エンジニアのイベントとポッドキャスト
こんにちは、おっさんFMのクリスです。今日は10月の4日、金曜日ですね。
お昼に収録をしておりますけども、
いやー、 京都は雨でございます。
はい、ちょうどね、今日のこの10月4日、そして明日とかで、北海道ではエンジニアのイベントヤプシ函館が開催ということで、たくさんの方がね、私の知り合いの人も
函館、北海道の方に移動している様子がX上でも観測されておりますけども、はい。
おっさんFM、一緒にやってます。長山さんも向かっておりました。 美味しそうな丼を食べている様子等々をね、拝見しておりますけどもね。
今週、あのうちの次男、高校生の次男も実はね、北海道に修学旅行で行ってまして、月曜日から木曜日までが
昨日までね、行ってきたという感じ。ちょうど入れ違いになっている感じですかね。
はい、今週はね、結構ね、映画とかいろいろとライブにも行ったりもしたんですけども、まあその話もね、別途したい。
おっさんFMの方でするか、ひとりBOTSの方でするか、ちょっと迷っておりますが、今日はですね、またあの前回みたいにポッドキャストへの反応ということで、またまた気まぐれFMさんにちょっとね、
乗っかっていこうと思っております。 気まぐれFMさんの239回ですね、本物とレプリカというお話をされていて、
レプリカと本物の価値についてのね、お話をお二人でされていて、すごく面白かったですね。本物でなくても価値があるのか。
話の発端としては、博物館美術館で、展示品が本物でなくても複製ですっていうものに対して、この価値があるのかどうか、それを感じられるかどうかみたいなところの話をされていて、そこから話がね、いろいろと広がっていきましたね。
それを聞きながら私も思ったことをね、ちょっといろいろとあったんで、メモっているんですけども、結構いろんなことを思ったんですよね。すごい面白いテーマだなと思いました。
まず博物館で言うと、先日私も民族博物館、万博公園、大阪の万博公園にある民博っていうところに行ってきて、そこにいろいろな展示を見ておーっと思ってきたんですけど、
そこにあるものは基本的に複製のものが多いんですよね。例えばその模合像の複製、またその実物大ですとかね、結構精巧に作られていて、もちろんね、その素材とかもしかしたら違うのかもしれないですけども、大きさとか質感とかパッと見の質感とかすごく多分おそらくですね、本物に近い形で作られているんじゃないかなと思います。
それはすごく、私は見て、何て言うんですかね、価値を感じたというか、自分、目の前にものがあるっていう状態ですかね。例えば複製とはゆえ、ものがあるっていう状態はすごくね、写真とかで見るよりかもグッと感じるものが多かったですかね。
結局結論として、僕自身何を思ったかっていうと、そのものが本物かレプリカっていうことよりかも、それを見たり受け取った自分が何を感じたかどうか、何を感じられるかどうかが大事かなと思って。
感受性があるほうがいいんじゃなくて、複製であることに対して価値を感じないって人は別に見なくてもいいと思いますし、複製であってもそこで感じるものとかがあるんだったら別に見ればいいじゃん、見たりなんかすればいいんじゃないのっていうふうに思うわけですよね。
私は実際に見たことがないね、モアイ像の実際の質感とか、あとね、塾っていうんですか、呪いの、あとはお祭りとかに使うね、いろんな民族のものが置いてあって、複製のものも多いんですけど、そこに魂というか、例えばマガマガしたであったり、高豪したであるみたいなものは感じたんですよね。
それはお前なんか感じすぎなんじゃないのって思うかもしれませんけど、たとえ複製であってもそういうものが感じられたっていうのはすごく価値があるなと私は思いました。
人間のレプリカはないよね、みたいな話をされていましたけども、例えばモノマネ芸人さんはレプリカではないけども、モノマネ芸人さんとかね、あとは老人形の館みたいなのありますよね。
僕ね、あれは何なんだろうなと思ってたんですよ。逆、その人、例えばその実際のそっくりな老人形が置いてある館、マダムなんとか、なんだっけ、調べとけって言ってたんですけどね、有名人のマダムタッソーか、等身大フィギュアのセレブに会おうみたいな。
あれはね、別に生きてないんだけど、その有名人にそっくりな人との大きさとか、あと一緒に写真が撮れますとか、そういうのを売りにしてるんですかね。セレブな体験を投稿しようってそのホームページみたいなのを書いてますけども、結構似てる人はすごくよく似てたりして、ぱっと見ね、人形のクオリティが高いという感じはしますけども。
あれもある種のレプリカなのかなと思いました。
あとはそうですね、ラーメンの話をされていて、例えば有名ラーメンチェーン店の袋麺とかカップ麺とかがたまに出てますけども、あれはだから本店とかお店に食べに行く手間とかのコストを重と考えると、
コストがだいぶ抑えた状態で、しかし味が食べられるのはそれでもいいって価値があるんじゃないかみたいな話をされてましたけども、例えばチェーン店とかね。
チェーン店もいろいろありますけども、いわゆる例えば店家一品の総本山って、その本店で食べる店家一品と、東京のなんとか店で食べる店家一品。
それはもうそのお店が経営してる店ですけど、それもある意味本店のレプリカというかコピーであるわけですもんね。
映画とライブの本物の難しさ
で、全く同じかっていうと実はそうでもなかったりもするわけじゃないですか。
でもそれはだからそのお店によってはなんとか店の方が味が好きだとかね、その微妙にちょっと違ってるんだけど、本店よりかもこっちの方がいいとか、やっぱ本店の方が美味しいとかっていうことを言う人もいるわけですよね。
なんかそれは不思議な、そのレプリカそのものが価値を持ってるというか、本来は成功なコピーを期待されるべき領域もあるんだけど、そこは別に多少のアレンジが入っても良い。
本気声をしても良いみたいな、そういう感じなんですかね。
それに近いところで言うとですね、あとねすいません、いっぱい特に結論もないんだけど、いろいろとふーんと思って聞いて、面白いなと思っていろいろとメモったメモがあって、それの順番に話すと。
あと漫画の原画とかも話されてましたかね。
僕なんかあんまり原画自体の価値っていうのは、漫画の価値じゃないですよね。その原画の希少性とかの価値だと思うんですよね。
僕はやっぱその、なんでしょう、いわゆる原本というか、原画って切り張りしてちょっとペンのデコボコがあって、そのなんかすごく芸術品としての価値がすごく高いと思うんですけど、
漫画としてはちょっと読みにくいというかね、やっぱ普通に紙面にちゃんと印刷されて本になっている方が読みやすいですし、漫画としての感性が高いですし、
どっちが本物なのかみたいなね、ふうには思いましたよね。
原画もなんだっけ、ちょっと前に買ったドラえもんの雑誌でね、
ブルータスかな、特別、ブルータス特別編集の大人も読みたいフジコフジを100っていうムックというか、
雑誌がね、ちょっと前に出たんです。ちょっと前って結構前ですけど出てて、めちゃめちゃ印刷が良くて、いわゆる漫画の原稿の雰囲気を味わえる印刷だったんですよね。
本当にこうなんか、なんでしょう、写色が貼ってあって、鉛筆の線とかがちょっとうっすら見えて、でもそれは印刷なんで、普通に触っても別にペラッとしてるんですよ、平面なんですけど、
なんかちょっと立体感も多少感じられるような感じになってて、あの雑誌はすごく良かった。
それはレプリカとしても、体験としてはほぼ原画を見た時と同じような感覚が得られるんじゃないか、結構近い感じが得られるんじゃないかなと思いましたけどね。
そういう意味で言うと、それは結構本物というか、原本と同じような感覚を得られるという意味ではすごく価値が高いレプリカだったような気がしますね。
あと、最近多いですけど、ライブとかを割と映画館とかで中継したりとか、あるいは配信してるやつですよね。
ライブって生で見て、その場にいた方がいいと思うんですけど、それをやっぱり中継するのは、言ったらちょっとレプリカ・コピーではあるものの、
やっぱりその生物ですので、その時に見たい、みたいな。そのタイミングの希少性みたいなのもあるのかなと思いますし。
そんなことを考えていくと、映画って結構、実は結構難しいなと思ったんですよ。映画の本物って何だと思います?
漫画とかの関係でいくと、いわゆるフィルムとかね。でも今最近はフィルムもないですから、デジタルデータだと思うんですけど、映画の本物って結構難しいですよね。
例えばお芝居とかだと、ブロードウェイのこの日のこの上映が初回であり、それがオリジナルであるって言われていると、そうかもと思うけど。
映画って結構、どこで上映されたとかね。最近はアイマックスとかドルビーシネマとか3D上映とかもあったりしますし、配信とか。
映画化も大小ありますから、映画って本物がない、レプリカばっかりあるみたいな感じな気がしますよね。
ある種全てが本物である、ある種全てがレプリカであるっていうようなメディアなんですかね。どうなんだろうな。
僕が結構思ったのは、その希少性とかタイミングの話で言うと、舞台とかそうなんですけど、録画、生で見るっていうのは結局その瞬間しか見れないんですよ。
そのタイミング、その時期であるっていうのが大事なんで。
例えばタイタニックね。昔めっちゃ流行って、めっちゃみんな見に来ましたけど、タイタニックを今配信で見る、あるいは復刻上映されている映画館で見るのと、
上映された当時、多くの人がタイタニックについて語り、世の中のムードがタイタニック一色になっていたあのタイミングで見るのとでは、やっぱ体験も違うと思うんです。
感じることも違うと思うし、そのタイタニックって映画の制作に込められている思いとかもね、もしかすると違うかもしれない。
最近で言うとまさしくね、今日喋ったよ、今日シビルウォーっていう映画が日本で上映されてますけど、この映画は4月にアメリカで上映されて、アメリカに内戦が起きたらみたいな架空の話を撮ってる映画ですけども、
本物とレプリカの考察
これこそね、この2024年のタイミングで見るのと、例えばここから50年後とか30年後とかに昔こんな映画あったんだよねって見るのとでは、ちょっと感じることとかも違うと思うし、受け取りも違うと思うんですよね。
って思うと、絵画も結構近いものもあるのかな、もしかすると。
本物を見たって言うけど、それはあくまでも今、復刻上映を見たに過ぎず、例えば描かれたその時、その瞬間、その当時の世の中の空気感とか、世の中の考え、世の中の文化とかの中で、しかもキャンパスに塗られたばかりの絵を見るのと、
今、時間を置いて今見るのとでは全然意味が違うというか、あくまでも単に希少なものを見てるんですよって価値の方が強くなってたりするのかな、どうでしょうね、とか思ったりしましたよね。
あと、さっきレプリカ自身の希少性みたいなのもありますって話をしましたけど、私、最近ギターとか弾きますけど、ギターも言ったら、プロのミュージシャンが使っているギターのモデルがあって、それのシグニチャーモデルというか、
あのミュージシャンが使っているギターのモデルです、みたいなのは売られるわけですよ。普通のモデルより高く設定されて売られるわけで、別にそのミュージシャンが触ったわけでもないし、あくまでもレプリカなので、正確に言うとそのミュージシャンが触っているものと全く同じですというものではないんだけど、
なんかそこに価値があり、同じものを持ちたい、同じものを持っているっていうことに価値があるから、それを弾きたい、持ちたいですって言って求める人が多い、みたいなのはね、あったりしますよね。やっぱり受け取り側のこの感じ方一つっていうところはあるんでしょうかね。
トークの中で漫画の原画の話の流れで複製原画の話がありましたけど、僕ね複製原画買ったんですよね。これはコロナ前に買ったのかな。2019年ぐらいに買った気がしますけど、ブルージャイアントっていう僕の好きな漫画の複製原画ですかね。1枚結構高かったです。5万円ぐらいしたのかな。額も込みで、額に入って複製原画。
それが漫画ミュージアムで売ってて、複製だから5万円かとも思ったけど、そこでしか買えないし、ちゃんと公式が出しているものですので、あと額も付いてるしっていうのもあって、買って飾って、絵を買って飾るのと一緒の感覚で買って、今でも飾ってますし、たまに眺めていいなと思って。
絵からもらえるパワーというか、絵を見て感じる何かを、そこに価値を感じて飾っているというのがありますかね。みたいなことを思ったりしました。
本物が見たい、本物に会いたいという気持ちは全然わかるし、僕も有名人だったら本物に直接会ってみたいし、本物のオリジナルの絵を見れるチャンスがあるんだったら別にすごく見たいんですけど、別に複製なら複製で、例えば絵も美術の教科書に載っているサイズ感で見るのと、複製が実際のサイズと同じものであると、
こんなでっかい絵だったんだとか、こんなちっちゃい絵だったんだとか、それをこういうふうに展示してあるんだとか、というのも含めての体験ってあると思うので、それはそれで価値があるというかね、感じる部分は私はあるかなと思いますかね。
さっき映画の話ありましたけど、演劇なんてそうなんですよね。最初の上映が云々って言いましたけど、演劇って結構有名な作品、シェイクスピアなんてね、昔の作家でもう全世界で翻訳までされて、あちこちで上映されてますけど、あれのオリジナルって何だよって言うとね、もう誰も知らないですよね。見たことないと思うんですよね。
楽譜、昔のクラシックの曲もそうかもしれないですよね。ロックオンされているものが残っていればあるかもしれないけど、楽譜が残っていて、それを再現しましたに過ぎない。楽譜はかなり再現性が高いと思いますけども、弾き方、譜面に載っていないニュアンスとかももちろんあると思うし、演劇とかなんてね、演出家によって演出の要素とかも加わったりしますから、
何がオリジナルで何がレプリカなのかって、結構曖昧な世界が結構あるなという気がしますね。すべての作品はオリジナルであり、すべての作品はレプリカであるみたいな。すべては言い過ぎか。でもそういうニュアンスの見方もあるかなと思うんです。
芸術作品なんてね、例えば絵にしても、何かを描いたものですっていうのも、絵自体は本物かもしれないけど、じゃあそれって何かを描いたものだから、それのいわゆる何かのレプリカっていう見方もできるわけじゃないですか。
あるいは作者が表現したいことを表出したものがそこに出てるだけであって、でもそれがイコール全く等しいものであるとは限らない。全然限らないと思うんですね。そういうふうに考えると、別に本物レプリカってあんまり意味はなくて、そこに受け手が何の価値を感じられるかってところがすごく重要なのかなというふうには思ったりしました。
受け手の価値観
でもすごく面白いお話だったんで、ちょっと自分でも喋ってみたいなと思って喋っております。そんな感じですかね。
今日はオッサンFMの方も更新があって、にんじんくんにゲストで出てきてもらっておりまして、サバゲのことをたくさん喋ってもらってますので、ぜひとも。
そのトークの中でにんじんくんにサバゲの会場とかで声日記収録したらいいんじゃないのって言ったら、にんじんくんもちょうどね、言っても収録からこの公開までそんなに間日があったわけじゃないので、ちゃんとサバゲに行ってちゃんと収録をして、この日に合わせて声日記で公開してくれてたりもするので、その辺偉いですね、にんじんくんね。
それもね聞いてみてもらえるといいかなと思います。はい、ということで今日はね、その私ものっかりで本物とレプリカのところをちょっとおしゃべりしてみました。ではまた。