クラフトビールメーカーの成功
コンビニに行けば、大手メーカーのビールが数百円で買えるこの時代。
クラフトビールでも、安いものはワンコイン、高くても八百円ぐらいですよね。
そんな中で、三本五千円という贅沢なビールを発売し、完売させ、大きな話題となったクラフトビールメーカーがあります。
それが、川崎に佇む東海道ビール川崎塾工場。
この醸造所の醸造技師を務めるのは、田上聡さん。
やっぱりビールって地位が低いですよね。
同じ発泡でもシャンパンは高いですよね。
シャンパンは高級料理店でも出せるお酒で、ビールは違う。
一本1600円というラグジュアリーなビールで市場に売って出た男。
今回はそんなクラフトビール業界の風雲寺が物語の主人公です。
彼は一体なぜ、高級ビールの開発に踏み切ったのか。
そして、どのように成功させたのか。
彼が歩んだ長い道のりを辿っていきたいと思います。
ナビゲーターの倉島佳蓮です。
クラフトビールにすべてを、最高の一杯にかける挑戦者たち。
第一話
予備高校士がビール醸造所をスタートさせるまで、すべての始まりは、
今からおよそ15年前にさかのぼります。
大学卒業後、塾の講師として物理や数学を教えていた田上さん。
クラフトビールの世界に足を踏み入れるようになったのは、
ある一本のビールがきっかけでした。
目白の酒屋でですね、その氏名という名前が出てきて、
今思うとすごくリーズナブルな価格で売っていただいたんですが、
それをまあ最初に買って、複雑な香りが全部出てきて、
そこでそのビールを売っていただいたんです。
そのビールを売っていただいて、
そのビールを売っていただいて、
そのビールを売っていただいて、
そのビールを買って、複雑な香りが全部まとまって、
最高に調和したような、それはもう完全にまろやかな形で調和したという、
そういうものでしたね。
いやーもう、とりあえずもう言葉が出ないというか、
もう本当にじっくりじっくり、
ビール醸造所の立ち上げ
もうその飲むのも止まらずに、
もう一口一口大切に飲んでそのまま亡くなってしまうという、
そういうような状況でしたね。
今まで味わったことのないビールの味に感動した田上さん。
しかし、ここからすぐにビール職人に転身したわけではありませんでした。
その後もしばらくは塾の講師を続けていたといいます。
まあ、正直言ってものすごく割のいい仕事なんで、
まあその頃はお金もあったし、すごい遊べたし、
それはすごい楽しかったんですけど、
教師っていう職業に悩んでたっていうのはありますね。
教えるっていうこと自体は、さほど好きではなかったんですね。
そういう悩みがある中で、
ずっとこれでいいのかな、ずっとこの仕事でいいのかなっていうのは、
思ってたというのは下地にあると思いますね。
仕事帰りには世界中のビールを買い漁り、
長期休みにはクラストビールを求めて海外旅行に出かけるように。
そういった中でビールの作り手になりたいという思いが
ふつふつと湧き上がってきたといいます。
そして、2015年のある日のこと。
何かきっかけがあったとかじゃないですね。
普通に横浜で授業をやって、授業後飲んで、
結局朝まで飲んでたんですけど、
その後朝の街とかに放り出されたときは、
ちょっとやっぱりセンチメンタルな気分になったりしますよね。
私、横浜出身なんですけど、
高校生の時とか遊んだような街をですね、
誰もいない中ですよね、もう明け方、
プラプラと歩いてて、なんか落ち込んでたとか
そういう感情ではないんですけど、
ちょっとプラプラ空見ながら歩いて、
そういううちに、何かもう一歩新しい方向に
踏み出してみようかなっていうのを漠然と思った
ビール会社を立ち上げてみようというところですね。
少しずつ白んでいく空と赤く染まっていく街並み。
そんな景色を眺めながら田上さんは、
クラストビール醸造の道へ
大きな一歩を踏み出したのでした。
自暴自棄とかではないですけど、
自分のやろうとしていたことが
売れやすいビールを売ろうとしていたことではないんで、
その後に何らかの破滅は待ってるだろうなというのは
もう予想はしてましたね。
でも正直勇気じゃなくて、どうでもいいんですよね。
自分としては。
安定も求めてないというか、
怖くないだけなので。
勤め先の予備校はその後退職。
たった一人でクラストビールの醸造所立ち上げに
邁進していきました。
ホームセンターにあるものとか、
業務用の機材を通信販売で買ったりとか、
そういうのを組み立てて作りました。
DIYなどを駆使して出来上がったのは
9畳ほどの小さな醸造所。
1回で醸造できるビールは150リットルと
小ぶりながらも十分な醸造量を確保することができました。
これで自分の作りたいビールを
思う存分作ることができると思いきや、
肝心の醸造免許がおりないのです。
その時、やっぱり一人で工場を建てて
運営してっていうのが前例がなかったんですよね。
特に僕の場合は一人で工場を立ち上げて
やれるんだぞっていうのを示したかったんで、
法人とかも作んなかったんですよね。
個人事業主でいざいざと
個人事業主で挑んだんですが、
そういうのが前例がなかったみたいで、
もう免許を出す側からは
強烈な拒否反応を受けましたね。
例えば、じゃあ今週中に審査が通るかどうか
連絡しますのでって言われるわけですよね。
その週の間、どんだけ待っても連絡は来ないんですよね。
週末に入っちゃって、月曜日に連絡するんですよ。
連絡来るって言ってたんですけど来なかったんですよ。
言うと、またすいません、今週中に連絡しますって言って、
その週も連絡来ないんですよね。
免許の要件として、全部要件はもう満たし済みですね。
満たした上で免許がダメとも言えないんですよね。
要件を満たしてるんで、何も言われない。
ただ免許は出さない。
そういう抵抗ですね。
来週、また来週と期日を引き延ばされ、
3ヶ月、4ヶ月と何もできないまま、時間はどんどんと過ぎ去っていきます。
待てど暮らせど、醸造許可はおりません。
無理だよと。
冷静に考えてアドバイスすれば、確かに僕でもそう言いますよね。
僕自身、無理だと思ってましたからね。
ビール工場の免許がおりないとは思ってませんでしたけど、
醸造免許取得までの困難な過程
2、3年やって破滅でもそれでいいかなという考え方はありましたから。
最終的に醸造免許がおりるまで、およそ10ヶ月の月日を費やしたと言います。
もう本当にしつこくやるしかなかったですよね。
次の週また電話するんですよね。連絡が来なかったんですけど。
それをいくらでも繰り返せるかですよね。本当に粘りがちです。
それまでが長かったので、感動したとかそういうのではなかったですね。
とりあえずやっとここまで来たかという、そういう思いでしたね。
2017年7月、ようやく酒造免許の取得に成功。
たった9畳の醸造所を川崎にオープンしました。
このお店を田上さんは風上爆酒製造と名付けました。
風の上で風上ですね。
その風上という意味自体が風の吹いてくる方向を指しますよね。
結局ビール業界に風を吹かせたいなという、風が生まれるそういう方向というか、
そういうビール会社になりたいなという思いですね。
立ち上げ早々、万人受けするビールは作らない、とされました。
立ち上げ早々、万人受けするビールは作らない、と宣言。
以来、個性的なビールを次々発表していきました。
フラッグシップビールは黒ビールの一種であるポーターを採用しています。
メインとしてはクローブというスパイスを入れていて、他にもいろんなハーブを入れたりして味を整えているんですが、
クローブの香りを知らないと何とも説明しがたいんですが、
スーッとするような香りというか、だいぶ独特で強い香りがあって、
それがもううちの看板商品だったんですけど、アルコール度数も9度ありましたし、
いろんな意味で相当強いビールでしたね。
ビールのレシピはあえてバランスを崩し、個性を全面に打ち出していきました。
実際のクローブの使い方で言っても、10が一番バランスとれる分量だなと思っても、
あえて10に入れたりとか、2日漬け込むぐらいが一番ちょうどいいバランスだなと思っても、
あえて3日漬け込んでどぎつくしたりとか、そういうあえてバランスを崩していましたね。
ビールというのはこういうのもあるんだよとか、こんなビール作っていいんだよとか、
そういうビールという認識の幅を広げたいという思いで、どぎついのを作っていましたね。
そして、このビールを無意識の商人と名付けました。
なんだこれっていう、とりあえず一口飲んだら拒否反応が出ると思ったんですよね。
なんだこれって思いながらも、また二口目が欲しくなるというか、
そういう無意識領域で商人を受けられるビールなんじゃないかなと、
意識的には拒否してしまうけど、無意識的にまた欲しくなるような、
そんなビールをと思って作ってますね。
実際その通りになったと思ってますね。
正直言って自分の思ったよりも愛されたなと思ってます。
もっと拒否されると思ってましたからね。
そんな個性的なビールは万人受けはせずとも、着々とファンを増やしていきました。
店頭での販売はもちろん、近隣のビアパブでも人気に、
ついには全国に出荷するようになりました。
忙しかったですね。
特に一人でやった時は、もうほとんど寝てないですよね。
ずっと忙しかったですけど、すごく充実はしてましたね。
当然売り込みに行かなきゃ誰も買ってくれないですし、
自然と待ってるわけじゃないですから、そういうところは忙しかったですね。
反響は本当予想以上にありましたから、
作った分はすぐ全部売れましたから。
ビールの個性にこだわった醸造所の成長
しかし、この時の田上青年はまだ、この後訪れる困難の日々を想像してはいませんでした。
次回
大きな事故をして、1年休んでも治る保証はない。
医者からも治らないと言われていたので、
そういう事実も積み重なって、ちょっとここらで引かなきゃいけないなというところですね。
クラフトビールにすべてを最高の一杯にかける挑戦者たち
第2話 屈辱の日々
お楽しみに
今回、番組内で登場したビールは、
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