ゼンメルワイスの紹介
こんにちは、ちじゅです。さて今回もEoLをやってまいりたいと思います。
Echo of Lifeなんですけれども、今回はね、ちょっとご存じない方が多いかもしれないんですけど、
Ignatz Semmelweisっていう人なんですよね。
えーと、ハンガリー出身の人なんですけど、ご存知かな?
結構Semmelweisっていう言葉で、なんか悲劇のお医者さんみたいな形で聞いたことあるかもしれないんですけども、
ちょっと彼の言葉を今回ご紹介したいと思います。今回はね、言葉っていうよりも彼の生き方っていうか、
そういった方でちょっと私はね、あのご紹介したいなーと思ってやってみているところです。
じゃあ今回紹介する言葉なんですけども、
私は望む、あなたが名誉ある戦いの残りの時間に疲れることがないということを
っていうような言葉でございます。
これは19世紀のお医者さんだったんですけども、自らの発見を信じ続けた、
同志にあてた手紙の一節ですね、友達と言いますか、同志にあてた手紙の一節になります。
真実を訴え続けることの孤独と重さ、そして仲間への深い思いやりが込められたような言葉になっています。
発見と苦悩
それでは彼の人物像ですね、ご紹介したいと思います。
1818年、ハンガリーのプタペストで、イグナーツ・ゼンメルワイスは雑貨商の5番目の子供として生まれました。
父は裕福な商人で、家族は比較的恵まれた環境にありましたが、
イグナーツは幼い頃から周囲とは少し違う強い正義感を持つ子供でした。
ウィーン大学で法律を学び始めた彼はすぐに方向転換し、
医学の道へ。1844年、26歳で医師となったゼンメルワイスはウィーン総合病院の酸化病連に配属されます。
そこで彼が目にしたのは、出産後に命を落とす女性たちの姿だったんですね。
三軸熱と呼ばれるこの病気は、まるで死神のように母親たちを次々と奪っていったのです。
病連には2つの区域がありました。
医師や医学生が担当する第一区域では死亡率が約13から18%、
一方、助産師が担当する第二区域ではわずか4%程度。
この謎にゼンメルワイスは取り憑かれていったんです。
天気は1847年、親友の死だったんです。
解剖中に誤って自分の指を切った病理学者の友人が
三軸熱と全く同じ症状で亡くなったんです。
ゼンメルワイスの心に稲妻がはじりました。
死体からの何かが医師の手を通じて運ばれているのではないか。
彼は医師たちに診察前に塩素水で手を洗うように指示をしました。
結果は劇的だったんですね。
死亡率は1%まで急降下。
彼は喜びに震えて、
これこそ何千もの命を救う発見だというふうに確信をしました。
ところが待っていたのは、
傷産ではなく、症状と敵だったんですね。
当時の医学界は正気説、
これはいわゆる悪い空気が病気を運ぶという考え方なんですけど、
そういうのを信じていた頃なんですね。
目に見えない何かというものが手を通じて運ばれるなどという、
そういう口頭無形な、
それ以上にどっちかというと、
医師たちのプライドが傷けられたんですよね。
我々紳士の手が死を運んでいる、だと。
そんな感じだったわけです。
ゼンメルワイスの上司クラインは、
この発見を脅威と感じました。
若き医師の成功は自分の無知を浮き彫りにするものでした。
具合が悪かったわけですよね。
1849年、ゼンメルワイスは契約を更新されずに、
運院を去ることになります。
故郷ブタペストに戻った彼は、
聖ロクス病院の参加部長となり、
そこでも劇的に死亡率を下げることに成功します。
しかし、彼の性格は次第に変わっていきました。
真実を認めない医学界への怒り、
自分の目の前で死んでいく女性たちへの無念さ、
彼は会議で医師たちを殺人者と呼び、
激しい言葉で非難し始めます。
1861年、ようやく彼は辞書。
三除熱の原因、概念、予防という本を出版しますが、
最期と評価
学術的な冷静さよりも感情的な訴えが目立つものでした。
彼は全国の著名な山会に手紙を送り、
時に攻撃的なまでに辞雪を主張しました。
その一つが今日の引用文が含まれる手紙なんですね。
孤独な戦いは彼の精神を、
ちょっとね、おかしくしていったということなんですよね。
1865年です。
家族は彼の様子の異変に気づきます。
友人の精神会議に相談し、
ゼンメル・ワイスは療養という名目で
ウィーンの精神病院に連れて行かれました。
それが騙し討ちだというふうに気づいた彼は抵抗したんですが、
監視たちに暴力的に抑えつけられて、
法則位を着せられます。
わずか2週間後、1865年8月13日、
ゼンメル・ワイスは47歳でこの世を去りました。
たった2週間後ですよ。
真は排血症。
皮肉にも彼が障害をかけて戦った手の汚染による
感染症だったということなんですね。
彼の死後20年、
パスツールや個々の細菌学の発展により、
ゼンメル・ワイスの理論は完全に正しかったことが証明されます。
今日彼は院内感染予防の父、
あるいは母親たちの救い主というふうに呼ばれています。
しかしその栄誉を彼自身が聞くことはありませんでした。
はい、という物語になっております。
物語というか、大人物の一章だったんですね。
さて今回の引用文なんですけれども、
ちょっと長いというか、また聞き慣れないというか、
あんまりこれを覚えてほしいとかも思ってなくて、
まあちょろっと意味だけ分かってもらえたらいいんですけど、
I hope、私は望むと、
You will not tire,
You will not tire,
You will not tire,
You will not tire,
You will not tire,
You will not tire,
あなたが疲れないことですね。
During the reminder,
まあ残りの時間っていう意味です。
During the reminder,
of your honorable fight,
どんなリマインダーかって言ったら、
あなたの名誉ある戦いの、というような意味です。
まあ大体の意味を把握してもらったらいいと思いますし、
ちょっと言葉も、チョイスが古い感じなので、
今の口語的な使い方じゃないので、
詳しく覚える必要はないと思うんですけど、
まあこのような意味の内容になっています。
I hope you will not tire during the reminder of your honorable fight.
でございます。
でまあこの言葉はね、本当に自分の理論を支持してくれていた、
数少ない同志の一人ですね、
ドイツの産科医にあてた手紙の一節なんですね。
でまあhonorable fightということで、
名誉ある戦いという表現にね、
彼の信念の強さと同時に戦いの激しさというものの、
まあ深い理解というものが現れているんじゃないかな、
というふうに思うんですよね。
本当に大変な一生だったんだなと思うと、
私はこの彼の話はもう数年前に聞いて、
もうね胸が痛くなった覚えがあるんですけど、
本当にね、ちょっとこんな重い話をしてあれなんですけど、
日本人の英語の割合と学習法
それで英語と結びつけるっていうのもなんかちょっとっていう気はするんですけど、
まああえてね、はい、させていただくとですよ、
ちょっと気持ちを変えて話させていただきたいんですけど、
日本人でね、英語が話せる人の割合ってどれくらいだと思います?
なんかね、だいたい流暢に話せるね、
いわゆるペラペラとかって言われるのかもしれないんですけど、
自分の言いたいことが言えるみたいな、
だいたい支障がないみたいなレベルだと、
だいたい2%以下になるんじゃないかって言われてまして、
しかも、このいわゆるタスク英語じゃなくて、
即座に自分の意見が言えるっていうようなレベルは、
まあ1%以下じゃないかとも言われてるわけなんですよね。
これってどういうことかって言ったら、
大半の人がやってるやり方は実は間違っているんじゃないかっていうことなんですよね。
世の中の多くの学習法っていうのは、
実は効果がないんじゃないかっていうことでもないかと思うんですよね。
一応なんですけど、文科省とか国の方針として、
学校の英語って、なんかコミュニケーションを目標としているように、
とても思えなかったんですけど、
でも彼らが言い張ってるのは、
コミュニケーション、国際舞台で、
堂々と自分のことが表現できる人間を育てるのだっていうのを掲げて、
それがコンセプトで作られたカルキュラムだそうでございます。
なのに1%しか話せないってどういうことよっていうことなんですけど、
アール・ナイチンゲールっていうアメリカの作家の人いますけど、
彼は大衆は常に間違いとか言ってますよね。
大衆は常に間違うって聞いたことありますかね。
私これって本当に言えて妙だなってよく思うんですけど、
そういった大衆から選ばれた代表も間違っちゃうっていうことなんで、
国を挙げて間違うことなんて本当によくあることなんで、
本当に困っちゃうなというところではあるんですけど、
だからね、私が何を言いたいかっていうと、
私のこの放送配信を聞いてくださっている方っていうのは、
まあちょっと一般的な学習方法にははまってない人が多いんじゃないかなというふうに思ってるんですよね。
だからオルターナティブな学習方法にもちょっと心を開いて、
言ってみればちょっと違うけど頑張ってみようかなっていうような方が聞いてくださってる人も多いと思うし、
そうじゃないとしても、とりあえずは日本で話せるのが英語が話せるのが1%だっていう、
そういった世の中においてその上位1%を目指そう、あるいはもうすでに入っているっていう人たちじゃないですか、
私の放送を聞いてくれてるっていうのは。
だから本当にすごいことをあなたたちはしてるんだよっていうことが、
私はちょっと言いたいわけなんでございますよね。
英語を学ぶ理由
無理やりこじつけてるように聞こえるかもしれないんですけど、
私本当にそう思ってるんですよね。
話をゼンメル・ワイスに戻すと、ゼンメル・ワイスっていうのは死んでいったりとかする母親のたちのためにね、
一生かけて戦い続けたわけなんですよね。
自分のためじゃなくて、そういった死んでいく母親たちを一人でも減らしたいっていう思いで戦っていたっていうことなんですよね。
だから自分の名誉のためではなくて、もう頭がおかしくなっちゃうまで、
毎日目の前で命を落としていくっていう女性たちのために頑張ったっていうことで、
その純粋さが彼を突き動かして、同時に彼を孤独にしていったっていうことだと思うんですよね。
本当に不運な人なんですけども、でも今は彼の功績は称えられてはいるんですけど、
そこで私もちょっと思うのが、みんな何のために英語を学んでいるのかなっていうこともたまに思うんですよね。
あなたは何のために英語を学んでいますでしょうかね。
誰のためです?自分自身のため?
それも本当に素晴らしいと思うんですよね。
楽しいからやってるっていう人たちもたくさんいるから、それはそれですごい素晴らしいことだと思うし、
上位1%ですから、すごいと思うんですよね。
でも時には、より大きななぜっていうね、whyを見つけると、
疲れそうな時に力をくれたりとかするんじゃないかなと思うんですよね。
例えば家族旅行に行った時に、家族が困らないように自分が英語を話せるようにしておくとか、
収入がね、英語ができることによって収入が増えて家族を喜ばせるためにとかいろいろあると思うんですけど、
そういう何かあなたの英語がいつか誰かの人生に小さな変化でもいいけれどももたらすかもしれないというふうに、
そんなふうに思うと、今日の一歩っていうものにもちょっと意味が生まれるかもしれないよねって思うんですよね。
人間って結構ね、自分のためっていうよりも人のために行動する方がエネルギーっていうのが出るみたいなんですよね。
なんていうことを、彼の人生を考えながら思ったわけでございます。
はい、それでは最後に彼の言葉で締めたいと思います。I hope you will not tire during the remainder of your honorable fight.
でございました。では、またねー。