1. Cra出しRADIO 工芸とカルチャー
  2. S5 ep22 音速のセナ、光速のイ..
2025-10-21 56:28

S5 ep22 音速のセナ、光速のインターネット、不測の人工生命に魅せられて ゲスト:Qosmo / neutone 徳井直生(中編)

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徳井直生さんゲスト回の2回目では、AIとクリエイティブをテーマとした現在の活動へと繋がる、徳井さん自身のライフヒストリーを紐解きます。90年代から2020年代までの大きな時代のうねりも感じられるエピソードになりました。


【ゲストプロフィール】

Nao Tokui/徳井直生 @naotokui

https://x.com/naotokui

https://naotokui.net/ja/

「アートとテクノロジーを通じて人類の創造性を拡張する」をビジョンに掲げ、主にアートや音楽などのクリエイティブ領域においてAI利活用の可能性を広げる作品・ツールの制作や企業R&D案件を多数手掛ける。代表作品のAI DJ他これまでに発表した作品は国際的にも高く評価され、ニューヨークMoMAやロンドンのバービカン・センターなどで展示された。2021年1月、これまでの活動にもとづいて、AI技術と人間の関係性の未来像を提示した『創るためのAI - 機械と創造性のはてしない物語』を出版し2021年度大川出版賞を受賞。アーティスト/研究者/DJとして技術と創造性の交わる幅広い世界で活動を続ける。東京大学工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。


【今回の話題の関連リンク】

Qosmo

https://qosmo.jp/

Neutone

https://neutone.ai/

ICC コレクション|《ガラパゴス》 [1997] カール・シムズ

https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/works/galapagos/

ALIFE 2025, 6–10 Oct, Kyoto, Japan | Ciphers of Life

https://2025.alife.org

Max for Live

https://www.ableton.com/en/live/max-for-live/


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誰でも参加できる実験場 ConCra Collective(コンクラコレクティブ)⁠⁠⁠⁠

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BGM: Cradasu | mesco.

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⁠パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

サマリー

このエピソードでは、徳井直生氏がAI技術やインターネットの初期の経験について語り、特にアイルトン・セナへの熱意がどのように彼の道を形作ったかを探ります。また、東京大学への進学とともに彼の興味がどのように変化していったかを振り返ります。音楽、アート、コンピュータサイエンスに対する情熱が語られ、特にDJ活動やメディアアートとの出会いが彼の人生に与えた影響について掘り下げられています。音速のセナや光速のインターネットといったテーマに加え、人工生命とその進化の仕組みについて興味深い議論が展開されます。特にA-Lifeやカール・シムスの作品が取り上げられ、進化を通じて生まれる新しい可能性について考察されます。今回のエピソードでは、アイルトン・セナのプロジェクトやAIに関する仕事の変遷、さらにコズモという会社の立ち上げについて語られます。徳井直生氏は音楽や広告、テクノロジーが交差する独自の視点を提供し、現在のAIの進展に至る道のりを詳しく述べています。音楽とプログラミングの交差点において、MAXやNateなどのソフトウェアがアートやインタラクティブなインスタレーションの創出にどう寄与しているかが語られ、特にコミュニティの力が新たな創作や技術の発展に寄与する様子が描かれています。

徳井の紹介と背景
CRA出しRADIOは、様々な手法で物を生まれ変わらせるコレクティブ。
ConCRAのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの海です。
しほです。
岩田です。
そして、本日も、
徳井直生です。よろしくお願いします。
徳井くんが京都に来ました。
そうだよね。わざわざ京都までお越しやすい。
京都人数にはいいけど、全然…
全然ダメ。
俺らも全然…
今のだったら、AIに京都の人じゃないって言われる。
イントネーションも含めてね。
はい。
というわけで、前回も、newtone から始まる、徳井くんの仕事のひも解きっていうところから、
2週目は、徳井くんの作られ方じゃないけど、
どういう季節でAIとかに行き着いたのかっていうのを、もうちょっとひも解きながら、
いわゆる倉田氏的な聞きたいこともいくつかあるので。
私、いっぱいあるんだけど、
長くしてるからこそ、聞いてないことがあるから、
これをこのチャンスで聞こうと思って。
金沢生れであってますよね。
金沢生れで。
愛するF1とセナ
正確に言うと金沢隣の、今、白山市っていう名前になってるところで、もっと田舎です。
でも、人に聞かれたらついつい金沢って言っちゃう。
そうなんだよね。金沢って言ってたよね。
それは、もともと金沢だったから名前変わったのではなくて、
本当に隣の町で、隣の市で、別途タウンみたいなところです。
名前が珍しい書き方するなと思って。
直近の直とかさ、直だったら分からないけど、直に生きるって書いて直って、あんまりあったことないよね。
ないよね。普通、直木とか、場合によってはただ王とかになっちゃうんだけど。
親御さんの気持ちを想像しますね。まっすぐ生きてほしい。
その通りです。
でも、一説によると、うちの父親がよく冗談で言ってたのは、
本当は得意いくとっていう名前に、生きるっていう字が使いたくて、
生きる人と書いていくとっていう名前にしたくて、
そうすると上から読んでも得意いくとしたから。
名言山田。そんな名前でいいのか。
にしたかったって言ってました。
面白いな。
しなかった。ギリで。
母親が大反対して、絶対いじめられるからやめなさい。
上から読んでもみたいな。
不倫に答え続けないといけない。
そういう人生やだ。
山本玲奈とかで言われそうになるね。
覚えやすいけど。
高原も盛んな石川県出身で、
そこから、普通に言っちゃっていいと思うんですけど、
東京大学に行くわけですよね。
学部とかってどうやって選ぶのかっていうのが当時はあったんですか?
本当は僕、航空宇宙に行こうと思ってたんです。
高校の時、僕F1が好きで。
それも初めて聞いた。
F1が好きすぎて、僕は航空宇宙に行って、
エンジンより空気って、空気の流れをどう制御するかっていう、
そっちに興味があって、
航空宇宙に行って空力の専門家になって、
F1の車体のデザインをやるんだっていう風に思ってたんですよね。
アイルトン・セナ前世みたいな。
セナが大好きすぎて。
そういう風に思ってて行ったんですけど、
東大って、僕最初は京都大に行くつもりだったんです。
うちの親が近いっていうのもあって、京都が好きで、
毎年、多分年に2、3回、京都にいつも来て、
家族で。
家族で。
来る度に、なんていうとこでしたっけ、
百万弁でしたっけ、京大があるところ。
別に親戚いたとかでもないのに、年に2、3回で結構ですね。
もちろん銀格子だって行くんだけど、
最後は百万弁に行って、お前ここに来るんだよって。
何回ついこいもん。
半分冗談だけど。
そんな教育パパママではないので、半分冗談だけど、
よくそうやって言われてたんで、
京大に行こうと思ってたんだけど、
高校の先生に、どうせ行くんだったら、
ロケットもできるかもしれないから、東大の方がいいんじゃないとかって。
好きなことを先生が知ってたから、
それに合わせてって言われた。
ただ、東大は3年で学分が決まるんですよね。
理科1類、2類、3類って。
入学した時は、ざっくり工学系、理学系、医学系みたいな感じで分かれてて、
僕は工学系に行って、そのまま航空宇宙に行くつもりだったんだけど、
ちょうど入学したのが95年で、
Windows 95だったりとか、インターネット元年みたいな年で、
それでパソコンを買って、インターネットに繋ぐようになって、
最初に作ったウェブサイトはアイリトンセンラーのファンサイトだった。
今はないの?
激アツだな、それ。
初めてのサイトじゃない?もしかしたら。
いや、分かんないけど。
95年でサイトを作った人、めっちゃ少ないよ。
日本人でファンサイトは初めてだった説はある?
あり得るよ。
ブラジルの人からメールをもらったりとかしてました。
だんだんそっちの方が面白いなってなってて、
結局コンピューターサイエンスの方に行くことにしたんです。
大学生活とインターネットの影響
すごい風の霧から降ってます。
分かるな、ちょうどインターネット始まった頃に大学行ってたら、
家にネット繋がってなかったとしても、大学で繋がっているじゃん。
最初は大学と大学同士でやり取りしてた。
名前忘れちゃった。
今はウェブサイトってマウスで行ってクリックしてwww.とかやるけど、
ウェブアドレスとかそういうのがなくて、
ない?
ないっていうか、
アドレスバーがないの?
アドレスバーとかそういうのがなくて、
ブラウザが違うのかな?
ブラウザがそもそもなかった。
ないの?
全部リンクみたいなテキストだけだったの。
名前忘れちゃったんだけど、
モザイク?
モザイクとか、
モザイクはほんとかとか?
その前でもめちゃくちゃ、
本当にテキストだけだな。
テキストコンビみたいなので、
ただ単に言ったら、今言うとただのノートのテキストでチャットするみたいな感じだったんだけど、
パソコン通信みたいな。
でもその頃前って手紙しかないし、
それこそ海外の人に繋がるなんてさ、
だってペンパルって知ってる?
文通?
文通。
やってた?
やってないですけどね。
私もやってないんだけどやってると思ってたんだけど、
雑誌とかでしょ?
結構女の子の漫画雑誌とかにペンパルの募集とかさ、
雑誌の後ろの方とかにあったの。
あったね、昔ね。
それがさ、日本語で日本にいる人たちはすぐ出てくる。
海外とかめちゃくちゃ勇気いるじゃん。
顔見えないし。
それが2週間かかってたのが、
数分とかで終わっちゃうとか。
あれだよね、爆風スランプの大きな玉ねぎの下にとか、
ペンパルに合う歌ですよね。
はい。
そうなんだ。
何かの爆風スランプ。
君に会えるとかやって、不動感とかで。
それで君がいなかったっていう歌ですよね。
振られてる。
そうなんだ。
確か、たぶん。
振られてるかどうか分かんないけど、
顔知らないからペンパルでね。
っていうのでさ、すごい勢いがすごかったり、
ジャンプ、リープがすごすぎるっていう。
それに乗るぞみたいな、
その波に乗るぞっていう。
徳井さんがその面白みを感じたのは、
そういう一瞬で世界と繋がるみたいな。
そうですね、もちろんそれはありますね。
それが一番最初かな。
でもたまたまその時に、
ワイヤードマガジンとかの日本版が、
確かあれも96年とか95年、
あ、違う94年か。
とかに出たりとかして、
読むようになって。
で、ちょうどそのぐらい大学入って2年目ぐらいから
DJとやるようになって。
あ、違う3年生か。
どんどん変わっていってるんだけど。
ちょっと待ってそこに行く前までに
ちょっと聞きたいことがある。
普通に大学東大に行きましたって、
今するって言ってるけど、
やっぱ受験大変じゃないですか普通に。
私大学受験してないからさ、
全く想像できないんだよね。
どんだけ大変かみたいな。
まずセンター試験で、
まあ京大も東大もね、
ほぼ1次で満点取らないといけないですからね。
ほぼほぼ。
絶対無理だなって思うんだけど。
主要合教かね。
なんかさ、そこをさ、
頭いいからいけるとかで、
当たり前とか言われちゃいがちな人かなって、
やっぱり今までもそうだったと思うんだけど。
あー確かに。
聞きにくいな確かに。
でしょ。
そこはなんか。
だから。
今頑張ったかってこと?
頑張った感じっていうよりはもう、
勉強普通にできるんでみたいなに見えるんだよ。
あ、そうですか。
そうなんです。
褒められてるのかなこれ。
分からない、褒めてる気持ちで言ってないんだけど。
なんかさ、
その関係。
はい、分かった。
あのね、天才か修才かっていうのでよく言うじゃないですか。
はいはいはい。
東大の人って天才肌の人もいるだろうけど、
どっちかって言うとちゃんと努力の仕方が分かってて、
で、まんべんなくできる。
しかもプランニングも自分でできて、
目標立ててっていうのができるっていう勝手なイメージがある。
計画力みたいな。
そうそうそう。
実効力とって。
でね、なんで思ったかって言うと、
なおくんちゃんと時間の感覚がすごいあるんだよね。
いつも。
あ、そう。
だいぶ遅くした。遅れちゃったけど。
何だろうな、なんか喋ってても、
あ、これからとか言って、
急にスッてこうできるスケジュールが。
私時計とかもしてないし、
あ、してるか。
でもアナログの時計だよね。
だからブーとかなるわけでもないから、
普段どうやってるんだろう。
そこでちょっと、
どういう子供時代だったかっていうのは、
聞きたかったずっと。
なんでちょっと東大の話の前に聞かないと、
時間軸的に。
なんか、しごさん特有のあれですね。
なんか、得意君にこの関係者に聞けないみたいなことですね。
前聞いたことあるのは、
私、勉強好きだったんだろうなって勝手にイメージしてるんだけど。
好きは好きだったんじゃないかな。
あんまり苦だった。受験が苦だったっていう。
なんか嫌な言い方かもしれないけど、
あんまり苦だったっていう思いではないかもしれない。
それは好きなことが割と分かってたから。
これやりたいって決まってたから。
かなぁ。
でも僕、高校入った時、本当に下から何番目だったんですよ。
えぇー。
それぐらいすごい覚えてて。
教育と情熱の形成
金沢大学附属高校っていう高校で、
結構優秀な高校なんですけど、
それですごい衝撃を受けて、これはやらなきゃと思って。
もちろん中学とかはすごい上位だったから、
だからやらないとと思ってやってて、
最後はまあまあ。
まあまあ医大が入った。
おもろいぐらい。
山場上のほうに来たなっていう。
よくある話が、この人、うみくんも新学校行った。
とされてたかな。
自分で言いにくいよね。
中学までは、小学校成績良かった人でしょ?
小学校、中学からダダ下がりですよね。中高で。
それはさ、中学入って、
みんなができて俺はできんってなる人と、
やば、やらなきゃのここで下がる。
僕もやば、やらなきゃでやってた時もあったよ。
でも上がらない人もいるし、
何だろうな、
僕の話をする回じゃないと思う一つですけど、
ちょっと違う情熱に傾けないとっていう感じで、
僕美大に行くことにしちゃったから、
高校からはデッサンのプロとかしてたんですけど、
イメージ的にはフィギュアスケートのトークを
毎日するような感じなのかなって
僕勝手に想像してるんだけど、
勉強は?
いやいやデッサンの。
デッサンは?
フィギュアスケートだったらNHK杯とかで
国内の順番を決めて、
イメージ的にはその上位何番かが
東京芸大に入れるくらいの感覚だったんですよ。
ゲーム的なスポーツ的な。
スピンができますとか、
芸術展、表現展とか。
芸術展、表現展みたいなね。
ショートプログラムの点数が大事ですみたいな。
芸術展は別にあってもなくても
受験の段階ではいいみたいな、
そういう感覚の人でした。
音楽との出会い
でも得意君の回なんでね。
勉強じゃなかったってことは
ゲーム的に面白いと思ってたんですか?
何が面白かった?
単純に新しい知識を得られるとか
そういうのが面白かったのかな。
でもうちの親に感謝しないといけないなって
いつも思うけど、
本当にうちの父親は理科の先生で、
母親は高校の先生で。
勉強じゃん。
家に本がたくさんあって、
いろんな図鑑があったりとか、
しょっちゅう星を見る会とか。
あと、いまだによく教育してるのが
週末になると動物園から電話がかかってくるんですよ。
電話?
そう。
得意さんライオンいらない?とか。
キリンいらない?とか。
で、親に連れられて動物園行って
そうすると、食事中の人は悪いけど
ビニール袋に入ったライオンの生首とかを
くれるわけですよ。
今は多分絶対できないんだと思うけど。
普通に聞いてみなかったですね。
本当にその動物をくれるってことだよね。
何らかの理由で。
死んじゃった動物を
そんなに承知かかってくるわけじゃないけど
それを持って帰って裏庭で
ドラム缶でぐつぐつにいて
多分今やったら近所迷惑で
絶対怒らないと思うけど
で、それを庭の中で埋めといて
1ヶ月とか経ったら骨格標本ができるっていうので
ライオン、ゴリラ、キリン、シバフマン
リス、犬とかたくさんあって
何そのエピソード
香ばしい話ですね。
すごいね。お父さん面白いね。
父親はそういう人なんで
今はもう全部寄付しちゃいました。
掘ったらなんか骨出てくる。
最近なんかそういうニュースあったけど
どっかの中学校の片隅に
キリンの生首が埋まってたよみたいな。
キリンのお父さんだった?
ヤフーニュースとかになって
作りたかったかな。
埋めたこと自体忘れちゃった。
誰かが埋めたの忘れちゃったんだろうね。
まあまあそういうのがあったんで
そういういろんな関心というか
そういうのを伸ばしてくれる。
自然科学の興味みたいなね。
キャンプに連れて行ってくれたりとか
そういうのがよくあったんで
そこはすごい。
お母さんは国語?
国語。
母親は本当に家に本がたくさんあって
自由に読んでいいっていう感じで
読んでたんで。
本があって
僕の親も本すごい
読んでるか読んでないかわからないけど
本いっぱいあったんですけど
僕は読まなかったほうなんで
特育はもうなんか良かったんだろうね。
手に取って何でも読めるっていう環境がね。
これ他の人に言うと結構
びっくりはしないか。
話題になるのは
大抵コンピューターのプログラマーの人って
特に僕らの世代って
家にパソコンが来て
最初ベーシックとかで
プログラミングを勉強しましたみたいな
世代多いんですけど
僕パソコンが家に来た時
最初にやったのは
本を書くっていうか台本を書くっていうの。
劇の台本を書くっていうのを
最初パソコンでやってて
文系理系っていう言い方あれだけど
そういう音楽とか
そっちに結構興味が当時あった。
パソコン来たけど
プログラミングやろうとか全然思わなくて
それよりなんかこれで原稿書けるとかって思って。
劇の台本って結構ね
インデントしたりとかね
トガキとか結構若干テクニカルかもしれない。
劇残ってないね。
ねえ。
まあでも今考えるとめっちゃ
ありきたりな夢ウォッチの劇なんだけど
いいね。
作ってみんなでやりましたね。
なんか変人出てきた感じ。
そうな。
で、なんかちょっと時代を遡り
オーストリアでショウさんと出会うわけ。
すっ飛ばしてた。
いやでもお伺いして
そのDJもやりつつ
コンピュータサイエンスにすごい興味があって
その時まで学生だったもんね。
たぶんそこからメディアートとかに興味が。
大学3年生の時に
それも本当に偶然で
もう本当に僕の人生偶然の
つながりでしかないなと思っているんだけど
学園祭の係を決めるっていうので
僕の学科電気電子情報っていう学科
150人ぐらいいて
その中で2人だけ係を決めるみたいなのがあって
150人でジャンケンして
みんなやりたいの?
いやいややりたくないから
これが平等だろうな
負けた人が
負け続けて最後2人残っちゃって
それもだいぶだね
運の悪さで言うか
それがめちゃくちゃよくて
もう1人残ったやつが
キタニ君っていうDJをやってた
いまだに友達なんだけど
彼もT・キタニっていう名前で
海外のレーベルとかから
もう大学3年生の時にレコード出してた
当時だから
本当にダットテープを送って
それでレコード作ってみたいな
今みたいに配信とかそういうんじゃないから
レコードを出してた人で
たまたまそれで
その係が一緒だったから
仲良くなって
一緒にクラブ連れてってくれたりとか
こういうMIDIっていうものがあって
808っていうドラムマシンが
彼の家にいたら
808とか909とか全部あった
当時今ほど高くない
すごい音楽好きなんだね
それで
じゃあ俺もなんかDJやってみようかなとかって
だからそこでもし負け続けてなかったら
クラブとか行ってないかもしれないし
作ってなかったかもしれないなとか
メディアアートへの興味
なんだろう
インターネット上で
セナコミュは勘弁してたんだろうね
セナファンサイトの第一人者になってた
もしかしたら違う本当に方向行ってたかもしれない
本当に車の方に行ってたかもしれない
それはそれで面白かったかもしれないけど
ラボットはあんまりやらないです
DJとかやるようになって
だんだん音楽とかアートとかの方に興味がいて
ワイヤードも読んで
ちょうど97年にICCっていうメディアートの美術館が
初代って新宿の西新宿にある
ギャラリー
一応でも美術館スペースなんじゃないですか
ICCは
でできた時に
なんで行ったのか全く覚えてないんだけど
たぶんワイヤードかなんかで読んだのかな
こういうのができたっていう
あとあれですね
ICCが機関書出してたかもしれない
インターコミュニケーションセンターで
あれが結構ね
読んでた
ワイヤードは日本版読めないじゃん
海外に行ったら
だけど私もインターネットに出会った94くらい
たまたま当時付き合ってた人が
コンピューターサイエンス学科の人だったから
っていうだけの理由で
ウェブサイトとか作ってて
めちゃくちゃハイスペックなコンピューター使ってて
今思ったら
紫色のオニクス使ってて
高いよあれ
大学がコンピューターサイエンスだから
いらんだろ今思えばと思うけど
すごいなインターネットって
思い始めてた時に
日本が恋しい
日本語が読めるやったみたいな
高かったから本買うのとか
いちいち
公読してたのスタジオボイスとか
プラス千円払わなきゃいけない
フラッシュバックするな
だからワイヤードとスタジオボイスとか
あとICCが出してる本とか
タイプルのように読む
いまだに持ってる
NTTのICC出してた本で
カードがいっぱい入ってて
作品の写真とか
いろんな研究者の方が書いてて
それはシャッフルできないカードは
それが大事すぎて
本物見に行けないから
妄想してたその本を見て
こういうアート作品作ってみたいな
実際に見てみたいなと思ってたら
あるセレクトニカっていうのがあるぞ
ICCみたいなのが日本にもあるらしいぞ
すごい早くて日本のアダプテーション
メディアと
日本憧れみたいな
っていう風になってった
それは石岡さんの場合
イギリスでそれを持ったわけですよね
日本から来た得意君と
最新の情報を持っているのは
日本の人だからさ
インターネットアーティストとか
日本からいるじゃんみたいな
早いんですよね
石岡ちゃんに会ったのが2001年で
ICCができて
最初に行ったのが97年とかで
その時に
本当に一つの作品に
すごい衝撃を受けて
結構それがその後の自分の人生
結構大きく変えたなと思ってて
カール・シムズっていう
やっぱそうだよね
そうだよね
カール・シムズってコンピューターグラフィックスの
パイオニア的な人で
どう説明したらいいんだろう
人工生命の進化の仕組み
仮想生命体みたいなのを
コンピューターグラフィックスで
作るんだけど
彼の面白いところ
彼の作品の面白いところは
彼が自分で生命体をデザインするんじゃなくて
彼は
進化の仕組みを
バーチャルな空間の中に
実装してて
最初はすごい
面白くないっていうか
ただのぐちゃぐちゃの
線でできた
なんか動いてる
みたいなものだったり
全然動けなかったりするようなものなんだけど
徐々に
世代交代を繰り返していくと
すごい面白い動きをしたり
綺麗な
仮想生命体みたいなもの
バーチャルな空間の中で
生まれてきて
インタビューとかの中で
言ってたのは
自分のシステムの中で
こういうものが生まれてきてるけど
なぜこれが
生まれたか自分でも説明できない
AI的な
作り方
今それは
A-Lifeって言われてて
人工生命
あり得るかもしれない
生命の形を
コンピューターの中で
シミュレーションする
それを通して
人工知能の場合だと
知能とは何か
知性とは何かみたいなことを
研究するということなんですけど
音楽制作と研究室の選択
カール・シムスの作品に
衝撃を受けて
たまたま
今なぜ京都にいるかというと
しほちゃんとプロジェクトを
やってるっていうのもあるんだけど
もう一つ今ちょうど
A-Life 2025っていう国際学会が
京都で開催中で
そうなんですね
おととい
昨日か
キーノートスピーチみたいなことをやらせて
もらう機会があって
だからその時にカール・シムスの話を
ちょうどしたところ
なんですよね
なんでカール・シムスの
作品にすごい興味を持ったかというと
さっき言った話で
自分は
DJとか始めて
北谷君に教えてもらって
MIDIってなんだとかっていうのをやり始めて
曲を作り始めて
でも全然音楽的な
創用なくって
楽器僕全然弾けないんですよ
その中でどうやって
面白い音楽作れるかなっていうのを
考えていて
もしかして自分で
このカール・シムスがやったような
システムを作れたら
自分でも想像できなかったような
面白い音楽とか聞いたことない音楽が
作れるかもしれないとかって
なんとなく思ってて
それが
頭の片隅にあって
東大の場合
やる時に研究室を選ぶんですけど
これも本当に偶然で
たまたまその年に
人工生命の研究を
やっている人が
先生が東大に着任する
すごいタイミング
いなかったの?
もちろん人工知能の研究をしている
研究室はあって
って言っても
すごい当時人工知能は冬の時代なんで
人工知能を
やってたのは
年数えるほどしかなくて
たまたま人工知能の研究室と
人工生命の研究室が
一つになって
石塚先生、岩先生っていう
二人の教授の
研究室っていうのができて
ここに入ろうと思って
面白いね
ちょうど時代的に確かに
AIって
何回かブームを
経てるんですよね
何十年前にできたの?
16年
一気にバーって
いくんだよね
ちょうどその時生物学と
コンピューターと
宇宙工学っていうのが
組み合わせあったらやばくないって
言ってた時代もあったけど
それが一気にスパーンって
冬の時代って言われるんだけど
急にお金が
お金生まないねなかなか
それこそ2000年頃で
東大でAIでいった
金子さんとか
そのくらいの時代だよ
ナオ君の時代が
2000年
2000年くらいだから
しかもインターネットが
超もう落ちた時じゃなかった
インターネットバブルが
弾けた
普通あんまさ
音楽やってなかった
選ばない選択だった
かもしれない
卒論を自分が好きなDJとか
音楽でかけたらいいなみたいな
それくらいの軽い気持ちも
あったりはしたし
物好きに
見えただろうね
同級生からしたら
みんな
今の大学生ってほんとすごいなって
話しとくけど結構みんな
真面目じゃない
僕が大学院に入る頃なんて
何も考えてなかった
DJやりたい
あと2年遊ぼうみたいな
そういう感覚の方が
強かった
普通に大学生
エンジョイしてたんだね
でも同じ研究室に
松尾豊さんって
AIの
今も顔みたいになってますけど
松尾さん僕の2つ上の
同じ研究室の人だったんで
松尾さんの場合は
本当にずっと
冬の時代からAIの研究
ずっとやってるので
当時からすごい先輩
頭のいい先輩っていう
印象があるんだけど
先輩で
そういう先見の命がある
とかで
やってる人が
東大だからさ
いるんだよなと思った
将来の就職とか
デジタル音楽とコミュニティ
推薦書を書いてもらえればいいや
とかじゃなくて
好きでしょうがなくて
冬だろうが何だろうが関係ないっていう
これってことをやる
マイペースにやってる人が
先輩にいるっていうのがいいなと思った
なんとかなるかなって
思ってたところもあるのかもしれないけど
ただやっぱり
研究室の中でやっぱり
みんなやってたのは
何かの最適化の問題だったり
予想の問題
とかだったりするんで
音楽やってたのは僕だけだし
でその音楽やってた時に
ちょうどアルスに
それはワイヤードで
見たとか
何がきっかけ?
えっと
どこだろう
ちょうど
そうだ
渡辺純司君っていう
NTTで研究者やってる
人がいて触覚の研究
とかやってる人で
純司君と
中の弾みで仲良くなって
学科は違うんだけど
で純司君が
ダンスのパフォーマンスを手伝ってる
センサーを使って
今から考えるとすごい簡単
あれなんだけど
センサー使って何か
ダンサーの動きとか足の圧力とかを取って
それで照明とか
音を制御するみたいな
そういうプログラムを作れる人探してる
みたいな話で
私だったらやるよって言って
でその講演が
アルスであった
なるほどね
もうちょっと遡って言うと
えっと
話長くなっちゃうかもしれないけど
長くしてください
終始の研究
卒論の時は
まだ音楽やりますとか
ってできなくて
割と硬いアルゴリズムの研究をやって
終始で本当好きなこと
やろうと思って
人工生命的な考え方と
ちょっと今のニューラルネットワークを
組み合わせた
作曲システムみたいなものを
作ったんですよね
で本当に
MIDIを
生成するMIDIっていうのは
学分の情報みたいなもの
デジタル化したものなんですけど
MIDIを生成するような仕組みを作って
でそれを
ゴリゴリ
C++で
書いてて
一音出すのに本当
1ヶ月くらいかかって
だってC++
音楽やる人って
出会わないよね
たぶん私なおくんが
一番最初のそういう人かもしれない
実はMAXっていうプログラムが
あって
今MAX4LIVEって言って
エーブルトンライブとかに入ってる
MAXっていうのがあって
MAX使ったらすぐできるよって
北谷くんに
教えてもらった
MAXを使い出して
本当に30秒でできた
30秒が
1ヶ月の30秒か
でMAX
界隈の人たちとか
ちょっと仲良く
オンラインで
掲示板とかがあって
質問したり
まだ当時エーブルトンとかに
導入されてたわけじゃないから
ユーザーもすっごい
少なくて
その頃イアンマスで
やってたワークショップ
とかは参加はして
参加した
ダイト君はそこで
ダイト君は僕が行ったときの
前の年にいたみたいで
そこでは会ってないんだけど
あの
今の僕の
コミュニティの友達とかは
そこで会ってて
今九州大学で
準教授やってるジョー君とか
いろんなデバイスを作って
作品作ってる堀尾寛太君とか
そういう人に会ったりとか
あと一番面白かったのは
ヌジャベス
って知ってます?
ビートメーカー
今ローファイヒップホップとか
ローファイヒップホップとか
って言われてる
本当はヌジャベスがやってたのはローファイヒップホップじゃないと
僕は思ってるんだけど
結構
レジェンダリーなヒップホッププロデューサーで
残念ながら2009年に
亡くなっちゃったんだけど
たまたまMAXの勉強会行ったときに
隣に
僕の隣にたまたま座ってたのがヌジャベスで
そこで話して結構仲良くなって
日本人
セバジュンさん
っていう
みたいな
一緒に曲作ったりするようになった
みたいなのがあったりとか
まあまあ
そういうのもあって結構そこで会って
いろんな人があって
サワイタイジ君っていう
出たね
ここで登場です
なんとなく避けてきたけど
避けずには来れなかった
絶対出てくるだろと
出てこないと
私となおかまず出会うのが
だいぶ後になっちゃうからね
でまあ
サワイ君が
本当にすごい
アーティストで
彼はMAXをゴリゴリ使う人で
順次君のダンスパフォーマンスを
僕とサワイ君で手伝って
それで一緒にアレスに行くって
ようやく
すいません
一人で回収してます
なんか
日本の
ダンスパフォーマンスの
ゴリゴリのできる人たちが
来てるなみたいな
風に見てた
突然
サワイタイジ君に
しほちゃんって言って
自己紹介してないのに
あの
夜飲み屋さんで飲んでたら
急に声かけてきて
セナのプロジェクトとコズモの始まり
なんで私の名前知ってんだろうと思って
飲んできたのね
しかもフェス終わりの
そしたら実は
彼自体がポータブルコミュニティ
っていうのをベッドでやってて
それの一緒にやってた男の子が
前の年にアレスに来てて
私その子とめっちゃ飲んでた
っていうことが分かって
来年
今年アレス行くんだったら
福原しほっていう日本人の女の子が
その子
アレスに何回も来てる
私たぶんアレス3回目ですみたいな
どこのバーが
ビールうまいとか
料理はこれがいいとか
知ってるから
バスここに乗ると近道だ
知ってるから
行ってた方がいいよって言われてたんだろうけど
サワイタイジ君
全員日本人っぽい女の子に
全員にしほちゃん
ずっと違う違う
って言われて
最後の終わりの方に
しほちゃんでしょ
みたいな感じで
消去法で
だからロンドン
イギリス来るって
その後ね
ロンドンじゃなかった
ロンドンでライブが
あったんだよね
ちょうど
MAXを使うようになって
サワイ君はサワイ君でポータブーコミュニティー
僕は僕で
自分でMAX使った曲を作るようになって
プログレッシュフォームっていう
レベルから
曲をリリースしたりして
そこの繋がりの人で
ロンドンで
ライブを
なんでロンドンでやれることになったのか覚えてないんだけど
ライブやることになって
ちょうどアルスもあるし
アルスでオーストラリアに
入ってそこから電車で
アムステルダムまで
行ってみたいなそういうのを
計画して
結局ロンドン行って
ブライトンに行ったのかな
ブライトンにサワイ君の友達がいて
またロンドンに戻って
結構過酷な旅行だよね
いやでも楽しかったよね
移動がめっちゃ多くて
サワイ君はやっぱさすがだなと思って
結局アルスの
パフォーマンスは
前の日リハーサルの時に
ダンサーと
喧嘩になって
当日来なかった
確かに
本番来ないみたいな
何のためにオーストリアまで
しかも凛津って
別に全然普段何も
ないじゃないんですよ
ウィーンみたいな街じゃないから
去年の今頃はアルスについては喋りましたけど
電車乗らないといけない
そんなとこまで来て
仕事を果たさない
はずなんです
サワイ君のこと知らない人からしたら
どうでもいい話で
やりそうだなっていう感じ
残念ながら
この8月に
亡くなってしまって
急にね
サワイ君がいなかったら
多分ここも繋がって
どっかで会ってただろうけど
多分
数年遅れとか
でもあれですよね
大学出た
得意君は
コズモっていう会社を
立ち上げるわけですよね
その後
大学出たものの
右の曲説ありの
2009年に
サワイ君と
コズモ立ち上げる
っていう話になって
多様なプロジェクトと音楽アプリ
血迷ってるんじゃないか
ってちょっと心の中で
思ってたけど
法人化が?
サワイ君とかっていう
ナオ君は
法人化は全然驚かない
リスナーに分かりやすい
言い方ないのかな
ちょっとハチャメチャなキャラと会社作るのって
大変じゃないですかって言いたいんですよね
ハチャメチャどころじゃない
ハチャメチャっていう度が
超えてるから
福原さんに言われたくない
私に言われちゃうんだよ
ってことでやばいよというのをさせてください
コズモという会社は
一番最初の独居さんのご紹介で
AIのことを
されてるっていうのは
コズモという会社のご紹介は
しましたけど
立ち上げた時から
AIを何かしらの
その事業
全然考えてなくて
当時AIは冬の時代だし
まだ今みたいにディープラーニングもない
時なんで
最初は本当に色んなことをやってて
広告系の仕事とか
あとはスマートフォンのアプリとか
作ったりとか
そういうこともやってましたし
サウンドインスタレーション
っていうか
企業のショールームの
インスタレーションみたいなことをやったりとか
それこそ
沢井くんの
広告
広告の仕事
それになるんだと思うんですけど
沢井くんの1個すごくいい仕事として
アイルトンセナのプロジェクトとか
セナの
ホンダの
ウェブ広告だったんですけど
アイルトンセナの
鈴鹿でのファステスラップを
音と光だけで表現するっていう
すごい無謀なプロジェクトを
やってて
大きいもんね鈴鹿
そこに何百台も
スピーカー並べて
走ってないんだけど音で
走ってるかのように
っていうそういうのを
沢井くんが中心になって
やってて
まなべ大人くんとか
菅野川くんとか
相当あるメンバーが
関わってるんですけど
そういう面白いプロジェクトも
やってたし
個人的にはアタリーティネージュライオット
っていうバンドがあったと思うんですけど
それの
衝動
10代の衝動を表現するアプリを
コズモになった頃に
作ってた気がしますね
タイニーライオットっていう
アプリを出してて
何の役にも立たない
ただこうやって振ると
携帯を振ると
すごい
なんて言うんだろう
アタリーティネージュライオット的な
デジタルパック
暴動を起こしてるような音が出る
音と光が出る
当時そういうアプリ
ダメじゃないけど
よく通ったね
新しいアイフォンが
みんな持ってない時期に
言ったら
シンプルで
見方によってはくだらないものが
痛快だった
その頃のアイフォンのアプリの
審査
厳しくて
無駄にバッテリー使うとか
最初の頃はまだ甘かったんだよね
だから
ビールの
画面が出てて
飲むと傾けると
だんだん減っていく
加速度センサーで
しょうもないね
そういうアプリ
そういうのがランキングの上に来てる
まだやっぱり
新しいテクノロジーって
加速度センサー
入れたはいいけどどう使っていいんだろう
みたいなのを
みんな模索してて
まだ今みたいにソーシャルネットワークとかも
ない時代だから
だから結構そういう面白い
一発ネタと言えば一発ネタなんだけど
AIとデータ解析の発展
そういうアプリが結構あって
初期のコズもそういうイメージ
一緒にやってたの
エキソニーの戦国
エキソニーも
メディアアーティストとして活躍してる
そこも
アルスで出会ってて
2001年
25周年だってこの前
やいちゃんと喋ってたんだけど
ってことは2000年だって
だからなんか2001年
やばいよね
私の
日本に憧れて
でも帰るに帰れない
みたいな状況になっている中で
濃い人たちにたった数年で
全員会ってるっていう
やっぱ
さっきのMAXの勉強会も
岐阜の山の中で会ったみたいなことと一緒で
わざわざ
アルスまでまだ名前が
そこまで知られてない
タイミングで
日本から行くとか
イギリスから行くとかって
そういう
気概っていうか
だいぶだよ
イギリスから行くってまだ
そんなに遠くない
北海道行くみたいな感じ
2時間くらいの
行けちゃうんだけど
飛行機乗って電車乗れば
日本から来てるって
相当物好きだなって
そこが
フィルターになってるから
今はもう企業の
サラリーマンの人とかが
みんなで団体で行くような場所に
ちょっとなってる部分もあるけど
コスモのお仕事が
今のAIに
つながっていくのは
時期的には
そうですね
AIとは言わないまでも
AIの前ビッグデータとか
って言葉が流行ったと思うんですけど
2011年くらいから
データ解析するとかデータビジュアライズする
みたいなプロジェクトとかは
ちょこちょこ入ってくるようになって
AI関係の仕事が増えて
いったのはやっぱり
そうですね
AIDJは最初
趣味じゃないな
自分のアートプロジェクトというか
パーソナルのアートプロジェクトとして
やってたんですけど
それがさっき言ってたみたいに
ユーセンさんとかバイオニアDJさんとかに
使ってもらえるようになったり
とかしてて
だんだんそういうAIの研究者だったり
エンジニアが
チームに増えてて
どんどんそっちの方に
シフトしていったっていう感じ
個人的に結構重要なのが
2021年
あれですよね
チャットGPTとかミドジャンに出る前の
まだみんながNVIDIA
っていう言葉を知らないときに
NVIDIAのGTCに
呼ばれてワークショップとか
やってますよね
あれが
わりかしもうAIに振り切る
ノロシのような
個人的にはそういう印象を受けてました
もともと
生命的な情報
とかを
研究してるって大学のとき
知ってるしそこに音楽を
やってる人は珍しかったけど
ずっと
ずっとやってるわけだよね
大学は
パリに行ったりもしてたじゃん
そのときに結構
広告的なことってやっぱり
研究
だよね
音楽の
研究を
ソニーのコンピュータサイエンスラボ
っていうのが
CSLって言われる
東京とパリにあって
アートと技術の融合
大学院のときにずっとインターンしてて
その延長で
パリに行ったって言うと
すごい聞こえはいいんだけど
卒業したはいいけど
就職決まんなくて
決まんなくてってかあんま探してなかったんだけど
真面目に
難しいよね
他の人があんまやってないことで
就職ってどうやるのって
どうしようかなと思ってたときに
しばらく来たら
みたいな風に言ってもらえて
行きますみたいな
アタースも
MAXの人
イメージ私あるから
パフォーマンスアーティストでもあり
サウンドアートの
研究者で
オランダで出会った
やけに日本人
っぽくない日本人って
私に言われたくないだろうけど
いるなぁと思って見てたら
めちゃくちゃ
兄貴っぽい感じなんですよ
日本以外で出会った
日本人の絆強そうですよね
彼がワークショップやってた
MAXの
マックスに
出会ってて
私も気にはなってて
もらったけど
もらったパッチとかを
いじってなるほど
こうやると音が出る
わからんみたいなときに
アタースさんがハンドオンのワークショップ
やってたんで
いいなって感じ
僕も友達がMAX
コピーして
コピーはいけないと思うんだけど
アドビデスラーコピーして
使ってた時代だったから
今できない
そういう時代に
MAXに全く親しめずに
いた人では
昔映像をやってたから
音楽っていうので
MAXじゃなくて
映像をインタラクティブに
やるために
コード書けないから
スクリプトぐらいしか書けないから
箱にひもつけて
ピンってなるね
MAXっていうのを
リスナーが全然わかってない
オランダのサイクリング
何だっけ
74
っていう名前の会社
若者が作った
ところから出た
ソフトウェアなんだけど
一応マインドは
すごくオープンソースな感じだったんだけど
一応パッケージで
買ってダウンロードしてください
それは
今までは
文字だけ
コードって
ナオ君みたいに
プログラミングできますよ
C++って難しい
できる人には
めちゃくちゃ簡単なんだけど
私みたいに文字見ただけで
頭がむちゃくちゃになっちゃうような
人には
めちゃくちゃハード高かったんだよ
だけどインタラクティブな
インスタレーションやりたい
何かが起きたらこうなるみたいな
音が鳴ったらこっちでも鳴るとか
センサーつけて
こっちになったらトリガー鳴るとか
人に頼むのが
苦痛すぎるから
そんなことをやりたくてしょうがなかった
私ディレクター
違うのに使い始めて
マックスの方がもっと
自由だって分かって
そういう
コミュニティがあるっていうのを
そうしたら日本人が
めっちゃそこでコミュニティできてる
早い日本早い
当時のマックスの
インストール方法のリファレンス探すと
イヤマスのサイトまだ
あってそこに行き着くんだよね
マックOS8.6aの
マックスっていうのは
もうちょっと説明すると
ブロックを繋げていくと
それでプログラミングができる
そういうものなんですけど
ボタンとかがピコピコ
赤く光ってたりすると
このリズムで
鳴るんだなとか
分かりやすかった
すごいビジュアル的な感じ
いつどこで
誰がどうしたみたいなのを繋げる
みたいな感じで
昔マックにあったオートミターとか
あんま使う人いなかったけど
ロボットのアイコンのやつとかが
それにインスパイアされてるような
気がするけど
マックスっぽい
そういう感じに
何もプログラミングが難しいな
と思った人でもできるのと
あとコミュニティが
すごく強かった
やっぱDJコミュニティだった
っていうのもあるんだけど
もう一個Nateっていう
ソフトがあって
どっちかそっちにハマってしまった人なんだよね
似てんの一見
だけど
なんかこう
ねどちかっていう女性が作った
Nateの方は
ねずばのおば
そういうネーム言える人
忘れちゃってた
でメールで
メイリングリストがあって
解読が難しい
数字なんだよね
Lが1とかJも1とか
Eは3とか
アルファベットが数字化されてたら
記号化されて
パッと見たら読めないんだけど
だんだん本当に情報欲しいと思って
作れるようになってくる
それで聞いたら
実は7人ぐらい
間隔で作ってたっていうのを聞いて
結構なんか
私ねどっちかかっけーと思ってたのに
実は1人じゃなかった
っていうのは後で分かるんだけど
それがなんか
面白いツールを
面白がってみんな情報交換して
教え合う
自分たち作ってるのもこうだよって見せ合う
だからくらだしラジオって
コミュニティの力
昔ゲストに来ていただいた
進行芸者の三田地さんとかの
話に近いんですけど
3Dプリンターっていうのが
みんなで
オープンソースだった頃に
知見を共有し合って
自分で道具を育てていくみたいな
コミュニティで育てていくっていう感じが
なんかしますよね
このターンは
とにかくしおさんととくいさんの
歴史が長いので
くらだしラジオ的には
AIの話も初めてじゃないし
これから人間が物を
作っていくときにAIってどういう風に
関係性を結んでいくのかみたいなところは
たぶんくらだしラジオっぽい話になると思うので
とくいさんが今に至るまで
しおさんとかうみさんと出会うまでに
何があったかみたいなことは
大体僕も分かりました
次はこれからの話みたいな
ので3エピソード目は
お話を伺っていきたいと
思いますので
今日はこんなところで
次回もとくいさんよろしくお願いします
くらだしラジオは
毎週火曜日に配信してますので
フォローしておきください
ハッシュタグは
コメントください
マックスパッチメッセージ
送ってきてください
来るか
来週もお願いします
ありがとうございました
56:28

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