1. Dialogue cafe
  2. #12-1 少子化対策の切り札!?..
2023-09-06 40:44

#12-1 少子化対策の切り札!?親子と社会を支える産後ケア【産後ケアは世界を救う ゲスト:母子保健政策専門家 福島富士子さん】

▼内容:
少子化対策から始まった産後ケア研究/全国で一番出生率が高い地域では何が起きているか?/「孫に囲まれて過ごすおばあになる」という17歳の夢/子どもを転がしておいたら誰かが育ててくれる!?/高度経済成長期に重要な役割を果たした母子健康センター/国の政策の優先順位は乳幼児から高齢化にシフト/助産所は鍵となる場所/小雪さんが起こしたムーブメント/訪問型ケア「産後ドゥーラ」/太古の昔から同じ?産後数か月の母親はいっぱいいっぱい/胎盤とともに消え去る女性ホルモン、育児により湧き起こる愛情ホルモン/産後ケアはいつまで必要なのか?/人生は初動が肝心!産後ケアが児童虐待を防ぐ

▼出演:
ゲスト
福島富士子さん(母子保健政策専門家、東京医療保健大学特任教授、株式会社ハピランド代表取締役)
産前産後ケアセンター ヴィタリテハウス

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、1児の母)
岡澤陽子(ブランドコンサルタント、戦略リサーチャー、ビジネスメンター、INSEAD大学院生、2児の母)

--- Send in a voice message: https://podcasters.spotify.com/pod/show/dialoguecafe/message
00:01
スピーカー 1
Dialogue cafe。この番組は、40代で組織を離れ、ワーク&ライフシフト中の田中優子と岡澤陽子の2人が、身近な出来事から社会課題まで、最近気になるあれこれを好奇心のまま働くポッドキャストです。
スピーカー 3
今回はですね、福島富士子さんをお呼びして、お話を頂こうということで。
スピーカー 1
福島さんはですね、3月まで東邦大学で、産後学の教授をしてらっしゃったんですけれども、そこを定年退職とされて、現在はいくつかの大学、東京医療保健大学をはじめですね、いくつかの学校で教えてらっしゃったり、それから産後ケアを中心に研究をされていて、先日私も伺ったんですけれども、
武蔵小杉に新しい産後ケアセンターがあって、その運営にも関わっていらっしゃるということで、今日はですね、産後ケアですね。
スピーカー 3
聞き慣れない人も来ているかもしれない。
スピーカー 1
出産の後の、女性とか赤ちゃんのケアについて、どうしていくべきなのか、どういうトレンドがあるのか、みたいなことを、私たちもあまり知らない世界でもあったりするので、
でも、多くの女性に関わりがあるかなと思うので、今日はそのあたりの話をお伺いしたいと思います。
よろしくお願いします。
ちょっと私が雑に紹介しちゃったんですけど。
スピーカー 3
足りない部分をぜひ、福島さんからちょっと補足いただければ、助かります。
スピーカー 2
東郷大学には9年間、させていただきましたけれども、
その前は19年間、
厚労省の研究研修センターにおりました。
そこで、母子保険、またその中でも、母子保険の政策について関わらせていただく機会が長くありましたので、
そこで産後ケアということを、政策につなげていくということを、研究の中から掲げていただいたのが始まりました。
それは2005年からですね、スタートしています。
ちょうど、
少子化対策の話が出た頃なんですけども、
どうして人が子供を産まなくなったのかっていう調査はいろんなところでされていて、
保育圏がないとか、お金がないとか、それからもう未来がないとか、
いろいろ、だから産まないんだっていうことは、ある程度世の中に出てたんですけども、
そんな中でも、子供を産んでいく人っているわけだからですね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
その人たちはどういう人なんだろうと。
どういう人なんだろうということで、合計特殊出生率って聞いたことがあると思うんですけども、
03:01
スピーカー 2
あれが全国で一番高いところはどこだろう。
またそれが、1年間だけではなくて、5年間ぐらいずっと高く上がっているところはどこだろうということで、いろいろ調べたら、
沖縄の、その当時は都の、たらま島という、島が一番だったんですよ。
そういう研究班で、そこに行って調査をしようということになったわけです。
で、そのたらま島でヒアリング調査を、その研究班の方々にしていただいたときに、
出てきた言葉で、とっても印象的だったのが、
30歳を超えていて、子供さんがもう2人いるのに、もう1人を産みたいという方がいらして、
で、それはなぜかというと、その方が17のときの夢が、
スピーカー 1
自分がおばあになったときに、子供や孫に囲まれて、お正月やお盆でみんなでご飯を食べることが夢だったのだ。
スピーカー 2
だから自分も子供を産んで、またその子供たちにも子供を産んでもらって、
スピーカー 3
お正月、お盆をわいわいといとこや、今まで楽しみたいって、
スピーカー 2
それが自分の原風景だったのだなっていうことを、研究班のメンバーでいろいろ話をして、
楽しかった原風景を持っているってすごいなって。
スピーカー 1
それをいくつぐらいの方が言ったんですか?
スピーカー 2
30歳で。
スピーカー 1
でも若いですよね。
スピーカー 3
沖縄でも早いから、大正午の年齢も結構早いですよね。
スピーカー 1
世代的にね、戦後間もないとかそういうことならば、そういうその大家族っていうものが夢だっていう方って、
もっと多かったと思うんですけど。
都会だとそういうことを夢だと語る人も少ないですもんね。
スピーカー 2
そうです。本当に、ふと振り返って、その時は自分の子供が中学生、
私は小学校の卒業の頃だったんですけど、この子たちはそういうことを言うんだろうか。
それはどこから来るのかなっていうことがすごく興味深いテーマなんです。
はい。
そうですよね。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 3
確かに。
スピーカー 2
それで、もともとは厚生労働省からの、なぜ子供が減ってるんだと、どうやったら増えるんだみたいなことから始まって、子供をたくさん産んでる地域で何なんだろうっていうのを調べに行ったら、そういう発言が出てきて、そこから産後ケアにどう繋がるんですか?
はい。
そして、それだけではもちろんなくて。
はい。
あと、転がしておいたら、誰かが育ててくれるっていう言葉があったんですよ。
スピーカー 3
え、転がしておいたら?
転がしたら誰かが育ててくれるのよねっていう言葉だったんですよ。
06:05
スピーカー 3
そういう言葉はなかなか衝撃的ですね。
スピーカー 1
衝撃ですよね。
スピーカー 3
なるほど。
スピーカー 2
そして、そのもう一つ、その言葉の中に、ごし健康センター。
うん。
それがあったっていうことがとても助かったんですよ。
うん。
あっ、その町に。
町に。
そうです。
スピーカー 3
集落にあったんですか。
はい。
はい。
スピーカー 2
で、それ、本当に今度はそちらをずっとこう深掘りしていくと、1957年、昭和でいうと32年、なんでピンポイントが出ているかっていうと、私が生まれたとき。
なるほど。
スピーカー 1
記憶がすごいんですけど。
なるほど。
スピーカー 2
あの、そのときに、当時の厚生省が、全国に市町村ごし健康センターっていうのを作ろうっていうことで。
うん。
で、それは20年間くらい全国に割って広がっていって、一番多いとき700か所くらいあったんですよ。
へー。
スピーカー 3
そんなにあったんですね。
そうなんですよ。
スピーカー 1
それはごし健康センターですか。
スピーカー 2
もう、赤ちゃんがそこで産めて、そしてその入診する前。
入診する前、あともそこに保健師さんや助産師がいて、しっかりサポートしていく、その村や町の中にあった施設なんですよ。
スピーカー 3
あ、じゃあ検診もそこでやるという。
スピーカー 2
そうです。
いまもないので、それがどんどんですね、80年くらいからなくなっていってしまって、名前が、今度はごし健康が取れて、保健センターっていう形に。
スピーカー 3
あ、ありますね。
保健センターになりますね。
スピーカー 2
市町村保健センター。
はい。
その辺でそれが目立ちになっていってしまうんですね。
80年代から。
なるほど。
あ、それは何か国の政策っていうか、考え方の優先順位が変わっていったってことなんですか。
そうですね。その20年間、1960年くらいから80年くらい、20年くらいで、乳幼児死亡率、それがどんどん減って、下がっていって、報酬衛生って言うんですけど、
は一旦終わったんだっていう形になっているんですよね
スピーカー 1
ですから1980年代後半くらいからは高齢者の政策にどんどん入っています
スピーカー 3
でもちょうど少子化が始まっていくっていうかそのぐらい1970年80年ぐらいまでがピークじゃないですか
高度経済成長期で各家族化も進んで確かに公衆衛生も急速に整いながら
もうなんか家族のあり方みたいなのが急に変わっていく時代なのかもしれないですね
スピーカー 2
本当におっしゃる通りさっきいろいろと調べていきますさっきのお話の通り
転がしておいたら誰かが育ててくれるっていうのは隣近所との関係性ですよね
09:00
スピーカー 2
それがやっぱり80年から85年ぐらいをピークに
お隣との関係性っていうのがお味噌を借りるとかお一人を借りる関係っていうのがどんどん薄くなっていくっていうデータもあるんですよね
スピーカー 3
なるほど確かにそういう時期かもしれない
スピーカー 1
さっきの沖縄ではまだそういうでもさっきの話
スピーカー 3
集落での子を助け合い
スピーカー 2
そうですそうでしょ結局みんなで何かを盛り上げていく
島の中だからってももちろんあるんですけども
その鬱陶しさを鬱陶しいから離れようっていう風に今度成長の頃からやってきましたけど
それが鬱陶しいんだけども良さもあるっていうことが残ってるんだなと
さっきも子どもたちが結婚したり子供産んだりするのは人と一緒にいることって鬱陶しいことばっかりだよねっていう情報だけがなんかなってきたんですよね
自分も含めて、世代がやってきたことが、若い人たちから一人でいた方が楽よとか、自分の楽しみを謳歌すればいいんだみたいな。
人と一緒にいることって大変だけど、それは幸せなことでもあるし、子どもを産み育てるって本当に大変だし、
苦労も多いけれども自分の楽しみだよねっていう情報をうまく伝えていけなかったのかなって、そんなこともありますね。
スピーカー 3
そこの沖縄の島は、集落での地域のつながりというだけじゃなくて、その母子健康センターも結構重要な役割を果たしてたんですか?
スピーカー 2
名前は母子保健センターに変わっていても、中心は母子のことをね。
どんどん全国では、先ほどおっしゃった健診みたいなことに切り替わっていくんですけど、もう少し手厚い、そこで本当に人の手が、言葉がしっかりかかるようなことをやっていってたんだと思いますね。
スピーカー 1
そのプロジェクトの中で、産んでからのコミュニティで子どもを育てて、
子どもを育てて、子どもを育てて、子どもを育てて、子どもを育てて、子どもを育てて。
転がっている誰かの子どもを、他の人が育てようみたいな、そういう場を、それは母子健康センターのような形で復活させようっていうような、そういうことを研究し始めたってことなんですか?
スピーカー 2
そうですね。そして振り返ってみると、日本の中には、助産院、助産所というのが全国にたくさんあって、前からですね。
で、戦後にやっぱりGHQ。
GHQ、敗戦を迎えて、アメリカの当時の医療政策で切り替わっていく中で、病院での出産っていうのも、もちろんいろんな意味で病院での出産っていうのもメリットもありますけれども、
12:09
スピーカー 2
その助産所がどんどんどんどんやっぱりなくなっていく。そうすると、ずっと継続的に産み育てを手伝っていく。そういう場所っていうのがなくなっていくんですよね。
スピーカー 3
助産所さんの数っていうのも減ってるんですか?
スピーカー 2
そうですね。減ってはきてますね。
ただ、日本の場合、開業していく人たちっていうのは、いっとき割と減りましたけど、1990年代後半から2000年に変えていって、少しずつまた、都会が多いですけども、増えだしてはきてるんですけど、お産する人はどんどん医療施設に行ってしまって。
うん。
今でも開業助産所、助産院は出産ももちろんしてるところがありますし、そこがまたこれからも安定して増えていくといいなっていう思いはあるんですけれども、なかなかそうではないところでは、助産所のいいとこ、いいとこ取りをするような場所があったらいいな。
うん。
本当に何を食べたらいいか、何を着たらいいか。
うん。
どんなふうに暮らしたらいいか。
うん。
ちょっと生活の衣食住を伝えていくような場所。すごくその敷居が高くない?
うん。
診察券出して病院にかかるとか予約するとかじゃなくても、電話したらすぐにおいでって言ってくれるような場所があったらいいよね。
うん。
でも、助産所を開業するには結構な波動ができちゃったんですよ。
うん。
平成16年に医療法19条の改定があって、
うん。
それまでは、医者であれば会員とかであれば誰でも、
あの、食卓医になれたんだけど、
うん。
産婦人会であって、なおかつお産婦している人じゃない人、助産所の食卓医がいませんよってなったから、
もう数がどんどん減って、
スピーカー 3
はい。
スピーカー 2
開業できなくなったんですよ。
うーん。
お産婦をそこではさせないっていう動きが、それ以外のことができるような施設があったらいいよねっていうことで、
うん。
産前産後ケアになります。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 2
あー。
スピーカー 3
最初にその産前産後ケアの場所というか、施設がこう必要だっていうふうにされて、こうたどり着いたのは何年ぐらいですか?
スピーカー 2
産後ケアという名前に変わってきたのはやっぱり2005年。
スピーカー 3
2005年。
スピーカー 2
そうですね。2005年、6年ぐらいですね。
うーん。
で、やっぱりムーブメントが起きないと、いくら政策ができても、なかなかそれが具体的にお金がついたり、
うん。
実践的な場所ができない。
ちょうど、冬樹さんが韓国で。
スピーカー 1
あー、そうそうそう。その記事で私も知ったかもしれない。
スピーカー 2
そうですよね。
スピーカー 1
ちょうどではやったタイムリーみたいな感じだったんですけど、わざわざ韓国まで行ったんですよね。
15:05
スピーカー 1
産後ケアを受けるために。
スピーカー 2
確かに。
スピーカー 1
その記事を私も読んだ。
うん。
スピーカー 2
だから、研究者の中には産後ケアのこともやられてた先生方もいらっしゃったんですけど、なかなかやっぱりムーブメントが起きるっていうところも、
うん。
行きついてなかった。
うん。
で、その頃から、私なんかも韓国に行ったり、それから中国に行ったり、台湾に行ったりして、いろいろ現場を見せていただくと、東アジアの中で産後ケアが進んでないところは日本だけだっていうのが分かってきたんですね。
へー。
スピーカー 3
なんで、なんで日本だけ進まなかったんだと思いますか?
スピーカー 2
一つは、さっき言った助産所があったんです。
スピーカー 3
あー。
スピーカー 2
中国、韓国、台湾が助産所って。
はい。
産後ケアっていうのはどんどんもうない。
はい。
はい。
助産士そのものがもうどんどん衰退していって、病院への運動っていうのも中心に早くからだったから、その助産所がしっかりそこの地域に根付いてたっていうのがあるんですね。
うん。
で、やっぱりさっき話したいろんな政策の転換期に助産所がどんどんなくなってくる期間と同時に産後ケアっていうのを起こしたみたいなのを、私のその受証券の政策の中でも。
うん。
スピーカー 1
なんかあの、韓国のね、その産後、産後院っていうんですか?
そう、なんかイメージ的にはでもすごくこうゴージャスなというか。
スピーカー 3
キラキラ。
スピーカー 1
そう、なんかわかんないけどこう、いやー、まあ結構費用もかかるし、なんかすごくこう贅沢なものっていう、何か全ての人がそれを利用できるような、そういう場所ではないんじゃないかなっていうイメージもあります。
うんうんうん。
実際はどうなんですか?
スピーカー 2
そうですね、確かにあの、お金がものすごくかかる。韓国、特に韓国は、そのムーブとか、ムーブみたいなのが起き始めたのが、あの、若い男性のその企業家の人たちが。
あー。
えっと、このビルの1フロアとか2フロアを借りて産後ケアをやるような。
うん。
スピーカー 1
みたいな、そんな事業として。
スピーカー 3
あー。
スピーカー 1
それベンチャー。
スピーカー 2
もうビジネスじゃない。
ビジネスで生まれてきた。
スピーカー 1
なんかそれはすごく強いですよね、イメージが。
あー。
そうなんだ。
なるほど、じゃあ結構富裕層向けに始めた。
スピーカー 2
はいはい。
スピーカー 1
そうです、そうです。
なるほど。じゃあ韓国であっても、そんなにみんながそれを利用してるってわけじゃないんですか?
スピーカー 2
そうですね。
うん。
で、あの、それこそ、あの、国の研究所にいたときに、韓国の、国の研究者たちが、
そっちに来られたとき、連れて来られてた人たちは、やっぱり訪問でしたね。
家庭訪問型の産後ケアを組み合わせてたって感じでしたね。
あー、なるほど。
スピーカー 3
どうせは、韓国のね。
スピーカー 1
うん。
自宅に、それ、通ってくるってことですか?
18:02
スピーカー 2
そうです、産後終わったらそこに行って。
ま、あの、イギリス、海外でもその方も多いですよね。
うーん。
スピーカー 1
どんな方?
スピーカー 2
なんかルーレイチ型?
スピーカー 1
うん。
ルーラー?
スピーカー 3
産後ルーラー。
スピーカー 1
産後ルーラー。
うん。
スピーカー 3
で、まあそれも何だろう、何で、何かで400をするんですけど、漫画だったかもしれない。
手伝いがすごく産後ルーラーね、推してますよね。
スピーカー 2
はい、あれもあの、実は初期から私関わらせていただいて、
そう、翔子さんっていう、助産師さん、勧誘されてる、その先生が、一緒にやろうよっていうお話いただいて、
で、ルーラーはですね、その産後の中でも、さっきちょっとお話しした、その食のことをしっかり、
それから、あの、お家の片付けと、本当に短い時間に訪問して、大事なところを伝えていく役割。
うん。
ですから、専門家って、まあいわゆる、あの、国の医療的な免許を持ってるということではなくって、
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
ご自身の経験を次の世代に伝えていくとか、そういうような人たちを検証させていただいてるんですけど、
もう今700人ぐらい育ってます。
うん。
で、本当に、あの、専門的な先生たちが入って、お料理の実践的な練習もするし、試験もあるんですよ。
スピーカー 3
あ、そうなんですね。
スピーカー 2
そうなんです。で、産後のことをしっかり学んで、そして、あの、ご自身で、もうあの、個人登録をして、個人的な事業者になるんですよ、産後では。
スピーカー 3
あ、個人事業主なんですね。
そうなんですよ。
スピーカー 2
うん。
あの、それこそ、あの、マイクロビジネスとか。
うん。
そういう形で展開してますね。
スピーカー 1
なるほど。でも、その、紹介するのは、あの、行政が入ってるんですか?
スピーカー 2
そうですね。紹介というか、行政が、まあ、その、補助金を、その、
スピーカー 3
出してますね。
スピーカー 2
お、お母様たちに出して、それを使うという形ですよ。
スピーカー 1
うん。
なんか、登録してらっしゃる方を、こう、紹介。
スピーカー 2
紹介する、発表するっていう、そういうところもありますね。
そうです。
まあ、例えば、ご自身で探してきて、それをというふうに決まります。
スピーカー 3
で、補助金申請という感じですね。
そうですよね。
スピーカー 1
そういう形も。
結構、利用してる人増えてきて。
スピーカー 2
聞く聞く。
スピーカー 1
聞く聞く。
スピーカー 3
聞く聞く。
でも、なんか、すごい、その、あの、足りないっていうか、ニーズの方が強いみたいで、みたいな話は聞きますね。
そうなんだ。
ちょっと、地域によっても違うんでしょうけど。
スピーカー 2
うちも、あの、自分の娘が、
スピーカー 1
使ったんですか?
スピーカー 2
ルーラさんを使わせて。
スピーカー 1
あ、そうなんですね。
スピーカー 3
すごいですね。本当に助かりましたね。
スピーカー 2
もう、来ていただいて、半分ぐらいのお料理を、わーって作ってくれて。
なるほど。
こうしておいてくれて。
あー。
本当に、もう、野菜中心でとか、タンパク質をしっかり入れ込んでとか。
なるほど。
本当に、あの、体にも作っていただいて。
スピーカー 1
ひょうこちゃんは、2人産んでるじゃない。
産んでる。
で、1人目は、里帰り出産で。
スピーカー 3
そうそう。里帰り出産をして。
で、2人目は、東京で。
21:01
スピーカー 1
そうだよね。2人目の時は、どうしたの?
スピーカー 3
2人目の時はね、その時まだサンゴドゥーラーとかなかった気がしました。
うん。
で、1年に2人目を産んでるんですけど。
スピーカー 2
12年かな。
スピーカー 1
12年。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 3
惜しい。
いや、さすがに、いろいろ調べましたけど、確かになくって、そういうのは。
なので、基本、あの、祖父母、祖母というか、祖母が来てもらったりとか、あとは。
スピーカー 1
それは、実のお母さん?
スピーカー 3
そう。とか、あと、夫のお母さんとかに来てもらったりとか。
うん。
あと、その、料理だけで言うと、言うちゃうと、夫も料理をするので。
はい。
はい。
それを、で、なんか、みんなで乗り切るみたいな。
うん。
スピーカー 1
なんか、あんまりこう。
その、育休取ったりとかはしてない?
ないない。
スピーカー 3
それなかった?
スピーカー 1
当時はまだなかった。
スピーカー 3
制度がなかった?
制度なかったと思う。
あ、そっかそっか。
育休とかは、取ってない。取ってないね。
あ。
なんか、本当に多分、出産の前後ぐらいで、少しこう、お休み?普通のこう、有休を使ったりはあったと思うけど、まとまった休みとかは、特に取ってない。
スピーカー 1
あ、なるほどね。
スピーカー 3
当時です。
スピーカー 1
当時です。
うん。
なるほど。私は2016年に産んだんですけど、まあ、私は東京で産んで、で、まあ、病院を出た後は、母が、まあやっぱり実家から来たかな?
うん。
どれぐらいいたんだろう?まあ、1週間、2週、1週間ぐらいかな?2週間ぐらいの予定が、結局、ま、あんまりね、まあ、いいかな?みたいな感じで、1週間ぐらいで、母は帰ったんです。
すごい。
うん。
で、まあ、夫は、母が帰るぐらいのタイミングで、あの、1週間ぐらい、まあ、有休で、育休じゃなかったみたい。有休を取ったのかな?1週間ぐらい。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
で、だからまあ、最初の1ヶ月は、なんかその、どうにかこうにか、
そうね。
一人ではなんなかったんですよ。
うん。
でも、本当あの、こう、まあ、その後はね、自分と子供だけじゃないですか。
うん。
まあ、最初の1ヶ月は、もう本当に、もちろん、すごく不安だったっていうのはあるけど、その後はね、本当、なんだろう、やっぱり、なんていうか、1ヶ月、全然外に出なくて、初めて外に出たとき。
うん。
1ヶ月健診で、外に出たときに、外はこんなにうるさかったのかって思ったのね。
はいはいはい。
なんか、子供と、もう、この、壊れそうなちっちゃい子供を抱いて。
スピーカー 3
なんかね、守らなきゃっていうね。
そう。
スピーカー 1
うん。
なんか、そういう気持ちになったのは、すごい覚えてて。なんか、外がすごくうるさくて。
うん。
あ、外、外界は、こんなになりか。もう、なんか、危険がいっぱい、みたいな気持ちになったし。
うん。
スピーカー 3
でも、
不安になったりとか、そういうのとか、なんか、いわゆる、こう、産後打ち的な感じ。
スピーカー 1
それはね、そこまではなかったんだけど、でも、やっぱり、泣き止まないとかね。
うん。
で、なかなか夫が帰ってこないとかいうときは、
24:01
スピーカー 1
うんうん。
なんか、もう、ちょっと、イライラというか、なんていうのかな。
うん。
鬱っていう感じではないかもしれないけど、やっぱり、すごくストレスが溜まって、もう、なんか、いつ泣き止んでくれるんだっていう。
うん。
もう、なんか、すごい疲れたなっていう。ちゃんと、なんか、睡眠が取れないからね。
うん。
まあ、やっぱ、寝れないじゃないですか。
やっぱ、寝れないですね。
最初、あの、授乳も、頻度も、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
悲しいし、だから、なんか、まあ、気持ちがずっと張り詰めてる感じが、
うん。
しばらく、やっぱり、続いたなっていう。
うん。
最初の3ヶ月ぐらいとかは、あったなって。
うん。
スピーカー 3
なんか、その、2人目は、やっぱり、こう、一応、経験があるので、かなり余裕があったんですけど、
うん。
1人目のときに、私、あと、お産が結構、大変だったんですね。
うん。
3日間ぐらい、腎痛が続いて、で、最後、促進剤で、みたいな形で、
なので、結構、体のダメージが、多分、大きかったのもあって、
うん。
なんか、結構、病院にいる間も、なんだ、あと、こう、
最初、母乳が、なかなか出なくて、退院するぐらい、ようやく、出て始めたんですけど、
うん。
その、母乳が出ないっていうことも、なんか、すごい、こう、なんだろう、ダメ楽院みたいな気分になって、
うん。
で、で、そのときに、あの、1人目は、その、里帰り出産したんですけど、ほんと、産院で、産科の、あの、先生とか、病院だったんですけど、
助作医さんが、たくさんいて、そこの、助作師さんに、ものすごく助けられて、
うん。
で、やっぱり、その、こう、返しに、とかって、こう、回ってきてくれたときに、
なんか、こう、大丈夫?とか、こう、声かけてもらったりとか、その、子供が、何が、これ、この泣いてるのが、大丈夫なのか、
うん。
まあ、そんなもんなのか、
うん。
気にしないといけないレベルなのかが、わからなくて、
スピーカー 1
ね。不安になるね。
そう。
スピーカー 3
ほんと、ほんと。
で、そういうのとかも、なんか、こう、全部、めんどくさがらずに、こう、き、あの、なんか、対応してくれて、
うん。
で、退院した後も、もう、何かあったら、あの、聞いてねって、
うん。
うん。
っていうので、なので、こう、それこそ、電話とか、あれだったら連れておいで、みたいな形で、言ってくれたので、それが、ものすごく、心の支えになりました。
スピーカー 1
はい。実際に連絡したりした?
スピーカー 3
うん。したことあった。
そうなんだ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 3
うん。
なんか、すごい、
いいですね。
いや、ほんとに、
生まれて、
うん。
なんか、ちょっと、ふがふが?
うん。
ふがふが言ってて、
ふがふが。
なんか、呼吸がね。
うん。
これは、
スピーカー 1
ねえ、わかんない。
わかんないから、あの、ほんと、ちょっとしたことでも、
そう。
なんか、だって、あの、子どもの、なんとかホットラインってあるじゃない。もう、子どもの病気ホットラインみたいな、
うん。
あの、配られたやつ、あの、番号を、もう、なんかね、その、いや、なんか、病気とは、なんか、そう、明らかに病気だとか、なんか、そういうの、全然ないんだけど、とにかく、泣き止まなくて、
うん。
これ、何かあるんじゃないかって、不安になっちゃって、
うん。
それで、なんか、電話して、
うん。
なんか、まあ、こう、状況を伝えるんだけど、
うん。
なんか、向こうも、多分、そういう電話、いっぱいあるんだよね。
27:00
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから、何か、割と、のらりくらりな感じの、
うん。
あの、対応されて、でも、こっちは、すごい焦ってるのに、
うん。
なんか、割とね、まあ、何か、こう、なかなかね、こう、確信率と、こう、こう、あの、迫らない感じで、
うん。
でも、まあ、そうこうしてるうちに、まあ、結局、疲れ果てて、悩んだりするから、
うん。
まあ、そんなもんなのかなって、でも、最初は不安だから、
スピーカー 2
うん。
でも、やっぱり、強いメンタル、
そうですか?
スピーカー 1
そうですか?
スピーカー 2
そうですよ。
スピーカー 1
電話にかねていなくて、
スピーカー 2
うん。
もう、暴転となって、その泣きに耐えられなくて、っていう、
スピーカー 1
ああ。
スピーカー 2
ことが、やっぱり、一番多いですよね。
スピーカー 1
そうか。いや、でも、気持ちは分かりますよね。
うん。
なんか、やっぱり、そういう、本当に、特にね、まあ、旦那さんも、全然、ね、帰ってくる時間が遅いとか、
うん。
子供と自分だけみたいになったら、やっぱり、それはつらいというか、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 3
つらい、つらい、つらいですよ。
うん。
その、それをこう、聞いてもらえたり、こう、分かっちゃえたり、あとなんか、ちょっとアドバイスをもらえたりっていう場所があるだけで、全然違いますよね。
スピーカー 2
違いますよ。
うん。
昔も、私自身もね、あの、一人目の子がよく泣く子で、
うん。
スピーカー 1
で、もう、泣いて泣いて、どこか頭がね、おかしくなっちゃうんじゃないかとかって、で、当時、あの、うちの母とかが、なんか、来て、もう、この子よく泣くね、とかって言う一言が、もう、
スピーカー 3
わかりました。
ね。
スピーカー 1
ね。
そうですよね。
うん。
いや、そうですよね。
スピーカー 2
昔からね、あの、神社さんに泣きのね、泣かないためのお札を、があったりとか、それを天井に貼るとか、いろんなことをやりながら、その、
確かにね。
納めてきてるわけでしょ。
スピーカー 1
そう。
全てのね、子供はみんな、そう、みんなそういう悩みをね、大昔からみんな、超えながら来てるんです。
そうですよね。
スピーカー 3
でも、一人目で、なんか、まあ、その、心配する過程があるにしても、まあ、そんなもんかって、こう、ちゃんとこう、たどり着けるのが、やっぱり強い。
スピーカー 1
そうなのかな。
スピーカー 3
うん。
うん。
だから、二人目とか、ほんと泣いてても、あの、かわいいね、みたいな感じに。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
それもすごい強い。
スピーカー 3
そう。
そう。
なんか、すごいひどいっていうか、あの、それこそ、あの、一人目のこう、こう、ビデオを撮るっていう、動画とかに、すっごい泣いてるの。
すっごく泣いてるのに、普通に一人目の子と話しながら、きれいだね、とか言って。
スピーカー 1
へー、やっぱそうです。
スピーカー 3
だから、慣れ、慣れが。
いや、そうなんだよね。
スピーカー 1
うん。
経験、一回経験してるかどうかとか、経験者がちょっと言ってくれるかだけで、変わる。
スピーカー 3
そうそうそう。
スピーカー 1
ことなのに、なんかもう、いっぱいいっぱいになっちゃうんだよね。
そう。
スピーカー 3
あー。
でも、やっぱりそういう時に、こう、話せる相手が、ちゃんと、例えばこう、自分で見つけられるか、見つけられないかっていうのも、結構大きそうですよね。
スピーカー 2
助けてって言えるかどうか。
うん。
うん。
困ってるっていうことも、言えて。
そうですよね。
で、じゃあ、ちょっとの間だけでも行かせてごらんって抱っこしてくれるときとか、ちょっと出てきてとかね、言ってもらえるとね、いいなって。
30:04
スピーカー 1
本当、そうですよねー。
スピーカー 3
確かになー。
スピーカー 2
そう、産後ケアの施設ではこう、何日間くらいいられるんですか?
そうですね。何日でも。
スピーカー 3
あっ、そうなんですか。
スピーカー 2
そうです。
あ、それです。
はい。
1ヶ月間をすごくそのお産の大事な期間ということで
1ヶ月お水も触ったらいけないとか
本当にお料理もしないで休むっていうことが
ずっと文化的につながってきてるんです
韓国は21日
日本でもとこやげ21日って言って
昔からお布団は21日から楽しめして
疲れたら横になるとか
赤ちゃんのことだけはママがやってねみたいな
ことだったんだけど
今は本当に病院から帰ったら
もう元気な人みたいな扱いだったり
もしかするとご本人もね
もう外に出てしまったりとかするけど
やっぱりいろんな体調が回復するまで
せめて本当に21日間
約3週間から1ヶ月ぐらいは
養生してたほうがいいって
思ってます
おっぱいもね
スピーカー 1
肌はですね
スピーカー 3
そうですね
5本の中で
出産とともに女性ホルモンが
スピーカー 2
一回ゼロっていうか
胎盤から出てた女性ホルモンが
胎盤が剥がれたと同時に
ストンと落ちるっていうことも
スピーカー 3
なかなかやっぱり知られてないですよね
初めて知って
もちろんホルモンの変化があるのは
知ってましたけど
そんなにこう急激に変化が起きる
やっぱりそうするともちろん
その出産っていう
その体の負荷もありつつも
スピーカー 1
何以上に
スピーカー 3
心も含めた変化っていうのは
ものすごく大きいと
いうことですよね
スピーカー 2
本当に個人差も大きいところですけどね
やっぱりそういう意味では
自分自身ですけどね
なんかもう何か
暗い気持ちになったにも
スピーカー 3
で人によっても
スピーカー 2
間違いますけど
そこは皆が知っておいて
rumors
До
しておいて
スピーカー 3
praise
スピーカー 2
優しくしてもらいたいなと思います
スピーカー 1
母性というか子供を育てるというかね
いたわる気持ちとか
この気持ちと女性ホルモンというのは
全く別のものだって言ったんですかね
スピーカー 2
どうなんでしょうね
なんかその時に人が落ちる時に
今度は逆におっぱいを飲ませると出てくる
オキストシンホルモンという原子力で
有名になってますけれども
オキストシンが出ることによって
子宮も就職して元に戻していく力と
それから湧き上がってくる愛情ホルモンという
オキストシンと言われてますけどね
オキストシンが出る時に
33:01
スピーカー 2
ゴーッとして柔らかい感じになると
それを母性ホルモンという風に言う人もいます
乳類うまくいってるんじゃないのかな
って常時にそこを知っておけば
スピーカー 1
それは別に出産してない人でも
スピーカー 2
子どもを育てているうちに出てくるみたいなものなんですか
っていうことを研究してる人もいますよね
そして男性でも皮膚を優しく撫でるとか
していくとオキストシンが出てくる
演舞手になるとか
私はその専門ではないんですけど
やっぱりそういう研究をされている人がいます
スピーカー 1
なるほど
先生の図書とか拝見してもその
運営最初の不安な時期とかもちろんそれもあるし
そこから社会の一員になっていくまでみたいな
この道のりって結構自己責任の世界になっちゃってるんですか
あんまりこう何て言うんですかね
私自身も思いますけど
保育園に行かせるとか学校に行くとか
そういう時になったら行政の手も入ったり
社会になんとなく入っていくきっかけになっていくんだけれども
そこまでの保育園に行かせるまでの間で
それって結構人によってさまざま長い人
非常に長い人もいますけど
結構本当お母さんと子どもだけの世界になっちゃうから
どう育てていいのかみたいなのが
変な情報でこうしなきゃみたいな気持ちになって
逆にあんまり情報にアクセスできない人とかは
本当に何もできないままどんどん社会から孤立していったりとか
なんか結構ね虐待とかねそういうニュースとかを見ると
本当なんかどうにかできないのかって
すごい心が痛むじゃないですか
結構やっぱりなんか子どもがいる友人とかで
何に関心社会問題で関心があるかっていうと
結構なんか自動虐待とか
すごく関心があるっていうか
何か自分もできないかって気持ちになるっていうのって
結構多いなっていう印象があって
それなんか自分自身がむしろこんなに子どもに対して
自分は愛情というか
何かしてあげたいって気持ちになってやるのに
なんかそれを受けられていない子どもがいるとか思うと
なんか結構それだけで
すごく辛い気持ちになったりするんですけど
なんかその産後ケアみたいな感じ
スピーカー 3
産後ケアとはいつまでなのかみたいな
確かに
スピーカー 1
その話は結構ご本の中にもね
結構その本当に一時期の話じゃなくて
36:00
スピーカー 1
妊娠した時からずっとその先まで
結構切れ目なくやっていくみたいな
そういうことが書かれていて
なんかすごく結構欠落してるとこだなと思って
本当に社会で
スピーカー 2
いろいろなやっぱり研究者やいろんな教育の先生たちが
その妊娠した時から生日間のやっぱり赤ちゃんの発達
食事とか環境とかいうことがすごく大事だってことを
言われてきてるんですけど
本当にその通りだと赤ちゃんにとってはですね
産後ケアっていうことを
一応いつまでっていうのはですね
母子保健法の中の産後ケアっていうことが
産後ケア授業っていうのは
産んでから1年間っていう風になってるんですよ
法的なもんではですね
1年って言うとどうなんだろうって
さっきの赤ちゃんの生日って言ったら
もっともっと先までだし
でも一旦は1年間っていう形で見てはいるんですけどね
それでも大体日本の行政は
4ヶ月ぐらいまではしっかり手当てをしようとか
産後ケアをやっていこうっていう形
動きにはなってるんですよ
自治体によってまだまだあるんですけどね
4ヶ月って言うと
やっぱり首が座るぐらいまでの時間で
おっぱいのことも大体解決してあるような
虐待の問題も当初全国調査では
スピーカー 3
やっぱり3ヶ月4ヶ月がピークっていうことがあったりして
スピーカー 2
その当時の調査ですね
なので4ヶ月という
世田谷産後ケアセンター第1号を創設した時にも
4ヶ月虐待対策としての産後ケア事業という
名目で始まっているんですね
スピーカー 1
なるほどね
お母さんもね子供虐待しちゃうお母さんとかもね
別にそうしたくて
なっちゃうわけでは
決してないと思うんですけど
なんか環境で追い詰められちゃうみたいな
なんかそこは本当に限られた時間と
3、4ヶ月を超えると
少しちょっと楽になるんであれば
そこまでだけでもっていう感じだし
その先もね
なんか結構ね
本の中にも書かれてたんですけど
スピーカー 2
なんだろう
スピーカー 1
結構最初のところで
失敗すると
その後の社会コストがむしろ高いみたいなことを
あのおがたに書かれてて
まあそれは確かに
そうかもしれないな
って思うんですよね
あのやっぱり人生の最初のところで
39:00
スピーカー 1
虐待をするとかされるとかっていう経験をしちゃうと
スピーカー 3
連鎖もね
スピーカー 1
そう連鎖もあって
なんか結果的に
それが将来的に犯罪を生んだりとか
社会をいろいろ乱す状況になったりとか、それを考えたら最初のところにもっと社会的にコストをかけてケアする部分があってもいいんじゃないかなと思うし
出生率を上げるも同時に女性にもっと働いてほしいみたいな話もあるからね、そこは自己責任って本当に埋め、働け、自分でやれみたいな
それはもっとやれることがあるんじゃないかなっていうふうに思いますね
次の回ですね
スピーカー 3
そうですね
先の話もね、期待しよう
あと、母親も大事だと思うんですけど、最初の段階でいくとパートナーがどう関わるか、父親がどこかあるかとか
スピーカー 1
父親もどうやったらオキシトシンじゃないけど、そういうのが育成されるのかみたいなところも関心があったりもするし、ぜひ海外の事例も聞いてみたい
あと、センターの話
うん
新しくできた産経センターの特徴の話とか、そのあたりをちょっと次回伺いたいなと思います
スピーカー 3
はい
スピーカー 1
ありがとうございました
スピーカー 2
ありがとうございました
40:44

コメント

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