2022-03-01 15:22

ヤッホーブルーイング編4|世界でトップクラスのクラフトビール醸造会社へ

コンビニへの出荷をめぐり、当時の社長で星野リゾートの代表を務める星野佳路社長と若き井手直行さんの大バトルが勃発。ピンチを迎えた井手さんの、ゆくえはいかに。

協力:株式会社ヤッホーブルーイング
ナビゲーター:倉嶋かれん( 東宝芸能)
プロデューサー:富山真明(PitPa)
制作:株式会社PitPa

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水曜日のネコ
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00:01
コンビニへの出荷をめぐり、大喧嘩に発展した、保市の代表と異例営業部長。
この喧嘩は、その後、意外な展開を見せることになります。
私は、その会議の後もずっと怒っていて、
本当に絶対にやってやる、販売してやると思ってて、
そうやってイライラ、カッカッカッカしてたんですけど、
夜メールが来てたんですよね。
また、これは説得のメールかと思って、
頭にいきながら、夜メールを開けたら、
今日の議論は楽しかったね、と。
久しぶりに白熱した議論をしたよ、と。
思いがけない文面が並ぶそのメールに、
井出直之は圧倒されたと言います。
ちょっと考えたんだけど、井出さんが言うのが一理あるよね、と。
ちょっと考えてみようかと思ってます。
またちょっと話をしましょう、みたいな話が、そんな内容だったと思うんですけど。
それを見てびっくりしましたね。
こっちはカッカカッカして、説得にかかってきているはずだから、
絶対に反応してやろうなと思ってたら、
彼はもうケロっとして、楽しかったねって言って、
もうすでに感情のわだかまりから抜け出て、
冷静にね、僕の意見を聞く態度になっていて、
この人すごいなと思う、純粋に思って。
いやいや、すごいなと思う。
人間の器の違いだと思いながら、
そのメールを見て驚いたっていうのがその時ですね。
しかし数日後、
星野代表の秘書から何やら異心な連絡が入るのです。
社長がまた会議したいって言ってるんで、
できますかって言われて、はいわかりましたって言って、
会議を設定してもらったんですけど、
その時にちょっと事前に、ちょっと人にあまり聞かれたくないので、
ちょっとこう人が聞けないような会議室でお願いしますっていうこともあったんで、
あれちょっとおかしいなと思って。
この間のコンビニの件は確かに一理あるんで、
ちょっと前向きに検討していこうかみたいな話ですぐ終わったんですけども、
その後に星野がところで、
実際自分はヤッホーブルーイングの仕事もほとんどしてないんで、
井出さんが社長やった方がいいんじゃないかと思うんだけどっていう風に、
そこから切り出してきまして、
ああそうですかと、まあそうですよねと、
いないですもんねと、
いいんじゃないですかみたいな話をして、
で、すんなりその場はそういう風な流れが終わったっていう。
星野よしはるはヤッホーブルーイング社長の座を、
井出に用意してくれていたのです。
こうして2年の準備期間を経て、
2008年6月、
井出社長を率いるヤッホー新体制がスタートしました。
03:06
2008年に新体制がスタートしたその年、
未来のヤッホーを担う新たな青年が入社してきました。
それが、農学部を卒業してきたばかりの森田正文でした。
入社の時のなんか朝礼の第一声で言ったのは、
まあそれこそあり程度ですけど、
とりあえずビールっていう文化は日本からなくしますみたいなことを言いましたね。
なので、ビールって注文したら、
その店が扱ってる大手の何かが必ず出てくるっていうのは、
日本の当たり前の常識じゃないですか。
やっぱりそれもすごくもったいないなと思っていて、
売り手側にしても飲み手側にしても、
ビールにはバラエティがあって、
その時の気分であったりとか、
お食事も含めて何を選択するかっていう、
そこにこう一個意思決定が入るような、
新しい文化を作りたいっていう意図で、
そういったんだと思いますね。
まだまだひよっこだった森田青年。
はじめは醸造所の基礎的な作業からスタートしていきました。
僕最初に与えられたプロジェクトは、
5S係って、5Sって製造業の方で、
整理・整頓・清掃・清潔・湿潔っていう、
その5個を工場の中に展開するっていう仕事があるんですけど、
それを最初に入社して与えられたプロジェクトを5S担当として、
だから掃除係。
例えば樽を、お店から帰ってきたやつを洗って、
樽受け器にセットしてっていう仕事であったりとか、
あとよくやってたのは、デパレタイザーっていって、
ビルが入る前の殻の殻があるんですけど、
それをLINEに払い出していくっていう作業があるんですけど、
それをボタン操作、機械操作するんですけど、
それを1日8時間ぐらいずっとやったりとか、そういうような仕事でした。
一方、社長となった井出直幸は、
イベントを開催したり、楽天ショップオブザイヤーの受賞式に
仮想で登場したりと話題を振り巻き、着実にファンを増やしていきました。
そして、その頃、ある一つの目標を掲げます。
ちょうど10年後ぐらいに、2020年ぐらいに、
日本のビル市場で1%を取って、
その1%っていうのは沖縄のオリオンビルさんぐらいなんですけど、
それぐらい、1%というとオリオンビルさんぐらい売ってるのねってピンとくるので、
それぐらい当時としては、もう全然夢物語みたいなビジョンを掲げて、
みんなを前を向くような、そんなマインドにしたかったので、
そういう大きい目標を掲げましたね。
06:00
当時は、アメリカのクラフトビールブームがようやく日本へ到達してきた時期。
しかし、一方、森田正文は冷めた思いでこの宣言を聞いていたと言います。
うーん、無理だろうなって思いましたけどね。
まあ、できたらすごいけど、なかなか厳しいなと思いましたけどね。
新卒なりに、なかなかハードル高いことやなと思いました。
ここで、井出社長はある決断を下しました。
いくら世の中が好きでも、それだけを飲むというよりは、
いろんなビールが飲みたいっていう消費者の声があったので、
ビールの味のバラエティをちょっと増やして、
そのニーズを、我々のところさえインターネットショップに来てくれたら、
いろんなビールが買えるよっていうところをまずやろうと。
井出は、製品のバリエーションを増やすことにしたのです。
そして、照準を合わせたのは、30代前後の働く女性でした。
ヤッホーブルーイングはこれまで、顧客の大部分を男性が占めており、
女性の支持を得られていないという現状があったのです。
営業チームでいろんなデータを取ったんですね。
若い女性はどういう味の嗜好があるか、みたいなことで、
フルーティーが好き、苦味が少ないのが好きなんて言って、
ことごとくベルジャンホワイトの味にぴったりなような感想が集まって。
ベルジャンホワイトとは、もともと14世紀の修道院で作られていた伝統的なビールがベースとなっています。
当時はホップが流通していなかったため、スパイスやハーブで味付けをしていました。
ほんのり甘みのある爆汁は、わずかに小麦の酸味が感じられ、
蜂蜜やバニラの香りが漂うこともしばしば、
さらにコリアンダーがスパイシーな香りを、
そしてオレンジピールが爽やかな果実味を醸し出しているのが特徴です。
しかし製造側は、あまりこの決断に納得がいかなかったようなんです。
製造全般が、そのスタイルのビールはあまり良くない。
それは、うちの製造の人間は、当時は特にですね、
胃の中のカーズみたいな感覚で、
自分たちは作りたいビールはこういうのだというのが明確にあって、
彼らはかなりマニアチックなので、
ベルジャンホワイトっていうビールはちょっと物足りないっていう、
味的には美味しいけど、ちょっと自分たちは物足りないっていう感じで結構議論になりました。
営業と製造が結構分断するような感じになって。
当時の状況を醸造担当者の森田正文が振り返ります。
09:06
だいたいマーケターチームは製造からすごい反対を受けて、
そんなの売れるのかみたいな、でもやってみたらすごい売れたみたいな、
ドラマチックに話すんですけど、
僕なんか全然反対した記憶とかもなくて、
世の中に白ビールがなくて、
美味しい白ビールを作りたいと、
味としていいんじゃないかって話があって、
じゃあそれまずやってみましょうかって思ってましたけどね。
僕は少なくとも言ってないですし、
僕の先輩たちに言ってたのかもしれないし、
影口もあったのかもしれないですけど、
唯一製造者としてこだわったのは、
ろ過しなきゃいけないっていう当時の僕たちの技術的な壁があったので、
ろ過したビールをベルジャンホワイトと呼んでいいのかっていう
個人的な葛藤はありましたけど。
ビールにはビアスタイルガイドラインが設けられています。
ベルジャンホワイトはオレンジの皮やコリアンダーの種などを使用、
製造後にろ過を施さず、
コーボが残ったまま出荷することで不透明で白濁した色にする、
など細かい規定が設けられています。
しかし、無ろ過で出荷するとコーボが劣化して品質が安定しないため、
ヤッホーでは必ずろ過を施すというルールがあったのです。
ろ過は外せない工程である中で、
ビアスタイルガイドラインに準ずる
味と濁りをどうやって出せばよいか、
試行錯誤の日々がスタートしました。
副原料を投入するという手段がなかったんですよね。
直接そのスパイス類を入れてしまうと配管の目詰まりを引き起こすので、
何かしらのカゴに入れてあげないといけなかったんですけども、
そういった方式がなかったので、
自分で巨大なメッシュのカゴをステンレス屋のおっちゃんに頼んで作ってもらって、
ちょっと1回目うまくいかなかったので、修正して作り直してもらって。
結果的に開発には2年以上をかけ、ようやく納得できる味が完成。
そしてその時に初めてネーミングとパッケージデザインを知らされました。
ひゃーなんだこれってなります。
ネーミングと缶デザインは今でもそうなんですけど、
作っている作り手の思想や思いは全く反映しないので、
お客さん視点なので毎回ひっくり返ります。
だから作り手としては好みのイメージがこういう色だよな、
こういう雰囲気だよなってなんとなくあるんですよ。
やっぱりイマジネーション、デザイン、ビジュアルのイマジネーションがあるんですけど、
別に作り手のイマジネーションと飲み手、お客さんの気持ちは全然別ですから。
うちのマーケティングチームは基本的にお客さんのことを見て開発するので、
そのギャップは毎回ものすごいですよ。
12:01
その製品名は、水曜日の猫。
水曜日、仕事でクタクタになった状態で、
家に戻った女性が素の自分になれる、そんなビール。
週の半ばを乗り切る特別な一歩になるように、という思いが込められていました。
その後、無事に水曜日の猫は世に送り出され、そして大ヒットとなりました。
そこからも想定を上回るくらい売れまして、
半年以上欠品が続いたのかな?
作るたんびにあっという間に売れてしまって、
狙った通り若い女性の方たちがすごく美味しいとか、
すごくパッケージも猫目があるんですけど、とても可愛いとか、
すごい大絶賛で、でも本当に生産が追いつかなくて、
生産体制を整えるまでに長い月日がかかるくらい爆発的に売れていて、
発売して10年ぐらい経っていると思うんですけども、
ずっと売れ続けていて、毎年大幅に売れている。
今だけそれは売れ続けています。
それがきっかけに、結局自分たちだけの考えではなくて、
マーケティングというのは、どういう人に届けて、
どういう人の声を聞いて、
ちゃんと市場に目を向けていかないと、
人手余裕になるよね、というのを社内にちゃんと示せた、
すごくいい事例になったなと思いました。
醸造担当者の森田正文も、売れ行きを聞いて、
ほっと胸を撫で下ろしたと言います。
安心しましたかね。どのビールでも大体そうですけど、
ビールを出す前って怖いんですよ。怖いんです。
すごく怖いんですよ。
やっぱり、ものづくりしている人じゃないと分からない感覚かもしれないんですけど、
これが世の中に受け入れられるのかなとか、
美味しくないとか批判を受けたらどうしようとか、
そういう緊張感はいつもあるんですよね、ビールづくりしていると。
よく例えに出すんですけど、付き合ったカップルが、
最初に彼氏を家に呼んで手作りの料理を食わせる時の気持ちですよ。
それをしかも顔が見えない相手にやらなきゃいけないわけで、
世の中に晒されるわけじゃないですか。
あの恐怖感って作り手ならではなんだろうなと思うんですけどね。
時はやっぱりほっとするというか、
もともと自信がないわけじゃなくて自信はあるんですけど、
緊張はするので、その答え合わせが整ってほっとするという、
そんな感覚じゃないですかね。
地元の観光地の軽井沢の売り上げが激減し、
あとヨナイナビアワークスっていう都内に8店舗ある
飲食ビアレストランも売り上げ激減し、大変なことになったんです。
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クラフトビールに全てを最高の一杯にかける挑戦者たち。
エピソード5 コロナ禍をチャンスに
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