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2022-07-05 52:09

S1 ep19 琵琶とロックとインクルージョン 犬王見届けようぜ編(後編)

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映画『犬王』を入口に日本の伝統芸能などについて話してみようと始めた対話の後編。結局今回も伝統芸能の話はさほど深掘りすることなく、差別と芸能、ダイバーシティ&インクルージョン、語ること語られることの重要性など、ほうぼうに話題は広がるのでした。実はここにはまだ「拾えていない物語」つまり大幅にカットした部分が残っておりまして、前後編の2回で終了する予定だったこのシリーズはあともう一回だけ続きます。

今回の話題:
琵琶と三味線・三線の違い/琵琶のルーツはペルシャのリュート/琵琶の音色はインドのシタールに似てる?/なぜ琵琶法師が盲人の職業選択のひとつになったのか?/手塚治虫『どろろ』と『犬王』の類似/明石覚一が平家物語を一本化した/室町時代は曖昧だったものが整理されていった時代?/幕府としての権力が弱かったから文化のパワーが必要だった?/足利家の庇護を受けられなくなった世阿弥は佐渡に島流し/政治家と芸術家の危うい関係/はっぴいえんどっぽい日本語の譜割り/友有座のイメージは裸のラリーズ?村八分?/それぞれ別の舞台で語る原作の犬王と友魚/なぜロックをモチーフにしたのか?/アメリカの黒人奴隷が生んだ音楽とロックンロールの関係/穢れ(差別)の対象だった音楽が産業の中に取り込まれていく/新作能がたくさん生まれた世阿弥後の数世代/琵琶法師感のあるブルースマン/目が見えない人の芸能があったとしたら耳の聞こえない人の芸能もあったのか?/『もののけ姫』タタラ場のハンセン病患者たち/士農工商の外にあったかもしれないセーフティネット/現代まで課題として残る Diversity, Equity and Inclusion /はみでた人には芸術的なポジションしか残されていない?/自分のことを語れるようにするためには/人に語ってもらうこと、それを聞いてもらうことで成仏できる/「見届ける」という日本語の翻訳の難しさ

劇場アニメーション『犬王』
https://inuoh-anime.com

古川日出男『平家物語 犬王の巻』
https://onl.bz/gUe1zmS

リロイ・ジョーンズ『ブルース・ピープル』
https://onl.bz/5GBVyCL

ConCraプロジェクトの詳しいコンセプトは公式サイトへ。
https://concra.jp

そしてここに掲げているコンセプトのもと、実際にモノを作っていこう人が集まるオンラインコミュニティであり実験場 ConCra Collective(コンクラコレクティブ)が2022年3月1日にオープンしました!
興味のある方はぜひお気軽に参加してください。
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パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

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クラ出しRADIOは、使わなくなった大切なものを様々な工芸技術で生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメンバーが、
分かりたいけど勉強しにくい工芸について、見たり調べたり、作り手のお話を聞いて、時に脱線しながら、皆さんと一緒に考えていく番組です。
コンクラの岩田です。
コンクラの海です。
しゅほです。
はい、よろしくお願いします。
はい、お願いします。
犬王の話続けてまいりました。
はい。ちょっとなんか、僕もどういう順番で今日話ししようかなっていうのは、あんまり整理せずに望んできたので、案の定、なんか話す順番がごちゃごちゃしちゃったんですけど、
大きくは、今回のアニメーション映画犬王の感想みたいなところ、感想というか、こういうテーマ性とか、描かれ方とか、あとまあその音楽とかダンスとか、そういうところだけでもなんか山ほど話したいこといっぱいあるんですけど、
それと別軸で、今その日本の伝統芸能として受け継がれている能とか、あと能ほどはポピュラーではない美話、美話によるその語りみたいなものとか、
なんかその辺のことも、実際の史実とかも交えつつ話ができると、なんかただ最新の映画見てみんなで感想を言おうみたいなものにならないかなと思っています。
という感じで、美話の話をなんかします。前回はなんか能についてっていう、岩さんが全然謙遜でおっしゃってたんだけど、だいぶ僕、能の基礎知識が前回得られたっていう感じだったんですけど。
一応作品上は、あるいは猿学の異形のキャラクターと、美話奉仕の突出した人が、少年が出てくるっていう話なんですけど、美話についてがあんまりちょっと、なんかどういう芸能のスタイルだったのかっていうのも、なんか触れといてもいいのかなというところですかね。
そうですね。実はね、僕、美話っていう楽器のことも、正直生で見たこともないし、触ったこともないんですけど、シャミセンを数年前に先生について習ってて、本当に短い期間ですけど、シャミセンとか沖縄の三振とかは、自分で持ってて弾いたりもするんで。
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三振って何ですか?
三振はね、基本的にはシャミセンと構造が同じなんですけど、ちょっと今手元にあるんで弾いてみましょうか。
おお、マジか。やった。
見た目は同じなの?
見た目はね、ちょっと小振り。
三振の方がちょっと小振りなんですよ。
三振ってどう書くんですか?漢字で。
三振が三つの線です。
あー、なんかその文字見たことある。あれが、シャミセンってどう書く?
シャミセンは3のアジの線。
あ、そうか。で、三振が三つの線なの?
今弾いてるのが、どっちなんですかね。三振が。
で、こっちが三振?
これシャミセンです。で、こっちが三振です。
めっちゃ南国感が。
ちょっと全然上手く弾けないですけど。
なんていうんですか、ドレミファソラシドっていうのって音階?違いますか?
音階、まずシャミセンっていう楽器が、僕もこれ、琵琶のこと、同じ和楽器なんで、
琵琶がシャミセンとルーツ的には同じなんだろうなと思ってたら違って、
あ、違うんだ。
琵琶は7世紀とかに大陸から来てるんですね。
おそらくルートとしては朝鮮半島を通って、九州とか辺りから入って大和頂点に行ってぐらいの流れだと思うんですけど、
シャミセンはもっとだいぶ後で、桃山時代ぐらいとか、だから今のイヌ王の時代よりもっと後なんですよ。
あ、そうなんですね。
琉球から入ってるんですよ。
じゃあ三振。
つまり三振の方が先で、それが大和に入ってシャミセンになったっていう。
音階っていうので言うと、基本的に東アジアの音楽って、ペンタトニックスケールっていう音階なんですね。
5音階。ドレミファで言うと7音ありますけど、これが5つなのが東アジアの音楽の特徴で、
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ペンタトニックスケールの日本の音階として一つはヨナヌキ音階っていうのがあって、4と7がないっていう意味なんですけど、
弾くと、ヨナヌキっていうのが基本で、琉球はニロヌキ。2番目と6番目の音がない。
ジッタリンジンさんとかの。
っていう違いがあるんですけど、僕もその程度の知識っていうか、知識ほどのことでもなくて、イメージぐらいのことなんですけど、
ビワの音色っていうか、ビワで出せる音階っていうのも、このシャミセンで弾いた時に出せる音階と似たようなものなのかなと思ってたら、さっき言ったようにルーツが違うんですよね結構。
弦の数も。
弦の数も違いますね。シャミセン三振は文字通り3本ですけど、
ビワは5弦ですね。
4弦か5弦かどっちか。
ただね、弦はね、シルクなんですけど。
シルクを寄って、かなり寄って、
そこにウコンに浸して虫に食われないように。なんで黄色いんですけど。
そういうことか。
それはシャミセンとビワは同じ共通なんですけど、弦は。
ウコンはターメリックですかね。
そうです。
黄色はそういうことがあったんだ。知らなかった。
大きく構造的に違うのがネックの部分。
ギターでいうネックの部分なんですけど、三振とかシャミセンってフレットがないネックなんですね。
ギターとかだとフレットって鉄の金具が入ってて、そこの押さえるポイントによって音が段階的に変わっていきますけど、
シャミセンとか三振はフレットがないので、こういう無段階に音が変えられるというものなんですけど、
ビワはネック自体が弦と接してない。伝わりにくいですね。
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弦がすごく浮いてるんですよ。ネックに対して。すごい宙に浮いてる。
宙に浮いてるところを柱って感じで書くんですけど、柱ってやつ、フレットみたいなものでが何本かネックから飛び出していて、それによって弦が支えられているっていう構造になってて、
弦の張り方もすごく緩いんですよ。ビヨビヨなんですよね。
それを柱のところで指で押さえることにビヨーンっていう粘りのある、あんまり音階がはっきりしないような音が出るっていう。
そういうことなんですね。難しそう。
シャミセンって割りかし現代の人でも習おうとすればそういう入り口がありそうなんですけど、
琵琶やりたいって言った時に、何かどこで琵琶って習えるんだろうとか。
持ってる人とか弾いてる人を見たことがないですね。やっぱり。
だから不思議な楽器では何かありますね。琵琶って。
だから岩井さんが言ってて、琵琶を弾いてる方は本当に琵琶のミュージシャンが弾いてらっしゃるってことは、
イヌオのことで知ったんですけど、その音だけ聞いたら僕なんかシタールかと思いましたもんね。
だから構造的にはシタールもあれもネックに対して弦が浮いてて、
フレットみたいなものがいっぱい飛び出してて、そこの中でビヨンビヨンってするんで近いです。
テイストが似るんですね音の。
やっぱりその起源をたどると、ペルシャーとかがリュートっていう楽器があって、おそらくシタールとかも先祖が同じなのかもしれないですけど、
どんどん東アジアの方に渡っていって、琵琶になっていったっていうルートがあって、
西に行くとそれがギターとかマンドリンとかっていう楽器になってて。
確かに仏像じゃないけど、宗教画とかに琵琶の絵は出てくるけど、
シャミセンっぽいよりは、どっちかっていうと琵琶の形、弾いてるなんとか天両みたいな。
弁財天とかですよね。
やっぱりリュート寄りですよね、ビジュアルも。
そうなんだ、重そうですしね。全然見たこともないし、なんかわかんないですけど。
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シャミセンなんかよりは。
あれをちゃんと今に伝えてる人がいるんですよね。琵琶に関しても。
そうなんですね、全然知らない世界なんで。今言ったのも僕琵琶見てないので、本とかで見た知識で話してるだけですけど。
だからなんかすごい琵琶の演奏とかを聞くと、音程があんまり聞こえないっていうか、
バチで叩くアタック音はすごく聞こえるんですけど、あんまりメロディ的なものが見えてこない感じが。
めっちゃありますね。
そこがすごいぼんやりしてるんですよね、シャミセンとかと比較すると。
リズム楽器に近い感じはしますよね。
すごいそんな感じがしますね。
喋るように歌うように言って、愛の手で琵琶を弾いてるぐらいのそんなイメージがありますけど。
だからその楽器が盲目の人が語りをするために、
だって別に盲目である必要がないっていうかっていうと言い方あれですけど、
別に誰でも弾けるわけだし、語りも覚えればできるはずなんですけど、
それが盲目の人たちの一つの職業選択の一つになってたっていうのも面白いなと思って。
琵琶奉仕って耳なし奉一とかありますけど、
僕、琵琶奉仕でたぶん存在を知ったのが、
たぶんですけど、手塚治虫のドロロっていう漫画に出てきたのを見たのが最初じゃないかなって気がするんですけど。
そうですか。
なんか目見えへんってことは、本とかも読めへんのに物語を覚えて語るってすげーなと思ってたんですけど。
そっか、ドロロに出てきたか、スルーしたか。
たぶんね。でもなんか手塚治虫の漫画だったはず。
で、ちょっと今回の犬王の造形みたいなこともちょっと前回の話で、
いろいろなんであんなんだろうみたいなのできましたけど、
僕、やっぱり最初に映画見てドロロやんって思ったんですけど、
なるほど。
ドロロっていう漫画はお二人はご存知ですか?
そうですね。百鬼丸っていう男の子と、ドロロっていう男の子の。
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私、ちゃんと読んでないともう、なんかパラミしかしてない。
主人公の百鬼丸っていう少年、青年は、
父親が戦に勝って天下を取るために妖怪たちと契約をして、
生まれる前の子供の体の部位を全部お前たちに捧げてやるから、
俺に最高の力をくれって言って、
その呪いが全部かけられた状態で生み落とされたのが百鬼丸なんですよね。
それが捨てられたところを医者に拾われて、
その医者が義眼とか義肢とかを作ってくれたって、
一応人間の体は成してるけど、
実際の自分の本当の体の部位はほとんどないっていう状態で、
百鬼丸は呪いをかけた妖怪たちを退治することで、
一つずつ自分の体のパーツを獲得していくっていうストーリー。
そういう意味で言うと完全に犬王は、
自分のカルマを克服して体を獲得していくような構造ではありますね、確かにね。
これは多分意識していないはずはないよなと思うんですけど、
これは古川秀夫の原作画ですけどね。
最初の方は映画は多分本当に琵琶を弾きながら進んでいくんですけど、
いきなりギターに変わる瞬間っていうのがあって。
その時点でさ、友名がそれなんだよね。
友名ってもともと友達に魚って書いて友名って、
お父さんが三種の神銀を拾った時拾ったっていうか、
海底から引き上げて刀抜いて、
そしたらお腹がちょきって半分に切れて死んじゃったっていうのが友名のお父さんなんだけど、
亡霊になって友名の周りを恨みを晴らせとか、
こんなことにした奴らを探せみたいな風に言って友名がロードムービーに出るじゃないですか。
その時にやっぱり名前が重要って言ってたなと思って。
一応物語上死んじゃったお父さんは亡霊としてたまに登場するんだけど、
名前がないと探せないっていうことが出てきますよね。
歩いてるうちに同胞じゃないっていう目の見えない良い人に友名が出会って、
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そこで美話を始めて教えてもらうんだっけ。
その時に連れてかれて名前を変えるってことになったんだよね。
美話法師の組合の。
これ実在の人物で赤氏角一っていう美話法師がいて、
赤氏角一がわりと足利尊氏の親戚だか何だったかっていう話もあったりして、
剣力に近いところで団体を作って認めてもらってみたいなことをうまくやった人なんですよね。
赤氏角一がいろいろ点でバラバラになってた平家物語を一本化して、
これが正本であるっていうふうにまとめた人みたいなんですよ。
まとめた人がその人なんだ。
ちょっとだから昨日の映画の中では最終盤で上からの幕府からのお達しとして、
角一座以外の平家物語はもうやるなっていうことで、
友有座は解散やっていう流れになったんですけど。
実際にはこの赤氏角一っていう人が結構その今に連なる平家物語の一番、
これが決定盤ですみたいなものをまとめた。
だから結構曖昧だったものをある程度ルールはっきりしましょうっていうふうに、
たぶんこういろいろ整理された時代的な背景っていうのもおそらく意識されていて、
前回言ったその能の形態がぜあみによってある程度決定盤が作られていて、
しかもそれが時の権力によって認められるっていう。
その権力者もそういうふうに描かれてたんですけど、
足利家が室町幕府としてすごい弱いと。
文化とかなんかの力を借りながら格が上のような感じの振る舞いも、
彼らがちょっとしなかったらいけない背景があって、
それでなんか文化人をちょっと味方につけて、
俺すげえんだぞって言わないといけないっていうような背景もちょっとちらつかせてる感じではありましたね。
へうげんものでもそういう扱いを受けてたよね。
出てきたかわかんないですけど、あまりにも足利家が弱すぎるんで、
一番最後の信長に追い出されちゃうんですよね、京都から。
そうそうそう。
そういうあまりにも弱い幕府だったので。
つまり能が整理されていった時代と、美話奉仕の語りが整理されていった時代が、
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この吉光の時代にかなり同時的に起こるっていうところで、
おそらくそれもあってその主人公を、
その整理されるギリギリ前の時代に生まれた友奈と犬王っていう2人を主人公にして、
その曖昧で汚れとか、聖なるものみたいなものの区別がはっきりしていなかったところで、
その中で明確にこっちは正しいものっていうふうに権力側から、
それは自分たちの権力がもともとあまり万弱じゃないところに文化をフックアップすることで、
自分たちの権力の異元にしたっていうのに翻弄された主人公たちっていうふうにも見れるのかなと思うんですけど。
やっぱりゼアミにとってはハッピーエンドですけど、
歴史的に言うと結局足利家の被害を受けられなくなった後、島永氏に会いますもんね、佐渡に。
そうですよね。
やっぱその芸術家と権力者の関係とかって、すごいやっぱ危ういなっていうふうにやっぱ思いますよね。
平原の時のね、千利休の話とかもそうだし。
そうですね。
で、その辺がなんかこう時代の背景の、僕もかなりつきあき場的にインプットしたものを適当にお話ししている感じではあるんですけど。
で、僕は面白いなと思ったのは、なんか言ってみたらなんか段々変わっていくっていうよりはいきなりロックに変わるわけなんですけど。
あの、こう噂がやっぱ70年代風なんだよねっていう話をちょっとしてた時に、
なんか、そっか70年代っていうとなんか、ゼッペリンとかかなとかって最初思ったんですけど、
いや、それっていうよりはあの感じはなんかこう、なんだろうな、日本語の不有り的なところで言っても、
ハッピー、細野晴明さんとかがやってた70年代のバンドの、なんだろう、春よ恋か、お正月の歌を歌ってる。
なんかあの、ででーってってってみたいな、なんかあの感じがちょっとそれっぽかったので、
僕すぐそういうなんか連想したんだけど、岩さんとのなんかその印象の違いがすごいなんかあの、なんだろう、面白くて、
なんかそれがなんか僕はこれは京都のそのローカル文化史なんだっていう風に思った。
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まあなんかそれが意識されているかどうかは別にしても、岩さんはなんか違ったんですよね、70年代。
僕がその友有の演奏シーンで、パッともう何というか想起したのは村八部っていうバンド、70年代の京都で活動してたバンドとか、
その前身というか、メンバーもかぶってる裸のラリーズって、実際見たことないんですけどね、映像とか。
僕らもね、なんかちょっと上の世代の話ですからね、やっぱりあの学生運動とかとなんか並行してたような音楽の人たちって。
なんかこれ結構あの映画で見るとこうシームレスに犬王の劇と繋がってるんであれなんですけど、
実際古川秀夫の原作を読むとはっきりわかるんですよ。
あくまで美話奉仕である友有、友奈は美話奉仕として一人で犬王の物語をずっと語ってるんですよ。
犬王は比叡座の能楽者として比叡座の舞台の上で平家の物語を語ってる。
だから。
出会ってないの?
いや、出会ってはいるんですよ。
当然出会っているから友奈は犬王から自分の生い立ちの話を聞いて、それをいろんな人に伝えねばっていうことで犬王の語りをする。
犬王は父親の欲望のために自分が平家の亡霊、もっと細かく言うと平家のみんなに知られてない話を集めた美話奉仕たちの亡霊。
が自分にまとわりついてて、それが自分がそいつらの話をしてあげることでそれ一つ一つ成仏していくらしいってことに気付くっていう犬王。
犬王は平家の物語を語ってあげることで平家の亡霊たちを成仏させるし、
友奈は犬王のそういう生い立ちを語ることで犬王のつきものを取っていく手伝いをするみたいな、そんな対比なんですけど、それがわりと映画では2人が一緒にやっているっていう感じの描かれ方になっているんですけど。
確かにちょっと説明されてわかるところですね。
最後だけなんかでも僕の物語はもういいからって友奈が言うよね。
あれです。あれが原作では前編にわたって別々に語られていくっていう感じなんですけど、
なんかあの音楽の形態のとこでいくと、だから友有の演奏はすごいそういう60年代から70年代にかけての、
日本語をどういう風にロックのブルーブに落とし込むかっていう、実験がされてた時代の日本語のロックの音色なんですけど、
その後、犬王の舞台になってくるともう完全にクイーンになっていくっていう。
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そうですね。スペクタクルな感じになってきますよね。
僕なんでロック選んだんかなと思って、正直多分見る人が見たらなんか古臭いなって思うかもしれないなと思うんですよ。
現代的な描かれ方にすることで、ノーみたいなわかりにくいと思われているものをポップに色んな人が楽しめるように見せるっていうことで言えば、
音楽のジャンル的には、例えばその前回の話で映像研のオープニングの話とかありましたけど、
岩澤監督のデビルマンクライベイビーってネットフリックスでやったシリーズとかは、川崎が舞台でラッパーが狂言回し的なポジションで結構ヒップホップが重要な。
結構激しいアニメでしたね。
要素として出てきたり、別にロックっていう音楽のジャンルにはそんなに執着がある。
作家ではない。
人ではない。
とは思うんですけど、なんでこれをロックっていう形態を選んだのかなっていうのは、なんかちょっと疑問だったんですよね。
僕がちょっとそのロックっていう音楽を使ったことに関して想起したのが、これかなりなんていうかこじつけレベルなんですけど、
テーマの中で汚れを抱えた人が、その汚れを取っていって、美しいものとして認められて、最終的にその汚れみたいなものから切り離されて、ストーリーとした犬王と友だっていうのが永久に吉光によって別れさせられてしまったわけですよね。
なんかそういうその、犬王っていう能楽師としては成功譚だと思うんですけど、それって。
でも、いち若者としての友情とか連帯みたいなところで言うと、そこが絶たれてしまったっていうストーリーラインがあると思うんですけど、
なんかロックって音楽の歴史を振り返った時に、どこにルーツがあるかって考えたら、いろいろ複雑にルーツがあると思うんですけど、
やっぱりアメリカ大陸に、特に北米に連れてこられたアフリカの奴隷たちが作った音楽がベースになってて。
面下を積みながらコーランドレスポンスするみたいな。
最初にブルースって音楽がそういうところから生まれるわけですけど、なんでその奴隷たちが音楽をやらないといけなくなったかっていうと、
リロイ・ジョーンズっていう人が書いてるブルース・ピープルって本とかに詳しく載ってたりするんですけど、
特に北米に連れられた黒人たちの奴隷の主人っていうのは、大規模なプランテーションを持ってる大地主とかだけじゃなくて、
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ある程度の中規模な白人とかでも奴隷を持てたんですよね。
だから他の、例えば南米とかに連れて行かれた黒人奴隷とかに比べると、言葉の自由とかファッションというか着るものの自由とかが全て奪われて、
常に英語を喋ってないといけない。常に西洋風の格好をしないといけない。
基本的にもう労働以外、敷地から出たりみたいなことが許されないみたいな、相当自由が縛られた状態で生活しないといけなくて、
その中で、例えばアフリカの工芸品を持ち帰ることもできないし、当然。
それを自分たちの手で作って、物として残るようなものを作ったら、それは見つかっちゃうのでできないんですよね。
だから白人たちに見つからないようにやれることって、自分たちが体で持ち帰っているその内側にある音楽しかなくて、
そこに西洋の楽器とかも絡んで、ブルースとかジャズとかっていう音楽が生まれて、
それがもう少し時代を下って、わりとポピュラー音楽として、リズム&ブルースっていう形になっていくと。
ただあくまでこれは、言ったら室町時代の対比で言うと、穢れた人たちがやっている音楽なんで、
白人たちはそのまま穢れた人たちがやっている音楽を受け入れるわけにはいかないんですね。
本当はめちゃくちゃなんか楽しそうで聞きたいけど、レースミュージックとかで差別的な言い方もあるんですけど、
それは黒人たちの音楽なんで、白人が聞くものじゃないみたいな、
上司が会った時に、リズム&ブルースっていうのはそのまま言ったら言い換えて、
白人の音楽市場で売れる形に変えたものがロックンロールであるっていう風に見ると、
単純にそうも言えないとこがあるんですけど、ロックの初期にはチャック・ベリーみたいな黒人のミュージシャンもいるので、
あんまり単純化できないんですけど、なんかその、アメリカのこの歴史で言うと、
それは別に何か室町幕府みたいな権力者というよりは、音楽産業とか資本主義みたいな大きいものに絡めとられて、
汚れてるってされてたものがいいとこ取りされて、白人の市場に洗浄されて持っていかれるみたいな。
そうか、バディ・ホリーとか、エルビス・プリシーとかもそうかもしれないですかね。
エルビスの映画もなんかもうちょっとしたら公開されますけど。
ビル・ヘイリーとか、白人とかがロックンロールやってる。
そう、なんか面倒くさいそういうところまで考えてしまって。
いや、確かに。
そういうところが暗示的に。
それで言うと、別に例えばそれがヒップホップだったりしても、ルーツたどれば同じ黒人奴隷の話にはどうしてもつながるんですけど、
33:03
今のリズム音楽というかオブラ音楽から拾ってくれば、全てその辺の歴史につながってきはするんですけど、
差別と芸能みたいなのがテーマの一つにある中で、なんでロックンだったんだろうなっていうのはちょっとそんなことを考えたり。
なるほどですね。なんかちょっと今聞いて思ったのは、やっぱその歴史を語る自分語りっていうスタイルとの神話性なのかな。
でもヒップホップもそうか。自分語りだもんな。
でももう一つは、やっぱりノー・ノー、ゼアミ以降の数年間というか、数世代のところを見ていくと、
その後もオトアミとかいろいろ人が出てくるんですけど、めちゃくちゃ新作のを書いてるんですよね、その人たち。
自作自演なんですよね。今ってやっぱりゼアミが大成、それこそこんな600年とか前に大成しちゃったもんなんで、
今ってそれの再演をずっと絶やさずやってるっていうことですけど、
この当時から言ったら、かなり次々に新作が生まれる時代。
全然伝統でもなんでもない。現代美術っていう扱いだったんだね、当時。
だから、割と自由にスタイル変えながら新しいものを生み出すっていうところでは、ロックミュージックみたいなものも比喩としては使えるなとは思いますよね、確かに。
確かに、ブルースで言うと、ブラインドレモンJファン、ブラインドって言ってますからね、目が見えないってことですけど、
やっぱ美話法師感ありますよね。
美話法師感ありますよね。盲目の人結構いますもんね。
ブルースマンで自分語りを盲目の人がブルースやるみたいな、そういうのはやっぱりありますもんね。
そういうテーマ性が一つ、割とポイントかなと個人的には思ったのと、
やっぱりその物語として語ること、語られることみたいなことがもう一つポイントかなと思ってて、多分前回もちらっと話したと思う。
ちょっと気になったのが、なんで目が見えない人たちは美話のっていうので、見えなくても音とか弦とかは触ってわかるぞみたいな。
で、そういうコミュニティが実際できてたんだろうけど、耳が聞こえない人たちとかって、当時はどういうコミュニティとかやって、つい芸能があったとしたら何やってたのかなって今ふと思ったり。
36:11
これもちょっとわからないですけど、あんまり適当なこと見えないですけど、例えば同じ室町時代頃の舞台にしたアニメ映画で言うと、もののけ姫とかもそうなんですけど、
もののけ姫なんかで、今で言うとハンセン病の患者の人たちがたたら場でみんな働いてるみたいな。
銃作ってますよね。
あんなのも、例えばその刀とか人を殺めるものを作る人がけがれを背負うみたいな。
だからそういう工芸の職人もけがれを抱えてるみたいな。
例えば革の職人とかね。
動物を殺してその革をなめすっていう。
もののけ姫ってでも確かにその死の交渉が分かれる前のもっと何だろうな。
なんかありとあらゆる立場の人がいろんなことをなんかしてる。
まあ言うたら全員が正義でその正義がぶつかり合うっていうような神様がひっくるんです。
そんな感じですよね。
だからそのたたら場でハンセン病の人を仕事を作って養っている姫様がいるよね。
なんかちょっと忘れちゃったけど。
あの人も別にそういう意味では完全な悪人っていうことでもないしっていう。
なんか全員が全員の正義を持っているっていう。
だからおそらくですけどその例えば名じゃなくて耳が不自由であったりとか何かしらそのハンディキャップを持った人が
何かしら生き延びるためのコミュニティであったり仕事であったりっていうのを
まあそういうその死の交渉みたいなのも外にある場所があったりしたのかなっていうふうには
なんか想像だけするんですけど。
いや確かに。
なんか今ふと思って全然違う話なんですけど
なんかわかりやすくその身体的にハンディがあるとかっていう人よりも
もうそうなんですけどメンタルとかのなんかその触れ幅もすごい今研究されてるから
なんかだいぶ偏った人に対して何か適した職業が与えられてほしいもんだなって今話し聞きながら単純に思いましたね。
エクイティだねそれはまさに。
今会社とかいろんな企業で今ダイバーシティー&インクルージョンってDIってみんな言ってるんだけど
ダイバーシティーは多様性でインクルージョンは何だろう
インクルージョンって日本語で何ていうの
39:01
その違いを受け入れるっていう
包摂感
包摂感っていうの
でそれでもやっぱり抜けちゃってるのはそのエクイティっていうのは日本語で何て訳すんだろうな
違いをみんなに
多様性だし包括性だから
同じものを条件としてみんなが持てば
イコールな環境になるよねっていう風にやっちゃうと
でもみんなそれぞれ持っている特性とか違いがあるのに
同じ高さの椅子を渡して
はいじゃあ君そこに
背が足りない人はそこにとかじゃなくて
全員が同じ椅子の上に立たせられたら
背が高い人は高すぎるし低い人は足りないしみたいになっちゃうから
その特性をちゃんと踏まえたことをちゃんとやっていきましょうねっていうのがエクイティっていう風になって
今はデイとかディーアイって言ってダイバーシティインクルージョン
ダイバーシティエクイティインクルージョンっていう風に言うのが大事っていう風になってる
僕サラリーマン時代に何回見直してもなんか自分的にはあってるけど
書類がもうなんか戻されまくったりとかすると本当に
もうなんか
へこむっていうかもうなんか
みんながやらなきゃいけないことを自分だけやっぱりやれないっていうことのつらみが半端ないですよねやっぱ
そういう感じで多分まだ今でもまだその
ディーアイっていうようなところで職業とかその人の特性とかっていう
ことが話題になるくらいまだ社会課題としてすごいある中で
でまぁあのその昨日の作品に戻るとなんかその当時多分もっとむちゃくちゃだったらしい
差別もすごいいっぱいあっただろうけどまぁそういうようななんかあの
なんかこの人はこのポジションこの人はこういうこのポジションみたいなことがなんか垣間見えるなんかところがちょっとあるというか
逆に差別がクソいっぱいあったからこそ
けがれっていうところがなんかもうすぐにちょっと反転して新生化されたりとかそういう部分ももちろんあったと思うし
なんかそういう意味でなんかめちゃめちゃ
それをある意味本当に現代の音楽でそれをやっているのでなんかちょっと
時代感も倒作しながらちょっと見えてるっていう感じだったんですけど
いやなんかそう考えるとすごい親近感でしかないけど
本当にいまだにずっと私なんで会社員やられてるんだろうってやっぱり思うし
42:05
社会でよく生活できるなって自分で思うけどそういうこう
なんていうのかなやっぱり異形の人とか言われるんだけど自分で全く自覚ないし
なんか何で言われてるかいまだによくわからないんだけど
岩瀬さんの監督の主人公映像研がすごいやっぱり自分に重なって見えるとかって
ああいう人たちの居場所がテーマになっているのかなって
というふうに僕も思いつつと言いつつなんですけど
はみ出た人が何か芸術的なポジションしか残されてないって考えるのもまたつらみがあるというか
そういう中で自分語りをはばかられずにどうしていくんだろうなっていうのを
僕やっぱり最終的に思ったっていう
方向としてはそれが音楽じゃなきゃいけないとか
ダンスじゃなきゃいけないとか絵じゃないとかではなくて語るっていう
アウトプットするっていう大事さじゃないそれってフラットに言えば
やっぱりまず2つ目的があって悩みとかそういう抱えているものって
自分で外に出すって声に出して伝えることで
実は頭の中で整理しててその言った声も自分で聞いてるから
だいぶ頭の中で納得感というか
自分ってこういうことを悔しいと思ったんだとか
こういうことがあってこういうふうな感情になったんだって
整理しながら結局喋ることになっちゃうから
それってすごく浄化作用があると思う気持ちの
それで京都コンテクストみたいなことで
ちょっと岩田さんの話を聞いてから僕と塩さんで
京都の音楽裸のラリーズからいろいろ聞いてたんですけど
京都のラッパーとか
要は自分語りをどう始めるかっていうところで
ラップとかも僕個人的にはもちろんリズミックで
言ってることも気が利いてて
上手い方が音楽としては全然聞いてて好みなんだけど
そうでなくてもラップをやり始めて何か語ってる人ってのは
とりあえず聞いてあげようっていう気も一方で起こるというか
それが上手くなくてもというか
そういうのが働くのが何だろうな
45:00
上手い下手ではなくて自分のことを語り始める人に対して
塩さんが今言ったことですけど
っていうようなことに
パブリックエナミのあれじゃないですけど
チャックDが言ってるストリートのCNNなんだから
別に芸術というかただ報道の一部なんだっていうような
ことでもそういう視点もあれば
そうかそうかうんうんっていうふうな耳を傾けたくもなるというか
それ言ったらさ今やってるポッドキャストもさ
それじゃん言ったら
これ全然芸術じゃないけれどっていう風に
こうやって語って相手が聞いて誰かが聞いてくれてるっていう
反応も一応もらってますからね
ありがたいことに
それってやっぱり何かしらの救いにはなってるなと思うし
さっき和田さんが作品とかいろんなのを見に行くようになったんだって
やっぱりアウトプットするからインプットが欲しくなるっていう
それってやっぱりそのエクスチェンジだし
やっぱり自分の体の外に出したから逆に
それにスペースができていろんなものを入れられる
ここの余裕もできるんだよなと思ってさっき和田さんが言ってたのを聞いて
やっぱり表現っていうのは
才能がある人だから表現をするとかではないじゃないかなって思います
だからそこがすごくその映画が入れ子構造になってるのが
ともなともいちともあり3つの名前がありますけど
結局自分のことが語ってもらえなかったから
成仏できなかったんですよ600年
それが一番最初現代の京都の映画が出てきて
そこでまだ成仏できないともなが映画の最後
やっと犬王にそれが発見されて成仏するんですよねそこで
それって何で成仏したか僕らがこの映画を見たからなんですよね
古川秀夫が犬王の巻っていう小説を書いて
それを岩澤監督がアニメーション映画にして
それを観客が見たから物語を語ったのを聞いたから
初めてともながそこで成仏ができたっていうだから
その今のそのストリートの cnn みたいな話で言うと
別にそのラップができるとか
自分で表現ができるっていう人じゃなくなくても誰かに語ってもらって
それが誰かによって聞いてもらうことで
その人の存在証明になるみたいなのが結局
あの映画全体のこのなんていう
48:00
すべて集約しているものとしてあったので
それはね素晴らしいなぁと思いました
まあそんなわけで色々色々拾えました
犬王からたくさんのことが
ネタバレいっぱいした気がするけど
やっぱり犬を見たいと思う人は絶対見てほしい
なんかストーリーだけじゃなくて
えって言うんですかあれ
アニメーションだから
映像の気持ちよさとかね
そうあとキャラクターデザインもすごいし
あと衣装がすごい面白いなと思って
好みは別れるっていうのは断ってはおきたいんですけど
見ても何か損はしないなって思います
というわけでまた犬王の感想なども
犬王の感想は
ハッシュタグ犬王見届けようぜ
でつぶやいてください
でコンクラの感想は
ハッシュタグconcraでつぶやいてください
この両方のハッシュタグをつけて
犬王の感想をつぶやくのを
おすすめします
確かに
嬉しいな
見届けようぜ確かにキーワードあったね
映画の中でもね
ってことはもう見届けられないものが多いんだなって思いました
そうだね
でも本当に見届けってすごい不思議な言葉だね
だってさ英語だと見届けるって何て言うんだろう
訳すのか
見届けるって難しいですね確かに
ごめん見届けるってどういう意味なんだ
頭真っ白になっちゃったんだけど
やっぱりその最後まで付き添うってことなんだろうね
見届けるって死んだ人を見届けるとも言うし
何かを確認するっていう意味で見届けるって言うし
すごい日本語で便利だね
最後まで見るみたいな
英語にはないね一応
今考えたけどないと思います
一言でないっていうか文章では言えるけれど
若干の粘着質な感じもする見届けるっていう文化を持ってる
日本ってやっぱいいなって思いますね
この長いエピソードを最後まで聞き届けていただいた皆さんにも感謝を申し上げます
編集で幾分あれにする
といったところで
51:01
今日2回にわたってお送りしてきた犬を飼いここまでということで
こういう工芸をテーマにしてっていうことではやってますけど
こういう今やってる作品とかを交えながらお話できる
そもそもこの3人工芸師の勉強したのって
海君ぐらい言ったら
でもやっぱり共通点は音楽が好きとか映画が好きとか
アート好きとかなんか工芸が好きっていう共通点で集まってる3人で
実は専門家ではないから
だからあんまりもう完全に工芸の話しかしないでくださいって言われたらちょっと困る
困るよね
確かにそう思います
という感じでまたいろんな話でいきましょう
ありがとうございました
ありがとうございました
52:09

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