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2025-07-21 06:47

聴く!「ヘタレ人類学者、砂漠をゆく」読書会 第5回

「ヘタレ人類学者、砂漠をゆく」読書会 第5回の会議メモから生成したふりかえり用Podcastです

サマリー

今回の読書会では、文化人類学者のフィールドワークを通じて、感謝の表現や所有の感覚に関する文化的な違いが議論されています。特に、文化によるコミュニケーションの深さや、それが人間関係に与える影響が強調されています。

感謝の表現と文化
こんにちは。今回はですね、ある文化人類学者のフィールドワーク体験記、これに関する熱心な読書会の記録がありまして、それをもとにコミュニケーションとか、あと文化の奥深さについて、皆さんと一緒に探っていければなと思います。
はい。これらの記録を読むとですね、私たちが普段当たり前と思っているやり取りとかが、いかに一つじゃないかと、文化によって本当に多様な形があるんだなっていうのがよく見えてきますよね。
いや、そうなんですよね。特に、ありがとうっていう感謝の表現、それから自分のものっていう感覚、これについてなんか、これまでの常識がガラッと変わるような視点がたくさんありました。
今日の目的はですね、こういう文化ごとの認識の違いっていうのが、私たちの関係性とか、社会にどう影響しているのか、その本質の部分に迫っていきたいなと。
まず、すごく興味深かったのが、ある文化圏内では、直接ありがとうっていうのが、むしろ避けられるっていう点なんです。
記録によると、そのフィールドワーカーの方自身も、最初は感謝を言葉にできないことに、ちょっと精神的な負担を感じたみたいな。
なるほど、なるほど。記録では、その文化だと、言葉の代わりに、後日、例えばコカ・コーラみたいな、ささいなものを返すことで感謝を示すと。
そういう慣習があるって指摘されてるんですね。
即座に言葉でありがとうっていうと、関係がそこで決算されちゃう感じに対して、時間差があったり、あるいは完全に同じ価値じゃないものを交換することで、むしろ関係性が続いていくんだと、そういう考え方なんですよね。
ああ、なるほど。
日本語で言う、水虫食いっていう感覚。つまり、他人行儀はやめてよみたいな、そういうニュアンスに近いのかもしれないですね。
ああ、確かに。読書界の記録の中でも、このありがとうがないっていうのをどう解釈するか結構議論になってたみたいで。
単に表面的な習慣の違いなのか、それとも感謝っていう概念自体が根本的に違うのかみたいな、そういう問いかけがあって。
でも対照的にビジネスの場面なんかだと、相手の意見を受け止めつつ、でも反論に入る前のクッションとして、戦略的にありがとうを使うなんて話も出てましたね。
所有の感覚と人間関係
ありましたね。その使い分けみたいな。もう一つ記録で強調されてたのが、所有の感覚の違いですね。
日本的な感覚を持つ人が、現地で例えば自分の本に他の学生が当然のように書き込みをしちゃったりとか、
あるいは研修先のインドで、荷物から勝手に物を持っていかれちゃったりして、それですごく強い衝撃とか怒りを感じたっていう、そういう体験談が書いてありました。
いやー、それは私たちが持っている個人の所有物っていう意識がいかに強いか突きつけられる感じがしますね。
記録の中では、物とか行為の交換こそが関係を維持する上では重要で、必ずしもお金で生産するのが良いとは限らないみたいな議論もあって、
お年玉なんかもお金だけど特別な意味を持つ例として挙がってましたね。
そうですね。その流れで職場でのお土産文化の複雑さについてもちょっと言及がありました。
これは単に物を配るっていう行為以上に、選んだ品物とか価格帯とかが暗黙の常識とか人間関係、役職みたいな、かなりハイコンテクスト、つまり言葉にされない多くの前提とか、その場の空気に左右される文脈の中で評価されちゃうんですよね。
なるほど。
記録にはセンスがないとか安すぎるみたいな、そういう評価が下される可能性もあるって指摘されてて、非常に日本的な状況かなと。
なんかこういう文化による価値観の深い違いを理解するには、やっぱり時間がかかるんだなと。
表面的な観察だけじゃ見えなくて、ヒールドワーク中に感じた小さな違和感みたいなものを安易に解釈しないで持ち続けることが大事なんだっていう指摘は重みがありましたね。
いや本当にそうですね。異文化に深くしたる経験っていうのは、自分が無意識に持ってた正しさの基準みたいなものを相対化して、ある意味で自分自身を一度壊してみるみたいな、そういうプロセスでもあるという考察がありましたね。
必死で身につけた社会的な能力が場所が変わるともう全然役に立たないっていう、そういう現実に直面することもあると。
そういう事故の当たり前が揺さぶられる経験っていうのは、現代のコミュニケーションのあり方を考える上でもすごく資産に富んでますよね。
例えば記録の中にあったんですけど、LINEみたいな即時性の高いツールに個人的にちょっと抵抗を感じるっていう話もありました。
ありましたね。その方は別に未読無視するわけじゃないけど、1年以上やり取りがない人を整理していくうちに誰を消したか分かんなくなっちゃって。
結果的に相手にあれ、ブロックされたのかなって誤解されちゃったみたいな経験があるとか。
これも効率性とか即時性を重んじる現代的なコミュニケーションの標準とは違う個人の感覚とかペースが存在するって事を示唆してて、面白いなと思いましたね。
異文化だけじゃなくて身近なコミュニケーションにも多様な感覚があるんだなと。
いや本当ですね。今回の資料を通して感謝の伝え方一つ、物の扱い方一つをとっても文化にあって形とか意味がこれほど多様で、そして物とか行為の交換が人間関係の中でいかに複雑な役割を果たしているかっていうのが見えてきた気がします。
私たちが無意識にこうすべきだって感じているコミュニケーションの作法も、実は特定の文化的な習慣とか暗黙の了解に基づいているのかもしれないですよね。
ありがとうって言わないのは失礼だって感じる、私たちの感覚もその一つと言えるのかもしれないです。
そうですね。最後にあなた自身に問いかけてみたいと思います。
ありがとうという言葉の他にあなたの周りの人間関係とかコミュニケーションを形作っている見えないルールってどんなものがあるでしょうか。
そしてそのルールって本当にどこでも通用するものなんでしょうか。
ちょっと立ち止まって考えてみるとまた新たな発見があるかもしれないですね。
はい。
06:47

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