1. Cra出しRADIO 工芸とカルチャー
  2. S2 ep25 本物そっくり!だから..

金属工芸家・須藤拓さんの工房からお届けする連続エピソード。
結局近年の須藤さんの作品の話まで辿り着けなかった前回に続き、今度こそ須藤さんの作品に迫ってみようという第二回は、金属で動物や昆虫の姿かたちだけでなく動きまでを再現する自在置物という美術工芸のジャンルに取り組む中で須藤さんが大切にしていることと、世間での受容のされ方のギャップなどの話に始まり、工芸とアートの向かう先について語り合っていく内容に。
【今回の話題の関連リンク】
美術工房 空心(須藤拓工房サイト)
https://kushin.jp/
【ConCra Information】
ConCra公式サイト
https://concra.jp
誰でも参加できる実験場 ConCra Collective(コンクラコレクティブ)
https://basic.motion-gallery.net/community/concra/
パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保


00:01
Cra出しRADIOは、使わなくなった大切な物を様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ。
ConCRAのメンバーが、工芸を軸に物と人との関係、物を作ることについて皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの海です。
志穂です。
岩田です。
そして、金属工芸の須藤です。よろしくお願いします。
今回もお呼びしております。
よろしくお願いします。
というわけで、やっぱり初回から
ちょっとギア上げ目で
須藤さんとは別にラジオの収録ということじゃなくてもお話しする機会は
ついつい盛り上がっちゃうんですよね
あるから、その延長でというか
いろんな話に花が咲いちゃいますけど
リスナーを置いておいて、俺にしないように
作品作品として何を作っているのかわからない
その話に行かなかった
まずはそこから、前回予告しているので
そうですね、まず
言葉だけながら伝えるのはあれなので
岩田さんにリンクを貼っておいてもらいますけども
先ほどちょっと先週お話したように目の病気になったので
やはり細かい作業ができる間にやりたいという気持ちもあったりとかで
細かいものを精密な造画だったりとか
あとは細かいパーツを組み立てないといけないような作品だったりとか
あとは自在置物とかね
最近ちょっと流行っているので一度作ってみたいといって
虫と同じ動きをする虫だったりとか
魚と同じ動きをする金属の魚の置物みたいなのが
自在置物というのがあるんですけど
自在というのは自由自在の自在ですね
元々はね、それも英語時代かな
甲虫子が分塵として作ったみたいな
重たい鉄で動く竜の置物みたいな
ちょっと遊びてやってみたみたいな
おそらくそうだと思うんですけどね
英語にしたらアクションフィギュアみたいな
自在置物
アクションフィギュアか
確かによくできてるんですよね
江戸時代のものとかでも修理できたりとかして触りましたけど
例えばちょっと難しい専門的な話になりますけど
カニとかエビとか虫とか虫でも甲虫ですよね
03:02
そんなんはね、まだ簡単なんですけど
硬い殻
殻があるものっていうのは作りやすいんですけど
骨の上に肉があるものっていうのは作りにくくて
金属では
柔らかさを表現しづらい
そうなんですよね
関節がね、表面の薄い膜が伸び縮みして
関節のヒンジが見えなくなっているので
そりゃそうだ
そこが表現しにくい
どうしてもそこに
機械感というかね
本来入らないはずの切れ目というか
つぎ目ができちゃう
それを江戸時代の
江戸時代かな、明治時代かな
鯉の自在置物とか修理できたことありますけど
リアルではないんですよね
リアルだとやっぱり表現できないので
リアルなもの
鯉とかウロコってすごい薄いもんなんで
だいたいほとんど平らなんですけど
それを少し丸みを持たせて
なんかぬるっとしているように見せてたんですよね
それがね、すごい
デフォルメって言うんですかね
いい効果が出てるなと思って
そういうとこら辺に工芸家の工夫だったりとか
技術力とは別のチャレンジが入ってて
僕はそういうのまでいきたいなと思って
まず入門編として虫を作ったり
あとは布をどう表現するかなとか
あとはね
僕は作品とかやってて20代の頃に
あなたは作品も頑張っていきなさいって言って
応援してくれてたおばあさんというかね
本当に一般の方なんですけど
その方のご先祖様が明治の万博に
何を出品するかの審査をする審査員だったらしくて
そのおばあ様のおじい様ですね
その審査員仲間から譲ってもらった
江戸時代の名工の横谷聡明という職人がいるんですけど
その職人の作った灰落としっていう工芸作品を持っておられて
私はもう天外孤独だから
これは誰かに引き継がせたりとか
あなたに預けますというので
僕が引き継いでもっているものがあるんですけど
霧株にカニが何匹か止まっているような
キセルの灰落としというものなんですけど
一番最初はね
06:00
それをオマージュをしたかったですね
いわゆる何かの上に
ミニチュアのリアルな
例えばそれはカニでしたけど
霧株にカニがついているみたいなのをやりたかったんで
鉄で作った蜂の巣に蜂がいっぱい付いているみたいなのを
一番最初に作ったんです
その方はなくなったのかどうか返事が来なくなったので
おそらくなくなったんだろうと思っているんですけど
でもやっぱり
本当に若い時の自分の可能性を信じて応援してくださっていた
特に全く他人ですから
そういう方に対して自分が応援できるようになったんだと見せたかったのもあったんでね
だからそれを一番最初に作ったんですよね
その時に外側の金属を鉄で作って
錆びさせて
蜂は黒く錆びる黄金と
山吹黄色に錆びる黄金を作って
それを止めて作り上げたんですけど
金属らしさは消えていくんですよね
鉄って錆びて表面の荒らし方によっては土みたいに見えるんで
泥みたいにも見えるし
むしろマットにしたりツヤ出したりとかをうまくすると
それっぽく見えてくるんで
中は全部銀をはめ込んで銀ピカにしたんですけど
開けると
開けるとメカみたいなのが好きなんで
外と中で表情を変えたかったというか
金属っていろんな表情を持ってて
錆びてるのも金属っぽいし
ピカピカってのも金属っぽいんで
一般の人も含めてみんながイメージする金属らしさって
結構いろんなことがあるんで
それを一つの作品に詰め込んでいくと面白いかなというのが
そういうのも副産物的に生まれていって
そういうことをやっていってるんですよね
そう聞くとアート作品の説明聞いてるのにすごい近いというか
なんでかって言ったら
どうしてその形だったり
そういうテーマとかだったんだっけってなると
伝統でよく使われているモチーフだからですとかじゃなくて
すごく個人的なストーリーがあって
それに対してオマージュがあって
本当にアーティストがそういう作品の説明をしてるのに
あんまり変わりを感じないなと思う
面白いですね
しほさんはそういう風に思う
僕はめちゃめちゃ工芸的に思っちゃうんですよね
09:02
工芸的というよりは
日本画の人とかが
ありとあらゆるものを好物を砕いて顔料にしますけど
そういう話にもちょっと近いような感覚がありますけど
鉄でいろんな色を出すもそうだし
あとはカニのやつは
引き継いだやつとかは
カニの色は銅の2色かなんかで出してたんですか
パッと見てわからなかったんですけど
今の金属よりは精錬度が低いんですよ
わざと何かもうちょっと違うのを
混ぜてたりもするんですね
例えば秘装だったりとかを混ぜてたりとかして
秘装銅とかにすると
すごい赤みが強いんで
そういうのをちゃんと分析すれば当然すぐ
今の技術だったら丸裸にできるんですけど
それ今はまだやってないので
全然別の技法で真っ赤にする技法はあるんで
どの技法を使っているかわからないんですけど
それをなかなか教育するのは難しいかもしれないですけど
そのもの自体は江戸時代にこれを作ったんかというような出来なんです
どういう意味?
まずガスバーナーもなくて電気もなくて
安いとかはありますけど
今みたいな精密なものはないので
ルーペもないので
その中でこれをやっていこうと思うと
全然違う手間なんですよ
これは何というかね
ちゃんとやってるなという言い方があってもわからないですけど
やるべきことをちゃんと完璧に終わらせていくって結構難しいことなんで
それをきっちりやり遂げてる感じはあったんで
言うと本物かどうかの話は出てくると思うんですよ
何でも鑑定談的にこれが本物なのかという話は出てくると思うんですけど
財産的に本物かどうかっていうのは多分大事な話だと思うんですけど
工芸作品的に本物かどうかっていうのはあまり関係がなくて
そのもの自体がよく出来てるかどうかっていうのは
もしかしたら無名の名工の作品に誰かが横谷聡美の名を入れた可能性もあるんですけど
でも全然真汁に足るだけの技術力があれば
あまりその心眼が関係がないというか
そこが少しアートと違うところかもしれないなと
12:06
そこはね
工芸もアート美術工芸になって
誰が作ったかっていうのは非常に大事になってきてるんで
だからより美術的なアプローチが出てきてると思うんですよね
僕自身もやっぱりそれを狙ってはいるので
美術工芸っていう概念っていうのはやっぱりもっと以前にあって
それと生活工芸っていうのは一個じゃない
一色他じゃなくて全然違う
生活工芸の方は
先週も言いましたけど
機械工業とデザイナーのタグとの選択肢の一つだと思って
そっち側だと思ってるんで
アート側になっていく
芸術側になっていくっていうのが目標というかね
だから非常にテーマ性だったりとか
自分が作った時の気持ちとかっていうのをやっぱり大事にはしてるんですけど
だからアートっていうものに対しては
一般の人よりもかなり敬意を持って見てる方なんで
簡単にアートとかって言うなと思ってる
本気のアーティストたちはなんで怒らないんだと思ってるんです
本気の工芸家としてこんなもの工作だろっていうのが工芸ですって言ってるのは腹が立つんですよ
違うって言ってるんですよ
実は結構腹立ってますが
そういうマーケットができちゃってるから
資本主義に対してすごい腹立ってるんだけど
アートの資本主義がいないとやっていけないっていう風な
アートマーケットにされちゃっているところからして
怒りはすごくみんなとか全員じゃないと思うけど
結構多くの人は持ってるが
それを文句言っても前に進めないので
一旦グッとこらえて
違う価値とか違う考え方っていうのを
出したいなっていう風に思っている人は
わりかし多いなっていう私の認識
だからその地材置物の話も
そっくりですねっていう選手の話と一緒なんですよ
本物みたいですねっていうのは当たり前なんですよね
僕修復の仕事してるんで
欠損してるパーツを全く同じように作って
全くわからない味出しをして
直すのを仕事にしてきてるので
それがどれかわかりませんねっていうのは
いいリアクションするねっていうお客さんに対して
それは当然思いますけど
それを納品してお金をもらえるわけですから
ただこれは常々言ってることなんですけど
15:04
本物そっくりですねっていうのは
やっぱりデッサンなんですよね
デッサンの出来不出来と絵の良し悪しって
全く何の関係もないはずなんでアート界では
だけど工芸の方はそっくりですねっていうので
価値をつけていくっていうのは
やっぱり危険だなと思ってて
ただ作風に行き詰まった時に
僕ちょっと画家の知り合いもほとんどいないので
わからないですけど
デッサンに変えるっていうことはあると思うんですよね
考えとしてね
基本にもう一回戻るっていうのは
同じように写実に戻る
模造に戻るっていうのは
工芸化もあっていいんで
その時に地座置物やる
それ以外でもやっぱり
いやここの関節こうなってくれてたら
すごい楽だったのになっていうところも
そんな風にはなってないんですよね
これがもうカブトムシも何虫も
全部腹ばいで動いてくれたら
こんな楽なことないのに
しっかり歩いてくれるんで
そうしようと思ってね
肩関節が一個増えて
肩関節は急に作りにくいんですよ
ちなみにその地座置物って
動かなくても本物そっくりだったら
すごい本物みたいだね
でもいいわけなのに
ただ地材は動く
すごいみたいな感じじゃないですか
実際美術館とかで出てるとき
自分が触って動かせないから
どうやってみんなこの地材置物
すげえって思ってんだろうっていうのが
ちょっともやもやするところ
すげえって思ったとしたんだったら
どこなんだ?
本物みたいなところでしょうね
だから動かない
地材じゃなくてもいいじゃんみたいな
ぐるぐるの永遠のループ
なんだ今の地材置物の人気は
どっか来てるんだろうみたいな
アクション
いやいやだからさっきも言った
須藤さんが先週も言った
これって手で作ってるんですよ
すごいよねが
100周回って戻ってきたっていう
時代なんじゃないですか
そうだからね
僕は工芸がそっちに行かないように
やっぱり自分が何に悩んで
どういう思いを込めて
この作品を形にしていったかっていうのを
工芸化もしっかり話さなくてもいいんですよ
それがあるっていうことは
やっぱり情熱につながっていくんで
それを込めて物を作っていこうよって
マーケティングじゃなくて
それは商品でやったらいいんですけど
作品は情熱を込めて作っていこうよって
そっくりですよねとかじゃなくて
もっと分かりにくくてもいいから
って思ってたら
アーティストはそんなことやってないぞ
と思ってたら
SNSで割とみんなやり始めてて
18:02
そっくりですよねっていう文脈は
アート界でも割とあるんで
価値観として
アートどうしたんだという
それは本当にそうですよね
ベンヤミンと複製絵術の会とかもあったと思うんですけど
やっぱり写真技術が出てきたことによる
アートへの影響ってめちゃめちゃインパクトがあったと思うんですよね
それがなければ
分からんですけど
適当に言ってるところもあるかもしれないですけど
ピカソがダーツ構築してキュビズムで
一回分解して構築し直して
ぐちゃぐちゃになっていくっていうのは
わりかし写真っていうものが出てきて
似ててすごいねっていうところから真逆だったし
あるいは写真では撮れない
現実を超えた超現実っていう部分に行くかみたいなところって
写真が出てきたことによって
出てきた方向性としてはめちゃめちゃ象徴的だとは思うんですよね
今のSNSとかに関して言っても
似ててすごいね文脈がめちゃめちゃあるとして
それすらも
それすらもレタッチしてるかどうかも分からないんじゃないですか
言うたら
スマホの画面見てるくらいの話でしょ
さらに言うと
これはただ僕がちょっと心の声が
盛れただけなんですけど
料理のクオリティが高いとかで
食ってないのにどうやって評するんだっていうのはありますけどね
料理のレイアウトが上手ってことなんじゃない
盛り付けが上手
っていう風に言うと
そうだよね
だからすごいここの料理めちゃめちゃクオリティ高いみたいなのは
シスコとかね食べてないけど
めちゃめちゃ食ったら味薄いってこともあり得るじゃないですか
あるいは
自分の嫌いな香菜が入っとるかもしれないしね
それってさお肉のしずる感みたいな
写真撮る時に料理のわざと
水滴つけたり煙出したりとかして
それで写真撮るとなんか美味しそうに
冷えてなくて出来立てほかほかみたいな
っていうのもあるけど
僕が見たことあるのは味噌汁に砂糖を入れまくって
味噌汁の汁の方も比重が上がるんで
具が浮くんですよ
美味しそうに見えるっていうのを
うわすごいって言って
そうそうみたいな人たちの
ノウハウ
合ってんのかというのは
見せ方は一つ大事で
言うと僕たちの仕事ともまたちょっと違う仕事の
職種の人たちなんで
どう撮るかとかどう見せていくかっていうのは
21:01
僕たちがなかなか立ち入れないくらい専門性が高いんで
技巧的ですね
なんでレタッチだったりとか
そういう話っていうのが
別に意図したわけじゃないんですけど
前回のAIの話から
多分つながってくる話だと思うんですよね
それをこう
みんな何を求めてるのかな
自在置物の写真を見て
すごいこれ手で作ってて
細かくて本物みたいで
しかも動くなんてすごいって感動して
でもそれ携帯の写真で見て
それに対して何をあなたは見てるんですかって聞きたいんだけど
実際にどう動くかっていうのを
例えばだから関節がとか
金属だったら本来だった伸びないものをどうやって
そういう風に作りながらも隠すかとか
そっちの方ってやっぱり自分が動かしてみないと
分かんないし
それでロボティックスというか工業デザインっていうか
インダストリアルな視点も入ってるし
それで見てすげーって言ってほしいぞって思ってるんですよ
だから虫
蜂も作りましたけど
蜂の羽が飛ぶ時って横向きにこう開いてるんですよ
で閉じる時ってこう閉じないんです
こうとか言ったら
平らなまま水平のまま閉じないってこと?
閉じた時って腹部お腹の部分に沿うように
少し羽の地味になってるんですよね
当然広がってた羽が畳まれるんですけど
それだけじゃなくて
体に沿うようにしてなるだけ円筒形に沿ってるような動きになるんですけど
軸をまっすぐに止めてしまうと
普通に平行移動しかしない
重なっちゃう
こういう閉じ方になるんです
左右の羽がまっすぐになってしまうんですけど
羽の地にならないといけないんですよ
だからそこを軸をずらして止めてるんです
少し斜め前に向けて穴を開けて
斜め前に向けて止めた軸をかしめて止めてるんですけど
そういう工夫の方に実はすごい価値があって
それは工芸的な価値でも芸術的な価値でもなくて
ロボット的な工業的な価値なんですけど
それは本当に自己満足なんですよ
24:01
直面が極面だった
五足歩行で走れるロボットを作ったみたいなのに近いのかな
無理矢理なところをちゃんとバランスとか考えて
実際に人間だったら
全く人間のように作った二足歩行ロボットってできないわけじゃない?
そこをあえていろいろその形に近づくために
やった!できた!すげー!っていう感動
だからこういう
例えば一番上の板を作って
その板を乗せて2枚目を切って
そのあと最後裏からその2枚を止めて作ってる金具とかの
一番上の板が欠損してる時とかがあるんですよね
僕らの仕事で来るとき
修復の時ね
要は正規の作り方だと
一回バラさないと直せないんですけど
バラせる位置にない時が多いんですよ
一番上の板だけを何らかの方法で止めないといけないんですけど
その方法って正規のやり方ではないので
考えないといけないんですよ
そこが自分の職人としての売りの部分だし
そこが修復の重要な考え方なんですけど
その時に無理なのか無理じゃないのかっていう検証からすると
大体たどり着けないんで
こうしないといけないんだけど
どういう方法あるかっていうのを
いろんな方法から探していかないといけないんです
何かこのアプローチだったらいける気がするっていうのは
割とセンスが出るんですけど
その鉢の羽をやる時は
軸をずらすしかないだろうなと思ってたんです
軸をどの角度にすれば正解なのかっていうのが
なかなか思い浮かんでこないというので
プラ板を切ってそこに爪楊枝を接着剤で止めて
いろんな角度でどうしたらどういう風な傾向が出るかを探して
見つけていったんですけど
プロジェクトXみたいな感じ
そこを考えずにやめる人が多いなと思って
今時代作ってる人もいっぱいいますけど
羽の角度がね
これあんまり言うとちょっとあれですけど
羽の角度が悪い人がほとんどなんですよ
見た目が良ければ動きがちょっと不自然でも
どうせみんな触ってやらないと
ギャラリーにポイって置いてあって
見た目が良ければ売れるから
写真が良ければいいよねっていう風になってしまうと
僕らはやっぱり実物の方がすごいと思って欲しいんですよね
写真よりもね
工芸家的にはね
27:00
そうなんですよね
だからそこの説得力の部分が残らなくなってしまうと
なんかもう工芸がダメになっていってしまうと思うんで
だからなんか宝石とかって
たまに作りますけど指輪とかね
なんか現物出来上がってみたら
素敵になる気持ちすごい分かるんですよ
これはすごい
これは付けていきたくなるんだろうなっていうのは
すごいよく分かる
物にすごい力があるんですよ
なんかすごい目が行くし
それって本物のダイヤと最近なんだっけ
希少?あれなんて言うんだっけ
リアルじゃないダイヤ
ツワロスキーみたいなもの?
リアルに近いけどそれよりむしろツワロスキーは完全にカットで作ってるけど
ダイヤかっていうのをちゃんと調べて
ほぼ構造的に物としての同じだから分かんない
炭素の結合の
鉱物を人工的に合成してる
それなんて言うか忘れた
人工ダイヤ?
でもそういうことですね
一緒ですよ
綺麗ですよやっぱり人工ダイヤでも
人工のルビーとかも一番いいルビーの色を出して作ってるんで
やっぱり綺麗ですよね
だから天然だっていうのが
ある種の付加価値だとして
なのかっていう話はこれ結構宝石の業界ではありますよね
手作りとか売る用のね
それが一つだと思います
最近ちょっと今のトレンドは私は持ってないんですけど
ちょっと数年前のトレンド
5年ぐらいとかかな
ダイヤかっていうよりはむしろ
いろんな模様が入っちゃってたりとか
クラックが入ってたりとか
自然界で偶然でこの模様が出る石みたいなのがすごい一時流行って
それを身につけている
本当に唯一無二の絶対同じものは二度とないからっていう
下手するとそれすらも将来的には人工で
AIかけてあたかも自然っぽいようなパターニングをして
工場でポイとかできちゃうかもしれない
なったら本当に何に対して価値を見出していけばいいんだとか
ダイヤモンドに関してはやっぱり
ロードサトシュっていうんですかね
途上国の人たちが劣悪な環境で掘らされてたって
30:06
結局そういうのもわかってきちゃったんで
やっぱり人工で作れるんだしそれでいいじゃないかみたいなも
すごい強い意見にもなってきてるし
だいたいいるのかみたいな話もね
そこも工芸と似てるんだと思うんですけど
ただパワーは別に人工ではなんだろうが
宝石のパワーっていうのはやっぱりね
光ってるからね
光り方とか
それって絵画とかですごく写実的に描かれてるやつを見て
本物みたいってそれが手で描かれてるんだって感動と
あとなんかその抽象的なものを見た時に
例えば誰だろうな
今すぐ名前が出てこないぞ
モネとか光を追ってたぞとか
実際にそんな風に見えてないけれども
そういう風に見えていたような描いてあるものを見たりとか
あとは写真
誰だったっけ名前が出てこない
写真っぽいんだけどそれをわざとすりガラスみたいに描く方がいるんだけど
今出てこない
グリッチでノイズがやった風に絵で描く人もいますよね
例えばですけど
なんかそこはかとない感動をするのは何なんだろうっていうのを
いつも絵見てて思うんですよ
最近すごい気になっているのは
ヒルマ・アルフ・クリントだったかな
そんな名前の作家さんが
抽象画なんだけど宇宙っぽい感じの絵なんですよ
それって世にほとんど出てなくて
なんでかって言ったら
自分が死んで30年後まで外に出すなっていう風に
どんな武田信玄みたいな
そういう癖があるんだ
融合を残したからやっと最近出てきた
最近やっと美術館とかでも見られるんだけど
流通してないからもちろん
その国に行かないと見れない
私はしょうがないから写真で見ても
生を見たいなっていう気持ちに
初めて絵でそういう
わざわざ北欧行ってコレクションとかを見に行きたいな
と思っているっていう作家さんがいる
日本画とかは基本的に写真で見ても
なんだろうな
33:01
何の意味もないというか
映画の本編見てるのと映画のパンフ見てるのも
もちろん同じじゃないじゃないですか
剥くとかそういうのも別に
むしろ写真で表現することの方が難しいっていう
弱虫とかびっくりしました初めて見たとき
生で見たとき
白いオウムが光ってるみたいに見えたんで
マジかこれはと思って
打ちのめされましたよね
光ってないのに光ってるように見せるっていうのとかも
技術というか発見
発明に近い
いろんなテクニックを神の裏とかにもやってるって言ってます
文化財の修復の人から教えてもらいましたけど
いろんなのも張ったりしてる
僕も結構日本画の印刷での再現みたいな仕事でして
ある程度予算がそこまで潤沢じゃないことが多いので
限界があるんですけど
日本画の顔料の独特の感じをどう出すかみたいなので
オフセットだけじゃなくてシルクスクリーンとオフセット組み合わせたりとか
オフもここの部分だけ白インキー先に
結構そういう仕事好きなんですけど
絶対好きでしょ今
年に何件かぐらいしかないですけどね
何件かっていいな
今の例えばさっきの自在の話とか
実際に触ってなくてどう動くか分からへんのに
なんで感動するのかみたいなこととかで
やっぱりスマートフォンが一番メインだと思うんですけど
画面の解像度が上がってることはすごく影響してるなと
基本的には多分視覚優位だと思うんですよ
人間の社会生活の目が見える場合にね
なんでその目で見たものに対して感動するっていうのはあるんですけど
感動の位置というかね
結構画面の解像度が高いので
なんか結構見た気になっちゃう
でも多分このスマホの画面で
ダイヤモンドの輝きの感動みたいなことは
どうやっても伝わらないし
日本画のどう絵の具を塗り重ねてるかみたいなことは
やっぱり見ないと分かんない
僕もだから原画を預かって
どう描かれてるのかなっていうのを見て
それをある程度シミュレーションするように
印刷の方法を考えるみたいなことをやるので
それはねだから
画面で見るのと全然違うんですけど
36:03
時代の話で言うと
それはそれで仕方がないのかなって気もする
別に動くか動かないかみたいなことじゃなくて
写真で見た瞬間にそれで
おーすげーってなるっていうのは
あとはデッサンって考えた時に
デッサンは周作といえば周作なんですけど
量感を印したい
認知したものを印したいって思うのか
あるいは光がここから当たって
こういう風に陰影が落ちたってことを記録したいのかっていう
視点のその人が持ってる認知特性とか興味とかでも
変わってくるので
そういう同じ石膏で
違う人が描いても違うデッサンがあるように
吉橋というよりはその人が何を認知したかということの
記録って考えた時に
そういう個性を見ていくっていう
マニアックな見方になっちゃうのかな
こういうのはわからんけど
そういうのもあるのかなっていう
だからね単純に驚いて感動したいっていうのは
すごい良いことだと思ってるんですよ
ポピュラーだっていうこと
一般の人が安直に評価を下すことに対して
後ろ向きなような言い方を選手はしましたけど
決してそうではなくて
僕らの側の問題だと思ってるんですよね
入り口はそれだとして
もっと深い部分っていうのは
一体どういう世界観があるのかっていうのを
ポピュラーに走るなら
なぜ一般の人にちゃんと啓蒙しないんだっていうのを
すごい思うんですよね
一般の人が分かりやすいところに合わせて
作り手も作るものを合わせていってしまったら
もう本当にそうなっていってしまうんで
入り口はそれでいいんだけど
より深いところに
誘っていくための仕掛けはやっぱり
しないといけないなと思ってて
だからソリュウガマさんの時に
茶道具を作ってたけど
なかなか生活が慣れてたないって話をされてたと思うんですよ
一般の人向けにいろんな新しいものを作って
売って今結果が出てきてるって話は
すごいいい話だと思ってるんですけど
ただ反面ビジネスなんで
ビジネスって結果論なんで
多くのビジネスマンが成功体験を掛かってると思うんですけど
偶然上手くいっただけだと思ってるんですよね僕はね
何かしらの根拠があったのかもしれないですけど
それで結果的に上手くいったから
語れるようになっただけであって
何かしらの意味があるとは思ってないんですよ
39:01
その人の成功を後から追った人間がやったとしても
上手くいくとは思わないんで
だから僕はどっちかというと
あの回を聞いてて
なぜ茶道具を作って
ないない作ってるようなところが
なぜ生活ができないような状態を
変えるほうに世の中は動かないのかという
どうやったらその茶道具を作っているだけ
という言い方がちょっとあれかもしれないですけど
茶道具を作るっていう立派な活動で
生活を成り立つように世の中を変えていくには
どうしたらいいのかっていうのも
合わせて考えていかないと
茶道具が食べれないビジネス
工芸も食べれない
だからなりわえとして
一般の人に向けてこういうのを作って
やっていきましょうよって思って
考え方としては一つの正解ではあると思うんですけど
ただそれがいいよねっていう話については
それは違うと思ってるんです
どうやったらその人たちが食べていけるか
僕自身もその美術工芸の作品で
僕は別に修理とかの仕事も楽しんでやってるので
全然それは僕はいいんですけど
僕の後輩たちが美術工芸を本気でやりたいっていう時に
やはりこの道は正解じゃないんじゃないかっていう
先週話したように
自分の人生がつまらないものになるごとにだけ
覚えてる若者だったら
もう心配せんでいいって言えるんですよ
楽しいからって言えるんですよね
経済的な破綻も心配してる若者には
堂々とはなかなか言えないんですよ
この道は楽しいぞということしか言えないんで
そうじゃないようになっていくにはどうしたらいいかっていうのを
ぜひこういうラジオを聞いてる人たち
もしくはこういうラジオをやってる人たちに
一緒に考えてもらいたいなって気持ちがすごい強いんです
アートにも同じ問題があるけど
やっぱ女性菌が圧倒的に日本って少なくて
それは工芸とか伝統を残すだけのやつもありそうで
まだまだ全然少ないし
現代美術なんかほぼないって言ってもいいぐらい少ない
もう本当に指数えて10個あるかなぐらい
それが全国でみんなで取り合いをしているような状態なんだけど
ただなんでそんなにアートに対してお金ないのっていう風に言いつつも
面白い現象が日本で起きているのは
企業がアーティストサポートするっていうのが結構見受けられるのが
日本の特徴でもある
例えばソニーとかが日本のアーティストじゃなかったけど
42:01
ビル・ビオラっていう映像作家さんに
当時のすごく最高級カメラと最高級モニターを提供するだけじゃなくて
彼を日本に呼んで
厚木かソニーの研究所に1年か何年か囲って
制作を一緒にやってたとか
そんなことをやってた企業っていうのは
当時海外でもあまりなかったから
それすごいなって思ったんだけど
最近それすらなくなっちゃったから
どういう本当に問題だなと思ってて
今ここ京都にいますよと
文化庁京都に引っ越してきたじゃないですか
私すごいいつも何か思っているのは
文化庁っていう庁だから弱いんじゃないかなと思ってて
経産省とかだからポジションがなんで
レイヤーがなんで文化は経済より低いんだよっていうのが
他の国見てもそういう状況ってない
フランスの文化庁じゃない文化省でも
偉いわけですよフランスの文化省も
なるほど
国の財産だと思う
しかもある意味京都に動かしても
初めての事例として庁を動かすとやっても
大丈夫だろうっていう扱いでもあるみたいな
そう言いますね
そうね経産省京都に
中央になくてもなんとかなるだろうって
大阪とかにね名古屋とかに動かしても
ああとかなるかもしれないところ
京都にちょうどいいねみたいな
ブランドとして使ってる
あんまり出なそうな感じありますもんね
そのカード切った時に
確かに反対運動も効かなかったね
もっと力ついて欲しいなって思うんですよ
なんかね統計の仕事やってる後輩がいて
統計なんでしたっけゲームが流行って
刀剣乱舞でした
刀剣女子みたいなのが増えて
何ですかね
刀剣名刀を男性キャラクターに擬人化して
どの刀が欲しいみたいな感じの
おい風吹いてるねって話してたんですよ
その後輩にやったなっていう
そんなに盛り上がってなかったですねその本人はね
これビジネスチャンスですとかって言うんかなと思ってたら
別にそんなっていう感じだった
刀のオーダーは来ない
それは別に関係なく来てる
そっちじゃないんだろうなという
45:00
一般の人により分かりやすくする例の一つだと思うんですよ
何かに取り上げてもらって
例のドラミの題材にしてもらうとかあるじゃないですか
その一つにゲームにしてもらって
それでファンがバーっと増える
それがそんなに喜んでないというか
そんなに別に本気の人たちには影響はなさそうで
じゃあこの人たちは何をして食べていくんだっていうので
その後輩も昔は
ツバの形のペンダントップ作ったりとかしてたんですけど
今はもう刀の仕事をずっとやってて
僕ね刀のこと金属が多い方も多いですけど
あんまりよく分かってないんですよ
どういうことで出ないといけないかとか
ツバの形ってこうでないといけないとか
これが一番ポピュラーな形だみたいな
おそろくな形だみたいなのが決まってるらしいんですけど
そんなの全然分かってなくて
ただ聞いたら当然教えてくれますし
彼らはそういう僕たちが分からない
一般の人なんで当然分からないようなものを
きっちり守って作ってはいるんですよね
よく分からないけど
でもちゃんと守って作ってくれてるんだろうなという
無条件な尊敬があるんですよ自分の中に
これを自分たち美術工芸伝統工芸の人間も
一般の人から与えられてるなっていう感覚はすごいあるんですよね
自分たちが守らないといけないものもしくは
守ってると信じてもらってるものって
やっぱり今塩さんがおっしゃったような文化だし
やっぱり教養だし
今までのそういう美意識っていうのを
引き継いで守っていっている人たちなんだろうなと思ってくれてるんで
そうやって江戸時代の名古屋のものをあなたに託すわねとか
っていうおばあさんが出てきたりとか
っていうことが起こってくると思ってるんですけど
そこにただただ経済理論というんですかね
市場原理だけで今売れるものに変えていくっていうので
本当にいいのかなっていうのはやっぱり心配してるんですよね
それはそれとしてやっていくっていう気持ちは
僕も当然持ってますし正しいと思うんですけど
経営も進めたいんですよね
そうじゃないと守れなくなっていくんで
現代美術もそうですけど果てしなく終わりない経営も
日本だから
須藤さんが目の病気があって分かって
時間がもしかしたら限られてるかもっていう
すごい怖い恐怖不安すごいじゃないですか
48:00
その中で残していきたいという気持ちが生まれたっていうのを
先週おっしゃってて
一旦はとりあえず見えなくなっていくんだったら
細かいものをやっていこうっていうのは
やっぱりそういうものをこの時代でも作れたっていうものを
他の工芸の人たちに残していきたいから
あえて細かいとか技術的な方をテーマにされたんですか
造眼ってことさっき言ってたな
さっきじゃなくて先週言ってたけど
造眼がちょっとよく分かってないし
細かいから難しいんだろうけど
なんであえてそれにしたのかとか
どういう思いがあったかとか聞きたい
まず造眼は初めて聞いた人向けに言うと
掘って埋める
掘って埋める
俺説明下手だな
説明下手なの自分で忘れてた
掘って埋める
すいません造眼の説明で
掘って埋めるんですけど
掘って埋める時に
僕はありって呼んでるんですけどね
内側穴の底の方を少し広くしておいて
はめ込んだ時に中で広がって
抜けなくしてしまう
はめ殺しにしてしまう
接着剤とか何も使わずに
ちゃんと埋め込む
はまるっていうのが技法なんですけど
勝手に溶かし入れてる
溶かすのもありますよ
流し込み造眼とか
溶けやすい金属とか
色が限られてきたりとか
溶かして流す時に
元々の金属が柔らかくなってしまったりとか
そういう問題があって
なかなか使いにくいんで
そういう造眼っていうのが
昔から使われてたんですけど
まず僕が細かい方に行きたいっていう話
ちょっとやや違うのは
これは個人的な話で出ますけど
好きな大きさが10センチぐらいまで
好きなサイズが10センチぐらいまで
あまり大きいものに
気持ちが乗らないと
ワクワクしない
10センチ角の内だったら
自分の10センチの球体だとしたら
10センチの球体に
51:00
表現を込めていこうと思う量が
今まではそれを
どう金属じゃないと出せない作風にするか
みたいなことを考えたんですよ
他の素材で同じシルエットを作ったとしても
金属でこれを作られたら
もうこの形は少なくとも
同じ形を他の素材で作っても
これ以上はいい作にならないなっていうのを
例えば石の作品とかでよく見るんだよ
これ他の素材だったらかっこよくないだろうな
石でできてるからかっこいいんだろうな
っていう作品とか結構よく見て
素材の魅力を引き出し切った造形が好きなんですよね
金属っぽさをより鮮明に出して
金属以外で作ったら
かっこよくならないであろうものを
作りたいっていうのが
若い時にはすごい気持ちとして強かったんですけど
でも色んな選択肢があるわけじゃないですか
その中で細かいっていう
一つの方向性で言うと
金属の細かさまでついてこれる素材って
なかなかないんですよ
持たないんで
今だと薪絵とかぐらいですかね
だから金属のすごい有利な部分だし
可能性がすごいある部分なんですよね
この10センチぐらいの大きさの中に
どれだけ自由に表現するかなって考えた時に
細かさに行くのはかなりのとこまで行けるなと思って
それをやっておきたいな
ここまでなら行けるんだよ
だからさあ若者たち
デザインを開放しようというのを
技術さえ身に付ければ
ここまで細かいところまで行けるよというのを
そういう経緯も作り手に対しての方が強かったですけど
だから自分自身が造眼ができる
穴を掘って物を埋める
一番小さいサイズが0.2ミリだったんですよ
厚みですか?
穴の直径です
0.2ミリ
0.2ミリの穴を
蜂の覆眼というんですかね
0.2ミリにした場合
蜂の一匹の大きさはここまで
巣から削る
それで蜂の大きさが決まるんで
だいたいどういう風に作っていくかとか言って
蜂の巣を
それ写真じゃわからないよ
自在の蜂を作るときって
本物の蜂の死骸とかを細かく解剖して
今言ったのは自在の蜂の話じゃなくて
蜂の巣の形のコールのことなんですけど
54:00
自在の蜂は実寸なのですごい大きいんで
だからすごい楽ちんなんですよね
むしろ
これすごい大事なことなんですけど
蜂の巣の形のコールを作るときに
一番苦労したのは蜂の配置なんですよね
どうやったってリズムが出てしまって
すごい遠感覚に
何度何度やり直しても
遠感覚に並んでるようにしか見えなくて
わかる
後輩たちも造形にうるさい後輩たちも
どう思うって言って
もうちょっと肩を合わせた方が
みたいな
やってんだけど
全然
分かりますよ
まるで動いて
その瞬間だけ捉えたみたいにするには
並んでる感じがもうダメだからっていう
ランダム一番難しい
意味が出ちゃうし並びとか
間が似たりとか
そこにアーティフィカルな
空気感が出ると
総さんがおっしゃりたい
結構しらけてくるっていうような
ことなんだと思うんですよね
ひたすら蜂飼って蜂の巣置いといて
そうなんですよね
見続けて
これここだ!みたいなのを
キャプションするしかない
明治時代の日本画家とかは
そんなこと本気でやってるんで
やっぱりね
明治から大正解合わせましたけど
マティスみたいな作風の日本画の人は
あるいはよっぽどの理由がない限り
左か右か押すの
中足から歩き始めるっていうのを
見つけた時期ですね
絵とは何の関係もないですけど
ずっと見て生物学者に聞いたら
確かにそうですって言って
今の現代の生物学者は
確かにそうですって言って
それぐらい観察して描いてたみたいなんで
そこまでの情熱が本当はないといけないんでしょうけど
なかなかそこにまだ至ってない
須藤さんのさっき話ずっと聞いてて思ったのは
サイエンティストとほぼ変わんないなーみたいな
昆虫学者とか
僕が思ったのが
レオナルド・ダ・ヴィンチって
アーティストなのかサイエンティストなのかとかって
今の視点でわかんないですけど
人間解剖して人間がどういう構造してるのかとか
あらゆる神羅万象を研究してた人ですよね
でも例えばモナリザみたいなものをアートとして
今の人は見るけど
生きている目の前にあるものに対する
全てのものに対する興味というか
それを解剖して再現
シミュレートしたいみたいな欲求
みたいなものが
57:04
彼が残したものにあるなっていうのでいくと
なんか須藤さんの話がすごい
だからアートと工芸みたいなものが
分離してないというか
もともと分離してなかったわけでしょ
だけど分離せざるを得なかったっていうのが
今の現象だけど
私サイエンティストってすごいよく仕事してて思うのは
好奇心の持ち方とか
知りたがりだったりとか
それをしかも伝えたがりは基本同じなんですよね
ただ科学というものが科学として成立して
ちゃんとそれを職業として
食べていけるようなシステムにしたから
再現性がないとダメですとか
ちゃんと記録がないとダメですとか
いろんなルールでさどくしてもらって
これはオリジナリティがありますよとか
そういうのがどんどんどんどんできてきちゃって
それがサイエンスが割と特殊な環境であって
アートがそれやっちゃうと
作品のバラエティがすごく減ってしまうというか
減っちゃうなと思うんですよ
だから違うけれど
基本はあんまり変わらないなと思う
喋っててもサイエンティストとアートとはあんまり変わらない
作品の幅というか選択肢というかね
工芸の仕方とか
そこの部分で工芸家がサボってきた部分は
すごいあると思ってて
ルーティンワークに従うというか
自分はこれが作風で
自分はこれの職人で
これをやっとくだけなんだというような
のに甘んじすぎたというかね
今の自分自身だったりとか
今のより新しい可能性だったりとかっていう風に
やっぱりなかなかいけなかったんだと思うんですけど
そこを
なんていうんですかね
アーティストもややそうなってきてんじゃないかなという
売れ筋の作品を
そうなんですよ
売れ筋の作品を研究してマーケティングをやるっていうよりも
売り方の話
NFTの回ありましたよね
売り方の話
めっちゃ聞いてますやっぱスゴイさん
めっちゃ聞いてます
だから売り方の研究は
それは広告屋さんの仕事なんで
1:00:01
それはアーティストの仕事じゃないよねっていう風にするべきだと思ってるし
才能ならアーティストの周りの人間たちが
そうやって食べていく環境っていうのはすごいことなんで
それするべきだと思うんですよね
それが売り方
それは僕も海さんに見せてもらいましたけど
同じキャラクターの同じ構図の絵の
肌の色と髪の毛の色と服の柄を変えた
絵をNFTで何千枚もあげて
一個一個にもう数百円の値段をつけて売ってるみたいなのを見て
なんなんだこれ
オープンシーンのアリオン
僕はねこれがね
インテリアとして飾らゆるための絵を
そうやって何百万も買えてる人だったら
これは僕は絵芸術家じゃなくて
いわゆる生活工芸を作ってる人と一緒で
インテリアを作ってる人なんで
いいと思うんですよ製造業として
絵が部屋にある生活を提案してる人なんであれば
芸術作品じゃないと本人も分かってると思いますし
インテリアを作ってる人で全然いいと思うんですよね
ただNFTに関して言うと
本当に誰かを幸せにしてるのかという
その肌の色と髪の毛の色と柄を変えただけのやつを
何千万円作ったことで
誰かが本当に幸せになってるのか
誰もなってないならもう
アートに対する挑戦なんじゃないかというような
でもアートに対する挑戦はあるんでしょうね
ただ所有をしているという状態が重要だからNFTって
誰かが所有をしているっていう
俺は買ったその時に
そのタイミングで手に入れたっていう思い
そういう意味では工芸と絡めて
もっと面白がれそうですよねNFTの
アートのありをっていうのは
先週ソウさんが言ってたら
工芸って所有あり機能もんですよっていう意味で言うと
NFTアートで言うと
わりかし所有を前提に語られる部分が多いじゃないですか
それがどういう図像をしているかどうかというよりは
みたいなところがあって
それはなんか面白いというか
所有を概念化した時に
試されることを
たまたまNFTっていうものが流れてきたことによって
いくらでも所有の概念を試したろうみたいな
そういうのはある種面白いと
そこは工芸とアートが大きく違うところで
アートは実験段階でも十分価値があるみたいな
プロセス
そうですね
工芸は実験だっていう
これはこういう実験なんですみたいな
途中段階のものが出されたって
1:03:01
そんなものは目を汚すだけであってね
やっぱり完成形にしたいという
確かに不完成な工芸品って
あんま見たことないもんね
もうちょっとかかりそうだねって思われて
そうなんですよ
覚えられなくて力尽きたかみたいな見方されちゃう
それでいうと展示で
頑張ってる感は別に売りにはならないっていうのが
わりかし健全な利用かもわからないですけどね
頑張ってるとこ映しがちじゃん
さっきNFTって言ったけど
所有の概念がすごい重要なのがクリプトアート
NFTは別に所有されてなくても価値を作ることができる
確かに
例えばどういう人がいつどういう過程で作ったか
とかいうこと自体売れてなかったとしても
その情報も価値というふうに作品できるんだったら
それはそうだし
じゃあ工芸が誰かがこの時代に
このプロセスで作りましたっていう記録が残ってて
終えられなかったとしても
また次の第二世代の誰かが継承しましたよとかやったら
確かにそういうことをテーマにして自分も作品作ってたわ
民主的工芸って
自分でもやってたわ
確かにジョーさんの言う通りですね
昔はそれを100年200年とか記録して残すっていう方法が
手書きの切り箱に書いたり紙に手書きで書いて
それさえももしかしたらフェイクにできるかもしれないわけじゃないですか
やっぱりいまいち信用性がなかったけど
ブロックチェーンのおかげで
じゃあどこまで本当にそういう情報っていうのができて
工芸の新しい価値っていうのが出て
100年かけて4人で作りましたとか
概念とか思いの保存の仕方に工夫ができるとすると
そもそもこんくらいが持ってるテーマにも結構通ずる
あれかもしれないですよね
ただのダイソーの器がストーリーが重なっていくことで
価値に個人差が出てくるかもわからないという話で言うとね
結構いい時間まで喋った
岩井さんが静かになるとどうなの?
ソワソワしてる
そういう嘘を言わないと
そういう体制にはなる
別に話まとめに必要ないですけど
そろそろお時間なんで次のエピソードに
僕もね
1:06:03
いつもゲストの人のお話を面白く聞いてるんですけど
お三方もしくは他の方でも工芸じゃない話を
まあまあされてるじゃないですか
NFTもそうだしポップアートだったりとか
そういうとこはね結構工芸を感じてるんですよね
問題点だったりとか
言い方ずっとずっと言い合いますけど
よく知らない作り手の人の人生を聞いたって
そんなに興味ある?という
僕も第一回のゲストで
自分の人生より何を考えて物を作ってるかとかを
ちゃんと語るべきだったなという
反省を込みで
ここまで聞いて素通りに興味持って
あなたはどんな生き方をしてきたの?
っていう順番だったんじゃないかなという
だからそれよりは
僕はいつも楽しく聞いてますし
工芸をというよりは
今日伺ったのもAIの話だったりとか
工芸以外の話を工芸家がどう聞いて
工芸にうまく落とし込めますかね
みたいな流れがいつもあると思うんですけど
そんなもん全然いらない
それこっちでやるから
聞いてる側が勝手にやってる
あなたが呼んでくれたらその時に
工芸家としては
本当にポピュラーにしたことは
メリットしかなかったのかっていうのを
もっと話してよという
工芸についてもとか思ってたりとかね
例えばNFTはどうなんだとか
AIはどうなんだとかっていうのを
声で来た時に話させてもらうのが
一番楽しいことなんで
だからすごいなんかこう
あまり僕の作風のこととかじゃなくてもいいかな
今ぐらいのつもりね
ちょうどでも須藤さんにいいサジェクションを出してもらったので
次のエピソードが
ちょっと一抹の不安もありますけど
次のエピソード終わるのかっていう
ただ一応予定としては
次の来週がシーズン2の最終回という
つもりで今収録してますんで
ちょっと蔵出しラジオね
ここまでの1年間を総括するみたいなことも
話しながら最後のエピソード
収録できたらなと思いますんで
来週も聴いてください
というわけで蔵出しラジオ毎週火曜日に配信してますので
フォローしておきください
ハッシュタグは
ちがうだろ
ちがうだろ
やめてよ
1:09:09
やばいね
どうしたの?
慣れんことしたらいかんなと思って
COMCRAです
で絡んでくれると嬉しい
あとは須藤さん
こういう人なんだなっていうのが
ちょっと垣間見えた今回だけど
それだから須藤さん聞きたいことがあるんだったら
すごく希少な機会なので
フォームなりさっきのハッシュタグ
COMCRAにいただければ
我々が須藤さんに
こっそり聞いておきます
あとただのリマインドなんですけど
いろいろ喋ってくれた須藤さん
どういう作品を作っているのかっていうのは
概要欄のURLで
空心でやってます
できれば生で見てほしいけどね
携帯とかで
どこで生で見れますか?みたいな話って
生命総ですか?
11月に個展を予定してるんで
来週案内しますので
絶対本物見た方がいいと思う
時空が歪むから見たい
今週もありがとうございました
来週もよろしくお願いします
01:10:38

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