2022-03-01 12:51

ヤッホーブルーイング編1|誕生!ヤッホーブルーイング

よなよなエール、水曜日のネコ、インドの青鬼など様々なヒット製品を生み出すヤッホーブルーイングがいかにしてスタートしたのか?その物語をヤッホーの代表取締役社長であり「てんちょ」という呼び名で愛される井手直行さんの目線から綴っていきます。
高級リゾートホテル「星のや」をはじめとする「星野リゾート」を運営する星野佳路社長がどんな思いでクラフトビール事業をスタートさせたのか?またよなよなエールのネーミングの裏側も語られています。

協力:株式会社ヤッホーブルーイング
ナビゲーター:倉嶋かれん( 東宝芸能)
プロデューサー:富山真明(PitPa)
制作:株式会社PitPa

◆ご紹介製品(公式サイト)
よなよなエール
水曜日のネコ
インドの 青鬼 

◆ ご購入(AMAZON)
よなよなエール
水曜日のネコ
インドの青鬼 

See Privacy Policy at https://art19.com/privacy and California Privacy Notice at https://art19.com/privacy#do-not-sell-my-info.

サマリー

1997年、星野リゾート代表の星野義晴は、規制緩和により設立したヤッホーブルーイングが、個性的なビールであるヨナヨナエールを発売し、大ヒットしています。しかし、その後売上が減少し、苦境に立たされています。

ヤッホーブルーイングの創業
いや、もうびっくりしましたよ。生まれて初めて、全然違うタイプのビールを飲んだっていう感じなんですよね。
で、ものすごく香りがあって、やや苦味もあって、味があるんですよね、しっかりと。
で、華やかな、こう味わって飲むようなビールだったので、これがビールなのかと、こんなものを自分たちが作ろうとしているのかって言って、もうすごくワクワクした、そんな記憶があります。
クラフトビールにすべてを最高の一杯に賭ける挑戦者たちスス
みなさん、こんにちは。倉島佳蓮です。この度、ナビゲーターを務めさせていただくことになりました。
この番組では、クラフトビール作りの現場を支える人々の思いや情熱を、ドキュメンタリー形式でお届けしていきます。
私は普段、女優として舞台や映画などでお仕事させていただいていて、頑張った日のご褒美にビールをよく飲んでいます。
2、3年ほど前まではあまりビールを飲むことがなかったのですが、夏の暑いある日、初めてビールののど越しを感じ、その時にビールの美味しさを知りました。
まだまだビールについて知らないことばかりなので、この番組を通して皆様と一緒に知っていきたいなと思っています。
そして、第1弾としてお届けするのは、ヤッホーブルーイングの物語になります。
ヨナヨナエール、インドの青鬼、水曜日の猫など、個性的なクラフトビールでヒットを連発するヤッホーブルーイング、飲んだことがあるという方も多いかもしれません。
私も初めて手に取った時、印象的な名前とそれに負けない個性的な味にとても衝撃を受けました。
今日はこのビールで乾杯!といきたいところですが、まずはヤッホーブルーイングの歩んだ軌跡をお届けしていきます。
ヤッホーブルーイングの創業は1997年。
現在、高級リゾートホテル、星野屋などを運営する星野リゾート代表、星野義晴が、本拠地である軽井沢でスタートさせました。
時は1994年。
当時の総理大臣、細川森博が、規制緩和による経済活性化対策の一つとして、ビール製造免許のハードルを大幅に引き下げました。
これにより、多くの人々がビール製造業に参入できるようになったのです。
彼がアメリカに留学している時に、クラフトビールを初めて飲んだ時がすごく衝撃だったらしいんですよね。
日本には通常の大手産のビールしかなかった。それなのに、海外でアメリカでいろんな香りが華やかなったり、苦味があったり、
そういうビールを飲んだ時の衝撃が、彼が日本に戻ってきてもずっと残ってたみたいなんですよね。
それで本業とは全く違うんですけれども、こういうビールを規制緩和になった今、自分も作ってみたいと、
なんとなく前から思ってたらしいんですけど、本当に規制緩和で作れるという事実が起きた時に、
このビールを、自分がアメリカで飲んだビールを紹介したいと、すごくその時に思ったところが、開業のきっかけになったと聞いています。
本業とはかけ離れたビールの製造メーカーを立ち上げるということなので、それはなみなみならぬ意気込みと、
たぶん彼なりの賞賛というか、展望があったんだと思うんですけど。
創業当時の星野代表の熱い思いを語るのは、現在ヤッホーの代表を務める井出直之社長。
ファンからは、店長という呼び名で愛されるカリスマ社長です。
実はこの時、井出さん本人は、まだヤッホーに入社すらしていませんでした。
なんと、その当時、井出さんは無職だったのです。
何度か、全職のつながりもあって、新しい事業をやるので、一緒にやらないかと言われていたんですけど、
あまり興味がなかったし、しばらくぶらぶらしようと思って断っていたんですね。
そしたら、留守伝が留守中に入っていて、ちょっと一回会ってくれないかと言われて、
直接会って、星野と話をしたら、新しい事をやると言っていたのがビール事業だったんですね。
ビール事業をやろうと思ってって聞いて、びっくりしまして、
当時は大手ビールメーカーしかなかった時代に、こんなちっちゃな会社がビールを作るんだと。
ただ、もうその頃には、領土署は近くで建設しているので、ちょっと見に行かないかと言われて、
軽井沢にある星野リゾートのオフィスで話をしていて、そこから20分くらい離れた隣町にある建設中の領土署を見に行って、
ちょっと雪もまだ残っていた記憶があるんですけど、まだ骨組みだけで、
本当に鉄骨だらけの領土署を見て、ここにタンクができて、ここがオフィスでみたいな話している姿を見て、
衝撃を受けまして、星野がこんな夢を考えているんだなと聞くうちに、すっかり洗脳されてしまって、
じゃあもう私も一緒にビールを作る会社をやってみたいですと言って、
話が終わる頃には、ちょっと燃え上がっていたという、そんな経緯があって入社することになりました。
その醸造所は当時、星野リゾートの年賞約半分である10億円を投じて整備された本格的なものでした。
ヨナヨナエールの誕生
星野代表の熱意に圧倒された若木井出直行は、入社を即決意。
1997年3月に入社となります。
当時のヤッホーブルーイングはたった7人の小さな所帯。
けれど全国各地からかき集めてきた精鋭たちが勢ぞろいしていました。
入れ直行も営業担当として日々邁進していきます。
そしてある日、衝撃的な出来事が起こるのです。
いやもうびっくりしましたよ。
私も普通の大手産のビールしか飲んでなくて、あんまり海外のビールは当時飲んだこともなかったので、
たぶん生まれて初めて全然違うタイプのビールを飲んだという感じなんですよね。
ものすごく香りがあって、ちょっとやや苦味もあって、味があるんですよねしっかりと。
大手産のビールは喉越しがすごく良くて綺麗があってね。
すごい暑い時なんかにキュッと飲むとすごく美味しいビールなんですけど、
全然違う華やかな、味わって飲むようなビールだったので、
これがビールなのかと、こんなものを自分たちが作ろうとしているのかって言ってもすごくワクワクした、そんな記憶があります。
そのビールこそが現在も大ヒットを飛ばす人気製品、ヨナヨナエールの試作品だったのです。
ヨナヨナエールはアメリカに留学していた星野義晴が柑橘類を思わせる香りが豊かなエールビールの味に感動し、
いつかこの味は日本でも支持されるはずという熱い思いの下、開発されたものです。
そしてその思いはネーミングにも現れています。
何かしら日本のアイデンティティを入れたいという時に、
大手産が今まで作らなかったようなエールビールを毎晩毎晩飲んでもらいたいよね、なんていう話をしてて、
毎晩毎晩、だからヨナヨナかって言って、
思いだったり、ヨナヨナっていう日本的な横文字を使わずに、
ちょっと日本の情緒的な雰囲気もある、
そういう日本のアイデンティティとか、日本になかったビールを届けたいという思いから、
ヨナヨナエールというふうにつけたと聞いています。
売上減少と苦境
ヨナヨナエールは1997年7月、満王子して発売となりました。
折島、当時は自ビールブームの真っ最中。
発売直後からヨナヨナエールは大人気となりました。
ものすごく売れるな、と。
注文に対して作る量が全然足りなかったので、
注文がこんなに来るからもっと製造できないの、なんて言って、
製造にお願いをしてたっていう記憶がありますね、当時は。
基本的には注文に応えきれず、むしろ注文をお断り制限してたという感じで、
ものすごい人気で、これが数ヶ月ぐらい続いて、
自ビールブームっていうのはすごいんだな、と。
井出直幸は夜中まで残って仕事をする忙しい毎日を送っていました。
99年には東京営業所のリーダーとして抜擢され、ここでもがむしゃらに働きます。
しかし、2000年、井出直幸をはじめとするヤッホーブルーイングは
抗うことのできない大きな局面に突入していきます。
あれと、注文がだんだん減ってきて、あれおかしいな、と。
原因もよくわからなかったし、あれ、そのうちまた注文が来るだろうと思ってたし、
しばらくは、あれ気のせいかな、どうしたんだろうとか、それぐらいしか思わなかったですね。
あんまり危機感なんか最初のうちはなかったですね。
井出直幸の感じた違和感は、後に確信へと変わりました。
注文が本当に最初は徐々に減っていって、途中から本当に全く来なくなった。
要は製造の量が上回るようになってきて、在庫がどんどん作り上がった。
それをその後振り返ってみると、リピート注文が極端に減ったということですね。
珍しがって、欲しい欲しいっていう酒屋さんとかスーパーとかトン屋さんはいたんですけども、
一、二回注文すると思ったほど売れない。
最初に飲んだ人も一口は飲んだけど、二回目は買わない。
そういうことでリピートの注文が減ってきた。
一重しちゃったら終わっちゃったというような感じになったと思います。
売上は20%も減少。
社内の空気が急激に悪化し、優秀な人材は次々と去っていきました。
何とか売上減少に歯止めをかけようと、テレビCMを売ったりもしたそうです。
しかし、ヨナヨナエールの売上が戻ることはありませんでした。
そんな苦境の中、一筋の光が射すような朗報が舞い降りてきました。
大手コンビニでの発売が決定したのです。
みんな喜んでたと思います。
私の当時の上司や責任者たちがちゃんと商談をして、私もそこについて行ったりしていました。
よく分かっていない中で商談や条件が決まって、すごく嬉しかったです。
みんな当然喜んで、これはチャンスだという感じで、
危険だとか不安を感じる雰囲気はなかったと思います。
この時はまだ、コンビニとの契約がさらなる苦境へとヤッホーを導くことになるとは、
営業担当の井出直幸は愚か、星の代表でさえ想像すらしていませんでした。
次回
一本一本プシュって開けて捨てるしかないんですね。
一本一本プシュって開けて排水口に流して捨て続けるという作業をみんなで手分けしながら、
ビールを排水口に捨てていった、戦闘に立ってビールを捨てていきましたね。
非常に虚しいというか悲しい作業でしたね。
クラフトビールにすべてを最高の一杯にかける挑戦者たち
エピソード2 ヤッホーの暗黒時代
12:51

コメント

スクロール