ビニール手袋の問題点
こんにちは。今回はですね、共有いただいたブログ記事、「ビニール手袋をしている店員の方が不潔に思える」というちょっとドキッとするタイトルなんですが、これについて深掘りしていきたいと思います。
いやー、コロナ禍を経て、まあ皆さん清潔意識ってすごく高まったと思うんですけど、この記事の筆者の方は、お店の衛生対策、特にあのビニール手袋について、うーん、少し逆説的な視点を提示してるんですよね。
そうですね。手袋したまま食品触って、その手でレジとかお金もさらってると。それ見て、あれ、かえって不潔性じゃないって感じたということみたいで。
はい。今日はこの、なんていうか、見た目の清潔さと実際の衛生の間のちょっとしたズレみたいなものを、この記事を手がかりに考えていきたいなと。
この記事で特に筆者が引っかかってる点っていうのが、食材を触った手袋を外さずに、そのままレジとかお金、冷蔵庫の取っ手とか、そういうのを触っちゃう店員さんが一定するいるっていう具体的なところなんですよね。
まさにそこが問題の確信かなと思いますね。手袋って本来は物理的なバリアになるはずなんですけど、結局交換されなければ、それに触れたもの全部の汚染を次の場所に運んでしまう一種の媒介物になってしまう。
ああ、なるほど。媒介物ですか。
そうなんです。だからこれは手袋をしているっていう、その見た目の安心感みたいなものが、逆にリスクを隠してしまう可能性もあるんじゃないかと。
確かに。手袋してるから大丈夫だろうって思っちゃいますもんね。
それで筆者の方も指摘してますけど、手袋の着脱ってやっぱりちょっと手間がかかるじゃないですか。
そうですね。毎回となると大変ですよね。
だからそんなに頻繁に交換するっていうのはオペレーション上、現実的じゃないかもしれないと。代わりに提案してるのが、手洗いなら手袋の脱着よりはるかに楽だっていうことなんですね。
手洗い。
はい。ここでの大事なコメントっていうのは、その手段、つまり手袋か素手かということよりも、食品を触る行為とそれ以外、例えばお金とかを触る行為の間にちゃんと趣旨をきれいにする、その工程が入っているかどうかっていう、そこだと思うんですよ。
なるほどなるほど。行為と行為の間の区切りとしての正常化が大事だと。
そういうことですね。
だから筆者の方は、その素度、ちゃんと手洗いをしてくれるんだったら素手でも全然構わないとまで言ってるんですね。
これあなたはどう感じますか。その手袋っていう目に見える安心感と、手洗いっていう確実かもしれないけど目には見えにくい衛生行為、どっちがより信頼できるというか。
これは非常に興味深い問いかけですよね。この問題の根っこには多分、私たち消費者側が持っている清潔さえの期待みたいなものと、一方でお店側が直面している効率的なオペレーションしなきゃいけないっていう、しばしば反する要求の間のジレンマみたいなものがあるのかもしれないですね。
あー、そのジレンマわかります。筆者の方も示唆してますけど、いや素で触らないでほしいっていう一部のお客さんの声に答える形で手袋を導入した結果、なんかかえって衛生管理のその本質みたいなところからちょっとずれちゃうみたいな、そういうちょっと皮肉な状況が生まれている可能性もあるのかなと。
見た目の清潔さと実際の衛生
うーん、皮肉ですねそれは。
えー、これって私たちが清潔さを判断するときに、いかにその見た目の情報に頼っているか、そしてそれが時としていかに不確かであるかって重点を浮きぼれにしている気がしますね。
確かにそうですね。手袋イコール清潔みたいな、すごく単純な図式で考えがちですけど、その使い方次第で全然意味が変わってくると。
そうなんです。
うーん。
今回の記事は本当に身近なビニール手袋っていう例から、見た目の印象とその実際の衛生効果のギャップについて、ちょっと立ち止まって考える良いきっかけをもらいましたね。
えー、そう思います。この見た目は清潔そうに見えるんだけど、実はみたいなパターンって、もしかしたら他の場面にも結構潜んでいるのかもしれないですよね。
あー、例えばどんなことでしょう。
例えばですけど、過剰な放送とか、あとは頻繁すぎるアルコール消毒とかも、本当にそれって効果的なのかなとか、あるいは単に心理的な安心感を満たすためだけになってないかなとか、ちょっと考えてみると面白いかもしれません。
なるほどなるほど。習慣とか見た目の安心感だけで、きっと清潔だろうって思い込んでるだけで、実は違うかもしれないと。
え、そういう視点ですね。
では最後にこれを聞いてくださっているあなたにも問いかけてみたいと思います。この見た目の清潔さと実際の効果のギャップ、私たちの身の回りで他にどんな場面に隠れていると思いますか?日常の当たり前の中にもしかしたら意外な発見があるかもしれないですね。