1. こもれび書店のこぼればなし
  2. Ep.2_京都の文フリの話から、..
2026-01-18 1:21:50

Ep.2_京都の文フリの話から、ヒートアップした話

今回のトークテーマは、収録日の2026年1月18日に京都のイベントホール「みやこメッセ」で行われた『文学フリマ京都10』に出展した「こもれび書店」の感想。のハズが、ニッケさんがテーマが逸れて、まさかの文学フリマ批判?と思いきや、実は熱い想いがありました。その話の文脈がメチャクチャだったので、まず冒頭の音声は、収録時の終盤です。そこから、序盤に戻る編集をしました。ジングルによって、シーンが切り替わります。

サマリー

文フリにおけるプロとアマチュアの境界や、出版界の改善の必要性について話し合っています。ポッドキャストにおけるリスペクトや伝達の重要性についても触れています。京都の文フリは岡崎の宮古メッセで開催され、出展者数が増加し、参加者数も多く、賑わいを見せています。出展者は自ら制作した本を販売し、多様な参加者が集まる中で新たな視点を得る機会となっています。このエピソードでは、京都の文フリに参加した体験を通じて、出店者のプレッシャーやコミュニケーションの重要性が語られています。また、イベントでの作品紹介や交流の面白さについても触れられ、特に若い世代の情報発信のスタイルがフラットになっていることが議論されています。京都の文フリでは、多くの参加者が独自の表現を追求しており、印刷技術の向上によってアマチュアでも質の高い作品を作れるようになっています。デジタルとアナログの表現方式の違いや、発信の場としてのSNSの影響についても議論されています。京都の文フリについて語り、プロとアマチュアの境界やその影響について話し合います。参加者は出版市場や価格設定、料理の例を通じて、評価基準の曖昧さを探求しています。京都の文フリイベントではアマチュア作家とプロ作家の境界が曖昧になりつつあることが議論されており、この現象が出版業界や書店に与える影響についても語られています。

文フリとプロの希望
僕が描きたい世界は、文フリでたくさん評価されている人が、プロになって本業界を盛り上げて、プロの本業界を盛り上げてくれたらいいなというのが、アマチュアにとどまらない。
まあ、そうなるか。それはまあ、その人たち次第じゃないですか。
そうなってほしいなというのは、僕の希望であって、なりなさいとは言ってないので、そのためにもし原稿料が安いとか、そういうものがあるんだったら改善してほしいなと、出版社が。
職業としての魅力がないんであれば。
それを言うんだったら、日経さんが出版社を作って、ちゃんと原稿料を払って、お金を回すという仕組みを作った方がいいんじゃないですか。
それは僕はできなかったわけだよな。
経という雑誌を作ってて、途中でやめたのは、これから原稿料、ずっと原稿料払ってた。
それを足事としてやってもらうつもりだった。書く人に。ただでも書くよという人には頼んでなかったわけ。
だから、それができないとなった時点で、今は発行を中断している。
それを最初に言って、話を展開していかないと、文振り批判だけになって、素人批判にもなってて、思いとしては別にそうではなかったと。
前の収録の時に、独立系のやつ、あの話も、今もそうなんですけど、そこをちゃんと、独立系でも、書店だからリスペクトはあるわけじゃないですか。
ちゃんと書店として、今の書店がなくなっている中で頑張っているっていうリスペクトがある上で、言わないと、今もリスペクトはあるわけじゃないですか。
リスペクトと伝達の重要性
で、お金払って、っていうのを最初に言って、話を言っていかないと、
文句だけ言うってこと?
そうそう。だから最初に、そこは今日話したかったことでもあるんですけど、ただ批判だけに聞こえちゃうんで、
それはあの、今の、別にニッケさん個人でやるのは大変ですけど、そこがちょっと使いづらいというか、
そうですね、表現手段として、最初に何かしらリスペクトだったり、ちゃんと伝える話の順番だったりがないと、なかなか難しいですね、あれは。
前提条件っていうのがそこっていうことだよね。
前提条件を、自分の中ではわかっているけれども、それを相手はわからないんで、特に聞く人だったり、そこを最初に、
ただの批判だけだと、やっぱり、ポッドキャストでも聞いてても、聞く価値はないと思うんで、そこは個人の意見としては別にいいんですけど、
ポッドキャストとしてあえて発信するものでもないなっていうのはあるんで、そこはちゃんと、今もそうだったんですけど、最初に前提条件だったりを言わないと、なかなか厳しいなっていうのが前回の反応。
そうですね。独立系のやつで言うと、僕も同じところは思いはあるんで、乗っかっちゃったりしたんですけど、やっぱり、芸人とかだと、ちゃんと回収するというか、芸にして批判したり。
何かしらの、聞く、面白いかどうかはわかんないんですけど、なんかざわってする、嫌な気分になるような要素は排除しないと、できるだけ消していく。その上で、面白いかどうかは聞く人の判断に任せたいんですけど、あんまりネガティブなところだけを、話の順番だったり。
で、やるのは厳しいなっていうのがありますね。聞いてどうですか。
先週のやつと今のやつも、同じ現象が繰り返されたという指摘だと思うんで、基本的に自分としては、例えばラジオで喋ろうが、何で喋ろうが、メディアに対して尊重しているというか、まずメディアに対して誠意があると思っているわけね。
こんなので喋ってもということはまずない。取り上げる話題についても、レスペクトというのか、善というか良いというところからスタートしているわけ。
良いというものに対して、自分なりの裏側の思いというか、それを伝えていくという感じで、あえて言うてしもてる部分があったのかもしれない。
良いというところを端折って裏側から入って、言った部分があって、それは北野さんが言うように、僕でも聞かされたらすぐスイッチ切るわね。
アマチュアと出版界の構造
結局、間合い間合いと言いながら、飲み屋の間合いとか、知ってくれている人との会話になっているということだよ。他の部分での自分自身は。
僕の中だと、編集者としての視点を持っているので、編集者としての視点を持ちながら話してくれるかなと思っていたんですけど、僕はそうしているんですよ。
常に、もう一人の俯瞰している話をしているときでも。ただ、そうではなかったと。それはそれが分かったというのが良いので、ただ今前提条件を揃えて、最初にリスペクトだったり、隠れた前提条件を話した上で、でもこういう思いもあるという風に、
していきたいなと。
取り上げる話題に出てくるやつ、例えばこれから本とか、個別の作品についてしゃべると思うけども、それについて、本当に嫌や思っているやつとか、読む価値もないとか思ったという話はないわ。
そもそも取り上げないじゃないですか。
それは本の売り方、独立系であったり、大型書店であっても、あんなもんいらんわというものに対しては話題にしないし、けどそれを分かりやすく、自分なりに評価、この辺が面白いと思っているところからスタートしていけばいいんやと思うね。
いつもの会話からそれはわかっているやろという雰囲気で始めてしまったのが、そんな言うてていつも文を振り言ってるやないかとか、あの時笑いながらお客さんと楽しんでたっていうのを知っている人には良かったかもしれんが、それを知らんリスナーの人にとっては何のこっちゃというところやな。
それから本屋についてもあらゆるものについて多分ね。
ダザイオさんも好きな人に対しても違うんだと思うし。
あれは全然僕はいいと思いますよ。
それはダザイが好きで旅行も行ってっていうのは伝わってるんで、それは全然回収できているというか。
それはニッケさんのならではの愛し方というか。
それは全然いいんで。
そもそもやっぱ話題にするっていうことは何かしらのリスペクトがあることしか話さないと思うんで。
そこのちゃんとリスペクトのところを話した上でからちょっと違う角度、こういう面もあるかもっていうところを話していけたらなと思ってます。
もう1時間っすよ。
文振りのことで言いたかったのは、アマチュアとして楽しんでいる人の中に、アマチュアプロでずっと仕事として生きたい人がいるんだろうと。
それをアマチュアに留めるような本にまつわる環境は良くないねと。
プロの人は本屋で買わなあかんし、売らなあかんし、そういう出版社もいるけど、それにつながらないようなことが本の周りでは起こっているのかなと。
分かる?
分かりますよ。
それを最初に言ってないから、ただただアマチュア批判に。
アマチュアを批判しているんじゃなくて、アマチュアに留めようとしている状況やとか、ひょっとして利益を得ている人とかがいるのではなかろうかと。
それによって、その世界観に留めようとしている人たちが。
ずっとアマチュアでやりたい人がいたらそれでいいし、それを楽しみたい人がいてもいいけど、もしそうじゃない人たちまでその世界に押し留めるのはもやもやしていて。
なるほど。
プロとは何や、アマチュアとは何やという妄想に入っていくわけよ。
なるほど。
その前提条件が抜き落ちてますね。
なのでここはちょっと編集して、冒頭に持っていかないと聞けないです。
そんなこと言うたらさ、アマチュア否定になったらシェア型書店になっていくし、棚借りて売ってある人はアマチュアなので。
だからそれが抜けてたんで、また今日も使えないのかってなっちゃうわけじゃないですか。
もう一人の自分がこのまま行っても。
雑談だったらいいんですけどね。
ポッドキャストとしては使えないからっていうので、今日はこんな感じで。
次っていつ会えるのかな。
次はまたちょっと予定を組みます。
ちょっとやり直しましょう。
今日のは今日のとして、それを踏まえた、
今日が相関号とすれば、前が相関準備号で、第1号を。
今日も15分くらい前までもうダメかなと思う。
もしかしたらそこまで得意じゃないかもしれない。
ポッドキャストで。
改めて今の気持ちはどんな感じですか。
楽しみにしてる。
どういうところが楽しみですか。
こうやってボツになりながらも、すぐ反応していけるわけやんか。
横に置いとけるものではないという感じしてるね。
でも、とっちらかってそれで終わっていいもんだとは思わないわけよ。
そうなっちゃうことが多いので、紙でやると。
それを後からまとめ直そうとかしたら、また戻る幅が大きいというか。
こういう生のメディアは、今もリカバリーというかしやすいし。
基本はあんまり編集したくないですけど。
頭が切り替わってなかった時に、今まで編集するにしても自分で書くにしても、
新しい雑誌の企画をするときに、編集って木字を作っていくわけよ。
それで並べ替えたりするわけよ。
木字を書くときはあんまり順番を考えないと、
これいるな、これいるな、これもれてるなという編集作業をやっていて。
紙を作るにはその期間が一番大事で、ゆったりしているわけよ。
今のポッドキャストで台本二段とか偉そうなことを言っていたけど、
その作業を本番でやってしまっている感じがする。
後の方で出てきたらわかることが、先に言ったままに放置している感じがするので、
その整理をする。このメディアでは癖をつけるというか。
やりながら上達というか。
これに合った形の発信をしていく。
だから面白いという表でさっきのを言っているので。
僕もそこに面白さを。
ちょっと新たなね、想定外の面白さですけど。
こういう面白さが、もちろんメッセージか、
Xに投稿した、想定外の何かを求めてやっていたら、
これは想定外なんですけど、まさかこの角度で来ると。
頭を痛めていた。
まあでもね、楽なことばかりやってもしょうがない。
まあちょっと海の苦しみみたいな。
ものっていうのはまあ、ポジティブに。
だから僕としては自分の中で、最初から順番を決めた木事を作るというのは自分でも想定外の行動なので、
今までやってないことやから、想定外の楽しみをしたい。
なるほど。
本の編集って本は後から持ってこれるわけだから。
そこからスタートしてるから、そこさえやっておいたら手術は少ないわけよ。
書き切ったやつを後から映像の編集みたいに繋げ合わせていくってことはしないので、
書く前に行ったり来たりを繰り返してストーリーを作るので。
ってことはリアルタイムでストーリーを作っていくのは今はあんま慣れてないってこと?
初めて。
で多分、ラジオとかで喋ってるのは、あれもほとんど編集されてへんけど、
MCの人がいたり、今ってこう、キャッチボールを続けながらこう作っていってる。
聴き手じゃないやん、北野さんが。
そういう中でコントロールされてたんでしょうね。
ラジオとかは聴き手の人が。
それで思いつきであっても彼らが作った木人草って喋ってたんでしょうね。
そうですね。
確かに本当にフリーになると難しさはあるのか。
脱線を楽しむのが僕はポッドキャストだと思うけれども、
ここまで脱線すると想定外の脱線で。
酒も飲めないで。
そうか、僕の予想上回ってきたなっていうのが今気づいた脱線ですね。
私から知ってる人によく言われるのは、僕の考えの方式として、
機能法じゃなくて演劇法すぎるっていうね。
機能法はこうやってこうやってこうだからこうですってなるんだけど、
演劇法は逆で、こうだっていうところにその理由を述べていくんだけど、
このこうだっていうことをここでは飛ばしてしまってるわけや、多分。
そうそうそうそう。
そもそも演劇法じゃないよねって。
こうだけどこう。だけども言わんと、だけどの後をずっと言ってるわけや。
これを冒頭に持ってきて、
からちょっと荒れた展開になると、
意味がわかると思うんで。
オーディション番組で
アイドルが生まれるように、成長の姿を。
じゃあ押し勝つもされるぐらい。
押し勝つされるぐらい。
いろんな技を持って。
なるほどね。
そうきたか。
これは、これでもしちゃんと成立させれるようになったら、
相当僕のディレクション力上がりますね。
上がりますね。
お東さんブックパーク始めたときに、最初の1回目が嵐やった。
嵐じゃなくなったら伝説の第1回になるねって。成長したら。
言ってたけど、いまだに嵐やからね。
和田三年師から。
僕もこれで鍛えられますわ。
技としてるわけじゃないよ。
そこまでの努力があるわけじゃない。
ニッケさんとちゃんとした延期法が作れるようになったら、
どこで出てもいけますね。
何かがなされるかもしれないね。
これは波乱の幕開けですね。
前のがゼロって書いてましたっけ?
エピソードゼロ。
エピソードゼロだから今回はマイナス1。
エピソード1。これがスタートでどういう変化。
話の内容っていうよりかは、組み立て。
両方、1回で2回楽しめるみたいな。
内容もそうだし、組み立ても楽しめるように。
想定外の。これはね、たぶんポッドキャスト史上初めてかもしれないですね。
そんな感じで。
スポティファイってやつ入れたね。
あれで、ちょうどアマゾンミュージックとアップルも今できるようになってる。
それはスポティファイだけじゃなくて、リッスンってやつと、
ハテナの近藤さんが作ったやつと、アップルのポッドキャストと、
リッスンってやつ聞いた。
文字起こしが出てくるよね。
っていう感じで、どうなるかわかんないですけど。
善とたなんですけど。
頑張りましょう!せっかくなんで。
文字起こしたものを組み替えるのってことやったね。
それでもエイヤーがやってくれる。
僕のプロとしての仕事がなくなるじゃないですか。
じゃあまたよろしくお願いします。
皆さんも懲りずに。
ありがとうございます。
1時間20分。
ありがとうございます。
文振りの話を。
京都の文フリの開催
今日はどこで文振りがあったんでしたっけ?
今日は京都の文振りで、会場は岡崎の宮古メッセ。
今までは1階のワンフロアだったんが、
今年から1階と3階に分かれて、
その理由というのは出展者が多くなった。
ということでよろしいんでしょうか。
出展者数って出てます?
出展者数?
本番にちょっと流してください。
僕も1回行ったことがあって、
大阪も行ったことがあるんですけど、
やっぱすごい人だなっていう。
こんなに紙メディアで
自分で出版した人が。
驚きがすごくて。
最初行くと。
僕は本に関わる仕事を、
それこそいろんな立ち位置でやって、
30年以上やってるけど、
あの世界観知らなくて。
知らなかったんだ。
かなり知らなくて。
3年前かな。
木漏り日書店で最初に出たのは、
あれと。
最初出たのは一昨年。
幕府には京都の8階に初めて出てる。
それの前の大阪、9月にやってた大阪に、
いっぺん行こうって言って、
私はその前に大昔に、
京都で始まった頃に1回見に行ってるんですよ。
その8年前ってこと?
うん。
京都の1回目か2回目の時に、
すぐ50年前くらいかな。
でもこの人は行ったことなかったから、
ああいうとこで、
うちの雑誌を売ろうって言って、
どんなイベントか見てもらわないと、
うんって言ってもらえないと思って、
大阪でやってる時に1回連れて行ったんですよ。
こんな感じやし、
別に小説とか詩とかの人ばかりじゃないから、
富豪記とか、
うちみたいな、
リトルブレスみたいなの出してる人もいるから。
その前にだから説明として、
コンモビリビ書店の前に、
ニッケという、
ニッケさんなんだけど、
法人を作って、
そこからKという雑誌を作ってたよね。
それはもともと、
僕が民泊にいた時に作っていた、
世界のとか、
いろんな所に住んでいる人たちの暮らしを伝えるというのを、
国立の機関じゃない枠組みで作ろうとして発行した。
自主的に。
それをいろんな所で売り出している中で、
僕は本屋さんという所しか見えてなかったんだけど、
奥さんはそういう、
別の活動の中で、
音楽振り間というのがあるのを知っていて、
ということで、
本屋さんしか知らない僕が、
まず見た方がいいというので連れて行かれた。
反論の一つとして、
そこもあるけど、
もともと本屋しか知らなかった自分としては、
ちょっとよく分からないね。
よく分からないね。
出展者の多様性
そこに行って、最初の驚きは、
さっきも言ったのが、
みんなルールとしては、
自分で作った本を売っている。
作った人が売っている。
作った人から預かっているというのは、
基本的にいなくて、
あるみたいだけど、
基本的には自分たちの本を売っている。
ということはそこに並んでいる人は、
みんなが制作者なんだよ。
小説を書く人であれば作家さんだし、
評論的な人も、
アマチュアの研究者的な人であったり、
あるいは大学の文芸部とか、
いろんなところが出していると、
そんな人が今までの暮らしの中では、
片隅なしか見えていなかったのが、
目の当たりにして、
あるやーとなって、
びっくりしたというのが最初の感想ですね。
僕も片隅だったと思っていたけど、
結構道が広いなというか、
いろんな人が通っているなという、
思っている以上ですよね。
文学グリマという名前がちょっと、
若干マイナーなイメージがある。
文学って昔のそれこそ、
この間話したダザリオフさんとか、
そういう感じのものが、
同人誌という世界が昔、
というのは今もあるけど、
かなり限られた人たちが、
参加するメディアなんかなと思っていたら、
そうではなくて、
本当にそれも驚きが、
若い人もおれば、
おっちゃんもおれば、
おじいさんもおばあさんもいると。
80代とかの人もいるわけよ。
それを知らんかって、
僕は何をしていたんだということだよね、
本を作りながら。
しかも、作っていたからこそ、
めんどくささがわかるじゃないですか。
大変さ。
それを売れるか売れないかわからないところに、
動力を刺さくって、
本当に好きじゃないとできないじゃないですか。
多分これカッコつけて言うたら、
少なくともYSBNにとって、
本を作っている人は、
最初はそういう楽しさで、
楽しさと苦しさを味わいながら、
バランスをとってやっていたのが、
どちらかというと、
苦しさのバランスの方が偏っていって、
お仕事になったらプレッシャーとか、
それから表現としても、
正しくなければいけないとか。
そうなってくるよね。
そこに遊び心とかが、
なくなりすぎているのではなかろうかと。
という感じを気づかされる場面というのが、
多分カッコつけたら言うと思うんだけど、
もっと複雑な感情の動きというのはあるんだけど、
すべて肯定的に考える部分と、
すごいなと思う部分と、
若干これでええのかという部分の、
行ったり来たりが自分の中にあるね。
なるほどね。
そういうのを踏まえて、
今日はどんな感じですか?
今日行った人?
今日の出展数が、
1,192出展。
1,900?
1,192。
約1,200点。
すごい。
4桁。
5時の時点の速報値で、
出展者数、
だから1つのブースに2人とかで出てたりするじゃないですか。
出展者の人数は、
1,738人。
一般来場者が、
5,873人。
合計で7,611人。
売る人、買う人。
売りに行っている人も、
買う人になり得る。
まあ、イコールですね。
7,600人の人が、
アマチュアから、
セミプロから、
半分プロみたいな人も出ているけど、
一般の、
うちの棚主さんにもいるみたいな、
一応出版社として、
やっているような人とかも出てはるので、
中には。
とりあえず、本になったものを、
買いに来るなり、
売りに来る人が、
あそこに今日1日で、
7,600人集まってたっていうこと。
京都のスモールマーケットで、
その数がすごいなっていう。
大阪であるから、
大阪でやる人は大阪でいいじゃないですか。
京都だけって考えて、
その数4桁。
大阪、この間大阪も出たけど、
大阪とか地元とか、
関西に近い人が、
出てはる率は、
大阪に比べると
多いのかな。
大阪はわざわざ東京とか、福岡とか、
全然違う地域から出展してくる人が、
もっと多い。
大学が、
京都多いのもあるから、
大学の文芸部とか、
森川高校の文芸部とか、
落成の子たちが、
売ってたりとか、
学校の文芸部系も、
結構出てる。
大阪もそうなんだけど、
高校っていうのが、
開けてきたよね。
大学の文芸部ってイメージあったけど、
高校までやってはるんだよね。
兄弟とか同士とか、
同じ文芸部でも、
文芸部の中でも、
いくつか出てて、
一緒に働いてる。
じゃあ、ふたブースってこと?
そう。
推理研究会みたいな感じで、
元々のサークルが違うのかもしれない。
なるほど。
ちなみに、
今日の小森書店さん、
来客者数は、19人。
すごい。
多かったのか、少なかったのか、
分かんないけど、
平均だね。
平均だなって思ってたから、
それにしては人来たんだなと思って、
帰ってきて思ったけど。
7000っていう数字からすると、
少ないように思えるけど、
基本的に前通り過ぎるだけですよね。
そうそう。
実際話しかけるんで、
泊まってくれる人っていうのは、
お互いちょっとコミュ障な人たちが、
正直多いので。
声かけたら逃げるように言って、
去っていく人とかいるしね。
なかなか、
コミュニケーションが難しいですよね。
難しい。人見ながら、
この人は話しかけてない。
黙って。
リアルの場所で出展しているのにも関わらず、
普通の振り間とはちょっと違う。
そうだね。
独特の恋衣装とか。
今日の、
交流と体験
僕はこっちにいたけど、
小森書店さんとして初めての試みは、
棚借りる人の中で、
単独で出てる人は、
小森書店さんからおられたんだけど、
一人では、
ちょっとしんどいなとか、
ずっと見せ番するの苦手やな、
人喋るの嫌やなっていう人も、
でも興味ある人がおられたんで、
小森書店チームとして、
何人やったかな。
本出した人は7人。
見せ番に入ったのが6人。
7人の人の、
作った本を、
ちょっと事情で来れない人もいたので、
5人で順番に、
見せ番したり、
チームとして出た。
ということをやったので、
みんなの感想を聞きたいけどね。
私は、
一人で出店してると、
買いにも行きたいから。
前回2回は、
棚主さんで、
もともと買い物に来るつもりやった人を、
捕まえて、
出店者パスで先に入れるし、
手伝わへんって言って、
誘って、
私が買い物に行ってる間、
見せ番しといてって言って頼んで、
見せ番に行ってたんですけど、
時間足らなくて、
すごい駆け足で見たから、
今回は3時間は見る時間があったから、
前よりはもうちょっとじっくり、
見れたし、
出店してる人も、
見たいのもあったから、
でも売るのも、
どうやって買ってもらえるのかなってのも、
見たいっていうのもあったから、
両方できてよかったっていうのは、
言いはしてますね。
やっぱりね、
12時から5時の間、
ずっと1人で自分のを売るっていうのは、
ちょっとしんどいけど、
1時間でも見せ番してみて、
どんな人が寄ってってくれるのかなっていうのが、
見れたっていうのが、
いいのか、
またね、おいおい聞いていこうと、
京都の文フリ体験
今日はもうバタバタと撤収して帰ってきたから、
みんなに感想は聞けてないんですけど、
そうなんですよ。
出店者1人とか2人だと、
回れないですよね。
やっぱり回ってみてると、
ブースによってはもう、
うつむいて座って歩く人とかいるしね。
なんかね、
逆に寄りにくくなっちゃうしね。
それがいいも悪いもあると思うけど、
僕が出店したのは、
東京1回、
京都1回か、
それそれぞれ1人で出店した。
で、
そのさっき言った、
お客さんとして驚きで、
これ面白いと思って出店したら、
正直言って僕は、
出店向いてなかった。
なんでかって言うと、
すごい人数のプレッシャーを感じて、
圧力みたいな、
買いたいとか、
これを楽しみにしてきたんや、
っていうような感じの、
に、
答えるっていうのが、
すごく、
しんどかった。
みんなが寄ってくれるわけじゃないし、
みんなが買ってくれるわけじゃないやんか。
構えすぎてんじゃない?
自意識が高い。
だって自分のブース、
めがけてみんな来てるわけじゃん。
基本素通りじゃないですか。
でもそういう感じをするタイプ。
素通りする方が多いんだもん。
寄ってくれたら、
寄ってきた、
みたいな感じで思っといたら。
前回、
前回も、
マーインの取り方っていう話もちょっとしたんだけど、
マーインがどうして取っていいのか、
わからん感じがしてさ。
話しかけたら逃げちゃう人がいるから、
そこは難しい。
その辺で。
でもここでも一緒じゃない?
東京は、
こもれ美書店とか、
Kという本を買う、
チャンネルが少なかったから、
その機会にって言って、
待ってくれてる人とか、
関東の、
北関東とかから
買いに来てくれた人がいて、
そういうコミュニケーションがあって、
今にもつながってるし、
しんどかっただけじゃなくて、
そういうきっかけになって
よかったかなと、
思うのと、
京都は逆に、
知ってる人が多いよね。
知ってる人との
間合いの取り方と、
知らない人との間合いの取り方を、
どうしたらいいのかってなって、
逆に、
難しいの間によって、
逃げた。
作品紹介と交流
確かに、あれは難しい。
秀園さんは、
お客さんとして行ったよね?
でも、
深呼吸のやつで、
ちょっと手伝ったりもした、
見せ場もしたこともあって、
どこのブース?
スコール?
でも、深呼吸として出てたわけじゃなかった。
誰だろう?
スコールやった?
何ちゃらフォールが増えてない。
確かに、増えて。
スコールやったかも。
参加しても、
ある人なんちゃう?
女の子たちやった気がする。
年代はどれくらい?
私より全然若い。
深呼吸?
知らなかった。
深呼吸じゃない枠組みで、
出ていいのかね?
別に、自分で売っていいんですか?
自分の会議。
いいの、いいの、いいの。
そうか、そうやな。
頼み探すだろうって、
思ったりしてたもんね。
そうだね。
みんな、
3時間とか、
見て回っててね。
200とかブースがあるわけでしょ?
180分でしょ?
うん。
全然立ち寄らないで、
シューって舞い通っちゃうブースのほとんどなんだけど。
それでも3時間か。
京都は特に、
うちの棚梨さんも今回、
全部で何人かな、数えてないけど、
かなり出てるやん。
チラッと顔出して、
頑張ってるーって言って、
挨拶して、
普段棚梨さんじゃないけど、
知ってる出版社さんとか、
ちょこちょこ店寄ってくれはる人とかが出てたら、
ちょっと声かけて、
とかってするから、
うん。
それでそういう、
それもしてると、
分振りっていうものを信じて、
分振りの機会であるからこそ、
会える人とかいろいろいるってことだね。
うん、そうですね。
そう、そう、そう。
中山棟とかから出展してる人とか、
こういう機会じゃないと会えないけど、
通り過ぎてるし、
素通りするわけにもいかないし、みたいな。
でもチェックも出てて、
後からあれ出てたって。
前通り過ぎたって。
あれ通ったけど、
情報発信のフラット化
言われへんかと思われてるかもしれない。
でもあれだけ数があったら、
仕方ないですよね。
チェックも出てて。
こうやって見るのは大変そう。
今日も何人かは、
分振り帰りの人が、
ここ来てくれたんだけど、
カバンの中に
分振りで買ったものがいっぱい詰まってて、
置かれなくなった時があったので、
ここで買うということはなかったけど、
なんかこう、
去年か、
買ったものを見せ合いするっていうのを
ここでイベント化したよね。
確かにあった。
去年は出展はしなかったから、
買い物に行って帰りに、
どんなの買ったか見せに来てくださいって言ってて、
別に会とかイベント化したわけじゃないけど、
寄ってくれ、買ってきて、
寄ってきてよっていう人に、
どんなの買ったって言って、
私が話聞きに行って、
お茶飲んでもらってる間に、
見せてもらうみたいなのを
去年やってて。
数は少なかったけど、
それに近いことで、
こんなのあったよとか言って、
言ってくれる人が複数いたよね。
見たらやっぱり面白いなと思うよ。
その人が何をセレクトするかというのも、
興味あるよね。
それは面白いね。
このシェア型書店の
棚並べる本と一緒で、
キャラが出てくるのがね。
ある人は、
教授の社会学部が
ゼミで出してて、
ゼミ生が
書評を書いてるやつを
一冊にまとめた本が。
社会学部で、
それに関わってる
専門の先生が書いてるけど、
別の大学のね。
これと社会学が、
社会学がどういう視点なのか
というのがね、
興味あると。
教授?
教授の社会学部。
京都女子大学。
今までは文学部とかの人が
文学評論とか書くのは
あったかもしれないけど、
社会学部の人が
評論を書いて、
綺麗な本にして、
ちゃんとルールを守ってるような
本の作り方してたから、
それなりに技術があって、
それが買った
同じ社会学部の
別の大学の先生が
これの意図っていうのが興味深い。
確かに確かに。
詳しく見たいという話やったね。
若い人は、
僕は、
前ちょっと
深呼吸関係で
聞いたことあるんですけど、
紙もウェブも
動画も
全てフラットに見てるから、
表現方法というか
手段として
紙だからとか
ネットだからっていう
あんまり
差異がないというか。
それが不思議で
さっき言いかけてたけど、
僕、紙
うちでアスナロっていう
同人誌
今は同人誌って言わないよね。
合同誌
作って、田並さんとか
常連さんと一緒に書いて作ってるけど、
紙で書いてるもんっていうのは
こうやって喋ってることと
全く違うね。
モチベーションも違うし、
覚悟も違うし、
自分への
向き合い方も違うので、
フィクションの混ぜ方も全然違う。
それが書く側の
発信する側の方や。
さっき思う
フラットに見てるっていうのは
受け止める側、消費する側の話でしょ?
発信する側も。
多分そこが
発信する側としても
受信する側としても
全部フラットなんだと思う。
何を表現したいかによって
向いてるメディアが何かによって
動画なのか
SNSなのか紙なのかが
変わるってことじゃないのかな。
多分そこがね
フラットに近い。
やりやすいもので発信していくって感じ。
紙に興味があるから
やってるっていうだけで
そこに特別な思いはないというか。
今こうやってさ、この間から
もっとキャスト始めてるのに
この話、たぶん書け言うても書けへんわ。
どういう意味ですか?書け。
あ〜そういう意味。
口語と文語の違いみたいな。
口語と文語とは違って
内容的に
それは一瞬して消えるわけじゃないけど
こうやって
生放送のそれっきりだけ
っていうことじゃなくて
何回も繰り返し聞けるもんであったとしても
紙への向き合い方と違うな。
発話だと考えながら
そのまま出すけれども
テキストを入力するときには
考えながら
遂行をある程度するじゃないですか。
行ったり来たりするね。
喋るときは
間合いが大事だと思って
間合いを取りながら喋ってる。
書くときは
行間って言うけど
行間を読むなんてできるのかね。
よく
学校のときに
行間を読めとか言われたりするけど
未だに行間の読み方なんか
わからない。
読み方っていうか
僕は行間を感じるものだと思います。
まあ、
批評家とかだったら
感じるものじゃなくて
ちゃんと
言えるものにしなきゃいけない。
批評家ではない。
だから感じるもんやから
それを
アウトプット側としてはわからへんやん。
この行間で何を感じさせたいって
考えてるのかね。
それは
間合いの場合は
間合いの中でこういう反応
をある意味
期待してるもんがある。
多分ね、受け止め
発信側として
受信側を意識しすぎてるんだと
思う。
世代が違うから
私はウェブでブログやってた時期もあるし
小説書いて
ウェブで発表してた時期もあるから
あんまり
見られることをそんなに意識はしてなくて
アウトプットの手段として
それがあるだけで
それを本当に受信してくれる人がいるかいないかは
思う。
Xなんかはそれに近い。
一人言を喋って
面白がって聞いてくれる人がいないなら
それでもいいわみたいな感じなんだけど
多分もう一世代古いので
受信側を意識しすぎてるところが
あるんだと思う。
もっと若い世代だともっと
フラットになってる。
例えばほらさ、
映画の演じ方と
テレビの演じ方と
映画の演じ方って
違うんやな多分俳優さんは。
芝居は実際に
そこに観客がいるから
観客の反応によって
変わることがあると思う。
だから会話はそれと一緒だな。
場合によって。
ドラマとか映画っていうのは
編集が入ってくるわけや。
編集を意識した演じ方を
してるわけやな多分ね。
監督がいて。
芝居も監督がいて。
最終的に仕上げるのは映画とか
映像の場合は
どう編集されるかによるから
演者は
どっちかというと
それの素材を提供してるだけって
割り切ってる人は
割り切ってるだろうと思うけど。
ひょっとして今
僕が
書くのが下手くそな
苦手なのは
力入れが入りすぎるのは
元々
編集者やからかな。
編集者の僕を意識してしまう
というのかな。
受信側の前に
立ちはだかる
鬱陶しいおっさんがいる
京都の文フリの様子
家庭で
書こうとしてるのかもね。
でもその編集者としての視点が
自分に対してハードルが
高すぎるんじゃないですか。
別に低くそれはしてもいいと思うし。
その視点の
自分に何を求めているか
じゃないですか。
ちょっと悩むし。
声で喋ってるのとね
SNSで発信してるのって
違います?
僕は変わります。
変わってる?
やっぱポッドキャストやるようになって
やっぱ発話の方が
より自分の
感じたことを話す。
テキストだと考えたことを
タイプするっていう感じなんで
考えたことはいいかな
今は。
一つの
僕の
行動を
判断する材料か
知らんけど
何回かFMの
アルファステーションのラジオに行って
本の紹介をするんだ。
他の人多くは
原稿を持ってくるんだって。
喋ろうとする。
この本についても
原稿を
台本を見ながら
喋らはる人がほとんどだけど
僕は全くせいへんやな。
何を持っていかんと
目もむなしで
喋り始める。
何人かいる中で
僕ぐらいやと言われてるんだけど
素人、話のプロじゃない人たちが
登場するっていう場面。
基本的に
いろんな本屋さんが
MCの人との会話で
本の紹介をするっていう
3冊紹介する。
僕は何も持ってない。
みんな持ってる。
それでやりにくくないんですかって聞かれるんだけど
僕台本持ってたら
全くぐちゃぐちゃになっちゃう。
これを読まなあかんとか
間違えたらあかんとか
読み飛ばしたらあかんとか
読み飛ばしたらあかんとか
読み飛ばしたら収集つかない人になってくるんで
パニックって。
そういうことがあるのと
つながってるわね。
その話で言うと
台本あって
もし詰まった時に見るっていう感じで
別に朗読してるわけじゃないと思いますよ。
ラジオ聞いたけど
朗読してて
朗読じゃないけど
その通り読まれる。
詰まった時に台本でどこ見たらいいか
わかんなくならない。
昔前勤めてたところで
在会の人を集めて
パーティーになって
仕返せなあかんかった。
めちゃめちゃ偉い人ばっかり。
それも台本作りなさいって言われて
作ったぷりして台本一切読まない。
ほんまに台本があったら
嫌で嫌で。
台本読めって
最初強引に言われてやったら
むちゃむちゃなことになって
そういうのは
やっぱり司会するんで
相手の人が座ってる人の表情とか見て
できるやん。
台本読んでて
思ってた反応がなかったときに
修正するのって
すごい難しくないんだろうね。
ここで拍手お願いします。
強引にはなかるかな。
インタビューしたときどうしてる?
インタビューの仕事なんてしてたでしょ。
前は。
インタビューの仕事。
聞くことがある程度ある程度考えて
ってのがいいでやってる?
聞くことは
聞くことは
逆に相手に対して
これとこれとこれと聞くので
お願いしますにしてて
先に当日までに
それをお知らせしてある。
聞く順番はその辺次第。
それは別に
それを書いたものをメモを持てて
持てない。
だから抜けるやつがあるかもしれんけど
だいたい聞けてる。
だけど
それを聞くより面白いことを
するときってあると思うんだよね。
それもここでイベントやってるときも
そうだね。
ぶんぶりから
外れてしまった話。
書くことの
書くことによる発信が
あれだけの数
自分の表現をしたい人がいるし
その表現を求めていく人がいるってことだよね。
それだけ人が増えてる
一つの要因として
秀殿さんは
発信に神であろうが
アマチュア作品のクオリティ向上
SNSでは
そんなに
違いを感じてない
世代が
出てきてるんじゃなかろうか
っていうのと
さっきの悩みを
エッセイ的なものを
要は
小説だったり
秘書だったりじゃなくて
自分のそのままのエッセイ
みたいな思いを
書くのを
ブログだったりノートだったりしたのが
紙に
もしかしたら移行しつつある
紙としても
出版したい人が出てきてる
可能性は確かに
あるのかな
一つ
ずっと
Xとかやってる人に質問やけど
Xやってる人が
ほんまになんか
自分で済む話だけでもつぶやいてあるやん
お腹痛いとか
しんどいとか
あれはなんで支払うの
わざわざ誰かに
言わなきゃいけない
言うようなことじゃないけど
こういうネットの海に流しといたら
誰かが
誰かに言った気にはなる
わざわざ
家で誰か家族に
今お腹痛いねってわざわざ言うか
と言わないこともあるでしょ
多分それが
海にもなっていってるんじゃないの
ブーフで出てるような人たちは
こうして
こうやろうっていう
ブーフにだと
買ってもらった買ってもらってないっていうのが
明らかになるわけだから
SNSはほんまに
それを読んでもらったか
目に止まったか止まってないかわからないやん
よりブーフにのほうがリアルだと思う
リアルで感じたいというか
単につぶやき
つぶやきだから
なくていいと思ってるんですよ
メッセージ性を込めてる人もいるけど
戦ってる人もいるけれども
そこに意味はない
他人事を言ってる人がいっぱいいるみたいな
例えば
今のコンビニの店員
うっとしかったとか言う人をつぶやいてるやん
あれなんで言わなあかん
それを誰かに向かって言っちゃうと
それはまたちょっと
違う意味合いを持っていっちゃうから
そう
どっかに表現する場として
たまたまXがあるだけで
Xじゃなくてもいい
私その時たまたま見た人が
自分もお腹痛かったら
そろそろお腹痛いやん
そこが
本作りと一緒になってきてるのちゃうか
まあでも
それを紙として
わざわざやるっていうのは
また一段階ちゃうと思う
若い人が
紙であろうが
SNSであろうが
一緒やっていうレベルからしたら
それは極端かもしれんね
今のお腹痛いとかは
そういうことが紙で書けてるんじゃないのかな
まあでも書いてる内容は
そんな内容の人もいるよね
それはいるかも
ただ説明してもらいたさは
もうちょっと
紙にしてる人の方が
強いし
それを売って
単にデジタル情報じゃなくて
アナログのものとして
表現した時に
より何か
手触りがあるというか
そうそう
モニターだけで消えるものじゃない
モニターだけだとちょっと
物足りなくなってる可能性もあるから
それとあれか
紙を選んだり
想定っていうの
いうやつも含めての
自己表現やということになる
言葉だけじゃなくて
面白い製本をしてる人とか
あえてコピーのままの人とか
いろいろやるよね
今年どうやったのかな
いかにも
アマチュアみたいなのが
多かったのか
プロに近づいてきてるのか
手作り感のあるものの人は
ちょっと少なくなった感じ
あと変な
本状のものじゃないものを
売ってる人も
大阪に比べると少ないのかな
綺麗な印刷をされてるものの
率は高くなってる
かなって
クオリティが上がってる
今まで本作ったことない人でも
そういうのを
印刷サービス利用しやすくなってる
っていうのは絶対あるので
ネットプリントとかね
なのでより簡単に
ちょっとちゃんと
印刷してもらったものを
作りやすくなってるから
かなって
そのハードルが下がってるっていうのはありますよね
前の方がもっとコピーもん
デジタルとアナログの違い
とかあったんじゃないかなと
思うけど
作り側はやっぱり
それも含めての表現やな
だから思うのは
例えば
この本、印刷がいくら安なったとしても
綺麗なやつ作って
1000円しますと
1000円で売るっていうことをしてるとしたら
逆に考えてコピーやったら
1000円で
出したらもっと何十冊作れる
枚作れるわけやから
それは多くの人に
手に取ってもらう可能性が出てくる
発行物数が多くなるから
安く
1冊1000円で
かかるやつを
100円のやつを10冊作れたら
そっちじゃなくて
1000円の方を選ぶ傾向が
多いのかな
そこは
なんかこういう文化や
似合う一つの
理由を探れるかもしれない
コピーでやると
やっぱめんどくさいし
そこの手間って
結構ガチ勢じゃなくて
最近その同じ手間で
簡単に印刷
ネットプリントで出してもらえる
作ってもらえるから
昔みたいにさ
コンビニのコピー機の前で
ガチャンガチャン印刷したものを
持って帰ってきて
コッチキスで止めてっていうのの間に
ネットで注文したら
来るんだもん本が
それはコストと
お金じゃない分の
労働というか
多分イコールじゃないですか
ちょっと角度が
話の角度が違うけど
昔僕が民博で作ってた
機関民族学という雑誌は
基本的に
教師の写真は
プロのカメラマンが撮った
写真を使ってというのが
伝統だった
ある時僕もちょっと写真をやるので
調子乗って
いい写真が撮れたから
それを拍子にした
全然関係ない
その仕事に携わってないカメラマン
今まで機関民族学にも
出したことがない仕事の
お付き合いじゃない別のお付き合いしている
有名なカメラマンが
それを知って
めらい怒って
似たようなものができているとしか
見えない
プロの仕事というのは
プロの仕事だと
編集者がそんなことをしていたら
あかんとめちゃめちゃ怒られた
100人いて
90人が
騙せるというか
気づかないレベルの写真か
プロと思うけど
10人が見たら気づくぐらい
プロというのは
100人いたら100人に
あかんという話だった
それで
出来てしまう
彼らが
いっぱい出展している人は
仮に
思いとしては
プロとしてできたら
プロとしてやりたいという
レベルの
アマチュアリズムを
大事に
自分の作品が
文学会とか
いわゆる
論芸審議
編集者の目に止まらないかなと思って
出している人も絶対いる
それは一応ではない
最初文字の名前がしで出したの
それだと思うよ
そうじゃない人もいる
京都の文フリの議論
それは
千何人いたら
いろんな人がいる
カメラマンに怒られてからは
僕が自費で
作る本以外には
自分の写真を使わない
としたい
ないか
別にそれは
カメラマンの人の
考え方だけで
別に何とも思わない
それは自分の
仕事が奪われる
そこはプロだったら怒れます
でも別に
その違いが分からへんかったら
いいってこと
金額ですよねコストもありますよね
その人は10万円でやるのと
自分で取って
ゼロ
どっちを選びます
読み手
読み手もその10万円分
発行
安くしてたらいい
安くなってない
さっき
何でそれを思い出したかと言うと
印刷屋さんに
きちっと製本したやつが
文具屋にも並んでいる
普通のプロの作家のやつも
1000円でほぼ並んでいる
こっちはプロが書いている
文具屋はチェア
プロっぽすぎるやつは
あんま買ってもらえてないんじゃないかな
という気がする
出版社が売ってるやつ以外は
特に
文芸小説のジャンルのところは
本当にプロの作家さんなのかな
って思うぐらい
デザインのしっかりしたやつを
売ってる人がいるんだけど
それをデザインで買ってもらえてるか
どうかはわからんな
っていうのはちょっと思った
話出せすぎるけど
去年は見てないけど
一昨年さ
格付けの番組出た
芸能人の格付けする
年末の番組
ガクトが出てくるやつ
何が出た
ダウンタウンの
浜ちゃんが作った
オムライスと
町の料理店の人が
作ったオムライス並べて
どっちがプロやってない
やってない
みんな浜ちゃんのやつがおいしいから
これプロやってるって選んでしまう
それは
それでいいのかな
それやったら
もう
浜田さんの
浜ちゃんのオムライスがおいしい
そういう評価で
プロの人は
ダメという評価にならへん
だから
オブンフリーが
買いに行く人が多いのは
プロのものだから
買う人がいる
っていうのは
浜ちゃんのオムライスでいい
という人がいるのと同じ現象じゃないの
プロの人は
今まで積み重ねて
玉ねぎの切り方とか
調味料の加減とかを
試行錯誤しながらやってきた
それはさっき
僕が
すごいオブンフリー批判になってきたけど
批判してるわけで
ちょっと意味が
誤解か
本心かわからないけど
受け取り側に
それを判断する力が
薄いんじゃないの
浜ちゃんの料理と
プロが作った料理の見分けもつかへん
というのは
作り手側が
いいのか
食べ側に
全然薄くていいんじゃない
プロがいい人も
それだったらそれに対して
お金を払うし
浜ちゃんの創作が
だと分かって
それがその時の
面白いと思ったから買うでいいんじゃない
プロとの違いは
そのおいしい洋食屋さんに
もう一回行こうと思うか
思わないか
浜ちゃんのやつに行くんやろ
浜ちゃんって知らんやろ
それプロやと思ってしまってるわけやん
それ何がいけないのかが
僕は分かんないんですけど
プロっていうのは
プロと浜の違いは何
プロはそれで食べてる人や
お金をもらうっていうのがプロだろ
それだったら
浜ちゃんよりも圧倒的に
何も作れない
そのプロのせいだと思いますよ
そしたら
おいしいと思わない人にとっては
全然
責任はない
ないですね
外食苦手で
うちのご飯の方がいい
うちのご飯がおいしいわけであって
違うもんではないのかな
同じもんなんやろか
同じでしょ
同じな
そこにお金をプロとして
払いたい人は払えばいいし
同じ味だったら別にいいっていう
そこを何でそんなに
思ってるのか僕は分かんない
プロとアマチュアは同じものや
プロだから買うとかアマチュアだから買うとかいう
判断はしない
そしたら例えば
それは全部に関わってくるやん
アマチュアが僕が描いた絵と
ゴッホが描いた絵を比べて
僕の絵が
いいと思ったら僕はプロなの
プロかどうかじゃない
プロとアマチュアの
言葉の違いを
ものすごく
好みじゃないの
好みだから
それに対する
作品の評価ではないわけやん
お金を出しても
いいと思うぐらいには評価してくれてる
ってことじゃない
そうしたらお医者さんが出して薬聞かへんけど
この人
マジない人がこれ治れって言って治ったら
そっちの方がお金払う
プラセボじゃないですか
行く人は行く
実際いるじゃないですか
それが圧倒的になってもええってことだよね
それはしゃあないんじゃないですか
だからブンフリの横に
小さな本屋があってそこが潰れても
そういう世界や
という判断やな
だって実際潰れてるじゃないですか
だから
ブンフリ華やかになってると
小さい本屋が潰れていってると
ブンフリのせいで
小さな本屋は潰れてないと
僕は思ってるんで
そこは話が別ですよね
せいって言ってるじゃないですか
プロとアマチュアの境界
浜田のせいで
市中間のやつがまずかったわけじゃないやん
人の評価のものやろ
何が言いたいのかが分かんない
分かんなくなってきた
どうかな
これはちょっと
脱線か
脱線してもいいんだけど
論点というか
主張がよく見えない
えっと
好みと評価を別に
混ぜて考えてるのか
僕は
論点が見えないんで何とも言えないですね
継続審議に
いやいや
ちょっと
なんかモヤモヤしてるんだけどな
僕は全然してないですね
そうしたら続けても
しゃあないかなと
なんでじゃあ思ってるんですか
これは昨日一昨日
ここで出してた
小小屋の炊飯器をまだ変えてないので
これお家の炊飯器で
じゃあこれはちょっと
聞いた人に
モヤモヤしてるのは確か
聞いた人にちょっと
コメントをもらいましょう
うん
僕はちょっと意味がよく分からない
私もちょっと分からない
分からない
プロとアマチュアは違うという風に
ちょっと凝り固まりすぎじゃないかな
凝り固まってますよね
本の世界の中では
今なんか
プロとアマチュアの境目が
すごく曖昧になってきてるんだと思う
CMI
AIも出てるじゃないですか
その中で
プロとアマチュアの違い
プロでも圧倒的に
ベストセラーになってる人は
やっぱプロだなじゃないですか
それはさっき
ベストセラーっていうのは
売れてるっていう意味で
そうですね
今日はなんだっけ
この間芥川賞
直木賞どっちかな
芥川賞出て
戸田派と坂さん出てたみたいだけど
どこに行かんのか気が付かない
出てたって来てたってことか
もともと出展する予定だったみたいで
知ってたら
賞もらっちゃったみたいな感じだったみたい
それこそ
アマチュアとプロの
境目がないってことだよね
本屋をやっててなんだけど
私あんまり直木賞今
芥川賞にもそうかってしか反応してないから
あんまりちゃんと
坂さんの名前とかも
失礼ながら見てないし
印税をもらってる人がプロだよね
作家として
それで食べていってる
総合出版の
一般流通本
になってるかどうか
それでも印税もらってなかったらプロじゃないよね
職業
職業界になってない
プロの定義が
よくわかんない
職業
職業だったら別に
自分だって作家ですって
自称作家なんていっぱいいますよ
だから言うと
印税をもらってる
でもそれは
印税もらってるイコールプロっていうのは
それはニッケさんの定義じゃないですか
辞書でも調べて
プロってのはそれで
制御にしてるってことだよ
確かにそれを
言うとそうなんですけど
コンビニのレジしてるアルバイトも
レジのプロだよ
お金儲けやってるんだから
また変わってくる
プロではないですよね
アルバイトですよね
アルバイトはプロじゃないの
雇用形態が違うだけ
雇用形態が違うだけ
今本当にコンビニで働いてる人に
あなたプロですよって言ったら
ちょっと引くと思いますよ
プロと言うしなんで
だってそんなつもりやってない
じゃあプロの編集者ですか
プロの編集者ですか
今は違います
今は違います
編集代をもらってないから
もらってる仕事がそんなに
締めてないから
人文編の仕事はプロでやってる
編集代をもらってるから
じゃあプロの編集者だって
言ってもいいんじゃないの
編集の仕事だけで
食べれてたらプロ
お金取ってたり
お金取って
編集の仕事してるよね
多い少ないで言う
じゃあプロの編集者じゃないの
プロの編集者
今は違うみたいなこと言ったけど
思い出した
それぐらいの違いしかないと思う
プロの本屋ですか
プロの本屋ですね
手数料もらって
そんな感じでいいんじゃないの
そこのプロの
ハードルをものすごく高くして
プロをあがめてるんですけど
そんな
あがめる人は
プロかどうかじゃなくて
それだけのものを作ってる人ですよね
それだけの実績というか
表現だったり
オムライスで圧倒的にすごい
だったらもうプロですよね
でも圧倒的じゃなかったら
まあまあまあ
そういう人ですよね
圧倒的じゃないと
プロじゃないってことかな
一つの表現としてはね
いろんなものに定義を付けようと
しすぎて
極端に言うと
まずい料理屋で
評価基準の探求
料理作ってる人も
プロだわ
お金取って出してんだもん
そうなんですけど
まずいプロですよね
DJじゃないですか
だから
お客さんはまずいプロとしては
その店に行かないですよね
そのプロ
成り立たなくなったら
プロじゃなくなるわね
だから
それだったら僕は別にプロかどうかじゃなくて
まずい料理人
お金持って
美味しいと思って食べてる人が
一人でもいる以上はプロだよ
だから別にその人はプロで
やっていいんですけど
アマチュアとプロの境界
プロとは間の違いを話してるだけで
あの
なんていうのかな
尊敬とか
その反対を
喋ってるわけじゃない
今日文堀で出てはった人は
出店料払って
アルバイトで
自給でやってる人いないよね
店出してる人
アマチュアの売り手が
アマチュアが作った本を
売ってるということね
出版社の人も出てる
それはプロだよ
何が言いたいんですか
アマチュアとプロが
アマチュアが今
拡大してるよね
それっていうのは
北野さんの言うように
そっちの方が
評価が高かったら
アマチュアのままでいい
アマチュアが拡大してるっていうより
プロとアマチュアの境目が
曖昧になってる
曖昧って何
お金持ってるか持てへんかで
分けてるのにどうやって
曖昧になってるの
拡大してるのかも
プロの定義が
拡大している
アマチュアが拡大してるんじゃなくて
プロと言っても
いいような範囲が
拡大してるに近い
かな
プロってお金もらったらプロじゃん
ちゃうの
ところで私は
このままご飯を作りに
行かなきゃいけないから
お母さんがめちゃめちゃ料理うまいから
プロの料理人ではないよ
お金もらってない
お金もらってないではプロじゃないよ
主婦、お母ちゃんはお金もらってない
お母ちゃんは
はるかさんはめちゃめちゃ料理うまいから
プロじゃないけどどんどん料理作らされると
うまいから
それでええんか
それはしたい仕事じゃないから
それはしないよ
どんどん
人気があってええもん書いてるけど
プロじゃないからお金ももらえへん
その状態でええん
そういう人もいるんじゃない
それでええん
いいんじゃないのかな
そういう人が増えてもええ
本に関わる
それが増えていったら
さっき言ったように小さい本屋もなくなって
大きい本屋も
みんながそんな人になったらどうする
職業としての作家とか
出版社っていうのは
僕は大事やと思ってる
大事は大事なんだけど
境目がそれぞれ
曖昧になってきてるんだろうな
っていうのは
大手の書店チェーンでも
人みたいな
個人の作ったものを
売り場が広がってきたりとか
仕上がった書店をやりだした本屋が
大型書店があったりとか
ってするっていうのは
出版も書店も
各側も
プロとアマの境目が
曖昧になってきてる
そうしたら仮に
大谷翔平よりホームランめちゃめちゃ打つやつが
僕プロになりたくないから
草野球で
めちゃめちゃ速い
180キロ投げるやつが
そんなやつばっかりになってもええんかな
できるんだ
何がダメなんすか
それでいいやん
僕はアマウチだけど
大谷翔平よりよく打つで
金持ってる大谷翔平
どんな気持ちなのかね
大谷翔平やんプロやけど
そんな自由でしょ個人の
そんなばっかりでいいの
そんな風にならないから
本はならへんか
本わかんないっすね
なって何が悪いっすよ
別に僕はいいっすよ
なんで大谷翔平わかんない
野球わかんない
何が言いたいのかがわかんない
別にどうなっても
僕はいいっすよ
極論言うたら今日みたいにゴツになってしまう
文学振り間というのは
いいんですか
僕はよくないと
アマチュアがそんだけ広がって
会場を
京都は
出版業界の影響
ビッグサイトとか
入場料までして
入場料払って
何の入場料
作家さんにはいかへんのね
出展者にもいかへんのね
それでニッケさんの
考え方が
賛同する人が増えたらなくなるんじゃないですか
なくならないんだったら
そっちのほうがマジョリティなんで
そうなりますよね
それ以上でもない
僕がこの意見を言うことは別にいいわけやろ
全然いいっすよ
僕は好きじゃないし
っていうだけの話
別に説得しようとはしてないんやけど
世の中に対して
そういうのが
嫌やな
と思ってるの私から
うん
それだったらマイノリティ
になってると思いますよ
マイノリティになるのか
また時代が変わってくるのか
いやもちろん
01:21:50

コメント

スクロール