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放送回:「兵庫 さよなら 思い出のリフト」(2023年12月8日)

サマリー

兵庫県明健壇にある古びたリフトは閉鎖され、最後の回となりました。リフトには多くの人々が訪れ、そのシュールな映像が印象的でした。このリフトは、単なる移動手段ではなく、周辺の思い出や景色を楽しむための要素となっていました。今回は、リフトや山から見える地元の町について考えてみましょう。

目次

さよならシリーズの始まり
真夜中、コンビニの駐車場で。このポッドキャストは、一つの場所を72時間にわたって定点観測する、某公共放送局のドキュメンタリーを大好きな2人が、番組についての感想や愛を語ります。
今回は、兵庫、さよなら思い出のリフト、という回について話していきます。今回は兵庫県明健壇に係る、少し古びたリフトですね。
このリフトはですね、長年家族連れに親しまれてきたんですけれども、タイトルにさよならとあるようにですね、この12月にこのリフトもケーブルカーも、このを含めた広場一体が閉鎖されるということで、その最後に迫った回となっております。
ということで、本田さんいかがだったでしょうか。
はい、これはもう俗に言うさよならシリーズということで、閉園することが決まったような場所ですね。
都市まん延とかもありましたし、あとは百貨店とかですね、いろんなところの最後のというところで、結構やっぱり平成、昭和の懐かしい光景が一つずつ一つずつお別れを迎える中での、今回リフトということだったんですけれども、
当然そのリフトがもうすぐ閉まっちゃうからっていうことで、これまではそんなに多分人来てなかったところから、一気に懐かしさを求めて最後に乗ろうっていうことで人があふれ返ってたじゃないですか。
その映像が結構シュールだったっていうか、このリフト自体も本当に古びた施設で、リフトの上も機械仕掛けの滑車みたいなのがカラカラ回ってるんですよね。
滑車の写真撮ってる人いましたもんね、途中ね。
それぐらい味わいのある滑車がカラカラカラカラ音を立てて、しかもそのリフト自体もそんなに高い場所を飛んでいなくて、ちょっとジャンプしてもギリ大丈夫かなぐらいの距離をずんずん上がっていくんですけど、
そこにもう空席なく5年配の方とかが連続して座って、ぼーっとしてるリフトで自動的に運ばれていってる状態みたいなのが、結構何回もカットとしてあったじゃないですか。
あれが非常にシュールだなっていうか、さよならシリーズでみんな通い詰めてっていう多幸感みたいなところ、あるにはあるんですけど、乗ってるシーンは別にインタビューできるわけでもないんで、シーンってなってカタカタカタっていう音だけが聞こえてくるっていう、結構面白い映像でしたよね。
なんか工場の部品みたいでしたよね。別にそれが比喩的な話ですけど、リフト乗ってベルトコンベアみたいな感じじゃないですか。このリフトってリフト自体に対した目的はないじゃないですか、そもそもですけど、今回はさよならだからそれを目的に来てる人多いんだけど、
単なる移動手段なので、山の上の方に目的があって、今回のさよならシリーズの中でもちょっと違うのが、リフトだけじゃなくて上も閉まっちゃうっていうことな気がするんですよね。
そうですね、全部が閉まっちゃう。だから今回はリフトに密着した回だったんだけど、とはいえリフトにすごい思い入れがあるっていう人って実はあんまりいなかったんじゃないかなと思ったんですよね。
結構いろんなところが閉まることになってて、それこそまずリフトの前の時点でもケーブルカーがあるんですよね。地元の運行会社が経営してるケーブルカーがあって、さらにリフトで上の方に行くとバーベキュー施設みたいなところで、バーベキュー施設もそこも同じ運営会社がやってるんで閉まっちゃうみたいなことでやってるっていうところだったんですけど、
それも見てればわかるんですけど、ちょっとよくわかんないなと思って結構いろいろ調べて、この明健山っていうところを調べてみたんですけど、これリフトとかって戦前とかからあるらしいんですよ。
このリフトですか。
すごくないですか、調べたホームページによると。
それすごいですね。
しかも戦時中に不要不急線だっていう判断で運行休止になってるらしいんですよ。
まあ、そりゃあそうというかっていうことしかないですけどね。
不要不急ってそんな100年前ぐらいから言ってたんだみたいなぐらい結構古いものであって、それが一度止まったりとかっていうことはありながらも一応すごく時を刻んだものなんだけれども、
さっき山口さんが言った通り、別にそれ自体がアトラクションっていうわけでもないので、結構みんな淡々とというか、これ最後だから乗りに来たんですっていう人も思い出込みっていう感じでしたよね。
なんかでも昔親と来ましたとか。
そうですね。その思い出もリフトにまつわる思い出っていうよりも、さっき最初に本田さんが言ったみたいにリフト乗ってるとき、しかもこのリフト一人乗りじゃないですか。
誰とも会話できるわけじゃないんですよね。
だからその来るための途中で何があったとか、それこそ双子の娘がいて、ここ来てケーキ食べるのがルーティーンでみたいなお母さん出てたじゃないですか。
前後の物語の方に思い入れがあって、それを思い出すためのファクターとしてリフトに乗りに来てるみたいな、トリガーとしてリフトに乗ってきてるみたいなことはあったかもしれないなと思いますかね。
だから結構ここの山で、昔はみんなでバーベキューしてとか、このメンバーで行ったんですとかって話もあったじゃないですか。
リフトの特徴と映像のシュールさ
そういうのも含めて全部が思い出の中の一つとしてリフトっていうことになっているんで、リフトそのもの、さっき言った通りリフトそのものっていうよりはリフトの周辺のっていうところで、
多分これ行った先でお寺さんとかがあったりとか、そういうのも行ったりっていう、この兵庫県にあるんですかね。
関西での一つここに行ったっていう時の思い出の一つっていうところがなくなるっていうところがあって、ちょっと残念ではあるなっていうところなんですけど。
こういう系っていつも見てると、やっぱり今回もそうでしたけど、どんどん少子化によって脚足もなくなってきて、もうちょっと仕方なくっていうとこあったじゃないですか。
で、自分もこういう毎回亡くなってしまうさよならシリーズ見てると、ちょっと時代の流れとしていた仕方ないかなっていうふうには思っちゃう部分はいつもあるんですよね。
でも今回その中でちょっと発達させられたのは、やっぱり途中でいらしていた親子で、娘さんが小児眼でずっと足を悪くして、なかなかそういう遠出とかっていけなかったんだけど、今回リフトが終わるからっていうので来ましたっていう親子の方いらっしゃったじゃないですか。
でもあの方を見たときに、結構今でももう30歳になった娘さんは今でも足が悪くて、杖をつきながらっていうとこあったんですけど、なんとかリフトに乗れてっていうところを見ると、今まで仕方ないなってある程度片付けてたところが、要は行きたいなら歩けばいいじゃんぐらいにちょっと思ってたんですけど、
やっぱり公共施設ってまさしく公共というか、こういうことのためにあるんだなっていうのはちょっと発達させられたんですよね。
だってこの方は多分その足の悪い感じだと、もし今後リフトなくなってしまうと本当に多分山頂までは多分行けないじゃないですか。
でまあそれは仕方ないことだよって言ってしまえばまあそれはそうなんですけど、やっぱりでもリフトがあることによってまあなんかそれが成り立ってたんだなっていうのは、なんかその一連の流れの中で結構しかも途中に差し込まれたので、なんか仕方ないよな仕方ないよなーで見てた自分は結構そこはハッとさせられた瞬間はありましたね。
なんかその高層ビルの上から景色を見るのと何が違うんだろうみたいな話ってある気がしてて、山の上登るみたいなことって、でこのそれこそリフトができた当時ってそんな高いビルもないし、景色を見るためみたいなことは結構大きい要因だったと思うんですよね。
山の上から100万ドルの夜景とか言うじゃないですか、別に標語はそうじゃないけど、そういう一体の見え方のことを、でそういう風な景色を見に行くっていうので、割とこうみんなで登ってとかそれこそデートスポットでみたいなことがあったと思うんですけど、なんかその機能って今別に高層ビルの上でご飯食べるとか、なんかこう選択肢がすごい広がってると思うんですよね。
その高いとこから景色を見るみたいなところだけにフォーカスすると、そうするともともと一択だったものがなんか多様になってきて、でそれこそさっき本田さんの話で言うと、その高層ビルのレストラン別に行けるじゃないですか、さっきのその親子の話で言うとね。
でもなんかそういう高いところじゃなくて、このリフトっていうものとか、その高い山に登りたかったみたいなことって結局そもそも山に登れないからってなるじゃないですか、山登りができないからっていうところ、足の問題もあって。
それがちょっとその山登りってやっぱり単に高層ビルでエレベーター乗ってるだけじゃないっていう、本当は辛いものなんだけどこのリフトがあるからちょっとショートカットできていろんな人に幕中開けてみたいな、なんか割と今回の取り上げられ方で言うと、ちょっとこうチルアウトスポットみたいな感じで、デジタルデトックスみたいな。
何もせず鳥の音が聞こえるし、風の音も強く聞こえるみたいな感じで言ってましたけど、シンプルに乗り物だったみたいなこと、ショートカットするためのものだったみたいなことを、今の本田さんの話も含めてですけど、思いましたかね。
リフトの意義と役割
結局なんかこうケーブルカーとかリフトとかって、割と意外とそういう、それこそいろんな山とか、お城とか結構山の方にあったりするから、お城行ったりするときとかそういうのがあったりして、基本的には観光地なんだけれども、言う通りその移動手段っていうところの中で、リフトっていうのもかなりダウンサイズしたすごいシンプルなものだと思うんですよね。
当然このリフトのところも、中腹まではケーブルカーが走ってるわけじゃないですか。そういうところも含めて、段階的に多分いろいろな人のニーズに合わせてシンプルに作られていったものなんだなっていうのが、このリフトを見てるとなんかぼんやりわかってきて。
だからこそこの滑車が回るところっていうのも、いわゆるその味があるっていうところだけじゃなく、人の上り下り、さっきの親子じゃないですけど、それ以外も含めてそこを僕に寄与するものだったんだなっていうところがあって、いわゆる観光施設ではあるんですけど、そことの攻め合いはかなり難しいなっていうところがあって。
いやもうこれは仕方ないよっていう、いわゆる自己責任論的なところで片付けるのは意外ともったいないのかなって思ってしまったっていうのが結構最後まで見た後での感想でしたね。
でもなんかこの話って、今はそんなことないですけど、それこそバブル期とかもっと前の時代も含めてですよね、建てられたものでやたら展望台ブームみたいなのあったじゃないですか。やたら地方行くと展望台あるじゃないですか。
高いところがないから。
高いところがないから、そういう山の上もそうだし、謎のタワーが建っていて展望台になってるみたいなのとか、そういうのの役割みたいなのをちょっと考えさせられましたかね。
結局、高いところで見るんだったらさっきの僕の話じゃないけど、別に高いところから何かを見るみたいなの目的ですらなくなっていて、このリフトってあまりにもモビリティとしては心もとないし、そもそもモビリティっていう移動手段なんだけど、乗った場所からしばらくして2時間ぐらいにまた同じ場所に戻ってくるっていう、ちょっとよくわかんない乗り物じゃないですか。
だって、登って下るんだから同じ場所に戻ってくるわけですし、本当にその娯楽のためのほぼエレベーターと同じというか手段なんだけど、それが結局今回さよならみたいになってくるときに、そういう歴史の展望台部分みたいなところも含めて、順調に滅びていくしかないのかなみたいなのは考えますけどね、さっきの話もそうですけど。
なんかね、そこがまた絶妙なところで、確かにその展望台とか、なんとかタワーみたいなものが取り壊されますみたいなところだと、多分その山口さんが言った通りその展望台ブーム的なところの中で、果たしてそれが必要なのかどうかっていうか、役目を終えたのかどうかっていうところあると思うんですけど、
今回のリフトのところでは、やっぱり行った先から見える風景っていうのは確かに大事なんですけど、それだけじゃなくて自然と触れ合う部分であるとか、結構お山で登った後にお寺さんに行ったりっていうそういう信仰的な面とかもあったりとかっていうのもあるし、
ハイキング的なところもあるだろうし、そういうので行くと、確かにじゃあ歩いて行ってくださいっていうことにはなるんだろうけれども、そこが歩いて行けばいいじゃんって結構自分が思ってたところから、そういう本当に行きたくても行けない人がいるんだっていうところもあったのはちょっと、
リフトと地元のまち
これうんうんよくこの方にインタビューできたわけじゃないと思うんですよね、逆に言うと、イルビックしていたんだなっていう、当然この方が毎週のようにリフトに乗ってたわけじゃない、逆に言うとこれが閉まるって聞いて書き込み的に行ったっていう話はあったと思うんですけど、
やっぱりそういう人の目線からすると、やっぱり行きたいって思える、リフトに乗らなきゃって思うんだろうなっていうところは、これ役目終わったしねみたいなところで最初の方にちょっと自分の中でも思ってた自分が、なんか目線が1個しかなかったんだなっていうふうには思いましたよね。
なんかあの、展望台とか登ります?本場さん。
展望台はあんまり登らないですけど、結構山とかは登りますよね。
なんかその、僕もまあそれこそなんかあんまり別に行かないんですけど、ただなんか展望台とか登って面白いなと思う時が、その自分の知ってる土地を上から見るのは面白いなと思うんですよ。
今回のこの兵庫のリフトでいうと、途中その小学校の先生とか、あの幼稚園の先生の同期とか出てくるじゃないですか、子供と一緒に来ましたみたいな。
で割となんか地元の人が多かったような気がしていて、あの今は地元じゃなくても、もともとその昔住んでてみたいな人とか、でなんか自分の家を上から見れるとか、よくそのね山の上の会話であるのがなんかあの辺がうちだよみたいなこととか、あの辺が小学校でみたいなあるじゃないですか。
なんかそういうそのある意味高いとこがさっきの展望台ブームの話もそうだし、その小児岸の話もそうだし、なんかこう自分の土地を上から見れるみたいなことがちょっとその日常から切り離されて、生活を俯瞰できるじゃないけど、
っていうところがなんかこういう地域密着型リフトっていうかとか、展望台とか上から見るとこの役割としてはあったと思うし、なんかそれはもしかしたら今でもちょっとあるのかなと思うんですよね。
いわゆるリアル地図じゃないけど、グーグルマップみたいなもので、今もう上からでも散々グーグルアースとかも含めて見えるんだけど、とはいえなんかこう見ながらあっちの方が海であっちの方が何でみたいな、ほんと俯瞰ですよね。
文字通り俯瞰する場所としては、こういう地方リフトとか上山頂からの景色っていうのは機能していたし、それがさっきの小児岸の話でいうと病院とか閉鎖された空間とのわかりやすい対比として機能するんだろうなと思うんですよね。それが開放感につながるというか、自分を俯瞰できるっていうところ。
でよくその田舎の描写としてその上から見てこんなに町を出るときにこんなに自分は小さい町だったんだみたいなことを高台の上から言うみたいなしたまにあるじゃないですか。
それ山口さん思ったことないでしょ。
いやあるじゃないですか。僕はないけどあるじゃないですかそういうの。でもなんかそういうのじゃないけど、結局自分が見てた世界の小ささと規模感みたいなのを感じるっていうのって、さっきの入院とかの話もそうだけど、家とかそういう生活圏が実は小さいみたいなことを客観視できるっていうのは機能としてもあるのかもなと思ったんですよね。
開放なんでしょうね。山口さんがさっき言った通り。開放だし、実際ねああいうタワーじゃないような感じのああいう展望台とか展望所行くと、やっぱり音とか空気とか風とかで感じるものも多いので、多分そこから含めて切り離されて町を俯瞰してみるっていうところがよりリアルに感じられると思うんですよね。
だからこれ多分ちょっと前にやったあの鷹の峠とやっぱり近いものあって、実際鷹の目になることはできないんだけれども、鷹に思いを馳せることで何かそこを少し自分を俯瞰してみるとか、少しそのボーダーレスな状況を感じることができるっていうところ。
やっぱりそこが人間がそういうふうに感じれる能力でもあるし、基本的にはそこに抑圧を感じてしまう生き物でもあるし、その表裏一体なんだなっていうところが、今回のリフト行った先でも多分皆さん感じてたところ。
それが地元であればあるほどそこの解像度が高いっていうところがあるんで、そこが多分やっぱり今回のリフトの中で見えてきたものですよね。ただそれがなかなかもう役割としては一つ一つ終えていくのかなっていうところで、
結構ね、これを運行してるスタッフの方の言葉とかも結構重みありましたもんね。部品も人もあと10年は大丈夫なんだけどねとかって言いながら自分で修理されてたんですけど、ああいうのも結構重みがありましたね。
だってなんていうかこう閉まるのっていろいろ理由あるじゃないですか。こことかなんかもうそういういろいろな理由っていうよりもただ単に多分お客さんが少ないからみたいなことなんだと思うんですよね。それはまあその役割の変化とかね、これまで話してきたようなこともありつつ、とはいえじゃあなんかずっと続くのがいいことなのかみたいなのあるじゃないですか逆に。
限界ギリギリまで。
滅びの美学と敗戦マニア
なんかもう去りの美学っていうか、まあもう一役目を終えて、別に次に何か新しいものが作るというわけではなく、別にただの山になっていくみたいなところなんだと思うんですけどこの場合は。
なんかそういうタームなのかなと別にそれはこの兵庫のいい人だけじゃなくて、わりと世の中にこういろいろできたものがこういうさよならというかもうシンプルに役目を果たしてなくなっていくみたいなのあるじゃないですか。別に愛された場所であろうがなかろうがその太陽年数とか時代の流れによって。
そういうところはもう、今回のさよならとか特にですけど、まあ最初に本田さんが言ったみたいにこう仕方ないよなあっていうのをもう受け入れつつというか受け入れるしかないみたいなところはあるのかなとは思ったんですよ。なんか寂しさだけじゃなくて。半分諦めじゃないけど。
まあね、そういう滅びの美学というか去り際っていうところに対してそれを聞きつけてね、東京からやってくる敗戦マニアがいるわけですか。
あれちょっと突然すぎますけどね。
やっぱどこにでもいるもんだなあこの最後かどうかっていうところに喜びを感じてる人が。
それはそれであるじゃないですか廃墟好きみたいなことですよね。
でもこの人の場合だとその敗戦マニアに行くというですね、もう滅びた後の状況ではなくこの滅びの瞬間を多分見届けたいという。しかもその敗戦マニアって言ってたんで多分これを最初僕が言ったようにモビリティとしてカウントしてる人だと思うんですよ。
なんかそれはなんかもうちょっとした癖ですけどね。なんかねもはや。
というところがあってで最終日っていう感じだったんですけどね。まさかの最終日が定休日でしたね。
そんなことあるって感じですよね。
あえて狙いましたねこれはね。
でも多分相当定休日多いんだと思うんですよね。
あれでもなんか水曜日は定休日って別の日も定休日なんですかね。
いやーでもさすがに4日目まる定休日って結構なんかメンテとかの関係もあるんじゃないですかねもはや。
そうでしょうけどいずれにせよね今回のスケジュール的には金土日とかそれにできる。
人が多いタイミングね。
しなかったってことは定休日を狙ったのかなみたいな。
そうかもしれないですね。
なんだ乗れないじゃんみたいなところまで含めてなんかそういうオチでしたね。
ありましたもんね。
という感じですかね。
では今回は以上となります。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
23:48

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