ゲスト回後編です。
↓前編はコチラから
ゲスト:シャーク鮫君さん(心の砂地#)
https://lit.link/kokosuna
感想
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サマリー
このエピソードでは、ゲストのシャーク鮫君さんと共に、公共放送であるNHKのドキュメンタリー番組「72時間」を中心に、メディアやコンテンツ制作、そして「面白さ」とは何かについて深く掘り下げています。特に、テレビ業界におけるCM減少とそれに伴うコンテンツ制作への影響、そしてNHKの役割について考察。シャーク鮫君さんは、近年のNHKが若者層に寄り添う姿勢を見せていることや、ドラマにおけるテーマの取り上げ方の早さを評価しています。また、YouTubeの台頭により、従来のメディアが持つ役割が変化している現状にも触れ、プラットフォームごとの特性や限界についても議論が及びます。 後半では、特に「キャラクターと関係性」に消費が左右される現代において、テーマ性や哲学の重要性を訴えるシャーク鮫君さんの問題意識が語られます。さらに、ファッションや「纏う」ことの意味、そして「格好いい男」とは何かという問いを通じて、自己探求や男性性の考察へと話は展開します。30代後半という人生の節目において、深いテーマに挑戦することの重要性や、失敗を恐れずに自己を掘り下げることの価値について、二人の対談から示唆に富む洞察が得られます。
ドキュメンタリー「72時間」とNHKへの考察
真夜中、コンビニの駐車場で。 このポッドキャストは、一つの場所を72時間にわたって定点観測する、
某公共放送局のドキュメンタリーを大好きな2人が、番組についての感想や愛を語ります。
今回、後編になります。引き続きで、雑談会をさせていただきます。 引き続き、この方に来ていただいております。自己紹介をお願いします。
はい。心の繋いでシャープというポッドキャスト番組を配信しております。シャークサメ君と申します。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。ありがとうございます。 はい、お願いします。
じゃあ、後編の方は、もちろんそのドキュメンタリー72時間、今回見ていただいた回も含めて、前半からまた話は広がりつつ、
全然、もっともっと離れてっていう形でも話していければというふうに思うんですけれども、
やっぱ、このドキュメント72時間およびNHKみたいな話でもあると思うんですけど、
一旦ね、僕はNHK結構好きでよく見てるっていうことは、もう公言しているし、そういうスタンスを取っていることが基本ではあるんですけれども、
シャークさんから見たそのNHKとか、よくね、心のすなじでも読んでいただいたときも、ちょっとそういう話に入ったり、
おもろいとは何なのかみたいなところも含めて、かなりある部分と、前半に言ったような公営放送としての横綱相撲的部分とか、そういうところも聞ければと思うんですけど、どうですかね。
近年の、いわゆるテレビというものにCMがどんどん減っている時代、民放のね。
僕らは民放の富士テレビを中心に育ったという感覚があるんだけども、明らかに、民放のドラマであったり、バラエティであったり、その他の報道とかでも、基本的には力を失っている。
テレビというものは明らかにね。5年、10年、15年と、明らかに失っている。
これは僕が大人になったっていうことだけじゃない以上に、明らかにコンテンツ制作側が失っていると僕は思ってるんだけど、それは単純にCMが入らなくなって、お金がないっていうことにほぼほぼ起因するとは思う。
なんだけども、そんな中で、やっぱ、その辺の収益構造の問題とかもあるんだろうけども、そこが大きいって話にはなるが、やっぱり良質なコンテンツを作ろうというもの自体には、
僕はやっぱ、その中で、もうテレビ見ませんっていうよりは、その中でやっぱ頑張る人がいたほうがいいんじゃないのっていう考え方なんですよね。
どんなものにしても、映画にしても、どんなもの、僕が見たいものとか、社会とかコミュニティ全体の考え方としてもそうというか、僕の中では。
そんな中でも、ちゃんといいものを頑張って作って、ちゃんとお金かける人っていうのは偉いよと。やっぱそういう人がトップを伸ばしていかないとなんともなんないよねっていう考え方。
ある種、そこは僕の中で結構資本主義的なものを割と肯定してる部分がある。超資本主義最悪って思ってるけども、同時に、
かといってトップを伸ばすってことは大事だよっていう。俺はそういう派手なものが好きだし、お金がかかってるものが面白いと思うものっていうことが結構ベースにあるっていうのがあるんで。
そういう意味で、テレビ業界とか、またまたメディア全体とかでNHKの存在っていうのは、まあトップランナーとしてようやってくれてるよなっていうこと。
で、僕はもっと10代の時とかってNHK的なものに距離があったけども、なんかNHK自体がどんどんこう、なんていうかな、僕に寄ってきてる。
NHK自体がチャラくなった部分もあるし、なんか僕もそのNHK的なものに寄ってる部分があって、まあ、だからやっぱドラマとかはね、やっぱ素晴らしいなって思うものが特に多いし。
そうですね。ドラマは結構やっぱりこう、なんていうか、注目を集めるというか、いい意味での注目とか、その社会的にも結構意味のあるテーマを取り扱うとかっていうのは。
そうそうそう。
いいですよね。
し、なんかそれが、例えばまあ夜ドラであったりドラマ10とかね、BSのプレミアムドラマとかって、だから民放よりNHKの方が早い方、早いんだよ最近、やってることというか。
早い?早いっていうのは。
テーマの取り上げ方というか、僕って特にテレビっていうものというか、これは音楽とかも全部そう、エンターテイメントっていうのは、その思ってることとかみんながモヤモヤしちゃうこと、そういうのはトータル、僕は欲という言葉に今回置き換えて言うならば、
そういう大衆の欲っていうものを、すぐさま引き受けるための媒体でもあるっていうのは結構あると思うんだよね。
はいはい。
で、その欲を引き受けるスピードっていうのが、それって多分、それこそ僕らの世代とか時代では、富士テレビとかがそこに関しては一番早かったっていう感覚がある。
で、他の、まあどこの曲とか言わんけど、なんかここの曲とかって富士とかの真似してんなーとか、なんかここがやるとちょっとドン臭く見えるなーみたいな曲とかね、そういうのがあった中で、なんかNHKの方が早いやんみたいな感覚にどんどんなってるっていうのもあるので、
まあ見る価値あるのはNHKなんじゃないっていうことに関しては、あんまり見てないですけど、全然そう思うぐらいの効果も持ってるって感覚があるかな。
なんか欲って言うとなんかすごくこう、でも欲でもあると思うんですけど、まあ結構その価値観とかそういうものも大きいですよね。新たな価値観みたいなものとどう向き合うかみたいなところもあって含めて、
ああいう形ではなくて、一応テーマにして、まあでも結構そこでもだいぶテーマと物語性とで葛藤してるところは見えるなと思うんですけど、
ドラマはかなりそういう意味での提示っていうのは結構早い、最近どんどんより早くなってますよね。
そうね、まあなんか実際製作のクレジットとか見てるとさ、いやこれニッテルの製作会社作ってるやんとかさ、まあ全然あるから。
ドラマはね、実は結構その外部でね、入ってるって言ったら。
そういうこともあるから、なんか一概になんか昔に比べたらその辺の文庫がめちゃめちゃ開いたっていう、まあこれは他の曲とかも全部そうなんだけど、
なんかそういうところも、まあ抜きにしても、なんか開かれていっていい感じなんじゃないとは思うかな。
YouTubeの台頭とメディアの役割変化
なんかまあドラマはそうだなと思う一方で、逆にそのシャークさんとかドラマ以外って見ますか?
今回ドキュメンタリーもそうですけど、まああと報道とか、あとまあ地域製作の番組とか、
NHKってまあもちろん結構そういう側面も大きくて、
あとは歴史系の教養系の番組ですかね、とかっていうのっていろいろあったりすると思うんですけど、そういうのとかって見るんですか?
でも最近はあんまり見ないけども、まあなんかその僕は結構文化史というか、まあ僕は戦後の文化史、まあ文化史って言ったらかっこいいですけども、
戦後のエンタメの発展、まあそれはサブカルチャー、ポップカルチャーっていう言葉に集約されるようなものっていうものにすごい興味があるから、
まあそれこそNHKが文化史的なたてつけでそういったことを特集してくれてることとか、そういったことについて考える言葉とか、
まあそれ本とかね、特にフォーカスしてやってくれてること多いですけど、そういうのは、ちょっとこれは見ておくかみたいな感じで見るし、
それであんまりやったなと思ったことあんまないね、やっぱクオリティ高いなって思うことの方が多いから、そういうのを見たりしますね。
はいはい、まあいわゆる言いテレ的文脈というか、
あ、そうそうそう、うん。
確かにその、まあ言ったら民放で言いテレ的ななんか番組ってまあほぼ、ほぼ皆無じゃないですか。
うんうん、そうね。
そこはちょっとそのNHKらしさっていうところはあるかなと思うんですけど、
僕はあんまりそんなに見ないっていうのは、他にやっぱ同じようなことを取り扱ったYouTubeの個人的チャンネルとかっていっぱいあるじゃないですか。
はいはい。
なんかそういうものは僕はあんまり見ないんですけど、なんかそことの違いとかってあったりするんですか。
どうだろう、YouTubeも結構クオリティ高くなってるからな最近は。
そうですよね。
うん。
いわゆるその、民放とかっていうより、そういうYouTube的なものとかのクオリティの競り上げのほうが、その言いテレ的文脈って結構脅威なのかなと思った。
そうだね、それはそうかもしんない。
うーん、確かに。だから、まあ同時にちょっと違う話になるけど、その雑誌っていうものがテレビより先に終わってる、終わってると思う僕は、雑誌の文化って。
雑誌文化みたいな。
うん、完全に終わり出していると思ってるんだけど。
はい。
あの、そういったところが拾い上げてたもんとか、まあ映像で言ったり、その番組というたてつけになって言いテレとかでできるもんとか、あとまあ単純に商業出版されてる本とかっていう、まあそれぞれ得意なこと、できることみたいなのがあって。
で、まあYouTubeはそこを全部包括して、それぞれいろんな人がいるし、いろいろできる。まあ深くはできないけども、まあガチンゴの人がやったら深くやる動画も作れるし、みたいなプラットフォームではあるんだけど。
うん。
まあ、そうね、なんかその辺のそれぞれの良さ、雑誌の良さ、商業出版されてる入門書とか専門書の良さ、言いテレ的な啓蒙の良さみたいなこととかは、もう全部YouTubeに取られちゃってるっていうのはまあ間違いなくあるよね。
うん。
ただ、やっぱなんだかんだYouTubeはYouTubeでその広告、またあの作り方にはなってるんで、広告のどんだけ回すかっていう話、再生数をどんだけ回すかっていう話なんで、やっぱそういう意味で思んない部分はやっぱあるから、YouTubeの限界はめっちゃあるなみたいな、そういうこと関係なくやってくれてる人とかいるけど、それで続いていく人ってあんまりいないから、なんかそういうのは。
まあそうっすよね。
「キャラクターと関係性」消費とテーマ性の探求
うーん、なんかどうなんだろうね。だから毎日俺は割とYouTube毎日見るし、そういった自分の、いったら知的好奇心、なんかブームがいろいろあって、俺最近だとファッションブーム、服ブームなんやけど。
はいはいはいはい。
なんかそういった、自分が今これにはまってて、この情報、これがどういうディテールで、どういうふうにやりたてて、どういう歴史で、とか全部知りたいみたいな。っていうのに、毎日アクセスするっていうもんが、昔は本とかメインで、もちろんそれこそ都道府県のテレビだった時代とか、ラジオだった時代、まあラジオは引き続きやるか、ラジオ、ポッドキャスター引き続きやるけど、なんかでも、結構時間としてはYouTubeの時間は明らかに増えちゃってるかな。
それでYouTubeで、なんとなくの見通し図を作って、この発信してる人がどういう立ち位置なんかとかいう、そのYouTubeの中のポジションとかも見ながら、
あ、この人こういう感じで、こことこうやってるからこういうこと言ってんだよなーとか見ながら、ほんならどこに行こうかなーみたいなことを、なんかジャンルを変えながら、もともと僕の中では、もともとバンドやってたんで、音楽からスタートして、その後映画とか本とか、音楽経由で行って、
で、ちょっと前までは演劇ブームみたいなのがあって、まあ演劇と同時とかちょっと前にそういう哲学とか社会思想とか、まあその辺は今も続いてるけど、そういったことも読みつつ、なんかもっと生々しい現場みたいな感じで演劇ブームみたいなのがあって、
で、今ちょっと演劇ブームが落ち着いて、演劇行きたいんだけど、なんかあんまり、で、なんかこう、もっとこう纏うとか、なんかかっこよくするって何なんだろうみたいな、なんか初めに言ってくれたように、おもろいってなんないやろうみたいなことを考えたときに、
うん。
結局、この間もなんかツイートしたんだけど、なんかキャラクターと関係性みたいなもんにみんな、フォーカスしすぎてるってすごい思ってんのね。
そのツイートは見ました見ました。あの、まあ、かなり今の消費の動向ってかなりそこに左右されてますよね。
うん。キャラと関係性しか見てくんないやんって思ってんの。し、なんかそれに答えるみたいなもんばっかりなってるやんみたいな。まあ特にそれはYouTubeってそうだわ、特に。一番それが顕著だし、まあポッドキャストもそうなってきたなーっていう。
もともとそうなんだけど、えっと大きくなってその辺が変わるかっていうと、なんかそれを強化する方向に行くんやみたいな。まあそれはお金になるからね。そうするしかないんだけど。
うん。なんかそういうのを考えたときに、なんか僕は結構そうじゃないんだっていう。もっとテーマなんだっていうのが僕の問題意識だったわけ。
もっとテーマに行くべきなんだ。もっと言葉とか哲学に行くべきなんだとか。
思想に行くべきなんだみたいなことが言いたかったんだけど、で、それをやってたつもり、5年6年は。でも、なんか考え方、なんかガツンって書いてみたら、俺はこれでキャラとか関係性もっとやらなあかんっていうことを思ってるわけ。
俺が戦うためには。え、そうなんですか?シャークさんが。うん、キャラもキャラでやらなあかんと思ってる。
シャークさんって確かにそこにも強い意識ありますよね。フィクショナルな身体ってよくおっしゃってますけど、そういうフィクショナルな身体を持ったプロレスラーやアイドルといったような、逆に見られるものをあえて意図したものとしての見え方っていうことは、これ多分ファッションとかにも通じていく部分の哲学だと思うんですけど。
そこにもシャークさんって、僕からするとちょっと意外っていうか、あ、そうなんだって結構思ってしまう部分はやっぱ大きくあって、言ってることはもちろんわかるんだけれども、そういうポッドキャストとかにおいても、とはいえキャラみたいなものは必要みたいな感じの心の隅で思うことがあるみたいな感じですね。
なんかちょっとありがたいことに、メディアに出てるような人とかと喋れるようになったりとか、実際にラジオの現場にちょろっと参加させてもらったりとか、実際に出ながら頑張ってる人とかね、そういう人と交流があるようになると、そう、なんかいるなっていう、それはそれでいるし、
で、それをやること自体にちょっと抵抗がないかって言われたら全然あるんだけど、全然もう、そんなんなしでいいやんと思ってる部分もあるんやけど、なんか考え方変えて、それはそれで、なんかこうキャラとか、まあそれこそ今ファッションとか、そういう何を着てどういうふうにするんかっていうことを、
ほんまに楽しめて、自分の中に持ってけるんだったら、それをやっといたほうがいいなっていう考え方にしようと思って。でもなんか、毎回僕ってそうで、そのミイラ取りがミイラになるシステムで、いろんなものにアクセスしてきてるんだよね。
それは、めっちゃわかります。シャークさんらしさとして。
そこが、いやー、でもこれ良くないですね。だからそれがキャラとしての魅力って、やっぱ僕が今言っちゃいそうになったくらいなんで。
いやいやいや、いやまあでもそれはもう、こうやって喋ることでそれでいいと思ってるし、まあそう僕もプレゼンしてるから、だからそういうことは僕は。
僕がやっぱり難しい、ちょっと今シャークさん言ったことの前段でいくと、なんかやっぱりその関係性商品みたいなところの部分については、やっぱなんか本当にそれに僕も溢れているとはやっぱ思っていて、でNHK見てる人って、で言っても結局メニューはそこなんですよ。
だいたいNHKで人気なのってタイガとかアサドラじゃないですか。でもあれってほとんど人気俳優のキャラと関係性商品でしかないし。
それしか見てないよね。
そうそう、それでしか盛り上がってないし、タイガとかアサドラに出てる俳優とかが、田舎の街をぶらつくとか、またそこで関係性商品をさらに回転していくような番組で埋めてるのがNHKでもあると思ってるんですよね。
で、それ以外のインテリ的文脈みたいな方のどっちかというとテーマ、それこそファッションであったりとか、歴史だったりサブカルとかそういうのも含めて淡々とやってるところって結構大きな隔たりがあるとは思っていて、でそれが常々もったいないというか、なんか僕は校舎の方がいいのになって悔しい思いを結構してきたみたいなところもあって、だからこそこういう活動もしてるみたいなのもあるんですけど。
でもなんか一方でその、今のシャンクさんの話聞いてると、とはいえそのこうファッションとかその装いとかやっぱそれ纏うとはどういうことかとか、かっこいいとはどういうことかってこう突き詰めていくことによって、だから同時にそのキャラ性を帯びるというか、そういう部分あるっていうのは、その確かに重なるなとも今納得させられたんですよ、そのなんか。
いやだからそれをほんままさしく言ってくれたとおりで、そのもちろんもうキャラとか関係してやりたくないんだけど、それを自分の教養で言ったらEテレ的なものって言ってくれたものって僕の中では教養的な主義だと思う。教養主義とかだと思う。
勉強だと思う。でその勉強みたいなもんにグッと寄せてくるっていうさ、だし、でそれで言ったらさっき言ったような僕自身が欲望される身体になるっていうことに関しては、
なんかね、大それた感じに聞こえてしまうけど本気で思ってるから言うんだけど、そう、欲望されるようにならないといけないなってことを、そういう意味で腹がくくれたというか、なんかちゃんと出て、そのやってる人はある程度やってる、そこを。
ちゃんとしてる人はやってる。で、なんかそれだけになってるなとか、そこのバランス、もっとやれやと思う人はもちろんいる。から、だから、みんなあんま考えてないんだなって思うのね、そういうことをね。どう見られるかとか。
そうですね。普段の生活でそれを考えてるっていう人はそんなにはいないと思いますけどね。
そうそうそう。で別に僕は今から、あのそんなめちゃくちゃ売れてやろうみたいな気持ちはないけども、でも、なんかそういうつもり?
うーん、そう、曲がりなりにもポッドキャストをやって、言いたいことが、言いたいことがあるからやってるからね。言いたいことをやってて。
一人でも多くの人に聞いてほしいと思ってるし、あの本気で俺が思ってることは、その時一番こうだって本気で真摯に向き合って言ってるつもりだから、本当に僕は自分のやってることを信じたいと思ってるから。
だから、そこの芯があるんだったら、もっともっと、なんか欲望されて、あの見られる人になるっていうこと自体、っていうことも自分の中に取り込んで、やっていく方が僕のやりたいことだなってすごい思ってるし、
まあ思うようにしたっていう方が今段階では近いけども、うーん、そういうことを考えてるかな。
ファッションと「纏う」ことの意味
なるほどな、まあそこはちょっと確かに、何だろう、覚悟の部分であるというか、別にそれを常になんか出していくわけではなく、
シャークさんの中でこう思うっていうのが、たぶんこれからなんか徐々に現れ、まあ既に現れてるのかなりあると思うんですけど、
そうねー。
そうなった時にちょっと興味としては、まあファッションのその興味っていうのも最近よくなんかおっしゃってるんですけど。
言ってるって言ってるね。
うん。纏うっていう感覚で、そのシャークさんが今見えてるものってどういうところなんですか?
あー、なんだろうな。
具体的にというか、なんかいろんなパターンあるなと思っていて、特にファッションって言っていくと、
その、まあデザインだったり歴史だったり、まあもしくはそういうこう、意思表明したいものってあったりとか、
なんか何をこう纏っていきたいものというふうにして考えてるんですか?
あー、でもなんかそこは、まず多分僕の結構いろいろ考えた時に、こうやろうとか、
今ちょっと服とかをかっこいいもの着ようみたいなところで立ち返った部分、僕のベースに立ち返った部分があるんだけど、
やっぱ音楽とか、まあ特にロックミュージックっていうものが好きで人生駆動させてたところがあるから、10代とかは。
だから、なんかかっこいいっていう感覚をすごい大事にしてるよね、たぶん僕はね。
あー、そっかそっか。
何かを見て、かっこいい。
そうそうそう、かっこよく思われたみたいな、それは全然あるし、今もずっとあるんだけど、
なんかそこが、なんかでもどうでもよくなってくるのよ、たぶん普通にしてると。
30代とかでもどうでもよくない?基本的には。10代の時と同じ感じで駆動できん変化になってくるやん。
まあ、確かにその全く別のロジックですよね、そのどう見せたりとか、かっこいいっていうことに対する意識って。
うん。で、まあそれは社会的にちゃんとしているっていうところも欲しい。
プラス、ちょっといいなって思われるっていうこと?のためには、自分がどう布をまとうのかっていうことを表現する方が早いんだと思ったの。
なんかもっと、俺はその中身とかそういうことが大事だと思ってた。
なんか服だけかっこつけてるやつおかしいと思ってたってよく言うんだけど、中身ないのになんで側だけ頑張ってんだみたいな、反対だろって思ってたんだよ。
で、こう、これもおこがましいけども、なんか中身の部分はだいぶ自信が出てきた、35年間生きてきて。
で、やっと今、その外に、じゃあこの中身を外にどういうふうに、よりいい感じに。
それはズレがあっても面白いし、こうですって見せるのも面白いし、みたいな。
で、それって布って変えれるから、着てる布とか着けてるものとかって、まあそうしておくんですって。
で、そこがなんか結構、いろいろやってみたら面白いなって思ったみたいな。
それの自体を楽しむみたいなこと自体が結構面白いなって思ってる部分もあるし、そういう感じ?
だから、頑張って作ってきた中身を、今は外にどう表出させていくのかみたいなことが、そういうタームなんだ、今はって自分に聞かせながら、どうやってやっていこうかなっていうことを気にしている。
だから別にもう、なんかね、誤解されたくなかったとかいっぱいあったけど、こうじゃないんだとかすごい思ってたり、まあ今は思ったりするんだけど、
なんかそれはあんま関係ないなみたいな。とりあえずかっこいいって届くとか、ちょっといい感じだなって、その人の眼前に現れるってことがすげえ大事なんだなみたいな。
そう、最近は結構重視して生きてるって感じかな。
まあ、ことを特にそのファッションというか、いろいろ外見とかいろいろな要素はありつつだと思うんですけど、
今言ってくれたように布というか、そういうものにしておいてみたときに、やっぱりこうなんか取り外し可能なものっていうのが1個あるじゃないですか。
で、まあもちろんね、その着替えればいいわけだし、そこの、まあもちろんその、えーと、それによって発する良いこと悪いことって当然あるんですけど、
やっぱり良いこととしてやっぱり結構トライアンドエラーはしやすいというか、
なんかこう、簡易さみたいなものはやっぱ結構僕はあるかなと思っていて、で、まあその時の気分によっても変えれるとか、時代によっても変えれるっていうところは、
まあ良さと悪さはあるんだけれども、まあ別にそれでね、大きく普段着てるものをすごいこういろんな位置変化する必要があるかっていうと、まあそうではないと思うんだけれども、
まあ結構僕もその服とか結構好きではあるんですけど、そこはなんか良さ、なんかとプラス音でなんかものとしての良さみたいなものもあるかなと思っていて、
そのもの自体ですね。だからそことの掛け合わせとかも今後あったりするのかなと思ってちょっと聞いてみたっていう感じだったね。
そうね、だからまあ言ったらまあすごくベースにオタク的な部分があるから、単純にものが好きだしっていうところで、それだけでまあ好きになる良さがいっぱいあるっていうのは大きかったかな、ファッションに関しては。
だし、あとまあ単純にまあ言ったらここ10年ぐらい、まあそれこそバンドやってた頃とか20代とかって、なんかもう全然ダメダメのとりあえず服着てるみたいなとこから、
失敗から学ぶトライアンドエラーとユニクロの功罪
なんかそんなんじゃダメだってちゃんと怒られて、ちゃんとある程度はちょっと意識して、まあそれでもお金ないから全然できないながらにもすごい過ごしてた、たぶん5、6年間みたいなのがあって、
で、まあ働いていろいろ、でも一気にそういうのを失った時期があってみたいな、もう一回帰ってきたみたいな感覚なんだけど、
なんかその、でも好きなこととか、その仕事以外の余暇の時間とかになんか大失敗することなくなってきてるわけよ、あんまないやん。
で、たぶんみんなこれとかは、あの子育てとかね、育児とか、なんかそういったことでたぶんまた感じたりする、本間の大変さみたいなとか、たぶんあると思うんだけど、
まあ僕は結婚もしなければ今後も、まあそういう予定は今のとこないかなみたいな感じで、なんかじゃあどこに向かうのかみたいなことで、
ずっと今まで通り好きな音楽聴いて、なんか新しい映画見てみたいな、じゃあこっち行ってみて、もう楽しいんだけど、
なんかこう大失敗したいなみたいな、たぶん欲がすごいあったなって思ったりしたんだよね。
だから服買い出したりした時に、なんか普通に、なんかまあそれなりに何万か買って出して、家帰ってきて、
いやもうミスってんなーみたいなとかが、なんかミスったーみたいな、まあほんまに凹むんやけど、結構嬉しかったというか。
結構トライアンドエラーありますからね。
そうそうそう、いやーエラーしたなーみたいなのもおもろいし、なんかそのちゃんと自分がさ、コミュニケーションしてた環境でミスったーって見てくれみたいな感じで、
ミスったーって共有できる環境にできてるのとかもあるし、それはそれですげー勉強になる、これがダメなんだとか、わかんないからさ。
なんかいろいろ、いくらYouTubeとか本とかで知識入れても、わかんない、自分に当てはめてわかんないこととかってあるから、
それやってみて、なんかその定員さんとかもそういうのを教えてくれたらいいけど、教えてくれない場面もあるから、
なんか改めて冷静になって、これはミスってるわーみたいなこととかが、結構あった。
そこはマジでその、ユニクロの幸と罪じゃないですか、その罪の場合に、ユニクロの登場によってみんな失敗をしなくなったっていう。
それそう、ミスることなくなるからね。
そう、実はなんか、すごく服を味気ないもの、刺激を生まないものに変えてしまったっていう部分は、結構罪として結構あります。
あるある、し、やっぱここ5、6年とかって特にそのユニクロの進化がすごすぎて、普通にしてたら別に、だってなんとかなるもん。
いや、あの、一般的な日本人というか、まあ言い方は変ですけど、まあ普通にユニクロ来てれば、本当になんか、何も失敗はなくなります。
そうそうそうそうそう、っていう、なんでそういう、なんか無難さで言って、俺もここだから5、6年とか、ユニクロだけほぼ来てるみたいな感じだったんだけど、
だから、そっからちょっとなんか離れて、まあ今も来てるけど、なんか、そういうさ、なんか、俺はこの5年間何をしてたみたいなことに、こう、またその余裕があって、そこを変えりみれるみたいなことっていうことが結構楽しいみたいな感覚はあるね。
30代後半のテーマ設定と自己探求
うん、いや結構大事ですね、なんか、まあすごい大きな話を広げていくと、なんかそういうテーマみたいなものを、なんか30代こうね、後半に差し掛かってきて、中で、どう思うかって、まあもちろん人それぞれはあるんだけど、正直全くないまま、たぶん40代に突入する人とかもいて、で、結構僕はなんかこう10個上の人のことをよくこう注意深く観察してるんですけど、
なぜならなんかそれがなんか結構近未来の、何かの状況でこっちにも触れるかもしれないし、こっちにも触れるかもしれない未来と思ってこう見ることがあるんですけど、そういう意味でいくと結構その、まあ30代って何かしら、別にそれなんか偉い、偉いというのはその素晴らしいことというか、褒め称えられるものだけではなく、何かしらテーマというか、トライアンドエラーというか、そういうものを持ってる人と持ってない人で、なんか結構それこそ、
かっこいいというか、もうわかるんですね、見え方がこう。
なんか厚みみたいなのが、やっぱ全然違ってくるというか、だから、そうなの、だから30代だとたぶん逃げようと思ったらまだいくらでも逃げれちゃえるんだよね。
しかも20代とか10代のときよりも、うまく逃げれちゃうというか、うまく向き合えなくできるっていうことが、たぶん俺結構怖かったと思う、30前半とかのときに。
だから、何か新しいもの、何か新しいものみたいな、そこは僕も年上の人が多かったから、まあこんな言い方したらダメだけども、それこそちょっと上の先輩方で、うわあ、何か逃げてきたって感じになってんなーみたいなさ。
もうちょっと、もうちょっとぐっと上の人とかでも、何か軽やかにしようとして、この人もうダメになっちゃってんじゃんみたいなとか、やっぱめっちゃ見るわけ。
だから何かそういうのをやっぱ反面行進しながら、いやいやもうこんな、自分が気持ちいいとこにいたらダメなんだっていうのはすごい僕のテーマ、少々感の中にすごいあるんだけど、生きてる中の。
そういう意味で何か、どんどん自分を解体していかなあかんとか、やっぱバチンって頭打たなあかんみたいな感覚すごいあるし。
そういう意味で今はちょっと、そういう服とか、何か自分を纏うことみたいなね、何かそれこそちょっとボディメイクだったりね、まあちょっとこうスキンケア頑張ってみようとか、何かそういうのも最近やってるんだけど。
何かそういう、ちょっと全然、何かそれこそ10年前の自分が一番馬鹿にしてたようなことみたいなことを、何かガチンコでやるみたいな。
うん、何かそういうことやらんと。
カッコつけの男って言ってますからね。
そうそうそう、やっぱやらんと、何か人間ダメになっていくんだなってことを、し、やればすげえ楽しいのにみたいな。
何かそこの腰が重いって、何て愚かなことなんだろうみたいな。何かすぐ、何かね、興味が持てなくなったら人形割りなんかもしれないみたいなことを、最近は思ってるって感じかなあ。
そうですね、いやあ、何か僕のその、まあ別に悩みというわけじゃないんですけど、最近ちょっと日々思ってることとしては、まあその、こう話を戻すようであれなんですけど、
その、教養とか、まあイーテレ的というかものとかの、特にNHKとか県庁なんですけど、何か言っても何かね、入門編なんですよね。
だから何か、新しい世界を知った時の、何か最初の入門編とか、ちょっと知るとか、まあ中級的なところに行くっていうとこまでとしては、何かものすごく素晴らしい体験を提案してくれる。
まあ新書とかもそうなんですけど、何か僕が今思うのは、やっぱ40代とか50代とかに向けていくと、何かそこからさらに何かしら深めていくことが何か大事なのでは?って思った時に、結構ね、そのイーテレ的ではね、足りないっていう問題も同時にあると思うんですよね。
確かになあ。いやわかる。だから俺あらゆるものが入門だけで終わってるんだなみたいなことすごい感じる。
まあ今のこう、教養主義的な部分はまさにその典型って感じで。
いや本当にそう思う。だから、でもそこで満足できてしまうところがある。まあそれこそオタクとかって、何か僕らはやっぱオタク文化的なものっていうのにすごく、それも俺より世代の上の、本当にオタク第一第二世代とかの、何か意味のないさ、そういうマウントのようなもののえぐさとかさ、それの面白さみたいなものとかを見ちゃってるから。
何かそっからもっと行くのが一番面白いってことなんじゃないのってことを擦り込まれてるってとこも多分あるんだけど、何かあらゆることが入門になっちゃってるなあみたいなところ。で、それは大事なんだよ。そういう人は大事だし。
そうですね。
何かその本の分野とかで、その三宅加穂さんとかの本が読まれるってことってすごい大事なことだし、三宅さんの仕事って俺はほんまにリスペクトがある。
けども、そのもう一段階、二段階みたいなことを、まあ三宅さんももちろん今後やられると思うけど、得意なのは言ったらEテレ的なところの部分だから、
多分そこのゲートをやられるから、その次にもっと深いところに行くとか、もっとじゃあこう行ってみましょうみたいなところっていう人とかがもっともっと出たらいいなって思う。
し、僕もそういったことがやりたいなと思うけども、じゃあじゃあ、何の分野でそう行くんですかみたいな。
それをさ、広くは捉えられへんから、ちょっとある程度絞る必要があるというか。
そうですね。
だからそこの、じゃあ自分がまあ今年35で、そのあと5年とか40代になるときに、ここは5年間で見てきたテーマですって打ち出せるもんって、
何選ぶんだみたいなことをちょっとこうヒリヒリと感じてるみたいな怖さはあるね。
「格好いい男」とは何か?男性性と自己のルーツ
うん。いや、まあ、なんか本当同じ焦りというか。
うーん。
どうしてもよりディープダイブするときのやり方を、若いときは若いときなりのやり方があったんですけど、
今の正しいやり方って何なんだろうみたいなものがあって、その、あの、いや本当にさっき三宅さんの話が出てきたんであれなんですけど、
働いてるとなぜ本が読めなくなるのかは、20代の僕には全く通用しなかったんですよ。
うーん。
あ、通用しなかったっていうのは、働いてて忙しかったけど本全然読めたみたいなことがあるんだけど。
これがなんかその、30代後半40代とかになってきたときに、全く別のものとしてその、そんな入門的な本は別に、どんなに働いてたって忙しくたって、
とりあえず隙間時間なりなんだりyoutubeなりできることとは思う一方で、その、5年間何してきたんだみたいなことを言うときに、何をどうやるっていうことの、
うーん、まあ、もちろんそれ、ディープダイブするときってやっぱりかなりその、なんていうか支払わなければいけない犠牲というか、
まあ物もたくさんあって、
うーん。
その、経済的にもそうだし、そのいろんな問題としてある中で、なんか迷ってしまうというか、これかけても5年かけて何もなかったらどうしようみたいなことが。
うーん。
なんか20代だったら、いやそれでもいいんだよ、行こうみたいなのが、
そうだね。
なんかどんどん怖くなって、その入門編でいろんな入門を知れば知るほど、なんかどれが最適解なんだみたいな。
ああ、そうだね。
もう典型的なその悩みに多分今ぶち当たってる部分はありますね。
めっちゃわかるよ。
だし、なんかその若いうちはもっといろいろ、若いうちはもうなんでもいいからあかんみたいな感じの育てられる方をしてたから、俺も。
ああ、面白い面白い面白い。
え、ちょちょ、その後って全然誰も教えてくれないんですけどみたいなさ。
ふふふ。
みたいな感じで掘り出される観客って30代あるかもしれないよなあ。
うーん、まあでもなんか、僕の話をすると、ちょっと自己紹介とかでも前半かな、えーと、締めとかに言ったけど、
うんうん。
男って何なんだろうみたいなことは、結構やっぱ向いてるし興味があるし、
なんかそこは何をやってても向かっていけるところだなあみたいなところ。
だし、それは今自分がまとうとか、自分がどういうふうに体を作っていくのか、実際のね、肌を綺麗に見せたりとか、どういうふうなボディをメイクしていくのかみたいなことに興味があるっていうのも、
なんか繋がっていったりとかしてるんだけど、
うーん、自分自身だと格好つきの男って何なんだろうって、僕にとって男って何なんだろう、社会にとって何なんだろう、とか。
なんかもうちょっと勉強したらそれこそね、法律とか、なんかそういった政治的にとか、都市計画が男を作ってきたんか、みたいな本とかもなんかいろいろ調べたらあったりするから、面白かったりするから。
なんか、僕としては、まあじゃあ男ってもんが何なんだろうってことに、47までの5年間はちょっとかけてみようかなっていう、兆しが最近、兆しが見たっていうか、それも心積もりが出来だしたって感じはちょっとあるかもね。
うーん。
現時点でいくと、シャークさんの中での男、格好つきの男ってどういうことになっていくんですか?
うーん。僕の中で、ちょっと質問の答えになってないかもしれないんだけど、僕がフェミニズムだったり男性学みたいなものの本を読んだときに、やっぱ一番すごいショッキングというか、これだって思う感覚があったんだけど、
それってやっぱ自分が悩んでたこととか、自分が嫌だと思うことが、なんか8割9割ぐらい格好つき男問題だったみたいなことがあるんだよね、僕の中でね。
ああ、なるほど。
だから、それは20年とか何十年生きてきた自分の中の、嫌だったことみたいなこととか、モヤっとすることとか納得いかんことっていうのが結構そこにあるんじゃないかっていうところがあるから。
それは、でもその中で自分がやってしまってることとかもめっちゃあるから。
うーん。
だから僕の中では、その男を見つめていくってことは、結構その自分自身の掘り下げでもあるし、同時に僕たちでもあるし、男たちでもあるし、
もっと私はなんかやっぱり親父とはなんか、あんまり仲良くできなかったみたいなところもあるし、親父のこともちょっと考えたい部分もあるんだけど、
なんかそういう父問題とかいうところとかも含めて、結構自分をめぐる、自分のルーツをめぐる旅みたいな感じで、
いろんなことを考えたり、読んだり喋ったりしたいなみたいなこととしては、そういう感じで考えてるっていうとこかな。
なるほどな。
「面白さ」の再定義と今後の展望
ああ。結構じゃあ、その今までの生きてきた悩みというか、まあ言ったら生きづらさみたいな、よく言うものと、その男性性みたいなものとの関わりって結構深かったっていう気づきがあった?
僕が相当深いというふうに今の認識としてはある。ただこれはそうだというなんか感覚があるだけで、もっと勉強したりもっと、なんかもっと変化していきそうな気はするんだけど、
今の感覚とか、僕が時間を捧げるのはここだと思っているのは、結構そこに革新的な感覚があるね。
なるほどな。
いや、あの、シャークさんのポッドキャストでもそういうふうに語られているエピソードとかもいくつかありますし。
うん、そうだね。
そういう話を聞いてても、確かになって、まあ自分自身にも本当に帰ってくるものもたくさんあるし、
一方でそのシャークさんならではというか、こんだけこうね、結構近い部分があるっていう話をしている中でも、
そういうふうに感じることってあるんだなって気づきも結構僕の中で、あのシャークさんとの男性性にまつわるエピソードって多くあるので。
そうだね。
そういう感じなんだなっていうのが今ちょっと理解できました。
そうだね、やっぱね、まあ結構、なんかね、やっぱいろんな反省がいっぱいあるからね。
まあでも、なんかこう、それが好きっていうのはあるよ。やっぱ反省したいみたいな気持ちはめっちゃあるから。
なんかそこのニーズに応えてるっていうのもあるかな、男性性について学びたいことって。
ああ、その自分として反省したいっていう意味も含めて、もっと突き詰めたいってことも大きい。
めっちゃある、めっちゃある。なんか結構しんどいとかさ、自分のルーツとかでなんか嫌だったこととか、なんか心地よい環境じゃないってことのほうがやっぱ多かった時間。
10代ってやっぱそういう時間のほうが長かったっていう感覚が僕あって、なんかみんな、みんな、全ての10代そうだと思ってたら、
まあみんなそれぞれあるよ、みんなそれぞれあるけど、なんかそうでもなかったっぽいみたいなこととか、なんか、うん。
それはそれでなんかショックを受けたりとか、ホナーなんでやろうとかさ、逆に俺がなんでこんなにぼーっとしていられたんだろうみたいなね。
僕は姉が2人いるけども、なんか姉2人がなんか言ってたことと、俺が男性であることはなんか全然関係あることだなってなんとなく思ってたのが、ああ、みたいな。
なんか姉ちゃんらが選べなかったことを俺は選べるんだとかさ、なんかそういう渋谷の話はね。
そういうのがありますよね、ちなみに。
うん、めっちゃ思うことがある。うん、なんかそれは10代の時に思って、マジでなんか昨日のことのように、え、なんで?え、なんで?みたいな疑問に答えなければならないみたいな感覚があるな。
うん、確かに僕もなんか地方出身で、同じく姉がね、いるので、それはすごい思うことは結構ありますし、結構自分に返ってくるというか、たぶんほとんどのなんか、まあいわゆるのその男性みたいな人が、たぶんそこに気づかないというか、なんかそういう問題があるが、自分は違うという、なぜかこう生存、生存者バイアスって違うな、なんだって、バイアス結構かかってるんで。
あの、実例を出されたらもう全部自分に返ってくるっていうのはね、ほんとに、そのシャークさんのエピソードでもよくある話ですね。
そうだね、ほんとそうだし、なんか僕もそれを見つめることで許されたいみたいな、なんか気持ちもあるし、俺はわかってるってさ、なんか思っちゃってるとかも絶対あるから、なんかそれは、まあただそれはすごく過剰に自罰的になる必要もないし、
うん、それを求められてるわけでもないと思うから、まあコツコツ、ああもう最悪とか言いながら生きていくしかないですからね、まあよりよく生きていくためにはでもそれが、僕にとってよりよく生きていくことに対しては、そういった反省と自分のルーツを巡る考え、
自分が男であるってこととか、弟なんなんだろうみたいなことが、割と俺が今後生きていく、まあそれはそれで燃料にもなるなみたいなことを、後退的に捉えながら生きていこうかなって感じではありますね。そんな感じでございます。
ありがとうございます。いやなんかこう今日、多分前半を含めて通してですけど、やっぱ結構その、僕とのシャークさんの中にある、なんかその、おもろい、まあ面白いみたいなものって何なのかっていうのを、なんか結構そのね、自罰的に言っても言いましたけど、そういう感じでも含めて当たりながら、なんか考える、なんかおもろいだけだと結構伝わらない部分があって、
直近のシャークさんのエピソードでのそういう話ってあったじゃないですか、こう面白さに関するものとしての。なんかこう、世の中一般的なその面白いとかのイメージの、なんかかなりそこを僕は疑ってるっていうか、なんかそれじゃないんだよな、でもなんか他に説明の仕様のないとか、別の側面をどう語ればいいのかっていうのに、こう宿泊してる部分あるんですけど、今日、まあ後半の話も、まあ詰まるところって言っちゃうとすごい、
端的にまとめてるだけなんだけど、なんか面白いって、こう圧倒的に言われているお笑い芸人的な面白さじゃないところの、おもろいって何なのかっていう話に悩む同世代っていう感じだったかもしれない。
そう、そうですね。それは本当にめっちゃあると思うね。そんなばっかになっちゃってるっていう感覚もあるし。
そうですね、ありがとうございます。だいぶいろいろとこう、普段僕がポッドキャスト、シャークさんのものをかなり聞いて、聞きながら思ってることをあんまりぶつけることってなかなかできないので、ちょっとそれができる回になったなっていうところもあるんですけど。
いえいえ、僕もいろいろ喋れてよかったなと思います。
いやいや、ほんとわざわざゲストに来ていただいて、結構僕らのガチガチの、なんていうんですか、肩にはめてやってもらったわけにはなるんですが、今回どんな感想だったでしょうか。
いえいえ、楽しく、まあそれこそ、結局は自分の話をすることにはなるよなと思いながら、そういう話ができたけども、ただそれはこの座組じゃないと話さなかったとこだし、
言ったら何かテーマがあってとかってことって、それは寄り道みたいな感じに見えるかもしれないし、それを使って隙ほだ言ってるだけじゃないか、という言い方とか見方もあるかもしれないけど、
なんか全然そうじゃないというか、やっぱ引き出される言葉だから、そういったことがあったなって思いながら、後半も喋れたし、前半で言ったことも、そういう意味ではああでもない、こうでもないっていう喋り方をしましたけども、それができて楽しかったですね。
ありがとうございます。では、また最後、告知あればお願いいたします。
はい、ポッドキャスト番組、心のすな字シャープを配信しております。ぜひとも聞いていただければなと思います。
各エピソードごとに独立しておりますので、気になるタイトルから聞いていただければなと思っております。はい、以上です。
はい、ぜひぜひ聞いてください。ということで、今回は以上となります。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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