スピーカー 2
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から、新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は、様々なテーマで楽しみながらお届けします。
今井紀明さんをお迎えしての2回目、2本目でございます。
前回、D×Pの大阪のグリシタで、居場所がない若者を支援する団体、NPO法人を運営していらっしゃる、その活動内容について伺ってきたんですけれども、
今井さんが、このD×Pを設立するに至るまでの話、あるいはその後も含めてなんですけれども、
そのお話を今回聞いていきたいなと思うんですけど、1本目の最後に少しお話したんですが、
イラク人質事件という、あれ何年前ですか?
スピーカー 1
21年前ですね。
スピーカー 2
21年前、なるほど。
スピーカー 1
2004年。
スピーカー 2
2004年、2004年に、日本人の若者ですよね。
スピーカー 1
そうですね。18ですね。
スピーカー 3
高校卒業後。
スピーカー 1
すぐです。
スピーカー 2
まだ18歳だったんですね。
スピーカー 1
本当若かったですね、あの時は。
スピーカー 2
が、イラクでテロリストの人質になっちゃって、殺されてもおかしくないよね。
スピーカー 3
ジャーナリストの方は他2人?
スピーカー 1
1人がジャーナリストで、もう1人がNGOの方だった。
僕はNGOの高藤さんという人と一緒にいてたんですけど、
その時に、現地の武装組織に捕まったみたいな。
未だに僕、人質事件って感覚ないんですけど。
スピーカー 3
そうなんですか?
スピーカー 1
捕まったってだけで、人質の交渉にさせられてるっていう感覚は一切なかったんで。
スピーカー 2
実際どうだったんですか?
スピーカー 1
実際は多分、人質事件で交渉の材料にされてたのではないかとは思うんですけど、
よく詳しくは分からないというか、未だに結構謎が多い事件で、
おそらく何かしらの交渉とかはあったんじゃないかというのは思うんですけど、
ただ僕は自分ではその感覚はなかったのと、
あとものすごい映像が撮られたのがあったんですけど、
結構有名な首にナイフを突きつけられた映像はあったんですけど、
ただそれ以外の時の内容は結構、英語で尋問されてて
アメリカのスパイだってずっと疑われてたので、
結構僕らにとっても感覚がいまいち、
日本の報道と自分らの感覚が違うので、分かりづらいですね。
スピーカー 2
日本に対する交渉材料として人質に取られたとかじゃなくて、
アメリカのスパイだと思われてたっていう。
スピーカー 1
それはかなり聞かれました。
しかも英語で尋問されてたので、7回尋問されてるんですけど。
スピーカー 2
そもそも今井さんはなぜイラサイで18歳に行ったんですか?
高校卒業して。
大学はその時は行ってないですよね?
スピーカー 1
行ってないです。僕は札幌出身なんですけど、
NGOを作ってて高校時代に。
スピーカー 2
もう学生だから?
スピーカー 1
そうですね。イラクの医療物資みたいなのを寄付集めて支援しようみたいなところでやってたんですけど、
やっぱり自分でちゃんと伝えたいなと思って行きたいと思い始めて、
海外の大学行きたかったんですけど、
それだと時期が違うんで、
まずは現地に行ってみようというところで入った時に、
その時は日本人のジャネストもいっぱいいた時期だったんですけど、
僕らの事件が初めて、あの時の人質事件の始まりになって、
というのが始まりでしたね。
スピーカー 3
NGO、他のNGO団体の方とも一緒だったってことなんですけど、
そこと一緒に現地に?
スピーカー 1
一緒に行ってみて伝えたいと思って海外に行ったような感じでしたね。
スピーカー 3
じゃあその現地に行ったの、前さん自身は初めて?
スピーカー 1
そうですね。NGOの方は何度も行ってました。
スピーカー 2
でもどれくらいそれが危険かとか、
そういうことってどのくらいの認識をして行ったんですか?
もちろんだから危険だというところはやってましたし、
スピーカー 1
もちろん死ぬかもしれないよというところは伝えられていたんですけど、
ただその状況をちゃんと伝えたいということがあったりとか、
当時はフリーのジャーナリストが入って、
ちゃんと現地のことを伝えるというところが、
特に主要な放送局とかNHKとかいなかったので、
だからそれで入らせていただいたみたいなところは最初ありましたね。
ただそれが事件になったというところで、
本当に多くの方にご迷惑をおかけした部分はあるんですけど、
スピーカー 1
なんとかそこでたまたま僕らは生き残ったというのがありました。
スピーカー 2
それ、突然というか分からないですけど、
どういう状況で捕まった?
スピーカー 1
それがですね、陸路で入るんですけど、
陸路で入ってそれでファルジャーっていうバグダットの首都の手前の街で、
給油をしているとき、ガソリンスタンドのときに、
給油スタンドのところで給油しようと思ったら、
ロケットランチャーを担いだ兵士が遠目に見えて、
で、あと人の左にサブマシンガーを持った兵士が騒いで、
車動かせみたいな形のことを言っているというのがアラビア語だったんですけど、
アラビア語だったんですけど、それでナオコが気がついて、
それで行ったら軍障と兵士に囲まれて捕まったみたいな。
スピーカー 2
何日間ぐらいですか?
全部で9日間ですね。
日本にはすぐ報道されたわけですかね?
スピーカー 1
そうですね。僕らはその報道知らないんですけど、
振り返ってみたものすぐ報道されてっていうのがあって、
それで…
スピーカー 2
その武装組織は撮影をして、
それを現地のテレビとかで放送したってことですか?
スピーカー 1
そうですね。詳しくは分からないですけど、
それが日本に流れていたのが次の日だったと思いますね。
それは後々事故を知ったんですけど、もちろんですけど。
スピーカー 3
その後、拉致された時っていうのは、
他の国のNGOの人とかジャーナリストとかもいたんですか?
スピーカー 1
僕らの事件が始まりで、その後どんどん捕まっていったんですよ。
多分ね、すごい数捕まってて。
生き残った人もいれば、本当に亡くなっている方も何人もいるみたいな。
ものすごい数だったと思います。
スピーカー 2
それはやっぱり9日間の中で、
命の危険を感じるようなこともありましたか?
スピーカー 1
それは1日目と2日目は死ぬだろうというのを思ってたんで。
銃を突きつけられてずっと尋問だったんで。
スピーカー 2
何を聞かれるんですか?
スピーカー 1
アメリカのスマイルとか。
あとは何で来たのとか、どういう活動をしているのかとか、
何の目的に来たのかとか、そういうのを聞かれるみたいな形だったんですけど。
ただ3日目以降から急に待遇が変わったんで、
もしかしたらこれはワンチャン生き残れるかもしれないみたいな。
スピーカー 3
3日目から?
待遇が変わったっていうのは、場所が?
スピーカー 1
場所も何回も移動してるんですけど、
明らかに場所のところがきれいになったのと、
あと360度砂漠しか見えない一軒家みたいなところだったんですけど、
急に食べ物の内容も変わって、
これまでは地面に置かれた、それでもまだ良かったと思うんですけど、
食べ物みたいな、食べ物というかあったんですけど、
2日目から急にタンドリーチキンが運ばれるみたいな。
スピーカー 3
ちゃんと食事になったんですか?
スピーカー 1
ちゃんとした食事っぽくなってきて、
しかも毎回味が変えてもらってるんですよ。
だから急に待遇が変わったなみたいになってきて。
だから多分、これは生き残れる可能性が高くなってきたんじゃないかっていうので、
思ってたってところが3日目からですかね。
3日目からね。
急にそうなって、話しやすくなった。
他に捕まったお二人の日本人の方と、場所はずっと一緒だったんですか?
スピーカー 1
1日目、2日目もだいたい一緒だったと、ほぼ一緒だったと思う。
3日目からは完全に一緒ですね。
そうなんですね。
スピーカー 2
9日目に、
スピーカー 1
モスクで解放された。
スピーカー 2
それはもう、そこに取り残されるっていうような形ですか?
スピーカー 1
目の前にもう、その時にテレビカメラとモスクの宗教主導者がいて、急に解放されたみたいな。
スピーカー 2
テレビカメラというのは現地の?
日テレでした。
スピーカー 1
だからそれも、すごい今考えてみると不思議なんですけど、
すごい批判された映像を撮られてて僕らって、
スピーカー 1
解放された直後でよく分からない状況の時に、
まだイラクに残りたいって言葉が、高戸さんの言葉がものすごい批判招いたんですけど、
ただ当時僕らからすると、あの時どうなってるのか分からなくて、
その場で解放されたのかみたいなので、ずっと撮られてたみたいな。
宗教主導者の前でもあったがいて、
とりあえず大使館の人が来るまでは、
本当に解放されたのか全然分からなかったんで、
とりあえず半信半疑でずっと待ってたみたいなのがしばらくあったんですね。
スピーカー 2
その武装組織と大使館との間で、解放するよってやりとりがあったってことなんですかね?
スピーカー 1
おそらく。ただなんかいろんな関係者の話聞いてると、
当然日本政府は動いてくださって、それはすごいありがたいことだと思いますし、
本当にご迷惑おかけしたと思うんですけど、ただよく分からないですね。
誰がどう動いたのかって、ちゃんと振り返ってみないと分からない事件だなと思ってますし、
あとすごい思うのは、デマも多かった事件なんですよね。
例えば自作自演説っていうのが出てて、
自己責任が特にあの時話題になった話なんですけど、
自作自演説みたいなのが出てて、僕らがあの事件を仕組んだみたいな。
スピーカー 2
どういう事やねん。
スピーカー 3
それは何のために?
スピーカー 1
でもテレビにも報道されてたりとか、新聞も雑誌も出てたんで。
スピーカー 2
売名行為じゃないかみたいなね。
でももし今だったらさ、モットーXとかでさ、いろんな説が流れそうですよね。
スピーカー 1
よく分かんなかった。当時ですら意味分かんなかったんだよ。
スピーカー 2
全然だってね、何が起きてるか分かんない中で、
でも私たちもさ、ただニュースで見るだけだから、何もよく分かってないですよ。
よく分からない私も見て、まさにさっき自己責任っておっしゃいましたけど、
何でこんな危険なところにね、危険だって分かってるところに行って捕まって、
どういう風に誰に迷惑をかけたかとかはよく知らないけど、
でも何かいろんな人がこれを解放するために、
放送して身の白金とか払ったりするのかなとか、
いろいろちょっと何か、何て無責任なみんなに迷惑をかける人たちだろうって感じた。
よく知らないからね。知らないよ。
スピーカー 3
私もさ、すごいはっきりと覚えてるわけではないけど、
でも例えばさ、戦争ジャーナリストとか戦争カメラマンとかいて、
常にそういう危険な場、例えば国境なき死難とかもそうだけど、
いろんなところで活動してる人たちがいて、それを伝える人たちがいるわけって、
だから知ることができるわけだから、
何ていうの、そこに行くことそのものを批判するのがよく分かんないっていうか、
そういう人たちが必要なわけで、大多数の人はそんなリスクを犯せないし、
行けないのに、何でこんなに怒ってんだろうみたいな感じの気持ちの方が、
スピーカー 1
えげつないぐらい知られてて。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
事件から8年たってまで知られてて、
例えば僕大阪に移ったのが2010年とかなんですけど、
消費者で働いたんですけど、社会復帰して。
その後とかも、大阪に住み始めて、
大阪駅あるじゃないですか、
おばあちゃんがずっと僕の歩いてる姿をこうやって座って見てるんですよ。
そして、僕がさまたまこうやって通ってたときに、
言われたのが、あ、人質やって言われてて。
おばあちゃんよく覚えてるな、みたいな。
あの時のあの子やろう、みたいな。
ただそれぐらい覚えられてて、
だからもっとね、事件から3,4年とかもえげつないぐらい覚えられてて、
どこ行っても言われるんで、それがすごい嫌だったですね。
スピーカー 3
そうですね、本当に対人恐怖症になりますね。
いやー、だからなんかしばらく義命で生活したりとか、
スピーカー 1
大学でも、だから大学の友達とかも、
なんかこいつおかしな奴だなと思われたと思うんですけど、
すごいその、きつかったですね、当時は。
スピーカー 2
あの、NGOをそもそもね、高校生の頃に作ったっておっしゃいましたよね。
そもそも高校生でNGO作んないと思うんですけど、
普通はね、あんまりないと思うんですけどね。
うん、あんまりないかも。
スピーカー 3
なんのためのNGO?
スピーカー 2
でもなんか、子ども支援に関わりたいのは、もう16から思ってるんで。
スピーカー 1
何か、なぜ子どもの支援?まだ自分も若い時に。
スピーカー 2
いや、なんか911のテロがあったのが、ちょうど高1なんですよね。
スピーカー 1
はいはいはい。
2001年の、2つビルが消えちゃった、ワールドトレードセンターがなくなっちゃったみたいな。
その1ヶ月後に、アフガニスタンでアメリカ軍が空爆した事件があって、
タリバンっていう勢力を潰そうみたいな。
その時に結構、子どもたちが関係ないように亡くなっている姿を見た時に、
結構、これは何かおかしいんじゃないかみたいな。
国際法にも反してるし、おかしいんじゃないかみたいなところで、
最初動き始めたのが、関心を持ち始めたのが高1だった。
スピーカー 2
高校生でさ、確かに911は衝撃的な事件ではありましたけど、
でも同世代の人たちがみんな同じように思うわけじゃないと思うんだけれども、
もともとそういう海外のことだったりとか、
子どもの生活とか、そういう国際的なことだったりとか、
子どもの生活とか、そういうことに対する関心は。
スピーカー 1
なかったです。
スピーカー 2
突然生まれたんですね。
スピーカー 1
突然生まれていった感じでしたね。
突然というかですね、中学時代は水素学部で、
全国大会とか行ってるぐらいの大会だったんですけど、
関心なかったんですけど、中学卒業する手前で受験とかする時に、
NGOの集まりみたいなのが地域であったんですよ。
それで聞いてる時に関心を持ち始めたっていう前段階のものがあるんですけど、
そこから関心を持ち始めたのがあったんですけど、
911はテロの後から急にでしたね。
とにかくそれで関心を持って、自分でボランティアに行ったりとか、
うちの父親と声が似てたんで、
「森明は休みます。」って言って休んで、
特段に高モードとか、いろいろバイトを勝手にしてみたりとか、
結構やってましたね、本当。
スピーカー 2
ボランティアに行くとか、大人がやってる活動に参加するぐらいのことは想像がつくんですけど、
自分でNGOを作るっていう行動って、なかなか高校生でね、
何をしたらいいかもわかんないし、そこまでのアクション、
あるいは大学生になってからでいいじゃんとか、
そういう考え方もあると思うんですけど、
もう待ってられないみたいな感じだったんですか?
スピーカー 1
そうですね。行き急いで。
スピーカー 2
まあ威力もいっちゃうしね。
スピーカー 1
ちょっと行き急いでた感覚はありますね。
スピーカー 2
なんか使命感みたいな感じのものを感じますけど。
スピーカー 1
今でも何か一定程度あると思うんですけど、
本当にあの当時は自分たちが何とかしなければいけないみたいな感覚とかはすごいあって、
だから何か札幌に住んでましたけど、
関東に行っていろんな研究者との話を聞きに行くとか、
高校生とか。
高校生の環境フォーラムみたいなのを、
慶応の高校生と早稲田の高校生と一緒にやるとか、
気候変動の問題に対して何か動くとか、
幅広く何かやってましたね。
スピーカー 2
それはご両親だったりとか先生だったりとか、
スピーカー 1
関係ないですね。
スピーカー 2
全然そういう影響は何もないんですか?
スピーカー 1
自分たちの両親の影響はないですね。
どちらかというと共働きであんまりいなかったんで。
ばあちゃんの影響とかは全然違う面でありますけど、
社会問題とかの話す感じではそんなになかったので。
スピーカー 2
それを共有できる友人とか。
スピーカー 1
いなかったんで、公立してました。
だから結構悩んでました、ずっとそこは。
スピーカー 3
なるほどね。
でもすごく話し掛かっていると、
小岩さんの中で、これをやらなきゃって思ったら、
もうそれはやるしかないっていう行動になる感じなんですね。
スピーカー 1
そうですね。今は家族もいるので、
さすがにブレーキ貸せるときはブレーキやってますけど、
子どもたちもいるんで。
ただやっぱり元々というかそういう気象は強いですね。
現場に行ってみて、何かできることはないかっていうのをやるし、
地域でも同じですね。
住んでいる地域の課題を見ると、どうしたらいいかなと考えるとか。
スピーカー 2
なるほど。
大学には大学後卒業されてますけど、
高校卒業してすぐのタイミングでは、
大学受験とか大学進学っていうのは考えなかったんですか?
スピーカー 3
海外行ってね、さっき。
スピーカー 2
そうか、海外に行こうと思ってたのか。
スピーカー 1
そうなんです。ブラッドフォード大学っていうところに行きたかったんですけど、
英語学を学びに行きたかったんですけど、
受験後全然やっぱりダメだったんですよね。
語学学校も行ってて、英語は一定程度しゃべれるようになったんですけど、
このままだと自分が問題解決できないなと思って日本に帰ってきて、
実は今ちょうど帰っての途中なんですけど、
当時批判の手紙が大量に来てたので、
自分の先進的に回復するために、
この批判の手紙を送った人たちに会いに行こうと思って。
スピーカー 3
ちなみにインタビュー記事で読みました。
スピーカー 1
最近出ました。