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【ゲスト:浅田弘幸先生】これしか描きたくない 「人は、もっといいもんだよ」を届ける旅
2023-08-24 45:20

【ゲスト:浅田弘幸先生】これしか描きたくない 「人は、もっといいもんだよ」を届ける旅

ゲストに「I'll―アイル―」「テガミバチ」の著者・浅田弘幸先生をお招きしリモートでインタビュー!浅田先生がどのようなモノや環境に影響を受けてきたのか、お聞きする回です。<目次>浅田先生が神奈川を好きな理由/最初に触れたコンテンツ/小学生時代、施設で広がった世界/どこに行っても自分はヨソモノ/ここを逃げ出したらおれは終わりだな/漫画家になろうと最初に思った瞬間/好きなミュージシャンを見つけるような感覚で文学と出会った/自分の信じられるものを探していた/神奈川だからできた覚悟/腹をくくれたトリガー/「長い合宿」アシスタント時代/テガミバチにおける「こころ」/「人はやさしい」と伝えたい理由「I'll―アイル―」第一話を読んでみる↓https://shonenjumpplus.com/episode/10834108156650851342/embed浅田弘幸先生 X(Twitter)https://twitter.com/asadercover■COMIC ATLAS(コミックアトラス) とは?神奈川に縁のある漫画家をゲストに招き、作品から多大なる影響を受けてきたノルオブがロングインタビュー。辿ってきた道のり、現在までの地図をほんのちょっとのぞき見。人気作品を世に送り出す先生方の「過去のおもしろがり方」を学び、「生き方のヒント」を探っていく番組です。30代に突入し、これからの生き方を模索中のノルオブとともに、さまざまな先生の地図を収集して、自分だけの地図帳(=アトラス)をつくっていきましょう!★毎週火・木曜 ごろ配信中!★X(Twitter)は  https://twitter.com/comicatlas847フォローお願いします!#コミックアトラス でご感想もお待ちしています!■ノルオブ海と山しかない町に生まれた音楽と漫画をこよなく愛する気さくな⻘年。ラッパー。ラップグループ「JABBA DA FOOTBALL CLUB」に所属。FMヨコハマで毎週日曜10時から放送している「まんてんサンデーズ」のDJも務める。・X(Twitter):https://twitter.com/jiro_no_musuko・Instagram:https://www.instagram.com/handsome_kanemochi/
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FMヨコハマ
PODCAST
コミックアトラス。 皆さんには耳なじみがない言葉じゃろう。
これは様々な漫画家先生の巡ってきた道のりをお聞きし、 現在までの地図をノルウォブとあなたが、ほんのちょっとだけ
覗き見させてもらう番組じゃ。 彼らが紡ぐ物語のように、辿ってきた道のりの面白がり方を知れば、
あなたの世界の見方が変わるかもしれんぞ。 ノルウォブと共に様々な世界の地図を収集し、自分だけの地図帳、
アトラスを作るのじゃ。 今回のゲストは、
会える手紙鉢の著者、浅田博之先生。 彼らの地図を覗きにする旅へ、さあ行くもじゃ。
よろしくお願いします。 よろしくお願い致します。
浅田先生、リモートで出演いただきましてありがとうございます。 ありがとうございます。すいませんリモートで、あの本当にね、足首を骨折してしまいまして、
歩けなくなっちゃって、もう是非ね、本当にスタジオに行きたかったんですけど、僕本当30年40年前からあのラジオ聴かせていただいてる
FM横浜さんなんで、絶対行きたいなと思ったんですけど。 ちょうど収録の5日前ぐらいですかね。
ぐらいですね。やってしまいまして。 そのニュース聞いた時もう震えちゃって、骨折、大丈夫ですか?みたいになっちゃって。
めちゃめちゃ痛いです。 痛いですよね骨折。 転んじゃって、あの駅で転んじゃって、ちょっとね子供と一緒に
早く降りなきゃっていう時になんか転がっちゃってですね。 あの子供に肩を借りて
家まで帰ったっていう、なんか悲しい。 この痛みの中、ありがとうございます本当。30年FM横浜聴いてるってことは、ずっと神奈川にいらっしゃったってことですよね。
僕、神奈川から出たことないです。一回も。生まれてこの方。 旅行とかはでもありますよね。 旅行?あ、もちろんもちろん。
もちろんあります。 住民票は神奈川県から出たことないですね。
一番最初、生まれた場所とかはどこなんですか。 生まれたのは神奈川県の横浜市の甲北区です。
甲北区。 ほぼほぼずっと甲北区にいたんですけども、ちょっと施設に預けられたりとかで施薬に行ったこともあるんですが、その後一回ね、本当に漫画館になってから都内に行くかどうかっていう時期もあったんですけど、
03:09
その時にもギリギリ神奈川県に行きたいなっていうのがあって、その時ジャンプのある周囲車が神保町なんですよね。
そこで一本で行ける田園都市線というのが、半蔵門線から田園都市線で一本で行けるっていうのがありまして、
その時の月刊少年ジャンプの副編集長が佐義沼駅に住んでらっしゃったんで、俺の近くに住めよって言われて。
連行遅いんだからって言われて。一本で持って行けるところに住めって言われて。
で、青幕の多摩プラザとか、あの辺に10年ぐらい住みました。
じゃあ神奈川出たくないなっていうのは、神奈川好きなんですか?
神奈川好きですね。大好きですね。
具体的にどういうところが好きなんですか?
あのね、なんか中途半端なところ?
そんなことないですよ。
いやいや、昔は渋谷とか原宿とかに、いらないと買えないものっていっぱいあったじゃないですか。
だからやっぱりなんかちょっとずれてるところがあって。
なんか微妙になんか遅れてるなっていうのが僕は好きだったんですよね。
それって10代になって気づくんですか?
10代後半、そうですね、10代後半から20代。
なんか浦原宿のなんかすごいブーブーがあったりだとかありましたけど、
そういうのに乗っかっていかないなんか変なところが逆に面白かったなと思って。
先生ってすごく小さな頃からいろんな、何ですかね、本とか映画とか文化的なものに触れてらっしゃる印象なんですけど、
一番最初に触れたコンテンツって覚えてますか?
一番最初に触れたコンテンツ?
漫画とか映画とかそういったジャンルで言うと、衝撃を受けたのに近いかもしれないですけど。
でも多分ね、やっぱり僕の世代だと本当に手塚治虫先生だし、藤子不二雄先生だし、
もっと身近に入っていった、明日の女王とか道場先生のご存知ですか?
まあまあ、貧乏で不良でみたいなものが多かったですよね。
銀河鉄道39っていうのもあるんですけど。
それは自分にとってはすごくクラシックな漫画、絶対もうみんな知ってる漫画たちだと思うんですけど、
何だこれはみたいな感じで登場したんですか?それとも結構当たり前にあって。
06:03
なんかね、昔って本屋さんで立ち読みができたんですよ。朝から夜まで立ち読みができたりする。
ひどい話。
そこからたくさんの漫画を立ち読みで読んでいた中で、すごく響いたものとかそういうことですかね。
だから手塚先生の日の鳥とか、子供ながらに何だこれはっていうすごい衝撃を受けたりもしたので。
小学生の時にそういう時間がたくさんあったってことですか。立ち読みする時間がたくさんあったなっていうところなんですかね。
そうですね。本当に今うちも子供が小学校6年生ですけど、
習い事がいっぱいでなんかこう、僕より忙しい人なんですよね。
なんて大変なことやってんだろうなって思うんですけど、やっぱ僕らの小学生の時は時間が本当になんか夢のようにたっぷりあった気がするんで。
先生がその施設に入っていた時期もあったって、聖夜の方にいたっておっしゃってたと思うんですけど、その時期がその小学生ぐらいってことなんですかね。
そうですね。その辺もそうですね。
ちょっと親に問題があって施設に預けられて、2年半ぐらいいたんですけど、そういう中で一緒に暮らしている子供たちが自分の思考じゃない本もたくさん持ってるわけですよ。
女の子もいたりするとキャンディーキャンディーがあったりとか、自分では絶対買わないような本も読めたので貸してもらったりとかして、そういうのもすごくいい刺激になりましたね。
他のインタビューとかを読ませてもらっていると、映画もその時期にたくさん見られていたっていうふうにお伺いしたんですけど。
でもね、昔はそのレンタルビデオもないし、なかなか流行ってるロードショーとかには高くていけないので、落ちてきた三本立てみたいなやつを安いところで見るみたいなことが多かったです。
こういった話聞いてると、漫画も映画もたくさん吸収してらっしゃるなと思うんですけど、例えば運動の方に行くとか、いろんな道というか楽しみ方はあったと思うんですけど、その中でも映画とか漫画とかに夢中になってたって感じなんですかね。
いやでもやっぱりね、小学生の時は野球が大好きで、野球選手になりたくて、ちょうどサッカーっていうのが少し上がってきた時だったんで、サッカー選手にもなりたかったし、あと僕は何よりプロレスが大好きで。
09:04
プロレス?
はい、プロレスラーになるぞみたいな、血まみれになりながら、おーみたいなのをやりたいみたいなのがあったんですけど、なんですかね、あんまり体が大きくなくてですね、やっぱり野球なんかこうやっててもね、リトルリーグの三軍だって言ってる子がものすごい球投げてたりだとか、
好きで打ち込めることみたいなところで絵を描いたりとか、物語作ったりっていう方にシフトしていった感じですかね。
それは作品を見てる中で、俺もやってみようって思ったっていうところからなんですかね。
何ですかね、やっぱり自然に、この部屋の中でできることじゃないですか、絵を描いたりっていうのは、自分の何か気持ちをそこに落とし込めたりするので、なんか気持ちよかったんでしょうね、きっと。
あと上手いって褒められたっていうのが結構大事だと思います。
それ最初に褒められたのはいつなんですか。
最初に褒められたのは幼稚園の頃です。
幼稚園?
幼稚園の時に先生に、長谷くん絵が上手いねって褒められて、多分そこでスイッチ、何かのスイッチが入ってたと思います。
自分にとっての何ですかね、特技というか、できることは絵だっていう。
それ体がちっちゃかったっておっしゃってたじゃないですか。
はい。
そういうのはやっぱりクラスの中でもとか学校の中でも前から何番目みたいな。
そうですね、わりと前の方だったと思いますし、やっぱりね、なんか家庭環境が良くなかった、きゅうりばっかり食ってたんで、なんかね、あんまり大きくなんなくなって。
水分ですもんね、きゅうりはね、やっぱ。
夏野菜ですかね。
夏野菜、確かに。このシーズンに一番いいと言われてる。ちょっと家庭のお話として欲しいなと思うんですけど。
はい。
親元にいて、で、一度施設に入る。
はい。
どのタイミング、何歳ぐらいの時にその施設の方に行ったんですか。
小4の終わりぐらいから6年生の卒業までですね。
2年間。いわゆる思春期っていうものが入る時期ですよね。
そうですね。
大人になっていくというか、その時共同生活をしてるってことなんですかね。
そうですそうです。6人部屋で暮らしてました。
6人部屋。
6人部屋で。
その中で学年とか一緒なんですか。
学年もバラバラで、下の子の面倒を見なきゃいけなかったりとか、あと隣の部屋が女子の部屋だったりとか、なんかこういろいろな何かがこうあります。
12:03
確かに。
ちょっと大人びってしまいそうな環境だなと思うんですけど。
ずいぶんその時にいろんな影響を受けたというか、その時のことが自分の中の基礎になってる気がしますね、本当に。
相部屋で一緒に過ごす中で絵も描いてらしてっていう感じなんですかね。
そうですね、遊び時間に絵を描いたりとか。
なんかね、規律がすごくあったのでそこは、朝起床したら掃除をしてとか、なんかもう時間が全て決まっていて、なんか若干刑務所みたいなんですけど。
言葉で聞くと。
でもなんかそこのね、預けられてる子どもたちがすごいなんかこういい子たちで、でも寂しいじゃないですか。
親と離れて暮らして、小一とかで親と離されてしまって暮らしてるんで、なんかね、そういうのもすごい響いたというか。
先生がいつおっしゃってたのかな。何かのインタビューで、幼い頃から自分はここにいていいのかなって思って生きてきたってお話ししてらっしゃってて、居場所が欲しかったってお答えになってたインタビューがあって。
実際こう漫画を見てる中で、会えるとか、すごくそれを感じる漫画だなぁとは思っていて、それはもうずっと先生がちっちゃい頃から感じたことを表現したっていうイメージなんですかね。
そうですね、本当にそうだと思います。ずっとね、自分はね、どこ行ってもよそ者だなっていうふうに思って、割とね、今でもこの鎌倉市に横浜市から引っ越してきて、それもずっと思ってるんですよ。
だから一生そういう感じなのかなと思うんですけど、何かものすごくホームの人っているじゃないですか。何かそういう人が羨ましくて、どうしたらそういうふうになれるのかなっていうのは考えながら。
そうじゃない子たちはたくさんいる数で、その子たちと自分をちょっと投影させて描こうかなっていうのがアイルだったと思うんです。
いまだにそれを思われるっていうのは、ご家族がいらっしゃるし、自分の場所があってたくさんの人に作品も届いている。でもどこか自分はまだよそ者かもしれないって思ってしまうっていうことなんですかね。
何ですかね。なんか読んでいただいてる方とはものすごいつながってる感じがすごくするんですけど、単純にこの場所で生きていて、コミュニティにしっかり入れてないっていう、そういう疎外観的なものっていうのがずっとあるのかなっていう気はしてます。
15:10
その疎外観がベースにありつつも、でもこの瞬間は自分はここにいていいんだなって思った時もあったですかね。
もちろんそうです。その施設にいた時はもうここから出たくないと思ったぐらい、そこにいたいなっていうふうにはなってましたね。
それは小学生の後、大きくなっていく中で、そういった場所は各年代ありましたか。
なかったわけではないんですけど、やっぱりそこまでの濃いフォームにならなかったっていうのはありますよね。
やっぱり短いじゃないですか。3年でまた移ってしまって、3年でまた移ってしまってみたいな感じだったので。
逆に言うと、漫画家になるために登校して、アシスタントに18歳で先生のところに入ったんですけど、もうここを逃げ出したら俺は終わりだなって思ったんで。
これはもう命かけてやるしかないなみたいな。
ここを逃げ出したら終わりだなと思ったっていうのは、その環境が良かったってことですか。それとも自分の中で、今自分の状況から抜け出すためにはここでしっかり牙になきゃダメだなって直感で感じたっていうところなんですかね。
やっぱり漫画家になるっていう夢があったので、これを逃げ出したらもう俺は終わりだなっていう。
その夢は叶わないぞって。
そうですね。もう他のものになるしかないなっていうことになるじゃないですか。これだけはもう捨てないように、もう必死でこうしがみついていこうって思いましたね。
漫画家になろうって思ったのは一番最初いつ頃なんですか。
漫画家になろうって最初に思ったのは本当にその幼稚園の時に褒められた時、先生に褒められた時です。
それも例えば絵描きとかいろんなその絵っていうものを扱う仕事ある中で、漫画だったのは漫画が好きだったからですか。
漫画しか知らなかったんですよ。
なるほど。
はい。まあなんかアニメーションはねやってましたけど、なんかそれを一人でできる人はあんま思ってなかったんじゃないかな。
自然と漫画家になりたいって言ってたってことですかね。
そうですね。だから漫画家っていうのは本当に幼稚園の頃からずっとありました。
その子供の夢みたいなスタートから、それこそさっき言った逃げ出したら漫画家なれないぞって思うくらい現実的になるまでの時間が結構空くと思うんですよ。
18:01
本当に筆を取るぞって決めれたタイミングっていうのはいつ頃なんですか。
いやもう多分そうですね、最初の投稿作を書いたのが17歳とか18歳なんですけど、もうその時ですね、多分もうこれでなんとか作っていかないと。
これを自分の職業っていうか、やりたいことにしていかないとっていう。
それ以外の仕事を考えなかったんですか、その時は。
バイトとかね、いろいろやってましたけど、すぐ辞めちゃうんですよね。
それはまたどういう。
でも結局やっぱ本気になれないっていうか、別に自分がやらなくてもこれいいんじゃないっていう、なんかそういうことだったと思うんですけど。
いや、ダメな人だったんですよ。
逆に17歳までの期間で必死になれたことってあったんですか。
えっとね、あんまりないですね。
オートバイが好きだったりとか、ありましたけど、ただね、それで何が将来に結びつくかっていうとそういうわけではない。
ただ逃げ出してただけだと思うので、そうやって向き合ってなんかこうやったっていうのは、やっぱもう本当に自分には漫画しかないんだなっていうふうには、もう17、8ぐらいには思いましたね。
ずっと絵を描いてらっしゃったってことですか、その小学生、いやもっと前か、幼稚園から。
うん、絵はね、ずっと描いてました。
それをどこかに発表するでもなく。
僕より上手い子は必ずいましたし、そういう中でただ、なんていうのかな、絵は2番目だけど、漫画として描いたら俺は1番だぜみたいな。
そういうのがちょっとありましたね。
あいつは絵は上手いけど漫画は描けないだろみたいな。
そうですね、絵は上手いけど、その漫画で面白いって思われるのは俺の方だっていうふうに思って。
その自信はどこから湧いてたんですか。
なんですかね、そういうマインドでなんとかやってこれましたね。
それ物語を作るっていうところも、自分は好きだったからっていうのもあるんですかね。
そうですね、そこはすごく大きかったと思います。
物語も作ろうって思ったのはどのくらいからなんですか、年齢的には。
もう一緒ですね。
セットで始まってるんですか、物語で描いてたってことですか。
セットです。
だから、1個だけすごく綺麗な絵を描くとかっていうよりかはテンポとか流れで見せて、1ページ2ページのテンポがあるとすごくいろんな感情が生まれるというか。
漫画はリズムなんでやっぱり。
21:00
先生、音楽とても好きじゃないですか。
それは音楽とも同じくらいの時期に出会ってたんですか。
でも、漫画を本当に成り上げにしたいっていうふうに思い始めた時に、洋楽も好きだったんですけど、邦楽をものすごい聞こうと思って。
で、歌詞がすごく僕は気になって、常に邦楽の人の歌詞をたくさん見て、洋楽も大役があるやつを必ず買って、どんなことを表現してるのかなっていう、すごく研究した時があります。
言葉が好きっていうのもあるんですかね。
鎌倉市に越してきたその一つに中原中也っていう詩人の影響がありまして、彼が暮らした鎌倉で暮らしてみたいっていうのもあって、
言葉一つ、たった一つの一行、たった一行に何年もかけて突き詰めているみたいな、なんかそういうのが好きだったんで。
だから歌詞っていうのもすごくそのミュージシャンの方がどんな言葉を使ってどんなふうに表現するのかっていうのをすごく研究しましたし。
今、漫画、映画、音楽ってなった時には文学とか詩とかっていうものにはもう出会ってたんですかね。
そうですね、僕の世代だとやっぱりなかなかたくさんの作品に出会うっていうのは難しくて、
本当に楽器文庫だとか図書館だとかで読むしかなかったので、
そういう中で宮沢賢治とか中原中也っていうのに出会って、好きなミュージシャンを見つけるのと同じ感覚ですよね。
この詩がちょっと来るぞみたいな、なんかそういう、この曲が響いたみたいな、なんかそういう感じで文学と出会ったっていうのがありますね。
長谷先生本当にすごく横断的にいろんなものを楽しんでいるというか、摂取しているような印象があって、それは。
うなかったからじゃないですかね、やっぱり娯楽が。
なるほど。
今ほど何も溢れていないので、もうわずかなそれをなんか拾っているしかなかったっていうのもありますね。
娯楽を探してたっていうのもあるんですか。
そうですね、好きなものをなんかこう見つけるのに、まあ選択肢が本当にそんなになかったと思うんですよ、昔は。
今はね、もううちの子供とか見てるともうYouTube朝から晩まで見たりとかですね。
まあそれで、それでもなんか足りないみたいな感じになってるんで。
やっぱ一番その影響がというか、これ自分の表現の根幹に乗ってなかなちゅうだなって思うですか。
24:08
なんか結局10代半ばから後半になんか出会ったものが一番好きなんですよね。
そこから離れられないっていうのがやっぱりあって。
今はあの時に感じたものが今あるかっていうとそうじゃないと思うんですけど、全く。
僕はだって今55歳になってて、昼夜はもうね31ぐらいで死んでますから。
やっぱりあの時に出会ったものっていうのがすごく大きかったなっていうのは思います。
浅田先生がよさもの感というか、疎外感もずっとありながら、何か満たされないもの、渇きみたいなのを満たすためにいろんな作品とかに触れてたんですかね、当時は。
何なんだろうな、なんか作品、自分が信じられるものを探していたっていう感じはありますよね。映画にしろ言葉にしろ。
それは周りの、例えば大人とか先輩とか、そういった人たちにはなかったからってことですか。
もしかしてそうかもしれないですね。そこまで、そうですね、そうかもしれない。
なんか、そうですね、提示してもらってたらもしかして違ってたかもしれないんですけど、そういうところで探していたところはありますね。
逆にこう、周りに話してもなかったりしたんですかね、その自分の内面とかを、会議する場所がなかった、会議する人みたいなのを定めてなかったってことなんですかね。
かもしれないですね。
そういう、自分の中の自信になるものみたいなのを求め続けていく中で、がむしゃらにというか、ただひたすらに生きてきたっていう感じなんですか。
そんなに一生懸命じゃなかったと思うんで。
わかんねえって思いながら生きてるみたいな。
そうですね。ただ、もうやりたいことは決まってたんで、本当に10代後半には。
一歩踏み出していく何かが必要だった。
もう覚悟だけですよね。もう自分ができるプロレスラーにも野球選手にもなれないし、漫画家でじゃあ生きていくんだったらもう腹くくって、もうこれでやるんだっていう、そういうことですよね。
都内に行ったら流されていったと思うんですよ、結構。流行りとかにもパーッと流されていったと思うんですけど、そこに何かちょっとした距離感があって、
27:12
若干田舎者根性みたいなところがあるのがちょうどいいなっていうか、これが神奈川ものみたいな感じです。
これが神奈川もの。
もうちょっとね、中央に行ってると僕も、俺横浜県生まれたら死にたいなことを言うやつになってると思うんですけど。
ちょうど横浜の文化資本みたいなものに触れつつも、ちょっとこう負けねえぞとか、やってやるぞみたいな気持ちも持つ場所にいたってことですかね。
そうですね。微妙になんかあのちょっと横浜県ではなかったんで。そうなんですよ。
17で決めて、でもそれ最初に賞に出したんですかね。
投稿で一応ね、雑誌社に持ってって、それをまた再投稿という形で雑誌に送ってですね、月刊少年ジャンプというところで賞をいただいて、そこからですね。
その時って、まず覚悟を決めて、人の評価に晒されるぞみたいなタイミングではあるじゃないですか。そのタイミングで腹をくくるのかなって思うんですけど、そのくくれたのは何がトリガーだったんですか。
いやもうそれしかない。投稿作書くのもやっぱり時間かかるじゃないですか。漫画ってやっぱりもうすごい時間がかかるんで、バイトも辞めて、その作品に集中したんですよ。
まああのオートバイをその時買ってたんで、毎月ローンがあったんですけど、俺もうバイト辞めちゃったから賞に入らないと、もう払われないぞみたいな。
そういう意味で、ちゃんとケツに火をつける状況を作った。
そうですね。もうこれは書き上げて送って形にならないと、もうダメだみたいな。
日記もサッチもいかないぞと。
終わりだわと思って。
それが入賞したってことですよね。
そうですよ。もう入賞して準優先とかいただいたんで、溜まってるローン全部そこで一括で。
その時の気持ちってどんな気持ちだったんですか?
いやもうやったぜですよね。作品が評価されたし、その作品も雑誌に載せていただけるっていう風になって、バイクのローンも払えて。
まあもう始まったぞっていう感じでしたね。
喜びっていうのはやっぱこれまで感じたことないくらいのものだったんですかね。
30:01
そうですね。もうここ、そこにもう行きたかったので、スタートラインに立てたっていう喜びがすごくありましたね。
それって、自分の人間を知らない人が自分の作品を評価してくれて、君は面白いって言ってくれたことって、かなり大きいことなのかなって思うんですよ。
大きいですね。
その一番最初に幼稚園で褒められたことぐらい大きなことだったんですかね。
もう同じぐらいのあれですよね。本当にスタートラインですね。本当にいろんな意味で。
これは始まるぞと人生が。また新しい。
それまでは去ってますからね。ミュージアンの方もそういう時があると思いますけれど。
そうですね。今振り返りたくないような時期はたくさんあるんですけど。
その後アシスタントに入ったりもするんですか。
僕デビューしてからその作品を見てくれた編集さんが、君の家の近くに先生がいるからそこに行きなさいって言われて。
そこで2年半ぐらい修行させていただいて。
さっき言ってた逃げ出したらもう漫画家になれねえぞっていうのは、スタートしてるからここで止まっちまったら一生止まるんじゃないかみたいな。
そうですね。バイトとかすぐぶっちぎりがちじゃないですか。
それぞれですよ。
もう行かない、今日行かないみたいな。そういう適当なことをやってきたので。
いやでもこれは絶対にできないと思って。何が何でもやり抜くしかないと思って。
浅田先生がちょっと不良だっていうのは伝わってきましたね。
そう思うと小学校の頃の共同生活のタイミングと2年間のアシスタント生活っていうのは大きいポイントではあったんですか。分岐する。
そうですね。でもアシスタントってものすごい濃密なんですよ。
1ヶ月あったら25日ぐらい先生の家に泊まってて。
ほぼ。
昔、今と違って昔ブラックな企業ですので、80時間ぐらい起きてて、2時間寝てその後70時間仕事してまた2時間寝てとか、恐ろしい生活があったんですか。
33:07
その時に一緒に働いてるアシスタントをやってる子たちとか、ずっと漫画の話しかしないっていう。
その2年半ぐらい、もう漫画のことしか考えてない。どうやって漫画家になってどうやったら面白い漫画を描けるのかみたいなことしか話してなかったので。
しかも寝れないし。
しかも寝れないし。
ほぼ共同生活に近いですよね、その状況って。
そうですね、もう完全に共同生活ですね。
そういった、いわゆる家族みたいなものじゃなくて、いろんな人たちが集まってくる場所での生活っていうのがキーになってるっていうのは、やっぱり作品とかっていうところにも投影されてるのかなっていうふうに感じるというか。
おのおのの事情があって、おのおのが自分のために生きてて、でもそいつらがあるタイミングで同じ場所にいるとか、同じ目的を持つとかっていうことに対する、なんて言ったんですかね。
先生の中での光というかきらめきというか、そこに対する希望みたいなものがあるのかなっていうふうに感じたんですが。
そうですね、みんなだから目標同じ漫画家になりたいっていう人たちが集まってるわけじゃないですか、常に。
で、その中で考え方がそれぞれ違ったりとか、なんか俺はこういうのが正しいと思うみたいなやつがいたりとか、全然違うよみたいな、なんかそういう戦いもあったりとか、
お前間違ってるみたいなのもあったりとか。でもずっと漫画の話なんですよ。漫画のことだけを考えて生きて、他のこと本当に何にもなくて、もうご飯食べたら漫画とか。
もう常にずっとそういう状態だったので、あれはもうすごい長い合宿でしたね。
長い合宿ですか、2年間も。しかも睡眠時間考えたら2年を超えてる可能性ありますもんね、その活動時間で言うと。
活動時間おかしい。昔はね、本当にそれがあっても当たり前だったんですよね。
手紙鉢会える、どちらでもすごく最後というか、一つの目標に向かう時の全員が一緒の気持ちじゃなくてもいいというか、なんかその感覚っていうのはあんまり体験したことない感覚だったんですよ。
そうなんですか。
36:00
全員の意思が違うけど、なぜか走るとか一緒みたいな感覚っていうのはそういうところなのかなっていうふうに今話しながら思ったというか、なんかうまく言えないですけど。
そうですね。そこまでの足並み揃えたチームで生きてきてないっていうのはあるかもしれないですね、確かに。
それぞれの考え方があって、でも同じように踏み出していこうよみたいな。なんかそういうのはあるかもしれないですね。
漫画家ってやっぱり個人のものなので、本当にそれぞれやってる感がすごいあって、だからダメなんだよとかいう話にもなるんですけど。
なんか先生が手紙鉢を書かれてる時に、必ずコミックスの頭のところで、全てに先立つものは心だっていうのが始まると思うんですけど、
それは先生にとって心っていうものがとても大事だっていうことを感じたから、そういったものを一番のモチーフにして、全てに先立つものって言葉がすごく印象的だったんですね。
ありがとうございます。
それはどういう先生の中で経験なのか、いろんな咀嚼があったのかなっていう。
手紙鉢っていう作品は、ちょっとジャンプっぽい漫画を書かなければっていう使命の中で書いたものなんですけれども、
でも自分に寄せたら、戦いのバトルの面白さとかあって、あまり得意じゃないですよ、僕。
だから何ができるのかなっていうところで、心っていうモチーフを出して、それが書くになったんで、これは心の物語だけにしようと思って。
あれはだから心が基本に全てにあるっていうのは、最初から最後までこの物語の全部ですっていうことなんで、ずっと頭に入れてたんですけど。
バトルを描くのが別に得意じゃない、でもその時に心をモチーフにしようって、自分の大事にしてることだから、これなら伝わるだろうって感じなんですか。
さっきおっしゃってたジャンプっぽい作品にしようって思うときに、ジャンプっぽい作品っていうところと浅田先生自身の人間っていうところが、当たる部分が心だなって思ったってことなんですか。
本当にそうです。心をモチーフにバトルをするんであればできるなっていう、そこですね。
39:00
能力バトルみたいなものってすごく当時流行っていて、もうちょっとしっとりとして染みるものにしたい。
だからバトルがメインじゃなくて、バトルが終わった後、何か心が見えてそこをメインにしたいっていう。
だから本当に戦いはメインじゃない漫画だったんですよね。
まあそこがあんまり良くない。ジャンプ的には良くないじゃないですか。
そんなことない、そんなことないです。手紙鉢をお書きになったのは、おいくつぐらいなんでしたっけ。
手紙鉢は、会えるが終わってからね、36、37ぐらいだと思うんですよ。
だからもう割と最後の少年漫画かなって思いながら、そこから10年ぐらいやるんで、
だからちゃんとお茶の間に届けたいというか、大人も子どもも楽しんでもらえるといいなっていう感じで考えたんですけどね。
実際お子さんが手紙鉢とかって読んだりされたんですか。
読んでないです。
読んでないんですか。
読んでないです。
それは読ませないですか。
いやあんまり読んでほしくないかなって気がしますけどね。まだまだいいかなって。
なるほどなるほど。
すみません、これを絶対聞きたかったことが1個あって。
そのペッツのコメンタリーで先生が書かれてた、自分の人生において人の嫌な部分をたくさん見てきた。
だからそれを書くのに何の喜びも感じない。人はみんな本当は優しいよって書きたいのはそれだけかもしれないっておっしゃってて。
はい。
先生がこれまで、今回全然話してない方もたくさんいろいろあったと思うんですけど、
それを書かずに、描かずに、いや人優しいんだよって伝えたいって思うのって何が根底にあるんですかね。
いやあ、なんかダークなものも面白い、じゃあ面白いですけど、それを描く人たくさんいるじゃないですか。
それをまああえて自分は突き詰める必要はないと思っていて、できるだけ、難しいけどもっといいもんだよっていう、その人は。
いいのを書きたいなっていうのは基本的に僕にはありますね。
それは先生が受け取ってきた作品からそういうものを感じたからですか。
それもあると思います。少年漫画ってそういうもんなんで、もちろん影の部分はたくさんあるんだけども、
42:02
一番大事にしているのはその前向きな何かがそこにあるっていうのが大事だと思っているんで。
だからこれは僕は少年漫画ジャンプっていう場所で描いてきた時に、もうこれしか描きたくないなっていうふうに思ったものでもあるんですよね。
表には出してないけどものすごいダークなもののネタを描いたこともあるんですけど、なんか出すべきじゃないなっていうか。
それは最初にジャンプっていう場所を通ったからなんですかね。
多分でもそれは自分が少年時代に読んだ作品から受けた影響だと思います。単純に。
そこで自分がパワーをもらってた。
夢を見せてもらったっていうのが大きいので、それをへし折るようなものを描きたくないっていうか。
ありがとうございます。いろんな話をさせてもらって。
なんかこのコミックアトラス最後に先生から僕にこの場所に行ってほしいって宿題をもらってるんですけど。
本当にうちに遊びに来てください。
いいんですか。
もちろんです。
さっき中野の話をしたから、鎌倉の呪福寺の参道をぜひ歩いてみてください。
鎌倉は今観光客ものすごく多いんですけど、呪福寺とかはすごい人が少なくて、たぶん1本入るとだいぶ空いてる感じがありますんで、そこへ行ってうちに遊びに来てください。
嬉しすぎる、それは。
呪福寺、承知しました。まずはそこに行かせてもらって、先生のところに行かせてください。
ぜひぜひ。
今日は本当にありがとうございました。
ありがとうございました、本当に。
45:20

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