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2022-12-27 59:27

流氷交差点 #6 - 北海道森町のコミュニティ「ハウモリ」howmori #drifticecrossing

#森町 #もりまち #モリラボ
 
2021 年 10 月に収録した,北海道森町のコミュニティ「ハウモリ」で活動する山形さんとコネクト支援チーム西原の対談音声コンテンツです.(会場協力:山中デジタル)
 
文字起こし → https://github.com/tomio2480/drifticecrossing/blob/main/drifticecrossing_6_howmori_howmori.md
まとめ記事 → https://note.com/hiroko_kamata/n/n1675de0dab20?magazine_key=m9707f4c496e6

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担当:サイボウズ株式会社 開発本部 コネクト支援チーム 西原・風穴

サマリー

今回のエピソードでは、北海道森町で活動するコミュニティ「ハウモリ」について山形さんが語ります。初めはICTコミュニティとしてスタートしましたが、その理念が変わり、より自由な活動の場としての「ハウモリ」が築かれる経緯が紹介されます。このエピソードでは、北海道森町の「ハウモリ」での活動やICT教育に関する取り組みが紹介されます。プログラミング教育の重要性と地域住民の協力を得る意義が強調され、最終的には新しいコミュニティの形成が語られます。 「ハウモリ」では、ICTを活用した地域活動や子どもたちのプログラミング教育について議論されています。また、地域の人々が支援し合う姿勢が強調され、この活動の持つ意義についても触れられています。こうした「ハウモリ」という取り組みが、地域の多様性や人々の結びつきの重要性を浮き彫りにしています。ここでは、コミュニティの形成やその運営方法についての体験と学びが語られます。 「ハウモリ」は、地域のつながりや協力を重視する活動が特徴です。オープンな情報共有やフラットな関係性が、コロナ禍における「Just Do It」コミュニティの成功をもたらしました。コミュニティが参加者の意見を大切にしながら柔軟に活動する姿が取り上げられています。このエピソードでは、コミュニティ運営の難しさや、音楽バンドとファンの関係に例えた活動の質と巻き込み力についても考察されています。

「ハウモリ」の発起
皆様こんにちは、Nishiharaです。
サイボーズ株式会社は、開発本部にありますコネクト支援チームに所属しているものです。
こちら、流氷交差点は、日本各地のITコミュニティの方々にインタビューをして、
いろんなコミュニティの現状を記録に残していきましょう、というプロジェクトになります。
それぞれの地域性を感じたり感じなかったりしながら、
聞いている皆さんが、日本各地のITコミュニティに行きたくなって仕方がない状況にできればと思っています。
さて、今回、シャープロックは、北海道森町で活動しているコミュニティ
ハウモリで活動されている山形さんをお呼びしてお話ししました。
シャープ5で紹介しましたコード4函館の中村さんからの紹介で、函館から約50キロ北にある森町まで伺いました。
それではどうぞ。
ということで、流氷交差点はシャープ6ですね。
このコミュニティ、一応ハウモリでいいのかな?中村さんからハウモリの話を聞きなさい。
はい、そうですね。
ということで、ハウモリの山形さんにお越しください。
よろしくお願いします。
どんな活動をされているとか、どういう目標があるとか、そういう話を聞いていいですか?
えー、何があるんですかね?
もともとハウモリというのは、ICTコミュニティみたいな感じで、
地域のICTを使ったボランティアだとか、そういうものをできたら面白いよねっていう概念からもともとはスタートしてたんですよ。
それが飽きちゃって。
飽きちゃって。
コミュニティとかって、皆さんもコミュニティやってるとわかると思うんですけど、
メンバーがやっぱり何人か出てきてくるわけじゃないですか。
その中で何かをやらなければならないっていう使命感だとか、そういうのにやっぱり駆られすぎちゃって、
次のイベント何やるのかとか、次はどうすればいいのかとか、
その中で今度、やっぱり僕が立ち上げた人そのものだったので、みんなやっぱりこっちに来るわけですよね。
どうしたらいいかみたいな。
で、なんかちげーなそれと思って、それで飽きてきちゃってですね。
僕がやりたかったのはそういうコミュニティ活動じゃなくて、
なんとなくみんなが自主的に、自然発生的に何かをやるものを作りたかったのであって、
ちょっと違うなと思って、一回解散してるんですよ。
そうなんですね。解散して最終合戦ですか?
で、要はオリジナルラブみたいな感じで、
なるほど。
僕一人でハウモリっていうのを始めたんですよ。
なるほど。集団ではなくてプロジェクターとしてみたいな。
より概念に近くなったんですね。
だから結構ね、今でも言われるんですけど、
ハウモリを知っている方々は、
山形くんはハウモリなのかモリラモなのか、
はたまた山中デジタル、今日やっている場所ですね。
一体何が何なんですか?みたいな感じで言われるんですけど。
ハウモリはもうすでに概念なので。
なるほど。
小道陣よりかはハウモリっていうふわっとした、
場なのか空間なのかっていうのをさらに超越した概念。
概念なんですよ。
だからハウモリのメンバーって呼ばれてる人たちって、
実は今正式にハウモリのメンバーって誰ですかって言われると、
3人ぐらい近いなくて、
僕と札幌の方1人と、後神戸の方1人と。
後神戸ですらないね。
だからもう概念。
それでいいよねぐらいの感じでやってますね。
確かに言語のコミュニティとかだと、
仕様とかに合わせて活動してたりしますけど、
僕がやった朝日川の勉強会も、
これは緩い勉強会ですかとかって言われても、
線引きができる領域にないじゃないですか。
それをさらに色濃くした感じなんですよね。
もともと言うと、
全身のハウモリって呼ばれてる者のきっかけって、
今ハウモリハウモリって言ってますけど、
実は名前も名付けの理由が当時からあって。
一頭最小。
僕のばあちゃんが、
まず地方になったところから実はこの話になったんですよ。
話以外想像できないですね。
これ聞かないと分かんない。
施設に入らなきゃならないって言った時に、
すごいね、僕ばあちゃん子だったんで、
気持ちが内部になったっていうか、
ばあちゃんいなくなっちゃうんだ。
でもやっぱ施設に入らないと家族も大変だし。
そういった気持ちになった中、
ばあちゃんから聞いてた昔話だとか、
そういう話ってデジタルアーカイブできないのかなって。
記憶の中にしかないから。
そうそう。
句伝情報ってめちゃくちゃ面白い話があって、
しかも句伝情報って主観が入るじゃないですか。
そうですね。
だから同じ事実でも、
いろんな方々が主観で話しすると、
物語ってやっぱりより面白くなってきてて、
うちのばあちゃんの主観の話を残すことってできないのかなとか、
オープンデータと活動の深化
うちのばあちゃんから聞く森町の歴史だとか、
どこの地域の話とかってめちゃくちゃ面白くて、
たまたまwikipediaを見てたら、
そういう情報が全く書いてなかったんですよ。
森町情報じゃないけど、そういうのが。
森町の歴史っていうのはたった5行かな、3行くらいしか、
森町のwikipediaって書いてなくて、
いや、こんなんじゃねえだろうと。
っていう話をいろいろ見てた中で、
たまたま問わる人から、
wikipediaタウンっていうもの知ってる?って言われて、
もともとはウェールズで、
モンマスっていう町があるんですけど、
そこでwikipediaを使って、
町の歴史情報だとかを書き込んでいって、
アーカイブしていきましょうという取り組みがあるんですけど、
それの取り組みを日本に持ってきた人が横浜にいらっしゃって、
その人とたまたま知り合いになって、
こういう面白いのがあるんだよって言われて、
これ今やろうとしてる。やりたいことぴったりじゃん。
wikipediaってオープンデータじゃないですか。
クリエイティブコモンズの、
あれはCC by SAの場合もあるし、CC byの場合もあるし、
いろいろライセンスはありますけど、
それでオープンデータというものにも出会って、
たまたまうちの町でもwikipediaタウンをやってみたいなって思ったときに、
募集するわけですよ。
日本でいうwikipediaタウンというのは、
出典根拠をちゃんとした書類だとか、
二次資料というのを集めて、
それを調べてwikipediaに書き込んでいこうというルールがあって、
一人じゃできないから、
何人か人を集めてイベントにしたいと。
イベントをやるのに山形拓也主催者ってなんないよなって。
北海道オープンデータ勉強会というのがあったんですけど、
それの森町ローカルという名前にして、
北海道オープンデータワークグループみたいな名前だったんですね。
だからHOWなんですよ。
なるほど。略称だったのか。
MLって森ローカルっていうので、
それを森って読ませてたっていうのがあるんですよ。
それが元々の始まりなんです。
本当じゃないんだ。
オープンデータの勉強会としてやってたから、
その頃にできたのが、
オープンストリートマップを書き続けるだとか、
オープンソース系の活動をめちゃくちゃやってて、
オープンストリートマップめちゃくちゃ書き込んでたら、
オープンストリートマップ札幌にもフォス4Gというコミュニティがあって、
そこの人たちが森町方面でめちゃくちゃ書いてるやつがいるんですよ。
見つけてくれたりだとか。
不思議なやつがおるみたいな。
そこがスタート地点でHOW森っていう名前。
なるほど。
一応だからコミュニティではあった。
ちなみに年代的にはいつぐらいの出来事なんですか?
20…何年だったっけな。
もともとHOW森ってやつやってたのが2014年ですね。
僕もともとはそういうコミュニティだとか、
人と一緒に何かやるってすごい苦手で。
あんまり人と一緒に何かをするっていうのは
やってこないでここまで来たみたいな。
そうそうそうそう。
唯一やってたのは町内会活動ぐらい。
それもたまたま僕役所の職員なので、
役場職員は町内会活動やるもんだみたいな感じで、
半ば押し付けでやらされてたみたいな感じなので。
渋々だったんですね。
そうそうそう。
だからコミュニティとかも全く興味もなかったし、
人と一緒にやるのもやだし、
何なら時間を合わせてどんどん来るのだとか、
とんでもないことだって思ってたから。
一人でやらせてくれて。
そうそうそうそう。
でもこういうイベントやるとかって言った時に、
本当に一人じゃ何もできないんだなみたいな感じになって、
やり始めたのが2014年でしたね。
7年の間に一旦解散概念化を経てるってことなんですね?
7年の間っていうか、やって1年で飽きましたね。
3,4年くらいの話し方だったらすぐ、
昨日今日の話みたいな感じでポーンと飽きて、
遅く概念化に到達しちゃうんだよね。
そうそうそう。
やっぱりやってるうちに面白くなくなっていくんですよ、どんどん。
次何やればいいですかとか、次どうするんですかとか。
そうなっちゃうな、組織っぽい感じっていうか。
もともとは組織っぽくしたかったっていうのも憧れもあったから、
そういうやつって。
でも本当にそういうのが全然違うわと思っちゃって。
いろんな人が、人数どれくらいいたかっていうのはあれですけど。
当時で5,6人とか。
5,6人くらい。
どんな方が集まられたんですか?
それが良くなかったのが、やっぱり町の人たちが集まってくれるんじゃなくて、
やっぱり職場の後輩とかが集まっちゃったっていうのもあると思う。
自分に関係の近い人から。
だからこそ次どうしたらいいんですかとか。
先輩にちゃんとうかがいを立てながら。
やっぱりそれってコミュニティとして面白くないっていうか。
フラットとはちょっと違いますもんね、本人たちの意識的な部分が。
年齢も違えば土地部も違うから、ある程度先輩だとか年上の人たちを敬うみたいな概念って絶対。
特に日本だったら。
植え付けられてる時間ね。
なくならないものだとは思うんですけど。
にしてもやっぱり職場チックになっちゃって。
全然ちょっとそれは面白くないよねっていう。
オープンストリートマップとかもそうだし、
Wikipediaの書き込みとかもそうだけど、
支持しないとやってくれないなとか。
だから結局はコミュニティのつもりでいただけ。
やっぱり僕の最初の失敗っていうか。
なるほど。
それを経てコミュニティ活動ができてるって、
かなり洗練された形に近づいていくような気がしますよね。
集団を最初に作ろうと思ったらどうしても縦割りじゃないんだけど、
それが一番想像しやすいじゃないですか。
コミュニティの形成と課題
それを一回脱却してるんだね、今の段階で。
でもね、そういう組織っていうかそういうコミュニティしか作れなかったのがね、
自分の中でも悲しかったですね。
一生懸命やってたんだけど目指してたものと違うのが出てきちゃったみたいな感じなんですかね。
なんだろう、やっぱね、
結果僕は自分の思い通りに何でもかんでもしたかったんだっていうか。
彼らもきっと僕に次何やるだとか、
結局何か指示されないとできないっていうのは、
あんまりリーダーシップを取りすぎちゃったっていうか。
コミュニティってそうじゃないじゃないですか。
そうですね、そうですね。
確かに分かるような気がする。
僕もそんなに数は多くないですけど、いろいろ見ていく中で、
どうしてもこの仕事をやってくれないみたいなコメントが出始めるようなコミュニティってあるじゃないですか。
それ、実は流氷広瀬前の方で結構いろいろ出てきてる中で、
例えばコミュニティって言ってるのに引き継ぎみたいな話になった時点で、
もうそれは組織化があるか。
そうそう、そうですよね。
上げちゃうみたいな、上等っていうか、
それぐらいの勢いでやるっていう風に、
去る人はそういう風な思いでっていう話は出たんですけど、
いる状態でもそういう気持ちというか、
自分が思っている通りにならないのを、
きちんと意見を言うのは大事じゃないですか。
僕はこういうことをやりたいんだよなっていうのは大事だけど、
その通りにしないんだってなると、
みんなじゃあ、やったらいいんじゃない?みたいな感じになっちゃうんですよね。
でも協力はするかみたいな、
温度が下がるっていうか、
冷めていって、結局一人だけプンプンみたいな状況になっちゃうっていうのは、
確かによく見るパターンではある。
そうですよね。
そういう状況から脱却するために、
努力をしてうまくそれを解消したんですか?
今僕が機関としているのは、
普通にやってるとそうなるパターンが極めて多いから、
多分みんなぶつかる壁だと思うんですよね。
プログラミング教育の導入
でも今それをうまくやれてるっていう。
だから言っても、
うちの街って今人口が、
2021年10月末現在で、
大体14,500人くらい。
そこのコミュニティって、
多分本当にビビったるものっていうか、
しかもICTに関して。
より狭い範囲。
より狭い範囲なわけじゃないですか。
要は婦人コミュニティみたいな、
そういうお母さんたちが集まる、
いろんなコミュニティって、
男の人が集まるよりも、
女性の方が集まるコミュニティの方が、
うちの街って多いですけど、
そういうコミュニティですら、
多分今十数名しかいないようなレベルに、
どんどん縮小されていっている状況。
子どもの少年団だってある意味、
コミュニティじゃないですか。
そういうのもやっぱり、
10人とか15人しかいなくて、
チームが作れないとか。
野球出るのギリギリみたいな、
そういう話。
そういうふうにどんどんなっていっている中、
やっぱITの関係なんてね。
よりより狭い。
そうそう。
この街で本当に、
コミュニティってあるのかって言われると、
多分なくて。
すごい面白い流れができたなって思うのは、
僕はハブ森っていう名義で、
コード・フォー・ジャパンっていう、
一応全国的にコード・フォーなんちゃらっていう。
いろんなところにある。
そういうコミュニティのハブ役になる、
コード・フォー・ジャパンっていう、
またコミュニティが別にあるんですよね。
そこにブリゲードっていう名前で登録しておくと、
いろんなコミュニティ同士の支援を受け合えるだとか、
人を紹介してもらえるみたいな、
本当にハブですよね。
なるほど。
そういうのがあるので、
そこにオリジナルラブ的に一人で登録。
一人泣きで集団という。
そうそう。
俺らバンドですみたいな感じで登録してたんですけど、
そうするとやっぱりいろんな支援とか受けやすくなるから、
うちの町で僕がやりたかったのが、
次世代の想像をしたかったっていうか、
子どもたちがどうにかこうなっていくのって、
すげえ面白そうとかって思って、
数年前にいわゆるプログラミング教育だとか、
そういうのが始まるんだったら、
まずやっぱり大人が学ばないと、
子どもたちに教えられないよねと。
聞かれても答えられないよね。
特にうちの町なんてさっき言ったように、
ICTのコミュニティーあるわけじゃないわけだし、
ちゃんとしたね。
それで僕、子ども向けのプログラミング教室を一回、
講師の人たちを呼んで、
地域イベントと反響
とある学校でやったんですけど、
その時に痛感したんですよ。
これは子どもたちに教えるのに、
毎回毎回東京とかから人なんて呼べないし、
やっぱり自走していかなきゃならないと。
自走するのに僕だけがやったってもうどうしようもないなと思って。
確かにそうですね。限界がありますよね。
そうなんですよ。
これは町で興味のある人たちが学んでいった方が面白いなって思って、
それこそ勉強会を始めたんですね。
なるほど。プログラミングなのか分からないけど、
そういうICTをする。
まずICT学ぼうみたいな勉強会を始めて、
講師を呼んで、
前のハウモリの場合は、
こっちがちょっとやんない?みたいな感じで声かけたやつを、
次の勉強会はやりたい人が集まってみたいな感じで、
ちょっと噂ベースっていうか、
口コミで広めていって、
結構集まってくれたんですよ、その時に。
何人くらい来られたんですか?
あれ3年前。ちょうど3年くらい前。
2019か8かそれくらい?
そうそうだったんですけど、
集まった人自体は、
8、9人とか。
結構なかなかいますね。
森町だけじゃなくて、箱渡からも来てくれたりもしたんですけど、
それでも9人10人くらい集まってくれて、
勉強会やったんですよ。
そしたら、すごい面白くて。
みんなそこで、これ面白いなみたいな話。
ちょうどその時にマイクロビットっていう小さなマイコンを使って、
遊んでみようだとか、
RDの使ってLED光らしてみようぜだとか、
そういうのやってたんで、
これ面白いから自主勉強会やりたいってみんなが言い出して、
おっさんたちがようなような集まって、
プログラミングの勉強を始めるっていうことをやりだしたんですよ。
なるほど。
家から湧き出る余計で勉強し始めた。
やりたいやりたいって言うから、
じゃあやろうかみたいな感じで、
どんどんどんどんやり始めていって、
気づいたら、
コアメンバーみたいなのがやっぱり生まれてきて、
じゃあ森ラボっていう名前にしちゃおうか、みたいな感じで。
それでこのウェブページとかで見るのは、
その風景なんですね。
基板をこう投げてるとかっていうのは。
そうですそうです。
で森ラボっていうのができて、
勉強会をようなようなしだしたりだとか、
気づいたら、
経産省のIoT推進ラボになんかなっちゃったんですよ。
なっちゃった。
別にするつもりもなくて。
なんかね、やろっかみたいな話、
せっかくやったんだから、
なろっかみたいな感じで、
盛り上がってくるんですね、どんどんさん達。
そうこうしているうちに、
やっぱりその活動を見てくれた人たちが、
やっぱり面白がってくれて、
ちょっとこういうのできないのとか。
今までハウモレの時もそうだったし、
各種そういうコミュニティ活動とか、
いろんな活動してきたんですけど、
それまでって、
街でそういうことやってても、
街の人が興味を示してくれることって、
ほとんどなかったんですよ。
なんかやってるなぐらい。
ウィキペディアタウンとかの時には、
街好きの人とかが、
集まってくれたりとかしてたんですけど、
普通の活動としては、
全然認知されなかったのが、
面白いことにね、
役所の人がちょっと興味を出してくれたり、
そういうので、
ちょっとこういうの一緒にできませんか?
って声をかけてもらったりだとか。
森ラボを作って、
一番良かったのが、
電子工作の中で、
あれですね、
なんかね、
盆栽作ったんですよ。
メタル盆栽?
メタル盆栽。
勉強会やってた時に、
ただ単純に、
勉強会やってても、
面白くねえよなって話になって、
成果が欲しいなっていう話になったんですよ。
なるほど。
競争しようぜって話になって、
じゃあやっぱ、
俺たちっぽく、
盆栽を作ろうと。
俺たちっぽく盆栽って何か変だね。
えっと、
そもそも文化祭に
受け込むような、
おじいちゃんとかおばあちゃんに興味を持ってもらえるような分野で、
かつ、自分たちに色々出すために。
なるほどね。
で、文化祭、
文化祭が今まで、
新しい分野のものとかがなかったんだけど、
僕たちせっかく、
文化的な活動をしてるわけだから、
文化祭に出していこうと。
で、文化祭に出すならなんだ?って、
盆栽だ!みたいな話になって、
メタル盆栽を作って、
それをLEDで光らせるっていう。
クリスマスツリーみたいな感覚で光らせると。
そうそう。
作っていって、
そうしたら、
公民館の人たちが、
これいいね、みたいな話になって、
お年寄りのコミュニティの人たちも、
こんなの作れるんだ、みたいな感じで、
面白がってくれて。
未知のものですよね。
その発想に到達するために、
必要な知識とかも、
たくさんあるわけだから、
今作ってみたら、
大したことないかもしれないけど、
刺激はすごく多かったでしょうね。
たぶん、ご覧になった方の。
そう、みたいなやつ。
すごい好評で、
その後、
森っ子フェスティバル、
僕らが森っ子フェスティバルって呼んでるんですけど、
正式名称じゃない。
森っ子祭って言ったら、
子供向けのイベントがあるんですけど、
そこで、
ちょっと物を出してみませんか?
って言われて、
味しめて、
じゃああれだよって、
森っ子フェスで、
子供たちに体験型のゲームをやらせようか、
センサー手につけて遊ぶゲームだとか、
コミュニティの形成
そういうのを物を出したりとか、
あとLEDとレジンで、
アクセサリー作るワークショップとか。
どんどんやっていくうちに、
今年の夏というか春ですね、
すごい
あのー、
天気が良かったんですよ。
天気が良かったから、
一般社団法人にしたんですよ。
晴れてたから。
そうそう。
その前の日に、
その前の日に、
森ラボのメンバーと
話をしてて、
これ一社とかになったら面白そうだよね、
っていう。
いろんな事業とか出てくるじゃないですか。
任意団体じゃやっぱりできないこととか、
そうですね。
いろんな国とかからやってくると、
お年寄りの支援したいよね、
コミュニティとしては。
ある意味ね。
ICTのコミュニティだって言ってるんだから、
ICT使って、やっぱり町の人の生活だとか、
見るだとか、
なんかやってあげるっていうのは、
やっぱり我々のコミュニティとして、
正しい活動だろうと。
町の中にいるコミュニティとしては、
もう少し後半に
子どもができるような体制を作らないといけない。
子どもの
プログラミングを
見てあげたいんだっていう、
まずそもそもの目標があるわけだから。
そうなった中で、
おじいちゃんおばあちゃんがプログラミングできたらいいよね、
とかなってくるわけじゃないですか。
我々みんな働いてるから、
できない日も出てくるし、
それだったら、
おじいちゃんおばあちゃんとかが少しできるようになってれば、
お孫さんに見てあげれるだとか、
そういうのもできる世界線ってあるよね、
っていう話から、
そういう支援もこれから先はしていきたいよね、
って思っていた中で、
実は、
今の森ラボっていう、
一般社団法人のラボ長っていうのは、
僕ではなくて、
町のご福屋の息子なんですけど、
たまたまね、
ご福屋の息子の子どもがね、
ずっとウェブ会員やってる最中、
泣き続けてたんですよ。
で、
すごい泣いてるね、みたいな話になってみたで、
これラボ長の娘、
泣きあんだら、
一緒にしてみよっか、
みたいな話をしたら、泣きあんだんですよ。
泣きあんだな、みたいな話になって、
まあまあまあ、でもでもでも、
みたいな話をしてたら、
翌日晴れてたし、
一緒にしよう。
2個もやったらいいよ、
やるしかないっていう。
なるほど。
そんな緩い感じで、
一般社団法人になりましたね。
中高から行って、
やっぱダメだなってなったんだけど、
自然派生した方の方から、
組織の方に
それっぽい形を作っていかないと
できないっていう話に
振り戻っていくっていうか、
それってすごい、
外から見たらあんまり変わらないような
気がするけど、
執事を裏側を見ると、
だいぶ
違うわけじゃないですか。
それが
続くか続かないかっていう
大事なポイント
なんでしょうね、きっとね。
長続きするのか、いろんなことやるのかっていうのが。
これ、外から見ると
全然分かんないので、
今のお話は大変重要な
知見だ。
ぱっと見真似しようと思ったら、
まず形作るとかやるんじゃない?
基本的に。
でもそうじゃなくて、
普通だったら、
晴れてるから社団法人にしようって言ったら、
楽しくなるんじゃないですか。
二度目のこと言うなみたいな。
でもそれが許されるような団体の状況っていうのは。
コミュニティでしたね。
だって、あの時なんて
本当に一人のメンバーなんて、
一社にするとか
っていう話すら聞いてない状況で、
活動の意義
一人2万な
みたいな話になって、
なんの話?
いや、払うけどさみたいな感じで。
なるほど。
なんかね、すごい
人があるだろうなと思うんだけど、
それってさ、規模の小さい時だと
結構こう、機動力高く
いろんなことってなってるけど、
これがまた大きくなっていくとまたその
同じ空気感でできなくなっていったりとかも
そう思いますね。
するじゃないですか。
ちょうどいい規模でずっと
い続けるっていうのもまた一つ
ポイントになったりとかもするのかなと思うんですけど、
今後どうなっていくだろうとか
そういう妄想ってあるんですか?
なりゆきまかせもあるかもしれないですけど。
多分なんですけど、
今一社にして
あえて我々は
足枷を作ったんですよ。
そうしないと多分
ただの団体っていうか
任意団体だったら
人って仕事の
自分の具合だとか
精神状況だとかで
その活動に対して
コミットできる時期もあれば
できない時期もあったりするわけじゃないですか。
コミュニティとしてはそれで僕は
素晴らしいことだと思っていて
やりたい時にやって
やれない時はやらないっていう形で
やればいい話だとは思っているんですけど
自分自身
ハウモリの失敗だとか
潰してもう一回立ち上げてだとか
そういうのを経験しているうちに
少なくても
名前だけを残しておくとか
自分はここのメンバーなんだ
っていう
何かきっかけっていうのがあると
なんかね
やるんですよ
義務的な部分ができたとしても
それは
ある意味
責任っていうか
俺はこのメンバーだから
やっぱり
誰か忙しい時にちょっとやろうかなって
ある意味
思いやりっていうか
そういうのが出来上がったりするのに
すごくタイミング的に
バッチリだったんだろうな
っていう感じが
そうかそうか
同じ形で走り続けていると
もしかするとどこかで
上手く噛み合わないタイミングがあるかもしれないけど
ここで社団を人化することによって
もう一回認識合わせじゃないんだけど
そうそう
ちゃんとやろうぜっていう感じ
あとね
誰も入ってくれるなっていう感じができた
なるほど
バンドメンバーみたいな感じかな
そうそう
コミュニティってやっぱり
人増やそうぜとか
こういうのやりたいんだったら
もうこういう人を呼ぼうぜとか
なってきちゃう
結局協力者が増えれば増えるほど
この人ってコミュニティのメンバーなの?
あんまり来ないけど
たまに来る
すごい微妙な空気感で生まれるじゃないですか
そういうコミュニティでだいたい
コアメンバーっていうのがちゃんと出来上がって
でもコアメンバーって
我々はコアメンバーと思ってるけど
他の人もコアメンバーと思ってますだとか
あるじゃないですかそういうのって
そういうのもめんどくさいなって
特にこういう小さな街だったら
バンドメンバーは
4ピースバンドでOKみたいな感じで
腹落ちするな
そこはすごい葛藤があったですよね
同じ理解者が増えるといいなって思うと
このメンバーでがっつりやるって
決めちゃった方がいいなって
日光がずっとこうなかったんですけど
なるほど
かといって
大きくなって
いろいろ回すっていうのを
否定してるわけではなくて
それはその形だし
ただここの地域で
やっていく上では
なんとなくそういう形の方が
支援の流れ
スムーズだった
スムーズだろうなっていう
気持ちになれたって感じですよね
コミュニティみたいなやつって
基本大きく
みんなをみたいな
文脈で語られることが多い中で
だいたい最近になってくると
ある程度コミュニティを守るために
ちょっとした制限をかけて
そぐっていうか
そういうのは出てきてるかなと思うんですけど
バツッと決めちゃうっていう
バンドメンバーっていう表現が
コミュニティの界隈にないじゃないですか
漫才のコンビみたいな
そういうような
上手い表現が名前がついてくると
もうちょっとそういう集団も
出てくるのかもしれないなっていうのを
見てて思いましたよ
スピード感は出るし
空気の読み合いみたいなものも
少しこうなんていうか
いろんな人を取り込みまくる
コミュニティよりかは
スカッとアウンの呼吸みたいなところで
そうそうそうそう
言っても気の使いは出てきますし
こういう風にやっていった方がいいよね
そこが出てきたりとか
絶対出てくるわけですよ
しょうがないじゃないですか人間だし
バラバラだし
でも
うちってこうだよねっていうのがあるから
だよねみたいな感じで
スムーズにいくだとか
あと面白いなと思うのが
僕らは本当にマイクロコミュニティというか
少ない集団なわけじゃないですか
そうすると
面白いことに支援してくれる人が
すごい出てくるんですよ
面白がってくれる人たちがたくさんいらっしゃって
今日収録している
山中デジタルというところも
今一緒に森ラボのメンバーの
山中さんというのが
いらっしゃるんですけど
一緒にここで
DIYでものを作って
必要なものを買っていこうみたいな感じで
考えていたのが
北海道はもちろん
森町に住んでいる方もそうだし
函館に住んでいる方とか
全国の人が支援してくれて
なるほど
いろんなものが
私たちの人権費と
床材ぐらいしか
自分たちで用意していない
僕の目にはかなりいろんなものが
見えていますけど
これ全部支援なんですよ
そういうことを考えると
それもコミュニティなんですよ
僕らの森町という空間を
起点にしたコミュニティが
そこに生まれてくれていて
コミュニティってきっとこうなんだな
という感じが出ますね
バンドメンバーみたいなのが
それに対して
ファンみたいなやつですね
音楽の
バンドのファンとか
見返りとかないじゃないですか
見継ぐみたいな感じというか
それに近いことが
発展したわけですね
こういう形で
音楽ですね
我々は
すごくいい表現だと思います
音楽ですね
我々はみなさんから
得たご支援だとかを
うちの町の子供たちだけに
コミュニティの形成
渡しているというか
集約しどんどん
突き込んでいって
できることもあるしできないこともあるし
全てが成功するわけでもないし
でも
なんとなくみんな
それを面白まってくれてるんだったら
やっぱ我々としても
本気でふざけないとなと思う
コミュニティとしてはね
アーティストのみなさんは
何十周年とかをやっていても
ずっとファンの人も
もちろん離れていく人もいますけど
合わせてない感じがするじゃないですか
自分たちが
ズレたらいいと思っていると
ズレている人たちはいっぱいいて
映画監督とかもそうでしょうけど
今売れるから
こうかなこうかなって
商業的にそうやる人もいらっしゃるとは思うんですけど
どっちかというと
そういう一本の柱があって
みんなが納得してついていける
線路を引っ掛ける
そういうところに
やっぱり強烈な
熱量というかが
発生している気がして
経済と別の
人間の力を集約する
方法なんだろうな
すごい思いますよね
それが別の
ITコミュニティというか
地域コミュニティかみたいな形で
うまく今はいっているということですね
そうですね本当にね
なんなんでしょうね
本当にね
その現体験としては
多様な人々の参加
何度も言うようですけど
一頭最初
僕が思った最強のコミュニティは
最強じゃなかった
という現体験ですよね
その後はトライアンドエラーで
なんとなく始めていたのが
今たまたまうまくいっているというか
うまくいっているのかどうかすら
分かっていないですね
みんなが面白いと言ってくれているという事実があるだけで
でもこれって
町内会活動に似ているなって
思いますし
コミュニティって昔って
ITコミュニティは別ですけど
元々のコミュニティって土着だったわけじゃないか
共同体というか
そういう感じの意味ですよね
それがやっぱり
どんどんどんどん人間が多様化していった
昔から多様化はしていたと思うんですけど
どんどん
専鋭化していっていたわけじゃないですか
ITのそういうコミュニティが生まれたり
いろんなそういう
より細かい趣味思考の人たちが
こうなっていった中で
それでもやっぱり
東京近郊の人たちだけが集まっているとか
北海道の札幌周辺とか
朝日川の八甲田町とか
そういうところじゃないと
そういうコミュニティすらなかったわけじゃないですか
いくらネット上でいろんなことが
できるようになったとしても
やっぱそこって変わらなかったな
という状況があるんですけど
ある意味
僕たちも
森町という状況で
専鋭化はそうとしているんだけど
バンドっぽいという雰囲気にしたことによって
巻き込み力がきっと変わったのかな
という感じがしますよね
全国からちゃんと見守ってくれる人たちが増えた
そうか
どんな距離感で触れたらいいか
わかんないみたいなので
困るようなことがだいぶ減って
支援しやすい形になった
単に森町でやっているというだけでも
だいぶ特徴があるというか
そこは一体どこですかから
始まるわけじゃないですか
その中でかつそういう風にやっているんだな
ということがわかりやすかったら
じゃあ
そこまで手を出しちゃったら
本人たちのやりたいことを邪魔するかな
とか
距離感というか
支援は支援で難しさがあるじゃないですか
はっきりしているんだったらよし
金は出すけど口は出さないんじゃないんだけど
そういう指標みたいなものが
ポンと一発で見て
わかるような団体になっているというのが
すごい理想的なのかな
というのはそう思います
自分もフランドに5年間いたときに
地域のNPO法人の
フランド未来ラボというところが
僕らを見つけてくれたんですよ
それまでって3年ぐらい
2014年から3年ぐらい
普通のITコミュニティと同じような活動を
ずっとしていて
札幌とか東京とかからいろんな人が
旅行したいがために来て
そのときにいろんな知識を伝授して
高校生とかはそこで勉強できていたから
よかったんですけど
地域の小学生とかにも
ぜひやってほしいというふうに声をかけてもらって
そこに入っていったんですけど
小学生とか中学生とかがいろんなものに触れられるように
大人がいろんなものを準備する
というような場所になっていて
これは結構フワッとしているじゃないですか
そこに対してフランドの子たちに
何かできることあればってみんな近づいてきた人が
できることをうまくやっているという
バキッと俺はこれだみたいな
領域とはちょっと違う
コミュニティをしばらく
いていたわけなんで
そういう形でバリッとしているというのを聞けたのは
僕なんか
自分の引き出しが1個増えた気がする
やり口を探せるじゃないですか
そこのキャラクターとかで
変えたりとか内容で変えたりとかが
できるようになると
成功させられるパターンというか
いろいろ浮かんでくるわけじゃないですか
増えてこう
普段はそれでうまくいきましたけど
これを
例えばすぐ隣の
南フランドとかで
うまくいくのかずっとまた分からないから
きっと聞いている人たちも
僕の主観でしかないですけど
ITコミュニティやるってなった時に
参考にするもので本を読んだりとか
真面目な人たちが見ると
コミュニティマーケティングからスタートする
パターンが非常に多い
自分の感覚としては2009年
とか7年とかぐらいに
初先輩方を見て真似しているのでこういう
草の根的な形になりますけど
なんかね
思うんですよ我々も
コミュニティマーケティングじゃない
文脈でのコミュニティの知見をもっと
世に出していって
真似できる状況にしていかないと
いびつな形で
うまくいかないってしょんぼりしちゃうと
コミュニティの運営
最初の山形さんみたいに
起き上がってこれればいいですけど
起き上がってこれない人もいると思うんですよね
そういうような人たちに対しての
コンテンツになるだろうなということ
非常に喜ばしい時間でした
いやでも
あの
なんだろう
こういうとちょっと
あれだけど
広角機動隊の
スタンドアローンコンプレックスの
考え方がすげえ好きで
要はねみんなスタンドアローン
なんですよ結局一人一人でしかない
そうそうそうそう
結局それこそ個別の
住人じゃないけど
個別なんですよもともとは
その中で特定の場所だとか
特定の項目について
なんとなく
一緒にやろうか
っていう風に思うだけの話であって
団体として
とかコミュニティとして
何から何まで一緒である必要性って
ないわけだし
そこの中で例えば
本当はうちのコミュニティ
こういう方向性でいきたいのにうまくいかない
とか人が集まらないとかで
ポンとする必要すらない
そこ考えるから
いびつになる
そうそうそうそう
お前がやりたくてやろうとしてるんだから
それでいいじゃないか
それに共鳴してくれる人がいるんだったら
一緒にやればいいし
離れるんだったら離れるわけだし
そこに労力をかける必要が
どれくらいあるのか問題みたいな
ところで会社とかだったら
またちょっと分かんないですけどね
入役とかってなったらちょっと
僕なんか基本的には
今サイボーズの中で
いろんな勉強会でサイボーズの人に
発表してほしくて仕方ないので
技術情報を出せるものは出して
エンジニアが育つ土壌としての情報量を
うちの人たちが出す
っていうのができればもちろん
作業につながったりとかもあるでしょうから
やってほしいなって言ってるんですけど
背中を見せるのが一番効果があるだろう
っていう風に思ってて
ゴタゴタ並べるよりか
とにかくツビ子のやつはやるんじゃないんですけど
なんかそれを
コミュニティにはやりやすい形ですよね
制限を自分で課さない限りは
なくていいから
いろいろ挑戦する人は
とにかくやってみてほしいですね
そうなんですよ
あの
なんだろうな
しくじることをやっぱり
怖がるなってみんな言って
今そういう方向性っていうか
やってるけど
結局はみんな
いろんな方法を教えがちだけど
むしろ
ちゃんと失敗しなよって
体感しないとなかなか
子供だとかも
やっぱり
そこの坂道走ったら転ぶでしょ
って思ってても
走って転ぶじゃないですか
多分それと同じなんですよね
たくさんそういう経験をしたし
人間って
なんだろうな
やっぱ嫌な思いもたくさんしたし
人の
別れだとか離れだとか
そういうのもたくさん経験してきて
今が
できてくるわけじゃないですか
その全てがやっぱり糧だから
コミュニティも
そうだし
自分たちがこういうのをやっていきたい
そういう目的を
やっていきたいっていうのも
まずやってみて
そこの中で
コミュニティとして
例えば僕らなんてある意味スタートアップみたいな感じで
組織化していって
一社ではありますけど
そういう感じにしていった方が向いてるのか
本当にちゃんとした会社を
作ってしまった方がいいのかとか
あとは解散する方がいいのかだとか
そういうのを見ていったら
いいんじゃないかなと思います
習い事とかもさ
なるべく続けてって言うけど
やめて戻ってくるっていうのも
認めてあげたいなっていうのが
僕の中にあって
とにかく早く体験できる状況っていうんですかね
っていうのが
ありふれていて
選ぶっていうのを
吟味して選ぶっていうよりかは
やってってやっぱり水泳がいいとか
いろいろやってみて
コミュニティの重要性
水泳もやってみたバスケもやってみた
プログラミングもやってみたっていう中で
この3つの中でやるんだったらこれかなとか
どれもやりたくないのかとかって
お金もかからないから
難しいかもしれないけど
そういう場をたくさん
用意できるんであれば
用意できる人が用意するのが望ましいですね
やっぱりね
コミュニティとかも
自分のできるような場所を
探してとにかく試せるっていう
状況とか
そういう人たちと繋がって
いられるようなところに力点を
かけられる方が
一番スッキリした
活動に近寄っていくのかな
っていうのを
聞いてて思いましたね
どうせだって
色々考えてやってみたって
分かんないけど
色の強すぎる人が入ってきたら
一瞬で全部がダメになることがあるわけじゃないですか
合わせてやるしかないですよね
本当に
本当にそう思いますね
例えば山形さん他のコミュニティとかも
見られていると思うんですけど
こんな面白いところがあったとか
ここがすごい自分のためになったみたいな
ところってどこか別の地域とか
地域じゃなくてもいいんですけど
コミュニティとして
一番印象深いというか
自分を携わって
思ったのはやっぱり去年の
Just Do It
っていう新型コロナサイトの
あのコミュニティ
ですよね
あれは本当に面白くて
新型コロナがやっぱり
一気に疫病がバッときた時に
あの時って
情報が錯綜してたから
やっぱりちゃんと行政だとかそういう機関は
出していかなきゃならないよなっていう
思いがあったりだとか
とあるエンジニアはもっともっと人が
分かりやすいように出さないと
情報って分からないよねだとか
しかもそれって情報ってやっぱり
出し方によってバイアスがかかっちゃうから
そうじゃなく
かつフラットな状況で
やりたいよねっていった中で
たまたまこうFacebookでとある人が
一緒にJust Do Itの
立ち上げメンバーなんですけどが
なんかやりたいねみたいな
同時多発的に
いろんなところで起きてたんですよ
1個だけがポッて起きた訳じゃなくて
みんなはそういう風に思ってたんですよね
パパッて起きた中で
本来だったらあんまり
関わり合いがなかった
っていうかむしろ
ちょっと対立関係にあったような
コミュニティ同士の人たちが
1個の
目的のために
ちょっといっちょやろうかと
手を組もうぜみんなみたいな感じになって
あのが実はJust Do Itっていう
組織で
逆にリーダーがいないんですよ
リーダーとかやめようと
そうじゃなくて自分たちのできることを
自分たちでまずやろう
ただ広報だとか
今回のあれじゃないですけど広報だとか
人に伝えられてるのが大変だから
立ち上げメンバーが唯一
メディア対応だけはしようかっていうルールは
最初は決まったんですけど
それ以外は本当にフラットな状況で
出来上がったコミュニティで
私が心掛けたのはまだ今存続はしてるんですけど
一頭最初から
どうやってやめるかっていう議論を
ずっと今までもし続けてる
確かにだって理想的には
みんな病気のこと気にしなくてよくて
見えなくてもいいってことが最終目標ですよね
そうそうそう
だからまず解散することだとか
そういうのもちゃんと考えていこうぜと
ただそういうコミュニティって今度やっぱり作っていくと
これはこうあるべきだなと
そういう話も出てきちゃったりするんですけど
そこはやっぱり
ある意味テーブルファシリテーターじゃないけど
僕らが
立ち上げメンバーとして
ちょっとそういうのやめましょうよとか
そういうべき論をやっちゃったら
大変な風になっちゃうから
まず
とにかくフラットに
規制事実だけを伝える
っていうところだけに注約しましょう
とか
こういう見せ方だとかやってくれないかとか
メッセージが飛んできてるとかするんですけど
いやそれってバイアスかかっちゃうから
とにかく行政が出た情報だけを
フラットに出すんだ
とにかく心がけて
難しいことですよね
なんか正義感というか
ああいう大変な状況だったら
思いがすごい先行し
前のメリーで
やりたくなるのはすごい分かるけど
それをセーブするっていうところを
本当にあれはねでもね
コミュニティのモサたちがやっぱり集まったコミュニティだったから
なんとかこう
上手いこといけた
すごいコミュニティっていうか
あんな
高揚感なかったっていうか
なんかインターネットの良心って
まだ残ってたんだみたいな
顔合わせてやったわけじゃないでしょ
だって全部オンラインだったんですよ
むしろスラックでしかやりとりなかった
で唯一
立ち上がって
出来上がって
よしってなった時に
一回みんなでズーム繋ぐ
やり切ったかみたいな
で繋いだら
お前高先生だったの?とか
なるほど
どっかの奇妙なエンジニアだと思ってたとか
なるほど
初先輩方から
僕は聞く
2000年代とかの
掲示板のインターネットと同じことが
起きてる
だから僕らは
インターネット老人会としては
あれですよ
ネットの良心がまだ残ってたっていう
表現を我々はしちゃうっていうか
本当のフラットな状況
情報をフラットに出すだけじゃなくて
本人たち自身もフラットな状況で
出来てた
なるほど
これはすごいやっぱりことでしたよね
コミュニティ主はやっぱり
北海道は相当早かったですよね
東京の次が北海道だったの?
そうですよね
自分もその時は小平に引っ越して
東京にいて今は戻ってきてますけど
やはり北海道は違うなっていうのを
非常に誇らしかったですよね
全然関係もしなくて
やってると思ってたんですけど
そのバイタリティがある
場所なんだなって思うと
北海道海に染み付いたものが
あるんですかね
そこって僕もずっと感じてて
北海道って
気抜いたら死ぬじゃないですか
寒すぎるし
熊が出るし
僕なんでいつもの出勤の
道路に
昨日熊が出たって
マジかみたいな感じですけど
人と協力するっていうのは
なんか染み付いてるんでしょうね
僕自身は本当は
冒頭言ったように
コミュニティだとか
人と協力してどの子も全然苦手っていうか
本当は全然
やりたくなかったけど
やっぱりやりだすと
そんなもんだよねって
協力って必要だよねとか
僕の中の体験としては
強烈だったのが
僕は高卒で
そのまま
役場に就職して
やってきた中で
車を改造するだとか
スケートボードを乗るだとか
BMXを乗るだとか
そういう実は活動も僕は好きで
でもそういうのって
都会じゃないとできないんじゃない
確かに
ストリートなんとかみたいな感じで
そうそうそう
そういう情報って当時インターネットも
最初のうちは本当になかったわけで
そういう情報を見るためには
やっぱりアメリカから雑誌を輸入したり
してた中で
インターネットっていう存在が
急に現れて
全世界のそういう情報が
ネットを使うと分かるんだっていう
体験をしたりだとか
そのおかげで
自分の町で
スケートだとか
自転車のコミュニティを作ったり
してたんですよ
今でもそいつらとは仲いいんですけど
そういうのってITだけじゃなくて
そういうコミュニティですら
ITのおかげで
情報を得ることができたっていうのも
あったりするし
なんなんでしょうね
いいよねコミュニティって
ざっとまとめると
いいってことなんですね
浅井君のゆるい勉強会って
協力と情報共有
労力をかけないっていうのだけは
守ろうっていうルールで
2012年からずっとやってるんですよね
実はシャープ2の
ゆるい勉強会さんと
二人で話しちゃうんですけど
恐ろしいことに今みたいな苦労話が
出てこなかったんですよね
何にも
これを頑張ったから今の僕たちがあるみたいな
いわゆる素敵な
ストーリーが一向にない
あんなので50分過ぎちゃったんですよね
でも今の
ハーモニーの
ストーリー的には結構
ジャスト同意ともそうですけど
結構いろんな努力みたいなのが
あったりするじゃないですか
でもだからどっちが正解ない
そう思いますよね
話の中で
そういう右翼曲説っていうか
いろいろやられたんですねって思われるかもしれないですけど
思い返してみたら
っていう話なだけで
本人たちはいたってフラットですからね
その時できることをやった
っていうのだけが共通して
いやでも本当にね
キャラクターとか人とか
その人のライフページとかも
多分あるかもしれないけど
大学生ばっかりだったらまた違う結果になっただろうし
とか職業がみんな
エンジニアだったらまた違っただろうし
とかってなったら
オリジナリティを出すまでもなく
オリジナルじゃないですか
なんかねそれがね
コミュニティ活動のいいとこだなって
比較というか
比較はできるけど優劣が非常につきにくいですよね
そういう意味では
競争世界に行く意味を置きたい人は別かもしれないですけど
そういうのとは別に
自分でやりたいこととか
コミュニティの柔軟な運営
達成したいことベースで
話をしたい人は
コミュニティって形に
嵌めすぎずに
やるっていうことに挑戦できると
なんかもっとあれかもしれないですね
ラフにいろんなことが起きるかもしれないですね
いやそう思いますよ
そうなんですよ
僕らっていうか
まあ座れないよって
なんかフォームにも書かれてましたね
見ました見ました
そうなんですよ
肩張って
どのコーナーやるんだとか
コミュニティ論だとかそういうのじゃなくて
まあ座れないよって
お茶飲んでいきなよ
ぐらいの感じの緩さって
思いますよね
やっぱりね組織的になってくると
そういう事業をやっぱり
受けるとかって
話になるとやっぱり体系だって
やらなきゃならないことも出てくるし
調べなきゃならないことも出てくるし
やっぱりいろいろあるわけじゃないですか
まあでもまあまあまあ
みたいな
まあ一回落ち着こうみたいな
感じで大事だなって思いますね
それがコミュニティの
大切さなのかもしれないですね
なんかそれこそちょっと意見が
割れたりすることもある
相当あると思うんですけど
そういう時ってふわっとそういう空気で
なんとなく着地点を見つけるんですか
でもそこってやっぱり
難しいところで
僕今の
森ラブもそうですし
やっぱり言っても
42歳なんですね今ね
そうすると
今一緒に山中デジタル作ってる
山中さんもそうだし
五福屋のせがれもそうですし
若いんですよまだ
30代半ばとか
まあもう一人のメンバーは
結構年、僕の四つ上なんですけど
やっぱね僕ら
ある意味
V6で言ったらポニセン?
あれカミセンとポニセンみたいになってるんだ
どっちかって言ったら
上のほうの
リーダー側のほうの世代じゃないですか
そうするとやっぱり
カミセンのほうはね
気使いますよね
先輩方というかね
そういうのがあるから
なんとなく言ってもやっぱ
おっさんたちいこじだなっていうのを
彼らは感じるから
僕らが言ったことに対しては
なんとなく
それほどなんか
素言がなければ
まあいいよそっちに合わせるよみたいな感じでやってくれたりとか
やっぱりするので
そこを
何かやってるとかっていう話は
ない感じが
軟着地させようとかじゃなくて
そこはやっぱり後輩たちが
人生的に言うとね
コミュニティ的に言うとフラッだけど
年齢的に言うと
やっぱ彼らがちゃんとその辺は
軟着地させてくれてる
っていうか
逆に僕らはそこでカロリー使わないから
できることはやるみたいな感じ
それって
そんなもんじゃねえかな
って感じですよね
多分その辺も含みおいて分かってるから
例えばすごい強行突破で
決めようとかそういうことは
逆にないですよね
だからちゃんとみんなのどう思うみたいな感じで
一応あんまり言いすぎると
気使わせすぎるかなみたいな
さじ加減も働いてる
だからみんながみんな
ちゃんとそこはやってるんじゃないかなと思います
活動の質と巻き込み力
なるほどね
ここまでお聞きくださりありがとうございます
会社のような
決まった階層構造もない
コミュニティという形態で
魅力ある活動を
続けていくことの奥深さ
難しさ
コミュニティを運営したり
参加したりしたことのある人は
痛感していることかと思います
誰でも受け入れていける
コミュニティの強さは
活動量や熱量の
ブレとなって
自分たちを苦しめます
多くのコミュニティが
ルールや機械など
仕組みでクリアしていくところ
音楽バンドとファンのような
形を取ることで
活動の質と巻き込み力を両立させる
山形さんの手腕に
関心しっぱなしの1時間でした
今回の内容ですが
追って我々コネクト支援チームの
ノートとギットハブにて
文字情報でも
この内容を公開する予定です
この内容を
共有したいけれども
音声ではちょっとという方は
ぜひそちらもご活用ください
以上
流氷交差点シャープロック
北海道森町のコミュニティ
羽生森 山形さんの
インタビューでした
またの機会に
またの機会に
59:27

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