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放送回:「さらば、呑んべ横丁」( 2023年7月28日)

サマリー

葛飾区立石の呑んべ横丁は、町の再開発で閉鎖することになっています。この場所では、3日間にわたってロケが行われています。この場所には、絶滅危惧種のスナックや居酒屋が多くありますが、昭和の雰囲気やコミュニケーションの大切さを感じることができます。カラオケボックスではあまり上手な人はいませんが、スナックではおっさんが熱唱しているのを見ると自然と盛り上がります。しかし、こうしたスナックの存在がなくなっていくことは本当に残念だと思います。呑んべ横丁は、人情と貧しさの関係から生まれたコミュニケーションの場であり、その再現や制約のある空間を作ることが必要です。

呑んべ横丁の閉鎖と昭和の雰囲気
真夜中、コンビニの駐車場で。
このポッドキャストは、1つの場所を72時間にわたって定点観測する、
某、公共放送局のドキュメンタリーを大好きな2人が、番組についての感想や愛を語ります。
今回は、さらば、呑んべ横丁ということで、東京の葛飾区の立石というところにある、呑んべ横丁みたいなところを舞台にしています。
実は、ここが町の再開発をするということで、70年続いた歴史に幕を下ろして、ここが終了してしまうというところの、
別に最後とかではないんですけれども、本当にもう今月末で閉まりますよっていうようなところの場所の中で、
10件ほど影響しているスナックとか居酒屋に3日間、ロケをしたということなんですけれども、今回いかがだったでしょうか、山口さん。
なんか、絶滅危惧種のオンパレードって感じですよね。
そうなんですよね。
まだあったんだっていうね。
そう、僕ら平成じゃないですか、生まれは。
これって別にリアルタイムでもないし、ここに出てくる横丁の昭和的な雰囲気は、別にリアルタイムではないけど、やっぱりまだあったんだって感じしますよね、この雰囲気。
そうですよね、こういうスナックがたくさんあってとか、来るお客さんたちも、本当にいろんなタイプのお客さんがいてっていうところで、ここで本当に何かすごく美味しいご飯とかすごく高いお酒をっていうことじゃなくて、気軽に飲んで帰っていくっていう場所が、
そういう場所って東京都内もいくつか他の場所もあるんでしょうけど、ここまで昭和を映し取ったかのような場所って残ってるんだなって思って、すごくびっくりはしましたね。
いくつか絶滅危惧種の生き物たちが出てくるんですけど、その中でいくつかあるんで、ひとつまず挙げるとすると、宝富の夜の社員食堂っていう感じですよね。
裏の人事部とかね。
裏の人事部とか。
スナックのママのことをね。
22年勤めて退職する人がいて、この農米横丁自体も最後だからって言って、みんなで飲みに来てみたいな、本当に青春が詰まってるんですみたいな、そんな話、2023年にあるのって感じじゃないですか。
そうですね。サラリーマンたちが会社終わりにスナックに来て、そこでもまだ仕事談義に花を咲かせて、そこのスナックのママが本当に新入社員の時から知ってくれてるみたいなのって、僕プロジェクトXとかの再現Vとかでしか見たことない。
エンジンを開発した彼らの行き詰まった時に行くスナックみたいな、そんなのってまだあるんだっていうことに本当驚きまして。
絶滅危惧種のスナックと居酒屋
しかもそれがその宝富っていうところがいいですよね。今、音田さんが言ったみたいな、なんて言うんでしょうね、まあ言い方は街工場とか地域密着型企業とかだったら、地元みんな近場だから住んでるのも働いてるのも、だからこそ近場のスナックで飲んでみたいな環境って生まれがちだと思うんですよね。
でも宝富っていうと、名前を普通にみんな知ってるような企業じゃないですか。その大手企業のヨルド社員食堂みたいなのが立井市にあるっていう、その設定が全部別々器具って感じますよね。
別に銀座にあるとかじゃなくてね。
そうなんですよ。しかもそのお店がよく社員が出入りしてると、割とその社員の色になったりとかするじゃないですか。でも別にこのお店特に宝富感っていうかおもちゃ感も別になく、普通のお客さんも全然いるし。
その何て言うんでしょうね。町のスナック感が本当にあんまりないし、しかも社員単位で通ってるっていうのも珍しいなって感じですね。
だからそこが絶妙でしたよね。とはいいながら、そのおもちゃの実際のスナックをミニチュアにしたおもちゃとか持ってきてたじゃないですか。
それは別に完全に趣味ではなくて、なんて絶妙な非売品じゃないですか。でもそのミニチュアが趣味で作ったっていうよりはちゃんとパッケージまで、箱があってそこの箱にパッケージの名前とか書いてあったりしたじゃないですか。
ああいう完全にこう仕込んだじゃないですか。パッケージデザインいつどこでどうやってやったのみたいな。
必ずあの機械を作る過程においては会社の道具を使っているみたいなことですよね。
何らかにパッケージ会社さんとかに試作で作ってよみたいなことを言ったりしてるわけじゃないですか。
絶対してますよね。
それが許されてるっていうか、ああやってテレビにも出してオッケーですよみたいなぐらいのレベル感で。
それはそれは多分ねおもちゃとして茶めっけとか遊び心とかもすごい絶対大事だと思って、そこに一個一個めくるじら立てるっていうところでもないんでしょうけど、
でもそれでもなんかそれって昭和にはあったかもしれないけど今ってやってよかったんだっけみたいな。
そのなんか感じも含めて本当にもう今ない感じなんですよね。
このなんかそののんべい横丁っていう括りで映されるから許されるコンプライアンスみたいな世界ってあるじゃないですか。
白黒映画だったら今でもまだ大丈夫みたいなそういう感じじゃないですけど。
なんかこうのんべい横丁ってそういう昭和に戻る感じだけじゃなくてコンプライアンス含めてそういう中の精神性みたいなところも生き続けてるんだなっていうのは本当に思いましたね。
そうですね、そういう側だけじゃなくて、ここで送り得るコミュニケーションというか、結構みんなその肩書とかここには神座とか下座とかってないんだよとか、
本当に肩書は全部無視して自由に語っていい場所みたいな、要はそういう無礼講みたいなところであったりとか、本当に触手とかも全然別々な人が来てやり取りするみたいな、
かっこよく言えばサロンなんですけど、サロンほど西洋的な戦略的なものでもなくてっていう、
長屋館というか東京などにあったそういうごちゃ混ぜでコミュニケーションを取れる場所みたいなところが、
いわゆる大都会の24時間の食堂での匿名性とはまた違うパターンですよね。
その匿名性じゃないんだけれども、自由に話ができる場所で落ち着ける場所みたいなところがだいぶ少なくなってると思うんですけど、
ここにまだあったんだっていうところは思いましたね。
スナックのコミュニケーションと新しい名前
こういうスナックって新しい実名性だと思うんですよね。
別の2つに近い何かだと思ってて、要はここに来る人たちって滞在時間長いじゃないですか。
基本的にそういう大食堂とかに比べる都会のね、に比べると多分長いと思うんですよ。
特にお尻が決まってる人たちがあんまり来るわけじゃなくて、割とゆっくり飲むみたいな人が基本的には多いところだかなと思うんですよね。
そうなってくるとやっぱり顔見知りになったりとかしていって、でもそれはさっき本田さんも言ってたみたいな名前とか肩書きじゃなくて、ここで新しい名前が授けられるみたいな世界な気がするんですよね。
この中でもう一つ絶滅危惧種の中で言うと、縦石のスーザンボイルですよね。
ママが。
この縦石のスーザンボイルとか出てきてないですけど、例えば小岩のジョン・レノンとかそういう知名プラス有名人みたいな、もうそれ誰も言わないんじゃないですか今。
下町のナポレオンとか?
誰も言わないセットの感じが、本当にでもスナックの新しい実名制じゃないけど別の名前感っていうか、別の立ち位置感みたいなことをめっちゃ表してるなと思って、いいなっていうか面白いなと思ったんですよね。
実際そこで結構、いわゆる状況物語じゃないですけど、結構来てる方で地方から来てる人って多かったですよね。
都会で就職などで状況して、なかなか簡単に友達とか家族とかっているわけじゃないところで、こういうところの場所に来て、そういう縦石のスーザンボイルのママさんなどに、
伝えがってもらいながら、一緒に相棒とか仮想拳の女とかを一緒に見たりとか、謎にそういうコミュニケーションを行うことで、認められていくというか自分の居場所を見つけていくっていうところが、二綱的な意味合いでもできるし、そこが今本当に日本というか世界の中でそういうのって失われつつあるなっていうのはやっぱ思いますよね。
なんかそれが新しい名前があるっていう人もいるんだけど、最初に話したみたいな宝トミーの人たちみたいな感じで、現世の名前を引き継いでる人もいるわけじゃないですか。
その、ね、現世って世俗の名前か、世俗の名前を引き継いでる人もいるわけで、そこがこう入り乱れてる感じが閉じすぎない感じに繋がってるんだと思うんですよね。なんかバーともまた違うじゃないですか。
そうですね、このスナックっていうね。 スナックっていうところの中間の感じっていうか、それがいいですし、席もあってないようなもんじゃないですか。あるんだけど狭かったりとか、すごいすし詰めで、6畳の店内にめちゃめちゃ人が入ってるみたいなのあったじゃないですか。
ああいうの含めて、本当にコロナ禍で言われた三密が全部集まってるところですよね。
ついにやれたって感じでしたよね。
だからこそ、そういうスナック的な不思議な場所っていうか、本当にそのもう今はあんまりなくなってしまった、今あるんだけど常連だけになってしまったような場所がここには奇跡的に残ってたっていう回だなと思うんですよね。
あのね、スナックに設置されているカラオケってある時代ですよね。
要はカラオケボックスみたいに知ってる間だけで盛り上がるんじゃなくて、本当に隣で知らないおっちゃんが熱唱してて、それを別のグループが愛の手を入れてもOKみたいな感じ。
ベテランのおじさんたちと若者たちがサザンで繋がるみたいな、サザンの歌を入れたけど間違いないという若者世代の超絶情報した気遣い。
でもあれでみんな盛り上がるとか。
あとは本当に日本人ってなんであんなに松剣サンバが全体に浸透してるんだろうっていうぐらい松剣サンバ歌って踊ってたじゃないですか。
DNAに入ってるから松剣サンバが。日本人のDNAに。
松剣サンバってまた流行ってるんですよね。またっていう言い方もおかしい。何回も流行ってるっていう。
もうそうですよ。松剣サンバDNAに入ってるんで人々の。
もうスナックでそれ歌っておけば本当に問題ないんですよね。
あのカラオケっていうのはもうすごい偉大だったなっていうのが各スナックで置かれててみんな楽しそうでしたね。
あのカラオケって結構選曲の話は本田さんしてましたけど、上手い下手関係ないじゃないですか。
カラオケボックスのカラオケって上手い下手は割と関係あると思うんですよ。
採点があってとかね。
採点があってとか言っても飲み会の二次会で言っても歌をここは歌う場です。
私は歌う人、あなたたちは聞く人っていう差が明確じゃないですか。ステージの上とステージの下が明確なんですよね。
そこにステージがなかったとしても。ただスナックってそもそもステージの上にママさんがいるわけじゃないですか。
中央に。その周りでやんや歌ってるだけだからあんまり歌ってる人聞く人みたいな境目がない。
だからこそ上手くても下手でも良くて、むしろいかに楽しそうか盛り上げるかみたいな飲みカラオケテクニックの方が多分重要なんですよね。歌唱力よりも。
スナックのカラオケの魅力
それがカラオケあんまり上手くないんだけど歌いたいみたいな人とか別にそんなすごい上手い人もそんなにいるわけじゃないじゃないですか。
そういうカラオケボックスはちょっとだけどスナックだったらいいかなみたいな微妙なところをついてるしいいなと思うんですよね。
スナックのカラオケはね、本当におっさんが熱唱してるのをよく見ると勝手に盛り上がれるのがいいんですよね。
そうですね。下手なら下手で盛り上がるじゃないですか逆に。
はいはい。
分かります。逆に盛り上がるじゃないですか。
名庭してる感じも含めてね。酒入ってるんでねっていう。
なんていうのこのノミニケーションとかコロナ禍で亡くなって良かったものみたいな職場との飲み会みたいな。
あるし、実際それはそういう側面もあるなと思うんですけど、こういう飲米横丁みたいなところって職場の飲み会で連れて行かれるんだけど気づいたら職場と知らない人といるみたいなことあるじゃないですか。
こういうスナックって。そういうのがなくなっちゃうっていうのはなくなっちゃったのはなんかもったいないなと思うし、意外と連れてかれないと行かないし貴重だったのかもしれないなと思うんですよね。
改めて思って。
そこがなんか、これ話としては結構僕らが初期にやったやつに戻っちゃうんですけど、銀座の会とかでやった時に、銀座のおつまみの会だったかな。
はいはい。
銀座ってそういう大人の街で昭和にも盛り上がってっていうところで、やっぱりお店とかバーとかそういうスナックとかも含めて、結構そういうふうに会社の中で継承されていったっていうところがあったと思うんですよね。
会社の人に連れられて、自分で行こうっていうわけではなくて、会社の人に連れられて行ったら実はすごい良くてとかいうのが、本当に日本中で当時銀座に限らずあったと思うんですよね。
多分大阪市の立石にもそういうところがあって、勝手に連れてこられたらそこに合わせた人とちょうど盛り上がったりとか、いろいろな人生経験の話聞けたりっていうような、
自分で意識的にそれを得ようとするわけじゃなくて、偶発的にそういった経験を得ることができる場所っていうところが、
これまでは上司の人の継承っていうものによってあったんだけれども、コロナというかそれよりも前の、そもそも会社の飲み会もチェーンの居酒屋にしか行かないとか、そういうのだと結局意味なくて、
こういう小さなお店とかに行こうよって言える計画的偶発性っていうんですかね、あれを本当に今回も立石で実際そういう場があったんだけれども、ここも残念ながらなくなっていくっていうところで、一個一個プチプチって潰されていってる感じがしますよね。
なんかかっこいい遊び方ができる大人みたいなのがいなくなってるんですよね。別に飲むのがかっこいいってわけじゃなくて、それは本田さん言ってたみたいに別になんか、めちゃめちゃ上田見に行ってますとか、めちゃめちゃ収録で渡見行ってますみたいな人の話じゃなくて、
こういうのんべ横丁とか、要は自分が知らない、若い人とかが知らない世界を見せてくれるような、やっぱり子供の時もそうじゃないですか、やっぱり自分の知らない世界を生きている大人はかっこいいみたいな感じあるじゃないですか。
そういう憧れられるかっこいい遊びをしている大人みたいなのが、会社飲み会の崩壊によってどんどん粛清されてっちゃってる気がするんですよね。
本当そうっすね。ちょっとかっこいい大人だけじゃなくてっていうのもありましてね。
そうなんですよ。
途中で出てきた、僕この人に会いたかったなと思ったのは、お姉さんが近くで居酒屋やってるんですとか言って、義理のお父さんかなんかがヒゲって呼んでますっていうお父さんいたじゃないですか。
僕はこんな人まだ本当にいるんだってその写真だけなんですけど、その写真が口ヒゲ、ちょびヒゲみたいなのがあってねじりハチマキを巻いてたんですよね。
赤塚富士夫じゃんみたいな。
いいっすよね。
こんなおっさんまだ本当にいたんだっていうのが思って、そういうかっこいいスマートな紳士だけじゃなくて、見た目的にはそれぐらいポップかもしれないけれども、おそらく多分いろんな人生ケンケンのあるおっちゃんとのコミュニケーションとか、
そういう一個一個を、あそこのママたちっていうのもそれぞれの色があったじゃないですか、マスターとかもいましたし、ママもそれぞれのタイプがあってそこに話を聞いてもらうとか、
そういうところも含めて、自分でそこを取りに行こうっていうのはなかなか難しいので、だから連れてってもらうというか、そこでの継承って結構必要なんだよなと思います。
インターネットとかSNSとかが普及というか、みんな当たり前のように使うようなインフラになってきて、出会いとか出会うこととか、マッチングアプリとかそうですけど、出会えるようにはなってると思うんですね、いろんな人と。
ネットコミュニティとリアルの魅力
なんだけど、衝撃的に瞬間でたくさんの人に出会うみたいなのって結局多分こういうスナックとかそういうところに行った方が、実は濃い体験ができるんじゃないかっていうのは結局ある気がするんですよね。やっぱり未だにリアルに勝てないところっていうのはあるような気がするんですよね。
結局集まったとしてもオフ会みたいなのだって別に同じ趣味があるわけじゃないですか、でもマジで全然違う趣味の人が集まってるじゃないですか、さっきのヒゲの人もそうだし、そういうカオス感みたいのに突然投げ込まれるっていう経験がやっぱりこのノンベイヨコ町のすごい貴重なところだし、いいところ魅力だと思うんですよね。
ほんとそうですよね。会いたいですね。ベテランのおじさんとかにカラオケ何歌うんだいみたいなめちゃぶりされてみたいな、ああいう経験も結構必要ですからね。
めんどくさいはめんどくさいんですよ、言われて。めんどくさいんだけど。何歌うんだいみたいな。そうそう。とりあえずヨネズケンシのレモンを歌うとみんな喜ぶみたいな、最近の曲だねみたいな感じで。
そっちの期待もあるんですよね。ギリギリわかる最近の曲を歌ってほしいっていう、若いねって言いたいみたいな。そんな最近じゃないけどなみたいなあるじゃないですか。ビジネス若いみたいなやつですね。
ビジネス若い。そういうの含めて、やっぱりどんどんネットによって同質性が高まってるような気がするんですね。同じ、それはバションの同質性が元々はあったんだけど、それがネットによって趣味によって同じコミュニティですよね、今で言うと。
ゲームが好きとか、アニメが好きとか、72時間が好きとかもそうですけど、そういう趣味のコミュニティはインターネットでできるんだけど、こういうカオスなコミュニティ、しかもこれも本当にここはコミュニティなのかって言われるとコミュニティじゃない気がするんですよね。
コミュニティの定義って難しいんですけど、横連携じゃなくてここにあるSNACKのコミュニティってママとかお店を介して繋がっている一体他のコミュニティな気がするんですよね。N対Nの人同士が横で繋がってみんなが仲良くなってるっていうコミュニティの在り方とは違って。
そこのお店があるからこそできるコミュニティって横の人が知り合いじゃなくても、このお店好きなんですねとかよく来てるんですかみたいなだけで知り合いになったりするじゃないですか。
でも知り合いになっても別にその場で喋るだけで結果連絡先も知らず解散するみたいな、そういう一期一会感が安心して過ごせるそのコミュニティ感みたいなのっていうのが、すごいこのSNACKっていうか、のんべい横丁にはあるなっていうのは思いましたかね。
本当にこの一期一会まさにその通りで、この場限りっていう感じなんですよね。コミュニティとしてメンバーシップになるというよりは、そこのママを介して会話が生まれたりっていうのも含めて、その場限りの即興のライブというか。
そうですね。 だから本当にタイミング間違えたら結構割と早速さ飲んで帰るみたいな日も多分あると思うんですよ。でもそこの今日当たりだったなみたいな日にの触れ幅も含めて、期待値のコントロールが結構難しいような触れ幅があるからこそただ当たった時の盛り上がりとか、自分の中での今日は楽しかったなっていうのの上がり方が多分違うはずで。
それがネットで事前にタベログ的にこういう料理が出てとか、こういう人たちの不快であえてっていうのが計画されているものとは違うものが瞬間風速的にドーンと巻き起こるっていうところはなかなかないですし、
だいたいSF映画とかでもすごいハイテクな都市とかの一区画に絶対こういうのんべん横丁的なところでみんな集まってきてるじゃないですか。大抵はそこでなぜか情報収集をするみたいな。結局やっぱりそういう場所が必ず必要っていうみんななんとなくの認識あるんですよね。
だから今後もここで確かにこの縦石ののんべん横丁のこの場所はなくなっちゃうかもしれないけれども、また違う場所でとか日本も全国各地でっていうところではどっかにあるんだろうなと思うと、そこをうまくかぎつけていってみるっていうのは結構大事かもしれないですね。
本当にここを取り壊しになって新しく再開発されるから、のんべん横丁自体はもう既に立ち抜きというかもう多分閉まってはいるんですけど、そういう場所がなくなることによって多分この繋がりみたいのってもうほぼなくなるような気はするんですよね。
お店移転してやり続けて、またそこにみんな移動してっていうのはあると思うんですけど、ただなんかここにあったコミュニティっていうのは一定多分もうなくなるような気はしていて、それだけこうなんか場所に依存してたんだと思うんですよね。
そんなにこう場所に移動するのってやっぱなかなか今の時代多分なくて、言ってもどこでも何でもできるみたいな時代じゃないですか。別にお店もそうだし、特に日本だとそうですけど。
しかも、今割と差別化だっていろんなものが似てるから、差別化するためになんかこうなんだろうな、餃子がすごい美味しいお店にするとか、居酒屋とかそうですけど唐揚げが美味しいとか、そういう差別化するんですけど、のんべん横丁ってそんなに分かりやすい売りみたいのって、ママさんが有名みたいなのあるかもしれないですけど、ここで言うとそんなないじゃないですか。
すごく外から見て分かりやすいみたいなのは、そういう差別化もせず場の力だけで残っているみたいなことが本当に貴重だし、すごく幕を下ろすっていうのはお店にとってもそうだし、
街にとっても失ったことなのかもしれないけど、一つの物語として完結している感があって、それはそれでいいものっていうか、それを次につなげるためというか、残すためにはどうしたらいいのかなっていうのも考えさせられましたけどね。
なんかね、ここが一個一個こうやって昭和にあった本当に偉大な場所というか、こういうからくりがどんどん消えていくっていうようなところは本当にありますよね。
それをどう残したり、再現性を高くしていったりするかって結構やっぱ難しいですよね。
人情と貧しさの関係から生まれるコミュニケーション
このスナックも本当に差別化ってほとんどなかったので、いや、だって営業時間で差別化してましたからね、なるほどだったのは。
なんかそういうことじゃないですか。しかも意外とみんな一時に足回るみたいな。意外と健全みたいなね。
これはなかなか難しいですね。そのままそっくり移転すればいいってものでもないですし、これからそういう個性豊かなママたちを集めてまたそういう場所を作ればいいかっていうと、多分そうではないし。
そうなんですよね。ちょっとだけ話すと、人情じゃないですか。このノンベイヨー校長、縦石とか場所もそうなんですけど、人情ってじゃあどういうとこにあるのか、なんで生まれるのかっていうと、場所で全部が全部そうじゃないですけど、基本的に貧しさの裏返しだと思うんですよね。
お金的にやっぱり貧しくて助け合わなきゃいけないみたいな街に、それは必要に迫られて生まれるコミュニケーションがスタートな気がするんですよね。助け合わないと生きていけないとか。
貧しさがあって、だからこういうのがなくなってどんどんいわゆるチェーン店とかになっていくっていうのは、もしかしたら金銭的な貧しさっていうのはクリアしてる。要は貧しくなくなってるのかもしれないですよね。お金だけの話で言ったらですよ。
でも一方で精神的に貧しくなってるとか寂しいとか鬱になるとかそういう話もあるわけじゃないですか。そういうお金じゃない貧しさに対してこういう人情って意外と効くみたいな話になってると思うんですよ。
まあそうですよね。
そうそう。お金の貧しさから生まれた人情が実は精神の貧しさに効いていくみたいななんかこう循環じゃないですけど、なってるような気はしていて。で、なんかそれをその人情を今度再現するためにとりあえずこうなんかのんべい横丁セットみたいなキットみたいの作ってテーマパーク的にやってもそれはうまくいかないわけですよ。
ピンク色のドーンだけ作ってね。
そうそう。なんでかっていうと必要に迫られたコミュニケーションじゃないからなんですよね。だからもし再現するというかなんかやるのであれば本当にその必要に迫られた絶賛のある空間みたいなものをいかに制限がある場所をいかに作っていくかみたいなことだと思うんですよね。
無人島とか言うと極端ですけど、シェアハウスとかもそうだと思うんですよ。物理的に部屋がないから助け合わなければならないみたいな話とかそういう何かの制約によってなんか助け合いを生み出すみたいなことがこのSNACKみたいなとこから学べることだし、次のこれからの時代のSNACKとか助け合いのあり方としてもしかしたらあるのかなと思いますかね。
本当に江戸っこの人情はどこへ行くかっていうことで。
そうそう。
これは大都会や都心からは消えるのかもしれないですけれど、ひょっとしたら地方都市とかなかなか貧しいというか金銭的に厳しい場所っていうのがあったりもするので、そういうところでは残っていくのかもしれないですね。
それが元々江戸から続くそういった人情みたいなのが東京の中でどう残っていくかっていうのは割とそういう山口さんの言うようなところを考えていかなきゃいけないかなっていうところですかね。
そうですね。東京と地方ではまた話違いますもんね。
なので地方には地方でまたそういう場所があるでしょうし、新たにそういう場所も生まれていく可能性も結構あると思うんですよね。
そういう場所はそこで魅力や興味も自分もありますけど、東京の中で行くと今回も再開発があるっていうように、どんどんそういう昭和のレジェンドみたいなものが、物理的な寿命を終えていくっていうところが結構あるので、そこがどうなっていくかっていうのはちょっともう少し考えないとなと思いますね。
どこですかね。
じゃあ今回は以上となります。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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