1. Cra出しRADIO 工芸とカルチャー
  2. S3 ep9 工芸視点(?)で楽し..

NHK連続テレビ小説『らんまん』についたあーだこーだ話す回の2話目です。前回触れられなかった石版印刷に関するお話など。いつもより比較的短めのエピソードになっていますが、あまり話すことがなかったという訳ではなく…


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パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

サマリー

クラ出しRADIOは、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、一緒に考えていく番組です。マンタロウは石版印刷の印刷工房を訪れています。彼は石板印刷が終わりを迎えつつあることを知りました。しかし、印刷工房のメンバーは別の職業に転じつつも、印刷の技法がなくなっても別の形で残っていくことを示しています。岩田さんはこの印刷の仕事に従事する人々に対して丁寧な説明を行っており、産業の変化を伝えています。後半では、工芸の視点から朝ドラ『らんまん』の感想を楽しんでいます。工芸の分業化とフルスタックのバランスを考えています。

番組の趣旨とメンバー
クラ出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメンバーが、
工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。コンクラのしほです。
うみです。
岩田です。
はい。
はい。今回も車内から。
そうです。雨降ってきたから。
雨が、そうですね、東京は強まってきて、とはいえ、精神剤かつ、なんだっけな、あの。
気温剤。
気温剤じゃなくて、あのなんだっけ。
ポン、ボ、ボ。
あのあれ。
キ。
キとか言って。
まあいいや、あの温度、断熱剤だ。あれも結構分厚くて、あれの二重で結構だいぶ、アモートが小さいかなっていうのは、ある感じはあります。
コンクラの愛車とリクラフト
はい。そんな何か買い回ってもいいのかな。一応これもリクラフトなのかな。
リクラフト、カスタム。
カスタムかな。
岩田さんの愛車も、あのよろしければ施工します。
はい。
ああ、ほんとですか。
はい。
そんな中で、私は銀座の用事を終わらせまして。
はい、あのちょっと喋りに集中してなかったわけではないと思うんですけど、まあ喋りにちょっと戻りますよってことで。
まあ今回も喋ってて暑くなったらまた窓開けてくださいね。
ありがとうございます。
はい。
雨が、雨が入ってきちゃった。
ああそうか、雨降ってきた。
えーと前回に引き続き、あの我々がNHKのレンドラについて喋るという。
そうですね。
あの新しい趣旨の。
はい。
これなんかあれだよね、スポンサードが全くないっていうのがわかっていいよね、NHKだからなんか。
他の番組、他の企業だとなんかスポンサード的な匂いを感じさせてしまうかなと思うんだけど。
俺らでそんな会あったもん。
いやスポンサード欲しいよ。
どう考えてもこんなインディペンデントな番組が。
なんかスポンサード。
そんなでかいところのスポンサーがいるわけがないって感じですけど。
いるわけ、例えばなんだっけあの、えっとカムイデン会とかはじゃあスポンサード赤目プロかって。
赤目プロスポンサードは、逆に実現したら暑いけど。
これじゃないだろうみたいな。
これぐらいスポンサード会やってみたいよね、でも。
いろいろスポンサーっていうこと抜きにしても、私ファッションの関連の仕事をしてたわけなので、
その辺でいろいろ今のファッション業界って問題を抱えている環境問題だったりとか、
サスティナビリティに対してとかに問題を抱えてますっていうの言われるんだけど、
その辺のエビデンスっていうのを、さっき前回の回でも言ったけど、
論文の書き方とAIの進化
情報をオーガナイズしている会社的にWWFとかいろんなところから言っても、
エビデンスってクリアじゃあまりまだなくて、実は。
どういうリサーチ方法をしたら第二位、世界中で第二位の環境負荷っていうふうに言い切っちゃったのかなっていうのは、
正直リサーチャーとしてもやもやしているわけです。
アパレル業界が悪者扱いというか、根拠がどのくらいあるのかっていうことですか。
結局何でもかんでもやっぱり根拠に戻っちゃう話なんだけど、
先週はサイエンスになるべくためには根拠っていうものがないといけないよねって話になっちゃってて、
その根拠っていうのは基本的にアカデミア的には論文っていうもので、
その論文を書いて、
茶読してもらって、茶読っていうのは他の専門に近いことを知っている人、
もしくはその内容に対しての大先輩だったり、
同じくらい研究している人たちとかのグループがいて、
その人たちに読んでもらって、ピアレビューっていうんですけど、レビューしてもらわないと論文として公開できないんですよ。
公開するのは論文誌っていうところに公開する。
例えばネイチャーだったらネイチャーのピアレビュアーがいて、
ネイチャーに載ったってことはピアレビュアーたちがこの内容はOKだぞというふうにお墨付きをしたと。
今はそういうふうになってるんだけど、
昔の論文の会にいたオランダ人だったっけ?ドイツ人だったっけ?
マキシモビッチですね。
ロシア人か?
ロシア人です。
だからその1なんとか3ってことがやっぱりフェアネスがないよねっていうところで、
最近は1人とかオーソリティとかじゃないふうなこともすごい大事にされているっていうのが近代の話。
近代?いつからか知らないけど。
めちゃめちゃ最近の話だよね。
ピアレビューはね、だいぶやりやすくなったのが、
ネットができて、ネットで調べられるっていう、これはコピーしているかどうかとかを、
インターネットのデータベースを見て調べることももちろんずっと格段にしやすくなったし、
今までって結局手書きだったりとかしちゃうともう、データベース化するのすごい難しかった。
今は手書きですら読み取ってPDF化するってこともできて、
PDFも一問一句データベースできるようになったっていうのはすごいことなんですよって話ずれちゃったけど。
ずれちゃってはいないけど、
逆に生成系AIの回とかあったんですけど、
論文もAIが書けるようになった時代に、
差読者が追いつかない問題が一方で。
あれからだいぶ風景変わって、
これはAIが書いたかどうかっていうのを調べるシステムだったりサービスっていうのがものすごく発達してきたので、
逆にここはAIに書いてもらいましたっていうふうに逆に言った方がいいよねっていう風景になりつつある。
それを否定するのではなく、
アブストラクトはAIにしてもらいましたとか、
だからその内容的なものはオリジナルだけど、
最初の例えばピアレビューしてもらうのに、
オンラインでポータルがあるんだけどそこにポンって投げるときのアブストラクトはこれはAIにしてもらいました。
でも全然構わないわけじゃないですか。
そこを審査してもらうわけじゃないから。
効率いいですよね、そうしたほうが。
そういう、読みやすいし多分きっとAIが書いてくれたほうが万人に受けやすい書き方してくれるからっていうところもあったから、
でも今のAIの課題って、どっからこの画像を撮ってきたのかわかんないぞとかいう著作権の話とかももちろんまだまだ引き続きあるし、
その文章の元でがどこから来たかっていうのをわからなくしているサービスと、
分からせているサービスとっていうのを、
ちょっと固有名詞言いたくないから言わないけど、
敵叩きみたいな私になっちゃうから。
でもそういうふうに分かれてきてるから、今度はユーザーに委ねられていくんじゃないかなと思ってて、
どういう使い方をするのかっていう。
今回はAI会ではないんですが、
図像の著作っていう意味で言うと、前回話しきれなかった石版の、
ちょっと巻き戻して、そこに戻してくれた。
個人技と複製の話っていうのが、結構面白いランマンの見どころの一つではあったかなと。
東大のインターミディアム研究所、キッテンに入っている博物館にもあるし、
東京大学の博物館にも入っているんですけど、
牧野さんがいらっしゃった時の仕事っていうのが、
やっぱり絵にももちろんサインが入っているんだけど、
自分だけじゃなくて他の人の名前が入っているっていうやつもあって、
論文だと協調っていうことで、誰がファーストオーサーって言うの。
名前が一番最初なのが誰で一番最後誰って、
いつもみんな気にする。すっごい気にするんだけど。
それでキャリアが決まっちゃうんで。
もちろんファーストオーサーっていうのは中心になって書いた人なんで、
先生がファーストオーサーの名前になってたりとか。
でもランマンでその不審ありましたよね。
そうそう。それ見て、これなこれなみたいな。
私も仕事でとかで論文を書いたりすると、
ファーストオーサー問題がやっぱり勃発してて。
一番最初にカナメジョンのやってる役のやつを、
書かんかった、書いたかとかで結構ざわついた回なかったっけ。
あった。
あったよね。
あれはでもある意味、彼は正しいことを言っていると私は思ったんで、
なんかちょっと彼のキャラクターがすごく悪い人みたいに描かれているがちょっとわかったんだけど。
僕、あの田辺教授めっちゃ好きでしたけどね。
そんな悪い人には描かれてなかったと思うけどな。
なんかね、例えばもう出入りさせないとかって、あれ正しいんですよ実は。
これが前回の話とつながるところであって、
そのシグネチャーが書いてあるっていうのとか、
誰がコラボレーションをしたかっていうことをちゃんと書くとか、
誰がサポートをしたかっていうのを書くっていうことは、
オープンソースの時代とかAIの時代とかには非常に大事だし、
あとやっぱりそうじゃないと頑張れないぐらい、
アカデミックって食べていくのってすごい大変なので、
やっぱり最悪自分の名前を残していくっていうぐらいのモチベがない。
それってどんなに偉い先生になったとしても、
そのモチベーションっていうのはずっとなくなりようがない。
偉くなったから俺の名前書かなくていいよなんていう先生はもちろんいるけど、
それはあんまり意味ないですよ。
偉くなったから名前書かないってなると、
仕事のトレースがなくなるから、
アカデミック的には不親切です。
僕はあのシーンはめっちゃ身につまされたというか、
あのマンタロウの失敗ってめっちゃ身に覚えがあるっていうか、
周りの人のおかげでここまでやってきてるのに、
ついそれを忘れて自分がやったように思ってしまうみたいなことがあるので、
マンタロウもっと反省しろよって思いました。
本当に思ったし。
反省してましたけどね。
東大の博物館に行ってもらうと、
彼の絵が2人か3人で一緒に描いてるやつとかもあるんですよ。
それってすごく大事だなって思ったのと、
彼がなんで今の時代にも名前を覚えてもらってるかっていうのって、
実はそういったコラボレーターをちゃんと名前書いていたっていうところで、
残りやすくなるんですよね。
それは2つの理由があって、
一つはちゃんとコラボレーター名前書く偉い人っていうもう一つと、
石版印刷の変化
もう一つはコラボレーターが偉くなったりとか、
その学科がちょっと名前が馳せてそれで検索に引っかかりやすいっていう2点と、
両方おいしい。一度で両方おいしいわけですよ。
だからこそクレジット書くってことを怠るっていうのは正直言って私には理解しがたいというか。
クレジットが多いとリンクが増えるから参照されやすくなる。
参照されやすくなる。
だから女性なんかは逆に結婚前と結婚後の名前変えない学者が多いですよね。
私も実は昔の名前とかを変えたくないって言ったらあったことあるから、
やっぱり福原っていう名前のまんまアーティストとしてもやってるのはそれはアカデミック的に考えると当たり前の話であるから、
女性が名前を変えるっていうのはちょっとね、なかなか今問題に政治にも使われたりするけど、
私はどっちかっていうと名前は自由にしていいんじゃないかなって変えたい人は変えればいいし。
おいしん坊だと栗田さんも名前変えてなかったですね。社内で。
だから結局は彼の功績っていうのは文字から絵にしたことと、
クレジットちゃんと載せたっていうことのまず2点はすごく思ったし、
あとやっぱ石板印刷っていうのをそれまでは専門家たちしかできなかったことを、
言ったらファブ家じゃないけど自分ちにもファブラボ作ったみたいな。
ちょっとランマン見てない人のために補足で言うと、
複製技術が必要だって言って、絵どっこがガチガチやってるような石板印刷の印刷工房に。
マッチョな感じなんだよね。
結構肉体労働なんですよね。石板重いし。
その印刷の工程っていうのはマンタロウが行く前まではすごく分業してたんですよね。
絵師っていう人が、版を作る人が絵を絵描きなんですよね。今と違って。
確か国吉か何かの絵師の弟子ですよね。江戸時代はゆけゆ絵師の弟子だった人が名人になって、
版下を描く職人をやっていて、その人が描いたものをガチムチの絵どっこが磨いて擦っていくみたいな。
それはドラマではガチムチだったけど当時ガチムチしかしないんだよ。
すいませんすいません。えいやおい!みたいな感じでやってたところを、
牧野がほぼほぼ一人でやりたいって言い出すというところでしょうね。
あれよく教えてあげたよなって思うけれど、結局大学によく入れてあげたよなっていうのと同じ話だと思うんだよね。
この時代の新しさっていうものに目をつけて、これだってやる人ってある意味寛大さというか、
自分だけでは活動のエリアがどうしても閉ざされてしまうのをオープンにしていって広めていきたいっていう思いがあるからこそ、
他社を受け入れたり他の分野の人とかを受け入れたりとかするのを今でも私工芸士の人たちとコラボするときに感じる理由なんで、
我々みたいな人間を受け入れてくれる理由なんで、だからあのドラマはそんなに強くは表現してなかったかもしれないけど、
見る人にとってはすごく一人一人の、ここの場所を俺が守るんじゃって火事になった時とかに活躍した石板印刷の社長さん、名前が出てこない。
めっちゃ江戸っ子の感じのグランメーラー。
でもあれもすごい象徴的なこと言ってるなと思ってて、結局自分の命だけではなくてこの場所に生かされてきて、
ここをずっとみんなが守ってきたから俺が守るんだっていうセリフもある意味分野のことを言ってると思うんだよ。
石板印刷を守るし、だからといってただ守るだけじゃなくて、新しいこととかにも危険を犯してチャレンジするんだっていう風にも聞こえた。
あそこが割とその描き方が丁寧だなと思ったのは、石板印刷って僕らが知っての通りその後は産業としてはもうゼロになるんですよね実質。
リトグラフという美術の版画の技術としては残るけれども、ああいう風に商売として成り立つようなものではなくなるので、
あの人たちもいずれ別の職に変えていくんですけど、そこは絵師の岩下さんっていう元々国吉のところで絵師をやってた人が職を変えたように、
マンタロウが初めて版下を描かせてもらうときに、なんか忘れたけど、切磋琢磨して技を極めた人たちは消えるんじゃなくて、
いじりになって別のところでまた根を張って花を咲かすんやみたいなことを、いいことを言ってましたけど、そういうところまでその先、この印刷の技法が産業としては消えてなくなった後に、
僕は実際にその印刷の仕事に従事してますけど、別の形で残っていくっていうことがちゃんとそこで語られてるっていうのが丁寧やなと思って見てましたけどね。
今回ランマ宴会の第2回ですけど、リスナーの方にお伝えしておくと、もし聞いてない方がいらっしゃったらシーズン1のコロタイプ印刷編の1回目の印刷の歴史を振り返るってやつを聞いてもらうと理解が早くなるかなと思うんですけど、
写真技術が18世紀あたりから出てきたのと、同時進行ぐらいで印刷技術がいろいろと出てきた中で、まずは石版印刷っていうのがドラムの中で描かれたようにツルツルにした石の石灰石の上に油を含んだ筆で書いて、
印刷の新たな形
それを水と油の反発で印記だけを載せて印刷させるっていう技術が開発されて、それが版の素材がいろいろ変わっていったわけですね。
今、オフセット印刷っていう名前で呼ばれている印刷で使われる版はアルミの版なんです。薄いアルミの版をぐるっとローラーというか、銅に巻いて、オフセットっていう言葉について、前の印刷の歴史の話の時ははしょって説明しませんでしたけど、
一回ブランケットっていう名前のゴムの銅に一回転写させるんですね。ゴムの銅って何ですか。まずアルミの板をローラーに巻き付けるんです。そこに印記がつく。
その付いた印記が直接紙に転写されるんじゃなくて、一回ゴム製の大きいまたローラーに転写するんです。そのゴム製のローラーに付いた印記が紙に転写される。
そうすることで何が利点があるかというと、版をチェックするときに鏡が反転しないんですよ。だからあれマンタロウが書いてるのは全部鏡像なんですよね。紙に直接転写してるから。
文字も逆に書いてるってこと?
だからあれ文字は多分カツ字です。絵の部分だけ石版印刷でして、文字の部分はカッパ印刷でやってる。それを製本の時に組み合わせてるっていうこと。
ただ図の中で例えばこの無地なものここが1とかここが2とかって書いてる。手書きの字は鏡像で書いてるはず。
ダビンチは鏡像で書く人だった。あれはなんかわざとだったらしいけどね。印刷が目的じゃなくて、真似できないようにっていうオリジナリティを。
今の岩田さんのすごい丁寧な説明がありつつ、前回のコロタイプ印刷の知恵がついとったもんですから、僕らドラマの中で文字が出てきた時にこれ網店やんっていう謎のツッコミをした。
たまたまうちのテレビがめちゃくちゃ、あ、テレビじゃないですよ。うちのテナンカイ用に使ってるモニターで見ると75インチでかいから気づきやすいっていう。
どんな細かいとこ見とんねんって思いましたけど。
この時代網店なくないっていう。
一応説明しとくとね、それこそ田辺教授が最初に植物雑誌作った時に、自分の絵の名前が載ってるかどうかを確認するっていうシーンで、画面上に印刷した文字が大写しになるんですよね。
あれ多分実際のものを使ってるんですよね。
そこの文字のエッジのところに網店があるっていう連絡を。
実際のものじゃなくて実際をスキャニングしてプリントしたのか。
あれ多分ですけど、現場の事情としては、今のデジタルフォントで打った文字だと、やっぱり今の印刷物っぽく見えちゃうので、当時なり、活版印刷で印刷された文字を拾ってきて、それをスキャンしたものを組み合わせて小道具として作った。
数部しか必要ないし、朝ドラでどんどん撮影してなあかんしっていうタイムスパンの中では、それをオンデマンド、レーザープリンターとかで出すか、KO風っていうオフセットの安い簡単なやつがあるんですけど、そういうので出すとかなんだと思うんですよね。
そうすると、二階調にしちゃうと文字の角がじゃびじゃびになっちゃうし、ある程度生感を残そうと思うと、そこのちょっとした細かい部分がアミテンにならざるを得ないっていうところまで謎に見てた二人。
そこはプロダクションもしなかった。
なんですけど、最終回に図鑑が完成して、スウェイコに見せるときに、もう一回また本が大写しになるんですけど、この時の文字はちゃんとアミテンなかったんですよ。
いやー。
いいお仕事。
最終回図鑑完成するし、あと3ヶ月か4ヶ月あるしっていうので、頑張ったら作ったんちゃうかなっていう。
アルミの版の出現
確かおなもみとかすごい希少種とかを運んできて、わざわざ月虫とかってやるシーンがあったけど、あれそんなに手に入る植物じゃないらしいんですよ。
それを結構NHKは。
気合の入れようってこだわりですよね。
現代はほとんどない。
ちょっとごめんなさい巻き戻るんですけどね。東大で一緒に絵描いてた、名前忘れちゃった。
後輩的な人ですかね。
画家の人がヨーロッパで最近アルミの版っていうのが出てるらしいよっていうのをちらっと言ってたから、この後アルミのオフセット印刷が出てくるのかなっていう期待はあったんですけど個人的には。
そこは細かく出てこなかったんですけど。
ちょっと説明途中になりまして、オフセットっていうのはつまりそういう、一回ゴムのローラーに転写させるって意味なんですよ。オフセットって言葉って。
オフしてセットする。
最初のオフセット印刷はどうも石板印刷だったらしいです。
へー。
ドラマの中で紙を置いて、版の上に紙を直接置いて、力いっぱい万力みたいなのをやって転写させるってやってたじゃないですか。
あれを間違えて紙を入れずに機械に入れちゃって、そうすると天井っていうか上に一回インキつくじゃないですか。
そこにもう一回紙に転写させたら、今度共造で擦れるっていうことが分かって、
ってことは版を共造で書かなくても、一回転写させてまた紙に転写すれば、そのままの版でいけるやんっていうのが最初のきっかけやったらしいんですよ。
へー。
で、それの版の素材をどうするかっていうところの技術革新というかが、最終的にというか今の段階でアルミの版になっている。
アルミとゴム。
石もなく、ドイツからしか取れないとかいろいろあったけど、アルミは軽いし、再利用できやすいからっていうところで残ったってことだよね。
そうですね。
工芸の分業化
ただやっぱり聞けば聞くほど絵の人が図版をこれを真似て描いてくれてただ見てじゃなくて、それを鏡のように反転させて描けるっていう技術があるってことだから。
結局それは江戸時代に浮世絵でやってましたからね。
それってすごいよね。
あそこのシーンだけ満遍っぽかったもんな。
満遍って何か漫画家に密着する番組っぽいっていうか、すごい繊細に直接版に使うように板で空間作って繊細に描いとったシーンがあったんですけど。
実際このカッパ印刷所で修行して、自分で石版印刷機買って、自分で図版描いてみたいなことは、僕一応牧野富太郎の辞典も読みましたけど、実話なんですよね。
それこそ三立さんじゃないけど、牧野富太郎の実家は金持ちやったっていうファクターが大いにあるんですけど。
フルスタック感ですかね。
自分の納得いくものを作るためには、それを作る装置自体自分で自分のものにして、ずっとそれと向き合わんとあかんっていうね。
その発想って、やっぱり先作りとかからあるんじゃない?ものを作る工程っていうものをさ、やっぱりその蔵でユニークさが出るから、やっぱりただなんとなく作ったんじゃなくて、
これはこうするとか、やっぱりこだわりがさ、もちろんクラによってはあるわけだからさ、そこはあんまり描かれてなかったけど、そういう家庭環境っていうのはあるんじゃないかと。
収録中にちょっとしょぼい話なんですけど、電池が結構。
つっ!
やっぱり。
どんなもんですか、あと。
あと5分くらい切れるんじゃないですかね。
5分。
これはエンジンをもう一回付ける、車のエンジンを。
付けても、そんなには劇的には充電できんかな。
じゃあ今日のエピソードは、史上最短エピソードで終わらせますか。
そう。
ここカットせずに。
環境的にもいいかもしれない。
まとめに入ると、結局は質を求めるとフルスタックになってかざるを得ないんだ、みたいなところなんですかね。
そういうふうに、工芸ってさ、分業しちゃってるって言ってたけど、三立三海がやっぱり新しい工芸っていうものを示唆させてるっていうのはやっぱり、
傭務員としてさ、全部できますってことと知識ができます。
できなくてもいいけど、言語を知ってて、その人たちの生き方とか、仕事に対するリスペクトだったり、何を大切にしているか、例えばクレジットを大切にしているとか、
そういうのが分からないと、いろんな人と協業できないし、新しいこともできないし、結局一人でやるだけでできることって限られてるから、
そうですね。
竹野さんだけが一人で書いてたわけじゃないんだなっていうのが資料を見てもらうと分かるし、そういう態度が周りの人をつないでいって、
彼が多分最長東大にいた人の一人なんじゃないかなと思う。
なんだかんだ言って、辞めないでずっと何十年もいるっていうのはなかなかできないですよ。
普通大学って、一回大学教授になったらいいけど、教授になれなかったら移動しないといけなかったりする世界なんで、
そういう意味では何十年といったっていうのは危惧な存在だと思う。教授でもないのに。
じゃあ今日は電池の問題で。
すいません。
本当にしょぼい話ですね。
エコロジカル的にはね、これで車のエンジンでバテを作るっていうのは良くないことだと思う。
まだ話そうと思ったことあったような気もするけど。
そうですね、一言だけ言うと工芸って分業がすごい進んで、高度分業化も結構一つの特徴だったと思うんですけど、
フルスタックのバランス
いろんな工程がなくなった時に、それでも何かをついでいかなきゃいけないってなったら、フルスタックになっていく人も結構いると思うんですよね。
シーズン1の例えば津井さんとか、シーズン1、2の須藤さんも同じようなことを言ってたような気がするんだけど、
それと外部に出す、あるいは効率化するっていうところのバランスというか、クレジットみたいなものは引き続き倉田施ラジオでも目配せしておきたいなと。
すごい課題だなと思う。バッテリー消えちゃったら聞いちゃってごめんなさいって話し続けて。
一応バッテリー切れるのは良いんですけど、録音データ飛ぶのを避けたいんで。
なので、こんな感じで番組やっておりますので。
来週はちゃんとゆっくりお話ができる回をお送りできると思いますので、来週もお聞きください。
ハッシュタグCONCRAで感想をお待ちしてます。
フォームもありますので、ぜひともアカデミズムのこういう点もあるよみたいなことを教えてもらったりとかしたりしたいです。
というわけで、引き続き倉田施ラジオ。
ランマン回はこれで以上に。来週は別のテーマでお送りします。
ありがとうございました。
35:04

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