メタバースのリアルな移動の問題点
こんにちは。今日はですね、共有してもらったブログ記事、プチメタ3.0に載っていた考察。
現実空間を模したメタバースは移動が面倒くさいだけ、という、これなかなか刺激的なタイトルですよね。
そうですね。
これを一緒にちょっと深く見ていきたいと思います。今回のテーマは、メタバースでのリアルな移動、これってどうなの?ってところですね。
はい。あの、没入感を高めるためのリアルさ追求が、逆に利便性を損ねちゃうんじゃないか、と。そういう鋭い問いかけですよね、これ。
うーん、なぜ筆者がそう考えるのか、その理由を探っていきましょうか。
お願いします。早速ですけど、筆者が言ってるのは、VRゴーグルとかで体験する、あのリアルな仮想空間の散策。
ええ、ありますね。
最初は、ああって思うけど、すぐにもう移動が面倒くさいって、なっちゃうんだと。
うーん、現実だったら、まあ歩いたり電車乗ったり、仕方ないじゃないですか。
そうですね、物理的に。
でも、仮想空間だったら、もう目的地にこう、一瞬でワープしたい、と。
ええ。
この、現実の模倣っていう考え方自体に、筆者は何かこう、根本的な問題を感じてるんですかね。
まさにそこだと思います。仮想空間の最大の利点って、本来は物理的な制約から解放されることじゃないですか。
ああ、なるほど。
その、なんていうか、自由さをわざわざ捨てて、現実の不便さを持ち込むことに疑問を呈してるわけですよね。
うーん。
ユーザーって、やっぱり常に最小限の手間で最大の価値を得たいっていう、体験の経済性みたいなものを求めると思うんですよ。
体験の経済性ですか。面白い言葉ですね。
ええ。で、リアルな移動の共生っていうのは、その原則とにちょっと逆行しかねないんじゃないかと。そういう本質的な課題をついてる気がしますね。
なるほど。体験の経済性。確かにその視点で見ると、あのオープンワールドゲームのファストトラベル機能の例え。
ああ、はいはい。
あれはすごくしっくりきますよね。一度行った場所に何度も何度も歩いていくのって、多くの人にとっては、まあ面白い体験じゃないと。
そうそう。作業になっちゃいますからね。
ですよね。あと、ライブ配信を見るために、わざわざバーチャルな会場までテクテク移動する手間をかけたいかっていう。
ええ、それも同じ文脈ですよね。この記事が言っているのは、結局のところ、それってコンテンツへのアクセス性の問題なんだと。
アクセス性?
はい。ユーザーが最終的に求めているのは、多くの場合、その空間自体じゃなくて、そこにあるコンテンツとか会見そのものなんですよね。
だから、本をページをめくるみたいに、瞬時に目的のコンテンツにアクセスしたい。
移動っていうプロセス自体が目的じゃない限り、それはある意味ノイズになりうるんじゃないかと。
ノイズですか?
そういう見方ですね。
ということは、筆者の見立てとしては、この不便なリアルさっていうのが、いくらその空間がリッチに作られていても、多くのメタバース構想にとって普及の大きな壁になるかもしれないってことですかね?
ユーザー体験の向上に向けて
そういうことだと思います。
この指摘、専門家の視点から見て、特にここが説得力あるなと感じる部分ってありますか?
やはり、デジタル体験における時間価値の捉え方という点でしょうか。
時間価値?
現実世界での移動時間って、ある意味で受け入れざるを得ないコストじゃないですか。
そうですね。通勤とか。
でもデジタルの世界では、そのコストは本来極限までゼロに近づけられるはずだっていう期待が、やっぱり根底にあると思うんです。
確かに。
その期待と、わざわざ導入されるリアルな移動とがぶつかっちゃう。
特にコンテンツ消費が主な目的の場合、この利便性への問いかけっていうのはすごく重要だと思いますね。
確かに。リアルさを追求する試みって、これまでも何度も出てきては話題になりますよね。
この利便性っていうその切り口からの批判は、デジタル体験の本質を考える上でハッとさせられますね。
そうですね。今回の考察から見えてきたのは、メタバースでリアルさを追求することが必ずしもユーザー体験の向上につながるわけではないぞと。
特に移動っていう点においては、むしろ足枷になる可能性もあるんだっていうそういう視点でしたね。
なるほど。では最後に、あなたに考えてみてほしい問いかけを。
はい。
移動以外にも、現実世界の要素を仮想空間に忠実に持ち込むことで、かえってその可能性を狭めてしまうものって他に何があるでしょうか。
深い問いですね。
例えば、物理法則を完全に再現することって常に望ましいことなのかとか、あるいはコミュニケーションの形とかも。
厳密な模倣を超えたところに、仮想空間ならではのもっと自由でもっと便利な価値っていうのが実は眠っているのかもしれませんよね。