1. Cra出しRADIO 工芸とカルチャー
  2. S1 ep18 映画『犬王』を観てカ..
2022-06-28 42:58

S1 ep18 映画『犬王』を観てカジュアルに能の話をしよう 犬王見届けようぜ編(前編)

spotify apple_podcasts amazon_music

歌舞伎を初めて観劇して、それについて何か話したいけど知識ゼロの海・志保、能は結構観てるけどやはり話せる程の知識のない岩田、そんなところに登場した能楽師と琵琶法師を主人公にしたロックミュージカル映画『犬王』。犬王的なアプローチなら結構カジュアルに能の話とかできるかも!という訳で、映画『犬王』を入口に日本の伝統芸能についてなど話してみましょうか。

今回の話題:
歌舞伎とか能とか伝統芸能について話をするには知識がなさすぎる3人/能って死者とチャネリングする話?/湯浅政明監督の映画『犬王』を観て勇気づけられ能の話などをしてみる/ほとんど記録の残っていない犬王(道阿弥)という能楽師/『映像研には手を出すな!』の主人公・浅草に共感/既存のスタイルからはみ出した犬王と友魚に合わせて映画のリアリティラインが変化/古今東西のダンスからのリファレンス/ダンス=芸能以前の生命感/大陸から入ってきた散楽/いろんな芸能を総称した猿楽/「猿楽の能」が現在の「能」に/大和国から出てきた能楽師観阿弥とその息子世阿弥/現代劇の観阿弥と亡霊とチャネリングする世阿弥/世阿弥が大成した「複式夢幻能」/能のキャスト:シテ・ワキ・お囃子・地謡/成仏できなかった亡霊がひとしきり自分の話を聞いてもらって成仏する複式夢幻能の基本ストーリー/能を寝ずに観劇できたことがない/観客の脳が安らぐ舞台を作り上げるのも演者の望み?/能って何言ってるか分からん/能って超遅い/能より狂言の方が導入のハードルは低い?/ネガティブな意味を含みがちな「犬」という言葉/網野善彦の日本中世史/芸能や神事を担った穢多や非人/「穢れ」をビジュアル化した犬王の表現/エレファントマンやフランケンシュタインの怪物との類似性/ハイカルチャーになる以前の能の穢れの面をロックというフォーマットで表現した?/日本の芸能の歴史?京都ローカルの千年史?

劇場アニメーション『犬王』
https://inuoh-anime.com

古川日出男『平家物語 犬王の巻』
https://onl.bz/gUe1zmS

TVアニメ『映像研には手を出すな!』
http://eizouken-anime.com

網野善彦『日本の歴史をよみなおす(全)』
https://onl.bz/ugf7mXQ

ConCraプロジェクトの詳しいコンセプトは公式サイトへ。
https://concra.jp

そしてここに掲げているコンセプトのもと、実際にモノを作っていこう人が集まるオンラインコミュニティであり実験場 ConCra Collective(コンクラコレクティブ)が2022年3月1日にオープンしました!
興味のある方はぜひお気軽に参加してください。
https://basic.motion-gallery.net/community/concra/

#concra(twitter)で感想、質問、リクエストなどお待ちしています!

パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

00:01
CRA出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、様々な工芸技術で生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメンバーが、
分かりたいけど勉強しにくい工芸について、見たり調べたり、作り手のお話を聞いて、時に脱線しながら、皆さんと一緒に考えていく番組です。
コンクラの岩田です。
ウミです。
シホです。
はい。よろしくお願いします。
よろしくお願いします、今日も。
3回にわたってNFTの話をしまして、前中編がちょっと探り探り話したので、3回目で挽回はできたかなと思ってはいるんですが、
前の2回も割と編集でなんとかなったなっていう感触は、編集担当者としてはそういう体感はあって。
そうなんですよね。聞いてる方にとってはなんのこっちゃなんですけど、岩田さんの編集力がすごいとしか言いようがないという。
いやいや、そんなに大したことはやってないんですけど。
聞き物としてちゃんと筋が通ってるっていうね。
大変だよ。
大変だね。しっちゃかめっちゃかにね、僕らもね喋ってた。
しっちゃかめっちゃかではないんですけど、こうなんとか頑張って説明しようとしてたらなんかちょっとあちゃこちゃ言ったりとか。
これも言っとかんとみたいなので、どうしてもなんか、なんかね、喋ること自体が難しかったっていう感じも。
いやでもなんか僕、個人的にはこのくらだしラジオをやりだして、何かしらテーマを持ち寄って、これについて話しましょうって言った時に、
まず予習としていろいろこう読み込んだりして、なんか喋った後もそれについての興味が、興味のこうなんて言うんですか。
持続する。
そうそうそう。ボルテージが上がってるので、なんかいろいろこうその後も情報をチェックしたりっていうのがあるんですけど、
まあ世の中にはもっとうまくNFTの紹介をしているポッドキャストとかも。
あったりして。
最近聞いたやつでよかったのが、斎藤誠一さんと若林圭さんがやってる、メタバスエットセトラっていう番組で、
リーコトミさんっていう小説家の方がNFTで小説をリリースしましたっていう。
で、なんでそのNFTで小説を発表したんですかっていうこととか、
それによってその小説家っていうビジネスモデルがどういうふうに変わるのかみたいな話とかをしてて、
03:02
まさに僕らも3回目に話したこととか、創作者へのインカムがどういうふうに変わっていくかみたいなところの、
もう本当になんていうか、今まさにそれを実践している方の話とかが聞けるので、おすすめです。
いや、ちょっと聞いてみます。
たぶんあれですよね、プリンスとかも生きてたら絶対NFTで曲配るとかやってそうですよね。
あー、やりそう。やりそうですね、プリンス。
独自にサブスクとかもね、ある前からiTunesとかとは別に配信で曲売ってたじゃないですか、90、2000年代とかね、彼とかもそういう感じですよね。
まだまだこれから面白くなっていきそうですね。
そうですね、本当にNFT、まだみんないろいろ試してるっていう状況だと思いながら、そんな感じのNFT界でしたね。
NFTっていうちょっとね、大物を相手にカロリーを使った後に、次は何の話しましょうねっていうことで、
うみさんとね、やり取りしてて、ちょっとこの間歌舞伎見に行ったんですけどっていうのを、うみさんからあったんで、
ですけど、なんかあんまり知識ないしなみたいな。
あんまりどころか、ほんとゼロ知識だし、そもそも歌舞伎と能の違いってなんだろうぐらいの勢いなんですよ。
歌舞伎はやっぱりでも大衆性がすごいし、能はどっちかっていうと神事に近いイメージはありますけどね。
能は一回だけ見に行ったことあるけど、それもちゃんとなんていうんだろう、能道っていうんですか?
能楽堂?
能楽堂っていうよりはレストラン併設の能楽堂っていう。
そういうか逆に能楽堂にレストランが併設されているみたいな。
お食事とりながら見れるっていう、お酒飲みながらお食事しながら見るっていう感じだったんで。
でもほんと神々しい感じはしたけど、こういうものをレストランのテーブル席で見るっていうのは不思議とか思って。
まあそうですね、その時はちょっとうろ覚えであんまりいかげんなこと言えるんですけど、
牛若丸の亡霊と何か更新するしないみたいなそんな感じの。
なんか基本的にチャネルリングみたいなテーマ結構。
チャネルリングみたいな。
なくないですか?やっぱり使者の人と。
僕はちなみに歌舞伎見たことなくて、でも能は十何回とか結構見てる。
06:04
すごいですね。
と言いながらですね、その海さんから知識ないしなって話があった時に、僕も能は何回か見てるけど知識ないしなと思って。
なんかその日本の伝統芸能みたいな話はなんか掘り下げるといろいろありそうやけど、あまりにも知識がなさすぎるなと思って、これはちょっとすぐにはできんだろうと。
諦めてたんですけどね、半ば。そんなさなかに一つのトピックがポンと出てきて、これは話せるなっていうことで今日収録してるんですけど。
その話があったその週の週末に、僕が今公開中の映画を見てきまして、犬王っていう、
岩澤正樹監督の最新作のアニメーション映画ですけど、これを見てきて、このアプローチなら倉田紳雄で能のこととか歌舞伎のこととか、ちょっとある意味無責任にというか、喋れるんじゃないかな。
もっと気楽に喋れそうだなっていう。
基本全部無責任に喋れるかな。
まあね。
まあそうだね。
一応調べられる限りのことはある程度準備したりはするものの、最終的にはあんまり断定的なことは言えんなっていうスタンスでいつもやってますけど。
犬王が面白かったんですよね。犬王面白かったですっていうのをすぐ海さんに送って、
すぐお二人見に行かれたんです。
すぐその週のうちに見に行って。
犬王って聞いた時に全然繋がらなくて伝統芸能と、犬の王様の話かと思って。
文字通りね。
犬王っていう単語を今日初めて聞いた人にざっくりとどういう映画かをネタバレセントエイドに。
気をつけ、ネタバレ気をつけ。
でもこれネタバレとか、今公開中の、これ収録して公開されるのが、配信が6月の28なので、どうなんやろ、まだ公開してますよね。
ちょっとウェブサイト確認していい?
ロングラインになるかどうかで。ちょうどだから5月の末とか公開やったから。
まだ多分公開してると思うんですけど。
だから公開中の映画に対してネタバレありますよとか言った方がいいんでしょうけど、普通にネタバレしないと話せなくないですか。
09:00
そうなんだ。
ネタバレってどこですか。
基本的にはミュージカル形式で包んでいくんで。
もう東京は終わり始めてて、6月13日までとか。
もう終わってんだ。
まあまあ、普通にネタバレしますよっていうことでいきましょう。
そうですね、ちょっとネタバレ注意っていうことで気楽に話していきましょうか。あんまりリミットかかってもつまんないなと。
犬王っていう映画のあらすじっていうか、大ざっくりお話しすると、まず岩澤正明監督ってアニメーション監督の長編映画で、サイエンス猿っていうアニメスタジオで、
今年の頭からテレビシリーズで平家物語っていうのをやってたんですよね。
それはまあ、底本としてはまさに平家物語の元平の合戦の前後ぐらいを舞台にした話だったんですけど、そこから100、200年ぐらい後?室町時代。
鎌倉時代を挟みますからね。
150年か200年かそんなぐらいですね。たぶん時代的には。あとの南北朝時代を足利義満が終わらせて室町に入るぐらいの。
寸前のとこですよね。
そうですね。そのぐらいの時期の農学史と美話法史の話なんですけど、一番農を知らない人も名前ぐらいは聞いたことあるだろうっていうところで、
という親子がいて、
よく説明されるんですけど、そのゼアミとほぼ同時期に活躍してたとされる犬王っていう農学史が、別名銅網っていう風にも吉光から名前をもらったっていう記録もあるみたいなんですけど、
この犬王っていう農学史を主人公にした映画です。
なんですけど、犬王っていう農学史の作品が現代に一つも残ってなくて、記録もほとんど残ってないので、どういう農をやってたのかって全くわからない。
っていうところを、まず平家物語を現代語訳した小説家の古川秀夫が、平家物語の続編みたいな形で、ほとんど創作で犬王の巻っていう小説短編を書いて、
それを映画化したのが今回の犬王という映画ですね。
っていうのが背景で、ストーリー的には断の浦の近くで漁師をやっていた友那という少年が、安徳天皇と一緒に海の底に沈んだとされる三種の神器の一つが眠っている、
海底を潜っている中で、その三種の神器の一つの草薙の剣を見つけるんですよね。それが元に失明をしちゃうと。
12:11
演出的にはその呪いで父親がブインって抜いた時に目を一緒に傷つけて失明みたいな。
そういう肯定的に盲目になった友那っていう少年と、あと生まれながらにして体の部位がぐちゃぐちゃになってっていう表現でいいのかな。
機系の子として生まれた農学士の息子の犬王。この二人の少年が出会って一緒に農でというか。
一つの芸能というか。
これでも実際に犬王って人はいたんだけど、作品の記録はないけど、いたっていう文献はあるんだよね。
いたって文献もあり、ゼヤミが絶賛してたっていう記録もあるらしいですね。
その時に異形の子だったっていう文献は別にない。
ないです。
だからそこの時点ではもう想像上の創作の話なんだよね。
そうですそうです。という映画なんですけど、いろいろアプローチが面白いところがたくさんあって、
それこそ農っていう言葉も出てこないんですけどね。映画の中でほとんど。猿学っていう言い方をしてるんですけど、
農に全く縁のない人が見てももちろん音楽劇として楽しい映画だと思うんですけど。
基本は僕はなるべく自伝体知識を入れずに行こうと思ってた。もしくは倉田氏ラジオでしゃべるかもしれないというつもりで、
あえて初見の気持ちを感覚として持ちたいと思ってたんで。
ちょっと今聞いて、もし自伝知識があったらここが違ったかもなっていう意味で言うと、
交互役の原作があったかどうかも知らずに見てるっていうのがまずありますね。
なので交互で展開していくんで、その歌も含めて。
そこに強烈なスタンスをいきなり感じるっていうのが体験としてはありましたね。
ビアホシの歌も交互であるっていうところですよね。
最初やっぱり自伝知識がなく見た時に、あ、そういう感じなんだっていうふうに追って思うポイントがそこでしたね。
あと映像研のアニメーションをまず見てたから、
15:02
そこに映像研に手を出すのにすごく個人的にシンパシーを感じてたので。
主人公の監督の、これ小さい頃の私やんけっていう感情輪郵が激しくなって。
本当に行動がほぼかぶってて怖かった。
こういう人世の中に他にもいたみたいな感じ。
自分は記憶ないんですけどね。
お母さんからこんなんで大変だったとか、そう言われると自分で行動してたら記憶がいろいろ蘇ってきちゃって。
アニメーションを見たら。でも私にはああいうプロマネが近くにいなかった。
ひたすらファンタジーを拡大し続ける。
でも同じ監督じゃんと思って見てたんですよ。
映像研のオープニングのチェルミコの曲の、このアニメーションの変なダンスっていうか、
あれの気持ちよさみたいなのが、やっぱりその岩澤監督の音楽劇の中での人間の動きとか、
その気持ちよさみたいなのがすごく感じたんですけど。
ストーリー上は、例えばゼアミがやる芸能っていうものがあって、
ビアホーシの組合の人たちが守ってるスタイルっていうのがあって、
それぞれのところからはみ出した2人が登場するっていう話の流れだから、
はみ出した瞬間の出音が、いきなりロックのギターの音がめっちゃ歪んでる音が、
アニメは琵琶なんだけど、エレキギターの音でバーンって出てくるっていう、
そんな演出が最初結構思うポイントでしたね。
もうこれはこういう風に見るお話なんだっていうところで、
おそらく大友義英さんっていうギタリストの方が弾いてるであろう、
歪んだギターが琵琶を弾いてる音声として飛び込んできたときに、
これはこういう感じで見る映画なんだって思ったんですよね。
最初にそれが思ったことで、それに合わせて犬王って名乗り出す、
鬼系の主人公が踊り出すんですけど、
鬼系の人だから踊り出すから見たこともないような、
なんかまか不思議な踊りっていう風に最初のうちは思って見てたんですよね。
人より片腕がすごく長いとか、
18:04
ある種その本人が持ってるカルマを克服していくごとに、
体がいわゆる健常者風になっていくっていうような中で、
最初に足が2本バンって生えて、
足が動くからもっと自由に踊れるってなったときに、
やっぱりぐちゃぐちゃな踊りに見えたんですけど、
そのダンスの振付がどんどんいろいろ出てくる中で、
そのすべてのダンスが既存の振付があるリファレンスなんだなっていうのを、
だんだん見てるうちに気づいていくっていうのが印象的でしたね。
最後はバレエだし、ハウスの足の使い方だったり、
ヒップホップはもう見ればわかりますけどね、
床を這うように激しくやる振付であるとか、
マイケル・ジャクソンとかね。
マイケル・ジャクソンとかですよね。
そうなんですよね、マイケル・ジャクソンの足とかも、
最初機器系の人がぐちゃぐちゃに踊った表現がこれなのかなっていう風に感じで見てたんですよ。
だけど、これなんかいろんなリファレンスの体の動きっていうものをリミックスしてるんだなっていうのに気づくと、
何か参照物があるんだっていうところで、
監督の意図をだんだん感じ始めるみたいな。
それで次に思うことが、何でそういう意図にしてあるんだろうっていうところで、
僕はなんかやっぱり、いろんな文化史とか、
ダンスって根源的な体を動かすっていう、
人間的な、芸能以前に生命力の表現みたいなところであるときに、
いろんな文化と生命感に対してのリスペクトをここに集約してるのかなみたいなのが、
だんだん分かっていくっていう、そんな体験でしたね、僕はなんとなく。
海さんがおっしゃった、映像が美は弾いてるのに、いきなりギターの音とかドラムの音とかベースの音とか普通に入ってくるっていう、
あそこから完全に映画のリアリティラインが崩壊するっていう感じなんで、
普通に室町時代にこんなメロディーの曲やってんのおかしいやんとか、
そういう真面目なツッコミをする態度で見るもんでは全然ないなと思うんですけど、
そういうツッコミが意味なくなるなっていうふうに思った瞬間がそこだった、大友さんのギターって。
おっしゃるとおり、たぶんすごいいろんなリファレンスが、特に今のカルチャー、
今っていうのは20世紀以降のカルチャーからのリファレンスも結構いっぱいあると思うんですけど、
21:03
ちょっとどんな話からしようかなと思ってるんですけどね、脳の話をちょっと先に。
そうですね、僕も教わりたい部分です。
僕何も教えるっていうことはできないんですけど、最初にお話ししたとおり、
僕、脳は結構何回か見てて、自分の記録してたの遡った2012年に初めて見て、
それから年に1回か2回は毎年見てるので、10何回か見てることになるなって感じなんですけど、
父親が趣味で自由体をやってて、自由体ってわかりますかね。
わかんないですよ。
ちょっとじゃあ脳のざっくりした歴史みたいなのを、僕が知ってる限りのところでお話をすると、
最初は大陸から山岳っていうのが入ってきて、大道芸的なやつ。
演劇もあれば、手品もあれば、人形劇もあればみたいな、いろんな芸能があるみたいなのが山岳っていうのがあって。
山岳って猿岳と違う?
散る、解散の散。楽しいで山岳。それが猿岳っていう風に言われるようになって、
猿岳っていうのもやっぱり人形劇とか舞とか演劇とかいろんなものを総称して猿岳なんですよね。
猿岳の中の脳っていうのが、舞台芸術、物語を語る演劇のことを猿岳の脳って言って、それが単純に脳って言われたっていうのが今の脳に繋がる流れで。
南北朝時代の映画イヌウォーの時代の少し前に大和の国、今の奈良県から神阿弥っていう農学士が出てきて、都で結構名を滞していって、
神阿弥っていう人がやったのは、いわゆる現代劇なんですけど、その息子の瀬阿弥がかなり時の幕府の足利義満からすごく長愛されていたんですけど、
瀬阿弥がお父さんの神阿弥とは別のアプローチで作ったのが、無限脳ってやつで、最初にうみさんお話してましたっけ脳の、なんだっけ、亡霊とチャンネルリングするじゃないですか。
そう、いわゆる脳の中で亡霊と会うみたいな話。あれをフォーマットを作ったのが瀬阿弥なんですよね。
そうなんですね。
24:01
なんか人間ドラマみたいな?
うん。人間ドラマの中でこの世のものではないものと出会うっていう話が無限脳。夢に幻の脳ですね。
福祉無限脳とかっていう、またその中でも形式があるんですけど、それの形式としては、まず登場人物としては脇っていうのと指定っていうのがいて、指定がいわゆる主人公。脇はその主人公の話を聞く人みたいな感じ。
で、脳舞台ってこう、ビジュアルわかりますかね、屋根がついて。
松が書いてある。
松が書いてある四角いところがあって、舞台を見て向かって左側に廊下みたいなやつがあって、廊下みたいなとこから人が出てきてみたいな構造になってるんですけど、
あの舞台の松の絵の書いてある奥の方にまずお囃子の人たちが並ぶんですよね。笛とか太鼓持った人たちが。で、向かって右側に自由隊っていうナレーターですね。
ナレーターが4人ぐらい並ぶんです。4、5人。決まってんのかわかんないですけど。で、まず脇が出てきて、私はどことこの誰々やみたいな。
だいたい旅の僧侶とか、そういうパターンが多いんですけど。で、それがシテと出会って、シテが村の農民の娘とかだったりするんですよね。
とか老人だったり、いろんな話によって違いますけど。で、ここはこういう割れがあって、成仏できんかったこういう人が昔おってみたいなことを話して。
で、なんか一回間があって、で、実はそのシテが、まあ今はその農民の姿を知ってるシテが、その成仏できなかった、もう数百年前の平野何々とかの亡霊だったとか、なんとか四季分の亡霊だったみたいな。
で、それの話をこう、一通り脇が聞いて、あ、スッキリしたって言って成仏するみたいな。
これだって、しほさんが旅人だったらめちゃめちゃ迷惑ですよね。なんか旅先でいきなり怪談話されて、ここに成仏してない亡霊がいるんだって言われたくないですよね。
めっちゃ怖がりだから、止まれなくなっちゃう。
そういうとこからやりとりが始まる話ですね。
基本的に別にでも怪談じゃないんですよね、これ。人情話っていうか。
人情なんだけど、やっぱりその教育的なエッセンスはあるよね。こういう悔しさとかを知ってくれみたいな。
で、その話を聞くことでようやく解放されるみたいなのが、ゼアミーの福祉無限の基本パターン。
27:01
ハッピーエンドですよね、一応。
たぶん僕も全然、じゃあ演目ってどういうのあるのとか言われると、もう本当に知識ないんで。
なんでかっていうと、今ちょっとあらすじっていうか、流れだけ聞くと、亡霊が出てきて、この世ならざる者と対話をしてみたいなことって、あらすじだけ聞くとちょっと面白そうじゃないですか。
なんですけど、僕ずっと寝ずに見れたことないんですよね。
でも、それなんか私たちが最初に見に行った時も、寝ていいんですよって言われた最初から、スタートする前の説明があって、そこはちょっと初心者向けのところだったんで。
リップサービスなのか、本当に寝ていいのかはわかんないんですけど。
なんかでも説明してたよ、音とか脳がすごく安まって、そういうステータスになってもらうっていうのも、演者としてはそういう風なことを提供できたっていうカタルシスみたいな話をしてたから、
寝たかったら寝てくださいっていう風に言ってた。
そうかそうか。
そうなんですね。
そういう話なんですね。なんか岩田さんが毎年見てるんですけど、毎年何かのタイミングでは寝る。
で、なんで寝るかっていうと、まず何言ってるかわからんっていうのが一つ。
わかんないね。
一応だから先になんか冊子で配られて、今回やる演目はこういうあらすじですよっていうのを見せてもらうと、なんか今その単語言ったっぽいみたいなことはなんとなくわかるんですけど、基本的に何言ってるかよくわからんっていうのは一つと、あとめちゃめちゃ遅いんですよね。
歩くのとか超遅いし、喋るのも超遅いし、だから犬王って映画1時間半ぐらいの映画でしたけど、もう1時間半とかの時間あったらどんだけ人が動いたやろうみたいなぐらいのスピード感なんですよね。
しかもなんでこんなに無責任に寝れるかっていうと、父親が自由体を趣味でやってて、実家岐阜なんですけど、京都に1年に1回か2回父親が来て、ちょっと能一緒に見に行かへんかみたいなのとか、父親が発表したりとか、それで見に行くから余計に自分で進んで見に行こうってなってないから。
そんないい加減な態度で本当に演者の方々には申し訳ないんですけど。
いえいえいえ。それがある意味正しいこともちょっと翔さんの話でわかってきました。
正しいのかわかんないですけどね。そうそう。ざっくり能ってそういう感じ。
30:02
だからどっちかというと、わかんないですけど、カン編みの方が僕はほとんど見たことないんですけど、そういう意味ではチャネリング要素がない現代劇だから、入りのハードルは低かった可能性はありますかね。
多分もっとハードルが低いのは表現とかでしょうね。
ああそうか。すぐ終わるし。一応ギャグが入ってる。
そうですね。ギャグベースだし。
っていうことが能の前提としてはありました。
能の前提としてあって、犬王っていうのは能楽詞なんで、当時ああいう今伝わっている能みたいなことをやってたはずなんですけど、映画の描かれ方としては完全にロックフェス的な。
ものとして描かれてる。
だからまずポイントなのが、記録がないからこそそれを描こうとしたら、現代の我々がどういう想像力を埋めなきゃいけないんで、あるいはどういう興味をそこにほとんど真っ白なキャンバスに載せていくかっていうことが大事になってくるわけですよね。
犬王っていう一応実在したであろう人を描くときっていうのは。
犬って人間を刺したり表現するときってあんまりいい意味じゃないじゃん。犬食いをするとかなんか。
ちょっとヒゲしてるっていうか。
わざわざそれをつけるのには何かしらの理由があっているんだろうかと思って。
その映画見たときに異形の子っていう、実際は育ったっていう資料なんてあるか知らないけど、っていう発想だったのかなと思ったりして。
犬に育てられた少年とか昔、やっぱりどうしても普通の日常生活であんまり出会わないような人たちみたいな。
何かしらバックグラウンド的にそういうのを思わせるよね。名前からは。
日本のいわゆる南北朝時代とか室町時代とかって区切りとしては中世っていうふうな呼ばれ方をする時代ですけど。
日本の歴史とかって数十年すると常識が変わったりとか新しい発見があったりとかで、
ど素人的にあんまりこういうものだったそうですねっていうことも言いにくいんですけど。
33:01
アミノ・ヨシヒコっていう、2004年とかにもう亡くなってますけど、日本の中世史の研究者の人が、
80年代とかに割とその日本の中世史の決定的な論みたいなことを出した人だと僕ちょっと認識してるんですけど、
アミノ・ヨシヒコの本とかを読むと、いわゆる芸能をやってた人たちっていうのは批認、得たとか否認とかって呼ばれてた人たち。
汚れが多いって書いて得たとか、人にあらずって書いて批認ですけど、
これは江戸時代以降のいわゆる資能交渉を得た否認っていう、
身分制度をはっきり幕府が設定して切り分けた以前のもう少しそういう階級分けが、
ファジーだった時代の言葉としての得たとか否認。
人にあらずっていうことは必ずしもネガティブな意味じゃなくて、
人よりも高次なもの、例えば神に近いものとかっていうこととか、
汚れが多いっていうのは、人がそもそも持っている汚れを代わりに受けてくれる人とか、
そういう意味合いで神事を行う人とかは、
だから人よりも神に近い人だから批認であるみたいな、
そういう言葉なんだよっていうのをアミノ・ヨシヒコって人は言ってて、
それが今どういう厚、なんていうか、歴史的に常識なのかどうかっていうのは僕もわかんないんですけど、
そういう興味が僕もあったから、
イヌウォンっていう師匠さんも指摘された名前もそうだし、
映画の中での描かれ方としては、
明らかに汚れが体にまといついてるっていう描かれ方ですね。
それを町の人たちとか親とかがあまり近づかないようにしてるとか、
そういう描かれ方を最初。
なんかあれ見たときすごい思い出したのが、
エレファントマンって映画が、映画シーンの中、本当に最初のうちにあって、
ひょうたん、顔がやっぱり崩れちゃってるから生まれたときに、
それで見せるとみんな逃げていくので、
ひょうたんのマスクをしてるっていうのが全く同じなんだよね。
エレファントマンも最初は紙袋に穴開けて、目の部分。
それ取ると化け物だみたいな。
すごいかわいそうな話なんだけど、
あとは映画シーンで遡ると、フランケンシュタインもやっぱり、
もともとフランケンシュタインは人間じゃないけど、
36:02
やっぱり見た目が悪いからいじめられてっていうスタート。
映画のそもそも、それを見て本物だって言って逃げちゃうぐらい、
映画館から人が。
そんぐらいすごい、やっぱり見ちゃいけないものだっていう、
自分と見た目が違うものに出会うと見てはいけないっていうのが、
もともと映画がそういうのを伝えようとしてた歴史を思い出して、
ひょうたんはそういうレファレンスなのかなと思って見てた。
僕が知った犬王の描かれ方っていうか、
そもそも古川秀夫の原作に含まれているものではあるんですけど、
脳っていう芸能が日本の伝統芸能として、
いわゆるハイカルチャーとして、
例えば見に行くにしてもちょっと清掃していったほうがいいなっていうようなものとして、
残っている現代の目から見たときに、
すごく格式の高いものに見えるんですけど、
もともとはだからそういう、
いわゆる世間で穢れているっていうふうに、
詐欺すまれたような人たちがやっていた芸能から発祥しているっていうことを、
今回の映画でいうとそのロックっていう音楽とか、
いろんなダンスとかのレファレンスとか、
そういうもので、
によってこそ描きたかったのかなとかっていうことをちょっと。
ステージングされているマネージャー付きのロックバンドじゃなくて、
むしろストリートから駅前で歌ってますみたいな感じだったもんね。
そうなんですけど、最終的にはそれが吉光っていう権力によって、
被護されて、ソフィスティケイトされて、
今の脳につながる、ある程度の、
ルールと格式がある芸能として、
なっていくっていう、その過渡期に、
その中で揺れ動いた人たちみたいな。
場所自体は京都なの?
風景も京都っぽかったし。
映画の一番最初、現代の街並みが映し出されて、
そこに600年の間ずっと琵琶を弾き続けてた友奈が、
出てきて語り出すんですけど、あれは三条大橋の西詰めから、
東側を向いて撮った時の映像ですね。
だからおそらく、伊能が初めて、
39:04
腕塚っていう演目を演奏したところは、
三条橋の河原だと思います。
だから、僕も岩田さんの、
独豪化に、間奏やり取りしてた時に、
あれは京都ローカルの千年大の話なんだっていう風に、
見た時にまたちょっと見方が変わりましたね。
どうしても、日本全体の芸能の歴史の話で見ちゃったけど、
京都ローカルは、いまだに僕にとっては謎の多い地場というか、
歴史ものというか、
南北朝時代から現代に、創作上無理矢理一気通貫する、
ダイナミズムをぶちまけていく、
そういう話なんだなって思った時に、全然見方が変わりましたね。
そうですね。別に舞台が京都やからって、
僕もそんなにテーマの前傾としてあるとは思ってないんですけど、
ただ、海さんと音楽のリファレンスのことのやり取りをしている時に、
ハッピーエンドっていう名前が出たんですけど、
僕はむしろ裸のラリーズとか村八部がみたいな、
音楽のリファレンスの話で若干盛り上がった時に、
海さんのパッとイメージされた音楽と、
僕があそこから受け取ったものがちょっと違ったりしたので、
その辺の話が意味があるのかっていうところもあるけど。
意味あるのかっていうところを思いながら次回に、もしかしますけど。
私は全然ついていけなかったから、
海君がこれだって再生してくれて、
確かに似てるかもみたいな感じだった。
絶対ことはわかるみたいな。
これを話し続けていきますか。
あと前半では脳の話をしたんですけど、
ちょっと美話法師の話とか、
それも大して僕も犬を見てから1週間ぐらいで、
この収録までに読んだ本とかで、
インプットした程度の話なんで、大した話にならないですけど、
ただ物語を語るっていうことの、
テーマとしての重要性っていうのも一つ、
その中に含まれてると思うので、
42:00
ちょっと後半その辺の話。
だから美話法師の話と、
あとちょっと話したりでない、
いろんな文化的なリファレンスのものの話と。
っていうところちょっと話していきたいなと思います。
はい。
というわけで、
シャープコンクラで感想などお待ちしております。
あとはコンクラコレクティブにも興味を持ったら連絡をください。
はい。
というわけで、また次回もう少し犬王について話をしたいと思います。
はい。ありがとうございました。
ありがとうございました。
42:58

コメント

スクロール