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ゲスト回『花火のない隅田川、あの夏を記録すること。』
2026-07-10 44:48

ゲスト回『花火のない隅田川、あの夏を記録すること。』

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ゲストをお招きして、過去回を視聴いただき、お話を聞きました。


放送回:「東京・隅田川 花火のない静かな夏に」(2020年9月18日)


ゲスト:シャーク鮫君さん(心の砂地#)

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感想

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サマリー

今回のエピソードでは、ポッドキャスト「心の砂地シャープ」のシャーク鮫君をゲストに迎え、ドキュメンタリー番組「ドキュメント72時間」の「東京・隅田川 花火のない静かな夏に」という回について語り合います。コロナ禍の2020年、花火大会が中止された隅田川沿いを記録したこの回について、ゲストのシャーク鮫君は、その生々しさや、記録することの倫理的な側面について深い考察を述べます。番組ホストも、ドキュメンタリーの持つ力と、それを受け取る側の責任について議論を深めます。

オープニングとゲスト紹介
真夜中、コンビニの駐車場で。このポッドキャストは、一つの場所を72時間にわたって定点観測する、某公共放送局のドキュメンタリーを大好きな二人が、番組についての感想や愛を語ります。
今回は、東京隅田川、花火のない静かな夏に、ということで、2020年に放送された回になるんですけれども、普段はいつもであれば山口さんに話を振るのですが、本日はゲスト回ということで、こちらの方に来ていただいております。それでは、自己紹介をお願いします。
はい、心のすなじシャープというポッドキャスト番組を配信しております。シャークサメ君と申します。今日はよろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。ありがとうございます。
はい、お願いします。
いやー、ついにシャークさんに来てもらいました。
はい。
あの、シャークさんのやられている心のすなじのポッドキャストで、僕、もう何回かゲストに。
そうですね。
やってもらってます。
はい、いつも本田君にはお世話になっておりまして、ありがとうございます。
いやいや、こちらこそあの、えーと、なんだろう、こう、91年生まれのね、同い年というところがあって、
なんかこう、世代を振り返る的な回を結構、ゲスト回でもやらせてもらってるんで、なんかちょっと同世代感というか、なんかその辺とか、
まああとはその、こう、地方から出身で、みたいなこととか、なんかこう共通点も多い中で、とはいえ、なんか見てきたこととか感じてきたことも違うみたいな際をこう、いつも楽しんでるなという感じなんですけど。
そうですね。うん。
ぜひともそのあたりが気になる方は、心のすなじシャープの本田君、ゲスト回を聞いていただければ、その辺が見れるかなと思いますので、ぜひともお願いします。
ありがとうございます。
ドキュメント72時間との関わり
ということで、まあそんなあの、シャークさんにドキュメント72時間、ゲスト来てもらって、これ見てもらいたいなっていうのをちょっと僕はセレクトして、
いくつかあった中で、まあでもやっぱこれかなっていうのをちょっとお勧めさせていただいたのが、今回のその墨田川の回で、
まあ本当にコロナ禍の中での、墨田川の花火大会がない、この2020年のね、夏の川沿いを歩いてみたという回なんですけど、
まずシャークさん普段、ドキュメント72時間って見たりしますか?
いや昔ね、だから始まったぐらいなのかな、まだ50回もなかった時期に、何作品、何エピソードか見た覚えはあるし、
まあNHKをつけててやってるなと思ったら見た記憶もあるんですけど、だからここ数年の回かなっていうのは、ほぼ見てないなみたいな距離感になってるって感じだね。
大体あれですね、たぶん10年ぐらい前に、なんか結構、なんかこんなとこ密着するんだみたいな時ですよね、初期の。
たぶんそうですね、何かしろ話題になっててとか、あとこの番組があるっていうこともあって、この絵画っていうことを多分語りたい人が多かったから、そういうので、
何かSNSとかで話題になっていたのか、そういうので、ちょっと追っかけて、なんか気になる回とか見たとかいう記憶はありますね。
あー確かに、確かになんかちょこちょこなんかこうゆかりの地みたいなところが出てくるってSNSで結構話題になったりとか、思い入れある人が語ったりってなりますもんね。
そうですね、あとは大阪の僕はあのミソノユニバースっていう場所にちょっと飲みに行ったり、よく遊びに行っていた時期があって、確かミソノユニバースに72時間いた回っていうのがあったと思うんですけどね、それとか。
ミソノユニバースって何のお店でしたっけ?
えーとね、大阪の言ったら昔キャバレー、大キャバレーだったんですけど、今なくなっちゃったんだけど、そこの下にいろんなバーとかがあって、変わった人がいろいろ集まるところで。
ありました。
なんかその回とか覚えてるな。
うん、キャバレーにこう最後の3日間みたいな感じで密着した回が確かあって。
あーなんかそんなんだったかな。なんか多分あの、女装されてる男性がなんかね、結構メインでフォーカスされてる。
なんか1日目と3日目とでまたなんか出てくるみたいな、そんなよく行ってた場所だったんで。
あ、そうなんすね。
記憶にありますね。
はいはいはい。そうか、やっぱ結構関西系の場所もよく放送、もちろん舞台になるんですけど、そういうのはわりとじゃあ知ってる場所も多いっていう感じなんすよね。
そうですね、だからどこどこでやってるらしいとか、あとまあ多分それも話題になっていて、まだ関西の時になんかドキュメントのあの10日間であそこやるらしいぞみたいなのは、
そういう街情報で聞いて、みたいな、おー街でやるんだとか。でなんならちょっとしたなんか目立った人とか、街のちょっとした目立った人とか、
誰々さん映ってるみたいなんとかも喋った覚えがあるな、そういう記憶ありますね。結構前なんでだいぶ忘れちゃったけど。
なるほどなるほど。まあ多分あんまりドキュメント72時間、毎週見てるっていうのがそんなにないですし、
多分同世代ってそれぐらいの距離感、あ、なんか知ってる場所映ったなーみたいな距離感って結構多いかなと思うんですけど、
ちょっとやっぱ今回そんなシャークさんにちゃんとというかじっくりというか、あの回を見てもらいたいなっていうのもあって、結構こう悩みながら選んだ部分はあるんですけど、
ゲストの初回リアクションと番組の趣旨
ちょっと率直にファーストリアクションというか、今回の回見てなんかどう思ったかっていうのってありますか?
うーん、そうねー。なんかでも難しいなって思った。その、どう、これをどう面白いと受け止めていいんかなとか。
あーはいはいはい。
時間が経って、うーんそうね、だから率直に超最高とか面白かったですっていう感じでは思わんかったというか。
うんうん。
なんか何を読み取って何をこう、まあそれは単純にもちろんいい番組だと思っているし、いい企画だったし、このもの自体は、この面白いっていう言葉の定義が難しいけど、面白いと思う。
うん。
いい回だと思う。けど、まあ僕がここで喋るっていうところとか、まあ自分がシャークサメ君という人であるというところで何を喋ろうかなとか思ったときに、
この回をどう面白いと思ってんのかっていうこととか、どう見ればいいのかっていうのは結構難しいなと思ったっていう回だったかなっていうのが率直な感想かなっていう感じですね。
うん。結構今回の回ってやっぱその、うーん何て言うんだろうな、分かりやすい見方みたいなものはあまり提示してないというか、特にその価値観みたいなものは絶対提示しないのがそもそもこの番組の趣旨だし、
その回の中でも、やっぱり結構その2020年っていう、まあやっぱりコロナ禍真っ只中で、そこに生きる人たちが揺れていく中を、やっぱこう記録映像的に撮った部分もあるので、なんかそれをなんか、
後年我々が振り返って、やっぱなんか面白いとか、なんかそういう時代だったなとか振り返るものとして扱っていいのかっていう迷いって結構ありますよね、今回の回。
そうね、なんかそこがすげえ生々しく感じちゃった気がしたなあ。それはまあもちろん、昔自分が見てた時とは歳をとってるし、今コロナ禍どうだったかみたいなことを、またそっからね、社会の活動とか戻ってきた今、
まあ元気な僕たちがキャッキャ言うっていうのもちょっと違うのかなあみたいな感覚が、ちょうどある、5年6年ぐらい経ってっていうのも大きく関係してるのかなあ、なんかそういうことを思ったね。
うんうんうん、やっぱりその全然祝祭的なムードではない、本当に静かな夏って言ってるぐらいで、一番特徴的なのは今回ってやっぱそういうところもあって、この大都会東京で、まあまあもちろん墨田川を川沿いに歩くんで最初はね、荒川区からスタートして、
本当に浅草とかそういう大都会も通ってまた戻っていくっていう旅路をまあ72時間歩いているっていう感じなんですけど、なんかなんていうのかな、まず状況的にはだからコロナ禍みたいなところもあって、その今の東京とは全く違う、たくさん観光客がいてとか、
そういう祝祭的なムードがない中の静かなところを切り取ったっていうところが、まあやっぱりその一番、なんていうのかな、なんか生々しさがあるというか生活のみがある、その生活のみがある東京っていう界だなあっていうのが僕の印象なんですよね。
これってさ、まあちょっとこうカメラが荒川区からこう下の南の方まで行ってまた上がってきてみたいな感じの動き方をするけども、これ前山口君と喋ってる回も聞かせてもらったけど、こういうカメラの動き方をするのは割と珍しい回ってことでいいんかな。
そうですね、多くはないっていう感じですね、すごくこの回だけかっていうとそうでもないんですけど、まあその例えばあの16号線って国道沿いに歩いたりとかっていうのはあるし、そういう道シリーズの一つではあると思うんですけど、あんまり川沿いに歩くっていうこともないし、16号線とか他の南号線みたいなものより距離は結構ぐっと短い形なので、
なんかそういう意味ではそのエリア的にもなんかかなり限られたものにはなってますね。
まあ行って帰ってくるっていう動きもまあ面白いなと思うし、なんかそうですよね、なんかベタなのはもうちょっと場所、あのコンビニとかさ、どっかに僕のイメージでは定点カメラっていうイメージが僕が見てきた、僕が知ってるドキュメント70日間であるんだけども、なんかその辺が動くっていうところ、まあもちろんそのコロナ禍っていうところのいろんなイレギュラーな動きとか、その辺も含めて感じ取れるっていうのもあるんだけど。
で、これはさ、まあいろいろハイライトとか、見た人によってはいろんなのもあると思うんだけど、なんか僕のイメージ、もっとなんか主人公的な、なんかこの人ですみたいなサビっぽい歌い上げるような、料理フォーカスが当たる人っていうのが俺毎回いるイメージなんだけど、それってそんなことない?ドキュメント70日間って。
そうですね。もちろんそういう回もあるし、やっぱそうなってるようにしか見えない編集というか、もうサビに持ってったなっていう流れとかっていうのはあるんですけど、割とそういう回の方が割と少ないというか。
ああ、なるほどね。
そんなにあんまりサビっぽいとか、いわゆるキャラ的な感じで人が出てくるっていうのは意外と少なくて、逆にたまにあると、やっぱそれがわかりやすくSNSとかでは盛り上がるかなって。
わかりやすいってことね。だから多分僕がそういう神回みたいなものとかをフォーカスして何発か見てるから、余計そういうイメージがあるってことなんだろうね。
そうですね。
ドキュメンタリーの倫理と「覗き見」
だからその辺が、これは言葉を思い切って言うとさ、ちょっと覗き見しているようなドキュメンタリー、これはドキュメンタリーっていうもの自体の形式への僕は疑問というか、とても面白いことはわかる。
けども、あんまり俺は効果も持てない感覚があるね。やっぱこういうカメラを回して一般の人を映していくっていうこと自体に意義はあるし、それは素晴らしいことだと思うんだけども、
ほんまにそれを楽しんでいいんだっけみたいなことをすごく感じる回だったなって僕は思ったかな。
はいはいはいはい。
なんかその辺は、ねもとたかしさんの漫画とかっていうのが90年代とかに流行ったものがあって、いわゆるいい顔をした人たちっていうので、ちょっと変わった、自分でもう管理できてないような保護犬とか保護猫とかをいっぱい飼ってる人たちのところに行って、
それを当時は文章でね、そういったものを書いているとか。それは東南アジアの国とかに行ってもそういうことをやったりとか。
で、自分たちが自撮りするようなふりして、そういったちょっと、ねもとさんの当時の言葉で言ったらいい顔っていう言葉で、自分が自撮りしてる横とかにその人を映すみたいな感じでその方に映せたみたいな時代があって、
そういったことの大反省大会というのが、ここ2,3年前とかオリンピックの時とかに、そういう悪趣味的な大山田さんのお話とか小林健太郎さんの話とかであったわけだけども。
なんかそういう、ちょっとある種ドキュメンタリーのエグさみたいなところっていうことに関してすごい考えたことがあって。
で、これをNHKがそういうふうに映してるっていうことはなんか、俺結構NHKだから映されてるところがあるよねみたいなところが、なんか結構反感に近い気持ちを持ったって感覚があったかな。
それはあれですか、今回の会を見てよりその思いが強くなった感じはするんですか。
トミー なんかそうね、なんか面白いし、本当にそれは嫌な気持ちで撮ってないと思うNHK自体は、特にスタッフも、ちゃんとそういうカメラだと思うけども。
本当にこれってやっていいことなんかなーみたいなことをすごい思ったからな。
それはなんかこう、具体的にはどこの切り取り方とか、どういう部分を見てとかっていうのってあったんですか。
トミー うーん、どうなんだろうなー。でもやっぱ映像から感じるものかな。
やっぱカメラが動いているし、まあなんかその固定っていうのは固定で隠し撮りみたいな映像に見えるから、それはまたそれでグロデスクなんだけども。
なんかまあ明らかに社会がストップしていて、明らかにその、言ってしまえば死の匂いがする映像っていう感覚が僕はすごくするんだよね。
で、その真ん中に川が渡っているっていうところも、なんか非常に、なんか僕は映画とか、まあ映画をよく見るし、映像に何が映っていて何を表現したいのかっていうことを過剰に読み取ろうとしようんでいるっていう視点だから、
こういうことを言っているってことはちょっと前段になっちゃうけど、っていうのはあり、なんかその真ん中にドガーンって川があって、そこに言ったら傷ついた人たちが、その川みたいなところに引き寄せられて、
自分が傷ついているっていう話を主に撮っていくっていう。で、その撮っている人たちはNHKですって言ったらちょっとほっとしてるわけ。だってNHKだもん。
なんじゃ大丈夫かっていう。で、その人たちが映されていくっていうのは、俺これは結構グロテスクですよって結構思った。
日本的文脈とコロナ禍の記録
そこはなんて言うんだろう、結構そこって日本人的な暗黙の了解ありますよね。これが海外でやった場合、NHKドキュメントの72時間も海外ロケの回とかってあるんですよ。そこってやっぱり結構うまくいかないというか。
変な話、もともと事前に取材講師をしてたのに、いやいやなんでこんなところで取材してんだよみたいな形で止められたりもしてるんですよ。それがないのってやっぱり日本ってNHKだからっていうのは絶対ありますよね、当然。
そうそうそう。 特に今回で言えばコロナ禍っていうところの中で、もちろんその政策側としてもいろいろ制限がある中で、ここだったらいけそうっていうところもあって、GOっていうのもあったし、そういう特にコロナ禍の隅田川とか日本人のいろいろな川沿いとかそういう反公共的な場所とかって、
そういうふうに三密みたいなところから少し離れられる場所として人々が吸い寄せられてた場所だったら大丈夫だろうっていうところも含めていろいろ考えてあったと思うんですけど、一方でその事前の日本的な前提に立ってやっているっていうところはやっぱりめちゃめちゃあって、
この回を僕はもちろんリアルタイムで見てたんですけど、ひねり出したし、いつものドキュメント72時間とは違うなっていう辛さみたいなのも同時代の時にかなり味わったっていう感じでしたね。
はいはいはいはい。そこが逆に落ち着いてみる部分と、あと僕自身の問題意識というか、本当に結構僕はこのSNS時代とかになっても、これは僕のルーツというか、やっぱ写真に写ったらダメな人がいるっていうことを結構親とかに教えられたことがあるというか。
だから自由にカメラって撮っていい、ダメなんだっていうさ。親父が生まれ育った環境の近くとかのエリアとかだと、そういった写真が写っちゃうと困る人がいるっていうことを、子供とかでインスタントカメラとか渡されたときに、この辺でそんなパシャパシャ撮ったらあかんのよっていうこととかを結構教えられたりとかして。
実際それがなんでかっていうのも肌感覚で感じるし、っていうところがあって。結構その、写してはいけないものがあるんだ、この世にはっていうことと、カメラを向けることっていうのは暴力になるんだっていうこと、すごく僕の中に深い擦り込みがある。
たぶんそこが大きく引っかかってるってことが全てだとは思うんだけども。なんかそうか、面白いドキュメンタリーで楽しめるがゆえに、すごく疲弊していて、なんでもいいように真ん中にでっかい川があってそこに引き寄せられていくっていう、非常に僕的には宗教的な映像というか宗教的な体験に見えるというか。
あー、なるほどなるほど。
うん。なんかそこが、言葉を変えるとめちゃめちゃ面白いっすよ、言ったらね。めちゃめちゃ面白い。
同時に、本当にこんでおもろいと思って、今俺はノーノートをこのMacで見て、もう一回動きながらiPhoneで見て、何喋ろうかなと、ごめんながら見てみたいな。
なんかそこの、結構持っていかれるところがある回っていうのをすごい考えたなぁ。
なんかこう、72時間自体がやっぱりそこに、もちろん制作側にはいろいろ意味があって、でやってはいるんだけれども、ここはたぶんそのNHKというところもあるし、
メディアとか報道みたいなところの意識もあって、中立的な記録映像っていうところもある中で、それをどのように人が受け止めるかっていうところが、この2,30年SNSとかも含めて結構変わってった中で、
わかりやすく言うと、民放だとノンフィクションとかありますし、SNSとかでそういうふうに切り取られたものを、どのように言ってしまえば結構冷たい目線で楽しむとか、面白がるみたいなことって結構増えてきていて、
ドキュメント72時間も正直、そういう面白がり方を一定されていることを、僕もすごく観測するなーっていう思いはあるんですよね。ここはどの口やがみたいなこととか、むしろこれを僕らがなぜポッドキャストでやってるかとか、
ポッドキャストで話すっていうことはいいんかっていうところも含めて、たぶん話としては展開していくんだけれども、一方で、一旦はそのシャキさんの言う面白さみたいなものは、なんかこう、自分もなんかすごい否定したいものがあって、ポッドキャストをやってるってところはかなりありますね。
うん、そうね。だから、その辺もポッドキャストっていうところで、ほんなくんとか、いくつかの回聞かせてもらってる中で、そういう感情とか、本当にこれをおもろいと言っていいのかなっていうギリギリ、ただそれを言ったらアーカイブしていくっていうこととか、これが、あとドキュメント72時間も、なんかあれなんだよね、再放送で結構かけてるときとかがあるんだよね。
だから、その辺とかも含めて、なぜ今これをやるのかとかいう意思、編成にそれが伝わるまでの意思とか、っていうところがあるから、そういうのは言ったら各国語を持った報道の一つみたいな感じの面もあると思うのよ。
ああ、そうですね。
記録の意義と個人の人権
で、実際そのカメラ自体は、もっとカメラに、もっと言ったらグロテスクに撮ってやろうっていうカメラとかって、そういうドキュメンタリーってあるわけよ。
もちろん。
もう言ったら、撮ってる人自身の演出がもっとガンガン入ってるみたいなカメラとかもあるけど。
どっちかというと、そっちのイメージですよね、基本。
そっちが多い。
で、それこそ森達也というね、フェイクだったり、A2、無心理共同ドキュメンタリー撮ったとか、の森達也とかは、やっぱドキュメンタリーは嘘をつくって絶対言うみたいなさ。
カメラを向けてるっていう時点でもう演出が起きるんだっていう話とかをしていて。
なんか、そういったことにすごい、ある種意識的だし、ちゃんとそこに逃げないカメラなんだなっていうところは、僕はそのNHKの誠実なところっていうのはすごい感じるんだけど。
でもなんか、たぶんこれってその、そういういろんなバタバタの中で、結構なんか、ちょっとえぐいカメラが撮れちゃってるって思ってる。
あ、危うさがこの頃の、とにかく。
うん、映っちゃってる。
そう、やらなきゃっていうのは結構ありますよね。だからその、実際この期間ってかなり再放送を多めにして、新作の映像って撮れてないんですけど、
一方で、もちろんその報道機関として、この時期の日本を記録したいっていうのは絶対あるわけじゃないですか。
もう絶対あるし、誰か撮らないといけない、もちろんそれは。
で、そことの兼ね合いの中で、えっと、別にギリギリは攻めてないはずなのに、その別に危ない場所とかに行ってるわけじゃないわけじゃないですか。
ない。
なのに、あの、今ちょっとシャークさんが言うようなものが撮れてるっていうところが、結構この回のその、肝の部分であるかなと思うんですよね。
隅田川の宗教性と記録の重み
うーん、そう思うんだよね。だから、うーん、そうそう。だから、ちょっとこう、スピリチュアルな気持ちになるというかさ、やっぱ川って、なんか威力がすごい。川の威力ってやっぱすごいから。
そうですね。
で、実際これは別に困ってないし、高原も知ってるから。僕はその通ってるような隅田川の沿いに今、七八に住んでるんですよ。
はい。
だから、その魅力っていうのもむちゃくちゃわかるし、この隅田川沿いで飲み食いとかしてると、なんかやっぱその、川いいよねみたいなことって、どんなになんかその話が合わなそうなやつとかでも、なんかぼーっと川眺めるいいよなとか、隅田川ってなんかいいよなみたいな感覚は、なんかこう、この辺で飲み食いしてたり住んでいるってことで共通できているみたいな感じがあるのよ。
で、これって非常に宗教に近いよね。
あー、はいはいはい。
ベースにある考え方。ベースにあるいいねって思う通るとか、ここは一緒だよねって思えてることみたいなところと、信仰っていうこと。だからある種、隅田川的なものが信仰として、本当にこの辺沿いに住んでる人の心の中には流れているっていう感覚が、僕はまあ七八年しか住んでないけども、思う。
で、それが自分の実感としてある中で見ているからこそというのはあるが、やっぱ真ん中にどでかい川がぼーっと流れてて、その周りをこうさ、巡礼を、巡礼のようにちょっとずつ歩いて、場所によって人の色んなのが変わっていって。
変わっていくしね。
ただ、みんなその川に対してネガティブな思いとかっていうことを言ってる人はいない。
まあ、やっぱ好きだから近く歩いてるからね。
なんかそういったところとかが、なんかこうどでかい、そういうおっきく流れている川という、なんか安らぎ、それは人が安らぎたいという気持ちの表れみたいな感じでも読めると思うんだけど。
そういったもんが、癒されたいみたいな気持ちとか、そういったもんが流れているっていうことと、それでも映してしまう、その人間たちの生々しい部分。
しかも明らかに弱っている。街も弱っているし、人たちもみんな疲弊しているみたいな。
で、それを映さねばいけないというカメラみたいなものが、全部組み合わさった結果、なんか結構やばいもの撮れちゃってるみたいな感覚があって。
なんかすごい映像ってわけじゃないんだけど。
確かに。
なんかヒリヒリするものがすげえあるっていうのが、まあすごい。それは現象としてはすごいよね。現象としてはすごいし、面白いけども、
なんかこんなの撮っちゃっていいのかしらNHKって、みたいな。本当にこんなの見てていいんでしょうかみたいなのに、僕の中に落ちてくるときには、まずそういう実感がすごくあるっていう感傷体験だったかな。
なるほど。
改めてね。
文明と川、祝祭から厄災へ
そこを受けてすごくいいと思うこととして、一つ目やっぱり川は本当に私も同じようなことはすごくずっと感じていて、
結構当たり前のことだけどあんま普段意識してないこととして、基本的に世界史で習う通り、文明って川沿いにできるわけじゃないですか。
そうだね。
だから結局この墨田川的なものって、ほんとにほぼ全ての都市に同じような川があるんですよ。結局川沿いに都市は発展し、
そしてその川沿いに今そのシャークさんが言っていたような、なんかこう吸い寄せられて、その川いいよねっていう思いを持ちながら、なんかこうとつとつと思いを吐き出していくとかっていうことって、
本当にどこでも行われていて、ガンジス川とか見ればわかりやすいわけじゃないですか。
一番わかりやすいよね。
あれは確実にそういうやっぱり宗教的なというか、そういった意味を持った川でもあるし、そうじゃなくても本当にそういう川っていうのがたくさんあるっていうところがあって。
生活の川としてもあるけども。
それがしかもその今の現代の日本においては、江戸時代か隅田川花火大会的な、割と祝祭のもののイメージが多かったようなところに、急にこのコロナ禍っていうもう本当に逆の厄災によって、死に近づいてしまったっていうところは、
本当にメタ的に言えば絶対あるというか、そこが本当に撮れてしまってる映像っていうことで、僕はその面白いとかっていうより、撮る意味があるっていうことをすごく思ったんですね。
そうかもしれない。
映像の世紀と記録のプリインストール
一方でもう少し踏み込みたいところとしては、これ撮っちゃっていいのかしらっていう部分において、
どうしても僕がNHK好きだって毎回言ってることであるとか、好きな番組の中に映像の世紀っていうのがあって、つまり20世紀以降映像の世紀で、
第二次世界大戦以降、その直前ぐらいのところから、いわゆる1900年代の頃からの映像を見て、もはやそちらの映像もヤバい映像だらけじゃないですか。
もっとヤバいよね。
もっとヤバい、撮ってはいけない映像ばかりがある中で、自分はだけど人類の学びとして必要だっていうことを、結構プリインストールされてることに気づいた気がするんですよ。
確かにそうかもしれないね。
それが僕だけかもしれないし、結構多くの映像の世紀に生きる人たちにとって、いいか悪いかっていうより前提として記録として撮っておくべきだ。
僕、メディアとか全然憧れてないし、メディアに全然なりたくないし、メディア的な切り取り方って逆にすごく嫌っている一方で、
とはいえ記録映像とか一時情報とかって必要だし、絶対に意義がある、価値があるっていうものを、あまりにもそれってプリインストールされすぎてるのかなっていうのも、今のシャフさんの話聞いて思ったっていうところがありましたね。
僕も、たぶん本田くんも話が合うところとしては、アーカイブっていうものの重要性、もっと分かりやすい言葉で言うと歴史っていうものの大事さみたいなことっていうことに結構重点がある。
アーカイブの重要性と個人の人権
関心の割と重点があるっていうのは、僕と本田くんの話が合うところだし。
だから今本田くんが話してくれた核というかね、どっちか核なんかっていうのはあるが、っていうのはそこがあると思うし、僕もやっぱり残さなあかんと思う、何かをね。
でも、同じことなんだけど、同時に、それで移された人って、ほんまに移されてよかったのかなみたいな、個人の人権みたいなところっていうことに、すごく考えを馳せてしまうというか。
だし、僕は取ること自体とか、残すこと自体に関しては、それはあったほうがいいよ、それは取ったほうがいいよって、たぶんやってる人にも、これからやる人にも思うと思う。
ただ、やっぱこれがね、一応受信料払ってると言えばね、見る側に覚悟を強いるかっていうと、気楽に見れてしまうものだから。
し、その見る側の、なんていうかな、そういう何も見えてなさみたいなことが、どんどん加速していくし、自由に見ちゃうやつらみたいなことが、すごい可視化されたことが増えて嫌だなって思うことがすごく多い中で。
そこはたぶんそれこそ、この例が初めにお伝えした2020年よりも、今の2026年のほうが、僕にとってはそこがすごく思うところで。
だからこそ、見ていいんだろうか、これ楽しんでいいだろうか、写された人って本当にそれでいいんだろうかみたいな、個人の人権感覚みたいなところに落ちてくる話なんかなとは思いながら、そういうことを考えたなあ。
たぶん僕らのポッドキャストも、言ったら毎回毎週、ドキュメントの話を2時間見て、こう思った、ああ思ったっていうことを流しているポッドキャストなんですけど、
ポッドキャストとモヤモヤ
それをたぶん聞いてて、たぶん今のシャークさんのような気持ちになる人って、たぶん少なからずいるなと思ってるんですよね。
そうだよね、たぶんね。
いる前提として僕らはやり続けているっていうところもあって、そこのジレンマってほどではないんだけど、やっぱりとはいえ、もっと手前のところで簡単に消費されてしまっているとか、
それこそ放送で簡単に人が見れる時代で、悪意的にもしくは露悪的に使われているっていうところを見ていることへのモヤモヤとして、何かしら僕としての意見を表明したい、みたいなところもあって続けているっていうところがあるので、
ポッドキャストを聞いて、たぶんモヤモヤって僕らのポッドキャストを聞いて思っている人こそ、このシャークさんの提示するような疑問というか、思いみたいなところは、かなりそうだよなって思う人って結構いるかなと思いましたね。
そういう人が今この回を聞いているかどうかっていうのはよくわかんない。
どこまではわかんないけど、それは僕の思った感想としてはそういう、ちょっとメタ的なアレになっちゃうかもしれないけど、それ全体に貫くもんだし。
でもそれこそそれって、じゃあそう思って、ここがこうで、こう思うんだよね。僕にはこういうルーツがあって、こうだよねっていうこと自体までいけば、コミュニケーションになるし、もっと考えることができるから。
だからそれは、でもその初めに提示しないとはなかったわけだから、やっぱり初めに提示したやつっていうののポートさとか大事さっていうのはあるから、だからそういう意味では、これが映像として公開されているってことはすごく意義があることだと思う。
エピソード選定の意図とメタ的視点
そうですね。
で、この部分はちょっとないよねとか、たぶんもっと細かく言うとあると思うんだよね。
それはもうまさに、僕は普段NHK見ててすごい思うことで、これはどうなんだろうとか。
ドキュメント72時間ですら、やっぱり細かいのこれはどうなんだろうっていうのは、どこまで声をなかなかに宣言するかは別としても、結構思うことはもちろんあって。
で、それをいかようにして伝えていくかとか残していくかっていうところも確かに、いわゆるポッドキャストとしてネット上に配信するという意味では大事になってくるのかなっていうのは思うところは結構ありました。
そうね、なんかそういう、これを見たりこの番組自体の話みたいになっちゃったけども。
いやいや。
そういうことを考えさせてくれるエピソードだったかな。
今回この回を選んだ理由の大きなところとして、一番はわかりやすいほっこり話をシャークさんにぶつけたくはなかったなっていうのはあるんですよ。
うーん、そうかもね。
もうちょっと軽味に、いわゆる時代的な背景も含め、映ってる場所も含め。
あるよね。
とはいえ、別に今のシャークさんの感じたようなものを、多分感じないであろう、ほっこりとして、いいよね、母って見れる会員ももちろんたくさんあるんですよ。
で、それはそれの良さもすごいあってっていうところもあって、そこについて語るっていうこともできはするんですけど、
せっかくシャークさんなので、今聞いていただいた方わかるようなメタ的な視点とか、アーカイブ的な引き出しも含めていくと、
なんかやっぱり、ちゃんとまだ直視できてない、6年前のこのコロナ禍っていう一つの転換期において作られた、しかも一番そこが、やっぱり後味は苦いというか、
そういうようなものについて、シャークさんがどう思うのかなっていうところがあったので、なんかここはなんかやっぱりこの回を選んで、やっぱり良かったなっていうか、まあまあこの回だったなっていうのはなんかこう話してもらいました。
まあそうだね、一番そういうのが、まあまあそういう意思も感じたところはあったし、そうね、そういう意味では良かったかなと思いますね。
抑制された演出と上品さ
なんか、でもなんかやっぱりどうしてもやっぱり最後に音楽かかって、だから俺結構思ったのが、割と、まあもっと民放、まあそうですよね、ノンフィクションとか、もっともっと歌い上げるから、それに関して、それに比べたらだいぶ抑制の効いた演出ですよ、やっぱ。
上品だと思う。
そうなんだ。
上品だと思うけど。
いや、これ他の回に比べたら、最後のあのカワベリの家の入り方とか、当て方はもうめちゃ絵もく作られてるんですよ、僕からすると。
そうそうそうそう、歌い上げてはいるけどね、まあなんかそれでも、やっぱこう、ちゃんとこう弾いた絵が入ったりとか、その多く語らないとか、まあそれは民放が当たり前にやるけど、当たり前になってるし、もう全然、もうYouTubeとかの編集感覚に慣れた子からしたら、
もっと言ってやって思うぐらいのもんだけども、やっぱNHKっていうのはその辺の抑制はすごい効いてるなとは思ったけどね、まあただそれでもやっぱ歌い上げてるなとは思うぐらいのあれではあるけど。
僕からすると、まあ音源自体は一緒なんですけどね、音源自体は一緒だと思うんですけど、その編集というか編曲というか書け方、かなり歌い上げてる感じに仕上げてるなって。
歌い上げてるよね。
思ったし。
まあまあでも、まあ結局、まあそれはそれで覚悟だし、面白くするっていうこともなんかね、誠実さでもあるからね、一つのね、映像として楽しませるものを作るんだっていう。
そう、やっぱり作ってるのは人なので、やっぱり作ってる当時の人たちの思いも本当に全部乗っかってるっていうところはものすごく感じるし、そこにリスペクトはすごい僕はあるなっていう感じはあるんですよね。
そうね、なんかその辺はまあまあそういう評価もありますし、まあトータル面白かったっすよ。
意図的な映像と何気ないシーン
あとそのインタビュー自体もそうでしたけど、結構そのシャークさんも言ってくれてたように、弾いたところで黙々とこう、ランニングしてる人とか散歩してる人とか、ちょっとそこもかなり、演出としては別にそんな、隠し撮りしてるわけではないんだけれども、そういうふうに見えてしまう。
で、特に今回そのコロナ禍での三密っていうところもあって、たぶんより弾いた目線での画角っていうのは結構多かったと思うんですけど、その辺って僕からすると、逆になんかこう、この時期のこのコロナ禍の時期に川に人々が集まる様子って、シャークさんは宗教的とは言ったけれども、
一方でなんかその、動員されてるわけでもない、しくしくと集まる感じの連帯っていうのは、なんかあったよなーって思い起こさせるところも部分としてあったんですけど、なんかその辺ってなんかこう、それこそその映像ってやっぱ意図的なものを作り出そうとするところが多い中で、何気ない1シーンみたいなことも結構多かったとは今回思うんですけど、その辺ってどうでした?
うーん、なんかその辺はでも、劇映画っぽい撮り方だなーとは思った。で、たぶんこれはこの時の特徴だなーとは思った。
そうですね。そうかもしれないですね。
ただそれが、かっこよく撮ってやろうってわけではないけども、こういうのがあった方がいいよねっていう、まあ誠実さだと感じるから、なんかそこに関して嫌だなーとはあんまり思わへんかったかな。なんかもうちょっと、なんか例えばこう、こっちで手前、もうちょっとたぶんエグイやって撮ろうとはできるというか、まあ正直さ、
僕は歩いているからわかるけども、やっぱ朝とか昼からお酒飲んで酔っ払ってる人とか結構いるエリアではあるんだよね。あの辺っていうのは。
そうですよね。
うん。し、なんかぶっ倒れてる人とかなんかいたりする。ただ、でも割とそういう人関係なく、めちゃめちゃランナーとかがデュンデュン走っていくとかって、まあそれはコロナ禍だったから難しかったのかもしんないけども、なんか今とかってそういうエリアだったりするんだよね、あれって。
でもあれって結構普通に撮ったらめちゃめちゃグロテスクに見えるというか、あ、誰も声かけないんだみたいな。で、なんか似たようなものは撮ろうと思ったら撮れた気がするんだけど、なんかそういうのは落ちてるんだろうなっていう感じが、僕は。まあもちろんガチンコでやってるから、たまたまかもしんないけど。
うん。
いや、まあ多分そういう編集というか、素材の、なんていうか、剪定感としてはあると思いますし。
そうねー。
うん。結構そこに意図があるかどうかって、なんかなかなか見てる人は普通には気づかないんで。
うん。
そこはなんかやっぱ、しゃくさんならではの多分読み取りでもあると思いますけど。
そうですねー。まあでもなんかさ、横になってる人とか裸になってる兄ちゃんとか、どうかは写してるところがあって、なんかまあその辺は俺的にはちょっと嫌かなとは思うかな。
都会ならではの欲望と共犯関係
うん。
ちょっとなんか、ちょっとどうなんていう、そこにはそうなる、なんかそういう体制とかそういうのになるのって、もうそれは俺の中では話しかけたらあかん人なんよって思っちゃう。僕はね、早々だったから。
いや、これちょっとまあ多分後半の話でもだいぶそういうふうに広がっていくと思うんですけど。
あの、最後にそういうなんかヒリヒリする映像について。
うん。
僕もなんかその、これなんかやっぱ都会ならではの映像って、やっぱ一定そこを見たいという、なんか欲望ってやっぱ。
あるね。
撮る側も見る側もかなりあって、そこはなんか共犯関係ってあるよなとは思いました。
だから一番引っかかってるのはそこだね。面白いし、だから僕はそこが意義があります。これを映さないといけません。こういう人がいたんですっていうのに載せて、ちょっと面白さ勝っちゃってるよって思うね、いく人か一人対しは。
そうですね、72時間も本当になんか初期の方は結構その色味もちょっと強かった部分は多分あったと思うんですけど、だんだんやるうちになんかそういうものではなくなってきてる部分もあって、なんかどっちとも撮れない映像にもなってるかなって僕はまあ思ったんですけど、その初期と後期を知ってるからね。
うん。
ライフステージと責任感
だし、自分自身のライフステージというか、自分もなんかおじさんになったみたいな話で、それをなんかこう、ワクワクしてて見てたっていう子供というか、高校生大学生ぐらいの時に見始めた時の無邪気な気持ちもわかるし、今しゃーくさんが言ってるようなこともすごくわかるし、
一方でなんか今後こう、いろんな人に見てもらうってなった時に、やっぱり田舎で逆にスクスクと育ちすぎるとこういうこともあるっていうことは、何かしらでなんか触れとかないといけないなっていう。
うーん、まあそうだね。
僕のなんか勝手な責任感みたいなのもあるんですよ。
うーん、そうね。
そういうところとのぶつかり合いというか、ほんと72時間って全ては見る側に舐められすぎているというところは大きいですかね。
国営放送と見る側の覚悟
まあそこをさ、やっぱ一番の、言ったら国営放送がやってるみたいな感じになっちゃうとさ、まあまあみたいな。
なんかちょっと余計そういうのはね、感じちゃうところがあるけど、まあまあそれはちょっとそこを突っ込んでもしゃーない話なんで、とは思う。
はい。
じゃあということで、前半はこんな感じで締めさせていただいて、後半もね、いろいろちょっともっと話を広げて伺っていければと思います。
ゲスト告知
前半としてはここまでとなりますので、最後に告知などあればお願いいたします。
はい、ポッドキャスト番組心の砂地シャープを配信しております。ぜひとも聞いていただければなと思います。
私シャーク君がいろいろ今日話したこととかね、日常で思ったこととか、まあ主にいろんな映画作品だったり、本だったり、音楽だったり、
はたまた自分自身のアイデンティティーとか、あと最近興味があるのはカッコつきの男の話とか、そういったことをいろいろと喋っている番組ですので、
ぜひとも聞いていただければなと思います。心の砂地シャープ、チェックしてみてください。
エンディング
はい、ありがとうございました。ということで、今回以上となります。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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