょう、それが
中尊寺から車で5分ほど
行ったところにある毛通寺
です、これね
毛越寺と書いて毛通寺
と読むんですね そうだね
でこの毛通寺というのは
何かというと藤原の清平
初代ですね、そういうわけで金色堂を
作ったわけですがその子供の
本平とその子供の秀平
秀平は義経を
囲まったお父さん側になってあげた人です
この二人がこの毛通寺
というものを徐々に拡張していった
新しくお寺を起こして作っていった
というものになります
要は最初にこの
山の上の中尊寺というものができた後は
今度どんどんその浄土の姿を
平地の方に移して広げていったんですね
なのでこれも山を降りて
平地の中に突然出てくるんですけれども
ここの見どころは何つっても
お庭です
そして世界遺産のタイトルにもありましたけど
建築および庭園みたいなのが書いてありました
その庭園はまさにこの毛通寺を指しています
極水の宴
5月第4日曜日だから
これ配信してる頃には
明日ですか?
そうか、収録の明日ですかね
これの写真が
写真がトップにあるんですけど
すごいね
綺麗な
この写真の真ん中に曲がった川が
流れてて綺麗だな
よく古典の授業とかで
この極水の宴をやる話とかも
要は和歌を読むんですね
お庵が来る前にね
っていう遊びなんですけれども
こういった要は平安王朝貴族の
見ていたものっていうのを
再現してるわけですね
毛通寺も当然
平安時代の中頃から
黄金かけて作られてますので
その時代の面借りをとどめています
残念ながらただやはりここはね
頼朝が来た時にすべて焼かれてしまって
もう建物は何も残っていません
当時のものはね
ただこの地面に開発されたお庭だけは
その遺構をとどめてあったので
それを修築して保存して
今世界遺産としてまだ残っている
というものになります
建物今再建されたものは
あるんですけれども
このお庭の
この写真がすごいんだよね
もう当時の十二単兵とか
なのかな
来てる人たちがね
お庭に座ってるんですけど
もう本当当時これなんだと思うな
っていう
見物人の数もすごいね
そうですね
あとは毛通寺について
経代の子がどっちかな
あーそうこれこれ
おーすごいな
これですねやっぱり一番有名なのはね
その名も浄土庭園
この写真すごいな
綺麗ですね
すごい空だなこれ
まあ正確に言うとこの
池に映った空のね
グラデーションがすごい幻想的なんですけど
そうですね
浄土っぽいですよ
やっぱりこれだけの広い園地
そして波が立たない設計になってるので
空が綺麗に映るんですよね
だから空のね一刻一刻の
移り変わりによって極彩色のね
グラデーションが生まれるでしょうし
それによってねやはり
天井にある浄土っていうのを
ある意味この我々の住んでいる地べたというかね
地上の世界にも表したいっていうのは
本平の発想っていうのは
このリフレクションを利用することによってね
それを叶えようとしたのかもしれませんね
空を映す
この写真だと本当にね
波がないんですよね
本当にこういうの見れますよ
僕もねここ3回行ったんですけど
最後の1回ね
10月の夕方に行ってね
その時すごいこんな感じになりました
鱗雲がちょうどね秋であってね
それが綺麗でしたね
この天を映して
そこに浄土を見てたんだろうね
そうですねそういう発想だったんだろうと思います
今はねあの森になってしまっているところも
あそこも昔はね
お堂が建っていたそうですから
よりだからこの
池の極彩色の中を
彼方に行くとまたその
ありがたい仏様がいたっていうそういったアプローチを
おそらく実現していたんでしょう
実際ね
この茂津寺だけじゃないんですけど
こういった遺跡も今は建物がなくなってしまった
お庭の遺構っていうのがいくつかあります
藤原氏はそれぞれの
都市をそれぞれ作っているので
当時やっぱり平安時代の記録とか見ても
京都はその時ね
厳人兵器の争いが起こり始めてて
もうどんどん混乱で
荒廃していってしまう一方で
それを北から見ながら
平泉にはとんでもない浄土が実現している
っていうので多くの人がやっぱり
この平泉を目指したといいますね
源義経の物語
京都から避難してくる人
その中に幼き日の牛若丸
源義経がいたわけなんですけど
実際ね
大河ドラマ義経のオープニングテーマ
の曲の最後もね
この茂津寺の庭園を馬が走っていく
っていうのがラストシーンになりました
これが当時の想像図ですね
これ宇治の平道員なども
結構参考にしたんじゃないかなって
言われていますし一方で
頼朝はねこの平泉を滅ぼす
わけなんですけどそこで見た平泉
やっぱりすげえってなって
鎌倉にねこの平泉の
模した鬼跡を作ったんですその後に
なのでやっぱりそれだけ
京都がああいうことになっている時には
恐らくその日本の中で最も
平安で文化的な都市だったのが
この平泉だったので
残念ながらねもう金色以外
何も建物が残ってないというのは非常に
残念なんですけど
そういうことですね
この茂津寺は屋外になりますので
できればね夏行く時は
ぜひ暑さなどはね気をつけていたら
なるといいかなと思うので夕方に行った方が
いいと思いますで夕方の方が
より綺麗になるんじゃないかという気もしますのでね
そうね夕焼けの空が
映ってるといいね
そんな気がしますね
最後にねやはり歴史ファンの方は
ここを欠かせないだろうというのが
茂津寺から5分ほど車で行った
ところにある高田地義経堂です
これは高い低いの高い
館に義経というのがね
義経ですね
もう今ね
ページ見てすぐ出てきた通り
源義経
終焉の地として非常に有名な場所になっています
源義経っていうのは
どういう人だったかってイメージありますかね
さっきから普通に話してますけど
何で有名なのかが
いまいち分かってない
頼朝はやっぱりさ
幕府を作ったっていうので
教科書でやっぱ覚えるんだけど
けどなんかちょっとヒーロー的な
イメージで有名
なんだろうなとは思ってるんだけど
実際に何した人なのかっていうのは
分かってない
源義経というのは
簡単に言うと頼朝のまず弟です
そもそも頼朝っていうのは
以前ね足利忍太の時に
話した通りお父さん
義経っていうのがいたんですけど
これが平野清盛に負けて殺されてしまって
平家の天下においては
わけわかんないその無本人の息子みたいな
押し込められたんですね
追放されちゃってたんですよ
義経も義経で
血飲み子みたいな時だったんですけど
かろうじて命は助けられたけど
平家全盛の世の中ですから
ひっそりとひっそりと生きていた
倉間寺っていう京都の
北の方の寺に出られて
王子になるはずだったんだけど
物語的な俗説というと
そこに金売り吉児っていう
怪しげな商人がいて
金っていうのはお金じゃなくて
今で言う100円200円っていう意味じゃなくて
当時の倉間寺は金で
つまりこいつはどこから来たのか
つうと未来住から来たんです
欧州で金を仕入れて
京都に売りさばいていた怪しげな商人がいたと
言われてるんですけれども
拾われてあなたは
倉間寺で僧侶になるのもったいないと
見込みがあるから
ぜひ私についていきなさいと
欧州藤原の平泉っていうのは
すごいところで今の大将秀平
っていうのはすごい奴だと
結局あなたのことをかくまってくれるでしょう
平家も平泉に手を出せないから
言って
商人に連れられて
平泉に行って欧州藤原氏の
秀平っていうのは平泉の前世時代の
党首なんですけれども
対抗する力みたいなのも結構持ってるんですよ
北の独立国家みたいになってる
そこに源氏のよくわかんない
子供が来たって言うんだけど
秀平っていうのは物語ではよくすごく男気のある
治癒に優れた武将として描かれるので
この人をかくまってあげて
倉庫してるうちに
源頼朝が伊豆で居兵して
足利がそれに味方して
源義経の登場と戦い
ニッタが慌てて後からやってきてみたいなことが起こりますよね
ってなってるのを見て
お兄さんが源氏最高のために戦ってるんであれば
自分もそこに加わりたい
って言って秀平はそれを許して
自分の家臣たちとともに
関東に送り出してあげた
そしてよしつねは頼朝のもとに加わって
打倒兵器をやるわけですね
原兵合戦ってのは頼朝は
基本鎌倉にずっといてずっと政治を
見てるんですよ幕府を開いて
武士たちの世の中を政治家として
やってるんですね刀を振り回して
戦場に行くみたいなのはほとんどやってないんです
あの人はだけれども
誰が代わりにそれをやったんだっていうと
よしつねなんです
実際に兵器とバチバチで
刀と弓矢で戦っていたのは
よしつねなんですよりとも後方で
あくまでも組織づくりを
ずっとやってた人なので
市の谷矢島そして
断の浦というようないわゆる
原兵合戦のねあらゆる
場面にはよしつねが対象として出てくる
なるほど
それでヒーローっぽい感じの
イメージがあるんだね そういうことです
そこで終わればヒーローで
終わったんだけどなんでこの
あとさらによしつねの名は今に
高らかになってるかというと
よしつねはね断の浦で兵器を滅ぼした
義経と頼朝の対立
みんなから当時の人からもヒーローと思われて
すげえってなるわけですよ
ところがそれをよく思わない
奴らがいたんですねそれが
よりともとその近親の人たちだった
つまり自分の命令で
よしつね弟でやらせたんだけど
あまりにもよしつねの人気が
高い逆によりとも
あいつ鎌倉引きこもってるだけじゃねみたいな
なんか陰気だし
とかってことになって
しかも朝廷の権力が
よりともに力をもたれすぎるのも怖いので朝廷はね
よりともとよしつねは仲違いさせちゃお
みたいな策略もあったりして
よしつねはやたら松に投げたり
それである意味は
はまったといえばはまったんですけども
よしつねはとうとうよりともと仲違いをしてしまって
よりともから討伐令を出されてしまう
でもよりともはその時
もう全国の武士をほぼ従えてるような
状態ですからよしつね逃げ場がない
わけですねそこでまあいろんな
悲劇が起こって恋人と別れて
うんたらかんたらって
逃亡をいろいろしてて最後に彼が
目指した場所唯一よりとも手が
おうぶつないと思った場所が
平泉なんですよやっぱり王室
藤原氏だけじゃなかなか手を出せないんですよ
そしてまあ秀平はもう老齢だったんですが
生きていたので
かくまってあげたんですけど
ところがよしつねにとって不幸だったのは
秀平はその間もなくね病気で
亡くなってしまったんです
そして金人に治められてしまったわけなんですよ
で後を継いだのに安平という人で
この人も最初よしつねにかくまってたんだけど
よりともがもう
要は東北の
むつの国とではの国以外は
ほぼ全ての日本を手に入れてる
でそれでいて
よりともがお前よしつねうちの犯罪に
かくまってるんだったらお前滅ぼすぞって言ってきた
滅ぼされてないんだったら
お前のところにいるよしつねを殺せと
その二択だっていう風に言って
安平はもう
本当にすごく苦悩をして
一族の中でもよしつねだったら
戦の天才だからちゃんと協力すれば
よりともにすら勝てると
一方でいやもう兵器とは
話が違う今の現実で
だからここはもうよしつねを殺すべきだ
であなたの父親秀平は
よしつねを守ろうとしてこうしたんです
大飢え大飢えになって
安平は最後もうやむにやまれず
よりともに従って
義経を慕う人々
よしつねをこの高田地議系堂の
あったこの地に
騙し討ちのような格好で
急遽襲って
よしつねはそれでこの場所で
自害をしたと なるほど
武蔵坊弁慶の太刀城なんてあったのも
ここだと言われていますけど
ところがよりともなんてのは
そんな生安いしたわけではないわけで
安平がよしつねの首を送ってきたわけなんですよ
送ってきたら
よしつねがもういないってなったら
よしじゃあこれはもう平泉を滅ぼせるつって
即座に関東の御家人に
動員をかけて大薦めですね
それで
安平もある意味騙されたんですよ
よりともよしつね怖かったなと思いますね
なるほどね
で結局それこそ藍津の方で戦をやったりするんですけど
負けて平泉は
全て海人に棄した
そして大洲藤原氏は滅亡して
安平はそういうわけで
ああいうことになったわけです
うーん
そうか
なんか浮かばれない感じがあるな
そう
みんなそう思ったんですよ
あのよく野球とかもありますけど
弱いチームがさ
強いチームと戦った時に
どうしてもその弱いチームの方を応援したくなる
みたいな日本人の思考
これを何美肌って言うかって覚えてますか
官用表現で
えっ何だ
方眼美肌って言うんですよこれ
はいはいはい
半断の半に寒色の寒と書いて
半顔と言って方眼美肌って言うんですけど
この半顔方眼っていうのは
黒を方眼よしつねのことです
これよしつねの感触です
ああ
そうなんだ
じゃあやっぱこの事件は
そういう風にみんな思うんだね
みんな思うんですだからよしつねっていうのは
ヒーローなんだけど悲劇のヒーローとして
みんな思うんですね
ですから我々生まれてからタイガダローに会った
俳優さんを見ていくと
滝沢秀明さん、上木隆之介さん
須田雅樹さんとかね
やりました
特にその前の二人については色白で
よしつね背も小さかったって言うんですよ
そういう武骨な力が強くてめちゃくちゃに
パワー系じゃなくて
ちょっとこうスピード系みたいな
小回りが効く美少年だったと
言うような伝説もどんどんどんどん生まれてきちゃって
ああいう人がやるわけですね
一方でより遠目線で
やった鎌倉太郎の13人は
須田雅樹さんがやったんですけど
ちょっとそのイメージとは違う狂気を帯びた
よしつねにも問題があったみたいな感じで
描かれてそれを皇女よしときが
騙し討ちにしてよしときは
どんどん落ちていくっていう結構
ターニングポイントになったんですけど
っていうようなことを思って
なので当然みんなそう思って
よしつねもいわば犯罪人だとして
扱われてたんですけど
みんなこの人が悲喜にするから
こうやって鴻門川っていう川が
見慣らせその絶景の地に来いと
供養塔を建ててあげて
仙台藩主伊達津名村という人が
江戸時代の仙台藩主が
やっぱりこれも仙台藩領なので
ここにより整備してあげて
像も作ってあげたというんで
今もよしつねを慕う人がみんなここ来ますね
なるほどね
そしてねこのよしつねのことを
思った人がやっぱりいたんですね
それが松尾馬匠です
有名なこの人は
教科書に載ってたと思うんです
江戸時代の俳句をね
もういくらでも有名な俳句あると思うんですけど
その中で奥の細道っていってね
要は道の国、仏の国を回る
寺の国を回るという東北を
旅行した時の話が有名ですけど
やはりその時もね
旧暦5月なのでまさにこのポッドキャストが
配信されるくらいのタイミングだったと言うんですけど
やはりこの義慶堂に登って
よしつねのことを
弔った
そして衣川を見ながら
この自然の美しさと
よしつねの悲劇と
そして消防して何もなくなってしまった
平泉の廃墟になった平泉
そこにはもうかつては浄土の
建物がいっぱいあったはずなのに
今はもう一面の原になって
しまったように見えるそういったことを
言って読んだ悟っていうのが
夏草や
強者どもが夢の跡
これ非常に有名なものですよね
それはこの義慶堂を訪れた
その時に読んだものだった
その強者のうちの一人は
よしつねだったかなって
そういうことです
よしつねのことももちろんそうだし
あといえば藤原たちのね
奥州藤原氏のことも拠来したでしょうけど
そういった歴史の
人の営みなんてのを
何も返さぬように
あれだけ頑張って作った浄土は
ただ今夏草だけが茂ってる野原になって
ただその一方でこのコロモ川
北上川ですけれどもこの川は
ゆーゆーと流れていってるっていう
すごいもうこれもたぶん永遠に
日本史で残り続けていくだろう
名句としてね教科書にも載りますよね
そうか
なんかよりこう
味わいというか
梅の後に
肉がついた感じがする
そうですよね
そのストーリーを知ってからやはり聞くと
そうだね
そういったのでこの議系堂もちろんね
祠としては全然中村寺と比べて
ちっちゃいんですけどやっぱり
よしつねの最後に思いを馳せる人も
多いですしやはり馬匠の
悔しみももちろんありますから
ここで読まれたんだってその時やっぱり発見する方も
多いんじゃないかと思います
これもねこのイメージでいうと夕方に訪れる
イメージですのでまさにこの
写真のようなね
非常に雄大な川の流れの前に立ってますので
夕日を浴びて綺麗になっているといいな
なんてね思ったりもします
そして夏行っていただけると
よりその馬匠の考えも分かるんじゃないかと
なあ
ということでねこの高田知議系堂で
持って今日の観光行ったら終わりに
しました
でね今日はもうこのまま
ホテルの方に行きますが
どこに泊まるんだって話なんですけれども
今回泊まるのはですね
岩手県の
奥州市というところです
奥州というのは
六つの国これ陸の奥と書いて六つ
なんですけれどもその奥の
九州の州ですねで
奥州市って今は言っているものになって
岩手県南部の中心都市です
ここに行きますので
李恵堂から車で約25分
ほど北上川を渡って
北上します行ったところに
水沢という駅があります
この水沢駅というのが
奥州市の中心の駅です
この近くのホテル
数はね森岡と比べると全然ないんですけれども
ただまあ
ちゃんと調べていけば全然ホテルはありますので
宿はあえて指定はしませんが
ここに泊まっていただきたいと思います
水沢駅の近くにホテルに
チェックインしてください
車を置きましたとなればもうやることは
一つですね
水沢駅のですね
5分ぐらいで行けるんじゃないかと思うんですけど
315ビールと書いて
最高ビール
というねクラフトビアバーに
行きたいと思います
絵がかわいいね
最高ですよね
もうね
もうなんかラベルもね
独特のタッチの絵が
入っててかわいさと
怪しさとみたいな感じだね
ちょっとギゾチックな感じがしますよね
ビールのラベルもね面白いですよね
こうやって見るとね
クラフトビールはやっぱそこが面白いよね
面白いですよね
今回旅で2回目のビールに
非常に続いての登場なわけなんですけども
このビールはね
関野一さんと比べると
本当にマイクロなブルーベリーです
岩手のクラフトビール
家族定理というか
ほぼお一人でやってると思うんですよ
ほぼ多分なんだけど
どういうことかっていうと
実はここお店としてご紹介をしてるんですけれども
中でイートインスペースは
基本ないと思ってください
一応カウンターみたいなのあるんだけど
僕が行ったのが3年前なんですが
その時はまだねオープンして
割とすぐだったっていうのもあるんだけど
今はテイクアウトだけだと
いう話になっているので
ただ僕もその時6月に行ってますので
非常に気候も良くて夏や
蒸し暑かったっていうのもあって
缶を買ってねそれでその店の前に
ちょっと通りに面した地球のみの
スペースがありますので
ベンチみたいなのがここに腰掛けてね
ちょうど夜になっていくその間に
飲んだんですけど美味しかったですね
いいね
味の特徴としては
結構本当に多彩ですので
全然飲み口によって違ったんだけど
お米を使ったビールとかが
すごくあってこれがねまろやかで
美味しかったんですよ
我々も以前香川でもねうどんを使ったビール
ありましたけれどもそういう
豆腐が当然米どころですから
それを使った副原料を用いた
クラフトビールなんかすごくまろやかで
美味しかったりしましたね
なんかなんだっけ澱粉が結構多いと
甘みが出るんだったかな
確かそういう話ありましたよね
だからやっぱお米もそういう感じなんだろうね
きっとね
あとはねこれ実は
からくりとして言っちゃうんですけど
なんで岩手でこんなにクラフトビールが各町に
あるかっていうと岩手県ってね
日本でも有数の
ホップの一大産地なんですよ
なるほど
ホップっていうのは植物なんですけれども
必ず必要な原料っていうのは多分
お酒好きな方がご存知なんじゃないかと思うんですね
麦とホップなんてのもありますけど
そのホップってね
冷凍な気候の土地しか育たない
ですのでこれね岩手県が
すごい産地なんです
なので結構キリンビールさんとか
大手の会社さんもここに工場構えてたり
しますし
原材料取れるっていうのが単純な理由
なんですけど岩手ですごくビールが
盛んな一つの理由だと
そしてそれをみんながチャンスと思って
どんどん最近クラフトのマイクロブラジ出てきてる
っていうのが今の岩手のシーンなんです
なるほどね
高松の鳥籠さん
でちょっと
ホップの話言ってましたけど
やっぱ作るのが厳しいというか
限られたところでしか
作れないっていう話だったから
それは産地は
利用しない手はないよね
そうですねあの時も岡山県の山奥の
結構寒いところで作ってるって話をされてたと思うので
そういうことですね
なのでね
この最高ビールさんについても
もともと地元のご出身の方なんですけど
会社員からね
脱サラしたようは作った
っていうね参入したっていう方なので
なのでこうDIYによって
お店も作ってすごくね本当に家族系の
流園の焼肉体験
温かいお店で
街のビール屋さんっていう感じでした
そういった概念があるかわかんないけど
なので
これからいくつかのブルーアリーを
この4日間で紹介するんですけど
一番規模が小さくて
だけど一番こうね地元の人が
フラッと入ってくる感じの
観光客というよりはっていう
なのでね面白いのが
僕はこれ利用できなかったんですけど
なんとねここのビール
カウンでも売ってくれるんですけど
地元の人たちはみんな計り売りをやってるんですね
なので容器を自分で持ってきて
そこにこう計り売りで入れて
それで家に持って帰って飲んでるみたいなんですよ
だけど
グラウラーっていう保存容器あるわけなんですが
これをねレンタルサービスをしていて
つまりグラウラー
このお店で持って2週間かな
なんか借りれて2週間後までに戻せばいい
みたいなゆるいレンタルサービスがあって
それによってね
容器を持ってこなくても
例えばホテルとかにこれを持って帰って飲んで
翌日朝お店が開いたらこれに戻しておいて
それで生産っていうね
そういったねサービスもあるそうなので
よりこうちょっと地域密着の色合いが
強い面白いビールだなと思いました
面白いサービスだな
うん
グラウラーってタンブラーみたいなやつでね
そうそうそうそういうことです
へえ
いいねなんか結構密着型って感じだね
そうですね
そもそもやっぱりこの奥州市水沢っていうのは
都市ではあるんですけど
今回散発する中では全然観光地としての認知度は低いです
うん
なのでやっぱり観光客が少ないんですねそもそも
はいはい
なのでこの地域密着型のブルーアリーでやってるっていうのも
一つ事情としてあると思います
ただじゃあ
なんで観光客が少ないような街に
あえて泊まるんだってことなんですけれども
これはもう水沢といったら
これっていう人も多分いると思うんですけど
日本を代表する焼肉の名店があるんです
それがですね
最高ビールさんから
道路を挟んで向かいで路地まですぐなんですけど
1分です本当に
ところにある焼肉流園です
これは
知ってる人もいるんじゃないかと思います結構
へえ
我々食べログ今見てますけどね
食べログで言っても
3.77
100名店24ってありますけど
これ確かね
もう何年連続っていうレベルじゃない
ずっと100名店だと思うんですけど
ほぼほぼおそらくなんですけど
っていうぐらいもうグルメの人がいて
相当有名な店ですこれ
芸能人の方とかもしょっちゅう来てるようなんですけれども
ところがね
外観をちょっと見てもらおうかな
それが一番びっくりすると思うんだよね
ああ普通のその
街の焼肉屋だ
そうなんです街角のただの焼肉屋なんですよ
はいはい
ところがここを目的に水澤に泊まるっていう人もたぶん結構いるくらいの
へえ
めっちゃくちゃ有名な店ですここ
ああ全然知らなかったな
なのであれかしも言っておくと
絶対予約したほうがいいですここ
2ヶ月以上前に予約しました
へえでもそうね
あんまり大きくはなさそうだから
ちゃんとね予約して確実に
行かないとだめだよね そうです
20人くらいしか
席にないと思うし
だけどなんかその個室とかじゃなくて
もうこのお座席見てもわかるんですけど
こういうことなんですよ
本当に家族で行く
いわゆる焼肉屋さん
はいはい
ここの矢口に食べたいというだけで岩手に来る理由になる
って書いてまあでも全然おかしくないと思います
僕も
まあ焼肉一生瓶ってすごいんですけど
ここもちょっとすごいと思った
へえ
でね一生瓶は松阪牛でしたけど
岩手の肉といえば何かって思いつきませんか
ブランドに
でも意外とこれ
あんまり出回らないんだよね
東京の方に
いやわかんないかも
前沢牛ですね
非常に高品質な和牛があります
そのぐらいは食べれるって言うんですね
へえ
いや写真見ててもね
全部綺麗なんだよな
ちゃんとこう
刺しが綺麗に
満遍中入ってるね
刺しの綺麗さで言ったらこれすごいよね
うんきめ細かいし
満遍ないからなんかすごい綺麗なんだよ
本当に
理想的な牛肉って感じ
しますよねこの刺しがね
いやうまそう
いいなあ
これがね
食べられるお店として有名なんですね
で前沢牛っていうのは
そもそもね
この辺りに前沢っていうところがあるんですけれども
そこで飼育されている
ブランド牛なわけなんですが
松阪牛とかと比べると全然歴史は浅くて
昭和の戦後に入ってからね
もともと岩手ってすごい
農作物を作る農業地帯なので
その農家の家畜としてね
要は農業器具を
引いたりとかっていう
労働力の一つとして牛を飼っていたわけなんです
各地区にあるいは家にね
だけど当然機械とかが
張ってあったとして牛をこう
そういう意味合いでは飼育する意味がなくなった
って時に肉牛として
品種改良して育てるようになったら
どうすればいいのかそれを産業にできないか
って考えた地元の方々が
なんかねお茶飲み会みたいな形で
それぞれみんな牛を飼っている
農家さんたちが研究会みたいな
日々日々ずっとやって
農学を共有していった結果
ある一つのこういい牛が生まれた時に
その飼育方法とかみんな地区で
共有しあってそしてこの
前沢っていう町でみんなで農家の人たちで
徐々に徐々にブランド力を
高めていって今日本を代表する
和牛ブランドの一つになったっていうね
割と新興勢力なんですけれども
和牛の歴史で見るとだけれども
そういうちょっと特殊なね成立をしてるんですよ
へー
なので限定的なんですね非常に
あの生産量も
なので意外と東京とかではあまり見ないんだと思います
松坂と比べると全然知名度も
多分ないと ただすっごい
質ですよ
なので岩手に行ったから
やっぱり食べれるっていうのはあるかもしれないです
いやいいな
もうね本当にこのカルビは
着火剤です
水沢の観光と文化
あははは
これもだから学校路とかもそんなすごい
設備とかじゃなくていわゆる
町の焼肉屋さんじゃないですか
そうね そう本当にスタンダードな
ね全然飾ってないものじゃないですか
もう入れた瞬間に
油が垂れてわーってなって
でもうサッサッサッサぐらいで
すぐ食べれる
で溶けたら一瞬でとろけて
だからもう本当に
お皿取ってから
胃に下るまでの短さが多分一番短かった
すごいんですよ
その溶け具合が
へー
食べたいなー
これ絶対行ったほうがいい
これ水沢に行ったからこれ行かない理由がないですマジで
なのでもうこれは新幹線の予約より先に
予定が決まったときに
いや本当にそれぐらいの店ですよ
僕木曜日行きますからしかも
これもね仕事してねそのまま
新幹線で夕方行って
そのまま僕は水沢に直行したので
うんうん
いやーいいなー
ちなみにね結婚できない男でさえね
最終回までなかなかできなかった
あの一人焼肉なんですけども
僕ここ一人で行ったんですけどできるんですね
へー
これありがたいことに座席がメインなんですけど
3席ぐらいだったかな
2席か3席だっけカウンター席があって
まあ別にいいんですよ
4人の席で一人で行ってもいいんだけど
ちょっとでもなんか悪いじゃないですか
まあ侵略するのかね
なので予約した瞬間に一人なんですけど
一人の席で食べれますかっつったら
全然いいです戻っておりますよっつってくれて
一人焼肉をね
嬉しい
したんですよ
その舞沢牛が有名なんですけど
ちょっとメニューをね見ていただきたくて
そうこれももう本当に
全然飾らない
普通の一枚のペラペラメニューなんですけど
舞沢牛特徴カルビなんてのはね
そもそも入荷時のみって書いてますけど
2800円
水沢市の美味しい食事
なかなかここやっぱりしますよね
上カルビ2300円
でもこれ東京だったらこんなもんじゃないと思う
ただ一方で
ホルモンとか見てもらうと
これ舞沢牛じゃないんだけどね
550円
普通のカルビは1300円
これもちろん黒毛和牛ですよ
っていうように舞沢牛はちょっとやっぱり
特徴なんだけれども
それ以外はいわゆる普通の街の焼肉屋さん価格なんですよ
そうですね
それ何よりもね
物価の指標となるのが
ビールなわけなんですけれども
ビール除去550円
本当だ
ここもやっぱり
街のお店って感じだよね
そう本当にただの街のお店なんですよ
ただの街のお店風なんだけど
ただものじゃない
街のお店なんですけど
めちゃくちゃリーズナブルですよ
はいはい
だから基本的にはやっぱり
普通のカルビとか食べてって
ちょっと一皿だけ
舞沢牛にしたいとか
がいいのかな
予算5000円見とけばね
一人あれば全然いけると思います
舞沢牛あったとしても
なので大学生でも正直極端な話いけます
なので味に驚いて
その着火の威力に驚いて
一番驚くのはやっぱ値段です
ここのリーズナブルさは
ちょっと尋常じゃないと思います
うわーいいな
それは確かに
泊まる理由にもなるぐらいの
感じだね
なので竜園さん
必ず予約が必要なら間違いないので
平日だっても絶対予約した方がいいです
という超名店なので
ここで特にまた冷麺なんて
また食べていただけますから
しめもここで食べていただけるといいんじゃないかなと
思います
水沢に今日は泊まりますので
歴史的な名所の探索
竜園さんから徒歩5分ほどで
ホテルに着くと思いますので
これで1日目は終わりにします
ということで1日目を
振り返っていきましょう
まずお昼の12時ごろに
市野関駅で
レンタカーを借ります
そこから来るまで5分ほど
倉本レストラン関野市さん
ですね
名前の通り倉本が
運営しているレストランということで
この土地の共同料理である
餅をいただくのが
いいかなと
そして日本酒あとはビールですね
これを
お昼にいただきます
そこから来るまで
15分ほど中尊寺
ですねここはもう本当に
有名なお寺ですよね
金色堂をねぜひ見てもらえたら
いいんじゃないかなと
そしてそこに眠っている
奥州藤原氏に思いをはせる
というね
そこから来るまで5分ほど
孟通寺ですね
家を越える寺と書いて孟通寺と
奥州藤原氏の
2代目3代目によって
作られたお寺
ですが今は遺跡になって
いると
お庭が残っているという感じですね
再建されたね建物
あるのでそこに仏さんとかも
祀られてますしその当時のがらんの
絵図みたいなのが残っているので
お庭を見るのと同時にお堂に行っていただけると
宝物みたいなのを見ることができます
ただ藤原氏の時代の建物はもう
何もない
そしてお庭ですよね
浄土を表した
であろうお庭を
夕方ぐらいに
見ると一層綺麗なんですかね
かもしれないですね
そこから来るまで5分ほど
高田地儀刑堂
ですね名前に入っている
儀刑義経ですね
儀刑義経を祀るお堂
ということですね
奥州藤原氏に育てられ
最後に戻ってきた
ところに建っているお堂と
いうところですね
ですのでここを見ながら
松尾芭蕉の
夏草やツワモノどもが夢の後
これがより染みるんじゃないかな
と思いますね
そこから来るまで25分ほど
水沢駅の方に向かいます
その水沢駅の近くの
ホテルどこかお好きなところに
チェックインをします
そこで車を置きまして
徒歩5分ほど
最高ビールさんですね
315ビールと書いて
最高ビールさんです
イートインはないということなんですが
ここでビールを買ってベンチみたいな
ところがあるということなので
そこで風に吹かれながらね
ビールをいただくと
夏なんかむしろ気持ちいいぐらいだと思います
そうだね
そこから徒歩1分ほど
道を挟んだ向かいぐらいと
言ってましたね
焼肉龍縁さんですね
前沢牛が名物で
ここを目的に来る人も
多いというぐらいの
名店ですね
そんなに大きくはないということなので
必ず平日であっても予約を
まずするというところで
リーズナブルだけど
とんでもなくおいしい焼肉を
ここでいただきます
そこから徒歩5分ほどで
ホテルに戻りまして1日目が
終了ということですね
この番組では
お便りを募集しています
番組の感想・質問・リクエスト・旅の情報
普通他など何でも結構です
番組概要欄に記載している
お便りフォームのURLから
投稿お願いします
また各プラットフォームのフォロー・レビュー・コメント
それから我々の関連SNSアカウントの
フォローなどよろしくお願いいたします
そして感想をつぶやく際は
ぜひハッシュタグ
おとたびポッドキャストをつけて投稿していただけると
大変励みになります
よろしくお願いします
あとマイマップと年表
ありますので
知らなかった方とか
いるっぽかったので
そうだと思いますよ
改めてご活用いただければと
結構マイマップの方は
僕一応コースが配信された日には
なるべく更新しようと思ってるんですけど
結構表示回数が
すごい増えてるので
結構ご覧になってる方が一気に
500何十回までなってたんですよ
表示回数が
僕が一週間一度から見てるとかしても
なので
多分ご覧になってる方はご覧になってると思うんですよ
僕もね
ちょっと雑談会で
話そうかなと思ってますけど
使ってみてね
いいなこれ
と思って
ぜひ活用していただければと
思います
なんかいろんな
1日目にしてすごい
濃いストーリーがありますね
そうですねちょっと平泉を一気に話した
っていうところがあるのでね
平泉で一泊二日ぐらいもできるものではあるので
でもなので
今回はかなりダイジェスト的に
中村寺、孟通寺、犠牲堂だけ行きましたけど
世界遺産の構成資産として
あと何個かあるんです
犠牲堂ちなみに資産になってないので
より平泉を深めたいって人は
もうちょっと平泉で時間を取って
翌日はもう行かないんですけど
もう一回行ってもいいぐらいのところになってますので
はい
平泉で一泊して
その構成資産を巡るっていう
コースでも別に
いいぐらいです本来のストーリーでもいいぐらいです
あとちょっと途中で話した川端隆史さんの夢
っていう作品は一応注釈的に
言っとくとこれ自体は平泉には
ありません
これは逆にただ川端隆史さんの記念館は
人材の宝庫、岩手県の魅力
大田区にあります東京の
そこにずっと住まいだったので
なので大田区の川端隆史さんの美術館あるんですけど
そこの会館の展覧会情報を
見ていただいて
実物が出るときがありますので
そこに合わせていただくと本物を見ることができます
僕もそれで見に行きました
ちょっとあれも怪しい魅力があるからね
文字見れるから
見てみたんですよね
というところで
じゃあ1日目は
この平泉を巡って
水沢で泊まったと
大洲市水沢に今泊まっています
2日目はじゃあ
もう少し北に行くっていう
そうですね2日目はですね
この大洲市水沢って
遊園しか知らない人も結構いると思うんですけど
実はここはね
今のこの2日目からの
テーマに入ってくる
人材の宝庫なんですね
岩手県ってねすっごい
人たちを輩出してるんですよ
特に水沢と森岡この2つは
すごいです
なぜこういう人材が生まれてくるのか
っていうところに話をしていきながらと思うので
午前中は水沢を巡って
午後は別の場所に移動したいと思います
ということで今回はこの辺で
ありがとうございました
01:31:16

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