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2026-02-11 10:17

『自分のことを自分で語れる子』

小6次女の学年末懇談会に行ってきました。
学年目標の1つが『自分で自分を語れる子』。
私がこの目標について思うことを話してみました。

くらいのところで「聴く経験がない人って聴けない」といってますが、正しくは「聴かれる経験がないと人って聴けない」でした🙇‍♀️

#小学校 #学年末 #懇談会 #小6 #自己表現
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おはようございます。2月11日、水曜日です。
こちらは、アウトプット雑談プログラムとして、書くことで穏やかに暮らしたい私が、ジャーナリングのように雑談するラジオです。
祝日ですね。週のどこかに祝日があると、ちょっとホッとするというか、気が抜けるというか、気分の強です。
お聞きください。ありがとうございます。
今日はですね、昨日行ってきた小学校6年生の次女の参加日と学年末、懇談会があったんですけれども、その懇談会であったことについてお話をしようかなと思います。
次女の学年の学年目標というのがあって、それは4月にも聞いていたんですけど、
3つあって、その中の1つが、自分のことを自分で語れる子という目標でした。
これは4月に私が資料で見たときも、あって思ったことで、すごいいいなと思ったんですよ。
自分のことを自分で語れる子というのが。
自己表現という分野にもしかしたらなってくるのかもしれないし、
昨日はそう言って先生が言ったので、多分そういうことが狙いなのかなと思います。
自分のことを自分で語れる子というのは、自分が思っていることとか、考えていることとか、そういうことを言葉にできるということなのかなと思います。
当然じゃ当然なんですけど、何でも調べれば答えは出てきているじゃないですか。
タブレットを皆さん持っているし、何かわからないことがあればパッと調べられる。
それですぐに回答が得られる。
わからないことか、わからないことにならないというか、自分で考えることも減っているのかなと思うんですけど、
何でも聞いたら返ってくる時代ですぐに答えが出てくるけど、
それって自分の外側の答えというか、自分の内側の答えではないのかなと思っていて、
先生たちがもしかしたら言いたかったというのは、自分の内側の答えを自分で出すしかない時代に、
自分のことを自分で語れる子という目標になったのかななんていうのを想像しました。
私はジャーナリングであったりとか、こうやってお話したりとか、あとは少しずつですけどノートを書いたりとかするので、
割と自分の言葉を意図的に発信することが多いなと思っているんですけど、
もちろんそれを大人もやらない人もいますし、あとはそういうふうに何か書いたり出したりということをされない方もたくさんいらっしゃるのかなと思います。
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自分のことを自分で語るというところで考えたのが、私がいつもヘルプデスク業務をやっているんですけど、
その時に自分が困っている状況があまりよくわからない方とか、どうしてそうなったのかというのが説明できない方が多いなと思っています。
いつからですかとか、いつからかわからないけどできないとかもそうだし、
あとは今の状況をもう少し詳しくとか言っても、いやわからない、何かやったらできなくなったみたいなこととか。
自分の状況を話せないとこちらもどういう対応をしていいかもちろんわからないというのもありますし、
あとはこちらにもしかしたら画面が見れていると思っているかもしれなくて、何かしないけどわからなくなったみたいな感じでいらっしゃいます。
でもこれは人に状況がわからないということよりは、うまく説明できないのかなと思ったりとか、
そっちでわからないのかそっちでわかってよみたいな感じもあるのかもしれないんですけどね。
これをもう少し話してくれるとものすごい簡単に済むのになって、
あとはいろんなことを話してくれるんですけど大事なことが抜け落ちているとかいうこともあったりとか、
自分も気をつけなければならないなと思うんですけれども、子どもに限らず大人でもそういうことはもちろん発生しているんだなというのを感じます。
何でもスマホだったりパソコンだったりタブレットだったりで調べたら誰かが用意している答えがあるわけですよね。
自分で考えたり自分の言葉にしなくても用意されているものがものすごい多いので、
自分で何か考えて話すとか自分のことを話すという機会がもしかしたら減ってしまっているのかもしれない。
自分のことというか何か状況を話したりとか説明するということがもしかしたら減ってしまっているのかもしれないなと思いました。
あと自分のことを自分で語るというのにはやっぱり聞いてくれる人が必要なのかなとも思っています。
聞く経験がないと人って聞けないというのも聞いたことがありますし、
何か喋ろうと思ったときにその人が最後まで聞いてくれなかったりとか、
あとは違う話を被せられたりすると話す機ももちろんなくなってしまうじゃないですか。
これは私も十分気をつけないとなと思っているんですけど、
子どもたちの話を聞いたときにそれってこれでしょって想像がついたりとかしてしまうときに
どうしても私が最後まで聞かずに言葉を発してしまったりということが本当によくあるなと思っていて、
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そういうことも自分で自分のことを語れる子っていうところの目をもしかしたら積んでしまっているかなと思います。
いろいろ答えはありますけれども、自分の中の小さな、
モヤモヤだったり、考えだったり思いだったりっていうのをやっぱり出していける人になってほしいなって、
昨日また改めて思ったんですね。
それは文章であってもいいでしょうし、絵であってもいいでしょうし、
体を使って表現することでもいいと思うんですけど、
そういう何かの自分の中の小さなモヤモヤだったり、考えだったり、思いだったりっていうのをやっぱり出していける人になってほしいなって、
思うんですけど、そういう何か自己表現っていうことができるようになってほしいなというのを改めて感じました。
私がこうやって話したり書いたりするんですけど、
うちの娘たちは本当に親がこんなに手帳に向かったりノートに向かったりしていても、一切そういうことをやろうとはしないんですね。
これはもしかしたら今の段階ではまだ感じてないのかもしれないんですけど、
今後もしかしたら役に立つことがあるかもしれないし、
もしくは別の方法でこれと似たようなことをやり始めるかもしれないので、
そこはね、見守っていきたいなと今は思っています。
でもね、言いますよ。
ノートに書いたらいいんじゃんとか、今思ったことを何かに残しておいたらいいんじゃないのっていう話はね、
そこらここらでしてはいるんですけれども、
もしかしたら書くっていうことが苦手なのかもしれないですね。
あんまりそういうことをやろうとはしないです。残念。
ただね、将来的にそういえば何か書いてたな、うちの母っていうのを思い出してもらえるようになったらいいのかなと思っていて、
下もね中学生に上がるので、まあ思春期に入っていくんでしょうし、
何かこうあった時のモヤモヤみたいなやつをまずは一旦自分の中でどう思っているのかとかどう感じているのかっていうのを
自分で客観視できるような方法として書いていくっていうことを推し進めていきたいなと思います。
長いと思っていた小学校なんですけど、長女と次女と含めて10年間小学校には通っていたと思うんですね。
通っていたっていうか、私が通ってたわけじゃないんですけど、こういう懇談会とか面談とかで行っていたなと思うんですけど、
これもいよいよ最後なんだなっていうのを昨日感じまして、
なんとなくちょっと心寂しいような、心持たないような成長してしまうんだなっていうのをしみじみと感じました。
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私の友人は3人兄弟がいて、そこがちょっと離れているので、14年小学校に通ったっていう子がいて、
14年理性討伐をやって、この間やっと終わったよって話を2人でしてたんですけどね。
終わってみるとあっという間ですよね。小学校の6年って入った時すごい途方もなく長いなって気がしちゃうじゃないですか。
だけど、1年1年があっという間だったなと思うし、あとは授業が入った年は2020年の4月だったので、
入学式だけ行って翌日からオンラインっていう時の人たちなんですよね。
なので、本当にクラスで授業をするっていうことも5月の下旬とか6月くらいになってからでした。
あとはお友達の顔もマスクしてて見えないよみたいな時期があった人たちが、
いろいろ積み重ねて6年生になったんだなっていうのを感じた昨日でした。
ここまでお聞きくださりましてありがとうございます。
今日も良き一日となりますように。ではまた。
10:17

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