感謝の重要性
今回はですね、お店で買い物したときに、お客さんが、ありがとうって言うの。あれってなんで自然なんだろうっていう、えっと、そんな疑問に迫ったブログ記事を一緒に見ていきたいんです。
お金払ってるのに感謝するって、なんか考えてみるとちょっと不思議じゃないですか。
あー、はいはい。あの記事ですね。えー、これは結構面白い視点ですよ。
なんていうか、お金を払う客は偉い、みたいな。
つい持ちがちな感覚、それに根本的な問いを投げかけてるんですよね。
その取引の原点に立ち返ることで、感謝っていうのが、ごく自然な行為なんだって論じてるんです。
まず記事が触れてるのは、一部の人が店員さんにお礼を言うのに抵抗を感じるっていう点ですよね。
えー、ありますね、そういうの。
お金払ってるんだから、こっちが感謝される側でしょ、みたいな。
時にはそれがちょっと横柄な態度につながることもある、なんて指摘もあって。
うーん、まあわからなくもないですけどね。
でもその考え方が変わるきっかけになったのが、筆者自身のコンビニでのアルバイト経験だそうですよ。
へー、アルバイト経験ですか。
ええ、商品を渡した時にお客さんからありがとうって言われることが、こんなにも嬉しいことなのかと。
その働く側の気持ちを実感したことで、自分も自然とお礼を言えるようになったってそういうふうに書かれてますね。
あー、なるほど。それはなんか想像できますね。
うんうん。
で、ここからが本題に入っていくわけですね。取引の基本ってそもそもなんだろうって考えて。
原点である物々交換に立ち帰るんですね。
そうなんです。
例えばあなたが魚を持ってて、私が肉を持ってるとしますよね。
で、お互いがこれなら交換してもいいなって価値を認め合えば、そこで初めて交換が成立する。
そうですね。ここがすごく大事なポイントで、どちらかが一方的に得したり損したりしてるわけじゃないってことなんです。
はいはい。
これがあって初めてその交換は意味を持つわけです。
だからこそ物々交換の場面ではおそらくですけど、交換してくれてありがとうっていうその感謝の気持ちが自然に生まれてたんじゃないかと。
あー、なるほど。交換に応じてくれたことへの感謝ですか?
ええ、そう。フィッシャーは推測してるんですね。その価値が等しいって認める行為自体に何か敬意みたいなものがあったのかもしれないとも。
その視点は面白いですね。それで記事は問いかけるわけですね。
じゃあ交換するものがお金に置き換わってもこの本質って実は同じなんじゃないって。
まさにそこなんです。
商品とかサービスっていう価値に対して、それと等しいとされる価値、つまりお金を支払う。これも形は違うけど対等な価値の交換なんだと。
そういうことです。だってどんなにお金を持っていてもお店側がいや売りませんって言ったらもう取引は成立しないまでですから。
あー、確かに。言われてみればそうですね。
つまりあなたがその商品を手に入れられるのは相手が売ることに同意してくれたからなんですよね。
だからその取引に応じてくれたっていう事実に対して感謝するっていうのは実はすごく自然な感情なんだって言えるわけです。
つい私たちはお金の力みたいなものに目が行きがちですけど、根っこには相手の意思決定があると。
確かにそうですね。お金を払う側が偉いっていう考えは取引の本質から考えるとちょっとずれてるのかもしれないですね。
対等な交換が成り立ったことへの感謝としてありがとうって伝えるのはむしろ気持ちの良いことなんじゃないかというのが記事の結論というか主張ですよね。
コミュニケーションの変化
そうですね。非常に説得力があるなぁと感じます。
単なるマナーがどうこうって話じゃなくて、その取引成立へのお互いの合意に対する感謝なんだって捉え直すと、
あのコンビニでのアルバイト時代のありがとうが何であんなに心に響いたのか、その理由もなんかより深くわかる気がしますね。
今回の考察って単にお店でのやり取りに限らず、もっと広く何ていうか日々の生活の中での感謝の気持ちについて考える良いヒントになりそうですね。
本当にそう思います。私たちは日々いろんな形で誰かのサービスとか協力によって生活しているわけじゃないですか。
その一つ一つが実は目に見えない合意の上に成り立っているとも言えるわけで、その合意の存在をちょっと意識してみるだけで、
日本のコミュニケーションとか、もしかしたら世界の見え方自体が少し変わってくるかもしれないですね。あなたはどう考えますか?