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ダイアログカフェ。筋書きのない会話から、新しいアイデアと自分自身に出会う場所。この番組は、様々なテーマで楽しみながらお届けします。
田中英三郎さんをお迎えしての第3回です。
1本目と2本目は、めっちゃためになる子どものメンタルヘルス不登校と発達障害等々について聞いてきましたが、
中学の同級生である田中英三郎くんが、お医者さんになるんだろうなぁと思ってなったんだけど、
でも普通のお医者さんじゃどうやらなさそうみたいな感じで。
なんでそうなったのっていうのは、私もあんまりよく知らない。
あんまり知らないんで、ちょっとその話を今日は聞きたいなと思うんですけど。
医学部目指してたんだよね?
そうそうそうなんですよね。うち父親が田舎でちっちゃな会業をやっていたんで、それの影響があって、兄も何故か医者になったんで、そういうもんかなと思って。
お父さんは何科なんですか?
なんかもう本当にちっちゃな田舎町だったんで、内科やってたんですけど、なんでも来た人を見るみたいなことをやってましたね。
お兄さん結構年中が離れてるんですよね?
兄は18、16離れてて、そうなんですよ。
それはじゃあ一人っ子一人っ子ぐらいな感じに。
そうなんですよね。
あんまり兄弟っていっても一緒に遊ぶとかじゃないもんね。
見てる世界が常に違い続けるから。
大人だもんね、物心ついた時にはね。
そうだね。
もうお医者さんだったってことでしょ?
大学生かな、気がついたら。
だから大人がたくさんいる中での末っ子っていうことですよね。
そこででもなんとなくムード的には、自分も医者かなって思うわけだけれども。
で、医学部に進学して、普通はそこから、この間なんかチラッと聞いたんだけど、医局ってやつに入るんだと。
昔はね。最近またちょっと変わってきて。
入らなかったんでしょ?
そうですね。当時、今から僕が卒業したのが24年前なんですけれども、
医局講座制度っていうのがあって。
日本って基本的に都道府県に1個医科大学か医学部があるはずなんで、
そこの大学の医局がその県内の人種を握ってるっていう、そういう構図だったんです。
医局ってどういう、それは役所?
まあ、ギルドですよ、ギルド。
ギルド。組合。
組合。
一応そういう法人があるんですか?
法人があるの?
いや、ないない。
ないの?
え、何?実態のない何か?
実態のない何か。
法…があるんだ。
医局っていう巨大な。
医局っていう幻があるの?そこに。
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幻がある。白い血管の世界。
え、そうなんだ。医局っていう部署とかがあるとかじゃないんだ。
ない。そんなものはない。
あ、そうなんだ。
それに、じゃあ入るとか入らないってどういうことなの?
いや、なんかよくわからない医局という曖昧もことした組織があって。
君はこの秘密結社に入るのか?
そうそう、そんな感じの秘密結社。
でも20何年前だと、やっぱまだ医学…
ま、医者になるんだったら、医局に入る方が90何パーセントぐらい。
そうです。僕が卒業した年はそんな感じです。
そんな感じですよね。
え、医局に入りますか?って聞かれるの?
えっと、なんかちょっともう大昔の話になって、笑い話聞いてもらいたいんですけれども。
医局にとって政治と一緒なんですよ。
いっぱい医局員を入れるってことが大切で。
なんですごい熱烈な歓迎を受けます。
あー、もうその国家試験に受かったら。
いや、もう受かる前から。
受かる前から。
あ、はい。
みんなうちの医局に入れ入れっていう感じで。
はいはいはいはい。
そこで入れてくださいって言ったら入れる。
あ、医局は学校ごとにある?大学ごとに?
大学の課ごとにありますね。
あー、で、うちに入りな、うちに入りなと。
ただ、例えば東京大学とか京都大学とか大きな医局だと、周りから多大学の出身者が入れてほしいって殺到するんで。
それはそれで逆にセレクションされるみたいなことかもありますが、
でも結局あんまりセレクションする意味はなく。
大きれは多いほどいい?
大きれは多いほどいいから。
ヤクザのほうが強いですよ。
手にいっぱいいるほうが強いでしょ。
はいはいはいはい。
そういう感じなんだ。
そういう感じです。
あ、じゃあ、えっと、それはもう、最初から医局に入る気はなかったんですか?
えっと、そうですね、あんまりなかったですね。
なん、なんか、それなぜそんなレアな。
そうなんですよね。当時はちょっと、今は全然普通なんですけども。
今は全然普通なんですけども。
なんでしょうかね、なんか割と僕、なんていうか、無難な人生を生きてきて、
田舎の小学校、中学校に通い、そこまで一緒なんですけど、
田舎の県立高校に通い、それから地方の国立大学に行ってっていうので、
なんかこう、先の見える人生をずっと生きてきたんですけども、
24年くらいそういう人生を生きてきて、なんかつまんないなと思って。
このまま医局に入ったら、たぶんその後の40年くらいの人生が見えてしまうなと思ったので、
なんかそれは嫌だと思ったので、そのレールを踏み外したくなった。
って言ってもそんな大した踏み外しじゃないですよ、別に。
医者辞めるわけでもないし。
ただ、医局に入らないっていうちっちゃな脱線をしてみたくなったわけです。
でもね、たぶん数パーセントだから、当時。
その医局に入らない選択をするのは、結構大きかったと思うんですけど。
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でもほら、例えば田中さんも何年か転職してるでしょ。
まだ2000年代の頭って就寝雇用的な、そういうのって今よりももの少しあった気がする。
まあね、辞めるって言ったらね、なんでだって、
トヨタみたいな会社は辞めるって言ったらね、
上司とかはなんで?みたいな感じではありましたよ。
けどまあ、ちょっとその医局っていうものが、もはやもう何なのかが私にはね、
医療と全く関係のないおいたちの人なので、
医局っていうその幻が何なのかがよくわからないんだけれども、
でも、医局に入らないっていうことは、何を意味するんですか?
医局に入ると、簡単に言うと就寝雇用が保障される。
はいはいはい。そこで決まるの?
医局が人質を全て握っているから。
配属先病院も医局が決める。
それは脱退できないの?ヤクザは一回入るともうダメなの?
抜けられますよ。でもヤクザの首を抜けると指切らなきゃいけないでしょ。
それぐらいの痛みは確保しろよっていう。
例えば大学病院に行っても開業する人とかもいるわけじゃないですか。
そういう時は抜けるの?
ただし、開業するって言っても、ブラックジャックみたいな医者はいないわけですよね。
その医療権のつながりの中でやっぱり仕事をしなきゃいけないから、
医局に背いてそこで開業をもしするってなると、
患者さんを送ってもらえない。患者さんを紹介しても見てもらえない。
医師会に入れてもらえない。さまざまな。
そういうことなんだ。
あのさ、紹介状ってさ、待ち医者で大きい病院に紹介状書いてもらうときって、
どこに書くかっていうのは、その先生が出身の、それが医局なんだと思うんですけど、
その先生が例えば潤天堂出身だったら、潤天堂に書きますよみたいなこととか
言われたりするけど、いやいや私はこっちがいいですみたいに言ったら、
そっちでも別に書いてはくれる。
もちろんそれは問題ない。
それは書いてくれるんだね。でも受け取りませんとか、そんなことは別に。
えっと、もう今はそういうことはないと思うんですけども、
しかも例えば東京に住んでいたら、いろんな大学があるから、
ある意味で正常な競争が働いているのでいいんですけども、
例えば、すごい田舎に行ったら医科大学1個しかないってなると、
大学病院の任期を受けようと思って、そこにしか。
そこが断られたら、隣の県に行かなきゃいけなくなっちゃうから。
なるほどね。
そういう意味で、結局の力は絶在だったんです。
昔は多分そうだったんだと思う。
で、大学卒業のタイミングで入らなかったら、もう入るチャンスはないってこと?
いや、それは当時は分からなかったですね。また後でも入れるかなと思っていましたけれども、
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結局入りませんでした。
専門はその前に決めてたんですか?
いや、卒業した後には最初、今は全部そうなんですけれども、
専門を決めずに全科を研修して、スーパーローテーションに入ったので、
最初の3年間は結局内科を中心に全部やってました。
じゃあ、医局に入らずにどこか病院に就職したってこと?
そうです。病院に直接就職して。
医局に入ってない人でも就職できるんですね?
いくつか、今すごくたくさんの病院が受け入れてるんですけれども、
昔は全部医局からの派遣で決まってたので、
すごく例外的にある程度大きな有名病院が独自採用してたんですよ。
例えば東京だったら虎の森病院、生老化病院という大きな病院であったりとかは、
大学とは関係なく独自に若手、つまり卒業したての医者を採用してたんです。
その中で一つである国立国際医療センターというのを、
そのまま直接就職したという感じです。
精神科ってまたイメージ的に他の内科だったりとか、
体の不具合を治療するというのとは、
またアプローチが違う感じがする、ちょっと特殊なイメージがあるんだけれども、
いろいろ見ていく中で精神科が面白そうだとか、やってみたいと思った理由ってあるんですか?
よく聞かれるんですけどね、全部楽しくて、別に何科でもよかったんです。
内科も楽しかったし、手術はあまり好きじゃなかったから、下科は向いてないと思ったけど、
でも下科の雰囲気もすごい好きで楽しかったんですけれども、
何の精神科ですかね、でもまあなんかみんな最後のコアな部分って、
なんとなくじゃないですか、なんか自分がなぜここを選んだかって、
明確に言語化できるような。
まあまあまあまあね、まあじゃあなんかフィーリング?
そう、なんかここではない、こっちであってもよかった理由は別にあるかもしれないし、
絶対ここで精神科は絶対精神科しかやりたくなかったかって言われると、
別に他でもよかったけど、まあなんとなく精神科ですね、それぐらいの感じです。
その中で児童精神科、子どもっていうのを専門に選ぶのはどういう経緯でそうなってたんですか?
これも全然志高い話は全くなく、当時所属していた所属先がいろいろ人事が変わって、
体制が変わって、僕が思い描いてたのと違う感じの職場になったんですね。
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もう決して僕はそこで霊偶されたとか嫌な思いをしたとか全くないんですけれども、
まあ要は自分がずっといいなと思ってた先生がいなくなっちゃったんです。
なのでもうここにいる理由がなくなったなと思って。
ただまあ人も大きく入れ替わったんで、今そこで僕が辞めるっていうのもちょっと人道的にも申し訳ないなって思って、
もういる理由はないけど辞めるっていうのも申し訳ないときにどうやって辞めようかなと考えた時に、
やっぱりポジティブな意味が必要だった。
ここでできない何か。
なるほど。
子供の精神化をやりたい。できないなここではと。
後から理由を見つけた。
で、アプライして。
その時の上司に、え?パートさんそんなこと今まで一言も言ってなかったじゃないの?って顔をされましたけど、
子供たちの心を良くしたいって。
で、小売精神科に。
そう行きました。
梅川岡病院に。
私昔梅川岡に住んでました。学生時代に。
梅川岡駅のすぐそばに。
のどかな世田谷の歓声な住宅地ですね。
そこにどれくらい勤めてるんですか?
結局3年です。そこに来たのは。
そこから
病院を辞めるみたいなのはその次のステップ?
そうですね。それでもう何らかんだ10年弱くらい働いたんで、そろそろいいかなと思って病院を辞めて。
当時東大が1年間だけのパブリックヘルスっていう分野があるんですけど。
社会人向けのコースを新規で開設してたんですね。
そのすごいホームページに入ってるキャッチフレーズがズキュンってきて。
何を書いてあったかっていうと、そこの臨床につかれたあなたと。
1年間臨床離れて東京大学でパブリックヘルスを学んでみませんかって書いてる。
俺のことを言って。
ズキュンと。
ズキュンってきてアプライして。
それで1年間本当にフルタイムの大学臨時生をやって。
すごい楽しかったです。
社会人になってから大学臨時生の頃でもちょっといましたけどね。
本当にこれ大人のアミューズメントパークですよ。
来てる人たちは臨床につかれた感じの方が多いんですか?
いや、学卒でそのまま。
ちょっと年代的には若い人?
20代が3分の1、30代が3分の1、40代以降も3分の1くらい。
バランスの良くて。
幅も広いから、余計なんか面白い。
色んな人がいて面白くて本当に。
パブリックヘルスっていうのは何をやるんですか?
保健所ってあるじゃないですか。
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それを学問的に突き詰めていった感じです。
高生労働省みたいな感じの。
そこがその後に繋がるんですか?
そうなんですよね。
あんまりその後に繋げるつもりはなかったんですけども、
たまたまその時に大学院で出会った人に誘われて、
中東の市政省に災害支援プロジェクトに関わることになって、
地震のってことね。
地震の支援プロジェクトに関わることになって、
2年間奮闘しました、その後中東。
そこではその被災者の人たちの、それも心の?
そうなんですよね。
何か海外で授業をするってなると、
海外の現地機関パートナーシップでやることになるんですけれども、
中華婦女連合会っていう、
すごい流れ。
すごい。
なんかね、怖い流れ。
中国のおばちゃんたちが集まって、
子どもと婦女の権利擁護と、
社会的な支援をする組織があります。
そことパートナーシップなので、
主に女性たちや子どもたちで被災した人たちの支援をする、
そういう仕事をやりました。
なんかでもその、日本でもニーズがあるっていうか、
必要な感じですよね。
そうですね。
具体的にどんなことをやってたんですか?
そこでは、
本当に国と国との協力プロジェクトなので、
結構大きな話になってきて、
被災した街をいくつか選んで、
そこで例えばなんですけれども、
コミュニティセンターの中にカウンセリングルームを立ち上げて、
そこでカウンセリングしてくれるような人を少し要請したりとか、
あるいは住民さんに向けていろんなパブリックイベントを開いたりとか、
少し高度な人材育成をするという意味で、
中国の専門家を日本に招いたり、
現地で検証をやったり、
いろんな活動をやってましたね。
そのカウンセリングみたいな、
カウンセリングって言うんですか?
お医者さんがやるカウンセリング。
そういうのも被災者の方と個別でやったりとか、
そういうこともしてたんですか?
でもやっぱり言語的な問題があって、
僕自身が話を聞くっていうのはそれは無理があるので、
現地でそういうことがやれる人を育てる。
トレーニングするのがメインですね。
なるほどね。
被災者のメンタルヘルスって、
普通に日常生活の中でね、
仕事に疲れたとか生活に疲れたっていう人とは、
また違った悩みの出方っていうか、
症状みたいなのがあったりするかもしれないんだけど、
例えばどういう特徴があったりするんですか?
そうですね。
被災って言うと、
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本当に滅多に起こらないことがいろいろあるんですけれども、
ライフイベントとして、
そんなことまさか自分の身に起こるわけではないと思っていたようなことって、
やっぱり調べてみると、
結構な割合で生きてたらそうですし、
それを専門的にはトラウマ体験って言うんですけれども、
いっぱいの方が言うわ、
それちょっとトラウマだよっていうのは、
それは別にトラウマでもなんでもなく、
まさに生きるか死ぬか、
あるいは女性だと性被害が、
女性に限らず男性もそうだけどね、
に限られていて、
やっぱり壮絶な体験をされるので、
現れ方とか、
苦しみ方っていうのは、
ちょっと仕事に疲れたっていうレベルではあるかなと。
そうですよね。
確かに。
そういうかなり重いね、
心のトラウマみたいなものっていうのを、
解決していくので、
これは、
やっぱり対話を続けるとか、
そういうことによってなんですか?
あるいは薬とかもあるかもしれないけれども。
様々なメンタルヘルスの問題がある中で、
実はトラウマって、
すごく治療法が確立しているんですよ。
基本的には対話、
心理療法が最も有効だと言われていて、
その細かいアプローチの仕方は、
流派みたいなのがいくつか違うんですけれども、
そうして言えることは、
なんでしょうね、
みんなが抱える、
靴にしろ、
裸足にしろ、
その他の妄想靴とかにしろ、
そのすっきりな靴とかはなくて、
みんなまあまあお付き合いしながらって感じなんですけれども、
トラウマに関しては、
全員とは言いませんが、
あ、感知したねって言う。
へー、そうなんだ。
どこまで持っていけるんですか?
どこまで持っていける。
へー。
そうなんだ。
そうですね。
なぜトラウマって、
なぜそれができるの?
一つはやっぱり、
トラウマを除く全ての精神病が原因不明なんですよ。
いつだろうが発覚しようがないから。
明確だからか。
でもトラウマは原因があるんですよ。
そのトラウマ。
その原因に直接アプローチするから。
アプローチするって言っても、
会話とかでアプローチしていくわけでしょ?
そうですね。
どうなったら解決に向かって、
何を目指して会話をするんですか?
えっと、
トラウマって結局記憶の障害なんですよね。
何かと言うと、
人生で辛い体験はみんなあると思うんですけど、
その辛い体験って、
脳の中にそれらにインストークされていくわけなんですよ。
それが、
然るべき場所にインストークされずに、
転がってる状態がトラウマ記憶なんですよね。
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転がってる。
脳のどこかに。
ってなると、どうなってるかっていうと、
整理されてないから、
不意に突然出てくる。
そう、それがフラッシュバックの印象だったりとか、
しかも整理されてないから、
常にどっかにあるような感じになるので、
常に体が緊張している状態が続くんですよね。
感覚的に言われる状態なんですけど、
なので仕方がないから、
それを何とか押し込めようと思って、
整理ではなく、
自分の中でマントをかけて、
抑圧する感じになる。
本当に臭いものに蓋を閉めるみたいな感じで、
ポンって脳をかける、
回避っていう検証なんですけど、
それは整理ではなく、
ただ見ないようにしているだけの状態になってしまって、
そのトラウマの記憶を、
ものすごく簡単に言うと、
適切な手順で思い出してもらって、
語っていただいて、
その記憶に対しての再処理をかけて、
脳のあるべきところに収めていく。
へー。
でも最終的なもの、
すごく大きな話をすると、
その中で、
トラウマがあると何が起こるかというと、
その人の人生が分断されるんですよね。
あー。
ある、それが起こった時点と、
までの自分と、
そこが起こった後の自分、
つながらなくなってしまうんです。
あー。
逆体被害にあって育った方とか、
特にそれが顕著ですね。
へー。
一つ一つの人生が連続していないという状態になってしまうんですけれども、
それをもう一度、
一つの人生として生きづけを出す。
へー。
っていうのが最終的な。
すごいね。
すごい。
一体何が起きてそうやって整理されるのか、
よく分からないけど、すごいね。
そんなことができるんだね、人間は。
いろんなやり方があるんで、
僕が主にやっているのは、
認知行動療法と呼ばれるものの一つで、
そのトラウマ体験をひたすら繰り返し思い出していただいて、
ずっと語り続けていただく。
へー。
治療法なんですけれども、
それがきっとひどいことをやっているように聞こえるかもしれないんですけれども、
自分の力で思い出せなくなっているし、
自分の力じゃなくて勝手に出てくるところが問題なので、
自分の力で思い出せるようになってもらう。
自分の力で思い出せるものは、
自分の力でも治めることができるはずなんで。
なるほど。
だからトラウマって、
自分の意思で起きたわけじゃなくて、
いきなりやられたわけじゃないですか。
やられたら起きたりとか。
だから管理できないことが起きていることを、
自分が管理できる記憶とするっていう感じですか?
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そうなんですよね。
まさにおっしゃっている通りで、
トラウマって本当に生きるか死ぬかのことが、
自分の意思とは関係なく起こって、
起こった瞬間に何が起こるかというと、
世界観が変わるんですよ。
例えば、すごく典型的な世界観の変化としては、
世の中って全て危険。
それに対して自分は完全に無力である。
あと、
夜道を歩いて敵の後ろから殴って、
僕とかにされて死にそうになった人とかいて、
そういうふうに思っちゃっても不思議はないと思うんですけど。
でも変わった世界観がずっと苦しめ続けるんです。
それをもう一度再整理する。
重要なのは、僕ができることはないんですよ。
つまり、世の中そんなに危険じゃないですし、
あなたはそれに結構やれますよと言ったところで
何も救いに行かないので、
本人が世の中危険だと思っている自分や、
無力だと思っている自分に対して、
もう一度それを再整理する、お手伝いするという感じですかね。
思い出すという作業をする中で、
でも自分が思い出している記憶の意味付けみたいなものを
問いかけることによって、
本人がこれはこういう意味があるんだとか、
こういうことなんだって言葉にしていくことによって整理される。
そうです。
意味はやはり本人が自分で見つけるしかないので。
なるほど。
その問いかけの手法というものがあるってことですか。
そうです。
すごいね。
すごい。
でも、必要だけどめっちゃハードなプロセスですね。
分かりやすく言うならば、
皆さんも人生観が変わった瞬間ってないですか。
これまでの人生の中で多少ないと思うけど、
それって授業を受けている時じゃないと思うんです。
なぜならば、
感情が強く揺さぶられた時に人生観は変化するんですね。
それはポジティブに変わることもあるし、
トラウマタイプみたいな恐怖のどん底に突き落とされるのか、
本当に死ぬんじゃないかと思うような時に
人生観は変化するんですけれども、
逆のことも起こり得る。
なるほど。
本当に人生観は変化するんですね。
そういう時にも人生観は変化するんですけれども、
逆のことも起こり得る。
その感情を強く揺さぶった瞬間をもう一度呼び起こして、
その人生観に関してのもう一回再考察を受けたりとか、
治療を受けたりとか。
なるほど。
でもすごく長く治療期間って、
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そんなに短い期間では終わらないんじゃないですか?
いや、通常3〜4ヶ月。
毎週かけてもらいますが。
毎週3〜4ヶ月なんだ。
で、終わらせます。
なるほど。
でもそういうことができる人を育成するようなことをやってたっていう。
そうですね。
それはかなり専門的な話なので、
たくさん育成できたわけではないんですけれども。
この情報って、めっちゃ有益じゃない?っていう感じ。
なぜなら、いつ何が起こるかわからないわけじゃないですか。
トラウマ体験みたいなのって。
なぜなら自分のコントロール外だから。
それが起きた時に、
この解決策があるみたいなことって、
そのままでは思えないと思うんだよ。
だから、その前にトラウマ体験っていうのは、
そうやって治療法が確立されていて、
辛いけど、
その積極的なプロセスを経れば、
きちんと向き合える、管理できる、
だっていうことを知ってるか知ってないかで、
その場面にあった時の自分の行動って絶対違う気がする。
これ、みんな知っといた方がいいね。
それを知らずに、ただ苦しみ続けてる人もいますよね。
いっぱいいる気がする。
これをやれるお医者さんって、足りてるんですか?
残念ながら、トラウマの治療に関しては、
通常のクリニックではそんなに専門的にはやってないというのが現状ですね。
ただ、例えば東京都であれば、
警察署が犯罪被害に遭った方に関して、
しばらく感染症を提供したりするサービスがあったりして、
犯罪被害者支援センターという、
そういう犯行的な、何になるかちょっとすみません、
運営母体はちょっとわかんないんですけれども、
ものがあったりして、
そういったところでは専門的なケアを提供します。
なるほど。
知らなかった。
ただ、本当に被害に遭われた方は来ないんですよね。
知らなかったら、ますますそうだと思うし、
その状況が変わるなんてことすら想像できない。
世界観が変わるっていうか、分断されるわけですよね。
最初の段階では自分の辛い記憶を思い出さなきゃいけないっていうのだったら、
それもまた嫌だってなっちゃう。
周りも思い出させたくないみたいに思っちゃうかもしれないしね。
なるほどな。
無理に思い出してくださいっていう治療ではなくて、
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思い出すことがどういう意味があるのか、
思い出すことに関して安全にやるための手順を
説明した上でやっていくんですけれども、
短期で終わらすって言ったのは逆にそういう理由があるんですよね。
この辛い記憶に向き合うっていうのを延々と1年も続けてやっていきましょうなんて、
とても言えない。
なのでこの10回で蹴りをつけようと。
あと、辛い状況は多分そういう体験を受けた方ってみんな同じだと思うんですけど、
そこから変わりたいっていうか、
この苦しみから抜け出したいみたいな、
変わりたいっていう思いがあるかないかみたいなところが大きかったりするんですか?
それはとても大きいですね。
このトラウマの治療に限らずですけれども、
いわゆる心理療法に関しては、
本人の変わりたいっていう気持ちが全くない人には、
周りがいくら良さそうだからとか、適応があるからとかって進めたところで、
多分有害にしかならない。
有害は言い過ぎかもしれないですけど、
効果は期待できないですね。
でも、やっぱり苦しまれているので、
変わりたいって思われている気持ちは本質的にあるかもしれないですね。
なんかよくさ、
それはドラマとかそういう世界なのかわからないけど、
トラウマっていうと、
大体幼少期の親との関係みたいなのがよく言われるじゃないですか。
実際やっぱりそういうところに何か苦しみの、
もともと一見そこに災害とかわかりやすいけど、
一見そこに原因があるというふうには見えなくても、
実は掘り下げていくとそれが原因だったみたいな、
それって多いんですか?
幼少期との親の関係に関しては、
本当にいろんなレベルで出てくるんですけれども、
まず基本的にあんまり、
個人的にいろんな人の考え方があると思うんですけど、
僕は無駄に掘り下げない。
そうなんですね。
いろいろあったとしても、
それを抱えながら今生きているのであれば、
そこを無理に掘り下げてどうこうするというのが、
必要なければやらなくていいと思います。
なるほど。
必要ある方はやりますけどね。
なるほどね。
そこまで言うほど、
イメージでだいたいトラウマという話が出てくるじゃないですか、
言うほど別にそこが根本的な原因になっているケースが、
すごく多いというわけでもないということなんですかね。
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多分、いろいろ。
そうですね。
多いかどうかは分からないんですけれども、
みんなやっぱり親との関係であったりとか、
毒親みたいなこともあるし、悩まれたりとか、
いろいろすると思うんですけれども、
トラウマのことを扱うって、
大手術なんですよ。
急的に言うならば。
しなくていいんだったらしない。
こうしたことはないので。
全部切らなきゃいけないのか、
というのはよく考えてやります。
なので、トラウマの治療をやるといったときに、
本当にそれをやるべきかどうかというのは、
ここによく話し合って取り組むべきだと思います。
面白すぎて、ここずっと掘り下げちゃった。
まだキャリアの話。
中国に行った。
中国に行って、日本に帰ってきた?
日本に帰ってきて、
たまたまそのときの繋がりで、兵庫県の、
新淡路地帯震災の被災者の支援をするという、
県の研究所があるんですけれども、
そこでしばらく、6年ほど、
今言っていたようなトラウマの治療を続けています。
それは子どもだけじゃなくて、子どももとも?
子どもも全員です。
本当にそこで働いていると、
世の中には何という不幸が溢れているんだって、
我々は幸せだなと思います。
なるほどね。
犯罪被害者の人とかが多いということですね。
そうだよな。
なるほど。
そこで6年働いて、
ジョージアに行ったのは?
それはずっと昔の話で、内海をやっていた頃ですね。
すごい最初の頃ってこと?
キャリアの本当に最初の頃?
キャリアの最初の頃。
そうなんだ。
なるほど。
実はどういうきっかけで行ったんですか?
どういうきっかけで?
出来心ですね。
国境なき医師団ってやつに入ってみようかな。
名前かっこいいじゃん。
かっこいいね。
ちょうど1990年代のいつかにノーベル賞を取って、
国境なき医師団は聞いたことがあるなと思って、
たまたま早瀬田通りに歩いていたら、
たまたま高田馬場に国境なき医師団の事務所があったから、
たまたまちょっと入ってみたら、
たまたま行ってみるって言われたから、
つい勢いに行っちゃった。
議員も自衛隊に入らないかみたいな、
そういう系のノリってこと?
そうですね。
そんなノリです。
めっちゃ面白いですね。
それで、え?
でも国境なき医師団って危険な場所にいたり?
そうそう、そういうのが好きな人たちなんですよ。
36:02
で、あれって給料とかも?
今は少し出るんですけど、
今行った時半全ボランティアでした。
ボランティアなの?
生活費が出ますよ。
お給料はないけど、
生活は別に持ち出しはない?
持ち出しはない。
特効費生活費が出る。
ジョージアで、
当時は内戦してたんですか?
内戦が終わって、
ロシアのPKOが国境沿いにいて、
一応停戦状態になっているけれども、
内戦は終わっている。
解決はしていないという状況です。
どうもこっちはやっていなかったです。
でも街とかまだ荒れた状態だったんですか?
そうですね、当時はまだ荒れた状態で、
市以外は歩いてはいけません。
医者が待ってるかもしれませんから。
それぐらいの経験ではありました。
それはこれまでのお医者さんになって、
順調に医局には入らなかったけど、
医者の息子として生まれ、
この後の人生は安定した道だなというところから、
医局に入らないという外れたところからの、
さらに大きくずれる感じの経験。
なかなかお医者さんで経験している方は、
少ないと思うんですけど、
そこで見たものって、
カルチャーショックというか、
衝撃がありました?
たまたまなんですけど、
国籍なプロジェクトで、
いろんな国の人が入っていたんです。
MSFハウスという、
外国人の支援者が入っているところが、
世界の祝図みたいになっていて、
常に紛争が起こっていて、
そこで、
どういう?
なんでお前このホワイトブレッドを買ってきたんだ?
俺はブラウンブレッドしか食べないんだ!
チミツを勝手に使ったやつだ!とか、
そういう紛争が起こっていて、
世界の祝図を見てきましたね。
民道ありそう。
あとは、自分の部屋とかもあてがわれないから、
誰かがいなくなったら、
素早く荷物をバッと置いて、
占領しないと、
いつまでたっても領土が保全されない。
領土保全されないですね。
平和はやっぱり戦って勝ち取らなくて、
与えられるものにはない。
常にセキュリティーが気をつけておいた方がいい。
誰に落とし入れられるかわからない。
国境なき医師団って別に
医者だけがいるわけじゃないんですか?
もちろんいろんな人たちがいるんですよ。
ロジスティシャンといわれる工学系の人もいますし、
アドミニストレーターといわれる
いわゆる管理系の人たちもいますし、
ずっといるわけじゃないですけれども、
4人に向けて発信を大切にしているので、
39:00
ジャーナリストとかが来たりして、
アドボカシーキャンペーン的なことも
いろんな人たちと出会えて、
みんなすごい変な人たちばかりでした。
なかなかその選択をする時点でね。
それにどれくらい行ってたんですか?
1年弱ぐらい。
なるほど。
すごい鍛えられそうな。
攻撃的なわけじゃないけど、
サバイバル能力というか、
戦闘能力が鍛えられそうな感じ。
確かに、イメージね。
工学力が伸びたこの人たちの時は、
なぜかというと、すごい理不尽なことを言われて、
めちゃくちゃ言いまかされるんですよ。
すごい悔しくて、英語で共通言語なんですけれども、
夜寝ずに次なんて言い返してやろうって、
ずっとAさくんが思いっきりし続けていてね。
伝えたい。
位置まかしてやりたい。
怪しい。
やっぱり試験の時にね、
あなたの印象深い器を話してくださいとか言われるのと
全然違うこの喋りたいモチベーション。
動機がね。
それは良かったですね。
なるほど。
じゃあ中国行って戻ってきて兵庫県で
6年働いて、
ヨルダンに行ったのは?
その後ですね。
ヨルダンにたまたま声をかけてもらって、
ヨルダンのプロジェクトがあるかなって思ったんですけど、
結果的にはコロナのせいで
1年行けなくなって宙ぶらりになったんです。
ヨルダンに最初に行ったのが2020年の2月で、
まさにのタイミングですね。
よし、じゃあやりましょうか。
4月ぐらいから行きますかって言ってたら
3月にヨルダン国境を封鎖。
4月に日本をロックダウン。
なるほど。
1年半ぐらい行けなかったですね。
なるほど。
じゃあ、実際行ったのは2021年?
そう、2021年の夏からですね。
そうなんですね。すごい最近なんですね。
ヨルダンはつい最近ですね。
ヨルダンでやってたことっていうのは、
公衆衛生的なものをどう?
職務の役割的には偉そうな名前ですけど、
職務の精神保険政策アドバイザーっていう方たちが与えられて、
保険所、いろんな厚労省みたいなところにいて、
子どものメンタルヘルスに関わる
政策づくりの助言をするっていう。
そもそもヨルダンの公的な保険医療の中に、
42:02
医療っていう意味での児童精神科の専門医で、
人口1000万の国なんですけれども、
2人なんです。
2人?
2人なんです。
だから当然厚生労働省の中にも、
子どものメンタルヘルスがちょっとうまいんですか?
ぐらい感じで。
専門家いないので。
ヨルダンってどういう水準にある国なんですか?
すごく不思議な国で、
まず中東ですが三輪国ではない。
資源といえば観光資源という国なんですけれども、
最も大きな産業が開発協力。
つまり開発協力。
つまり各国政府から資金援助がたくさん入っている。
あんまり産業がない?
産業がない。
産業がないからか。
なぜかというと、
中東地域において奇跡的に正常が安定している。
そしてアラブ諸国ともイスラエルともそれなりにバランスを取った。
確かに中立。
なんとなく中立なイメージがあります。
どっちにも尖ってない感覚。
そして最初の中東戦争以降、
アレスティナ難民、シリア危機の時のシリア難民、
イラク戦争の時のイラク難民とか、
周辺国の難民を受け入れまくったようです。
難民由来の人口が3割ぐらい。
3割の?
難民が来るとお金もらえるからなんでしょ?
えっと、そう…
そんな身も蓋もない。
身も蓋もない。
身も蓋もないんですけれども、難民を支えているという。
難民を支えている。
そのヨルダンが苔けるとどうなるかというと、
ヨーロッパに難民が殺行するわけですよ。
積書みたいな、積止めなんですね。
難民を受け入れることによって。
地理的にもそんな感じですよね。
ので、すごくいろんな…
そういうことですね。
ヨルダンになんとかお金で解決したEUの国々が
ヨルダンにお金を払って難民ちょっと面倒見てよと
どっちの国に来てもらったら困るんだよという感じだって。
専門家に寄せるとちょっと単純化しすぎて
良いかもしれませんけれども、そういう構図は無きにします。
なるほどね。
そこで承認精神化ってね、
そういうことを考えるレベル感にはない。
余裕がないみたいな感じなのかな。
でもやっぱり難民の中での子供の割合とかってすごい多い。
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圧倒的に若い人口なんですよ。
難民はそもそも若いし、ヨルダンの国自体も
皆さん今正確な数字で言ってもらうんですけど
本当に若いです。
年寄りあんまりいなくて若い人口で。
子供たちはそう言いますって。
なのでニーズであったりとか必要性は大きいところかなと思います。
なるほど。
いろんな国でいろんな様々な心の問題に
すごいいろんな国の事情とか
本当に紛争があるような地域とか
めっちゃいろいろ冒険してますね。
そんな大してアドベンチャラスな人生ではなく
のんびりやってます。
普通に医者捕まえてきてこんな経歴の人いないですよ。
外国に行くのが好きだったっていうだけで
のんびりやってます。
しかも役割も微妙に違ったりする中で
それを求める動機っていうか
何がドライバーになるんですか?
多分飽き性なんでしょうね。
あとうさぎ年だから
そういう問題。
エサブロー君はこういう人生を歩むとは想像もしなかった?
あんまり僕もそういう人生を歩むとは想像もしてなかったので
そんなつもりもなかったし。
でもなんかそのお声掛けがあったりとか
特注金はね、そのお声掛けがあったりとか
でも国境なんて普段は見かけたところに
普通に見かけても入らないじゃん。
あそこ入ってみるとか
ズキュンと来ちゃうとか
直感を割と大事にする感じなのかな?
そうですね。
縁であったりとか
たまたま汗通りに国境なき医師団があったのも
僕の汗を出た時に汗だりあったのも
そういう縁だったんだろうなと思いますし
声掛けてもらったのも何か縁だったのか
なるほどね。
運命的。
それはもう買っていっていいんじゃないかなと。
なるほどね。
でもこの先も何するか分かんないですね。
でも大体やりたいことは全てやれた気がするから
もう引退でいいんじゃないかなと。
引退じゃないだろうけど。
今大学で教えてて
臨床もされてますよね。
週に何回かとかされてますよね。
今後こっちの方向に関心があるなとか
こういう肘を増やしていきたいなとかあるんですか?
本当にあまりなくて
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もう何だろうな
残りの人生をどう使おうかなっていう
なんですけれども
でも次の世代に行ったりとかはやらそうない?
いやでもね、だんだんそういうお年頃だよね。
何か役に立てればいいなぐらいの感じですね。
こないだエザブロー君の授業で
私一コマお話をさせてもらって
すごい面白かった。
小笠原さんから聞いた話をね。
インパクト投資の話としたり
企業活動とSDGsか
っていうので話したんですけど
今も国際協力関係の方
別に医学の話をしてるっていうよりは
ジャイ科だったりとか
そういう方をゲストに呼んだりして
お話したりしてて
すごい学生さんもね
私もお話したら
すごい質問とかも積極的にしてくれて
ああいう感じだとこっちも
もっと語りたいなとか話聞きたいなとか
学生が何考えてるか聞きたいな
みたいな気持ちにさせられるなと思って
面白い人たちも多くて
いやいやでもね
めっちゃ全然知らない話がいっぱいあったし
英座風呂くんの直感人生が
非常にユニークなキャリアというか
人生を作ってんだなっていうのは
すごい感慨深かったです
中学の同級生のね
その後聞いたっていう感じで
本当に面白かったです
30年以上経って大崎でこんな話をしている
本当ですよ
本当本当
英座風呂くん上回る私の
小学校の同級生とかも全然覚え当たらないもんね
どっかでなんか面白い人に出会うかもしれない
長い時間いろいろお話を伺いして
すごい楽しかったです
こちらこそありがとうございます
ありがとうございました