1. Qiita FM-エンジニアのキャリアを深掘り-
  2. #66 プログラミングは筋トレ、..
2025-08-05 32:40

#66 プログラミングは筋トレ、マネジメントは思考 ~CTOのバランス論~【ゲスト:株式会社一休 執行役員CTOの伊藤 直也さん】

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今回からのゲストは株式会社一休 執行役員CTOの伊藤 直也さんです


<トークテーマ>

・中学生でHTMLとCSSを独学

・「ブログ」との運命的な出会い

・ソーシャルゲーム企業のインターン

・はてな創業期での挑戦

・なぜCTOになっても手を動かし続けるのか?


<伊藤 直也さんX(Twitter)ページ>

https://x.com/naoya_ito


<X(Twitter)ハッシュタグ>

#QiitaFM


<番組へのメッセージはこちらから>

https://forms.gle/K9HyUGy7phDBGpht7

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サマリー

今回のエピソードでは、株式会社一休のCTOである伊藤直也氏が自身のキャリアを振り返り、プログラミングとマネジメントのバランスについて語ります。彼は幼少期からのプログラミングの経験や、ISPでのキャリアの始まりについて触れ、エンジニアリングにおける成長と挑戦の物語を展開します。 伊藤直也氏は自身のキャリアを通じてプログラミングやブログ、はてなでの経験について述べます。特に、ブログがどのように日本で広まったのか、またプログラミングを通じて得たスキルがどのように役立ったのかに焦点を当てます。 伊藤氏はプログラミングとマネジメントのバランスについて、彼の経験と成長の過程を紹介します。エンジニアマネージャーとしての役割の進化や組織作りの重要性を強調し、開発現場での実践的な知識を維持する意義も述べられます。 このエピソードでは、プログラミングとマネジメントのバランスを取る重要性が語られています。特に、プログラミングは筋トレのように継続的な実践が必要である一方で、マネジメントは慣れることで再現性が高くなる点が強調されます。

エンジニアのキャリアの始まり
日本最大級のエンジニアコミュニティQiitaプロダクト開発部部長の清野俊文です。
この番組では、日本で活躍するエンジニアをゲストへ迎え、キャリアやモチベーションの話を深掘りしながら、エンジニアの皆さんに役立つ話題を発信していきます。
今回からのゲストは、株式会社一休執行役員CTOの伊藤直也さんです。
伊藤さんとお送りする1回目のテーマは、プログラミングは筋トレ、マネジメントは思考、CTOのバランス論です。
はい、ということで、早速いろいろお話を伺っていきたいなと思っているんですが、今回はですね、
名古屋さんでいいですかね。
名古屋さん。
名古屋さんのですね、今までのキャリアについてお伺いをしていきたいなと思っております。
なるほど、キャリア。
結構キャリアも様々なことをされてるんじゃないかなと思うので、結構いろいろお話することもあるんじゃないかなと思うので、ぜひよろしくお願いします。
最初にお伺いしたいなと思ったのが、まずキャリアのお話を伺う前に、今の仕事についてお伺いしたいなと思っていて。
今は株式会社1Qという会社で、会社自体はホテルの予約とかレストランの予約を主にやっている会社のサービスですね。
プログラミングの幼少期の経験
そこのCTO、今ちょうど10年目なんですよ。なので今年今年度終わると10年経ったっていうところですけど、それをやってます。
ありがとうございます。
本当に10年の1QさんでのCTOっていうところのご経験もありつつも、その前のところもいろいろあるんじゃないかなと思うのでお伺いしていきたいなと思います。
その次にお伺いしたいのが、キャリアのスタートなんですけど。
いきなりですか。
最初に早速聞きたいなと思ってて。
まずそもそも僕20何年くらい社会人としてのキャリアがあるんですけど、半分近くを1Qで過ごしていて、その手前の10年くらいはウェブ系のハッテナーとか一番皆さんご存じだと思うんですけど、グリーとかその辺にいたっていう感じなんですよ。
ただ新卒では一番最初はニフティ株式会社ってISPなんですけど、最近の若い人はISPって言っても何かよくわかんないかもしれないな。
そうですね。
インターネットにつなぐときにそこの会社のサービスを受けないと、本当はつなげないんですけど、最近はでもWi-Fiとかその辺でみんなつなぐからわかんないですけど、当時はそれにみんな契約して入るっていうそこのISPに入ったっていうのが一番最初なんですよね。
その最初の会社さんはいわゆるそこのウェブ系が違いますよね。
だから本業はインターネットサービスプロバイダーなんで、まだインターネットに接続できてないコンシューマーの普通のお客さんをインターネットに接続するためのサービスを提供するっていうインフラ屋みたいな感じなんですよね。
そうなんですね。じゃあファーストキャリアからウェブ系をやってらっしゃったわけではない。
そうなんです。ただそのISPも当時競争が激化してきて、昔はそのインフラ屋さんをやってるだけでそれなりにビジネスを整理してたのが、僕が入社した当時も2002年とか4年とかなんで、もうISPが淘汰されてきている。
大きいところしか残れなくなってきていて、で大きいところもなんでそのインターネット接続事業以外にもなんかポータルをやって、なんか例えばそこでニュースを提供したり占いを提供したりとかそのメディアビジネスをやって、なんかちょっとその事業を拡大しなきゃいけないみたいな感じだったんですよ。
で僕はなんでそっちのどっちかというとそのメディア側の仕事に配属されてたっていう感じでした。
そうなんですね。じゃあこう会社としてはメインとしてウェブ自体をやってるわけではないけれども、ファーストキャリアからウェブには携わってはいたっていう。
そうですね。一番最初はどっちかというとホームページサービスの運用みたいなどっちかというとそれこそ今でいうとこのSREみたいな仕事をやってたんですけど、それやってたらもうちょっとアプリケーション側の開発やってみたいな話になって、分かりましたって言って作り始めたみたいな。
そうなんですね。ありがとうございます。ちょっと戻っちゃうんですけど、そもそもファーストキャリアの前にプログラミングっていつ始めたんですか?
プログラミング自体を始めたのは、これ多分みんなびっくりすると思うんですけど、僕幼稚園に入る前なんですよ。
幼稚園に入る前?
そうそう。
幼稚園に入る前ですか?
当たり前だけど、プログラミングというものを理解してない。でもパソコンが目の前にあって、プログラムのコードを打ち込むと動いたから、それをガチャガチャいじってたのがもう幼稚園に入る前なんですよ。
えー。
多分、きゅうのさん年齢かなり僕と違うので想像つかないかもしれないけど、当時まだほらインターネットがないから、ソースコードどうやって流通してたか分かります?
ちょっと分かんないです。
当たり前だけど、いきなり幼稚園に入っていない子供が突然プログラムを書き始めるなんてことは起こらないじゃないですか。
そうですね。
だから既存のソースコードみたいなのをいじって遊ぶんですけど、当時はソースコードが雑誌に載ってるんですよ。
あーなるほど。
紙に。フロッピーディスクとかそういうメディアで配られてるわけでもなく、ただ紙に載ってるんですよ。
で、それをその通りに打ち込むと動くんですよ。
で、それを多分親にこの通りに打ってみなって教えてもらって、キーボードで本当にその通りに打つっていうことを当時にやってたっていう。
その時はプログラミングって思いながらやってたんですか?
でもそれは認識はしている。
そうなんですね。
今みたいにパソコンもGUIじゃなくて、全部キャラクターインターフェースなんですよ。
だから本当に黒い画面に文字を打つだけみたいな。
で、そこで、ただ当時はすごい仕組みが単純だったから、本当にその黒い画面にその通りに打つだけで動いてくれて、
今みたいに何とかをセットアップして何とかをインストールしてコンパイルして何とかとかいらなかったんですよ。
プログラミングはベーシックってやつなんですけど。
で、それでプログラムをそのまま書き写して、社境して、動かして、あ、ゲーム動いてやったって言って動かすみたいな。
じゃあもう本当に今までのゲストの方でも最年少っていう感じなんですけど。
たぶん僕と、僕の年代で同じような経験をしている人は、たぶん日本に数えれば結構いると思います。
本当ですか?
最近AI界隈でよく、たぶんXで名前を見る江島健太郎さんとか二次健さんとかも、ちょっと年齢そこまで小さいかわからないですけど、やっぱ小学生の時とかそういうことやってたって言ってて。
そうなんですね。
そうなんですよ。
じゃあもう本当にそこから何年プログラミング。
ただそれをやってたのは、たぶん一生懸命やってたのは小学生ぐらいまでかな。
中学生頃にギリギリやってたかなみたいな感じで。
そこで一回やめちゃったんですか?
やめてます。
それは。
まだやっぱインターネットがないから。
はい。
あの面白くないんですよ。
なるほど。
要するにその、あの動かすものゲームぐらいしか関心がないじゃないですか。
はい。
で、だんだんそのファミリーコンピューターが出て、スーパーファミコンが出てって言って、
要するにプロの人が作ったゲームを普通にカセットで遊べる時代になっていくから、
そんなそのミニゲームみたいなのを自分で打ち込んで遊ぶのがだんだん退屈になっていくんで。
なるほど。
ただそのプログラミングも逆に言うと雑誌に掲載できる程度の量のプログラムじゃないですか。
はい。
ただすごく短くて。
はい。
だからプログラミングそのものはよく理解できてないんだけれども、
多分あそこをこういじればこうなるはずみたいなのは直感的にわかるんですよ。子供でも。
はいはい。
で、色変えてみたり、例えばジャンプするゲームだったらそのジャンプのそのなんかジャンプ力をこう3倍にしてビョーンって飛ばしてみたいとかして、
はい。
遊んでたっていう感じ。
なるほど、そうなんです。そこで一回やめてから再開したのはいつなんですか。
あ、でも再開したのはもう本当に大学に入った時です。
あ、そうなんですね。
大学1年生の時に。
はい。
で、その田舎から東京に出てきたんですけど、まあちょうどそのタイミングでなんかインターネットがそれこそ始まったみたいな1996年。
その前の年に1995年のウィンドウズ95が出て。
独学とキャリア形成
はい。
ウィンドウズパソコンにTCPIPが載ったんで、そこでインターネットが普通につなげるようになったんですよ。
はい。
ちょうど本当にそのタイミングで大学に入っているので。
なるほど。
めっちゃ暇じゃないですか。
はい。
で、しばらくやってたらなんとなくそのプログラミングに出会うタイミングが来て、それは昔こんなことやってたなって言って再開するみたいな。
あ、そうなんですね。
そうです。
じゃあ大学の専攻でコンピューターサイエンスとかをやってたわけではないですか。
全くそうじゃない。
あ、違うんですね。
これもだからやっぱりインターネットがなかったから、コンピューターサイエンスなんていう学問があるということを高校生の時知らなかったです僕は。
あ、なるほど。
それこそ田舎なんで。
はい。
だから学問というのはそれこそその語教科の延長にしかないってぐらいの情報量しかなかったんで。
はい。
だからコンピューターの勉強を大学でするなんて発想が一切なかったですね。
あ、なるほど。
うん。
じゃあそれでこうある意味独学でプログラミングをじゃあやってたって感じですか。
そうです。
あ、そうなんですね。
まあいろいろあるんですけど、同じサークルにそのコンピューターの詳しい先輩がいて、UNIXってものがあるよって教えてもらったりとかってあるんですけど、
まあ基本的には全部一人で身につけていくっていう感じでしたね。
あ、そうなんですね。
で、それでまあ先ほどお話いただいたようなファーストキャリアとしては成功ISPのところに入られたってことなんですか。
あ、そうですね。
なんで大学の4年生の時に、その後僕院まで行くんですけど、別に何か交渉な目的があったわけじゃなくて単に就職したくなかったから大学に残ってたんですけど、
はい。
4年生の時に大学のネットワークを管理をバイトでやってくれって言われて、それが結構そのISPに入るなんかきっかけになった仕事かな。
あ、そうなんですね。
大学時代のネットワーク構築
それも多分今だと想像つかないと思いますよ。
あの大学全体の学生が使ってるネットワークあるじゃないですか、あれを学生がバイトで構築してるんですよ。
プロがやってないんですよ。
今じゃ考えられない。
今は多分プロの業者さんがやってると思うんですけど、当時はだから適当に乱回線をその研究室同士の中合わせて、
なんかルーターとかも適当に学生がなんか買ってきたやつをそこにボンって置いてネットワーク構築してて、
で、ドメイン振って各研究室にIPアドレス渡してとかいうのを大学生がやってたんですよ。
で、そのバイトをやってくれって言われたから分かりましたって言って、
で、それで学内のネットワークをそのUNIXで何ていうか運用するみたいなことをやってたら面白かったんで、
ああこういうこと仕事にしたいと思ったから結構ネットワーク系の会社を探してISPに入った。
ああそうなんですね。
そうなんです。
その当時、あれですよね、大学では別の学問の専攻されてはいたんですか。
物理です。
研究室は量子力学とかの理論系で、もう全然興味なくて。
だからすごい適当な感じで、ただコンピューターだけ触っていれば卒業できるように教授にしてもらって。
じゃあそっちの方向にそもそも最初業界に就職するとか住むとかそういうの全然考えてなかったんですか。
全然考えてなかったです。大学ほぼちゃんと勉強してないという感じ。
当時のいわゆるそういうコンピューター系の会社さんとかに入られる方って結構同じような感じの勉強の仕方をされてたんですかね。
まあでもそうじゃないかな。コンピューターサイエンスちゃんとやってた人は別なんですけど、
ただそれこそコンピューターサイエンスっていう学問がさっき言ってたようにそれほどメジャーな時期じゃなかったんで、
僕の同期でもやっぱりプログラマーになった人結構多いんですけど、
みんなどっちかというと大学の時にちょっとコンピューター触ってましたぐらいの感じでその辺の会社に入っていく。
あとウェブ系の会社みたいなの今みたいにないからどっちかというとソフト開発会社とかそういうところに入っていく感じで、
全然現代と違います、20年前は。
そうなんですね。
今ほらインターン行ってもう学生のうちからウェブアプリケーション作れるようになってみた感じですけど、
そうですね。
当時は簡単に言うとHTMLとCSSかければそれだけで珍しい学生みたいな感じだったんで。
はいはい。
そういう感じでした。
そうだったんですね。ありがとうございます。
日本におけるブログの初期
そこでいろいろご自身でプログラミング学ばれて、
Niftyさんに入ってっていうところかなと思うんですけど、
そこから次のキャリアとしての転機というか。
それは明確にあったんですよ。
そうなんですか。
これが2004年かな。
ブログってあるじゃないですか。
それこそ聞いたとかもある意味ブログの一種だと思うんですけど、
ブログっていう言葉がまだ日本にその当時ないんですよ。
そうなんですね。
日本というか世界にないんですよ。
だけどアメリカの方でブログブログ言い出して、
要するにそれを日本でも流行らせたいって
メディアビジネスやってる人たちは思うじゃないですか。
僕は当時ブログっていうのが面白いなと思って、
会社が全く関係なく自分でブログのツールをどこかから探してきて、
それインストールしてブログを書いてたんですよ。
でも日本で本当にブログって呼ばれるものを書いてる人は
当時すっごい少なかったんで、
しかもそこにプログラミングの話題を書いてるやつがいるみたいな
っていうポジションだったんですよ僕は。
僕は単に面白がってやってただけなんですけど。
それをやってたら会社でブログのサービスをやるぞみたいな話になって、
そもそもブログに詳しい新卒の社員がいるみたいな。
じゃあ伊藤とかいうやつだって言って、
僕に白羽の中に立ってブログサービス作るから
担当やれって言われて、分かりましたやりますみたいな。
っていうのが最初だったんですよ。
ブログっていうものが出てくる前から似たような形態の
それはありました。
それは何て呼ばれてたんですか?
Web日記って呼ばれてました。
Web日記?
日本ではだからWeb日記とか、あとテキストサイトっていうものが当時流行っていて、
テキストで面白いことを書ける人がたくさんいて、
世の中にそういう才能を持った人たちが。
自分でHTML書いてる人もいるし、
ちょっとWeb日記システムみたいな簡単なスクリプトを
どっかからフリーで落としてきて運営してる人たちもいてみたいな。
だから本質的には別にWebに文章を上げるためのただのCMSなんで、
コンテンツマネジメントシステムなんで、
ブログなんていう言葉をわざわざ使う必要はなかったんだけど、
ブログはもうちょっとシステムが洗礼されてたんですよね。
そうなんですね。
APIでいろいろ操作できるとか、書いた記事がRSSっていうんですけど、
今でいうとJSONみたいな。
それでメタデータとして出力されてるから、
アプリケーションから新しい記事を取ってきて読むことができたりとか、
その当時でいうとこの結構新しい感じが詰まってて、
なんでブログとWeb日記っていうのはその辺に境界線がなんとなく引かれてる感じで、
ブログサービスやろうっていう感じになった。
そうなんですね。
はてなでの経験とサービス開発
それで実際このブログのサービスに関わり出して、
そうです。
そこからどう?に繋がっていくんですか?
それがブログサービスがすごく僕の人生では大きな話で、
まずブログを僕自身も書いているから有名になるんですよ。
簡単に言うと。
なんかブログにやたら詳しいブログ書いてるやつがいるっていう。
しかもプログラマーだから中の仕組みも詳しくて。
そしたらリビルドFMを今やっている宮川達彦さんから、
ある日突然僕の当時のSNSみたいなものに連絡が来て、
こんにちはみたいな。
今度渋谷でカンファレンスやるから喋ってとか言われて。
でも僕は宮川達彦さんっていう人をそれよりも遥かに前から知ってるんですよ。
宮川さんは当時からパールのプログラマーとしてすごく有名で、
WebDBプレスに当時連載を持ってて、
僕その連載をすごい読んで勉強してたから、
なんでこの人から連絡来るんだろうみたいな感じだったんですよね。
それで宮川さんと知り合って、カンファレンスに行ったら、
そこにいろんな人が来ていて、
今のグリーの社長の田中義一とか、ミクシーの社長の笠原さんとか、
あとメルカリの山田慎太郎とか、
皆さんからするとたぶん早々たるメンバーだと思う。
僕からするとただ友達みたいな人がいて、
その中にはてなの近藤さんもいたんですよ。
ざっくり言うとね、いろいろあるんですけど。
そこのコミュニティにつながって、
僕がそのNiftyをそろそろ次の会社に行こうかなとか考えてる時に、
近藤さんに相談したっていうか、ちょこっと飲み会で話したら、
じゃあ打ち込んないみたいな話になって、
いいかもしれないですねって言って、それではてなに入った。
そうなんですね。そこなんですね。
そうです。
なるほど。
やっぱりそのSNSの走りみたいなものなんですよね、ブログって要するに。
だからそこにコミュニティが出来上がっていて、
で、それに最初の方に手をつけたから、
先行者利益的な感じでちょっと人が集まってきたみたいな感じが、
当時あったっていうのが大きかったかなという。
なるほど、そうなんですね。
当時の入られたタイミングで、はてなさんってどういう状況だったんですか?
いや、もうまだ全然ですよ。
でも一応はてなダイアリーが既にリリースされていたので、
なんかネット好きな人の間では結構知られている会社みたいな。
で、社員は僕が6人目か7人目かそのぐらい。
エンジニア、社長とエンジニア2人と次が僕みたいな感じだった。
あ、そうだったんです。
4人目のエンジニア、社長含めて。
そこからむしろいろいろ今はてなさんが展開されているような、
はてなブックマークだったり、
そうです。
はてなブックマークはなんで、僕が入社して半年ちょっとかなぐらい経ったときに、
合宿で作ったんですよ。
合宿で作ったんですか?
はい。本当にそうです。
そうなんですね。
社長の近藤さんという人が結構面白い人で、
そういう他の会社がやらないようなことをやるのがすごい好きな人だったから、
突然合宿に行って新しいサービス作ろうとか言い始めて、
何作るかも全く決めずに、とりあえず合宿に行ってみようって言って、
なんかオフィスじゃないところに缶詰になったら面白いもの作れるかもとか言い出して、
それでドライブしながら結構遠くまで行ったんで何作るとかって言って、
いやなんかそれこそアメリカでソーシャルブックマークっていうのが流行ってるねとか言って、
あれを日本でも流行らせたらどうなるだろうかなみたいな話をしながら、
じゃあ作ってみようって言って、
で車の中でデータベースこんな感じで、
じゃあ俺フロントエンド作るから君バックエンド作ってとか言って、
エンジニア4人で会話して、
で宿着いてよし作るかって言って作り始めるみたいな。
で2泊3日ぐらいでその最初の原型作ってオフィス持って帰って、
でいなかった営業の人とかに使ってもらって、
なんか面白いねみたいな感じで、
じゃあリリースするぞって言って1週間ぐらいでリリースしたみたいな。
そんなスピード感で生まれたんですね。
そうです。
そんな感じ。
なるほど。
そしたら結構なんかいろいろうまくいって、
っていうサービスですね。
そうなんですね。
じゃあ基本でハテナさんの中では、
いわゆるこう本当にもう技術者として手を動かしながら。
普通に開発してました。
それこそだって社員5人とか、
エンジニア含めだったら4人しかいないんで、
初期の開発者としての役割
マネジメント必要ないじゃないですか。
だから最初の頃はもう本当にほぼ手を動かして開発していた。
特にハテナブックマークは最初こそ4人で合宿で作ったんですけど、
そこから先ずっと1人で開発してたんですよ。
そうなんですね。
やっぱそれも20年前ぐらいの話なんで、
今とやっぱりソフトウェブの開発の仕方が全然違うんですよね。
今ほどいろんなものを作らなきゃいけない時代じゃないんで、
本当にフロントエンドとかも今みたいにあんなグリグリ動かないから、
本当にユーザーからリクエスト受け取って、
データベースに書き込んでそれ出力してるだけみたいな感じなので、
コースがそもそもちっちゃいんですよ。
だから1人で頑張れば開発できるみたいな感じで。
僕の中では結構合わせてこうしてっていう構想があったから、
他の人に作ってもらう。
自分で作ったほうが精度高く作れるじゃないですか。
それで基本は1人で作って、
ちょっと1人だと難しいなっていう時に他の社員に手伝ってもらってみたいなと繰り返して、
ずっと作ってたっていう感じ。
マネジメントの重要性
そうだったんですね。
そうです。
そこから最初の頃はハテナさんも小さい会社だったかなと思うんですけど、
その中でどんどん大きくはなってはいたんですよね。
だからその中での立ち回りとか役割って変わったりしたんですか?
それがキャリアでいうとこの結構大きい転換が1回あって、
要するにマネジメントですよね。
当時一応僕CTOだったんで、
型書き上はね。
なんとなくエンジニアが増えてきたあたりで、
まあ俺一応CTOだしなみたいな感じなんですよ。
マネジメントとかやるのかなやらないかなみたいな。
ただそれでもしばらくはあんまりマネジメントっぽいことはやってなくて、
なんとかなってたんですよ。
十何人とかの間までは。
だけどある時、
そのハテナブックマークが流行ったっていうのもあるんですけど、
ハテナダイアリーのほうが重要かな。
そっちの当時ブログがそれこそすごく勢いを増してた時期なんで、
ユーザーがどんどん増えて、
夜になるとサービスがダウンするみたいなことになっちゃって、
当時ハテナサーバーを自分たちで自作のパソコンでいっぱい置いて、
データセンサーとか借りずにやってたんですよ運用。
サーバーの台数が当時でも数百台とかあったのかな。
簡単に言うとエンジニア一人とかでは全然面倒見きれない規模になっちゃって、
で、サービスダウンして夜中に起こされてみたいなことを繰り返してて、
これは結構組織的に問題解決をしないと結構厳しいなっていう状況になっちゃったんですよね。
で、じゃあなんかちょっとチーム作ってやってみるかみたいな感じになって、
そこで初めてしょうがない他の人をマネジメントするぞっていう感じで思い腰を上げたっていう。
じゃあそこからいわゆる何て言うんですかね、本当に組織作りとかマネジメントとかそういう方に
いや最初はそんな今みたいに組織を作るぞ組織組織って言ってたわけじゃなくて、
本当にシンプルにインフラを安定化させるために一人では解けない規模の問題の大きさだから、
3人ぐらい3、4人で協力してやろうみたいな。
でそのためにはプロジェクトにリーダーが必要で、
そういう人がちゃんと采配とか何をやっていくかとかを4人にきちんとマネージしていく必要があってて、
それをただやってただけっていう感じ。
それ以外の文脈では人の採用とか、あとなんとなく会社の中のカルチャーをどう作っていくかみたいなのがあったけど、
そこはあんまり別にマネジメントって感じなくて、会社がちっちゃかったからそれこそ社長とか僕とかと手分けしてやってたっていう感じだから、
明確にマネジメントと意識してやってたのはさっきのどっちかというとインフラのチームっていう感じでした。
なるほど。そこからまた色々フェーズ変わっていくかなと思うんですけど。
そうなんです。
そうですよね。
で大きくフェーズが変わったのがその後に会社のオフィスを東京から京都に移すっていうのがありまして。
東京にあったんですね。
そうなんですよ。今京都の会社ってイメージあるじゃないですか。
はい。
ハテナは創業が京都で、でその後東京に1回引っ越してるんです。
はい。
でそのタイミングで僕が入っていて、東京で3,4年過ごした後にもう1回京都にオフィスを戻すんですよ。
そうなんですね。
その途中に近藤さんがアメリカに行ったりとか色々あったんですけど、ちょうどその辺を端折って京都にまた戻してるんですよオフィスを。
やっぱり京都の方がいいと、創業の地の方が自分たちに合ってるって話になって。
はい。
でその時にただほら東京でエンジニア結構増やしたんですけど、突然京都に行くって言ったもんだから当たり前だけどみんな聞いてないって話になって。
で行ける人と行けない人になって。
で結構半分ぐらい辞めちゃったんですよ。辞めちゃったとか当然辞めるよねって感じ。
でそこで京都に行ってなんでまあなんかもう1回じゃあエンジニア採用からやり直しだなっていう感じになって。
でそこから結構なんていうのかな明確に組織をちゃんと拡大しなきゃいけないっていう感じだったんで。
そこで初めてなんていうかちゃんとやるかっていうスイッチが入ったみたいな感じです。
あーそうなんですね。そこら辺からこうよりマネジメントというか組織作りみたいなところがメインになってきたってことですね。
CTOとしての成長
そうですね。まあでもその時もハテナブックマークを作り直したりとかっていうことをやりながらそのマネジメントもやってたんで、なんていうかマネジメントだけやってた期間はほとんどない。
あーそうなんですね。
うん。
じゃあ本当にどっちもこうプレイングをしながらマネジメントもやってってことなんですね。
そうですそうです。
へーそうだったんですね。
やっぱ組織の人数が2、30人超えてきたあたりからやっぱり明確にマネジメントを意識しないとちょっと無理だなっていう感じがあったんですよ。
はい。
うん。情報がなんていうかあのほっとくだけでは伝播しないっていうか。
はい。
うん。あうの呼吸ではできなくなっていくんで。
うんうん。
でそのぐらいからだからマネジメントもやってるけど、でも僕はハテナブックマークの今でいうとプロダクトマネジャー的な立場もあって。
はい。
自分で開発してたから。
はい。
開発者兼プロダクトマネジャー兼マネジャー兼CTO兼みたいなそういう仕事を1人でぐるぐる回していたみたいな感じ。
あーそうなんですね。
うん。
だからその本当にこういろんなことをそのタイミングでやってらっしゃったと思うんですけど。
そうですね。
1エンジン押してこう手を動かすことに集中したいなとかそういうのはあんまり思わなかったんですか。
いや思いましたよ。
あー思ったんですね。
うん。だからなんか採用とかでこう面接ですとかってあると出てかなきゃいけないし。
はい。
あとまあ他のチームでなんかちょっとその人間関係でトラブルがまああんまなかったですけど。
はい。
そういうことがあると相談に乗らなきゃいけないし。
うん。
まあなんか役員会とかあるし。
うん。
なんか採用いいなみたいな。
うんうん。
でイライラしてましたよ。
はい。
そうですね。
そうだったんですね。
うん。
でも実際でも今ってそこからもう多分結構こう。
そうですね。
一番CTO的な立ち回りとしてずっとやってらっしゃるんじゃないかなと思うんですけど。
はい。
一エンジニアに戻らずにそっちなのをこうキャリアでずっと進んできているのってなんかどういうこう理由というかなんですかね。
それは僕はあれですよ。できれば。
はい。
一エンジニアとして。
はい。
ただ開発だけしてたいですよ。
そうなんですね。
うん。許されるなら。
はい。
でも周りがそれを許してくれない。
まあ許してくれないってのは冗談で。
はい。
自分に対する期待値はそこじゃないから。
うんうん。
だからそことうまくなんていうかバランスを取りながらやっているっていう感じ。
ああそうなんですね。
だから今も開発しますよ僕。
ああそうなんですね。
はい。
珍しいかもしれない。
そうですね。
そうですね。今もやられているんですか。
今もやってます。
IQSの中で。
ちょっとここ1年ぐらいは直接自分がプログラムを書くっていうのはだいぶ減りましたけど。
うん。
でも結構現場のことをやるときはやりますね。
そうなんですね。
これからも障害が起きたら自分で直したりとかしてますし。
はい。なるほど。
なんかその先ほど今ナムヤさんのお話の中にもあった自分の中での基準みたいなところってどういうラインなのかなっていうのがちょっと気になっていて。
その手を動かすだけでは多分達成できない何かがあるって話なのかなと思うんですけど。
まず一応僕はCTOという立場なので。
はい。
はてなのときも今も。
はい。
だから僕の最優先の期待値は別に1個人開発者として成果を出すことじゃなくて。
はい。
会社の開発チームとして成果を出すとかチームを強くするとかあるいは事業を伸ばすってことじゃないですか役員として。
はい。
まずそっちが優先事項なら間違いないんですよ。
うん。
だけどじゃあそっちだけをやってると簡単に言うとプログラムを書かなくなったら分かんなくなっていくじゃないですか。
うん。
僕その状態でその今のポジションの仕事ができる気が自分はしないんで。
うんうん。
だからできるだけその常にこうなんて言うんですか刀をここに携えた状態でいつでも抜けるぞっていう状態になってたいんで開発はやめたくないっていう。
うんうん。
なんかそういう感じです。
なるほど。
うん。
プログラミングの重要性
じゃあもう本当にそのCTOとしてのそもそも動きをするためにプログラミング自体もやっぱりやり続けないといけない。
そうですね。
って思ってるじゃないですか。
うん。
なるほど。
今お話聞いてて分かるなと思った一方どっちもこうやるってなるとやっぱどっちもこう中途半端になってしまうってシーンもゼロではないかなって感じをなんとなく思っていて。
それこそまだマネジメントに慣れてなかった頃は割とそれでかなり葛藤は当然あった感じでした。
そうなんです。
けど最近は全然ないです。
全然ないんですか。
簡単に言うとマネジメントの方が慣れたからどのぐらいの力をそこに注げばいいかっていうのがもう分かってるんでなるべく最小限で済ませてそれ以外の時間を空けて。
じゃなかったら今こうやって56とかしてないと思う。
そうです。
っていうことができるようになったんでいわゆるベテラン的な動きができるようになったんで全然その時間のタイムマネジメントに困ることはない。
そうなんですね。
逆にプログラミングでもそれでもやり続けないと。
どっちかっていうとそっちの方が意識的にやらないといけない。
そうなんですね。
じゃマネジメントってところは再現性はあるし一回できるようになればそれはずっと使えるものだけど。
そうです。
プログラミングの方はむしろインプットし続けないと錆びてしまうって言いますね。
マネジメントの再現性
インプットというか手を動かし続ける。
手を動かして。
筋肉みたいな感じなんでやってないとすぐ手が動かなくなっちゃうしトレンドもあっという間に変わっちゃうし。
マネジメントってトレンドとかないから。
そうですね。
あとマネジメントってある程度やってくるとスキルというよりはなんていうのかなきちんと頭を使って考えることみたいな仕事なんで。
あんまりその事前にからトレーニングで鍛えておかなきゃいけないみたいな側面がないですよね。
確かになるほど。
すごい勉強になりました。
僕も今開発部長として。
そうですよね。
開発の統括もしつつとはいえ自分はエンジニアではあると思っているのである意味でそこら辺の葛藤というか。
そもそも仕事の中でのバリューの発揮の仕方っていうところの葛藤もありますしエンジニアとしてのキャリアとしての葛藤もあったりするんですけど。
お話聞いていてすごいそういう道も長いスパンで見れば確かになってお話聞いてすごい感じました。
まだまだお話ししたりないので次回も伊藤直江さんとお送りします。
ということで今回は特にはてなさんのところメインですかね。
いろいろキャリアのお話を伺ってきました。
最後の方にあったマネジメントは1回できるようになれば慣れていけるけどプログラミングは筋トレというかやり続けること自体に意味があるっていうのはすごい今お話聞いて確かになって思ったところでした。
やっぱり僕も今どっちもやってたりする立場ではあるので日々ちょっと悩んだりはするんですけど。
もっと長いスパンで見たときにこの瞬間どうかっていうよりも今まず何をできるようになって次どこに時間を割くかみたいなところをちゃんと考えていかないとなっていうのは改めて思ったところです。
ありがとうございました。
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お相手は聞いたプロダクト開発部部長の清野俊文と、
株式会社一級CTOの伊藤直哉でした。
32:40

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