2023-11-13 21:54

モデリング編#14 「人としての悪」の構成要素は何からできているか?その2

CS Harmonyの「モデリング編」は、図が大切なのでnoteと連動させています。note:https://note.com/mild_modeling/n/n481680334bb1

⁠今回は組織に良くない影響を及ぼす「EVIL(悪)」のモデリング観点からの対処法について分析してみました。

・EVIL(悪)のトリガーを引かないために
・普通の人にいいことも悪人には逆効果
・人を選ぶことがやっぱり大切
・評価というシステムが「無理ゲー」である
・現状の組織構造では悪人は絶対に生まれてしまう

------- 堀のnote
https://note.com/mild_modeling 堀のTwitter
https://twitter.com/mttk_hr

サマリー

モデリング編の前回では、組織の中で無自覚な悪意をまき散らす人の構成要素について話しました。今回はその解決策や対応策について議論します。評価と難題が対処法の一部となりますが、イーヴィルな人に難題を与えることで被害者意識や傲慢さが悪影響を及ぼす可能性があるため、個別化した対応をする必要があります。組織の評価システムによってイビリな人が生まれる可能性があり、それを回避するためには組織のシステムを変える必要があります。フリーランスの身軽な立場ではイビリな人との関わりを避けやすいです。

構成要素の分析と解決策
CS Harmony Radio のモデリング編を始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
今回も引き続き、悪をテーマにモデリングした内容を話していきたいなと思います。
少し簡単に前回の振り返りすると、悪っていうのも組織の中で悪影響を及ぼす、いわゆる無自覚な悪意を持っている人をどういう風にモデリングして構成要素を見つけていくかっていうのを前回話しましたと。
今回は、その人たちの構成要素を分析した上で、どうやったら対応できるのかっていう解決策とか対応策の方をまた議論できればなと。
解決編ということで。
解決できるかはよくわからないけど。
ただ、自信持っているのは、厄介な人の内容ってあまり分析したくないじゃないですか。
確かに。
僕も普段はこんなことするモチベーションないんですけど。
前回も話した通り、そういう場面に遭遇したんで、ちょっと明らかにしてやろうと思って。
やったらコントロールできる要素が見えてきたっていうところがあるんで。
その辺で言うと、全てにおいて有効とか聞くわけじゃないですけど、一定うまく対応できる部分もあるんじゃないのかなみたいなところが、たぶん今回の話かなと思ってます。
というところで、ちょっと軽くおさらいしていくんですけど。
いわゆる組織の中で無自覚な悪意をまき散らす人。
前回のモデリングの中ではイビルって言ってて、イビルな人なんですけど。
その人っていうのは、基本的に自己顕示と多席が強い人ですと。
つまり、他人のことを考えてないわけですね。
だから、他人のことを考えない前提で、自分の自己顕示をして多席をするで、それが無自覚な悪意となって現れてるわけなんですけど。
その背景には、自身の被害者意識だったりとか、自責を思わないとか、内省したりとか、自分に非があるというふうに思わない傲慢さがあったりとか。
あとは外的要因で、誰かと競争して勝たなきゃいけない競争意識とか、あとは評価と繋がなきゃいけないプレッシャーとか、そういったところが繋がっていますと。
その話の中で、その人たちをコントロールできる要素って何だろうねってなったときに、我々の中では評価と難題っていう内容を見つけ出しました。
改めて評価と難題なんですが、評価に関しては、もちろんその名の通り評価するってことですよね。
その人が何かしらの評価にさらされるとか、その人の関わる何かが評価されるみたいな。
普通に組織の中にいたら評価ってほとんどの会社はしてると思うんで、なかなか逃れられないと思うんで、いわゆる人事評価とか、いわゆる査定ですよね。
そういうものですと。これはなかなかなくすこととかはちょっと難しい部分はあるんですけど、一個それがありますっていうのと、もう一つは難題。
これ難題は自分の成長のために必要な、ちょっと背伸びしたら達成できそうな。
ストレッチされた課題みたいなやつですね。
そうですね。取り組むべきことを持っていただければいいですと。難題って大体多くの方にとっては必要なものだと思うんですよ。成長のために。
なんですけど、この難題がイーヴィル要素がある人からすると、イーヴィルな人になるトリガーになってるんじゃないかなっていうのが分析した結果ですと思う。
っていうところまでが前回の振り返りというところで、評価とか難題みたいなものって目に見えるので、
分かりやすいのは、自分の部下がイーヴィル要素あるなしみたいな話でいった場合は、扱いやすい難題の方から考えていきたいと思うんですけど、難題って普通はやっぱりさっき言ったように成長のために必要なところだと思うんですけど、
なんで難題を与えると彼らは悪意影響とか無自覚な悪意をまき散らすようになるのかっていうところなんですよね。
それってモデリングした通りなんですけど、難題っていうのは普通は競争意識とかプレッシャーに影響を与えてるんで、いいものなんですけど、
イーヴィルな人はそこに被害者意識とか傲慢な要素があるんで、それが組み合わさって悪影響を及ぼすっていうことなんで、
結局、難題を与えてはいけないっていうのが多分一番簡単な対処法ではないかなっていうふうに僕は思います。
その時にイーヴィル要素がすでに見えてる人だったら、難題与えないようにすれば、基本的には構成要素でいった時の一つが消えていくので、
イーヴィル要素がもともと出てる人だと、それがなくなるとかもしくは弱まるみたいなことは考えられるんじゃないかなと思います。
なんでそうなるかっていうと、基本的に自分が成果を出せないものとか出しづらいものを与えられると、達績をしたりとか自己堅持するんで、
まず達成できたとしても、その難題ってその人にとっての難題であって、他の人からしたら難題じゃない場合もあるじゃないですか。
もちろんもちろん。
なんですけど、その難題やったってことに対して、一番できたとか、
すごいんだっていうふうに、自己堅持でブーストがかかりやすいっていう話がいって、
あと、達成できなかった場合に、こんな難しいお題を与えた上司が悪いとか、できなかったのは周りのせいだって話になるんで、
結局、誰かに責任を手放す人。だからいいことないんですよ。できてもできなくても、どっちもダメじゃねえかなみたいなことで言うと、
こういう人ってつまんねえ仕事してんなとか、なんか面白くないんですけど仕事ってなってても、
なんか難題当てると周りの人に悪影響を与えちゃうんで、与えちゃダメなんじゃないかなっていうのがちょっと思っちゃったんですよね。
成長とかやりがいみたいな話はあるんですけど、たぶん彼らがやりがいを感じるみたいなところの話っていうのも、
難題を与える前に、違う厄介な被害者意識とか傲慢な部分っていうのを直さなきゃいけないっていう形になると思うんですよね。
それが見えてない時点でだと、たぶん難題を与えると悪いことしかないんだろうなっていうところで、
この辺がちょっとまず一つコントロールできそうかなみたいなところが、モデリングからするとありそうだというところなんですけど、
そういうちょっと難しい課題を与えられた時に、結構その人の本質、僕よく出るなって思うんですけど。
評価と難題の役割と課題
分かります、分かります。これはそうですね。
バネにして、だから書いてもらってる通り、プレッシャーというのが適度にあった方がやりがいが出るじゃないですか。
そうですね、そうですね。
単純に完全に潰されちゃって、行きどころないから多敵になるっていうのは多分あって、
そこになる、負け癖って言い方ちょっと言い方が悪いかもしれないんですけど、適度じゃないものが与えられ続けてしまってて、
ずっと達成できなくて、被害者意識って言ってたやつとかが醸成されちゃってると、たぶんそういうことが起こりやすいし、
多分プレッシャーに負けちゃうんですよね、きっと。
多分それが普通にありそうだなぁとは思うんですけど、ただ難題かどうかの判定が難しいですよね、この場合って。
結局多分その人にとって難題ってところなんで、ベースやっぱその人のことある程度見てないと難しい。
そうですね、そうなりますね。
でも逆に言うと、ある程度ちゃんと見てたら、これぐらいがストレッチしたら届くところかなって。
調子だったらわかると思うんですよね。
それを与えてしかるべき人間かどうかっていうのも、モデリングした要素を照らし合わせて見ていくと、ちょっとわかんじゃないかなみたいなのが現場感の感覚ではありますって感じですね。
そうですね。
実際にヤグサンも言ったように、こういう難題を与えた時に、上手くやる人とやらない人って結構はっきり分かれるじゃないですか。
もうちょっと言っちゃうと、だいたい難題毎回クリアする人と毎回クリアしない人って、割と如実に差が出るなと思ってて。
達成できない人は結構毎回達成できなくて、達成できる人は結構達成していくっていうのが、自分の感触だと多いんですよね。
評価システムの限界と個別化の必要性
無理難題は無理です、ダメですよ。
そもそもねって。
ストレッチできる難題に対しては、やっぱり取り組み方わかってたりとか、イーヴィルじゃない人はやっぱりそこは上手く乗り越えて成長してるかなと思うんで。
そういう意味で言うと、結構再現性あるんじゃないのかなというふうに思っていて。
良くないのは、全ての人に成長の機会のための難題を与えようとしてるっていう、マネジメントの方がよろしくないんじゃないのかなっていうのが。
それはすごいよくわかります。
多いじゃないですか、そういうのって。平等に与えるみたいな。
そういうやつですね。
こういうの見てると、そんななんかこう、何でしょう、均一的にやる必要あんのかなとか思うんで、もっと個別化して対応していく領域なのではないのかみたいな。
そうだと思います。
組織を良くして組んだと、そういうチューニング絶対いるんじゃないのかなみたいなことを、僕はモデリングをして感じたって感じですね。
そうですね。またそういう偏りみたいなのが出てくると、このイーヴィルな人だと思いますけど、不公平だとか言い始めたりとか。
そうなんですよ。
私はもっとできるのに、みたいな言い始めますよね。それは評価のとこだと思いますよね。
まさにその次の評価に当たるんですけど、評価ってとはいえ結構やめるとか、さっきの難題みたいに与えるのやめるみたいなことって難しいじゃないですか。
だからこの評価どうするかの方がやっぱりむっちゃ根深いなとは思うんですよね。
一部の会社で評価しないとか、そういう会社もあるんで、そういう風になったらちょっと違うんだとは思うんですけど。
ほぼほぼでも今の世の中の多くの会社は評価してるんで。
そうですね。
でも僕これは前から思うんですけど、人が人を評価するっていうのって結構そもそも無理ゲーじゃないかなと思っているんですよね。
そうですね。
でも世の中には無理ゲーだよねって思ってない人もいっぱいいるんだなっていうことを最近感じて。
そんな誰もが納得する評価なんて毎回起きてるわけないのが現実なのに、なぜ自分の周りだけその評価が公正である。
もしくは不満があるときは公正でないというのかっていうのがちょっとよくわかんないですけど、たぶんそこ言い切り要素だと思うんですね。
結局傲慢であるとか、そういうところもつながってそういう態度とか状態を取るんだと思うんですけど。
でなると、この評価っていうところ自体って結構ちょっと話飛ぶかもしれないですけど、評価をするというシステムがもう限界に来てんじゃないのかなみたいなことを感じるっていうのがあります。
だってこれすぐなくすって話じゃないんですけど、ただ一部の会社とかで評価してない会社もあったりとかするんですよね。
自分の給料自分で決めるみたいなやつもあるじゃないですか。
自己評価でいくところもありますね。
そういうのって結構高度な感じもするんですけど、もっと端的にわかりやすいやつだと山分けするみたいなところもあって、とりあえず関わった全員がすべからく山分けする。
もちろん、貢献度みたいなところを測り出すと、多分評価につながっていっちゃうんで、もうワンチームとか同じ船に乗った仲間として、その時はもうその内容をみんなで享受しようっていう。
ある種山分けっていう方が、そういうこと気にしなくていいんじゃないかなと思ってるんですけど。
あともう1個思うのは、ずっと同じ組織でそれやったら、やっぱり貢献度に対する不公平感生まれるんじゃないかなって気がするんですよね。
なので、プロジェクトベースでチームが毎回毎回変わって、そのプロジェクトで出した成果をみんなで山分けするとかっていう方が良かったりするのかなみたいなことも、ちょっとこの評価をどうしたらいいかなっていうのを思ってるように考えたり。
これちょっと評価システムある種ちょっと入ってるかなと思うのは、例えばプロジェクトで組むじゃないですか。良かった人って絶対おかわり来ますよね。
でもイーヴィルな人っておかわり来ないじゃないですか。
どう考えたって。
自分の働きこんだけ頑張ってるの見返り少ないとかって怒り出す人とかって、次から絶対組もうと思わないじゃないですか。
ってなると、多少割合が合わないと思っても、次仕事来た時にこの人と組みたくないんだったら、その時に断れるっていう自由があるっていうところで、チーミングのある種自由さがあることで、評価しなくてもいいんじゃないのか、評価から逃げやすくなるんじゃないのっていうのをちょっと思ったんですよね。
あれですね、だから多分特定の上司部下の関係性の上司が評価するという仕組みではなくて、どちらかというと相互評価みたいに近い状態で組織を構築するみたいな話ですよね。
そうですね、あるプロジェクトがあった時にそこに対して仲間を作って対応するみたいな話が近いんで、なんかフリーランスの人たちが仕事するみたいな仕事の仕方の方が、たとえ嫌でもその時だけ耐えれば我慢できるみたいな話ってあると思うんですけど、
同じ組織でずっと付き合わせてそういうなんかイーベリな人いると悪影響が酷いんで。
学園祭の実行とかそういう感じですか。
組織内でのイビリな人との関わり
僕の感覚で言うとバンドサークルで発表するときに、発表するバンドってその時その時組んで、そのイベント終わったらまた解散するとかそんな感じです。
その中でお互い気に入った人はまた何か繰り返したりするし、合わないなと思ったらもう次からやらないとか、そういう自由さがあってもいいんじゃないかなみたいな。
そんな感覚に近くて、僕のイメージに近いのは、ライフシフトって本あるじゃないですか。
ちょっと前に流行ったやつ。
これって100年時代の生き方みたいなこと書かれてる本で、この中にそういうプロジェクトベースでチームとして繋がっていくっていうので、
ポッセって言葉で呼んでたと思うんですけど、同志ですよね。
そういう同志でその時チーム組んでチームプレイして勝ち提供してリターンみんなでもらうみたいな。
そうすると評価っていうところをあんまりしなくても良いんじゃないかなっていうところですよ。
つまりプロジェクトとしての評価は受けるけれども、それって個人の評価にならないじゃないですか。
もちろん山分けするんで、その中で誰の貢献みたいな話言い出したら気になるんですけど、
プロジェクトとしての評価を受けたら別に、そのプロジェクトってその時限りのもんなんで、それがずっとついて回るわけでもなく。
そうなるとそもそもその評価ってその瞬間だけだから、そんなに意味なさないよねってなったら、
もう別に評価はそうだったとしても、それで対価もらってその対価をみんなで山分けするっていう風にすると、
今回モデリングした中での競争意識とかプレッシャーとかを与えるような評価システムとは違うことになるんで、
回避できるのではないか。
可能性がありますね。ちょっと聞いてて思いました。
このモデリングしてもらったところの評価の前提は、これは繰り返しゲームなんですね。ワンタイムゲームじゃないんです。
ワンタイムゲームではないですね、どう考えたって。
だからそういう意識が強くさらになっていくっていう。書きにくいけど、そういう話ですね。
なるほどなるほど。
イービルな人でも一瞬出会っても二度と会わなかったらそんなに悩まなくて済むじゃないですか。
それで急にイチャモンつけられたみたいなのとちょっと近いとか、車運転してて急に荒い運転の人に出会ったって言ってもそれだけだって。
急に慣らされたぐらいの大切さ。
まあその時イラッとするにしてもそれで済んじゃうんですけど、継続性があるから厄介な。
そうですね、継続性の問題ですねこれは。
なんで結局組織っていう中の枠でいった時にそういう人たちと付き合い続けるっていうことに対してイービルな人生まれてくるんで、
それがワンタイムにかつリファラルみたいな感じで、この人、良かった人からの紹介で繋がっていくとかみたいな話になると、
このイービルな人っていうのに出会いづらくなる。
ひょっとしたらそういうシステムだとイービルな対応したら生きていけなくなっちゃうんで。
そうなりそうですね。
イービルな人もイービルな行動を取らなくなる、行動を取らなくならざるを得ないんじゃないかなと思いますよね。
その意味で分析してもらった内容からすると、消化の部分とかが弱まってくるのと、多分難題そのものも自分で選ぶ話になるので、
起こりづらくなるんじゃないですかね。絶対数が減りそうな雰囲気は。
そうですね。ある種その意味だと、ちょっと冒頭に言った、評価というシステムがもう限界を迎えてるっていうのは、
今の会社という組織とか、ある程度永続的に続く組織っていう器の中での評価システムっていうのが、
もともと無理ゲーだと思われていたけれども、変えられてないので、
それを変えるんだとしたら、多分そういうふうに、今のシステム自体が変わっていくようなことをすると、
こういう問題ってなくなるかもしれないなっていうのが、そういうところに思い立ったっていうのが。
すごい大きな話になりましたけど、もともとの本があったじゃないですか。
人を選ぶ技術。
その中にその辺って書いてある?
そこは書かれてなくて、やっぱり人を選ぶ技術ってことは、人を選ぶんですよ。
ああ、そっかそっか。選べ、選ばれるがある。
人を選ぶ時点で、やっぱその同じ船の中に乗る。
なるほど。
プロジェクトベースでワンショットって感じじゃないんですよね。
イービルな人を産んでるのは、実はこの企業という、この階層構造の企業体っていうものが産んでるんだよっていう、今回の。
だと思います。なので、なくならない。
なくならないですね。
ってなったら、根本的なとこは、この今の会社という組織、形態のシステムを変えればいいっていう話になるんですけど、
組織のシステムの変革の難しさ
現実的になかなかそれ簡単にいかないよねっていう話。
なので、そういう意味だとフリーランスになっていくとか、そういう組織から逃れていくと、この評価っていうところ、また別の観点でついて回る場合あると思うんですよ。
例えば、毎回同じクライアントの人と付き合ってるとかみたいな話になっていくと、それってある種持続的になっていくんで。
断る権利とか自由はあれど、しがらみができてくると難しいみたいなところはあって、あるんですが。
ただ、ちょっと発言の仕方とかは違うんだと思いますけどね。
その組織の中のイビリな人の発言の仕方とは違うと思うんですけど、
嫌なクライアントというかイビリなクライアントみたいな人っていう話で行ったときに、
フリーランスの方は断る自由はありますよね。
だから回避はすごくしやすいっていう意味だと、まだ動きやすいのかなと。
結局、組織の中で上司だとまだ対応できても、部下だときついじゃないですか。
部下で上司がイビリとか、もう大変じゃないですか。
しかもさらに厄介なのが、トップがイビリだったらもうヤバいっすよね。
でもトップでイビリは最近もあるじゃないですか。
車とかね、なんかちょっと最近もニュース騒がしたような話ってあるんで。
あれトップレベルでそうなってんだろうなって思いました。
なるほど。
だから完全にステークホルダーのこと考えてないですよね。
そうですね。
その程度問題はあるんだろうなっていうのが、今回やった感じですかね。
というので、簡単に解決できない場合も結構あるんですけど、
もちろんもちろん。
特定ケースだと対応できるし、やっぱりフリーランスとかちょっと身軽な立場になると
結構この問題は対応しやすくなるかもしれないなというところまでが一旦の結論かな。
知っておくことが大事かなっていう感じですね。
そうですね。
そういう構造が分かっておくと、いろいろもしかしたら対応ができるかもしれないし。
システム変えるのは難しいかもしれないけど、目の前にそうすることがもしかしたらヒントになるかもしれないというぐらいの心づもりでいけばしますけど。
そうですね。
こういう構造が見えると、やっぱり構造上の問題は構造を変えないと難しいなとかは思い立ったりするのは非常にモデリングしてよかったなと思っています。
ということで、この2回話して結構僕の気持ちも成仏したかなと。
それはよかったです。
ということで、今回以上としたいと思います。ありがとうございます。
ありがとうございます。
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