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放送回:「初夏の木曽路をゆく」(2023年7月14日)


サマリー

この番組は、初夏の木曽路を舞台にしたドキュメンタリーです。観光客や外国人旅行者が街道を歩く様子が追われています。木曽路の美学や魅力は地方のゆとりによって提供され、木曽路のコンテンツを増やさずにゆっくりする体験が提供されることが一番魅力的と語られています。1時間半の放送は、ギリギリの運行感覚で延々と何もないような感じをしていく設計になっています。引き算の美学を学ぶことが重要です。

初夏の木曽路を行く
真夜中、コンビニの駐車場で。このポッドキャストは、1つの場所を72時間にわたって定点観測する、某公共放送局のドキュメンタリーを大好きな2人が、番組についての感想や愛を語ります。
今回は、初夏の木曽路を行く、という回について語っていきます。
タイトルの通り、長野と岐阜にまたがる山の道、木曽路ですね。江戸時代からある重要な街道の1つだったんですけれども、
今もですね、この宿場町のですね、とある宿場町の間、8キロが今回の舞台になっているんですけれども、そこの道をですね、どういう人が行き交うのかっていうのを、初夏の3日間に密着した回になっております。
ということで、本田さんいかがだったでしょうか?
はい、これはもうまさしく街道を行くという感じですね。
もう本当にすごい古い町屋が並んでいくような、宿場町をですね、それぞれの街道で結んで歩いていくっていうような回になっていて、
なんかもう本当、これなんか見たことあるなっていうくらい、NHKのドキュメンタリー番組でめちゃめちゃ取り上げられてそうな、初夏の木曽路を歩くみたいな感じで、ナレーションがさも聞こえてきそうな感じなんですけど、そこはしっかりドキュメント72時間という形で、
いわゆる古風な、宿場町、それから町々をつなぐ自然豊かな道っていうところが舞台ではあるんですけれども、本当に出てくる人はもうフラットに観光客ですよね、はっきり言って。
ほぼ観光客というか、その道を歩いてみようというような形でトレイルしている人たちに声をかけるということで、そこの映像のアンバランス感というかギャップとでも言うんですかね。
そこの道自体はものすごく古来から続くような自然景色で、町並みも古いのを残してあるっていう感じなのに、外国人の方々がバックパックを背負って歩いてくるっていうのもありますし、日本人の人でも結構皆さんカラフルな出立ちというか、
ギャップかぶってサングラスかけて、真っ青のスポーツブラを着てという人も多かったので、これが現代のハイキングシーンなんだな、みたいなのも思いながら行く先々で人たちに話を聞いていったという、今回も道編になってましたね。
そうですよね、絵力強いですよね、今回の回は。森のところはすっごい綺麗な自然だし、川もあるし、宿に着いたら本当に絵画ドラマ買って舞台のセット買っていくくらい古びた、歴史を感じるようなものがすごい出てくるわけじゃないですか。
お茶屋とかめちゃめちゃいいじゃないですか。ああいう中で出てくる人は、今回も途中のお茶屋さんの話ではありましたけど、半数以上外国人がそこに来るみたいなところですよね。
それがいい意味でミスマッチな感じも面白いじゃないですか。突然取材してたら自転車の外国人とかがすごい勢いで来るみたいなのあるじゃないですか。
ハイキングシーンのギャップ
アラスカの漁師ね。 アラスカの漁師で、アラスカの漁師に浴衣着てて、どこで買ったんですかって言ったらドン・キホーテって言うわけじゃないですか。
エナのドン・キホーテね。 その辺のカオス感っていうか、いいですよね。
本当に今回のこの基礎字で、一番世界観を表してたのが本当に彼ですよね。アラスカの漁師。1ヶ月間の日本一周の旅をしていて、どこから南からスタートしちゃうか北からスタートしちゃうかよくわかんないですけど、あと3日しかないって言ってるのに、日本のど真ん中ですよ。
全然回る、あんま回れないですよ。 あんま回れてないけど、多分彼にとってはそれはどうでもよくて、本当にアラスカでの漁のサーモン漁の合間のところの私のホリデーとして、1ヶ月日本で着物着てこういう街道を自転車で走破するっていう、すごい粋な旅じゃないですか。
多分その一周するのが目的ではないんですよね。手段が目的化していない、本当にいい例というか、多分彼はそういった体で着物とかも着ながら日本をゆっくり楽しみたいって思いながら、まさしくその基礎字を走ってるわけですから、本当に日本を一周しようと思ったら、基礎字じゃなくて東海道だけですよ。
まあそうですね。 中千道を通る意味がわからないんで。なので東海道ではなく中千道を通っている彼が、結構最新のっていうか、あれどうやって集めたのかわからないんですけど、マウンテンバイクにしっかり荷物も詰め込んでアウトドア仕様で、でもブーツに着物着てっていう形で乗り込んでって、
なんか坂本龍馬を彼が再現してるみたいな状況でしたね、現代で。っていうその海外の方々の、いわゆる京都、東京、幕外みたいなところから一歩先を進んだ楽しみ方をする通な基礎字っていうところがあって、そこにいろんな人が来てたよっていう中で彼が一番イメージがつきやすかったなっていうところです。
いわゆる西洋系っていうか欧米って感じですよね、来てる人も。アジア系っていうのはそっちが多いですよね。アメリカも含めか。
彼が本当にやっぱり象徴的で、ドン・キホーテで買った着物なわけですよ。日本人的感覚からすると、別にドン・キホーテって存在を知らなくても、どう考えてもあれじゃないだろうみたいなのがあるじゃないですか、日本人的な感覚からすると。
伝統的なものからすればまだ着物で自転車がありえないですもんね。
ありえないじゃないですか。ありえないし、ちょっとそういうの恥ずかしいみたいなのあるじゃないですか。でもそういうのも無しにして、シンプルに楽しむ感じとか、別にそこに入って世界観に入れれば何でもいいみたいな、割り切りがいいじゃないですか、彼って。
それもすごい魅力的だなと思いましたね。
大味な基礎字を支えるこだわり
だから本当の意味で彼が一番意気を体現してるんですよね。
そうそうそうそう。
着物は何でもいいというか、でも一番彼が結局かっこよく着こなしているというか。
なんかいい意味で彼ってこだわってないじゃないですか、そういうところに。逆にめちゃくちゃこだわってるのが民宿の主人なわけですよ、3日目に出てくる。
それが民宿でね、つたむらやかっていう民宿をやっているご主人なんですけど、実際民宿やるだけじゃなくて畑と田んぼの農作業、それに加えてサーモンの養殖もしてるっていう。
養殖ですか。
それはね、長野に川は海はないから新鮮な刺身出すなら養殖しなきゃいけないけどみたいな。でもやっぱり養殖までそこで手出して民宿やるっていう。中途半端はダメだって言ってて。
真逆って。
真逆じゃないですか。
ドンキホーテで着物買ってみたいな。絶対違うじゃないですか、その民宿の。
ドンキホーテで刺身買ってじゃないですか。
そうじゃないじゃないですか。そこが結構ミスマッチな感じなんだけど、同じ空間に同居していて。
なおかつ今その場所の文化を実は支えているのはそういう割と大味なというか、そのこだわりではなくそうやって生き立ったりとか勢いみたいなことがある外国人の方っていうのもちょっとこだわりを支えているのがこだわりがない人っていう今面白い状況になってると思うんですよね。
そうですね。でも逆にそのこだわりがないと、あの基礎児の昔ながらの道や家屋っていうのが残せないわけですからね。
いわゆるそのこだわりがないがために全くもってコンクリート打ちっぱなしに国土全体がなってしまった国っていくらでもあるわけですから。
だからそれを考えるとその日本人のその孤立症の国民性みたいなのが、やっぱり多分こういうところでも生きてるんだろうし、でもそこに一番感動を持ってグッドって言ってくれるのがそういう大味な人たちっていう。
だからそこの矛盾じゃないんだけど、絶妙なバランス感っていうところを、だからいわゆる一番のそのコストパフォーマンスみたいなところで来てる人ってやっぱ全然いないわけじゃないですか。
リラックスとかもしかしたらヒストリーって話もありましたけど、侍が歩いた道を自分も歩いてみたいみたいな、そういう自分のコンセプトに思いを馳せるっていうような旅の仕方をしてる人ばかりになっていて、
でもそういうところじゃないとこういう基礎児のこだわりって生きないよなっていうのは思ったので、割とあるべき姿だなとは思いつつ、こういうバランス感覚っていつまで続くことができるんだろうかっていうその危うさというか難しさみたいなのも同時に感じるところがありましたよね。
それは今の比率が崩れちゃうかもしれないってことですか。
そうですね。外国人の方々がいつ来なくなるか。そもそもちょっと我々で言えばコロナ禍みたいなのが生えてるわけですから、そういうことがないでもないっていうことを考えると今後どうなっていくんだろうっていうのも。
そうですね。本当に来てる動機が違いますよね。外国から来てる人は歴史とか本田さんも言ってましたけど、知的好奇心なわけですよ。世界観に入りたいみたいなことなわけですよね。
一方で日本人って来てるのは自然にお見に来るとか、どっちかというともっと本能的というかなわけですよね。
どっちが良いとも悪いともでもないんだけど、文化みたいなところの継承みたいなことを考えていくと、実は今の世界観とか知的好奇心に来てる人の方がそっち側の人間ではあるわけですよね。
結局自然って別にここじゃなくても大会できるじゃないですかってなっちゃうんで、結局彼ら外国人がわざわざ外から、海外からわざわざ、基礎地ってアクセスが良い場所でもないじゃないですか。めちゃめちゃ多分アクセス悪いし。
でもそこまで来るっていう理由ですよね。日本人っていうか、割と彼らほど遠くないところにいる僕たちだからこそ、もうちょっとちゃんと考えなきゃいけないのかもなっていうのは思わされましたけどね僕は。
地方のゆとりによる木曽路の美学
だから本当にこれがインバウンド論みたいになってきますけど、ただそういうのって写し鏡なので、外からそういう目を向けられて初めてそこの型の良さに気づいたりするっていうところがあるので。
逆輸入的だね。
やっぱり本質的には日本人には理解は多分できない良さが詰まってると思うんですよね。それを理解して守ろうとすると、そういうことを無理矢理しようとすると、いわゆるビジネス江戸村みたいになっていくわけですよね。
じゃあ近くに大型駐車場作ろうみたいなことにも本末転倒なことになるわけですよね。ここの一角だけを残してあとは全部駐車場にしてしまおうみたいな。
だからなかなかそれは意識的に海外の目を作るっていうのは、危険は危険だなと思っていて、もう投げちゃうというか、ここはすごいヒストリカルでムードもグッドですよって、
外の人に勝手に言ってもらって勝手に来てもらうぐらいの方がインバウンドの目線としてはいいのかなっていう。だから本当に自分たちで手を加えないっていうんですかね。
っていうところが大事なのかなと思うと、基礎上はそこが良くも悪くも交通の便が良い場所ではないので、たまたま残っているというか。
そうですね。
そこがやっぱり中銭堂の良さですね。
途中も中銭堂の掃除人みたいな人出てくるじゃないですか。4時半から石垣直してるみたいな。ああいうのも業者が入ってみたいじゃないですか。
だからこそ、茶屋の営業もそうですけど、茶屋の営業も地元の人が当番制でやってて、年中開けてるみたいな。それも企業の資本が入ってないじゃないですか。
業務委託じゃないですね。
そうそう。業務委託とかそういう感じじゃないからこそ、ある意味、しかも4時に閉まっちゃうし、そういういびつさみたいなことがあるからこそ、完全に便利になりきれてないっていうところ。
それが昔の雰囲気のままっていうのに繋がってるような気はしますかね。
言い方難しいんですけど、そういう業務委託というか、サービスを向上させるためにプロに常駐してもらおうみたいなのって、継続が正直それは難しいと思うんですよね。
とはいえドキュメント72巻で出てくる数々の地方のインスタ映えスポットみたいなところ、スポットというか、偶発的にもなってしまった場所も含めて、そういう場所って絶対必ずボランティアというか地域の御所で成り立って掃除されているとか、木の手入れがされているっていつも出てくるじゃないですか。
あれを危ういバランスだとは思いつつ、でもそういう業務委託的なものではなく、資本で代替されないことでメンテナンスされていくっていうのは、自分が当事者じゃないから簡単に言えるっていうのもあるんでしょうけど、そういうほうが大事なんじゃないかなっていうのも思えてくるなーっていうのが通じて思います。
なんかそれってあれなんですよね、ある意味余裕があるからできることだと思うんですよね。
そうですね。
その日食べていくのにどうしようみたいな、お金困ってる状況ってボランティアとか考えられないじゃないですか。だって自分が生きるのに精一杯なんだし。
ある意味でそういう手伝えるとかボランティアできるっていうのは、そういうゆとりがある状況だからこそ、ゆとりがある状況だからこそ、そういう文化的なこともそうだし、文化を守ろうっていうこともそうだし、ボランティアみたいなこととかもそうだけど、それができるようになるっていうことなんだろうなと思いますけどね。
あとは単純にゆとりとは言いましたけど、単純な資本的なゆとりだけでもないなとは思った。
木曽路の魅力とコンテンツの増加
そうですね。
都市部の生活だと、朝から晩までいくらでも生きていくために監禁しようと思えば、いくらでも監禁できる働き口というか、資本のシステムがあると思うんですよね。
じゃあ朝早朝吉野家のバイトを入れますみたいな。
でも多分こういう場所に関しては、ゆとりがなくて生活が苦しかったとしても、朝逆にやることないって言うとすごい言い方失礼になってしまうんだけど、そういう監禁システムだけに、逆にこれは幸運にもそういうもので張り巡らされてないんですよね。
だからこそできるっていう部分もあると思っていて、そこが豊かな人しかできないというのは、資本的な意味だけでもないなっていうのはそこは思うんですよね。
絵としてそういったところでの地域の誤乗みたいなのが行われるっていう現状もあるから、そこの人間関係が大変とかめんどくさいとか絶対あるんですけど、とはいえ、そういう絶妙なバランス感覚で日本の地方というか各地域は成り立ってるよなっていうのは思うので。
でもこれってもう大体が出てくる方々って皆さん高齢者の方じゃないですか。
そうですね。
それが今後どうなってしまうのかなっていうのは。
あんまり木そじ歩いてる途中って、やることないじゃないですか。自然見るぐらいしか。
看板出てないですからね。
トレッキングとか山道だったら、足元が危ないとかあると思うんですよ。だからそっちの方に意識いくと思うんですよね。
サバイバルよりも。
そこまで木そじって、それは多少ありますよ。コンクリートじゃないから。だけどそんなに別に気使わなくてもっていうのあるじゃないですか。
だからやることがないんだと思うんですよ。歩いてる時に。やることがないっていうか、ぼーっと歩けるっていうか。
来てる人もそうだし、今さっきホンドさんが言った働いてる人もそうなのかもしれないですけど、そういう何もない時間とかぼーっとする時間みたいなことを、ある意味ここに住んでる人、働いてる人と同じように擬似体験できるんだと思うんですよね。
それが多分魅力で、多分外国人とか外から来た人も、侍が通った道なんだよみたいな感じで来るんだけど、途中からそれってあんまりどうでもよくなっているような気がしてて。
木曽路の魅力を提供する中銭堂
そんな認識できないんですよね。
侍別に刀傷とかないじゃないですか。あるのかもしれないですけど、そんなにないはずなんですよ。多分そうやって江戸東京博物館とか行った方が侍観見れるみたいなのあると思って。
刀傷は無数に見れますね。もしくは京都の町やか。
そういうんじゃないから、きっかけは侍とかそういうのなのかもしれないけど、自然が綺麗なのかもしれないけど、自然が綺麗なのも多分8キロぐらい歩いてると飽きてくるわけですよ。
結局最終的にどこ行き着くかっていうと、お父さんが言うとお金のゆとりだけじゃなくて、気持ちのゆとりですよね。ぼーっとするしかない。何もするしかない。今回の回でいうと途中に出てくる子供が言うんですけど、コンビニがないのがいいみたいなことを言うわけですよ。
それは本当に本質的な話で、ゆとりなんですよね。コンビニ行ってその24時間のヒーブみたいな話で言うと、結局さっき小野さんが言ってた、監禁できるような世界ではないから、ここは24時間全てを。みんな寝てるし、夜は。むしろ危ないしみたいな。
だからゆっくりするしかない。ゆっくりするみたいな体験を提供できる環境としてあるからこそ、基礎児は長くこれまでもあるし、これからもあり続けてほしいなと思うんですよね。ゆっくりする場所。何もできない。コンテンツを増やしてはいけないと思うんですよ。観光って言うとともにコンテンツ増やしたじゃないですか。インバウンド。
ゆるキャラとか看板とかね。
体験ツアーをやたら増やすとか、なんとかさんが止まったりとか。
プリンセスウォークっていうのも。
それはもちろん切り口としてはアリなんだけど、コンテンツを変に増やさずに入り口だけサムライとかそれだけ作って、結局中何にもないみたいなことが実は一番魅力的な、本質的なんじゃないかなっていうのは、この回を見ても思うし、この場に行っても思うことだと思うんですよね。
まさしくそれはそうで、結構自分もこの東海圏とか中京圏とかに結構長くいたのがあるんですけど、割とそういうの残ってるんですよね。コンテンツがないというか、だだっぴろくはいどうぞっていうのって結構多くて。
無駄に言うとあるんですけど、歴史だけは戦国時代の歴史が結構あるので、歴史的なツアーは全部残ってるんだけど、そこに行き着くまでの道ってマジで何もないって結構あるあるなんですよね。
それが最初はえ?って思ってたんですけど、コンパクトに京都みたいにあっちこっちやってほしいって思ったんですけど、意外と今山口さんが言ったような何もなさが生きてくるっていうのを、後から実感してくるみたいなのがあって。
今回の起草陣のところで多分それを一番如実に表してたのが、バス1時間半後ってやつ。絶妙な時刻表。子供たちがたくさん来ていて、1回出会うんですけどその後もう1回出会ってどうしたんですかって言ったら、帰りバスに帰ろうとしたけどバスが1時間半後だったから、もうめんどくさいんで歩いてみたみたいな。
で、バスが1時間半後って基本的に田舎の不便あるあるのディスりとして使われるじゃないですか。バスが1時間半しかないみたいな。
でもここではそれが一番効いてきて、これってしかもそれを見てる子供たちと一緒に歩いていくと最後ギリギリ追い抜かされるわけじゃないですか。1時間半後のバスに。つまり絶妙に歩いた方がちょっと早いかもなーと思わせておいて、スピードによっては最後追い抜かれていくぐらいの感覚なんですよね。運行感覚が。
1時間半の設計の美学
このギリギリの運行感覚によって、本当に何もないなーっていうのを延々と感じていくっていう1時間半の設計になっているなと思っていて、なのでこのバスの1時間半っていうのはそれでいいんだってめちゃめちゃ思いましたよね。
10分刻みとか嫌ですよ。絶対違うじゃないですか。ここで10分刻みで来ちゃうみたいな。めちゃめちゃ便利みたいな。
日光とかだと10分間隔で来ちゃいますからね。
そうなんですよ。そういうのもありますよね。整備することだけがいいことではないっていう、その辺の引き算の観光みたいなとこですよね。
まさしく引き算ですね。
考えないといけないだろうなって。これからの観光とかインバウンドみたいな話って本当にそこだなと思うんですよね。その辺の引き算の設計が上手いと、単に便利だけではないっていうところをいかに突き詰められるかっていうところかなと。
本当に今回の1時間半の本田さんの話は本当そうだなと思いますね。
本当にそれより短くしようとするとコスト膨大すぎて絶対無理っていうのが絶対根底にあると思うんですけど。
そうすると茶屋の多分回転率上げなきゃいけないから、新メニュー開発しなきゃいけないじゃないですか。
お茶ただで出せないですかね。
そうですよ。謎のアニメキャラコラボとかしなきゃいけなくなるわけですよ。
まず後藤茶アニメを企画するところから始めないといけないからね。
そういう感じになるとまだ違うじゃないですか。
それが引き算しすぎて、本当に誰も来ません、得るものもないですみたいな、本当にそれで自治体が崩壊していくみたいなのの引き算も良くないので、この絶妙な引き算っていうのの学び方っていうのをちょっとこれ基礎字で学んでほしいですね。
地域の運営の意識
だからこそ本田さんが途中言ってた外からの目線だったり、いわゆる外視なんですよね。
圧倒的な外ですね。
圧倒的な外によって多分それが問い正されるというか、っていうところだと思うんですよね。
そこでやっぱり価値を再認識して、引き算することとか何もないことって不安だし、本当に楽しんでくれるんだろうかみたいな気持ちはあると思うんですけど、だからそこはある意味、基礎の運営自体がそこまで意識してるかっていうと多分意識せずに今あの形になってるんですけど、
単なる道じゃないですか。そこを変にコンテンツ化しないみたいなことが結構価値だし、それを学ぶべきだと思いますね。本田さんも言ってましたけど。
なかなか外野としていろいろ言うのは簡単なんですが、本当に難しいと思うので、本当にこれを一例にこの引き算っていうのがいろんな例が実現していけばいいなと思いますね。
そういうのをわかる。ある意味、基礎地にいる外国人がこんなに良いっていうのも知らなかったし、でもそんな一方でめちゃめちゃイメージ通りの民宿みたいなのもあるっていう、やっぱり2023年の基礎地なんだなって感じもあるし、すごいいろいろことを考えさせられる回でしたね。
はい。というところで、今回は以上となります。ありがとうございました。ありがとうございました。
28:09

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