風上爆酒製造の挑戦と閉鎖
クラフトビール業界の風雲児、田上聡さんが2016年、たった一人で立ち上げた風上爆酒製造。
一口目は拒否反応が出るけど、自然と二口目が欲しくなる。
そんな個性的なビールは話題を呼び、全国から注文が入るようになっていました。
しかし、唐突に、田上青年の身に不幸が訪れます。
クラフトビールにすべてを、最高の一杯に賭ける挑戦者たち。
第2話 屈辱の日々
このエピソードは、シーズン2東海道ビール編の第2話になります。
醸造所がオープンしてから1年、お店は順調に売り上げを伸ばしていました。
醸造所をオープンしたくてもできずに、ただただ赤字を垂れ流していた時期に比べれば、経営はだいぶ安定したと言います。
当時の僕はですね、本当にちょっとお金を捨てに行ってるような気分はあったんですけど、その割には儲かったなというとこですね。
まあ、その前の予備校教師と比べたら、もう収入は3分の1ぐらいになってますね。
しかし、一方で拭いきれない一末の不安が常につきまとっていました。
うまくはいっていたんですよ。
正直他の人がやってももうここまでうまくはできないというぐらいの自負とか自信はあったぐらいもううまくはいっていたんですよ。
ただ話題になってみんなが買い求めてくれるという状態は、その絶好調の時ですらやっぱりどこまでいけるかなという、長くは続かないだろうなという危機感はずっと持ち続けていたんで、
新しいものはずっとその新しいニュースとか話題を提供し続けないと、この先なかなかやっていけないだろうなという感覚はありましたので、絶好調でありながらもやっぱりその先の不安というのは消せなかったですね。
そして、2017年10月17日。
お店の営業を終え、スクーターで帰宅途中だった田上さんは車と衝突、救急車で病院へと運ばれました。
幸い大きな怪我はなく、すぐに営業を再開することができたといいます。
ビール業界への復帰
しかし。
ちょっと当時は軽く見てましたね。
治るだろうという感覚もありましたし、腕とかは使えなかったんですけど、うまく切り抜けましたし、ちょっと楽観視はしてましたね。
続けられるだろうと思ってましたし。
その1ヶ月後ぐらいですかね、そんくらい経って初めてこれはもう無理なんだなという実感にじわじわ変わっていったというところですね。
機械に頼らないシンプルな作りの醸造所があだとなり、負担はすべて田上さんにのしかかるようになりました。
とにかく仕事の効率が著しく落ちるわけですよね。腕とか体をかばいながらなんて。
仕事が回らないんですよ。
いくらやっても、いくら時間をかけても仕事が終わらない。
そういう状態が積もり積もっていくんですよね。
仕事が回ってなくて、どんどんやらなきゃいけないことがたまっていって、それでもこなせなくて。
睡眠時間をいくら削っても終わらないんですよね。
そして療養中、医師から言われた一言がきっかけで、あることを決意したと言います。
医者からも治らないと言われていたんだね。
1年休んでも治る保証はない。
そういう事実も積み重なって、ちょっとここらで引かなきゃいけないなというところですね。
本当に落ち込んでいるとか、そういう感覚ではなかったですね。
もう受け入れたというか、受け入れざるを得なかったんで。
もうダメなんだなって思って、前向きではなかったですけど、さすがに。
醸造所の閉鎖を決意したのは、事故からおよそ1ヶ月後、11月25日のことでした。
最後にとりあえず定番ビール4種類あったんですが、
それをもう1回だけ作って、それを出して終わろうという、そういう感覚でしたから、
もうそれに向けて動いていたというところですね。
本当にビアバーとかにお世話になったという感覚がすごいあったんですよ。
ほとんどのビアバーとかはやっぱり見向きもしなかったんですよね。
いろいろ断られていた中で、そういう新しいものを受け入れてくれる、そういう人たちに出会って、
それでやっと僕がやっていけたんで、本当にお世話になったという感覚があったんで、
お世話になったところ、できれば全部ですよね。
全部に一通り、最後のビールをお届けして終わろうという感覚ですね。
お店を畳み、機材はすべて処分。
風上爆酒製造は惜しまれつつも、2018年1月、その短い歴史に幕を閉じました。
そして、
もう店畳んだ後は、本当に偽りなくビール業界からは足を洗おうと思っていたんですよね。
ちょっとやっぱり物理には心残りがあったんですよね。
物理をもう一回ちゃんと勉強して、研究者になろうかなと思っていたんで、
理工学書、理工書とかってものすごい高いんですけど、そういう高い本をいっぱい買ったり、
最新の物理学に追いつこうと思って、基礎の勉強のし直しとかもそういうのも含めてですね、
いろんな勉強の準備を整えて、物理の世界に戻ろうと考えていたんですが、
東海道ビール川崎塾のオープン
リハビリを続けているうちに徐々に体調は回復。
すると、かつてのファンや同業者から嬉しいラブコールをもらうようになったのです。
その後すぐにですね、ビール業界で5社から連絡があったんですよ。
その中には新規立ち上げの新しい醸造所を作るからやってくれないかという、
そういうところもあって、こんだけいろいろビール業界の人が誘ってくれて、
しかも結構熱心に誘ってくれたんで、ちょっとこんだけ必要としてくれるなら、
ちょっと時間は空くだろうけど、ビール業界にいてもいいんじゃないかなと思って、
ビール業界に残ることになりましたね。
オファーのあった企業の中から、新規立ち上げを提案してくれた川崎の企業と一気統合、
ビール事業を一緒に始めることになったのです。
今までやってきた、風上爆酒製造でやってきた商売とは全く形が違ったんですよね。
そういう新しいことをやるっていうのが、ちょっとまだ未知なところですけど、
そういうチャレンジが惹かれたところですよね。
もう計画とかも完全にそこの基本コンセプトが違うと変わってきますから、
そういうところでちょっとワクワクしてきたというところですね。
2018年12月、数ヶ月の準備期間を経て、東海道ビール川崎塾がオープン。
醸造規模は以前に比べ3倍に増えました。
クラフトビールの工場っていうのは、設備がでかければでかいほど成功の確率は上がっていくと思うんですよね。
だからこれは500リットルですけど、それ以下っていうのは、
ちょっと最初は楽かもしれないけど、自分の首を絞めるだろうなという実感はあったので、
それで500リットルというスタートになりましたね。
さらには醸造するビールの味にも変化が生まれるようになりました。
本当に風上自体やってたのはまさに変化球ですよね。
人のしかも投げないような変化球ばっかやってきたんですが、
自己堅持欲と言いますか、別に普通のビール作ったってお前らよりうまいからなみたいな、
そういう感覚はありましたね。
別に作れなくてやんないわけじゃないよっていう、そこはちょっと気持ちとしてありましたね。
別に普通のIPA、王道のIPAを作ってもうまいビールは作れるんだよと。
一般の方も飲んでおいしいと思えるような、
しかも毎日飲んでも飽きないような、そういう味にしたいと思ったんですよね。
だから本当風上自体に尖ったことをやっていたんですが、
味の作り方、設計の仕方とかも真逆で、調和とかバランスとかそういうものを追い求めて、
もちろんIPAなんでそれなりに苦味とか香りも強いんですけど、
根底にあるのはやっぱりそういう調和ですね。
開店直後からこれまで悲喜にしてくれていたお客さんがお店を訪ねてくれたりなど、売り上げは上々。
再び店をオープンできたときは奇妙な感覚に取り憑かれたといいます。
なんかもう自分の思うようにはいかない不思議な人生だなという実感ですね。
それもやっぱりオープンした時も感慨深いとかそういう感情ではなかったですね。
なんか不思議な方向に行くもんだなという。
大雨のニュースというのはもう日本全国に流れたと思うんですよね。
暴走犯等で大雨の被害がかなり出ていると。
停電というのはビールにとってもう死なんですよね。正直言って。
クラフトビールに全てを最高の一杯にかける挑戦者たち。
第3話 クラフトビールの未来を作る。お楽しみに。
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