ちょっと藤原武志さん、編集者の藤原さんに話を聞いてるんですけど、藤原さんのね、僕一番面白い話をね、聞きたいなと思ってるのが、藤原さん、さっき言ってた、神戸発祥の地域意図という、写真おぎりというと失礼かもしれないですけど、そういう大会というか、ずっとやられてるやつの、岡崎版で知り合いましてという感じで、同じ編集者でというか、僕なんか本当にベビー中のベビーなんで、
しかもね、ベビーの畑の方が僕は長いのであれなんですけど、まあいろんなね、違いもありながらすごい仲良くさせてもらってて、で、もう一個、出版社もされてらっしゃるんですか。
で、まあそういうところでですね、いろいろISBN.を取ったらいいのとか、そういう話もね、聞かせてもらったりですごいお世話になったんですけど、なんか藤原さんの面白いのは、人柄というか、人として一番面白いなと思ってるんですけど、
そもそもお笑い芸人だったじゃないですか。
若い時。
そうですよね。
いや、だったわけじゃないですね。やってたぐらいですね。
いやいやいやいやいや。
あのまあ、あれっすね、この仕事、編集の仕事をつきたいと思って、学校出て編集者になったわけではないっていうこと。最後に何かやる仕事を探してあげく、なんとかたどり着いたのがヘンプロやったみたいな。
それはあの村上隆が言ってたんですけど、小説家はなんか一番最後の職業である。
いや村上隆が言うなよって思うけど、それ。
なるほど。
まあそういう感じじゃないです。
ひなすさんは新卒で行ってるんですか?
ベネスで。
ベネスで。
新卒じゃない、まあ新卒というか、僕留年してるんですよ、1年。あの就活、気づいたら就活始まってて失敗して。
だからそのまま卒業しなかったってことですね。
しなかって、まあでも、いわゆる扱いとしては新卒で入りました。
ああ、なるほどね。
それは違います。そういう意味では違います。僕は違います。
なるほど。
はい、そういう人生ではないです。
え、じゃあ高校行かれて。
中学生の時から、中学生、まあ小学校、高学年ぐらいからお笑いが好きで。
へえ。
で、まあひなすさん秋田の人だから。
秋田です。
文化が違うと思うんですけど。
文化ないですよ。
まあ大阪は、あの生ハゲとかの文化あると思うんですけど、大阪はやっぱりお笑いはテレビでよくあるから。
当然ですよ。
お笑いとか新喜劇とかあるので、漫才好きでお笑いずっと見てて。
あと4時ですよ、だってダウンタウンが夕方テレビで出てたとか。
そういうことがあって。
お笑いにずっと憧れがあって。
で、中学生の時に同級生で同じようにお笑いすっごい好きなやつがいて。
で、その時がすごい天然素材とか。
はいはいはいはい。
ああいう時代だったんですよ。
吉本天然素材。
ああ、そうですね。そういう時やったんで、日誉劇場とかも、僕大阪の東見国っていうところなんですけど、
水道水戦に乗ったらすぐにナンバーに行けるので、日誉劇場も行ける。
で、当時日誉劇場っていうお笑いの若手のお笑いがみんな。
よく聞きますよ、ジュニアさんとか。
ああ、そうですそうです。そういうところがあって、そこに行ったりとか。
で、教室で漫才やったりとか、そういうことずっとやってたんで。
で、その同級生と、高校出たら吉本の養成所に行こうみたいなことを言ってて、
で、お互い違う高校行くんですけど、僕はアホの子やったんで。
近くの公立高校に行ったんですけど、すごい出来の悪い高校に行ったんですけど。
で、相方はまた違う私学に行ったんですけど。
で、二人でその後吉本の養成所に行って。
NSCってことか。
NSCに行って、それが終わって、その後はずっと売れない芸人をやってたみたいな。
え、でも卒業まではされたってことですよね。
卒業ってあんのかどうかもない、そんなところですけどね。
何の意味もないですよ、卒業するとか。今はちょっと分かんないですけど。
でも、NSCに卒業したから吉本に所属できるわけではないですよね。
今は分かんないですけど、僕らの時はそれがあやふやで、卒業して、
何かを買いたいイメージはありますけど。
へー、契約書みたいな。
でも、基本的に誰でも参加できる、一般の人も参加できるオーディションイベントみたいなのがあるわけですよ。
1分ネタやってみたいな。
ゴングショーケーション。
そんなようなものにいつもエントリーしては出て、で、合格したりとか落ちたりとかっていうことをして、
それで売れる人っていうのはそのうち、次のステージに行くわけですよね。
次のお笑いライブに出るとかっていう。
でも、そういう暮らしをしてました。コンビニでバイトしながら。
バイトしながら。でも、いつかは売れるんだって感じで。
僕だから、中学生ぐらいにその時に相方が見つかったので、もう売れる以外考えてなかったから。
だから、本当にそれ以外の生き方を想定してないんですよ。
だから、今がもう僕、信じられへんわけですよ。今が。今、この私が。
僕ね、初めて出会った時に、藤原さん、今も金髪ですけど、ピンクだったんかなと。
なんか、もひかんで。
ちょっと僕からすると、イメージというか、僕の中の関西の人のしゃべり方っていうね。
藤原さん、なんかすごく偏見があるみたいな。
関西弁みたいな。
そう、秋田にいた時に見てたテレビ番組の関西の人のしゃべり方だって。
なんかね、お笑いの人っぽいみたいなこと言われがち。
いや、やっぱりしゃべりすごいお上手というか。
怖いくらい売れてないので、全然お笑いのサインは、でも金はついてないかったですけど、
才能はないんですけど、たぶん23か4ぐらいまでやってるんですよ。ずっと。
で、それまでずっと売れると思ってたから。
売れて芸能人と結婚すると思ったから。
意外、意外すぎて。
フェイオンのファンはフェイオンのファンだったんだけど、フェイオンと結婚したいとは思ってなくて。
フェイオンは神様みたいに思ってて。
フェイオンのファンクラブにも入ってましたけど、また別のアナウンサーの人とか富士テレビのとかそういうふうに思って生きてたんですけど。
で、もう全然辞める気なくってずっと売れるつもりで暮らしてたんで。
けど、まさかやねんけど、中学の同級生が辞めるっていう、辞めるわみたいなメールが来たんですよ。
携帯に。パカパカの携帯に。
まだいわゆるガラッパコス携帯に。
辞めるわみたいなのが来て、ほんで、わかったみたいなことになって。
メールであれなんですか?
そうなんですよ。僕、小っちゃい子やから、そこで話し合えるようなタイプの人ではないので。
場合によってはそこ一回直に話し合ったら、次の展開みたいなのもあったかもしんない。
いやでも、一回嫌われたらもうね、みたいな。
ほんで、そうなんですよ。それで。
でも別に、じゃあ泣きましたかみたいに言うと、別に泣いたりとかしてないと思うんですけど。
ただ、ちょっと呆然とはしました。計画が狂ったから。
そうですよね。だってそういうふうに人生考えてたのに。
溢れて、フジテレビのアナウンサーと結婚する予定だったんで。
それがやっぱり叶わへんってなった時に。
中学からですからね。予定の狂いさがもう半端なかったんで。
それはビビりました。死ぬほどビビりました。
で、やることなくなって、たまたま手にしていた沢木幸太郎の深夜特急を持って、そっから半年ぐらいバイト続けて、
ちょっとシフト多めに入れてもらって、デイリー山崎の夜勤を。
で、50万ぐらい貯めて、ほんで旅に出たんですよ。
沢木幸太郎みたいになろうと思って。
やっぱいろんな人の人生を変えてますね。
でも途中で辞めたんですよ。
沢木はロンドンまで行くんですけど、インドでもうエッカだったんですよ。
僕3ヶ月、およそ100日旅してたんですけど。
最初の2週間ぐらいで、これいけるわと思ったんですよ。
ああいうバックパッカーに僕変な憧れあって。
バックパッカーの世界厳しいと思って、すいません入れてもらいます、みたいな感じで行ったんですけど。
簡単と思って。2週間ぐらいでだいたいルーティーンがわかったから、
これ1年とか余裕で続けれるわと思って。
その洗濯とかね。
2週間でだいたいフレッシュになれるわけですよ。
だからこれをずっと続けるなんていうのは、めちゃめちゃ簡単やなと思って。
1年、2年旅してる人って結構余裕で行ってたから、
こんなもんかと思ったら、ちょっと早く帰ろうみたいに思って。
東南アジアをぐるっと回って、インドでデンして。
インドもいろいろ回ったんですけど、インドでデンして、ほんで帰って。
帰ってから僕実はもう一回オアラやってるんですよ。
実は。
そうなんですか。
帰ったら次のステージに行きそうなものじゃないですか。
帰って、今度自分が舞台に立たずにお笑いを書くだけのことをしたいなと思って。
先輩とか同期とか同輩とか集めて、お笑い劇団作って、コント劇団作って。
前チラッと聞いたかも。
6,7人でコント集団を作って。
ダウキューマンみたいな。
まあ今で言ったらね、あんなすごないですけど。
で、それの僕は作家みたいなしてたんですよ。
バイトしながら。
またデイリー山崎でバイトしてた。
そうか、ってことはもう本、脚本を書いたり。
お笑いばっか書いたんですよ。
で、それ1年ぐらいやってて。
みんなお笑い、そんな芝居みたいなコントより、
だんだんお笑いブーム来たんで、吉本でやりたいって言って、みんな消えていったんですよ。
それでまた解散したんで。
ちょっと凹みますね、それは。
さすがにやることなくなって。
で、照明をやってたおっちゃんみたいな、照明手伝ってくれた人がいてて、
その人に、君は書いてんねんから、シナリオ学校みたいなとこに行ったらどう?って言われて。
で、稽古と学ぶコンビニで開いて、シナリオ学校探したら、
隣に編集学校があって、
編集教室ってのがあって、
もうシナリオって勝負系じゃないですか。
もうそれが嫌になってきて。
要は才能世界みたいなところですか。
ずっとまたコンビニでバイトじゃないですか。
で、編集教室って多分行き着く先は出版社とかだから、
社会保険とかもらえそうじゃないですか。
そっちがいいなと思って、そっちを選んだんですよ。
そういう流れで編集じゃないのに。
だから全然、シナリオスクールのカウンターとして編集の教室に行って、
半年ぐらい行っているときに求人が来るじゃないですか。
そこでヘンプロの求人が来たから、そこに飛びついたら、めっちゃ厳しいとこやったみたいな。
でも向いてますよね。
そうっすかね。
って思わなかったですか?
全然。
でももうこれだけは辞められへんというか。
これ辞めたら、もうほんまにないかなって思ったから、
最初の日から僕3鉄やったんですよ。
その会社。
女の人はもう帰るねんけど、社長男で僕男一人やったから、
鉄や鉄やなって3鉄で3日目に帰って。
2つやったら辞めるような、かなりブラックな。
でも僕もここしかないと思ってたから、
もう何とかここでこの仕事で行こうと思って。
細かく言うと、その前にデザイン会社の求人があって、そこに行って、
3ヶ月ぐらいそこで働いてたけど、ほんまに使い物ならんって言ってクビになってるんですよ。
だからもうその次のヘンプロは絶対辞められへんと思って。
排水の陣みたいなところもあって。
でもこれ、編集者になってからの話はさっきチラッと聞いてはいるんですけど、
藤原さんって僕とお会いしてから喋り面白いし、売れたいって言うじゃないですか。
はい。その売れたいの厳選がそこに詰まってます。
藤原さんにとって売れたいって何なの?
だから今で言ったら、ちょっとしたスター編集者とか、
今は一人のスターじゃないじゃないですか。
いろんな業界でスターがいるみたいな感じだけど、
でも本屋さんのトークショーとか、大体呼ばれるみたいな文化系。
このジャンルで来たからにはね。
その系統の売れ方あるじゃないですか。
青木さん?ここのDIYブックスで。
僕も浮かびましたよ。青木新平さんみたいな。なるほど。
DIYブックスでイベントされて、各地からお客さんが来てあった。
藤原さんのショーとかじゃないですけど、もちろん来てくださった。
とか、ああいうあれとかですよね。
じゃあ内沼慎太郎さんとか。
はいはいはい。
わかんないけど、そういう出版。
そこまで行ったらちょっと自信なくなってくるけど。
そういう本とか出版に関わる中での売れ方をしたいってことですか。
もうちょっと言うと、漠然と売れたいと思ってまして。独立してから。
編集者で売れようと思って出版社入った。
ヘンプラ入った。それが出版社に移った時に、
これでここで編集長になったらそれなりの売れ方するかなと思って、
編集長を目指したけど、上に行けなかった。
で、独立して西淀川に事務所構えて、
ちっちゃいとこやったら、ちっちゃい中で売れるかなと思って、
そういうことを画作してたけど、やり方わからんかったから、
西淀川区で僕、雑誌作るってことばっか考えたんですよ。
西淀川雑誌を作って、その編集長として君臨するみたいな。
それでブログ作ったりとか色々やったんですよ。
そんな時にコロナもあって、その後に
平田さんと岩渕さんっていう宝塚の編集者と
兄貴みたいな人と。
3人で地域意図というイベントに、たまたまのきっかけで出ることになったわけですよね。
それも岩渕さんは僕紹介やから、西淀川でアート作ってる人が紹介してくれただけのことなので、
その時はまだまだ僕ただの雑誌作りたい人やったんですよね。
岩渕さんとかで会って、地域意図とか見て、
こういうやり方あんのかみたいな。
編集者やけどイベントとかする。
面白イベントするジャンルあるんやみたいな。
岩渕さんは中でもすごいですよね。
特殊なこと、特殊って言ったらあれですけど、アートとか。
あの人の周辺の人たちがみんなそういう感じじゃないですか。
岩渕さんも。
天ヶ崎の面白いお兄様。
岩渕さんもあの時に会って、
岩渕さんとか天ヶ崎大学とか見てた時に、
編集者というよりか、編集者っぽいやつがめっさアホなことやってるって感じがあるじゃないですか。
あれがやっぱ、なるほどなみたいな。
おもろい感じが理解できたなと思って。
それで自分もちょっとイベントっぽいことをやるようになって、
売れ方の方向性をちょっと変えたというか。
じゃあ、淀川トークショーとかはその前からやってました?
トークショーとかはあの後。
あの後でしたっけ?
西淀編集部ってやってた時はやってたんですけど、
それは最初はトークとか全然してなくて、
人が集まるだけのイベントやって。
それはなんでやってたかというと、取材大賞を集めるためにやってたんです。
西淀編集部っていうのを今日開催しますと。
で、僕がブログとかで紹介するので、
何かやってる人、紹介してほしい人来てくださいっていうことをやったんですよ。
それは要するにそれを集めて、一冊の雑誌にするっていうことでやってたんです。
で、矢節さんとか見てから、これこっちかと思って、
ブログとかやるのやめて、
雑誌作ろうという夢をやめて、
で、イベントしよう。トークイベントとかそっちをしよう。
そういう売れ方しよう。
それはやっぱ雑誌があかんって、
あかんってやっぱり心底思ったタイミングでもあるんですよ。
雑誌が売れなくなってきて、
僕が雑誌の仕事をなくなってきたっていうのもあるし、
で、雑誌がなくなったから出版に変わらないと思って出版をやり始めたこともあるので、
だんだん古い、今までの自分が正しいと思ってたこと。
僕、ほんまに雑誌屋みたいなコテコテのこと言うタイプの人の会社やったから、
やっぱ雑誌が大人の教科書だみたいな。
そういうことを信じてやってたんで、
雑誌の編集長になって売れたかったんやけど、
なんかちょっともう時代から違うんやなと思って、
まさに今のジンとか見ても思ったんだけど、
この前のジンのイベントとか見ても思ったんだけど、
で、雑誌から離れるようになったんですよ。
なるほど。
それもあって、最初に考えた西淀川で雑誌作るっていうことを一旦やんぺして、
西淀川とか淀川区とかでトークやったりとか、
ラジオっぽいイベントやったりとか、
そっちへそっちへ。
なんか矢渕さんとかがやってるような、
あるいは若須さんがやってるような、
ああいうことで行こう。
カルチャーっぽい、バカっぽいカルチャーっぽいみたいな、
ああいうことを知ってたら売れんちゃうかなって。
なるほどね。
でも今のぶっちゃけお仕事でいうと、
雑誌のお仕事とかあると何割ぐらいですか?
雑誌は朝ドラの仕事以外は、
断ってます。
そうなんですか。
もう一個かつていたとことかで、
たまに言われるときがあったんやけど、
なんかもう断りました。
あればやるけど、
基本、自分が見合うようなことがない。
ピンポイントでここの取材行ってくれってたまに言われるんやけど、
それでいいって1万5千言われたら、
いやーみたいな。
それやったら、変に未練残すより切ってしまいたいと思って、
朝ドラは朝ドラの本、雑誌、ガイドブック作ってるんですけど、
それは朝ドラ好きな人多いし、
僕も朝ドラ見てるから、
言われたらやるかなと。
でもあとは雑誌はやってなくて、
自分で出版は来月2冊出版を控えてて、
本を出すこと。
でもそれは利益にならないから、
今ほぼほぼ飯食ってんのは、
一つは企業の広報。
東大阪にある会社の広報みたいな業務。
プレスリリース作ったりとか、
みんなとこんな仕様とか話しようとかっていうのを会議したりとか、
っていうのと、
昔から知り合いの広告代理店とやってる新聞広告。
ある会社の新聞広告。
潜在とか。
そうなんですね。
それを作ってる。
レイアウト作業みたいな。
ライターでも編集でもなく、
新聞広告に関しては、
デザイナーと言えばデザイナーというか、
オペレーターですよね。
でもだから編集者の職能の何個かを分けたうちの、
いくつかを組み合わせて今の仕事されてる。
たまに撮影の仕事。
重曹とかでライブやるときに写真撮ってとかって言われることはあるけど、
それがメインの仕事ではないので。
広報マンですよ、僕もはや。
今は。
それが一番お金いただいてるかなみたいな。
あとうち夫婦でやってるので、