◾️タイムスタンプ
「論理国語」(論理的文書)と 「文学国語」(物語系) の話
「感情の3原則」の話
▼ChatGPTとの会話▼
https://chatgpt.com/share/67ce80fa-53c4-800a-8f30-cc37f2b11026
▼前回の放送▼
2種類の「読解力」 - 国語を分ける提案理由
https://stand.fm/episodes/67c956083e006a527a49153d
◾️感情の3原則(ボクが勝手に定義しました)
第一原則 : 「感情」は「勝手に湧き上がるもの」である
第ニ原則 : 「感情」には「個人差」がある
第三原則 : 「感情」には「多数派と少数派」がある
①「社会的に生きるには、これらの事実を理解が必要」で、
②「自分が足りない部分」を理解し、
③「スキルで穴埋め」が必要。
③の「スキルで穴埋め」する部分は「テクニック」な教育。
①、②は、「事実」や「傾向」、「他者の特性」などを、「理解」する教育が必要。
と思います。
[BGM: MusMus]
#毎日配信
▼▼ 過去の俺流ロボのトリセツ回はこちら▼▼
#俺流ロボのトリセツ
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https://stand.fm/channels/63804647b4418c968d353e65
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第ニ原則 : 「感情」には「個人差」がある
第三原則 : 「感情」には「多数派と少数派」がある
①「社会的に生きるには、これらの事実を理解が必要」で、
②「自分が足りない部分」を理解し、
③「スキルで穴埋め」が必要。
③の「スキルで穴埋め」する部分は「テクニック」な教育。
①、②は、「事実」や「傾向」、「他者の特性」などを、「理解」する教育が必要。
と思います。
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サマリー
国語教育においては、論理国語と文学国語という2つのアプローチが分けられるようになった背景やその必要性が考察されています。この変化は、生徒の多様なニーズに応えるためであり、教育現場での適切な指導方法を模索する姿が描かれています。感情の3原則についての教育が重要であるとされ、小学校からの基礎的な感情理解が提唱されています。この原則は、感情の特性を理解し、コミュニケーションの偏りを防ぐための重要な要素です。
国語教育の新たな試み
Chikaraチャージ レイディオ💪
おはようございます、Chikaraです。 今日もスタイルを撮らせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。 今日は
先週、ほぼ1週間使った
あのゴンギツネからの気づきで、 僕が国語を
今後は2つに分けたほうがいいんじゃないかと いう話をさせていただきましたが、
その放送のコメント欄に ウータンさんね
沖縄のウータンさんから
コメントをいただきまして、 実はウータンさんが実際の高校で国語を教えている
高校の国語の先生だったそうです。
すごいですよね。僕ちょっと知らなかったんですけども。
国語の教師としてということで教えていただいたんです。
実際に最近は、国語の授業が実際に2つに分け始めている学校が
メインになってきているっておっしゃったかな。
ほぼそうなってるっていうことなんだと思いますが、
実際に論理的な文章の読解を教える
論理国語というものと、物語を扱って感性とか想像力を
使って読み解いていく文学国語というものに、2つに今分けられているそうです。
すごいですよね。これ僕本当に知らなかったんですけど、
むしろ知らなかったとはいえ、すでにそういう対策が取られ始めているっていうことについて
僕がこわだかに持論を展開したみたいな感じになったので、
ちょっと恥ずかしい気分にもなりましたけれども、
むしろ僕は一人で勝手にこの1週間ぐらいでそこに辿り着いていたというね。
独自で辿り着いたということは、まあまあすごいことじゃないかということも思いましたけど、
とにかく今の国語の授業、教科がそういうふうな動きをされているということが教えていただいてすごいなと思ったんですよね。
で、僕もちょっと全然知らなかったので、ここからはいつもの僕の通りで、
論理国語と文学国語の違い
チャットGPTとちょっとこの辺を話をしてみて、少し分かったことがあったのでね、
それもついでに紹介しておきたいなと思いました。
僕がチャットGPTと確認を取った内容は、詳細はこの概要欄にリンクを貼っておきますので、
これチャットGPTでやりとりした内容って、シェアもできると、みんなに共有もできるということが分かったので、
今回はその概要欄に、詳細はそちらにリンクを貼っておきますので、
僕が普段チャットGPTとどんな感じでやりとりしていって、
今回はどんな話を確認できたのかっていうのは、ぜひそちらも見ていただけると嬉しいなと思います。
一応ね、全部じゃないと思いますけど、
チャットGPTが教えてくれた範囲で言うと、基本的に高校の2年生から論理国語と文学国語というのを分けていくそうで、
ただね、これちょっと気になったのは、今のところは選択性をとっているところが、全部じゃないと思うんですけど、
そういうところが多いということなんじゃないかなという感じでした。
あれ、選択性ってわかるでしょ、文系理系とかさ、とかさって言っちゃったけど、
文系理系で、文系だと何を選ぶ、選ばない、みたいな。
理系であっても化学は選ぶけど物理は選ばないとか、むしろ生物は選ぶとか、そういう選考を皆さんされたじゃないですか。
ああいう感じで、この国語も文学国語と論理国語は基本的には選択性をとられているそうではありました。
ここはちょっとね、僕が気になったところであったんだけど、でもまあそういうふうに今は対応されているということかな。
一応なんでこういうふうに分けることになったのかっていうのを確認したところ、
一応ね、2022年度から新しくそういうふうに分けることになったと。
分けることにした背景としては、やっぱり従来の現代文という中に論理的な文章と文学的な文章の両方をまるっと一つにしてしまうことに限界があるということが指摘されていたそうです。
なのでやっぱり僕がちょっと気になったようなことが実際に議論をされていたそうでした。
で、この従来の国語のまとめてしまう問題点としては、3つぐらいの指摘をされていると言ってたんだけど、
1つは指導時間が不足してしまう。やっぱり扱う範囲が広すぎて、どの分野も十分に深く学ぶ時間が確保できなかったということを指摘された点がありました。
あとは2つ目、指導の方向性がブレるということも指摘をされていた一つだったそうです。
なんかね、論理的な文章の読解と文学作品の鑑賞読解は求められるスキルが異なるが、
1つの授業でこれらを並行して教えるとどちらも中途半端になりやすいという指摘が実際にあったということがGPTは言っていましたね。
だから、やっぱり言ってた通りですよね。
例えば、評論を論理的に分析する力と、文学作品を感受性豊かに読む力を同時に養うのは難しく、指導の軸が定まりにくいといったような、
1つの現代文という形で教えるとそういうふうに薄まってしまう。方向性がブレてしまうみたいなこともあったそうでした。
で、もう1個は生徒の関心または進路と合わないという指摘もされていたそうです。
ちょっと僕はここは異論がありますけれども、そういうことがあったということで。
要は大学入試とか社会で求められるような論理的な文章を正確に読み、
論理的に書く力を鍛えたいという生徒にとっては文学的な要素は重要度が低かった。
一方で逆もしかりだということで、生徒の関心や進路に合わせて選択できるようにむしろしてしまったそうですね。
ここはもう1回ですけど僕は異論がありますが、とにかくそういう背景で2つがまずはそもそも別のスキルであるということと、
1つで教えてしまうと時間が足りなかったり、薄まってしまうときちんと深掘りできないんじゃないかということも含めて分けることにしたそうです。
国語指導の未来
で、その中で大学の入試やセンター試験みたいな共通試験、今はセンター試験ってもう言わないでしたっけね。
その共通試験で選択性になっているのっていうことを聞いたら、一応GPTは共通テストの国語は結局やっぱり分割、分かれてないので、
共通テストを受ける人はどっちも受けなきゃいけないよということだったそうです。
私立とか国公立は大学別の試験はそれぞれの学校によりますよということだそうですね。
この辺はそういうことでいろいろ話を確認はできましたが、一応そういう状況だそうです。
ここで僕はGPTに指摘をするわけです。
教科を高校2年生から選択できるようになるということは、それ自体も不具合じゃないんですかと。
不具合はありませんかということをそんな話をさせていただきましたが、GPTも確かにそういうことはありそうだなということですね。
この中でもう一個ちょっと確認をしたところがあったんですよね。
そうそうGPTと確認後はしていたのが、読解力と察する力は別物でしょうという話をしたらそうだねということを言ってきて、
それは国語なんですかという話を僕は聞いたら、論や数字の読解力は国語の論理国語の方でいいと思いますが、
感情を察する力は従来の国語だけではなく、倫理や心理、社会学的要素も入ってきますねというのがGPTの回答でしたね。
なので文学国語の中で扱うのは適切ではあるが、国語だけに閉じるべきではないように感じますというのがGPTも言ってくれていました。
そうするとそれを国語教師だけで教えられるのかどうか、またその受講を選択性にすべきなのか、
また高校からでいいのか、いやむしろ小学1年生からでもやるべきではないのか、
そして教材は新しくすべきか、もしくは既存の教材でもできなくないのではないか。
この辺をGPTにも聞いてみたところ、確かに国語教師だけで教えるのは難しいところもあるかもしれない。
心理学、倫理学、社会学的な知見も必要になってくるような分野かもしれませんということを言ってましたね。
あとは、異分野の専門家、心理学者やカウンセラーなどとも協力するということも必要かもしれません。
感情を察する力の重要性
そして選択性にすると察する力が重要な人に届かない可能性があるというのはGPTも言っていましたね。
選択性は自分の興味によって選択できるんですけど、実際興味がないからといってやらなくていいものかというと違うんじゃないかというのを僕がGPTと話をしていったんです。
だからこの感情を察するということは1たす1は2のような、そのぐらい基礎的な人が人として生活する基礎的な最低限必要なスキルに近いんじゃないかということを僕はGPTと
話をしていったところ。 GPTも確かにそう思うということで回答ありましたので
やっぱりこの感情を察していくことについてはやっぱり
幼い時からしっかりやっていって選択性にするのは最後は選択性でもいいかもしれませんが
基本的には小学校からずっと教育をしていった方がいいんじゃないかというのはGPTも言ってくれておりました。
小学校では基礎作りをし、中学校では応用レベルに行き、論理国語の方はディベートなどを導入したりしていって、高校では実践的な応用をしていく。
文学国語の方ではケーススタディなどを用いたり。逆にディベートというのは逆の立場から言うとどういう風に
どういう論が組み立てられますかみたいなねそういうこともありますからディベートなどを通じることもお互いの
感覚を知ることができるといいトレーニングになるんじゃないかみたいなことも言ってくれてました。
そして一個ね僕がちょっと思ったのが、僕が言いたかったことを僕は勝手にこのGPTとのやり取りの中で説明しやすかったのでこんな表現をしてみたんです。
僕は勝手にですけど感情の3原則というのを僕が命名したものがあります。何かというと感情の原則1
感情は勝手に沸き上がるものである。感情の原則2
感情には個体差がある。感情の原則3
多数派と少数派がある。これを感情の僕は第3原則と名付けました。この感情の3原則はもう小学校の低学年からもしくは幼稚園からでもいいですけど
全員が知るべき。教師も生徒も全員、世の中のすべての人が知るべきことなんじゃないかというふうに思ってこれを僕の中ではもう勝手にもう一回ですが感情の3原則と名付けました。
この感情の3原則は1たす1は2と同じような分類じゃないのと本当に人が生活する上で必要なものでしょう。最低限ということで僕は最後の方に
GPTと議論を尽くしていきますがそれを
GPTは反論も何もせず結論それが最適な形だと思う。それが本当に必要だろうということで言ってくれました。
その辺の僕のGPTとのやり取りについてはちょっとリンクを改めて貼っておきますので興味がある方は
あまりいないと思いますけど見ていただけるといいなと思います。
で最後の最後GPTのまとめとしてはこういうことを言ってくれました。 感情の3原則は科学的な事実として教えるべき。
2つ目多数派少数派の意見をそのまま事実として伝えることで偏らない教育ができる。
3つ目正解を決めないことで押し付けにならず自由な議論が可能になる。 4つ目ロールプレイやリベートを活用することで他者の視点を擬似体験できる。
感情はこうあるべきという教えではなく感情にはこういう特性があると教えるのがベストなアプローチだと思う。
今そのまま読み上げましたがGPTも僕の意見に賛同してこういうことを言ってくれました。
感情については何が正しいということは言うのが難しいから教育するのは難しいんじゃないかとGPTが途中で言ってきたんですが
もう一回ですけど僕は感情の3原則は教えるべき。これはもう絶対である。 ただし感情に正しさはない。
むしろ違いがあることを教えていく。正解を決める必要がないということを教えていけばいいんじゃないか。
その上で多数派を理解する。または少数派の意見もそういうものがあることを理解するというような教育をしていけば
みんなコミュニケーションに困ったり偏ったコミュニケーションをしないで済む世の中が来るんじゃないか。
そういうふうに僕はGPTと議論を尽くして今日のこの結論に
させていただこうと思います。詳しくはもう一回ですがリンク貼っておきますのでGPTと僕のやりとりも見ていただけると嬉しいです。
それでは行きます。 感情の3原則皆さん覚えましたか?
ぜひコメント欄にも概要欄にも書いておきますのでもう一度見直していただいて
皆さんの感じたことをコメントいただけると嬉しいです。
それでは行きます。 力チャージ!
今日も力あふれる一日を!
17:51
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