1. Dialogue cafe
  2. #77-2 イラクで武装組織の人質..
2025-02-19 39:32

#77-2 イラクで武装組織の人質になった彼が、なぜ今、若者を支援するのか【孤立する10代に寄り添う ゲスト:NPO法人D×P理事長 今井紀明さん】

▼番組のnote:
Dialogue cafe | note

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▼内容:
18歳、イラク人質事件の当事者に/なぜイラクに行ったのか/突然の拉致、緊迫の9日間/英雄?無責任?自作自演?/殺到した批判とPTSDの苦しみ/子どもを支援したい気持ちは16歳から/高校生でNGO設立/課題を見ると止められない衝動/自分を批判する人に自ら会いに行く/どうやって社会復帰したか/友だちの友だちまでは自由に泊まっていい家「モジャーハウス」/現代の若者の課題を知り再び社会起業家へ

▼出演:
ゲスト
今井紀明さん(認定NPO法人D×P 理事長、2児の父)
認定NPO法人D×P(ディーピー)

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、1児の母)
岡澤陽子(ブランドコンサルタント、戦略リサーチャー、ビジネスメンター、2児の母)


▼関連エピソード:
#12-1 少子化対策の切り札!?親子と社会を支える産後ケア
#21-1 東大卒、元劇団四季、そしてゲイ!薫ちゃんが薫ちゃんを認めるまで
#51-2 いじめや無気力が原因とは限らない。なぜ学校に行けないのか?
#51-3 トラウマは医療で完治する。医学が癒す心の傷
#75-2 もしも全人類が家族なら。世界平和は「めんどくさい」対話の先にある

サマリー

今井紀明氏は、イラクでの人質事件を経てD×Pを立ち上げ、孤立する若者を支援する理由について語ります。彼の経験は、若者とのつながりや支援の重要性を強調し、社会へのメッセージを伝えています。彼はイラクでの人質経験から得た教訓をもとに、若者に対する支援活動に取り組んでいます。自身の過去の苦悩を話し、特に若い世代の孤立感を理解し、その支援の重要性を訴えています。今井氏は、イラクでの武装組織による人質経験を通じて得た教訓を活かし、社会的支援の必要性を感じるようになりました。彼は若者の問題に取り組むNPO法人D×Pを運営し、孤立する10代を支える活動を展開しています。今井氏は、イラクでの人質経験を経て若者支援のために自身のNPOを設立し、現在は不登校や進路未決定という課題を抱えた若者たちをサポートしています。

人質事件の回想
スピーカー 2
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から、新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は、様々なテーマで楽しみながらお届けします。
今井紀明さんをお迎えしての2回目、2本目でございます。
前回、D×Pの大阪のグリシタで、居場所がない若者を支援する団体、NPO法人を運営していらっしゃる、その活動内容について伺ってきたんですけれども、
今井さんが、このD×Pを設立するに至るまでの話、あるいはその後も含めてなんですけれども、
そのお話を今回聞いていきたいなと思うんですけど、1本目の最後に少しお話したんですが、
イラク人質事件という、あれ何年前ですか?
スピーカー 1
21年前ですね。
スピーカー 2
21年前、なるほど。
スピーカー 1
2004年。
スピーカー 2
2004年、2004年に、日本人の若者ですよね。
スピーカー 1
そうですね。18ですね。
スピーカー 3
高校卒業後。
スピーカー 1
すぐです。
スピーカー 2
まだ18歳だったんですね。
スピーカー 1
本当若かったですね、あの時は。
スピーカー 2
が、イラクでテロリストの人質になっちゃって、殺されてもおかしくないよね。
スピーカー 3
ジャーナリストの方は他2人?
スピーカー 1
1人がジャーナリストで、もう1人がNGOの方だった。
僕はNGOの高藤さんという人と一緒にいてたんですけど、
その時に、現地の武装組織に捕まったみたいな。
未だに僕、人質事件って感覚ないんですけど。
スピーカー 3
そうなんですか?
スピーカー 1
捕まったってだけで、人質の交渉にさせられてるっていう感覚は一切なかったんで。
スピーカー 2
実際どうだったんですか?
スピーカー 1
実際は多分、人質事件で交渉の材料にされてたのではないかとは思うんですけど、
よく詳しくは分からないというか、未だに結構謎が多い事件で、
おそらく何かしらの交渉とかはあったんじゃないかというのは思うんですけど、
ただ僕は自分ではその感覚はなかったのと、
あとものすごい映像が撮られたのがあったんですけど、
結構有名な首にナイフを突きつけられた映像はあったんですけど、
ただそれ以外の時の内容は結構、英語で尋問されてて
アメリカのスパイだってずっと疑われてたので、
結構僕らにとっても感覚がいまいち、
日本の報道と自分らの感覚が違うので、分かりづらいですね。
スピーカー 2
日本に対する交渉材料として人質に取られたとかじゃなくて、
アメリカのスパイだと思われてたっていう。
スピーカー 1
それはかなり聞かれました。
しかも英語で尋問されてたので、7回尋問されてるんですけど。
スピーカー 2
そもそも今井さんはなぜイラサイで18歳に行ったんですか?
高校卒業して。
大学はその時は行ってないですよね?
スピーカー 1
行ってないです。僕は札幌出身なんですけど、
NGOを作ってて高校時代に。
スピーカー 2
もう学生だから?
スピーカー 1
そうですね。イラクの医療物資みたいなのを寄付集めて支援しようみたいなところでやってたんですけど、
やっぱり自分でちゃんと伝えたいなと思って行きたいと思い始めて、
海外の大学行きたかったんですけど、
それだと時期が違うんで、
まずは現地に行ってみようというところで入った時に、
その時は日本人のジャネストもいっぱいいた時期だったんですけど、
僕らの事件が初めて、あの時の人質事件の始まりになって、
というのが始まりでしたね。
スピーカー 3
NGO、他のNGO団体の方とも一緒だったってことなんですけど、
そこと一緒に現地に?
スピーカー 1
一緒に行ってみて伝えたいと思って海外に行ったような感じでしたね。
スピーカー 3
じゃあその現地に行ったの、前さん自身は初めて?
スピーカー 1
そうですね。NGOの方は何度も行ってました。
スピーカー 2
でもどれくらいそれが危険かとか、
そういうことってどのくらいの認識をして行ったんですか?
もちろんだから危険だというところはやってましたし、
スピーカー 1
もちろん死ぬかもしれないよというところは伝えられていたんですけど、
ただその状況をちゃんと伝えたいということがあったりとか、
当時はフリーのジャーナリストが入って、
ちゃんと現地のことを伝えるというところが、
特に主要な放送局とかNHKとかいなかったので、
だからそれで入らせていただいたみたいなところは最初ありましたね。
ただそれが事件になったというところで、
本当に多くの方にご迷惑をおかけした部分はあるんですけど、
支援活動の目的
スピーカー 1
なんとかそこでたまたま僕らは生き残ったというのがありました。
スピーカー 2
それ、突然というか分からないですけど、
どういう状況で捕まった?
スピーカー 1
それがですね、陸路で入るんですけど、
陸路で入ってそれでファルジャーっていうバグダットの首都の手前の街で、
給油をしているとき、ガソリンスタンドのときに、
給油スタンドのところで給油しようと思ったら、
ロケットランチャーを担いだ兵士が遠目に見えて、
で、あと人の左にサブマシンガーを持った兵士が騒いで、
車動かせみたいな形のことを言っているというのがアラビア語だったんですけど、
アラビア語だったんですけど、それでナオコが気がついて、
それで行ったら軍障と兵士に囲まれて捕まったみたいな。
スピーカー 2
何日間ぐらいですか?
全部で9日間ですね。
日本にはすぐ報道されたわけですかね?
スピーカー 1
そうですね。僕らはその報道知らないんですけど、
振り返ってみたものすぐ報道されてっていうのがあって、
それで…
スピーカー 2
その武装組織は撮影をして、
それを現地のテレビとかで放送したってことですか?
スピーカー 1
そうですね。詳しくは分からないですけど、
それが日本に流れていたのが次の日だったと思いますね。
それは後々事故を知ったんですけど、もちろんですけど。
スピーカー 3
その後、拉致された時っていうのは、
他の国のNGOの人とかジャーナリストとかもいたんですか?
スピーカー 1
僕らの事件が始まりで、その後どんどん捕まっていったんですよ。
多分ね、すごい数捕まってて。
生き残った人もいれば、本当に亡くなっている方も何人もいるみたいな。
ものすごい数だったと思います。
スピーカー 2
それはやっぱり9日間の中で、
命の危険を感じるようなこともありましたか?
スピーカー 1
それは1日目と2日目は死ぬだろうというのを思ってたんで。
銃を突きつけられてずっと尋問だったんで。
スピーカー 2
何を聞かれるんですか?
スピーカー 1
アメリカのスマイルとか。
あとは何で来たのとか、どういう活動をしているのかとか、
何の目的に来たのかとか、そういうのを聞かれるみたいな形だったんですけど。
ただ3日目以降から急に待遇が変わったんで、
もしかしたらこれはワンチャン生き残れるかもしれないみたいな。
スピーカー 3
3日目から?
待遇が変わったっていうのは、場所が?
スピーカー 1
場所も何回も移動してるんですけど、
明らかに場所のところがきれいになったのと、
あと360度砂漠しか見えない一軒家みたいなところだったんですけど、
急に食べ物の内容も変わって、
これまでは地面に置かれた、それでもまだ良かったと思うんですけど、
食べ物みたいな、食べ物というかあったんですけど、
2日目から急にタンドリーチキンが運ばれるみたいな。
スピーカー 3
ちゃんと食事になったんですか?
スピーカー 1
ちゃんとした食事っぽくなってきて、
しかも毎回味が変えてもらってるんですよ。
だから急に待遇が変わったなみたいになってきて。
だから多分、これは生き残れる可能性が高くなってきたんじゃないかっていうので、
思ってたってところが3日目からですかね。
3日目からね。
急にそうなって、話しやすくなった。
他に捕まったお二人の日本人の方と、場所はずっと一緒だったんですか?
スピーカー 1
1日目、2日目もだいたい一緒だったと、ほぼ一緒だったと思う。
3日目からは完全に一緒ですね。
そうなんですね。
スピーカー 2
9日目に、
スピーカー 1
モスクで解放された。
スピーカー 2
それはもう、そこに取り残されるっていうような形ですか?
スピーカー 1
目の前にもう、その時にテレビカメラとモスクの宗教主導者がいて、急に解放されたみたいな。
スピーカー 2
テレビカメラというのは現地の?
日テレでした。
スピーカー 1
だからそれも、すごい今考えてみると不思議なんですけど、
すごい批判された映像を撮られてて僕らって、
社会へのメッセージ
スピーカー 1
解放された直後でよく分からない状況の時に、
まだイラクに残りたいって言葉が、高戸さんの言葉がものすごい批判招いたんですけど、
ただ当時僕らからすると、あの時どうなってるのか分からなくて、
その場で解放されたのかみたいなので、ずっと撮られてたみたいな。
宗教主導者の前でもあったがいて、
とりあえず大使館の人が来るまでは、
本当に解放されたのか全然分からなかったんで、
とりあえず半信半疑でずっと待ってたみたいなのがしばらくあったんですね。
スピーカー 2
その武装組織と大使館との間で、解放するよってやりとりがあったってことなんですかね?
スピーカー 1
おそらく。ただなんかいろんな関係者の話聞いてると、
当然日本政府は動いてくださって、それはすごいありがたいことだと思いますし、
本当にご迷惑おかけしたと思うんですけど、ただよく分からないですね。
誰がどう動いたのかって、ちゃんと振り返ってみないと分からない事件だなと思ってますし、
あとすごい思うのは、デマも多かった事件なんですよね。
例えば自作自演説っていうのが出てて、
自己責任が特にあの時話題になった話なんですけど、
自作自演説みたいなのが出てて、僕らがあの事件を仕組んだみたいな。
スピーカー 2
どういう事やねん。
スピーカー 3
それは何のために?
スピーカー 1
でもテレビにも報道されてたりとか、新聞も雑誌も出てたんで。
スピーカー 2
売名行為じゃないかみたいなね。
でももし今だったらさ、モットーXとかでさ、いろんな説が流れそうですよね。
スピーカー 1
よく分かんなかった。当時ですら意味分かんなかったんだよ。
スピーカー 2
全然だってね、何が起きてるか分かんない中で、
でも私たちもさ、ただニュースで見るだけだから、何もよく分かってないですよ。
よく分からない私も見て、まさにさっき自己責任っておっしゃいましたけど、
何でこんな危険なところにね、危険だって分かってるところに行って捕まって、
どういう風に誰に迷惑をかけたかとかはよく知らないけど、
でも何かいろんな人がこれを解放するために、
放送して身の白金とか払ったりするのかなとか、
いろいろちょっと何か、何て無責任なみんなに迷惑をかける人たちだろうって感じた。
よく知らないからね。知らないよ。
スピーカー 3
私もさ、すごいはっきりと覚えてるわけではないけど、
でも例えばさ、戦争ジャーナリストとか戦争カメラマンとかいて、
常にそういう危険な場、例えば国境なき死難とかもそうだけど、
いろんなところで活動してる人たちがいて、それを伝える人たちがいるわけって、
だから知ることができるわけだから、
何ていうの、そこに行くことそのものを批判するのがよく分かんないっていうか、
そういう人たちが必要なわけで、大多数の人はそんなリスクを犯せないし、
行けないのに、何でこんなに怒ってんだろうみたいな感じの気持ちの方が、
イラクでの人質経験
スピーカー 3
何か強かった気がします。ニュースを見てる側として。
スピーカー 1
ただ僕の個人的な意見からすると、
僕何もしてこなかったんですよね。
本当についてすぐぐらい。
ついてすぐぐらいに捕まっていてて、
お二人というかフリーの方、ジャーナリストの人と、
高戸さんは結構これまでの実績もある方だったので、
個人的には批判されて、ある種当然というところは結構あって、
何でかというと何もやってきてないっていうのはあったんですけど、
ただ個人的な感覚ですごいあったのは、
めちゃくちゃ褒められるんですよ。
誰に?
今井くんはよくやったとかよく言ったみたいな。
よく言ったって言われてるのはありがたいんですけど、
当時って覚えてますかね、
自己責任論でものすごい対立してたんです。
で、ある種、
ものすごい行ってきてちゃんと報道しようというか、
しようと思った今井くんは英雄というか、
すごいなみたいな感じで言われるのもすごい違和感だったし、
何もしてきてへんけどみたいな。
でもとはいえデマで批判されることもあるみたいな。
結構殴られたりとかもしたことがある。
僕顔が特徴的でめちゃくちゃ覚えられやすいんですよ。
スピーカー 2
だからそれで路上で殴られるみたいな。
スピーカー 1
スマップ並みに知られたんですよね、顔が。
お前あの時の妹だろうみたいな。
スピーカー 2
名前も18歳だったけど、
別に犯罪者じゃないもんね。
人質だから名前も出ちゃうと。
スピーカー 1
だから住所も公開されちゃって、
新聞に。
スピーカー 3
新聞に?なんで住所が出るんですか?
スピーカー 1
だからそれもある新聞社が公開してしまって。
スピーカー 3
なんてこと?大手の新聞?
スピーカー 1
大手です。
なんで住所を書くの?
スピーカー 3
それが出てるんです。
スピーカー 1
それで手紙とか電話とか、
警察がうちの家をガードするくらいになって。
それも警察の方々には逆に感謝でしかないんですけど、
あの時警察の方がいなかったらやばかったと思うんで。
スピーカー 2
当時は札幌に住んでた時?
スピーカー 1
そうです。
だから家もカーテンをずっと閉めて生活するみたいな。
スピーカー 3
ご両親はどういう反応だったの?
スピーカー 1
それはもう帰ってきてよかったなっていうのはもちろんですけど、
ただうちの兄貴とかは仕事を失ったので、
だからもう兄貴との関係性のもう一回作り直すのは10年くらいかかってるんで。
スピーカー 2
それはもうお兄さんも批判の対象になったってことですか?
弟がそうだったから。
スピーカー 1
そういうのもありましたし。
で、首になったってこと?
仕事辞めちゃって、言いづらくなったこともあったんで、
本当に大変だったですね。
てか非常に申し訳なかったですね、やっぱりね。
僕自身はやっぱり体準恐怖症とか、
事件の直後で引きこもりパニック障害とか、
打つとかも、それだけでも4,5年経験してるので、
だからなかなか大変だった時期が長かったみたいなのはありったので、
まあすごい、今考えてみるとよく生き残れたなっていうのは。
スピーカー 2
まあね、そうそう、生きてたことは本当に。
スピーカー 3
そのなんか、人質になってるところもそうなんだけれども、
帰ってからのその期間の中で、
よく生き残ったなっていう感じが。
スピーカー 2
確かにね。
その引きこもってた期間がどれくらいあるんですか?
スピーカー 1
引きこもり自体は、都度都度って感じで、
半年とか1年とかっていうのが、5年間の中で2回あるのかな?
ぐらいあるんですけど、
まあそれ以外はやっぱり打つとかPTSDとかの方が強かったですからね。
パニックとか。
基本やっぱりすごい打つだったですね、今振り返ると。
スピーカー 2
それは帰ってきてからのことに対する影響で、
そういうメンタルになっちゃうのか、
それともその人質になったことそのものの、
どっちとも言えない?
スピーカー 1
どっちもなんですけど、
ただどちらかというと帰ってきた後の方が地獄だったので、
顔がすごかったんですよ、知られてるのが。
支援活動の始まり
スピーカー 1
えげつないぐらい知られてて。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
事件から8年たってまで知られてて、
例えば僕大阪に移ったのが2010年とかなんですけど、
消費者で働いたんですけど、社会復帰して。
その後とかも、大阪に住み始めて、
大阪駅あるじゃないですか、
おばあちゃんがずっと僕の歩いてる姿をこうやって座って見てるんですよ。
そして、僕がさまたまこうやって通ってたときに、
言われたのが、あ、人質やって言われてて。
おばあちゃんよく覚えてるな、みたいな。
あの時のあの子やろう、みたいな。
ただそれぐらい覚えられてて、
だからもっとね、事件から3,4年とかもえげつないぐらい覚えられてて、
どこ行っても言われるんで、それがすごい嫌だったですね。
スピーカー 3
そうですね、本当に対人恐怖症になりますね。
いやー、だからなんかしばらく義命で生活したりとか、
スピーカー 1
大学でも、だから大学の友達とかも、
なんかこいつおかしな奴だなと思われたと思うんですけど、
すごいその、きつかったですね、当時は。
スピーカー 2
あの、NGOをそもそもね、高校生の頃に作ったっておっしゃいましたよね。
そもそも高校生でNGO作んないと思うんですけど、
普通はね、あんまりないと思うんですけどね。
うん、あんまりないかも。
スピーカー 3
なんのためのNGO?
スピーカー 2
でもなんか、子ども支援に関わりたいのは、もう16から思ってるんで。
スピーカー 1
何か、なぜ子どもの支援?まだ自分も若い時に。
スピーカー 2
いや、なんか911のテロがあったのが、ちょうど高1なんですよね。
スピーカー 1
はいはいはい。
2001年の、2つビルが消えちゃった、ワールドトレードセンターがなくなっちゃったみたいな。
その1ヶ月後に、アフガニスタンでアメリカ軍が空爆した事件があって、
タリバンっていう勢力を潰そうみたいな。
その時に結構、子どもたちが関係ないように亡くなっている姿を見た時に、
結構、これは何かおかしいんじゃないかみたいな。
国際法にも反してるし、おかしいんじゃないかみたいなところで、
最初動き始めたのが、関心を持ち始めたのが高1だった。
スピーカー 2
高校生でさ、確かに911は衝撃的な事件ではありましたけど、
でも同世代の人たちがみんな同じように思うわけじゃないと思うんだけれども、
もともとそういう海外のことだったりとか、
子どもの生活とか、そういう国際的なことだったりとか、
子どもの生活とか、そういうことに対する関心は。
スピーカー 1
なかったです。
スピーカー 2
突然生まれたんですね。
スピーカー 1
突然生まれていった感じでしたね。
突然というかですね、中学時代は水素学部で、
全国大会とか行ってるぐらいの大会だったんですけど、
関心なかったんですけど、中学卒業する手前で受験とかする時に、
NGOの集まりみたいなのが地域であったんですよ。
それで聞いてる時に関心を持ち始めたっていう前段階のものがあるんですけど、
そこから関心を持ち始めたのがあったんですけど、
911はテロの後から急にでしたね。
とにかくそれで関心を持って、自分でボランティアに行ったりとか、
うちの父親と声が似てたんで、
「森明は休みます。」って言って休んで、
特段に高モードとか、いろいろバイトを勝手にしてみたりとか、
結構やってましたね、本当。
スピーカー 2
ボランティアに行くとか、大人がやってる活動に参加するぐらいのことは想像がつくんですけど、
自分でNGOを作るっていう行動って、なかなか高校生でね、
何をしたらいいかもわかんないし、そこまでのアクション、
あるいは大学生になってからでいいじゃんとか、
そういう考え方もあると思うんですけど、
もう待ってられないみたいな感じだったんですか?
スピーカー 1
そうですね。行き急いで。
スピーカー 2
まあ威力もいっちゃうしね。
スピーカー 1
ちょっと行き急いでた感覚はありますね。
スピーカー 2
なんか使命感みたいな感じのものを感じますけど。
スピーカー 1
今でも何か一定程度あると思うんですけど、
本当にあの当時は自分たちが何とかしなければいけないみたいな感覚とかはすごいあって、
だから何か札幌に住んでましたけど、
関東に行っていろんな研究者との話を聞きに行くとか、
高校生とか。
高校生の環境フォーラムみたいなのを、
慶応の高校生と早稲田の高校生と一緒にやるとか、
気候変動の問題に対して何か動くとか、
幅広く何かやってましたね。
スピーカー 2
それはご両親だったりとか先生だったりとか、
スピーカー 1
関係ないですね。
スピーカー 2
全然そういう影響は何もないんですか?
スピーカー 1
自分たちの両親の影響はないですね。
どちらかというと共働きであんまりいなかったんで。
ばあちゃんの影響とかは全然違う面でありますけど、
社会問題とかの話す感じではそんなになかったので。
スピーカー 2
それを共有できる友人とか。
スピーカー 1
いなかったんで、公立してました。
だから結構悩んでました、ずっとそこは。
スピーカー 3
なるほどね。
でもすごく話し掛かっていると、
小岩さんの中で、これをやらなきゃって思ったら、
もうそれはやるしかないっていう行動になる感じなんですね。
スピーカー 1
そうですね。今は家族もいるので、
さすがにブレーキ貸せるときはブレーキやってますけど、
子どもたちもいるんで。
ただやっぱり元々というかそういう気象は強いですね。
現場に行ってみて、何かできることはないかっていうのをやるし、
地域でも同じですね。
住んでいる地域の課題を見ると、どうしたらいいかなと考えるとか。
スピーカー 2
なるほど。
大学には大学後卒業されてますけど、
高校卒業してすぐのタイミングでは、
大学受験とか大学進学っていうのは考えなかったんですか?
スピーカー 3
海外行ってね、さっき。
スピーカー 2
そうか、海外に行こうと思ってたのか。
スピーカー 1
そうなんです。ブラッドフォード大学っていうところに行きたかったんですけど、
英語学を学びに行きたかったんですけど、
受験後全然やっぱりダメだったんですよね。
語学学校も行ってて、英語は一定程度しゃべれるようになったんですけど、
このままだと自分が問題解決できないなと思って日本に帰ってきて、
実は今ちょうど帰っての途中なんですけど、
当時批判の手紙が大量に来てたので、
自分の先進的に回復するために、
この批判の手紙を送った人たちに会いに行こうと思って。
スピーカー 3
ちなみにインタビュー記事で読みました。
スピーカー 1
最近出ました。
未来への影響
スピーカー 3
それでもめっちゃしんどくないですか?
スピーカー 1
めっちゃしんどかったです。
スピーカー 2
会ってくれるっていうか、連絡して会いたいんですけど。
スピーカー 1
ほぼ9割ぐらいの方はダミーの住所なんですよ。
おそらくね。なんでかって言って全部帰ってきたんだよ。
一部は文通ができたりとか、
インタビューとか話ができたんで。
そのやり取りを今ノート記事に書いてやってるんですけど、
すごい興味深かったですね。
あの体験は僕にとってはめちゃくちゃ良かったですね。
精神的にきつかったですけど。
自分にとってはそれで対話することによって、
自分にとっては納得いくためのプロセスだったのかなって
今思ってやってました。
スピーカー 3
その納得というのは何ような?
スピーカー 1
ちゃんと批判した人たちにもっと知りたいっていうところの
納得度合いみたいな。
スピーカー 3
それは何が見えてきたんですか?
その方たちと話すことによって。
スピーカー 1
だからどういう巨像とか、
あとは例えば何に違和感を持って
ある種批判をしてたのかとか、
どういう生活背景でとかも知れたんですよね。
ある方は新聞の配達員の方で、
お前のせいで休館日も働くことになった。
それはマジで申し訳ないと思って。
スピーカー 3
いやいや、申し訳なんてないですよ。
スピーカー 1
でもある種、だって休む日なのに
お前のせいで働かされた。
それはそうですね、みたいな。
申し訳なかったなと思って謝るしかない。
でも結構30分くらい経って
結構いろいろバセルも言われると
意外に話聞いてくれるんですよ。
だから意外にいろんな人と話せるんやなみたいな。
スピーカー 2
お会いに行かれてるのは今ですか?
スピーカー 1
いやいや、当時ですね。
あと電話でも話したりとか
電話でインタビューするみたいな。
スピーカー 3
だってもうね、その批判を見るのも
めちゃめちゃしんどいじゃない?
スピーカー 1
5万5千人あるんで、タイピングすると
スピーカー 2
なんでその切り替え
PTSDというか
結構引きこもっちゃうくらいやられたのに
それを克服する手段だったんですか?
スピーカー 1
自分にとってはそう勘違いしてて、あるっしょね。
でももうこのままじゃダメだと思ってたので
もう本当にまずいなと思ったので
動き始めたっていうのがあると。
ただ結果的に精神的には良くなかったです。
スピーカー 2
やっぱ悪化するようになってて
スピーカー 1
ただやっぱりカウンセリングとかが
やっぱり必要だったんだろうなと思います。
スピーカー 3
その医療機関には全く繋がらなかったんですか?
スピーカー 2
うちは繋がってないんですよ。
スピーカー 1
僕全く繋がってなかったんで。
スピーカー 3
でも本当に繋がらずに
よくサバイブしましたね。
大学時代の支援
スピーカー 1
結構レアケースだなと思ってた。
スピーカー 2
どうやってそこを抜けたんですか?
スピーカー 1
だからそれは実は運が
今の活動にも繋がってるんですけど
本当に運が良くて
まずそもそもうちの家族が
僕とは揉めてたんですけど
結構静かに見守ってくれてたのが
第一条件がまずあって
それはもう本当に感謝しかないんですけど
あと加えて
高校の時の担任が
僕がだから2年ぐらい経ったのかな
卒業して、その時期から
お前このまま2等になるから大学行けと
いうことで願書を持ってきてくれて
大学僕受けたら入れたんですよ。
立命館アジア対応大学というところに
入れたんですけど
ベップにあるところに入れたんですけど
その後も運が良くて
結構大学時代の友人が
自分の話を聞いてくれたりとか
あとは学校に僕1、2回生の時に
行ってないんですけどほとんど
2回生の終わりぐらいから
朝7時ぐらいに来て
今行くぞって連れて行ってくれるようになった
だからカウンセリングの機能と
アウトリーチを
自然と友人たちがやってくれてたみたいな
過去が実はあって
それもあって復帰してるんですよね
それが長いんですよその期間
アウトリーチとカウンセリングの機能
多分2年ぐらいうちの友達たちが
担ってくれてて
結果でいうとね
結果なんですけど
その当時は僕友達だと思ってなかったんですけど
あんまりうるさい奴らだなみたいな
感じだったんですけど
運良くそれで
僕の場合は
それで海外にも
もう1回チャレンジしようと思い始めたりとか
そうすると海外に今度行くと
食糧法的に復帰してくわけなんですよね
自信ついてくるんですよね
もう1回東南アジア1ヶ月間
1人でやってみようと思った時に
海外空港着いたら
めっちゃ足が震えてて
なんですけど
それでやっていくうちに
アフリカまで行けるようになって
自信をつけ始めて
自分の精神的に
一応語れるようになってきたのが
大学の4回戦の後半ぐらい
それでやっと就職活動とかも得て
リーマンショックの時だったんですけど
それで大阪に来た
そこがゼロベースぐらいの時ですね
もう何もやりたくなかったので
やりたくなかったんですけど
スピーカー 2
イラクに行くまで
NGOをやってみたり
社会的に活動したいみたいな
エネルギーがあったものは
その後全くなくなっていた
スピーカー 1
全部消えてました
スピーカー 2
それが大学時代に徐々に
周りの力も借りて
気持ちの面も含めた社会復帰というか
モチベーションを持てるようになって
スピーカー 3
だって生きるために
まず生きるゼロベースに
一回戻ってくるみたいな感じですよね
イメージとしてはね
スピーカー 2
そこでまず就職しようみたいな
スピーカー 1
大学卒業するときは
スピーカー 2
就職しようみたいな
勝者に就職されたんですか
スピーカー 1
本当にたまたま拾ってもらって
それも運が良くて
あの時リーマンショックの後
最初に受けた大企業は中心だったんですけど
自分の過去を話せなかったんで
基本ほとんど一時面接で
結構タジタジになって話せないみたいな
ことがあったんで
スピーカー 2
だいたい落ちてたんですけど
スピーカー 1
勝者時代の社長だけは
後半になってきて話せなくなってきて
就職先の勝者の社長は
バリッバリものすごく保守的な方だったんですけど
人質面白いなみたいな
スピーカー 2
いいネタやみたいな形で言ってくれて
スピーカー 1
それで即採用
へー
それですごい今考えてみると
なかなか興味深い体験だったんですけど
いろんな現場行かせてもらって
スピーカー 3
何系の勝者だったんですか
スピーカー 1
職肉と水産なんですけど
もう土壌とか
あとしばらくずっと工場で朝
すごい早朝から起きて働くとか
あと赤市の林崎って港で
ずっと朝から働くとか
そういう現場も見て
工場ってこんな風に働いてるんだとか
あと営業もいろいろさせてもらって
すごい面白かったんで
めちゃくちゃ今考えてみると
いい経験させてもらってるんですけど
そこで拾われたんで
徐々にそれで
その経験も良かったですね
何年くらい?
2年働いてました
その当時くらいから
大阪は遅延がなかったんですけど
なんとなく子ども支援というか
もう一回何かできひんかなと
自分の場合運よく助けられたんで
年下の世代のために
動きたいなと思ったのが
2010年とか11年くらいで
それで学校とかを
休みの日に回ってたみたいな
学校を回ってた?
若者支援の活動
スピーカー 1
学校とかいろんな若者
うちの家を墨開きして
年間300人くらい泊まるんですけど
え?
友達の友達までだったら
誰でも泊まって来てもいいっていう
訪れた人は多分
その倍以上確実にいるんですけど
スピーカー 2
一人暮らししてる?
スピーカー 1
一人暮らししてるんですけど
大阪は友達もいなかったんで
まず若者の課題を知るために
友達の友達まで泊まっていいと
スピーカー 3
すいません質問なんですけど
でもいいよって言っても
そんな泊まっていい場所が
あるかどうかもよく分からないし
泊まる人たちはどうやって
まず大学時代の後輩とかが
スピーカー 1
就職活動で来るんですよ
はいはいはい
スピーカー 2
それで友達を連れてきて
スピーカー 1
友達になるみたいなこととか
別府なんで就職活動で
大阪に来るとき困るんですよ
それで泊まってたりとか
スピーカー 2
結構人を泊められるぐらいの
スピーカー 1
広さのとこだったんですか?
ありましたありました
家賃補助も出てたんで
結構広めなとこ借りれて
それでやってたら
スピーカー 2
僕髪がモジャモジャなんで
スピーカー 3
それでそうなんですよ
スピーカー 1
それでいろんな人が
泊まる家になってて
だから気がついたら
僕仕事帰ってきて9時ぐらいに来たら
知らない人たちが飲んでるみたいな
誰なんお前らみたいになったら
いや俺が家の主なんやけど
オーナーなんやけどみたいになってて
スピーカー 2
鍵とかは?
スピーカー 1
それでその辺に共有されてて
スピーカー 2
えー
スピーカー 1
恐ろしい運営だった
今考えてたら思うんですけど
スピーカー 2
なんか
引きこもってた人とは思えない
スピーカー 1
そこぐらいからだから
徐々に課題を考え始めるみたいな
何が今の日本の課題なんだろうみたいな
元々海外資金から入ってたんで
就職前にアフリカの現場とかも入ってて
で、なんとなく
日本の方が課題が大きいなって
そこで思ってたんで
スピーカー 2
日本にシフトしてったみたいな
日本の方が課題が大きいなっていうのは
そう、だからイラクみたいな
そういう海外に目が向いてたものが
日本の方に来たっていうのは
それはなぜなんですか?
スピーカー 1
いや、当時からやっぱ不登校の問題に
やっぱ関心があって
なんでこれだけ豊かなのに逆に
あの、しんどい子たちが多いのかなとか
っていうのを結構現場で見て
学校とかにも行かしてもらったりとか
通信制高校とか定制高校にも行ってたんで
スピーカー 1
それで関心持ち始めたってのはありましたね
ここに行きたいって
見学?
それはどういうことなんですか?
学校に?
それはですね、いろいろ話せないことと
話せることがあるんですけど
なんとかせって会社があるじゃないですか
はいはいはい
自分は思うんですけど
あそこの社員さんに
いろいろ
そうですね、いろいろつなげていただいたりとか
あとは
スピーカー 1
後輩として連れてってもらったりとか
へー
とかですね、いろいろ
じゃあ別に正式なルートってわけではなくて
知り合いに紹介してもらって
今井さんの活動の始まり
とにかく
学校の現場にとにかくついてきたり
スピーカー 2
今の子どもたちというか若者が何を感じているか
状況を知りたい
スピーカー 1
とにかく学校訪問しまくるみたいなこととか
はい
全日制高校通信定時とか
先生の姿勢を作ってやっていくみたいな
うーん
っていうのをすごい回って
状況を見に行って
たみたいな
のはすごいありましたね
そこから最初は創業当初は
通信制とかっていうのは
今ものすごい注目されてますけど
うん
当時から不登校の子が多くて
進路未決定という卒業するときに
うん
進路決まらずに卒業する子が
44%くらい当時って
うん
今も結構課題なんですけど
うん
だからそこの課題を見つけて
今でもうちのだから関わってる
通信制高校が多いですけど
オンライン相談も結構来るし
スピーカー 3
はいはい
スピーカー 1
だからいろいろ変遷があってやってるんですよね
スピーカー 2
そうですね
でもどっかのタイミングで
まあ商社員2年勤めたタイミングで
NPOを作るぞっていう
まあ
行動に移って
スピーカー 1
そうですね
2011年にエティックっていうNPOが
はいはいありますね
リタリコとかね
ミミィさんとかも
だと思うんですけど
そこのコンペで
たまたま助成金100万もらったんで
そこの当時代表だった宮城さんに
お前起業しろって言われたんで
それで終わりました腹くくってやりますって言って
すごい単純感してますけど
そういうやり取りがあって
まあ3週間くらい考えて
社長に辞めるって言って
それで辞めたっていう
スピーカー 3
うーん
でもその社長さん応援してくれそうな
スピーカー 1
うん
そうですね
まあでも今でもね
年一で挨拶に行ってますけど
ああそうなんですね
まあ応援はしてくれはしなかったんですけど
NPOなんて詐欺だみたいな
感じですごい
はいはいはい
言われたんですけど
ただすごい拾ってはもらってたし
給与もすごいいただいてたんで
感謝はしてますね
それで起業していって
でいろいろ事業を作っていったみたいな
ところですね
なるほどね
そうはしょるとね
NPO企業のところとかを
すごいいろいろありましたけど
うん
いやいい経験をさせていただいたなと思いますね
うーん
スピーカー 3
でも最初は
一本目でもお話いただいたみたいな
こう事業
スピーカー 1
委託事業みたいなところから始められたんですか
そうですね
通信制高校と学校法人と契約して
キャリア系のプログラムを作ってやってったりとか
はいはい
中退者が多かったんで
専門学校とか大学で
今でも多いんですけど
その中退の予防のプログラムみたいな
コンサルみたいなものも
すごいやり始めて
学校法人と契約してやってるみたいなことが始めたりとか
あと委託事業もやって
サポートしていったみたいな
最初の2,3年はそういう風にやってましたね
うーん
スピーカー 2
DPの設立秘話といいますか
いろいろありましたね
いろいろもうすでに公開されてることも
もうめっちゃ
なんかご自分が結構やっぱり辛くて
相談の糸口がないみたいなところを
なんとなくね
ラッキーで周りの人に支えてもらって
それはもう今井さんの
人間力もあると思うんだけれども
そういう幸運の中で
自分自身が立ち直ったっていう経験から
やっぱり他の若い人たちはね
もう少し
短い期間で立ち直れるように
サポートしようみたいなところに
つながってたのかなっていう
なんかそういう
歴史を感じるというかね
人生史を感じるお話でした
家族の形成について
スピーカー 2
ありがたいですね
で、今井さんの
スピーカー 1
もう一つちょっと
スピーカー 2
今日お伺いしてみたいテーマがあって
それを3本目に
お伺いしたいなと思うんですけれども
今井さんのね
家族のお話で
いわゆるステップファミリーですね
そうですね
スピーカー 1
お子さんのいらっしゃる女性と
スピーカー 2
結婚されたということで
これも家族づくりみたいなお話も
非常に興味深いので
次回その話を聞きたいなと思っています
39:32

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