やっぱりこういうのは岩並みだわ。
なんだこれ。
ルディも含めてチカチカするね。
岩並みの方はやっぱ。
字小さいね。
40代以上つらいのかな、これは。
つらいね、これメガネ買いないと読めないね。
これ難しいよな、これさ、それこそさっきのさ、今オーディブルっていう本の読み方もさ、してる人多いじゃん。
で、やっぱ看護、こういうの本当オーディブルに向かないよね。
娘が呪文って言ったやつじゃん、これ。
えっとね、それはまた違うっすね。
違うの?
これだから小敷の万葉仮名とかじゃなくて、
翔さんの娘が言ってるのはもっと時代が下った、例えば吉田健康とか、ちゃんと漢字があって、送り仮名があってとか、そういうのですら分かんない。
古文?
古文、いわゆる。
古文ってどのくらい時間違うの?
え?
ん?
古文、古文っていうか、
小敷日本書紀も古文なんですけど、万葉仮名で書かれてるのと、漢字があって送り仮名、平仮名が発明されて、それは平安時代以降。
そうそう、これ原文ですね、これ。
いわなび文庫版。
これレテンってやつだっけ?忘れちゃったよな。
レテンとか。
これある?これ、でもこれ一応我々読みやすいようにしてくれてる?
してくれてはない。
古文ができる人は読めるよってこと?
読めるでしょうね。
古文、漢文の知識が。
漢文読める人は読めるでしょうね、これね。
知識がいる。
そういう原文がありながら、それを河内弁にしているのが町田幸の公約小敷なんですけど、僕ここで音読すると恥かくんで読めませんけど、関西弁できなさすぎて。
僕の妻が奈良県の天川村って所出身なんですけど、井戸的には河内から近いんですよ。奈良の南の方で。
なんですけど山奥なんで、ちょっと河内とは言葉が違って、
どうやら南北朝時代、室町の前、鎌倉時代後期、天皇が南朝と北朝に分かれて喧嘩してた時に、南朝が落ち延びて最終的にそこに暮らしたのが天川村の辺らしいんですよね。
割とその時代の都言葉みたいなものも名残があるみたいなことを村の人からは聞いたんですけど。
面白い。
なんですけど、宮尾な河内弁みたいな感じなんですよ。
へー。
ちょっと河内弁ほどどぎつくないけど、言ってることは河内弁みたいな。
どぎつさがちょっとまだわかんない。何がどぎついの?
僕それを今再現できればいいんですけどね。
たとえですけど、皇族の方がすごいサグいラップをするみたいなところになるんじゃないですか。
全然わかんないわ。
言ったら、スラム街出身のラッパーが言うようなことを皇族の方が言うみたいな構図だと思います。
雑に言うと。
はい。
とにかく河内に近いところ出身なんで、これ朗読させるとめちゃめちゃうまいんですよ。
へー。
めっちゃ面白いんですよ。
聞いてね。
黙読してるよりも朗読で聞くとめちゃめちゃ面白いんですよ。
オーディブル、奥さんがいいじゃないですか。
頼む。
結構バズいですけど。
肩を揉むからこれ朗読してみたいな。
いいね。
そういう感じで。
公約広辞記で、特に脳内で河内弁再生できる方には特におすすめします。
これで読んで、基本的には何の脚色もしてないんですけど、かなりめちゃくちゃなんですよ。
内容が。
つまり広辞記がめちゃくちゃなんですけど。
っていうのがすごくよくわかるので、町田校の公約広辞記を読みながら原文とかに入っていくと。
現代人からすると入りやすいってことですかね。
でもこれ町田校、ろう作ですねこれでもかなり。
それこそ前回のエピソードで名前のあがった安田昇さんと町田校の2人で言論のイベントとかで出版されたときにやったりしてたんですけど。
ただのパンクスみたいな人が、ちょっと違いますね町田校の言語的なセンスとか。
とにかくリズムで読ませるんで。
だって彼本人の小説自体がちょっと不思議な文の切れ方してますよね。町田校自体の文章は。
今日は言葉とリズムの話。
前回チラッと名前を出したのが米津玄師と藤井和なんですけど。
この2人の音楽とかってお2人聴いたりします?
聴きますね。
なにそのため方。
ためてもないから。
梅君が横で聴いてない感じ。
僕も別にめちゃめちゃ聴き込むというよりは、岩田さんほど音楽的にちゃんと聴いてないかもしれないですけど。
マイブームで今日は米津玄師研修週間ですみたいな感じで聴いてますけど。
最近ヘッドフォンを買ったのがそれで嬉しくなって、新曲って出るやつとりあえず聴くみたいな。
そしたら藤井和さんのが出てたから聴いたんだけど、見てないから勝手にレコメして流れてるのを誰の曲か知らずに聴いてるんだよね。
あれこれ英語がうまいけど絶対日本人だなみたいな。
何がそうさわかるのかわかんないけど、めちゃくちゃネイティブっぽく聞こえるけど絶対日本人だろって見たら藤井和だったっていうのがあって。
なんかあるんだと思って。
藤井和さんのことだから今あるポップスとかもすごい聴いてる中でなんで藤井和と米津玄師なんですか?
僕の個人的な趣味というか、米津玄師は全然めっちゃ好きとかではないんですけど、藤井和はとにかく一番最新の全曲英語のアルバムが
すごい良いんですけど、全曲英語誌のアルバムを出すっていうことが、例えば歌田ヒカルとかもわりとキャリアの早い時期にやったりしてましたけど
あの人バイリンガルじゃないですか。藤井和は別にバイリンガルじゃないんですよね。
普通に英語を勉強してアルバムを作っていて、どちらかというと藤井和って日本語にビートを乗せるのがめちゃめちゃ上手い人。
死ぬのがいいわとかなんなんとか、岡山弁のフローをものすごくかっこよく聞かせるみたいな。
岡山弁って言うと千鳥とかね、岡山弁ですけどかっこよく乗せるとか。
日本語のとにかく使い方が上手いなっていうのがこの二人なんですけど、
米津玄師はもうトータルにすごいですけど、藤井和はどちらかというとビート感みたいなものに対する日本語の新しい使い方みたいなのを感じている中で
全部英語でやるんやみたいなのは結構驚きがあったんですけど、
どうやらちょっと日本語で音楽作るっていうことにちょっと行き詰まり感があったみたいなことは言ってるらしい。
へー面白い。
この間ミュージックステーションでプレマっていうアルバムのタイトル曲をパフォーマンスしたのが、僕テレビは見てないんですけど、
YouTubeに公式で期間限定で上がってて見たんですけど、テレビの方そうなんで下に歌詞が字幕で出てくるんですけど、
その歌詞の字幕付きでプレマ聞いた時に、僕繰り返すんですけど、言語学習センスがないので、
英語もだいたいわかるけど、きれいな表現みたいなのがわからんのですけど、
なんかこれ絶対リリカルだなって思うんですよ、藤井和の英語。
僕例えばやろうとすると、今まで聞いてきた英語の曲の継ぎ接ぎにしかならない。
ダメなんですかそれ。
基本的にね、それこそ日本の和歌とかもそうですけど、何が重要かって引用なんで、
いかに引用を新しい文脈に乗せるかみたいなところで和歌の文化もあるし、
ポップソングの文化も基本的にはそうだと思うんですけど、藤井和の引用は言葉をそのまま引っ張ってくるとかじゃなくて、
リリカルな英語が持ってるフィーリングみたいなものを完全に自分の言葉に翻訳して、かつまた英語に翻訳できてるみたいな。
大丈夫ですか、言ってること。
要は二つの言語を藤井和の頭の中では自由に行き来している自由さを感じるみたいなことですかね。
歌詞に違和感は最初誰か知らないけど、男性だよねっていうのはわかってるんだけど、
聞いた時にこれ無理やり日本語から英語に翻訳した不自然な歌詞だとかそういうのは全然思ってなくて、
だけどなんか母音が強いから日本人が頑張って英語の音をめっちゃ学んだ人が頑張ってるなみたいな感じに聞こえて、誰だろう。
頑張りが先に出ちゃったの?
頑張りっていうか英語がうまく聞こえるコツってあるじゃん。
なんかRとかさ、だんだけどシーンがちょっとあんまりちょっとなーっていう、なんて言ったらいいんだろう。
T8とかの音とか、あとそのリエゾン系だよね。
やっぱりどこの名前かって結構そこに出てくるから、どこの名前の人かってやっぱりわかるじゃん。
イギリスの名前なのか英語の名前は全然本当に違うから、もう別の言語だって言いたいぐらい全然音のまず出し方が違う。
イギリス英語って腹から出さないと母音が結構強めなんですよ。
アとかウとかがウみたいな、もうウっていうふうにお腹から出さなきゃいけないけど、
アメリカ国内ではすごい西海岸の癖ですよねとか、東海岸っぽいですよね、真ん中っぽいですよねとかあるんだって。
でなると、どこの名前なんだこれって思って聞いちゃう。
で、これ日本語の人が頑張ってどっかのアメリカ系のどっかの方を頑張って学んだ人だなっていうのがあって気になったっていう。
それが司法さんに対する藤井和の現れ方だったんですね。
いい意味でだよ。だから言ったらすごい努力して音で頑張ってるってのはわかるんだけど、
頑張りすぎが伝わっちゃった。
あ、そうなんだ。
ちょっとした草した感じになっちゃうのなんでしょうね、司法さんが言うと。
すいません。私の方がよっぽど発音下手だし、そんなのできないんだけど、
なんとなく、この人どこの場所で英語を学んじゃったのかなとか、
あと彼女から英語を学んだねとか、彼氏から英語を学んだねとかわかるじゃん。
言わんとすることが。でも僕もわかんないですからね。
日本語もそうで、女の人からこの人日本語を学んだなっていう。
もっと言うと、この人って男の子だけど、家の中が女兄弟ばっかだなっていう子はわかりますよね。
そういうことじゃない?
彼女から学んだのかなとか、音のイントネーションとかが女性的な人。
なんとかだよねとかのねつけるから女っぽいとかじゃなくて、
なんか柔らかい音を出す感じとかさ。
じゃあ、すげえ勝手な詮索ですけど、英語圏の彼女がなんかいるんですか?
誰が?
藤井和さんが。
知らねえよ!
知らねえけど、すげえ身勝手な。
本当にトレーニングしたんだと思う。ちゃんと発音の。
顔の筋肉とか下の筋肉をすごいトレーニングした形跡が聞こえます。
喫茶店の息子さんか何かなんですか?
耳がすごいんだろうね。
それは感じるし。
それはもう間違いないでしょ。
今やっぱり日本の音楽が世界で一昔前に比べるとすごく売りやすくなっているというか、
売れる環境ができてきている中で、
この間も米津玄師のチェンソーマンのキックバックっていう曲がアメリカでプラチナレコードになったとかね。
そうなんだ。知らなかった。すごい。
そういう北米市場に向けた戦略としての全曲英語詩のアルバムみたいなことは戦略的にはあるんでしょうけど、
本人の音楽的な探求みたいなものが、一回ここは全部英語でやってみようみたいな。
それこそ僕が英語の曲ばっかり聴いてきたくせに、英語では歌えずに日本語の曲を作る。
でも日本語のこともよくわかってないから、じゃあ小敷まで坂を登ろうみたいな前回の話とは逆というか、
僕の話と藤井和と比較するのもどうかと思いますけど、
いやいや面白いですね。
一回も諸に影響を受けたマイケル・ジャクソンとかジャネット・ジャクソンのそのままのものを一回自分でどこまでできるかやろうみたいな。
多分フェーズであれをやってる。
マイケル・ジャクソンから影響を受けたの?彼は。
のは大きいみたいです。
なんかさグルーヴ感、彼あるよね。
具体的に言うとシンコペーションみたいなことです。
私詳しくないと勝手に言ってるけど、
日本語はポンポンポンって切れちゃうよって話さっきの1話目でしたけど、
あれが彼はすごくビエゾン的なのとかも流れるように。
前の小説と次の小説をうまく繋いではないみたいなことかしら。
そのリズム感すごいなって思った。最初に聞いたときの印象はそうだったし、
だから英語でも全くそこは違和感ない。
無理くり頑張って、日本語から頑張ってやると、
どうしても繋ぎがちょっと、どうしても単語をちゃんと発音しようとか思っちゃう人さ、
それできなくなっちゃう。消える音っていっぱいあるから、流れで、前後で。
それすごいうまいしなと思った。
かなり古いですけど、宇多田ヒカルのオートマティックとかあったじゃないですか、90年代とかにさ。
で、一発目がその、ナだけですっげー空白がきますよね。
ナ、ナカイメ。
あれ聞いて、結構フワリ革命じゃないけど、
ナカイメっていうのがあるもんだと思ってた聞き手とかいたらしくて。
ナカイメ?
ナ、ナカイメもだから。
ナで切れちゃうから、ナカイメ。
そういうフワリも実は、ハッピーエンドの台風って曲とか、
あたりわに、わかにか、きくもり。
あたりわにわかにかきくもりなんですけど、
あたりわにわかにかきくもりっていうフワリにあえてするみたいな。
フワリって言うんだ。
フが割れてるから。
えっと、楽譜に言葉を割り当てていく。
今やっと漢字にしたらわかったから、
ずっと今ひらがなで聞いてたから、
フワリって。
フワリって。
フワリって。
オノマトヲ。
面白い言い踏んでますね。
漢字やっぱ大事だよ。
なんで漢字でなんて書くのってやっとさ、わかることいっぱいない。
いや、いっぱいありますね。
ひらがなのまんまだとやっぱり無理だよね。
でもこれから多分、移民とか、
良い悪いとか別にして、
いろんな海外の方が日本に来て日本語を学ぶんだとしたら、
ハードル高いじゃないですか。
同音異語が多すぎる。
同音異語多いし、ひらがな、カタカナ、漢字、
漢字のストレートな読み方と例外。
ちょっとハードル高すぎるんで、
ひらがなで流通することってこれから多くなるんじゃないかなと思ってて。
ひらがなにするとそれと同音異語の区別がつかない。
両方載せるしかないんじゃない?
でも今はハングルで同じことが基本的に起こってるから、
でもそれは漢字を昔から使ったのがどんどんどんどん使わなくなっていって、
それはもう前後の文脈でわかるしかないって言ったら変だよね。
そういうような感じだからさ。
ハングルの外来語、インターネットとか、
しかも厄介なのがカフェラテとかがフェーがないからペンになるんですけど、
カフェラテとかそれがハングルで書かれるのも
だいたい外来語だなっていうのが感覚的にわかってくるんですよね、だんだん。
わかんないじゃないですか、そんな学びたてのこととか。
それが助手と名詞で切り分かれてるのかどうかもわかんないじゃないですか、
ハングルでバーって書かれてる時。
だんだんわかってくるんですよね、それが。
不割じゃないですけど。
海外の人に日本語を教える時があったんだけど、
言葉エクスチェンジっていうのをやってたので、
ドイツ語を教えて、私日本語を教えるからとか、
中国語とかそういうのをたまにやるんだけど、
日本語ってコンテキストと同音異語が多すぎて、
どうやってわかってんの日本人って同じ質問されたから、
それは橋か橋とか発音で関西か東京とか全然どっちかも実はわれわれわかんないけど、
さすがに沖縄の渡る橋で食べるとかはないでしょって、
そういうことだよみたいな話したけど、
結局それ説明してる時に日本人ってコンテキストを深読みする癖がどうしてもできてるよねって思って、
仕事しててもそれってわかってますよねみたいな、
コンテキストわかんない私みたいな、
行間を読ませろ的な。
絶対空気は読めませんから、行間はわかりませんみたいな。
本当にこの人日本にいなかったなって振る舞いしちゃってたし、
今も多分してると思うんだけど、読めないですよ。
でも僕ら脳で勝手にもう失礼に処理してると思うけど、
例えばひらがなに全部文章書いてる時に、
例えば和音のウォとかンが文頭に来ないってもうわかってるじゃないですか。
そういうのは本当に自動処理してますよね多分。
だいたいこれは文の切れ目でとかさ。
でもそのふわりをどうやってみんな埋めるの?
はい、戻ってきましたお話が。
僕自分で曲とかも書いてて、
日本語のやっぱり特徴の今のコンテキストの話でいうと、
とにかく一人称を言う必要がないっていうのは結構歌を作る時にもでかくて、
英語の詩であれば愛は確実に曲の中に何か一人称的な歌であれば当然出てくるじゃないですか。
どっかに最初はそうだよね。
日本語の詩やったらこの曲は一人称で書かれてるなっていう歌詞でも、
一回も私とか僕とか出てこなくても一人称の詩にできちゃうんですよね。
一人称って英語だと愛じゃないですか。
スペイン語の一人称なんだっけ?
忘れちゃった。
なんか僕わーっといろんな言語の調べたんですけど、
だいたい一音節なんですよ。
だから愛って一音節じゃないですか。
私って自分のことを言うのに長すぎるんですよ。
愛だと一音節。
僕とかだともうちょっと短くなりますけど、
特に女性の一人称で一音節で済む一人称って何かあります?
一般的に日本語の場合、男性が僕とか俺って使う。
女性は私と言うみたいなのが。
ギャルだと足と。
それできるだけこう。
ギャルすげーな。
音節を覚えながら足。
すすんでんの。
だから多分一人称ってできるだけ短く喋るように進化するはずのもんだよなと思うんですけど、
日本語の一人称はえらい長いんですよ。
言わなくなっちゃった。
僕はなんかね、私はわわだよね。
私はわわみたいな。
進化してんだな。
できるだけ寒いとこで口動かさないっていう。
昔のえらい人とかヨウとかね。
ヨウはいいね。
ヨウは一音節だな。
上司も使ってんのよ。
えらい人だから一音節にできるのかなって。
ヨウはって言ってた。
省エネして。
省エネだな。
かなりやっぱり日本っていう劣等の環境に左右されて、
日本語が進化した言語だと思うんで、
米津玄師のほうの話をするんですけど、
話できるほどね、僕もそんなに米津玄師の音楽聴いてないというか、
有名な曲ぐらいで、そんなにアルバムも聴き込んで何回も聴くぐらいのことはしてないんですけど、
とにかく思うのは、この人めちゃめちゃ古典も含めて文学に触れてる人なんだなっていうのは、
詩からわからんのですけど、僕も源氏物語も読んでない人間なんで、
わからんのですけど、何か雰囲気として感じるんですよ。
それはわかる?
そういうので言うと、例えば90年代からだと椎名林吾とか宇多田光とかは、
そういう人だと思うんですけど、結構文学的なバックグラウンドかなりある中で
音楽作ってる人だと思うんですけど、そういう表現する人が
順当に売れてるというか、世間的な評価と
要はSNSでどんだけでも漏れる時代に、もともと持ってるポテンシャルでちゃんと売れてるってことですかね。
音楽的な進化も見せてっていうのも、
米津玄師とか新曲出したたびに、そうきたかみたいなのがあるし、
藤笠の最近の英語詩のトライアルみたいなものとか
から、別に結論ないんですけど、刺激受けてるって話。
僕が古代とかのことを色々読んだりしてるのと、
同じくらいにというか、今の世界における日本語の表現みたいなものの受け入れられ方みたいな。
だからあれですよね、自国語を訳さずに英語に
北米で売っていくっていう事例は、まずK-POPが最初にあったじゃないですか。
岩田さんが言ったように、例えば英語詩でやるっていうのが北米の戦略の一つであったとしても、
夜遊びとかもそうかもしれないですけど、
日本語でもみんなに歌ってもらえるみたいな時代が手が届くところになってきて、
そういうことにようやくチャレンジできる。
舞台装置が揃ってきたみたいなワクワク感をすごい感じますよね。
日本語の可能性ってことに関して。
え?
何?何も意義ないっすよ。