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2023-09-20 16:37

私が居場所つくりをする理由-親の話

今日から3回シリーズで「私が居場所つくりをする理由」をお話していきます。
なぜ居場所つくりをするのか、どんな理由でコーチングをするようになったのか、そのきっかけになった出来事をお話しています。

今回は親の話。
大人になって見えてくることってありますよね。
両親にはとても感謝しています。



#居場所つくり #親 #起業 #コーチング



【チャンネル紹介】
このチャンネルでは、心と暮らしを整えて、自分自身を第一の居場所にしよう!と考えている私が、日々の暮らしやお仕事で感じたことをゆるっとお話しています。

🏠居場所作り(自己基盤、暮らしを整える日々の小さな喜び)
📖仕事(新しい働き方、起業)
👶子育て(子供と片づけ、子供とコーチング、家族)

【居場所作りとは】
心と暮らしを整えることで、自分自身が第一の居場所になる。
そうすれば、第ニ.第三の居場所でも、あなたらしく、心地よく過ごすことができる。
あなたがほっとひと息つける場所。
そして、そこからまた前に進んで行ける場所。
一人ひとりにそんな居場所があってほしい。
そんな想いから居場所作りを始めました。

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40代から始める居場所づくりラジオ。 このチャンネルは心と暮らしを整えて自分自身を第一の居場所にしようと考えている私、いとうゆうこが、日々の暮らしやお仕事で感じたことなどをゆるっとお伝えしています。
平日は朝8時30分頃までには毎朝配信しているので、ぜひフォローしてくださいね。
みなさん、おはようございます。
今日からちょっとシリーズものということで、3回シリーズで、とあるテーマについてお話ししていこうと思っています。
内容としては、私が今ね、自分の自分業ということで、自分自身を第一の居場所にしよう。
手段としては、コーチングとかライフオーガナイザーという、そういう資格を持ってね、私ができること、それを使ってみなさんがね、ハッピーになるようなお手伝いがしたいというふうに思っていろいろ活動してるんですけど、
なんでそもそもそういうことをしようと思ったのか。 そのきっかけとなる出来事について
大きく3つの転機があったなって自分自身で感じたので、それを3回のシリーズに分けてお話ししていこうかなと思っています。
今日の1回目は、私と両親とのことかな。
2回目に関しては、夫との生活の中で、私が育休明けの復帰して、仕事1年ぐらいのことかな。
その夫との生活のこと。で、3回目が私自身に起こったこと。
で、この3回目に関しては、ちょっとね、あまりにもプライベートな部分があるので、
ちょっと本当に申し訳ないんですけど、有料放送にする予定でいます。
ですので、2回聞いて3回目有料かよっていうところもあるので、もしだったらそこらへん気になる方は、
3回シリーズで終わってその後は普通の放送になりますので、
その普通の放送になった頃にまた遊びに来ていただければ嬉しいなと思います。
で、普通に1回目2回目聞いていただける方に関しては、3回目もし興味があれば聞いていただければという内容になっておりますので、
そこらへん申し訳ないんですけれども、有料放送になるよっていうちょっと予告だけお知らせしておきます。
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はい、では早速まず今日のテーマ、私と両親との話なんですけれども、
私はですね、もともと宮城県に住んでまして、父と母と姉の4人暮らしでした。
両親とも九州に住んでいたので、あのね、父と母の両親、だから私にとってのおじいちゃんおばあちゃんですけれども、
九州に親戚がほぼいるっていう状態なので、もう本当に各家族の生活だったんですよね。
で、私がもう幼少期からずっと宮城県に住んでいて、引っ越しをするっていう経験もなかったので、
近くの家をね、移り住むということはあっても、宮城から出るということは一切なかったので、
本当に私にとって小さい頃の世界っていうのは、家族4人の世界でした。
私は当時を振り返って思うのは、すごく家族が大好きで、
この4人がいればいいっていうような考えがあってね、だからまあたまに親戚が遊びに来たりとか、
自分たちが九州に遊びに行くっていうのが本当に苦痛で、早くまた元の4人の生活に戻りたい。
もう、なんて言うんだろうな、私たちのこの家の中に入ってほしくないみたいな、なんかね、すごく縄張り意識が強いのかな、
なんかすごくこう保守的で、自分の家族をさえ守っていればいいみたいな、なんかね、そういうのが強い子供だったなと思ってました。
で、私は本当に父と母と姉と、まあとにかく特に小さい頃はね、母からものすごく愛してもらったって感覚があって、
もう母が大好きでね、姉も大好きで、もういつも姉の後ろくっついて歩いていってね、
で、クリスマスとかも、なんかね、歌を歌うんですよ、なんか、なんかジングルベルかなんかね、
で、わきあいやいと母が作ってくれたチキンをね、食べるとか、お正月とかも父がね、なんか立派な割り箸、
なんかよくお正月に使うような特別な綺麗な割り箸を買ってきて、そこに一人一人名前を書いてね、席に置いて、
で、まあちょっと大きくなってからは1年の抱負を言ったりね、ちゃんとおとそ、おとそだっけ?あのお酒も飲んだり、おせちも用意して、
みたいな、あのなんかね、ちゃんとした家族、いわゆる、
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なんかよくわかんないけど、そういう家族で、私はそれが本当に普通だと思っていたし、
すっごく幸せで、 本当にこんな幸せな家族ってないと思う、みたいな、
私ね、本当にね、ピュアだったんですよね。 疑いもなく私は幸せだと思っていたし、
あの愛されていて、もちろんそれは今でも思っていますけれども、幸せにスクスクと育っていきました。
で、まあ、まあね、学生の頃とかはね、いろいろ思春期でいろいろあったかもしれないけれども、でも取り立ててそんな大きな反抗期っていうのもなく、
まあスクスクと本当にあのまっすぐ育っていったなって思います。
その生活がちょっとあれって思ったのが、まあ母方の祖母が亡くなって、ちょうどその同じ頃に姉が結婚して家を出ていって、
私と父と母の3人で生活するようになった頃。 まあその頃やっぱりね、まあどんな家庭にもいろんな問題があるかと思うんですけど、
我が父と母にもやはり少なからずそういうのがあって、ちょっとね、父と母が契約になってしまったんですよね。
で、その状態っていうのが、まあ私にとっては結構初めてなぐらい、私の中では結構こう契約度がひどいというか、大丈夫かなって心配になるような状態で。
で、その頃に、私は知ったのが、まあ
ね、あの、父と母っていうのはやっぱり昭和の生まれの世代ですし、父と母の親っていうのはもう明治大正ぐらいのね、あの人たちなので、やっぱりその当時の価値観を持った親に育てられた父であり、その価値観で育てられた母であったので、
やっぱり父は、男は家、違う、男は稼ぎで家を守る、女は家にいるべきだ、みたいな。だから結構、私は当時知らなかったけれど、母はいろいろと、まあ母なりに苦労したり我慢したりしていたみたいで。
で、それが、母はまあその、その時期にね、あんだけ頑張ってきたけれども、私の人生は何だったんだろうと思うことがあったんですよね。
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で、まあ少しちょっと母が心の状態もね、元気じゃなくなってしまって、あの、いっぱいね、いろんなことを責めたり、自分自身を責めたりするようになって、で、私はその時に初めて、私は本当に小さい頃から幸せで愛されてきて、本当にもうピュアにまっすぐに育っていっていたけれども、
その、私の幸せっていうのは、母の苦労や我慢のもとで成り立ってたのかなっていうのが、すごくこうショックで、なんか、母が当時いろいろ、いろんなことを責めたり苦しんでいる姿を見るたびに、
今までの母の人生、そして私の幸せだった生活を否定されているような感覚があって、とても辛かったですね、側で見ていて。
で、私はその大学でね、心理学を学んでいたので、少しだけそういう知識があったので、母にどういうふうに寄り添えばいいかっていう知識はなんとなく素人ながらにあったので、とにかく母に寄り添って話を聞いて、っていう状態を続けていました。
その時の対応があっているかどうかはわからないけれども、寄り添いながらも、母の言っていることを否定したい自分もいてね、そんなことないよ、お母さんが今までやってきたことは素晴らしかったよ、私は幸せだったよ、お父さんだってお母さんのことを大事に思ってたんじゃないって言いたいけれども、
いろいろ思いが通じなくて、
で、何て言うんだろうな、母の苦しんでいる姿とかが自分の苦しみになってしまって、自分自身もずっと両親のことを考えて、
今、何て言うんだろうな、私が一人でいる時も、今頃母は苦しんでないかな、泣いてないかなとか、父と母が喧嘩して父も苦しんでないかなとか、ずっとずっとそれを考えていて、ちょっとしんどい時期でしたね。
時が経ってね、今になると、母も元気になっているし、少しずつ当時のことをポロッポロッということがあって、母なりに時間とともに消化していった部分もあるし、
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父と母との2人の間でね、2人にしか分からないような修復、関係性を築くような努力をおそらく、それぞれできる範囲でやったんじゃないかなっていうのは思います。
今でもね、父と母喧嘩することもあって、そこらへんはね、父も母も年を重ねたことによって、もういいの、お父さんと喧嘩しても、みたいに、なんかね、そんな風にも変わっていっているのでね、今は落ち着いてますけど、
やっぱり当時の母は、やっぱり私と姉、子供の前で、父の悪口は一切言ったことがなかったし、喧嘩している姿もできるだけ見せたくない。とにかく愛を与えてくれたんですよ。
でもやっぱり、なんだったんだろうなぁとか、自分の人生を否定してしまう時っていうのはね、もしかしたら誰しもがあるのかもしれなくて、その場面にどうしても立ち会ってしまったからこそ、
もし当時頑張っている母に寄り添う人がいたらとかね、私は子供だったけれども、もう少し大人の考えを持つ子供だったら、母に母のことを気づいてあげれたかなとか、
まあね、時代もあるし、母自身、父の性格とかもあるからね、なかなかそこらへんはたられ場の話で何とも言えないけれども、やっぱりその時のリアルに苦しんでいる母を見ていたのでね、
父もね、なんかこう、ちゃんと見れてなかったっていうか、わからなかったなあ、私は表面ばかり見てたなあっていう部分はありますね。
まあでも、それでも幸せだったとかね、愛されたっていう事実は変わらないので、そこはもうほんと何よりも感謝してますけどね、なかなかちょっとこう、一つの大きな出来事でしたね、当時のことは。
今、コーチングに出会って、まあいろいろと学んだ後の私が変わったなあって思うのは、その当時、父とか母が喧嘩っていうかね、まあいい争いしてたり、母が苦しんでいる姿を見ていると、私は本当にその相手の苦しみが自分の苦しみになって、私自身も苦しい状態だったんですけど、
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今は、まあ母の苦しみは母の苦しみだなあとか、父の言ってる言葉、父が背負うべきものだなあみたいな、少しこう問題を、自分事と切り離せることができるようになりましたね。
それはすごく大きいなあって思っていて、やっぱりね、一緒に悩んでたら一緒に友達になってしまうしね、それはやっぱりコーチングを学んでいて、コーチングに出会ってよかったかなあって思う一つですね。
ということで、ちょっと長くなってしまいましたが、今日は私が居場所づくりとかね、コーチングをなぜやろうと思っているか、みんなにお勧めしているか、そのきっかけの一つ、私の両親の話をさせていただきました。
次回はですね、実際私が結婚して子育てにバリバリ奮闘しているその当時の話をしたいと思っております。また次回も聞いていただければ嬉しいです。
今日も聞いていただきありがとうございました。またお会いしましょう。
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